ギャビー・クラバス

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ギャビー・クラバス
Gavvy Cravath
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 エスコンディド
生年月日 1881年3月23日
没年月日 1963年5月23日(満82歳没)
身長
体重
5' 10.5" =約179.1 cm
186 lb =約84.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1903年
初出場 1908年4月18日
最終出場 1920年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ギャビー・クラバス(Clifford Carlton "Gavvy" Cravath、 1881年3月23日 - 1963年5月23日)は、主に1910年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは外野手カリフォルニア州エスコンディド生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Cactus"(カクタス=サボテンの意)。 飛ぶボールが導入され本塁打が量産される以前の1910年代に、リーグ最多本塁打を6度記録した長距離打者。

経歴[編集]

ニックネームの"Gavvy"は、スペイン語の「カモメ」が語源で、クラバスがメジャーにデビューする前の1900年代初頭のある試合で、強烈な打球が飛んでいるカモメに衝突したことがきっかけだという。1903年にパシフィック・コーストリーグでプロ選手として活動しはじめ、1908年にレッドソックスからメジャーに上がった時には27歳になっていた。しかし長打は放つが決して足が速くなかったクラバスは、トリス・スピーカーハリー・フーパーらを要するレッドソックスの外野のレギュラーをつかめず、翌年にはレッドソックスを離れた。

3年後の1912年にフィリーズに入団。クラバスは既に31歳になっていたが、当時のフィリーズの本拠地だったベーカー・ボウルが極端に右翼が狭かったこともあり、本塁打を量産するようになる。フィリーズに移って2年目の1913年にはリーグ最多の19本塁打とリーグ最多安打(179本)、及びリーグ最多打点を記録、この年の最優秀選手の選考で2位となった。また1915年には本塁打24本、115打点、89得点と、再び3つの部門でリーグトップの成績を収めた。

その後1916年を除いて、38歳になる1919年までリーグ最多本塁打を6回獲得し、通算119本塁打は一時期通算本塁打数のMLB記録(20世紀以降)になったこともあった。しかしクラバスが引退した1920年にボールの規格が変わって本塁打が量産されるようになり、この記録はすぐに更新され、クラバスが通算本塁打数記録を持っていたこと自体もあまり知られることはなかった。クラバスは1919年からフィリーズの監督を兼任したが、チームは下位に低迷し、1920年を最後に選手及び監督の座から退いた。その後パシフィック・コーストリーグの監督やミネアポリス球団のスカウトなどをして野球と関わっていたが、野球から離れた後はしばらく不動産業を営み、1927年以降はカリフォルニア州で36年間判事の職についていた。1963年に82歳で死去。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
1220 3951 1134 232 83 119 575 719 89 514* 561 28 105 .287 .380 .478

獲得タイトル・記録[編集]

監督としての戦績[編集]

※順位は年度最終順位

年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1919年 PHI NL 75 29 46 .387 8位 7月9日~
1920年 153 62 91 .405 8位
通算 228 91 137 .399


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