ポール・ウェイナー

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ポール・ウェイナー
Paul Waner
PaulWanerGoudeycard.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州
生年月日 1903年4月16日
没年月日 1965年8月29日(満62歳没)
身長
体重
5' 8.5" =約174 cm
153 lb =約69.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手
初出場 1926年4月13日
最終出場 1945年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1952年
得票率 83.33%
選出方法 BBWAA[1]選出

ポール・ウェイナー(Paul Glee Waner, 1903年4月16日 - 1965年8月29日)は、1920 - 1930年代のアメリカメジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは右翼手オクラホマ州生まれ。左投げ左打ち。愛称は"Big Poison"(ビッグ・ポイズン)。

略歴[編集]

1926年ピッツバーグ・パイレーツからデビューし、同年ルーキーでいきなり.336の打率を残す。1927年に弟のロイド・ウェイナーが入団し、『ポイズン・ブラザーズ』として名を馳せた。当時兄ポールは「ビッグ・ポイズン」、弟ロイドは「リトル・ポイズン」と呼ばれていたが、実際は弟の方が兄より少し背が高かった。同年は首位打者、打点王の二冠に輝き、その年のリーグMVPとなる。ワールドシリーズにも出場したが、「殺人打線」を擁するニューヨーク・ヤンキースの前に4連敗で敗退した。

その後デビューから10年以上打率3割以上を維持してきたが、1938年にその記録は途絶える(.280)。成績低下の原因は彼の飲酒とされ、チームから飲酒を禁じられた。その翌1939年の打率は.328だった。

1940年シーズン途中にブルックリン・ドジャースに移籍。

1941年から2年間はボストン・ブレーブスに在籍。ブレーブス在籍時に通算3000本安打に到達した。3000本安打を達成する前の打席ではエディ・ジョースト遊撃手が弾く強烈なゴロ打球を放ち、一度はこれが3000本目の安打として記録されている。ところが、ウェイナー自身が中2階の記者席目がけて大きく手を横に振り、記念すべき通算3000本安打を文句のない1本で記録したいからという理由で安打の取り消しを要求しために安打は取り消され、ジョーストの失策となった[1]


1945年ニューヨーク・ヤンキースで現役を引退。ポールとその弟ロイド・ウェイナーの安打数の合計は2人合わせて5611安打にもなり、これはディマジオ3兄弟(計4853安打)、アルー3兄弟(計5094安打)よりも多い。実はウェイナーは現役時代近視だったが、ずっと眼鏡をかけないままプレーし続けていた。球団関係者が近視のことを知ったのは何年も経ってからだったという。

1952年に投票によりアメリカ野球殿堂入り。1965年フロリダ州で死去。62歳。2007年背番号11がパイレーツの永久欠番となる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]













































O
P
S
1926 PIT 144 618 536 101 180 35 22 8 283 79 11 -- 4 66 12 19 -- [2].336 .413 .528 .941
1927 155 709 623 114 237 42 18 9 342 131 5 -- 3 60 23 14 -- .380 .437 .549 .986
1928 152 697 602 142 223 50 19 6 329 86 6 -- 5 77 13 16 -- .370 .446 .547 .992
1929 151 703 596 131 200 43 15 15 318 100 15 -- 3 89 15 24 -- .336 .424 .534 .958
1930 145 665 589 117 217 32 18 8 309 77 18 -- 4 57 15 18 -- .368 .428 .525 .952
1931 150 646 559 88 180 35 10 6 253 70 6 -- 4 73 10 21 -- .322 .404 .453 .857
1932 154 697 630 107 215 62 10 8 321 82 13 -- 2 56 9 24 -- .341 .397 .510 .906
1933 154 694 618 101 191 38 16 7 282 70 3 -- 2 60 14 20 10 .309 .372 .456 .828
1934 146 677 599 122 217 32 16 14 323 90 8 -- 2 68 8 24 15 .362 .429 .539 .968
1935 139 623 549 98 176 29 12 11 262 78 2 -- 3 61 10 22 15 .321 .392 .477 .869
1936 148 666 585 107 218 53 9 5 304 94 7 -- 3 74 4 29 15 .373 .446 .520 .965
1937 154 690 619 94 219 30 9 2 273 74 4 -- 0 63 8 34 11 .354 .413 .441 .855
1938 148 680 625 77 175 31 6 6 236 69 2 -- 1 47 7 28 16 .280 .331 .378 .709
1939 125 506 461 62 151 30 6 3 202 45 0 -- 0 35 10 18 12 .328 .375 .438 .813
1940 89 261 238 32 69 16 1 1 90 32 0 -- 0 23 0 14 4 .290 .352 .378 .731
1941 BRO 11 44 35 5 6 0 0 0 6 4 0 -- 0 8 1 0 2 .171 .326 .171 .497
BSB 95 341 294 40 82 10 2 2 102 46 1 -- 0 47 0 14 8 .279 .378 .347 .725
'41計 106 385 329 45 88 10 2 2 108 50 1 -- 1 55 0 14 10 .267 .372 .328 .701
1942 114 404 333 43 86 17 1 1 108 39 2 -- 1 62 8 20 7 .258 .376 .324 .701
1943 BRO 82 267 225 29 70 16 0 1 89 26 0 -- 1 35 6 9 9 .311 .406 .396 .802
1944 83 164 136 16 39 4 1 0 45 16 0 -- 0 27 1 7 3 .287 .405 .331 .736
NYY 9 9 7 1 1 0 0 0 1 1 1 0 0 2 0 1 0 .143 .333 .143 .476
'44計 92 173 143 17 40 4 1 0 107 17 1 0 1 29 0 8 3 .280 .401 .322 .723
1945 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 .000 1.000 .000 .000
通算成績:19年 2549 10762 9459 1627 3152 605 191 113 4478 1309 104 0 38 1091 174 376 127 .333 .404 .473 .878

タイトル・表彰・記録[編集]

※2006年現在で、メジャーリーグ史上5人しか達成していない。
  • 連続試合長打記録:14(1927年)
チッパー・ジョーンズと共にメジャーリーグ記録。内訳は二塁打12、三塁打4、本塁打4

脚注[編集]

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  1. ^ 伊東一雄. メジャーリーグこそ我が人生:パンチョ伊東の全仕事. サンケイスポーツ. p. 210-211. ISBN 978-4594041175. 
  2. ^ a b 首位打者資格に現在の規定打席を適用した場合。1926年当時は「100試合以上出場」の選手に首位打者の資格があり、バブルス・ハーグレイブをナショナルリーグの首位打者としている。

出典・外部リンク[編集]