ラリー・ウォーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ラリー・ウォーカー
Larry Walker
Larry Walker1.jpg
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
出身地 ブリティッシュコロンビア州メイプルリッジ
生年月日 1966年12月1日(48歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 アマチュアFA
初出場 1989年8月16日
最終出場 2005年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2009年

ラリー・ケネス・ロバート・ウォーカーLarry Kenneth Robert Walker , 1966年12月1日 - )はカナダブリティッシュコロンビア州メイプルリッジ出身の元プロ野球選手外野手右翼手)、右投左打。

1997年にカナダ出身者では史上初のMVPを受賞した名選手。通算2160安打・383本塁打・1311打点はすべてカナダ出身者の最多記録であり、史上最強のカナディアンと呼ばれる。愛称は「ブーギー」。

経歴[編集]

少年時代はアイスホッケーに打ち込み、ゴールテンダーとしてプロ選手になるのが夢であった。野球はホッケーができない夏の間に余暇としてプレーしていた。しかし、16歳の時にチーム内の競争に敗れ、ホッケー選手の道が断たれたことから、本格的に野球に転向。野球カナダ代表のユースチームでプレーしていたところ、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)のスカウトの目に留まる。本格的な野球経験の不足は考慮のうえで、契約金1500ドルでサインすることになった。

1984年にエクスポズへ入団した。

1989年にメジャーデビュー。

1990年に球団新人記録となる19本塁打を放ってレギュラーの座を掴む。

1992年にはオールスターゲームに初出場、ゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を獲得するなど走攻守そろった5ツールプレイヤーに成長した。

1995年FAコロラド・ロッキーズへ移籍すると、打者圧倒的優位のクアーズ・フィールドで長打力が一気に開花し、ともに自己最高となる打率.306・36本塁打・101打点を記録。以降ダンテ・ビシェットアンドレス・ガララーガビニー・カスティーヤらと共にブレイクストリート・ボンバーズの中核を担った。特に1997年は打率.366・49本塁打・130打点・33盗塁という成績で本塁打王、そしてカナダ出身者初のMVPを獲得。あと4安打・10打点で三冠王という素晴らしい活躍だった。また、「30-30」(30本塁打・30盗塁)を達成したが、その中で最多の49本塁打を放ち、あと1本で史上初(現時点でも達成者がいない)「50-30」を達成するところであった。1998年1999年2001年には首位打者を獲得。2004年7月1日にはカナダ出身者初の2000本安打を達成した。

2004年8月にセントルイス・カージナルスへ移籍し、主砲アルバート・プホルスの前を打つ強打の2番打者としてリーグ優勝に貢献。念願だったワールドシリーズでは、レッドソックスに4連敗でスイープされたチームにあって打率.357・2本塁打・長打率.929と一人気を吐いた。

2005年は以前から痛めていた膝に加え、椎間板ヘルニアにも悩まされ、現役引退を決意。7月中旬にはヘルニアの状態が悪化し、約1か月欠場した。

2006年2009年2013年と3大会連続でWBCカナダ代表のコーチとして参加した。

2014年には、ロッキーズの春期キャンプの特別インストラクターを務める事となった。[1]

エピソード[編集]

  • 現役時代は『3』に並々ならぬ拘りを見せていた。現役時代を通じて全ての球団で背番号は『33』。最初の結婚式は『3時33分』に始め、エクスポズ時代はオリンピック・スタジアムのセクション『33』を『33』席購入し、チャリティ団体に寄付していた。
  • 1997年のオールスターゲームでランディ・ジョンソンとの対決の際、ジョンソンが頭の後ろへ暴投した後「わざとヘルメットを前後逆にかぶり右打席に入る」という珍妙なパフォーマンスをして見せた。
  • 上のエピソードからも分かる通り非常に陽気で気さくな人物。野球を楽しむことを旨とし、田口壮によればセントルイス・カージナルスに移籍した時も大きな態度を取ることは一切なくチームにすぐ馴染んだという。リッチ・ドネリーコーチ曰く、「毎日クリスマスの朝の様に球場にやって来る」。
  • 1998年、カナダの年間最優秀選手に与えられるルー・マーシュ賞を受賞した。野球選手としてはファーガソン・ジェンキンスに次いで2人目となる。
  • ポジションはライトで、通算7回もゴールドグラブ賞を受賞している。ライト以外に、ファーストセカンドとしてのプレー経験がある。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

背番号[編集]

  • 33(1989年 - 2005年)

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1989 MON 20 56 47 4 8 0 0 0 8 4 1 1 3 0 5 0 1 13 0 .170 .264 .170 .434
1990 133 478 419 59 101 18 3 19 182 51 21 7 3 2 49 5 5 112 8 .241 .326 .434 .760
1991 137 539 487 59 141 30 2 16 223 64 14 9 1 4 42 2 5 102 7 .290 .349 .458 .807
1992 143 583 528 85 159 31 4 23 267 93 18 6 0 8 41 10 6 97 9 .301 .353 .506 .859
1993 138 582 490 85 130 24 5 22 230 86 29 7 0 6 80 20 6 76 8 .265 .371 .469 .840
1994 103 452 395 76 127 44 2 19 232 86 15 5 0 6 47 5 4 74 8 .322 .394 .587 .981
1995 COL 131 562 494 96 151 31 5 36 300 101 16 3 0 5 49 13 14 72 13 .306 .381 .607 .988
1996 83 304 272 58 75 18 4 18 155 58 18 2 0 3 20 2 9 58 7 .276 .342 .570 .912
1997 153 664 568 143 208 46 4 49 409 130 33 8 0 4 78 14 14 90 15 .366 .452 .720 1.172
1998 130 524 454 113 165 46 3 23 286 67 14 4 0 2 64 2 4 61 11 .363 .445 .630 1.075
1999 127 513 438 108 166 26 4 37 311 115 11 4 0 6 57 8 12 52 12 .379 .458 .710 1.168
2000 87 372 314 64 97 21 7 9 159 51 5 5 0 3 46 4 9 40 12 .309 .409 .506 .915
2001 142 601 497 107 174 35 3 38 329 123 14 5 0 8 82 6 14 103 9 .350 .449 .662 1.111
2002 136 553 477 95 161 40 4 26 287 104 6 5 0 4 65 6 7 73 8 .338 .421 .602 1.023
2003 143 564 454 86 129 25 7 16 216 79 7 4 0 1 98 14 11 87 9 .284 .422 .476 .898
2004 38 138 108 22 35 9 3 6 68 20 2 0 0 1 25 2 4 23 2 .324 .464 .630 1.094
STL 44 178 150 29 42 7 1 11 84 27 4 0 0 0 24 1 4 34 6 .280 .393 .560 .953
'04計 82 316 258 51 77 16 4 17 152 47 6 0 0 1 49 3 8 57 8 .298 .424 .589 1.013
2005 100 367 315 66 91 20 1 15 158 52 2 1 0 2 41 3 9 64 9 .289 .384 .502 .886
通算:17年 1988 8030 6907 1355 2160 471 62 383 3904 1311 230 76 7 65 913 117 138 1231 153 .313 .400 .565 .965
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

[ヘルプ]

外部リンク[編集]