李鍾範

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李鍾範
各種表記
ハングル 이종범
漢字 李鍾範
発音: リ・ジョンボム
ローマ字 Yi Jong-beom
本人表記: Lee, Jong Beom
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李 鍾範
ハンファ・イーグルス #73
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 光州広域市
生年月日 1970年8月15日(43歳)
身長
体重
178 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手一塁手三塁手
プロ入り 1992年 KBO1次ドラフト1位
初出場 KBO / 1993年4月10日
NPB / 1998年4月3日
最終出場 KBO / 2011年10月4日
NPB / 2001年4月30日
年俸 5000万ウォン(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
国際大会
代表チーム 韓国の旗大韓民国
WBC 2006年

李 鍾範(イ・ジョンボム、1970年8月15日 - )は、大韓民国光州広域市出身の元プロ野球選手外野手内野手)、野球指導者。右投げ右打ち。

来歴[編集]

ヘテ時代[編集]

1993年ヘテ・タイガースに入団。1年目からレギュラー選手として出場し、1994年には首位打者盗塁王を獲得するなど、主力の一人として活躍。

中日時代[編集]

1998年、移籍金4億5000万円、年俸8000万円(推定)で中日ドラゴンズに移籍した。中日での登録名リー・ジョンボム。当初は李ではなくロベルト・ペタジーニの獲得が検討されていたが、投手力を中心とした「守り勝つ野球」を重視する当時の星野仙一監督の意向により、結局中日はペタジーニではなく李を獲得する方針に切り替えたというエピソードがある。[1]

バットコントロールの良さや盗塁王3回の実績を評して、『韓国のイチロー』(ただし李は右打者である)と呼ばれた。移籍1年目の開幕戦にはスタメンで出場を果たした。俊足好打の1番打者であったが遊撃手の守備には問題が多く、この年67試合で12失策を数えた。しかし、守備範囲は広く、打球を諦めない姿勢は監督星野仙一好みであった。盗塁も日本の投手の技術の高さ(クイック投法など)を前に、ヘテ時代のようにはできなかった。6月23日に、阪神タイガース川尻哲郎から受けた右肘への死球により骨折し長期離脱。シーズン中に復帰するものの、死球への恐れからか以前のような思い切りの良さが消えてしまった。リハビリ中から守備の不安を解消するため、俊足を生かして外野手に転向。1999年のリーグ優勝にも主力選手として出場したが、外国人枠を使うことを考えると成績は芳しくなく、2001年には強力外野陣に割って入れず、選手起用を不満としてシーズン途中で退団した。

起亜時代[編集]

その後帰国し、ヘテ・タイガースを買収した起亜タイガースに復帰した。

ポジションはヘテ時代の遊撃手ではなく、日本での経験を生かし外野に転向し主力として活躍した。2004年には7年ぶり4回目の盗塁王のタイトルを獲得した。

2006年WBC韓国代表に選出されて主将を務め、大会での活躍が認められ外野のベストナインに選ばれた。しかし、シーズン中は考えられない大不振に陥ってしまい、二軍落ちも経験してしまう。結局この年は打率.242、本塁打1本、打点21と打撃三部門だけでなく、盗塁(10)・長打率・出塁率などが、入団以来最低の記録になってしまった。

2007年は、シーズン当初は2番だったが、調子が上がらず打率も1割台に低迷して9番に降格となった。5月17日の現代ユニコーンズ戦で実に1年ぶりの本塁打を放った。しかし調子は一向に上がらず、このシーズンを84試合、打率.174、1本塁打、18打点、3盗塁と、前年の成績を更に下回り、いよいよ引退かと囁かれた。起亜は李との2008年の契約を、前年から60%もの大幅ダウンとなる2億ウォンで結んだ。同年5月の月間MVPを獲得。計110試合に出場し復活をアピールしたが、オフには引退し指導者への転身を球団から勧められた。しかし本人は現役続行を希望し、2009年も前年と現状維持の年俸2億ウォンで契約を結んだ。

背水の陣で臨んだ2009年は123試合に出場し、12年ぶりの公式戦、韓国シリーズ優勝を飾ったチームの快進撃に貢献し、韓国プロ野球史上2人目の通算500盗塁を達成した。起亜が優勝を決めた韓国シリーズ第7戦では、試合後に選手達から胴上げされた。

2010年、日韓通算2000本安打を達成した。年長選手の引退により、2011年からは韓国プロ野球界最年長選手となった。2012年は海外春季キャンプも順調に消化し、示範競技(オープン戦に相当)にも出場していたが、宣銅烈監督など首脳陣は開幕1軍から外れ、2軍でプレイングコーチに就任することを提案した。しかしこれを拒否し、公式戦開幕の1週間前の3月31日、突如現役引退を発表した。起亜入団後引退までつけていた背番号7は、宣銅烈に次いで球団史上2人目となる永久欠番となった。起亜からの指導者研修の提案を断り、引退後は当面の間解説者など目立った活動をしないことを、4月5日、公式記者会見の場で明らかにした。2012年5月26日、起亜の本拠地・無等野球場で引退セレモニーが行われた。すでに引退の手続きを取っていたため試合には出場しなかったが、この日すべての起亜の選手が背番号7の李鍾範の名前が書かれたユニフォームを着用した。

