トニー・グウィン

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トニー・グウィン
Tony Gwynn
Tony Gwynn 2011.jpg
2011年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 1960年5月9日(53歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手
プロ入り 1981年 ドラフト3巡目
初出場 1982年7月19日
最終出場 2001年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • サンディエゴ州立大学
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2007年
得票率 97.6%
選出方法 BBWAA[1]選出

アンソニー・キース・グウィンAnthony Keith "Tony" Gwynn, 1960年5月9日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは外野手アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。

息子トニー・グウィン・ジュニア、弟のクリス・グウィンもメジャーリーガーとなった[1]

経歴[編集]

カリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれ育ち、サンディエゴ州立大学時代には野球よりもバスケットボールでスター選手としても名を馳せた。1981年のNBAドラフトNBAロサンゼルス・クリッパーズから10巡目指名を受けたが、同日に行われた1981年のMLBドラフト3巡目でドラフト指名されたMLBサンディエゴ・パドレスと契約し、野球の道を選ぶ。

現役時代[編集]

1982年にメジャー昇格を果たし、54試合に出場して打率.289を記録する(打率3割を切ったのはキャリアを通じてこの年だけである)。1984年にはオールスター初出場を果たし、打率.351で初の首位打者のタイトルを獲得。213安打を放ち、球団史上初の200本安打も達成した[2]。ハイアベレージとスピードを持った1番打者として鳴らし、1987年にはリーグ1位の打率.370、リーグ2位の56盗塁という成績を残した。

1993年以降は中軸を務めることが増えた。1994年テッド・ウィリアムズに指摘され、長打重視も視野に入れた打撃改造を行う。同年は4割打者にあと一歩まで近づくが、8月に選手会による232日間に及ぶ長期ストライキに突入したためシーズンは打ち切られ、打率は.394で終わることとなった。1996年には打率.353をマークしたが、規定打席には4打席足りなかった。しかし、残り4打席を凡打と計算しても打率.349となり、エリス・バークスロッキーズ)の打率.344を上回ったため、メジャー史上初の規定打席不足での首位打者となった。

1997年は打率.372で4年連続で首位打者となった。これはナ・リーグ史上ロジャース・ホーンスビーの6年連続に次ぐものとなった。また、自己最高の17本塁打・117打点、球団新記録となる220安打・49二塁打を記録。グウィンは「私は今、打者として全盛期にある」と豪語し、「40歳になるまで、あと3年は現役を続ける」と宣言した[3]

1999年8月6日に史上22人目となる3000本安打を達成。2284試合目での達成はタイ・カッブナップ・ラジョイに次ぐスピード記録であった[4][2]

2001年のシーズンを最後に、通算打率.338、通算3141安打の記録を残して現役引退1983年から引退する2001年まで、レギュラーシーズンの打率が3割を切ることは1度もなかった。オールスター出場15回、首位打者8回などの記録も残した。2004年にグウィンの背番号19」がサンディエゴ・パドレスで永久欠番となる。

引退後[編集]

野球殿堂入りの資格を得た2007年、532票(97.6%)もの高得票を集め、1年目での殿堂入りを果たした。

現在は米国のスポーツ専門テレビ局ESPN解説者を務めるかたわら、母校のサンディエゴ州立大学野球部の監督を兼任し、後進の指導にあたっている。また、同州立大学の野球場は、グウィンの功績を称え、名を冠した『トニー・グウィン・スタジアム』と名付けられている。

2010年10月9日、唾液腺がんに罹患していることを告白した。グウィンは「長年愛用していた、かみたばこが影響しているかもしれない」と語っている。[5]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

甘いボールを逃さない、好球必打の打者。悪球でもゾーンによっては打ちにいき、安打にする技術を持っていたが、基本的には悪球には手を出さなかった。甘い球を見逃すのが少なく、早いカウントで打ちに行くことが多々あったため、四球は少ない。また、引退するまで毎年高打率をマークするとともに、ほとんど三振を喫しなかった選手としても知られる。打数/三振比率はメジャー1位を8度(ナ・リーグ1位を10度)記録し、通算の打数/三振比率21.4という数字はバッティングスタイルを比較されるイチロー(約10)と比べても倍以上高い。

打者に不利な球場であるクァルコム・スタジアムを本拠地とし、好成績を残し続けた。8度の首位打者(1984年、1987年、1988年、1989年、1994年、1995年、1996年、1997年)を獲得しており、メジャーリーグ史上歴代2位の記録(1位はタイ・カッブによる12回)である。本塁打が少ない打者だったにもかかわらず、現役時代は相手投手から同時期に活躍していたケン・グリフィー・ジュニアバリー・ボンズと同列に語られることが多かった。グレッグ・マダックスはボンズと同列でグウィンの名前を挙げ、「真のバッターだ。彼から三振を取るのは難しかった」と述べている。

三遊間をゴロで抜く事を「5.5の穴」(三塁の守備番号である5と遊撃の守備番号である6の間)と呼んで好むなど、広角に打つことを得意とした。非常に基本を大事にする選手で、球界でも指折りの研究熱心さで知られ、自宅のビデオコレクションの多さから「キャプテン・ビデオ」という愛称で呼ばれた。理論派であり、ビデオルームを作る事などに大金を費やしたという。

現役時代は好打者であるウェイド・ボッグスと比較されることが多かった。グウィンとボッグスの両者は1日違いで通算3000本安打を達成している。

守備・走塁[編集]

キャリア前半は俊足・強肩・好守のリードオフマンとして鳴らした。1986年から1991年の6年間では、5回のゴールドグラブ賞を獲得。主にライトを守り、1989年にはセンターも務めた。しかし、キャリアを通して足や手首の故障に悩まされることも多かった。キャリア後半の1993年以降は中軸を任されるようになり、打撃においては本塁打や長打が増えていった反面、怪我の影響などから歳とともに太っていき、守備・走塁面は著しく衰えていった。特に晩年の1998年以降はキャリア前半の面影は完全になくなっていたが、巧打は最後まで衰えなかった。

人物[編集]

現役時代の20年間を一貫してパドレスで過ごした。現在のMLBでは数少ないフランチャイズ・プレイヤー(生え抜き選手)の1人であり、特に地元では絶大な人気を誇った。パドレスは資金力がなく、90年代後半は若手育成を中心としたチーム作りになったが、野球殿堂入りが確実だったグウィンは別格だったと言われている。基本的に、契約更改では残留方針だったグウィンが、3000本安打を達成した1999年オフの契約更改では「それなりの条件でなければ最後はア・リーグでDHをやってもいい」と発言。球団は粘りの交渉の末、翌2000年のスプリングキャンプ中に無事2年の契約延長でグウィンの引き留めに成功したという。

現役時代から人格者として知られている。ファンサービスを非常に大事にし、社会奉仕にも熱心で、1994年には「トニー&アリシア・グウィン基金」を設立し、以降も様々な慈善活動に取り組んでいる。その活動の中でもメイン活動として、「チャリティ・セレブレティ・ゴルフ」大会を開催している。1999年には社会やファンへの貢献が評価され、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

2003年4月に、「野手の50%は使用している。いずれ大きな問題となるだろう」と興奮剤アンフェタミンの危険性を主張した。これに対して、当時アトランタ・ブレーブスに所属していたトム・グラビンは、「無神経だ。それほど深刻なら、なぜ現役時代に黙っていた?」と非難している。

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 SD 54 209 190 33 55 12 2 1 74 17 8 3 4 1 14 0 0 16 5 .289 .337 .389 .726
1983 86 334 304 34 94 12 2 1 113 37 7 4 4 3 23 5 0 21 9 .309 .355 .372 .726
1984 158 675 606 88 213 21 10 5 269 71 33 18 6 2 59 13 2 23 15 .351 .410 .444 .853
1985 154 671 622 90 197 29 5 6 254 46 14 11 1 1 45 4 2 33 17 .317 .364 .408 .773
1986 160 701 642 107 211 33 7 14 300 59 37 9 2 2 52 11 3 35 20 .329 .381 .467 .848
1987 157 680 589 119 218 36 13 7 301 54 56 12 2 4 82 26 3 35 13 .370 .447 .511 .958
1988 133 578 521 64 163 22 5 7 216 70 26 11 4 2 51 13 0 40 11 .313 .373 .415 .787
1989 158 679 604 82 203 27 7 4 256 62 40 16 11 7 56 16 1 30 12 .336 .389 .424 .813
1990 141 629 573 79 177 29 10 4 238 72 17 8 7 4 44 20 1 23 13 .309 .357 .415 .772
1991 134 569 530 69 168 27 11 4 229 62 8 8 0 5 34 8 0 19 11 .317 .355 .432 .787
1992 128 569 520 77 165 27 3 6 216 41 3 6 0 3 46 12 0 16 12 .317 .371 .415 .786
1993 122 534 489 70 175 41 3 7 243 59 14 1 1 7 36 11 1 19 18 .358 .398 .497 .895
1994 110 475 419 79 165 35 1 12 238 64 5 0 1 5 48 16 2 19 20 .394 .454 .568 1.022
1995 135 577 535 82 197 33 1 9 259 90 17 5 0 6 35 10 1 15 20 .368 .404 .484 .888
1996 116 498 451 67 159 27 2 3 199 50 11 4 1 6 39 12 1 17 17 .353 .400 .441 .842
1997 149 651 592 97 220 49 2 17 324 119 12 5 1 12 43 12 3 28 12 .372 .409 .547 .957
1998 127 505 461 65 148 35 0 16 231 69 3 1 0 8 35 6 1 18 14 .321 .364 .501 .865
1999 111 446 411 59 139 27 0 10 196 62 7 2 0 4 29 5 2 14 15 .338 .381 .477 .858
2000 36 140 127 17 41 12 0 1 56 17 0 1 0 3 9 2 1 4 4 .323 .364 .441 .805
2001 71 112 102 5 33 9 1 1 47 17 1 0 0 0 10 1 0 9 1 .324 .384 .461 .845
通算:20年 2440 10232 9288 1383 3141 543 85 135 4259 1138 319 125 45 85 790 203 24 434 259 .338 .388 .459 .847
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  2. ^ a b The Ballplayers - Tony Gwynn Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年8月10日閲覧。
  3. ^ 「各球団マンスリー・リポート サンディエゴ・パドレス / 自己最高のシーズンを送ったグウィン2000年までの現役続行を宣言!」『月刊メジャー・リーグ』1997年12月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-12、88項。
  4. ^ 3,000 Hits Club by Baseball Almanac” (英語). Baseball Almanac. 2008年8月10日閲覧。
  5. ^ グウィン氏、がん告白

外部リンク[編集]