ミゲル・カブレラ
| デトロイト・タイガース #24 | |
|---|---|
2012年7月13日
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | アラグア州マラカイ |
| 生年月日 | 1983年4月18日(30歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 255 lb =約115.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手・三塁手 |
| プロ入り | 1999年 |
| 初出場 | 2003年6月20日 |
| 年俸 | $21,000,000(2012年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年・2009年・2013年 |
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この表について
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ホセ・ミゲル・トーレス・カブレラ(Jose Miguel Torres Cabrera, 1983年4月18日 - )は、ベネズエラのアラグア州マラカイ出身のプロ野球選手(内野手、一塁手、三塁手)。右投げ右打ち。MLBのデトロイト・タイガースに所属している。
2003年のデビューから10年間で321本塁打しているメジャーを代表する打者の1人である。カール・ヤストレムスキー以来MLBでは45年間達成者が現れていなかった打撃三冠王を達成した。
目次 |
経歴 [編集]
誕生~マイナーリーグ [編集]
1983年4月18日、ベネズエラのアラグア州マラカイで誕生した。父は元野球選手、母はソフトボールのベネズエラ代表、おじは元マイナーリーガーという野球一家だった[2]。カブレラも野球をするようになり、10代半ばにはメジャーのスカウトに注目される存在となっていた。14歳時にはメジャー5球団がカブレラのスカウトを始めていたという[3]。
1999年に契約解禁年齢となったカブレラは、7月にベネズエラの選手としては当時の最高額の契約金180万ドルでフロリダ・マーリンズと契約[2]。ニューヨーク・ヤンキースやロサンゼルス・ドジャースはマーリンズを上回る200万ドルを提示したが、これを蹴ったのは、カブレラが1997年のワールドシリーズを観戦した時に中南米系選手が活躍したマーリンズのファンになっていたことと、「マーリンズは中南米系若手選手の育成に優れている」とカブレラの父が判断したことが原因である[4]。また本人によれば「野球で芽が出ないまま引退した際には大学進学を認め学費も球団が負担する」という条件を契約に盛り込んだのがマーリンズだけだったことや、ヤンキースやドジャースよりマーリンズの方が選手層が薄くメジャー昇格が近いことも大きかった[3]。
2000年、ルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせた。この時の守備位置は遊撃手だったが、翌2001年にA級へ昇格すると三塁手もこなすようになる。更に2003年にAA級へ昇格すると外野手(左翼手)にも回るようになった。
フロリダ・マーリンズ(2003年 ~ 2007年) [編集]
2003年、AA級で打率.365を残し、6月20日にAAA級を経ない "飛び級" でメジャーに昇格。6月20日に、球団史上2番目の若さとなる20歳63日でメジャーデビューを果たした[5]。この試合(デビルレイズ戦)に「8番・左翼」で先発し、延長11回にサヨナラ本塁打を放った。デビュー戦でサヨナラ本塁打を放ったのはMLB史上3人目である[5]。その後は、左打者のトッド・ホランズワースと併用という形ながらメジャーに定着し、打率.268・12本塁打・62打点という成績を残した。本塁打と打点は新人選手としてリーグ2位、長打率.468は同1位であった[5]。
この年のポストシーズンにも出場したカブレラは、マーク・プライアー(カブス)、ロジャー・クレメンス(ヤンキース)などMLB屈指の投手から次々と本塁打を放つなど活躍。チームはワールドシリーズでヤンキースを下し、1997年以来2回目のワールドチャンピオンとなった。シーズン終了後に行われた新人王の投票ではカブレラは5位に入った。
2004年は左翼のレギュラーとして160試合に出場し、33本塁打・112打点を記録。シーズン100打点達成は史上5番目の若さだった[6]。オールスターゲームにも初選出された他、この年オフの日米野球にも参加している。
2005年には打率.323とリーグ3位の高打率を記録。本塁打は前年と同じ33本だったが二塁打が12本増加し、塁打数344は球団新記録となるなど、長打力が増した[7]。シーズン終了後にはシルバースラッガー賞を初めて受賞し、MVPの投票では5位に入った。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシック第1回大会にベネズエラ代表として出場。レギュラーシーズンでは、前年までマーリンズの正三塁手だったマイク・ローウェルが放出されたことから、本職の三塁手に再転向された。以前から雑と指摘されていた守備が顕著となった。7月8日のメッツ戦では怠慢な守備が引き金となり、スコット・オルセンとの口論からつかみあいになりかけた[8]。打撃では、打率や二塁打で球団記録を更新[9]。特に打率ではフレディ・サンチェス(パイレーツ)やアルバート・プホルス(カージナルス)と首位打者争いを演じたが、サンチェスの打率.344に約5厘及ばず、自身初の打撃タイトル獲得を逃した。シーズン終了後、球団との契約更改において年俸調停を申請、カブレラ側の主張が認められ、2007年の年俸は前年の47万2,000ドルから約16倍の740万ドルになった。調停官の裁定額としてはアルフォンソ・ソリアーノ(2006年・1000万ドル)、アンドリュー・ジョーンズ(2001年・820万ドル)に次ぐ史上3番目の高額である[10]。
2007年は、自己最多となる34本塁打・119打点を記録した。9月4日には、MLB史上3番目の若さとなる24歳139日で通算500打点を記録している[11]。
デトロイト・タイガース(2008年 ~ ) [編集]
