朴鎮萬

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朴 鎮萬(パク・チンマン)
Park Jin-Man
サムスン・ライオンズ 監督 #70
2022年10月26日、第16代監督就任式から
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 京畿道仁川広域市
生年月日 (1976-11-30) 1976年11月30日(47歳)
身長
体重
178 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1996年 高卒優先指名
初出場 1996年4月13日
最終出場 2015年9月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • SKワイバーンズ (2016)
  • 三星ライオンズ (2017 - )
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2000年2008年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
大韓民国の旗 大韓民国
2000 野球
2008 野球
パク・チンマン
各種表記
ハングル 박진만
漢字 朴鎭萬
発音: パクチンマン
ローマ字 Bak Jin-man
本人表記: Park Jin-Man
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朴 鎮萬(パク・チンマン、朝鮮語: 박진만1976年11月30日 - )は、大韓民国京畿道仁川広域市出身の元プロ野球選手(遊撃手)、野球指導者。右投げ右打ち。

2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。

経歴[編集]

現代時代[編集]

仁川高等学校を卒業後、1996年現代ユニコーンズでプロデビュー。

守備センスを現役時代名遊撃手だった金在博監督に買われて、高卒1年目からレギュラーの座を獲得。

以後、内野守備の要として2004年まで3度の韓国シリーズ優勝に貢献した。

三星時代[編集]

2004年シーズンオフ、フリーエージェントとして現代ユニコーンズから最高39億ウォン(約3億9000万円)という破格の条件で三星ライオンズに移籍した。

三星でも2005年2006年の連覇に貢献した。

現代、三星といった最強戦力を誇ったチームでも確かな守備力でレギュラーを張った実績を買われ、早くから代表チームの常連になった。1998年バンコクアジア競技大会を初め、2000年シドニーオリンピック野球韓国代表2002年釜山アジア競技大会代表、2006年第1回WBC韓国代表、2008年の北京オリンピック野球韓国代表など、数々の国際大会でレギュラー遊撃手を務める。

そしてその2008年はシーズンを通して故障で不振が続き、オリンピックでも無安打が続いたが、決勝戦のキューバ戦の最後の打席でヒットを放ち、結局その試合の決勝点となる3点目のホームを踏んだ。守備でも9回1死満塁の危機で、自分の前に転がってきたゴロをさばき、試合を決めるダブルプレーにつなげた。一打逆転サヨナラ負けの危機という土壇場でその名声に遜色のない活躍を見せ、韓国勢初のオリンピック野球競技金メダル獲得に貢献し、兵役も免除された。

シーズン後、2度目のフリーエージェントの権利を取得し行使したがそのまま三星に残留することで決着がついた。しかし三星残留後はなどの故障が相次ぎ、現代在籍時と比べると出場試合数は大きく減っている。

2010年は故障や不振でかつての守備力はすっかり見る影もなくなっていた。この年は金相豎の台頭により43試合の出場にとどまり、この年限りで三星を戦力外となった[1]

SK時代[編集]

2011年からは出身地・仁川広域市を本拠地とするSKワイバーンズでプレーすることになった。

だが2012年は故障もあり57試合の出場にとどまり成績も悪化した。

2013年は2年ぶりに100試合に出場した。

しかしその後は再び出場機会が激減し、2015年限りで現役を引退することを発表。

引退後[編集]

翌2016年はSKの一軍守備走塁コーチを務めていたが、同年限りで辞任。

2017年より三星にコーチとして復帰した。

2022年から三星の二軍監督に異動。しかし8月1日に許三榮が成績不振で辞職すると、一軍の監督代行に就任した。シーズン終了後の10月18日、三星の監督に就任した[2]

プレースタイル・人物[編集]

遊撃の守備は2000年代初頭の韓国球界で随一と言われていた。第1回WBC米国のメディアからも絶賛されて守備はメジャーと比べても遜色ないと言われた。デビューの頃はの打撃は打率2割前後で守備だけが目立つ印象を与えたが、経験を積むにつれ打撃の方も力をつけていき、00年代中盤の全盛期では勝負強い打撃とパンチ力も備えていた。

別名は「蒸し餃子」。これは、韓国で蒸し餃子を「チンマンドゥ(만두)」と呼んで、彼の名前の「チンマン」がそれを連想させるため、新人の時チームの先輩から付けられたもの。ただし、本人が嫌がったため三星移籍後は使用されなくなった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]







































O
P
S
1996 現代 115 361 49 102 21 2 6 38 11 7 27 55 5 22 .283 .332 .402 .734
1997 112 351 29 65 11 0 5 29 7 5 28 62 6 14 .185 .245 .259 .504
1998 123 330 36 67 17 0 4 33 8 3 24 50 4 19 .203 .257 .291 .548
1999 128 395 50 104 21 2 3 42 5 6 43 63 9 22 .263 .336 .349 .685
2000 129 420 67 121 30 4 15 58 0 5 42 76 9 15 .288 .353 .486 .839
2001 122 383 72 115 13 0 22 63 9 6 51 65 13 25 .300 .382 .507 .889
2002 126 401 47 88 24 0 12 47 2 5 42 85 6 12 .219 .293 .369 .662
2003 129 421 68 119 26 0 16 48 6 5 68 66 14 19 .283 .382 .458 .840
2004 129 434 65 124 18 0 17 69 6 3 57 67 10 14 .286 .369 .445 .814
2005 サムスン 85 281 34 70 16 0 7 44 5 2 41 47 8 10 .249 .345 .381 .726
2006 115 382 54 108 22 1 11 65 10 6 63 74 6 8 .283 .386 .432 .818
2007 100 333 34 104 25 0 7 56 5 3 57 38 5 12 .312 .413 .450 .863
2008 104 332 28 81 12 3 5 38 5 4 47 50 9 9 .244 .322 .343 .665
2009 76 223 22 57 11 0 6 29 2 1 28 31 8 5 .256 .333 .386 .719
2010 46 131 14 31 5 1 1 14 1 2 25 27 1 12 .237 .359 .313 .672
2011 SK 100 282 42 79 18 0 6 39 6 5 39 44 6 11 .280 .368 .408 .776
2012 57 138 12 29 7 1 5 19 3 1 14 27 2 0 .210 .283 .384 .667
2013 100 276 25 69 14 1 3 24 3 4 42 47 6 9 .250 .349 .341 .690
2014 19 32 3 8 1 0 0 2 0 1 2 8 0 0 .250 .281 .294 .575
2015 78 133 12 33 5 0 2 14 0 2 25 21 3 2 .248 .375 .331 .706
通 算 1993 6039 763 1574 317 15 153 781 94 76 777 1003 130 240 .261 .342 .394 .736

背番号[編集]

  • 7(1996年 - 2015年)
  • 74(2016年)
  • 79(2017年 - 2022年)
  • 70(2023年 - )

タイトル・表彰[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]