ハンク・グリーンバーグ
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1911年1月1日 |
| 没年月日 | 1986年9月4日(満75歳没) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手 |
| プロ入り | 1929年 |
| 初出場 | 1930年9月14日 |
| 最終出場 | 1947年9月18日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 選出年 | 1956年 |
| 得票率 | 84.97% |
| 選出方法 | BBWAA[1]選出 |
|
この表について
|
|
ハンク・グリーンバーグ(Henry Benjamin 'Hank' Greenberg, 1911年1月1日 - 1986年9月4日)はユダヤ系の元メジャーリーグ選手。主なポジションは一塁手。ニューヨーク市生まれ。
経歴[編集]
ユダヤ系選手でメジャーリーグにおいて彼に比肩する成功を収めたのはロサンゼルス・ドジャースのサンディー・コーファックスくらいである。1947年にジャッキー・ロビンソンが黒人初のメジャーリーガーとなり、数々の人種差別・嫌がらせを経験するが、グリーンバーグもまた多くの軋轢を経験する。
現役時代はデトロイト・タイガース(1930年、1933年 - 1946年)とピッツバーグ・パイレーツ(1947年)に所属、一塁手または外野手として活躍。そのうちシーズンを通して活躍したのは9年のみで、第二次世界大戦に従軍したため合計5シーズン近くの空白がある。また、手首の骨折のためほぼ一シーズンを棒に振ったこともある。メジャー2年目の1934年に最初のMVPを獲得、チームの25年ぶりのワールドシリーズ進出に大きく貢献する。
1938年にシーズン58本塁打を放ち、ベーブ・ルースのシーズン60本塁打にあと一歩まで迫った。シーズン終盤に敬遠攻めに遭ったため記録更新には至らなかったが、1998年にマーク・マグワイアとサミー・ソーサに破られるまで右打者のシーズン最多本塁打として残った。
しかし本人は本塁打よりも打点量産に重きを置いていた。しばしばチームメイトに「塁に出ろ」「走者を三塁に進めろ」と口にし、実際に打点を稼いだ。1935年に170打点を記録、1937年には183打点を記録する。シーズン183打点以上を記録したのは1930年のハック・ウィルソンと1931年のルー・ゲーリッグのみである。
1940年から外野手に転向し、タイガースのリーグ優勝と自身2度目のMVP受賞を達成する。その後、第二次世界大戦の開戦に伴い1941年より従軍し、1945年の終戦とともに退役、球界に復帰する。同年のシーズンには最終戦に満塁本塁打を放ち、チームのアメリカンリーグ及びワールドシリーズ制覇に貢献し、1946年に現役最高の状態を迎える。
1947年に年俸減を提示したタイガースとの契約交渉が決裂し、引退を決意するが、タイガースは彼をピッツバーグ・パイレーツにトレードする。グリーンバーグを思いとどまらせるため、パイレーツは史上初の年俸10万ドルを提示し、当時としては異例の遠征時の個室提供を約束する。チームの共同オーナーの一人であるビング・クロスビーは彼を歓迎するために曲を録音し、左翼側には「グリーンバーグ・ガーデン」と称する特別席も作り、彼の引退を思いとどまらせた。同年に彼は主に一塁を守り、初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンを歓迎する数少ない選手となる。また、この頃頭角を現してきたチームメイトのラルフ・カイナーにも影響を与えている。
1948年に現役引退し、クリーブランド・インディアンスのファーム・ディレクターとなる。2年後に同ファームシステムのゼネラルマネージャーに就任し、1950年代のインディアンスの躍進に貢献する。その後シカゴ・ホワイトソックスの共同オーナーの一人となり、1963年に完全に野球界から身を引いた。
通算成績は1394試合出場、打率.313、331本塁打、1276打点だが、戦争などによる現役時代の中断がなければ、500 - 600本塁打、1800 - 2000打点を記録できたとされている。
1956年には野球殿堂入りを果たし、晩年の1983年には、古巣デトロイト・タイガースで在籍時の背番号5を永久欠番に指定される。そして3年後の1986年にビバリーヒルズでその生涯を閉じた。カリフォルニア州のヒルサイド・メモリアル・パークに彼の墓がある。
また、1970年に勃発したカート・フラッド事件では、ジャッキー・ロビンソンらと共に選手側の証人として法廷に立ち、フラッドを擁護している。
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
四 球 |
三 振 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1930 | DET | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 1933 | 117 | 449 | 59 | 135 | 33 | 3 | 12 | 87 | 6 | 46 | 78 | .301 | .367 | .468 | .835 | |
| 1934 | 153 | 593 | 118 | 201 | 63 | 7 | 26 | 139 | 9 | 63 | 93 | .339 | .404 | .600 | 1.004 | |
| 1935 | 152 | 619 | 121 | 203 | 46 | 16 | 36 | 170 | 4 | 87 | 91 | .328 | .411 | .628 | 1.039 | |
| 1936 | 12 | 46 | 10 | 16 | 6 | 2 | 1 | 16 | 1 | 9 | 6 | .348 | .455 | .630 | 1.085 | |
| 1937 | 154 | 594 | 137 | 200 | 49 | 14 | 40 | 183 | 8 | 102 | 101 | .337 | .436 | .668 | 1.104 | |
| 1938 | 155 | 556 | 144 | 175 | 23 | 4 | 58 | 146 | 7 | 119 | 92 | .315 | .438 | .683 | 1.121 | |
| 1939 | 138 | 500 | 112 | 156 | 42 | 7 | 33 | 112 | 8 | 91 | 95 | .312 | .420 | .622 | 1.042 | |
| 1940 | 148 | 573 | 129 | 195 | 50 | 8 | 41 | 150 | 6 | 93 | 75 | .340 | .433 | .670 | 1.103 | |
| 1941 | 19 | 67 | 12 | 18 | 5 | 1 | 2 | 12 | 1 | 16 | 12 | .269 | .410 | .463 | .873 | |
| 1945 | 78 | 270 | 47 | 84 | 20 | 2 | 13 | 60 | 3 | 42 | 40 | .311 | .404 | .544 | .948 | |
| 1946 | 142 | 523 | 91 | 145 | 29 | 5 | 44 | 127 | 5 | 80 | 88 | .277 | .373 | .604 | .977 | |
| 1947 | PIT | 125 | 402 | 71 | 100 | 13 | 2 | 25 | 74 | 0 | 104 | 73 | .249 | .408 | .478 | .886 |
| 通算成績 | 1394 | 5193 | 1051 | 1628 | 379 | 71 | 331 | 1276 | 58 | 852 | 844 | .313 | .412 | .605 | 1.017 | |
出典・外部リンク[編集]
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
|
|||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||