マーリンズは2003年のワールドシリーズ優勝以降、主力選手を多く放出して年俸総額の削減を図っていた。2007年12月4日、主砲のカブレラとエースのドントレル・ウィリスを若手6選手とのトレードでタイガースへ放出した。
2008年3月22日に、タイガースと8年総額1億5230万ドルで契約を延長。契約総額ではアレックス・ロドリゲス、デレク・ジーター、マニー・ラミレスに次ぐ高給選手となった。平均年俸ではロドリゲス、ヨハン・サンタナ、ラミレスに次ぐ4位である[12]。シーズン序盤は三塁手として出場を続けていたが、あまりにもエラーが多く、開幕1か月もたたないうちに一塁手のカルロス・ギーエンとコンバートされた[13]。打撃では、4月から6月まで3か月連続で長打率が4割台だったが、7月にプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出されて以降、3ヶ月連続で6割台の長打率を記録[14]。4年ぶりに打率が.300を下回ったものの、自己最多となる37本塁打・127打点を記録。本塁打王争いのライバルであったアレックス・ロドリゲスやカルロス・クエンティンらが故障したこともあって、自身初の打撃タイトルである本塁打王を獲得した。30本台でのアメリカンリーグ最多本塁打は、1989年のフレッド・マグリフ以来19年ぶり。
2009年は、自身3度目、自己最多タイとなる160試合に出場。打率.324を記録した他、3年連続30本塁打以上、6年連続100打点以上となる34本塁打・103打点という成績を残した。安打数198本も出場試合数と同じく、自己最多タイ、打点は100打点以上を記録した6度の中で自己最少だった。また、シーズンオフのMVP投票では、1位票を1票だけ獲得し、総合では4位になった。チームが優勝争いしていた10月、夫婦喧嘩が警察沙汰に発展。マスコミに顔の傷を「犬に引っかかれた」とごまかしたが、警察の発表によって全てが発覚した。[15]チームの士気を大きく下げて優勝を逃す原因となり、ファンの恨みの的となった。[16]
2010年は、2004年以降、レギュラーに定着後(規定打席に到達したシーズン)としては自己最少の150試合出場だったが、打撃面では自己最高の活躍を見せた1年となった。打率.328は、自身のキャリアで3番目に高い数字でありかつリーグ2位の数字・本塁打38本は、自身が本塁打王を獲得した2008年の37本を1本更新する自己記録であり、リーグ3位の数字であった。また、126打点を記録し、自身初の打点王を獲得した。更に、四球89と三振95はそれぞれ自己最高と自己最少の数字であり、また出塁率でもリーグ1位となり、OPSが1.000を超えたのも2010年が自身初となった。MVPの投票では、ジョシュ・ハミルトンに次ぐ2位に入った。
2011年は、通算1500安打(あと100本)・300二塁打(あと2本)・250本塁打(あと3本)・1000打点(あと121打点)・2500塁打(あと35)など、様々な節目の記録が目前に迫った中でシーズンを迎えた。161試合に出場し、48本の二塁打(いずれもリーグ最多)、また2年連続となる最高出塁率(.448)を記録した。また自身初となる首位打者(.344)のタイトルも獲得し、チームの実に24年振りとなる地区優勝に貢献した。
2012年はプリンス・フィルダーの加入により、久々に三塁を守ることになった。フィルダーがカブレラの後を打つようになったことで、勝負を避けられることが減った。その結果、本塁打、打点が前年よりも大幅に増加し、9月に入った頃には三冠王が視界に入ってきた。最終的に本塁打ではジョシュ・ハミルトン、カーティス・グランダーソン、打率ではマイク・トラウト、ジョー・マウアーらとの熾烈な争いを制し、チームでは1909年のタイ・カッブ以来103年ぶり、MLB史上ではカール・ヤストレムスキー以来45年ぶりとなる打撃三冠王を達成した。MVPを巡っては新人ながら走攻守でハイレベルな成績を残したマイク・トラウトとの争いが注目を集めた。しかし、終わってみれば投票資格を持つ28人中22人から1位票を獲得し(残りの6人はトラウトに1位票)、大差でア・リーグMVPを獲得した。ベネズエラ出身の選手としては初のMVP受賞となった[17]。
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | FLA | 87 | 346 | 314 | 39 | 84 | 21 | 3 | 12 | 147 | 62 | 0 | 2 | 4 | 1 | 25 | 3 | 2 | 84 | 12 | .268 | .325 | .468 | .793 |
| 2004 | 160 | 685 | 603 | 101 | 177 | 31 | 1 | 33 | 309 | 112 | 5 | 2 | 0 | 8 | 68 | 5 | 6 | 148 | 20 | .294 | .366 | .512 | .878 | |
| 2005 | 158 | 685 | 613 | 106 | 198 | 43 | 2 | 33 | 344 | 116 | 1 | 0 | 0 | 6 | 64 | 12 | 2 | 125 | 20 | .323 | .385 | .561 | .946 | |
| 2006 | 158 | 676 | 576 | 112 | 195 | 50 | 2 | 26 | 327 | 114 | 9 | 6 | 0 | 4 | 86 | 27 | 10 | 108 | 18 | .339 | .430 | .568 | .998 | |
| 2007 | 157 | 680 | 588 | 91 | 188 | 38 | 2 | 34 | 332 | 119 | 2 | 1 | 1 | 7 | 79 | 23 | 5 | 127 | 17 | .320 | .401 | .565 | .966 | |
| 2008 | DET | 160 | 684 | 616 | 85 | 180 | 36 | 2 | 37 | 331 | 127 | 1 | 0 | 0 | 9 | 56 | 6 | 3 | 126 | 16 | .292 | .349 | .537 | .886 |
| 2009 | 160 | 685 | 611 | 96 | 198 | 34 | 0 | 34 | 334 | 103 | 6 | 2 | 0 | 1 | 68 | 14 | 5 | 107 | 22 | .324 | .396 | .547 | .942 | |
