ケン・グリフィー・ジュニア

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ケン・グリフィー・ジュニア
Ken Griffey Jr.
シカゴ・ホワイトソックス No.17

基本情報
国籍 アメリカ合衆国アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国ペンシルバニア州ドノラ
生年月日 1969年11月21日(38歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5cm
230 lb =約104.3kg
選手情報
守備位置 外野手
プロ入り 1987年 1巡目(全体1位)
初出場 1989年4月3日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

ケン・グリフィー・ジュニアKen Griffey Jr.1969年11月21日 - )は、アメリカメジャーリーグのプロ野球選手。シカゴ・ホワイトソックスに所属。本名 George Kenneth Griffey, Jr.。いたずらっ子のようなルックス、気さくな性格から愛称は、ジュニアTHE KIDなど。

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

1969年11月21日ペンシルバニア州ドノラに生まれた。父親は1970年代にレッズビッグレッドマシンの一員として活躍したケン・グリフィー・シニア。ジュニアは父の打撃成績を毎日チェックし、ラジオ中継を聞き、リトルリーグではアウトになることがほとんどなく、アウトになると悔し涙を流すほどだった[1]

モーラー高校に進学し、野球フットボールに励んだ。特に才能を発揮したのは野球の方で、1986年1987年に所属リーグのプレイヤーオブザイヤーに輝いている。そして、1987年にはマリナーズに全米ドラフト1位で指名され入団。父のシニアは当時現役で、2世選手に対する風当たりは強く、人種差別を受けたため自殺を図ったこともあった[2]

1Aビリンガムで54試合に出場して.313 14本塁打 40打点 13盗塁の好成績を残した。1988年には1Aサンバディーナに昇格して58試合に出場して.338 11本塁打 42打点 32盗塁の好成績を残し、シーズン終盤に2Aバーモンドに昇格した。1989年のマリナーズのスプリングトレーニングで出場26試合、打率.359、2本塁打を記録し、33安打、21打点、15試合連続安打は球団のスプリングトレーニング新記録しとなった[3]

[編集] シアトル・マリナーズ時代

開幕をメジャーリーグで迎え[3]1989年4月3日アスレチックス戦でデビュー。初打席で二塁打を記録し、4月23日から4月26日にかけて球団タイ記録となる5試合連続複数安打を記録した[3]。7月23日時点でメジャー新人選手3冠となる打率.287、13本塁打、45打点を記録していたが、7月25日から8月20日にかけて小指の負傷により故障者リスト入りを経験し[1][3]、故障から復帰後は調子を落とし[1]、シーズンを通しての成績は、127試合に出場し、打率.264、16本塁打、61打点でグリフィーは新人王の投票でグレッグ・オルソントム・ゴードンに次ぐ3位に入った[4]

1990年にはセンターの定位置を確保して155試合に出場し、初の3割20本塁打を記録するだけでなく、守備でもファインプレーを随所に見せて4月26日のヤンキース戦ではジェシー・バーフィールドの通算200号本塁打となるはずだった打球を、フェンスを登って阻止するというプレーもあった[5]。自身初のゴールドグラブ賞1968年ジョニー・ベンチに次ぐ史上2番目の若さで受賞[5]オールスターの投票では、ホセ・カンセコに次ぐリーグ2位の2,159,700票を集め、1955年アル・ケーラインに次いで史上2番目の若さで初のに選ばれて5番センターで先発出場を果たした[5][6]。そして、父親のシニアが8月24日に成績不振のためレッズを解雇され、その5日後にマリナーズと契約を結び、8月31日のロイヤルズ戦で史上初親子が同時にスタメンに名を連ねた[1][5]。更に9月14日には初回に親子での2者連続本塁打も達成した[1][5]。この年の日米野球にも親子揃って選出され、来日している。

1991年には自己ベスト、リーグ4位の打率.327を記録し、7月23日には自身初となる満塁本塁打を放ち、9月30日のダブルヘッダー初戦で100打点をメジャー史上12番目の若さで達成した[7]。初のシルバースラッガー賞と2度目のゴールドグラブを受賞した。また、この年にシニアは引退。現役生活は19年だった。

1992年6月8日レンジャーズ戦の死球の影響で6月9日からDL入りしたが、6月25日にはメジャー復帰を果たした[8]。142試合に出場し、3年連続の3割20本塁打100打点を記録し、3度目のゴールドグラブを受賞。また、オールスターでは当時カブスに所属していたグレッグ・マダックスから本塁打を放つなど、3打数3安打でMVPを受賞している[8]9月30日ブルワーズ戦で3ラン本塁打を放ち、球団史上初めて2年連続100打点を達成した[8]

