テリー・フランコーナ
レッドソックス監督時代(2009年)
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1959年4月22日(52歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4cm 190 lb =約86.2kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1980年 ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 1981年8月19日 |
| 最終出場 | 1990年4月19日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督歴
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この表について
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テリー・フランコーナ(Terry Jon Francona, 1959年4月22日 - )は、MLBボストン・レッドソックスの元監督。愛称は「Tito(ティト)」。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 現役時代
アメリカ合衆国サウスダコタ州アバディーンで生まれる。父親は1956年から1970年にメジャーリーガーとして活躍したティト・フランコーナ。
1980年アリゾナ大学在学中にモントリオール・エクスポズから1位指名を受け、入団。大学在学中には最優秀選手としてゴールデンスパイク賞を受賞する。
1981年8月にメジャー昇格を果たす。左打ちの外野手として活躍し、フィラデルフィア・フィリーズとのナショナルリーグ・ディビジョンシリーズでは12打数4安打で、チームのシリーズ勝利に貢献する。その後、一塁手に転向し、確実性の高い打者として評価を受ける。
1985年のシーズン後にエクスポズから放出され、その後シカゴ・カブス、シンシナティ・レッズ、クリーブランド・インディアンス、ミルウォーキー・ブルワーズに在籍する。
1990年に引退。10年間の通算成績は708試合出場、打率2割7分4厘、16本塁打、143打点。
[編集] 監督時代
1992年から指導者としてマイナーリーグの監督を任される。1993年から1995年までシカゴ・ホワイトソックス傘下のAA球団バーミンガム・バロンズの監督を務めた。ちなみに1994年には著名なバスケットボール選手であるマイケル・ジョーダンが在籍していた。
1997年から2000年までフィラデルフィア・フィリーズの監督を務めるが、東部地区3位以上の成績を残すことはできずに終わる。フィリーズ時代の最高成績は1999年の77勝85敗。
2003年のシーズン後にプレーオフの際の継投ミスの責任を問われる形でグレイディ・リトル監督が解雇され、その後任としてボストン・レッドソックスの監督に就任。2004年のシーズンに98勝68敗でアメリカンリーグ東部地区2位の成績を残し、ワイルドカードを獲得する。ディビジョンシリーズでアナハイム・エンゼルスを3勝0敗で撃破し、リーグチャンピオンシップシリーズではヤンキースを史上初の3連敗4連勝で倒す。ワールドシリーズではセントルイス・カーディナルスを4連勝で下し、レッドソックスを86年ぶりのワールドシリーズ制覇に導く。
喫煙者であるが、2007年のスプリングトレーニング中に禁煙宣言をした。もし、シーズン中に失敗した場合は、がんの研究機関に2万ドル寄付すると発表した一方で、今季終了まで続いた場合は、2度のがんを乗り越えたルキーノ球団社長が研究機関に2万ドルを寄付するという。(地区優勝のインタビューで、禁煙していたタバコをふかした。)
2007年シーズンでは、投手と守備の補強と若手の台頭で、前半戦から首位を独走し、後半は疲れが出たものの、12年ぶりに地区優勝とメジャー最高勝率を果たし、ワールドシリーズでも初出場のコロラド・ロッキーズを4連勝で下し、3年ぶりの世界一に導いた。 2011年は、開幕当初は好調だったものの、9月以降は失速した。この年の9月30日に、レッドソックスの監督を勇退した。
2011年10月1日現在、監督としての通算成績は1029勝915敗、勝率5割2分9厘。
[編集] 特徴
フランコーナは、試合中にベンチで通常のユニフォーム姿でいることはほとんどなく、常にトレーニングウェアやジャンパーを羽織っている。そのため、フランコーナの背番号47を知らないファンも大勢いる[要出典]。
[編集] 外部リンク
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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