| 2010 | 150 | 648 | 548 | 111 | 180 | 45 | 1 | 38 | 341 | 126 | 3 | 3 | 0 | 8 | 89 | 32 | 3 | 95 | 17 | .328 | .420 | .622 | 1.042 | |
| 2011 | 161 | 688 | 572 | 111 | 197 | 48 | 0 | 30 | 335 | 105 | 2 | 1 | 0 | 5 | 108 | 22 | 3 | 89 | 24 | .344 | .448 | .586 | 1.034 | |
| 2012 | 161 | 697 | 622 | 109 | 205 | 40 | 0 | 44 | 377 | 139 | 4 | 1 | 0 | 6 | 66 | 17 | 3 | 98 | 28 | .330 | .393 | .606 | .999 | |
| 通算:10年 | 1511 | 6472 | 5661 | 961 | 1802 | 386 | 13 | 321 | 3177 | 1123 | 33 | 18 | 5 | 55 | 709 | 161 | 42 | 1106 | 194 | .318 | .395 | .561 | .956 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰・記録 [編集]
- 三冠王 1回:2012年(打率.330・44本塁打・139打点)
- 首位打者 2回:2011年(.344)、2012年(.330)
- 本塁打王 2回:2008年(37本)、2012年(44本)
- 打点王 2回:2010年(126打点)、2012年(139打点)
- MVP 1回:2012年
- シルバースラッガー賞 4回:2005年(外野手部門)、2006年(三塁手部門)、2010年(一塁手部門)、2012年(三塁手部門)
- MLBオールスターゲーム選出 6回:2004年 - 2007年、2010年、2012年
- ハンク・アーロン賞:1回(2012年)
脚注 [編集]
- ^ “Detroit Tigers Salaries Player Salaries and Team Payroll - MLB Baseball” (英語). ESPN.com. 2012年9月27日閲覧。
- ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』 廣済堂出版、2009年、181項。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ a b 宮内敬司「ミゲール・カブレラ[マーリンズ・右翼手]/進化する無限大の才能」 『月刊メジャー・リーグ』2004年8月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-8、16-19頁。
- ^ 澤田敏典「次代のメジャーリーグを背負う男 ミゲル・カブレラ[マーリンズ]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、20-23頁。
- ^ a b c “Miguel Cabrera 2003 Career Highlights” (英語). 2008年5月24日閲覧。
- ^ “Miguel Cabrera 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月24日閲覧。
- ^ “Miguel Cabrera 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月24日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、293頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ “Miguel Cabrera 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月24日閲覧。
- ^ “Cabrera's arbitration win is first for player this year” (英語). 2008年5月23日閲覧。
- ^ “Miguel Cabrera 2007 Career Highlights” (英語). 2008年5月24日閲覧。
- ^ Jason Beck (2008年3月25日). “Tigers lock up Cabrera for eight years Contract is biggest awarded in Detroit team history”. mlb.com. 2008年3月26日閲覧。
- ^ Associated Press (2008年4月23日). “Tigers move Cabrera to first base, Guillen to third” (英語). ESPN.com. 2009年5月20日閲覧。
- ^ “Miguel Cabrera 2008 Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年5月20日閲覧。
- ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャー・リーグ完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、135ページ。
- ^ 【 MLB Column from USA 】 ア・リーグMVPのジョー・マウアーは、なぜ“満票”選出されなかったのか? http://sports.goo.ne.jp/baseball/column/number-4392-1/
- ^ Miguel Cabrera of Detroit Tigers beats Mike Trout of Los Angeles Angels for American League MVP ESPN
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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