1993年は113得点、359塁打、45本塁打は球団シーズン記録となった[9]。6月15日のロイヤルズ戦で史上6番目の若さで通算100本塁打を達成し、7月には8試合連続本塁打のメジャータイ記録を達成した[9]。そして9月1日に球団史上初の40本塁打を達成し[9]、45本まで記録を伸ばしたが、本塁打王にはフアン・ゴンザレスに1本及ばなかった。

1994年は4月に球団月間新記録となる20打点をマークし、5月31日までにミッキー・マントルの20本塁打(1956年)を上回る22本塁打を放ち、メジャー新記録となった[10]。5月23日に通算153本塁打を放ち、新人のだった時の目標である父の152本塁打を上回った[11][12]。6月12日には球団新記録となる通算161本塁打目を放ち、6月30日までにベーブ・ルースの30本塁打(1928年、1930年)を上回る32本塁打を放ち、メジャー新記録となった[10]オールスターファン投票では1977年ロッド・カルーが記録した4,292,740票を更新する史上最高の6,079,688票を集めた[10]。しかし、ストライキ8月12日限りでシーズン打ち切られてしまったが、40本塁打を記録して球団史上初の本塁打王となり、MVPの投票ではフランク・トーマスに次いで2位に入った[10]

1995年5月26日、守備でフェンスに激突した際に左手首を痛めて全治3か月の大怪我をしたが、8月15日に復帰を果たし、その日に史上7番目の若さで通算1000本安打を達成した[13]プレーオフには出場し6本塁打をマークするなど活躍したが、チームはリーグチャンピオンシップシリーズインディアンスに敗退。また、この年は72試合の出場に終わったが、ゴールドグラブ賞を受賞している。

1996年5月21日史上7番目の若さで通算200本塁打を達成した[14]。6月19日に右手の有鈎骨を骨折し、約3週間の離脱を余儀なくされたが、それでも自己の持つ球団記録を更新する49本塁打を記録した[14]

1997年4月にメジャー新記録の13本塁打を放ち、9月7日に史上15人目となるシーズン50本塁打を達成した[15]。打率.304 56本塁打 147打点を記録し、2度目の本塁打王、初の打点王、そして初のMVPを満票で受賞した。これは史上13人目の快挙である[15]。チームも地区優勝を果たした。

1998年4月13日に史上2番目の若さで300本塁打を[16]、9月25日に史上最年少で通算350本塁打を達成した[17]。56本塁打を放ち2年連続となる本塁打王を獲得、20盗塁も記録したことでウィリー・メイズブレイディ・アンダーソンに次ぐ史上3人目の50本塁打-20盗塁も達成する。さらに、3年連続140打点以上も記録。これはベーブ・ルースルー・ゲーリッグに次ぐMLB史上3人目の快挙である[17]。しかし、ナリーグでマーク・マグワイアが70本、サミー・ソーサが66本と本塁打のシーズンを記録を更新したため注目されなかった[2]

1999年オールスターホームランダービーで2年連続3度目の優勝を果たし、シーズンでも48本塁打を放ち3年連続4度目の本塁打王、足でも自己最多の24盗塁を記録。また10年連続となるゴールドグラブ、7度目のシルバースラッガー賞を獲得した。さらにMLBオールセンチュリー・チームにも現役で唯一選ばれた。

[編集] シンシナティ・レッズ時代

センターの守備に付くケン・グリフィー・ジュニア(2004.6.16)
センターの守備に付くケン・グリフィー・ジュニア(2004.6.16)

1999年オフ、家族が暮らすフロリダからはシアトルが遠いということを理由に[1]、マリナーズが提示した8年1億3500万ドルの契約に首を縦に振らずトレードを志願[要出典]。トレード交渉は難航し、一時球団間ではメッツとのトレードが決まりかけたが、グリフィー自身が拒否[1]。年が明けてもトレード先が決まらず、結局マリナーズ残留かに思われたが、ファンから脅迫状が届いた事からメンタル的にマリナーズ残留は不可能とし、トレード交渉が再開[要出典]。2月に父親のかつて所属したレッズと1対4のトレードが成立し、9年総額1億1650万ドルで契約した[18]。背番号はマリナーズ時代の24から父親が現役時代付けた30に変更した。レッズの地元シンシナティでは観客動員が2,061,222人から2,577,371人へ50万人以上増加した[19]