指導者経歴[編集]

2012年10月10日、ヘテ時代の監督だった金応龍が新監督に就任したこともあり、ハンファ・イーグルスの走塁コーチに就任し、指導者の道を歩くことになった。

人物[編集]

ヘテ時代の先輩である宣銅烈を慕って中日ドラゴンズに移籍した。同時期に在籍した韓国人左腕・李尚勲(登録名:サムソン・リー)と共に韓国三銃士とも呼ばれた。宣銅烈もそうであったように、将来は日本で指導者の勉強がしたいとも語っている。

「李範」と名前を誤記されることが多いが、正しくは金へんに重の「李範」である。通常NHKでは朝鮮名に対し漢字表記はしないため、NHKでは「リー」とカタカナ表記だったのに対して、民放各局では「李」と漢字表記だった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1993 ヘテ 126 525 475 85 133 16 4 16 205 53 73 19 8 4 32 2 6 35 11 .280 .331 .432 .762
1994 124 561 499 113 196 27 5 19 290 77 84 15 1 4 51 14 6 31 2 .393 .452 .581 1.033
1995 63 272 239 41 78 10 2 16 140 35 32 3 0 3 28 4 2 20 5 .326 .397 .586 .983
1996 113 525 449 94 149 28 1 25 254 76 57 12 0 2 67 15 7 39 4 .332 .425 .566 .990
1997 125 577 484 112 157 28 3 30 281 74 64 15 0 3 87 30 3 49 9 .324 .428 .581 1.009
1998 中日 67 290 244 38 69 11 3 10 116 29 18 8 3 1 36 2 6 33 4 .283 .387 .475 .862
1999 123 484 424 76 101 20 5 9 158 33 24 7 13 2 38 1 7 62 6 .238 .310 .373 .683
2000 113 465 414 58 114 26 2 8 168 37 11 8 13 2 28 0 8 70 6 .275 .332 .406 .738
2001 8 13 13 2 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .154 .154 .231 .385
起亜 45 214 188 45 64 14 1 11 113 37 7 5 2 3 20 0 1 16 5 .340 .401 .601 1.002
2002 123 546 485 93 142 25 2 18 225 59 35 5 4 1 43 5 13 63 7 .293 .365 .464 .829
2003 132 595 524 110 165 43 1 20 270 61 50 10 1 4 59 5 7 58 8 .315 .389 .515 .904
2004 133 577 493 100 128 29 0 17 208 52 42 7 12 2 53 1 17 50 9 .260 .350 .422 .772
2005 118 495 430 69 134 25 2 6 181 36 28 5 7 0 47 2 11 49 8 .312 .393 .421 .814
2006 93 379 339 41 82 18 1 1 105 21 10 7 11 0 24 2 5 43 3 .242 .302 .310 .611
2007 84 282 253 23 44 6 0 1 53 18 3 2 10 4 13 0 2 25 6 .174 .217 .209 .426
2008 110 362 317 38 90 19 4 1 120 38 9 3 9 3 32 0 1 26 11 .284 .348 .379 .727
2009 123 449 385 63 105 21 1 6 146 40 11 1 12 6 41 1 5 50 9 .273 .346 .379 .725
2010 97 286 265 36 65 16 1 4 95 29 2 2 6 0 15 0 3 33 5 .245 .293 .379 .619
2011 97 258 235 27 65 15 1 3 91 24 3 2 12 3 22 1 1 35 6 .277 .337 .387 .724
KBO:16年 1706 6784 6060 1100 1797 340 29 194 2777 730 510 113 95 42 634 82 90 622 108 .297 .372 .458 .830
NPB:4年 311 1252 1095 174 286 58 10 27 445 99 53 23 29 5 102 3 21 169 16 .261 .334 .358 .741
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ヘテ(ヘテ・タイガース)は、2001年途中に起亜(起亜タイガース)に球団名を変更

タイトル[編集]

KBO
  • 首位打者:1回 (1994年)
  • 盗塁王:4回 (1994年、1996年、1997年、2004年)
  • 最多安打:1回 (1994年)
  • 最高出塁率:1回 (1994年)
  • 最多得点:5回 (1993年、1994年、1996年、1997年、2003年)

表彰[編集]

KBO

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 7 (1993年 - 1997年、1999年途中 - 2012年)
  • 8 (1998年 - 1999年途中)[2]
  • 73 (2013年 - )

関連情報[編集]

[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 戸部 良也著「熱将 星野仙一」より
  2. ^ 1998年に中日に入団した際の背番号8だったが、翌1999年のシーズン中に本人の希望で森野将彦と背番号を交換し、7となった。
  3. ^ 丸目蔵人『アジオン・ラヴァーズ』、1996年12月、大村書店、P170

関連項目[編集]

外部リンク[編集]