チャーリー・ゲーリンジャー
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1903年5月11日 |
| 没年月日 | 1993年1月21日(満89歳没) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 二塁手 |
| プロ入り | 1924年 |
| 初出場 | 1924年9月22日 |
| 最終出場 | 1942年9月27日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 1949年 |
| 得票率 | 85.03% |
| 選出方法 | BBWAA[1]選出 |
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この表について
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チャーリー・ゲーリンジャー(Charles Leonard Gehringer, 1903年5月11日 - 1993年1月21日)は、1930年代のアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手。ポジションは二塁手。ミシガン州生まれ。右投げ左打ち。愛称は"The Mechanical Man"(メカニカル・マン)。これは彼が寡黙であったことと、機械のように毎年コンスタントに成績を残したことに由来する。
目次 |
略歴 [編集]
ミシガン大学在学中だった1923年に、ゲーリンジャーの才能は当時のタイガースの強打者ボビー・ヴィーチによって見出された。ヴィーチはゲーリンジャーをネビン・フィールドに招きタイガースの練習に同行させる。当時選手兼任監督だったタイ・カッブもゲーリンジャーに強い印象を受け、タイガースのオーナーだったフランク・ネヴィンにゲーリンジャーとの契約を訴えた。大学を卒業後、1924年にタイガースと契約する。シーズン当初はクラスBのミシガン・オンタリオ・リーグでプレーしていたが、シーズン終盤に一度タイガースに昇格した。1925年はインターナショナルリーグに戻り、1926年からタイガースのレギュラーに定着する。
打撃の才能は、カッブがタイガースを去った1927年に開花する。この年に打率.317と110得点を記録すると、翌1928年には193安打、打率.320と更に成績を上げた。またこの年は守備でも二塁手最多の507もの補殺を記録した。1929年には打率を.339まで上げ、安打数215、二塁打数45、三塁打数19はいずれもリーグ最多となった。また盗塁も27を記録し、この年のリーグ盗塁王のタイトルを手にする。以後1932年の.298を除いて、毎年打率3割以上を記録。打率3割を超えたシーズンは、実に13度に及んだ。守備でも安定した活躍を見せ、1929年から1941年の間で、二塁手の最高守備率を記録したことが実に7度にもなった。特に1933年からは5年続けて『打率.320以上、200安打、100得点』という打撃成績を残し、タイガースの1934年と1935年のリーグ2連覇に貢献している。そして1937年に、打率.371で初の首位打者を獲得、アメリカンリーグの最優秀選手にも選ばれた。
1934年に全米選抜チームの一員として、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスらと共に来日した。その際沢村栄治による「全米軍のクリーンナップ4連続三振」を喫した一人にもなっている。翌1935年日本選抜チームが米国遠征した時にも米国選抜チームの一員として対戦している。この時の全日本チームの遊撃手だった苅田久徳はゲーリンジャーのプレーを見て「これからの野球の内野の要は二塁手だ」と意識したという。苅田は後に二塁手に転向、日本近代野球における二塁手の開祖となった。
1942年は選手兼任コーチを務め、同年現役を引退。1949年投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された後、1951年 - 1953年の間はデトロイト・タイガースのゼネラルマネージャーを務めたが、本人曰くGMの仕事は『悪夢』だったという。その後自動車販売などの仕事をしながら、1953年から1990年まで野球殿堂のベテランズ委員会の委員を務めた。1983年に、タイガースは彼の背番号『2』を永久欠番とした。1993年、ミシガン州にて死去。89歳。アトランタ・ブレーブスなどで活躍し、通算3000奪三振を達成した名投手ジョン・スモルツは、ゲーリンジャーの甥にあたる。
寡黙な男 [編集]
口数の少なさは有名で、現役当時に選手兼任監督をしていたミッキー・カクレーンは、ゲーリンジャーを評してこんな冗談を言っている。
| “ | チャーリーが発する言葉は、開幕戦の『ハロー』と、最終戦の『グッバイ』だけ。その二言を言う間に.350を打っちまう」[2] | ” |
通算成績 [編集]
打撃成績 [編集]
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2323 | 8860 | 2839 | 574 | 146 | 184 | 1774 | 1427 | 181 | 372 | 1186 | 50 | - | .320 | .404 | .480 | .884 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- アメリカンリーグMVP:1937年
- 首位打者:1回(1937年、.371)
- 最多安打:2回(1929年、1934年)
- 最多盗塁:1回(1929年)
- ワールドシリーズ出場:3回(1934年、1935年、1940年)
- オールスターゲーム選出:6回(1933年 - 1938年)
- MLBオールセンチュリー・チームに選出(1999年)。
- シーズン200安打以上を7回記録している(1929年、1930年、1933年 - 1937年)。
出典・外部リンク [編集]
- レトロシートによる打撃成績
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、The Baseball Cube
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