2000年4月10日ロッキーズ戦で当時史上最年少30歳4か月での通算400本塁打を達成し、ナリーグでもオールスターゲームに選出された(プレーはしていない)[20]。9月中旬に足を痛め離脱した。打率.271 40本塁打 118打点という成績だった。2001年スプリングトレーニングで足を痛め開幕から出遅れ、111試合の出場に終わった。デビュー年以来となるオールスターに出場できなかったが、8月に11本塁打を放ち量産した。翌2002年は4月8日から5月23日と6月25日から7月21日の2回故障者リスト入りをし、わずか70試合の出場に終わり、197打席で8本塁打と全盛期の姿とはほど遠かった。6月18日には通算2000本安打を達成している。

2002年シーズン終了後の11月29日にパドレスとのトレードが合意に達したが、トレード要員のフィル・ネビンノートレード条項を行使したため残留が決まった[21]2003年は開幕直後に右肩を脱臼するなど、53試合の出場。5試合連続本塁打を放つなど長打力はやや回復したが、打率は.247とガタ落ちだった。

2004年は開幕戦でカブスグレッグ・マダックスから本塁打を放つ。4月は3本塁打に終わったが、5月に10本塁打を放ち、6月20日の父の日にカージナルス戦で史上20人目となる通算500本塁打を達成した。オールスターにも5年ぶりに選ばれ、w:Sports Illustrated紙の表紙を飾った。しかし、オールスター前に右足のを痛め、オールスターには出場できず。その後復帰した試合で腱が断裂、シーズンを棒に振り、83試合の出場で終わる。この年の手術アスリートとしては前代未聞、右足に3本のボルトを入れることになった。

2005年4月30日ブルワーズ戦まで本塁打はなかったが、それ以降は本塁打を12.03打席に1本のペースで量産。右足かかとを痛め9月4日を最後にシーズンを幕を下ろすまでに128試合で打率.301 35本塁打 92打点の好成績を残し、カムバック賞を受賞。オフには背番号を30からグリフィーの息子たちの数と同じ3に変更した。

WBCでは、アメリカの優勝こそ果たせなかったが、.524 3本塁打 10打点と大活躍し大会のベストナインに選ばれた。

2006年4月5日に通算本塁打でミッキー・マントルを抜いたが、8試合に出場した時点で右ひざの故障で約1か月離脱。復帰試合で逆転サヨナラ3ランを飾った。7月に深刻な不振を経験し、9月4日に右足人差し指を脱臼し、親指も負傷するが、ホームでの最終試合で代打逆転3ランホームランを飾り、通算本塁打でレジー・ジャクソンに並んだ。

2007年からはライアン・フリールがセンターを守り、ジュニアはライトへ転向した。6月22日のマリナーズ戦で、移籍以来8年ぶりに古巣の本拠地セーフコ・フィールドでプレー。グリフィーが打席に入るとシアトルのファンはスタンディング・オベーションで歓迎し、続くヒットにも大歓声、マリナーズの投手が牽制球を投じるとブーイングが起こるという有様だった。7月11日には通算587号本塁打を放ち、フランク・ロビンソンを抜き、通算本塁打で単独6位となった。

2008年5月31日に通算599本塁打を打った後ハンク・アーロンウィリー・メイズから「野球を楽しんでもっともっと打ち続けなさい」と激励の電話をもらい、ナーバスになっていた気持ちが楽になり[11]6月9日マーリンズ戦で右越えに2ランを放ち、大リーグ史上6人目となる通算600本塁打を達成した。

[編集] シカゴ・ホワイトソックス時代

2008年7月31日、トレード期限最終日にニック・マセットダニー・リチャーとの交換トレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[22]8月20日に通算609本目となる本塁打を放ち、大リーグ通算本塁打で歴代5位のサミー・ソーサに並んだ。

