トニー・グウィン

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トニー・グウィン
Tony Gwynn
2011年7月23日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1960-05-09) 1960年5月9日
没年月日 (2014-06-16) 2014年6月16日(54歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手
プロ入り 1981年 MLBドラフト3巡目(全体58位)でサンディエゴ・パドレスから指名
初出場 1982年7月19日
最終出場 2001年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • サンディエゴ州立大学
殿堂表彰者
選出年 2007年
得票率 97.6%
選出方法 BBWAA[:en]選出

アンソニー・キース・グウィンAnthony Keith Gwynn, 1960年5月9日 - 2014年6月16日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手外野手)。

Mr. Padre(ミスター・パドル)」、「Captain Video(キャプテン・ビデオ)」と呼ばれた。

弟のクリス・グウィン英語版も元メジャーリーガーで1996年にはサンディエゴ・パドレスで一緒にプレーした。息子のトニー・グウィン・ジュニアもメジャーリーガーとなった[1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

カリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれ育つ。サンディエゴ州立大学時代には野球よりもバスケットボールでスター選手として名を馳せた。

現役時代[編集]

1981年のNBAドラフトNBAロサンゼルス・クリッパーズから10巡目指名を受けたが、同日に行われた1981年のMLBドラフト3巡目(全体58位)で指名されたMLBサンディエゴ・パドレスと契約し、野球の道を選ぶ。

1982年にメジャー昇格を果たし、54試合に出場して打率.289を記録する(打率3割を切ったのはキャリアを通じてこの年だけである)。

1984年にはオールスター初出場を果たし、打率.351で初の首位打者のタイトルを獲得。213安打を放ち、球団史上初の200安打も達成した[2]。ハイアベレージとスピードを持った1番打者として鳴らした。

1987年にはリーグ1位の打率.370、リーグ2位の56盗塁という成績を残した。

1993年以降は中軸を務めることが増えた。

1994年テッド・ウィリアムズに指摘され、長打重視も視野に入れた打撃改造を行う。同年は4割打者にあと一歩まで近づくが、8月に選手会による232日間に及ぶ長期ストライキに突入したためシーズンは打ち切られ、打率は.394で終わることとなった。

1996年には打率.353を記録したが、規定打席には4打席足りなかった。しかし、残り4打席を凡打と計算しても打率.349となり、エリス・バークスコロラド・ロッキーズ)の打率.344を上回ったため、MLB史上初の規定打席不足での首位打者となった。

1997年は打率.372で4年連続で首位打者となった。これはナ・リーグ史上ロジャース・ホーンスビーの6年連続に次ぐものとなった。また、自己最高の17本塁打、119打点、球団新記録となる220安打、49二塁打を記録。グウィンは「私は今、打者として全盛期にある」と豪語し、「40歳になるまで、あと3年は現役を続ける」と宣言した[3]

1999年8月6日に史上22人目となる3000本安打を達成。2284試合目での達成はタイ・カッブナップ・ラジョイに次ぐスピード記録であった[4][2]

2001年4月15日

2001年のシーズンを最後に、通算打率.338、通算3141安打の記録を残して現役引退[5]。1983年から引退する2001年まで、レギュラーシーズンの打率が3割を切ることは一度もなかった。オールスター出場15回、首位打者8回などの記録も残した。

引退後[編集]

グウィンの背番号「19」。
サンディエゴ・パドレスの永久欠番2004年指定。

2004年にグウィンの背番号 『19』がサンディエゴ・パドレスで永久欠番に指定された。

2007年野球殿堂入りの資格を得て、532票(97.6%)もの高得票を集め、1年目での殿堂入りを果たした。アメリカ合衆国のスポーツ専門テレビ局ESPN解説者を務めるかたわら、母校のサンディエゴ州立大学野球部の監督を兼任し、後進の指導にあたっていた。また、同大学の野球場はグウィンの功績を称え「トニー・グウィン・スタジアム」と名付けられている。

2010年10月9日、唾液腺癌に罹患していることを告白した。グウィンは「長年愛用していた噛みたばこが影響しているかもしれない」と語っている[6]

2014年6月16日、唾液腺癌のため死去[7][8]。54歳没。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

甘いボールを逃さない好球必打の打者。悪球でもゾーンによっては打ちにいき、安打にする技術を持っていたが、基本的には悪球には手を出さなかった。甘い球を見逃すことが少なく、早いカウントで打ちに行くことが多々あったため、四球は少ない。また、引退するまで毎年高打率を記録するとともに、ほとんど三振を喫しなかった選手としても知られる。打数/三振比率はMLB1位を8度(ナ・リーグ1位を10度)記録し、通算の打数/三振比率21.4という数字は打撃スタイルを比較されるイチロー(約10)と比べても倍以上高い。

打者に不利な球場であるクァルコム・スタジアムを本拠地とし、好成績を残し続けた。8度の首位打者(1984年、1987年、1988年、1989年、1994年、1995年、1996年、1997年)を獲得しており、MLB史上歴代2位の記録(1位はタイ・カッブによる12回)である。本塁打が少ない打者だったにもかかわらず、現役時代は相手投手から同時期に活躍していたケン・グリフィー・ジュニアバリー・ボンズと同列に語られることが多かった。グレッグ・マダックスはボンズと同列でグウィンの名前を挙げ、「真のバッターだ。彼から三振を取るのは難しかった」と述べている。

三遊間をゴロで抜くことを「5.5の穴」(三塁の守備番号である5と遊撃の守備番号である6の間)と呼んで好むなど、広角に打つことを得意とした。グウィンは自身の望む理想の打球について「左中間へ飛んだ打球にかすかなフェードがかかり、センターが追いかけても、追いかけてもボールに追いつけない。そういう打球が好き」と語っている[9]。また、基本を大事にする選手で、球界でも指折りの研究熱心さで知られ、自宅のビデオコレクションの多さから「キャプテン・ビデオ」という愛称で呼ばれた。理論派であり、ビデオルームを造ることなどに大金を費やした。ビデオルームには約700人の投手の映像が揃っており、自分のスイングや捕手・審判がどこに立っているのかもチェックしていたという[9]

現役時代は好打者であるウェイド・ボッグスと比較されることが多く、当人たちも互いに実力を認めていた。両者は1日違いで通算3000本安打を達成している。

守備・走塁[編集]

キャリア前半は俊足・強肩・好守のリードオフマンとして鳴らした。1986年から1991年の6年間では、5回のゴールドグラブ賞を獲得。主に右翼手を守り、1989年には中堅手も務めた。しかし、キャリアを通して足や手首の故障に悩まされることも多かった。

キャリア後半の1993年以降は中軸を任されるようになり、打撃においては本塁打や長打が増えていった反面、怪我の影響などから歳とともに太っていき、守備・走塁面は著しく衰えていった。特に1998年以降はキャリア前半の面影は完全になくなっていたが、巧打は最後まで衰えなかった。

人物[編集]

現役時代の20年間を一貫してパドレスで過ごした。現在のMLBでは数少ないフランチャイズ・プレイヤー(生え抜き選手)の一人であり、特に地元では絶大な人気を誇った。パドレスは資金力がなく、90年代後半は若手育成を中心としたチーム作りになったが、野球殿堂入りが確実だったグウィンは別格だったと言われている。基本的に契約更改では残留方針だったグウィンが、3000本安打を達成した1999年オフの契約更改では「それなりの条件でなければ最後はア・リーグでDHをやってもいい」と発言。球団は粘りの交渉の末、翌2000年のスプリングキャンプ中に無事2年の契約延長でグウィンの引き留めに成功したという。

現役時代から人格者として知られ、ファンサービスを非常に大事にしていた。社会奉仕にも熱心で、1994年には「トニー&アリシア・グウィン基金」を設立し、以降も様々な慈善活動に取り組んでいた。その活動の中でもメイン活動として「チャリティ・セレブレティ・ゴルフ」大会を開催している。1999年には社会やファンへの貢献が評価され、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

2003年4月に「野手の50%は使用している。いずれ大きな問題となるだろう」と興奮剤アンフェタミンの危険性を主張した。これに対して、当時アトランタ・ブレーブスに所属していたトム・グラビンは「無神経だ。それほど深刻なら、なぜ現役時代に黙っていた?」と非難している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 SD 54 209 190 33 55 12 2 1 74 17 8 3 4 1 14 0 0 16 5 .289 .337 .389 .726
1983 86 334 304 34 94 12 2 1 113 37 7 4 4 3 23 5 0 21 9 .309 .355 .372 .726
1984 158 675 606 88 213 21 10 5 269 71 33 18 6 2 59 13 2 23 15 .351 .410 .444 .853
1985 154 671 622 90 197 29 5 6 254 46 14 11 1 1 45 4 2 33 17 .317 .364 .408 .773
1986 160 701 642 107 211 33 7 14 300 59 37 9 2 2 52 11 3 35 20 .329 .381 .467 .848
1987 157 680 589 119 218 36 13 7 301 54 56 12 2 4 82 26 3 35 13 .370 .447 .511 .958
1988 133 578 521 64 163 22 5 7 216 70 26 11 4 2 51 13 0 40 11 .313 .373 .415 .787
1989 158 679 604 82 203 27 7 4 256 62 40 16 11 7 56 16 1 30 12 .336 .389 .424 .813
1990 141 629 573 79 177 29 10 4 238 72 17 8 7 4 44 20 1 23 13 .309 .357 .415 .772
1991 134 569 530 69 168 27 11 4 229 62 8 8 0 5 34 8 0 19 11 .317 .355 .432 .787
1992 128 569 520 77 165 27 3 6 216 41 3 6 0 3 46 12 0 16 12 .317 .371 .415 .786
1993 122 534 489 70 175 41 3 7 243 59 14 1 1 7 36 11 1 19 18 .358 .398 .497 .895
1994 110 475 419 79 165 35 1 12 238 64 5 0 1 5 48 16 2 19 20 .394 .454 .568 1.022
1995 135 577 535 82 197 33 1 9 259 90 17 5 0 6 35 10 1 15 20 .368 .404 .484 .888
1996 116 498 451 67 159 27 2 3 199 50 11 4 1 6 39 12 1 17 17 .353 .400 .441 .842
1997 149 651 592 97 220 49 2 17 324 119 12 5 1 12 43 12 3 28 12 .372 .409 .547 .957
1998 127 505 461 65 148 35 0 16 231 69 3 1 0 8 35 6 1 18 14 .321 .364 .501 .865
1999 111 446 411 59 139 27 0 10 196 62 7 2 0 4 29 5 2 14 15 .338 .381 .477 .858
2000 36 140 127 17 41 12 0 1 56 17 0 1 0 3 9 2 1 4 4 .323 .364 .441 .805
2001 71 112 102 5 33 9 1 1 47 17 1 0 0 0 10 1 0 9 1 .324 .384 .461 .845
MLB:20年 2440 10232 9288 1383 3141 543 85 135 4259 1138 319 125 45 85 790 203 24 434 259 .338 .388 .459 .847
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1982 SD 24 27 1 0 0 1.000 28 63 0 1 0 .984 13 18 0 1 0 .947
1983 27 42 3 0 1 1.000 5 18 0 0 0 1.000 55 98 6 1 0 .990
1984 - 1 2 0 1 0 .667 156 343 12 3 4 .992
1985 - - 152 332 12 4 2 .989
1986 - - 160 335 21 4 3 .989
1987 - - 156 300 13 6 1 .981
1988 - 32 76 1 1 0 .987 102 189 7 4 1 .980
1989 - 86 215 6 4 1 .982 72 139 7 2 0 .986
1990 - - 141 328 11 5 2 .985
1991 - - 134 290 7 3 2 .990
1992 - - 127 270 9 5 2 .982
1993 - 4 1 0 0 0 1.000 121 242 7 5 2 .980
1994 - 1 1 0 0 0 1.000 105 191 6 3 1 .985
1995 - - 133 241 8 2 1 .992
1996 - - 111 182 2 2 0 .989
1997 - - 143 218 8 4 3 .983
1998 - - 116 141 5 1 0 .993
1999 - - 104 147 4 1 0 .993
2000 - - 26 31 1 0 0 1.000
2001 - - 17 17 2 0 0 1.000
MLB 51 69 4 0 1 1.000 157 376 7 7 1 .982 2144 4052 148 56 24 .987

タイトル[編集]

  • 首位打者:8回(1984年、1987年 - 1989年、1994年 - 1997年)

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  2. ^ a b The Ballplayers - Tony Gwynn Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年8月10日閲覧。
  3. ^ 「各球団マンスリー・リポート サンディエゴ・パドレス / 自己最高のシーズンを送ったグウィン2000年までの現役続行を宣言!」『月刊メジャー・リーグ』1997年12月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-12、88頁。
  4. ^ 3,000 Hits Club by Baseball Almanac” (英語). Baseball Almanac. 2008年8月10日閲覧。
  5. ^ 元パドレスの名選手グウィン氏、がんで死去”. AFPBB News (2014年6月17日). 2021年1月27日閲覧。
  6. ^ グウィン氏、がん告白[リンク切れ]
  7. ^ 元パドレスのグウィン氏が死去 54歳、首位打者8度 スポニチアネックス 2014年6月17日
  8. ^ パドレス一筋の「安打製造機」、トニー・グウィンさん死去
  9. ^ a b 13年前にグウィンが語った「イチローのバッティング」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]