ライン・サンドバーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ライン・サンドバーグ
Ryne Sandberg
フィラデルフィア・フィリーズ コーチ
Ryne Sandberg.jpg
ピオリア・チーフス監督時代(2007年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 ワシントン州スポケーン
生年月日 1959年9月18日(53歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1978年 ドラフト1巡目(全米20位)
初出場 1981年9月2日
最終出場 1997年9月28日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • フィラデルフィア・フィリーズ(2013 - )
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2005年
得票率 76.16%
選出方法 BBWAA[1]選出

ライン・サンドバーグ(Ryne Dee Sandberg、1959年9月18日 - )は、シカゴ・カブスで活躍したアメリカ合衆国の元野球選手、および野球監督。ポジションは二塁手。他にショートサードとしてのプレー経験がある。ワシントン州出身。右投げ右打ち。ニックネームは"Ryno(ライノ)"

目次

経歴 [編集]

高校時代は野球のほかにバスケットボールアメリカンフットボールで州代表に選出された[1]ワシントン州立大学のフットボール部からは奨学金が提示されたが、野球好きの両親の影響などで、1978年フィラデルフィア・フィリーズからドラフト1位(全米20番目)に指名され入団[1][2]1981年9月2日にメジャーデビュー。ラリー・ボーワの後釜として注目されたが[1]、13試合の出場で打率.167に終わった。1982年1月27日イバン・デヘスースとのトレードでボーワとともにシカゴ・カブスへ移籍[2]

遊撃手から三塁手へ転向し、1982年は開幕からメジャーで出場。最初の32打数で1安打にもかかわらず安定した守備のため、起用され続けた[1]。156試合に出場し、打率.271・7本塁打・103得点・32盗塁を記録し、新人王の投票では6位に入った。ロン・セイの加入に伴い、二塁手へ転向[3]1983年ゴールドグラブ賞を初受賞。以後、1991年まで9年連続で受賞。

身体能力が優れていたにもかかわらず、意図的にゴロを打つことに終始していたサンドバーグに対し、ジム・フライ監督は「カウントが有利な時は、三塁線にファウルを打つつもりでバットを振ってみたらどうだ?」とアドバイスを送った[1]。このアドバイスが的中し、1984年にはオールスター初出場を果たし、1993年にかけて10年連続で出場。チームをナ・リーグ東地区優勝に導き、200安打に加え、二塁打・三塁打・本塁打・盗塁がいずれも20以上というメジャー史上初の「THE 200-20-20-20-20 CLUB」に、三塁打と本塁打が1本ずつ足りず、逃したがナ・リーグMVPに選ばれた[3]。この記録は2007年、ジミー・ロリンズが達成した。

1986年の日米野球で来日し、ア・リーグのスーパースター、カル・リプケン遊撃手ボルチモア・オリオールズ)とメジャーでは実現しなかった二遊間を組んだ。

その後も活躍を続け、1989年には本塁打数が30の大台に達し、1990年5月18日にかけてジョー・モーガンの二塁手としての91試合連続無失策のメジャー記録を上回る123試合連続無失策を記録(2006年から2007年にかけてルイス・カスティーヨに抜かれた)[4]。同年、二塁手としてはロジャース・ホーンスビー1925年)、デーブ・ジョンソン1973年)以来史上3人目の40本塁打を記録[4]

1992年3月2日にメジャー史上最高額となる4年総額2,840万ドルで契約延長[4]。契約を満了していないにもかかわらず、1994年6月13日に離婚問題のため現役引退[1][4]。1年半のブランクを得て1996年現役復帰し、1997年2度目の現役引退。二塁手としての通算277本塁打はメジャー記録であったが、2004年ジェフ・ケントに抜かれた。

現役引退後、2005年アメリカ野球殿堂入りを果たし、カブス在籍時の背番号23』が永久欠番となった[4]2007年にカブス傘下A級ピオリア・チーフスの監督に就任。2009年にAA級テネシー・スモーキーズ2010年にAAA級アイオワ・カブスの監督に昇格。

2011年からフィリーズ傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスの監督を務めている。

2013年シーズンよりフィリーズの三塁コーチを務めることが決定した。

獲得タイトル・表彰・記録 [編集]

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
1981 PHI 13 6 6 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .334
1982 CHC 156 687 635 103 172 33 5 7 236 54 32 12 7 5 36 3 4 90 7 .271 .312 .372 .684
1983 158 699 633 94 165 25 4 8 222 48 37 11 7 5 51 3 3 79 8 .261 .316 .351 .667
1984 156 700 636 114 200 36 19 19 331 84 32 7 5 4 52 3 3 101 7 .314 .367 .520 .887
1985 153 673 609 113 186 31 6 26 307 83 54 11 2 4 57 5 1 97 10 .305 .364 .504 .868
1986 154 682 627 68 178 28 5 14 258 76 34 11 3 6 46 6 0 79 11 .284 .330 .411 .741
1987 132 587 523 81 154 25 2 16 231 59 21 2 1 2 59 4 2 79 11 .294 .367 .442 .809
1988 155 679 618 77 163 23 8 19 259 69 25 10 1 5 54 3 1 91 14 .264 .322 .419 .741
1989 157 672 606 104 176 25 5 30 301 76 15 5 1 2 59 8 4 85 9 .290 .356 .497 .853
1990 155 675 615 116 188 30 3 40 344 100 25 7 0 9 50 8 1 84 8 .306 .354 .559 .913
1991 158 684 585 104 170 32 2 26 284 100 22 8 1 9 87 4 2 89 9 .291 .379 .485 .864
1992 158 687 612 100 186 32 8 26 312 87 17 6 0 6 68 4 1 73 13 .304 .371 .510 .881
1993 117 503 456 67 141 20 0 9 188 45 9 2 2 6 37 1 2 62 12 .309 .359 .412 .771
1994 57 247 223 36 53 9 5 5 87 24 2 3 0 0 23 0 1 40 6 .238 .312 .390 .702
1996 150 621 554 85 135 28 4 25 246 92 12 8 1 5 54 4 7 116 9 .244 .316 .444 .760
1997 135 480 447 54 118 26 0 12 180 64 7 4 0 3 28 3 2 94 5 .264 .308 .403 .711
通算:16年 2164 9282 8385 1318 2386 403 76 282 3787 1061 344 107 31 71 761 59 34 1260 139 .285 .344 .452 .796
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注 [編集]

  1. ^ a b c d e f ナガオ勝司 「祝☆記者投票殿堂入り!/ライン・サンドバーグ&ウェイド・ボッグス」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボールマガジン社、2005年、雑誌 08625-3、89 - 90項。
  2. ^ a b Ryne Sandberg Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年3月3日閲覧。
  3. ^ a b The Ballplayers - Ryne Sandberg” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年3月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e Ryne Sandberg from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年3月3日閲覧。

外部リンク [編集]