[編集] 主要タイトル

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率 OPS
1989 SEA 127 455 61 120 23 0 16 191 61 16 7 1 4 44 8 2 83 4 .264 .420 .329 .749
1990 SEA 155 597 91 179 28 7 22 287 80 16 11 0 4 63 12 2 81 12 .300 .481 .366 .847
1991 SEA 154 548 76 179 42 1 22 289 100 18 6 4 9 71 21 1 82 10 .327 .527 .399 .926
1992 SEA 142 565 83 174 39 4 27 302 103 10 5 0 3 44 15 5 67 15 .308 .535 .361 .896
1993 SEA 156 582 113 180 38 3 45 359 109 17 9 0 7 96 25 6 91 14 .309 .617 .408 1.025
1994 SEA 111 433 94 140 24 4 40 292 90 11 3 0 2 56 19 2 73 9 .323 .674 .402 1.076
1995 SEA 72 260 52 67 7 0 17 125 42 4 2 0 2 52 6 0 53 4 .258 .481 .379 .860
1996 SEA 140 545 125 165 26 2 49 342 140 16 1 1 7 78 13 7 104 7 .303 .628 .392 1.020
1997 SEA 157 608 125 185 34 3 56 393 147 15 4 0 12 76 23 8 121 12 .304 .646 .382 1.028
1998 SEA 161 633 120 180 33 3 56 387 146 20 5 0 4 76 11 7 121 14 .284 .611 .365 .976
1999 SEA 160 606 123 173 26 3 48 349 134 24 7 0 2 91 17 7 108 8 .285 .576 .384 .960
2000 CIN 145 520 100 141 22 3 40 289 118 6 4 0 8 94 17 9 117 7 .271 .556 .387 .943
2001 CIN 111 364 57 104 20 2 22 194 65 2 0 1 4 44 6 4 72 8 .286 .533 .365 .898
2002 CIN 70 197 17 52 8 0 8 84 23 1 2 0 4 28 6 6 39 6 .264 .426 .358 .784
2003 CIN 53 166 34 41 12 1 13 94 26 1 0 1 1 27 5 3 44 3 .247 .566 .370 .936
2004 CIN 83 300 49 76 18 0 20 154 60 1 0 0 2 44 3 2 67 8 .253 .513 .351 .864
2005 CIN 128 491 85 148 30 0 35 283 92 0 1 0 7 54 3 3 93 9 .301 .576 .369 .945
2006 CIN 109 428 62 108 19 0 27 208 72 0 0 0 3 39 6 2 78 13 .252 .486 .316 .802
2007 CIN 144 528 78 146 24 1 30 262 93 6 1 0 9 85 14 1 99 14 .277 .496 .372 .868
通算 19年 2378 8826 1545 2558 473 37 593 4884 1701 184 68 8 94 1162 230 77 1593 177 .290 .553 .374 .927

太字はリーグ一位 ※2007年シーズン終了時点

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f g 出野哲也「歴史が動いた日 1990.8.31 メジャー史上初父子揃って先発出場」『スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-11、90 - 92項
  2. ^ a b ナガオ勝司「ジュニア600号の肖像」『月刊メジャー・リーグ』2008年6月号、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 08625-6、39項 - 40項
  3. ^ a b c d "1989 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  4. ^ "Baseball Awards Voting for 1989 - Baseball-Reference.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  5. ^ a b c d e "1990 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  6. ^ "July 10, 1990 All-Star Game at Wrigley Field Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  7. ^ "Ken Griffey 1991 Career Highlights" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  8. ^ a b c "Ken Griffey 1992 Career Highlights" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  9. ^ a b c "1993 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  10. ^ a b c d "1994 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  11. ^ a b 澤田敏典「目標の父を大きく超え、史上6人目の600号」『スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-8、84頁
  12. ^ "Ken Griffey Home Run Log (Batting) - Baseball-Reference PI" (英語). 2008年6月26日 閲覧。
  13. ^ "Ken Griffey 1995 Career Highlights" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  14. ^ a b "1996 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  15. ^ a b "1997 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  16. ^ 保住金次郎 編 『SLUGGER』通巻第3号(1998年7月号)、日本スポーツ企画出版社、33頁
  17. ^ a b "1998 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
  18. ^ "Griffey contract stuns baseball" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  19. ^ "Cincinnati Reds Attendance, Stadiums and Park Factors - Baseball-Reference.com" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  20. ^ "Ken Griffey 2000 Career Highlights" (英語). 2008年4月11日 閲覧。
  21. ^ "Ken Griffey, Jr. Chronology" (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月1日 閲覧。
  22. ^ "Griffey moves from Reds to White Sox Cincinnati acquires righty Masset, second baseman Richar". MLB.com. 2008年8月1日 閲覧。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク