ボビー・シャンツ
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | ペンシルベニア州ポッツタウン |
| 生年月日 | 1925年9月26日(87歳) |
| 身長 体重 |
5' 6" =約167.6 cm 142 lb =約64.4 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1948年 |
| 初出場 | 1949年5月1日 |
| 最終出場 | 1964年9月29日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ボビー・シャンツ(Robert Clayton "Bobby" Shantz、1925年9月26日 - )は、主に1950~1960年代に活躍したアメリカ合衆国ペンシルベニア州ポッツタウン出身の野球選手(投手、左投げ右打ち)。生まれ。1952年のアメリカンリーグ最優秀選手。小柄だったがフィールディングに優れ、メジャーリーグで1957年から始まったゴールドグラブ賞の最初の受賞投手となった[1]。
目次 |
来歴・人物 [編集]
1948年にアマチュアから当時のフィラデルフィア・アスレチックスに入団し、1949年にメジャーリーグに昇格した。3年目の1951年に18勝と2桁勝利に乗せた。この年の秋にはメジャーリーグ選抜の一員として日米野球に参加。パリーグ選抜に1-3で敗れメジャーリーガーとしては初めて日米野球の敗戦投手となっている。翌1952年には24勝7敗でアメリカンリーグの最多勝利投手となった。この年は開幕から白星を重ね、当時シーズン30勝の可能性も報じられたそうだが、死球を受けそれ以上の勝ち星を伸ばせなかったという。同年のオールスターゲームでは1イニングを投げ、ホワイティー・ロックマン、ジャッキー・ロビンソン、スタン・ミュージアルを三者連続三振に抑える好投も見せた。
緊縮財政下だったアスレチックスが当時活躍した選手たちをすぐ放出したこともあり、その後シャンツもなかなか勝ち星をあげられず徐々に先発から抑え投手へと転向していった。シャンツ自身も1957年にヤンキースにトレードで移籍したが、移籍後11勝5敗と防御率2.45の成績を残し、リーグ最優秀防御率投手になるとともに、自身3度目のオールスター出場も果たした。ヤンキースには1960年まで在籍し2度のワールドシリーズ出場を経験したが、同年ワシントン・セネタースのエクスパンション・ドラフトの際ヤンキースを離れると、以後ナショナルリーグの球団を転々とした。シャンツは引退する1964年まで8年連続でゴールドグラブ賞を受賞しているが、特に最終年は1シーズンで3球団を渡り歩きながらの受賞であった。同年現役を引退。引退後のコーチ歴などはない。
通算成績 [編集]
投手成績 [編集]
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 537 | 171 | 1935.2 | 119 | 15 | 99 | 48 | 1072 | 1795 | 151 | 643 | 41 | 29 | 726 | 3.38 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- アメリカンリーグ最優秀選手:1952年
- 最多勝利:1952年
- 最優秀防御率:1957年
- オールスターゲーム選出:3回(1951,1952,1957年)
- ワールドシリーズ出場:2回(1957,1960年)
- ゴールドグラブ賞(投手):8回(1957-1964年)
打撃成績 [編集]
- 通算:578試合、548打数107安打、本塁打1、打点46、打率.195
脚注 [編集]
出典・外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
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