柳賢振

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リュ・ヒョンジン
各種表記
ハングル 류현진
漢字 柳賢振
発音: リュヒョンジン
ローマ字 Ryu Hyun-Jin
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柳 賢振 (リュ・ヒョンジン)
Hyun-Jin Ryu
ロサンゼルス・ドジャース #99
Hyun-Jin Ryu 2013.jpg
2013年
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 仁川直轄市
生年月日 1987年3月25日(26歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
255 lb =約115.7 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 KBO2次ドラフト
初出場 KBO/2006年4月12日
MLB/2013年4月2日
年俸 $ 6,000,000(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 韓国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年
オリンピック
男子 野球
2008 野球

柳 賢振(リュ・ヒョンジン、1987年3月25日 - )は、大韓民国仁川直轄市(現:仁川広域市)出身のプロ野球選手投手)。左投げ右打ち。メジャーリーグベースボールロサンゼルス・ドジャースに所属している。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

高校時代にトミー・ジョン手術を受け、宣銅烈2世と呼ばれた光州出身の韓基周(ハン・ギジュ)の影に隠れていた。

仁川出身で出身校である東山高校も仁川所在だったため、SKワイバーンズが優先的に指名できた。しかし、当時捕手の補強に重点を置いたSK球団のスカウト陣の判断で1次ドラフトでSKに指名されず、2次ドラフトに流された。2次ドラフトでハンファ・イーグルスの指名を受けた。入団の時は韓基周の方にメディアの関心が集中され、契約金も韓基周の3分の1くらいであったが、韓基周は故障により2009年以降低迷するなど、プロ入り後の実績には大きな差がついている。

ハンファ時代 [編集]

2006年はルーキーでありながら、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を独占、ハンファの韓国シリーズ進出の原動力となった。

2007年も17勝をあげ、最多奪三振のタイトルを獲得し、チームのポストシーズン進出に貢献。2年目のジンクスという言葉とは無縁な活躍ぶりを続けた。メディアデーの記者会見では、同じ左腕で1学年下の新人金廣鉉SKワイバーンズ)に「頭を使えればもっといい投手になれる」と指摘され、それ以降韓国国内では金廣鉉としばしば比較の対象になることがある。しかし、金廣鉉のプロ1年目の成績が柳賢振の新人の時の実績にはるかに及ばなかったため、金廣鉉は「まだ実績もないのに口だけ先走っている」と批判された。

2008年北京オリンピック韓国代表として出場し、予選リーグで強豪として評されたカナダ戦、決勝のキューバ戦で先発し、いずれも勝利投手となった。内容的にも17回1/3を投げて自責点2とほぼ完璧で、大会防御率は1.04という好成績を残した。韓国の金メダル獲得に貢献。2006年ドーハで開かれたアジア競技大会で先発した社会人主体の日本代表戦で敗れ、北京オリンピック世界最終予選で先発したカナダ戦で3本本塁打を浴びて敗戦するなど、ポストシーズンや国際試合でやや苦戦する傾向があり、国内リーグのレギュラーシーズン向きではないかとみられることがあったが、国際試合での不安が払拭された。

2009年第2回WBC韓国代表に選出され、1次ラウンド初戦の台湾戦では先発し4回途中まで無失点に抑え勝利に貢献。1次ラウンド順位決定戦の日本戦では3番手としてリリーフ登板しチームの完封勝利に貢献。しかし2次ラウンド初戦のメキシコ戦では3回途中にエイドリアン・ゴンザレスの打球を足に受け降板。その後は先発することはなく、2次ラウンド順位決定戦の日本戦などでリリーフ登板したのみだった。大会通じては防御率2.57を残した。レギュラーシーズンではチームが最下位に低迷したこともあり勝ち数は伸びなかったが13勝をあげた他、2年ぶりに最多奪三振のタイトルを獲得した。

2010年は最下位争いを続けたチームで孤軍奮闘し、一時期は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振と自身2度目の投手3冠王なるかと騒がれた。しかしシーズン終盤になって故障により戦線離脱し16勝どまりで最多勝は金廣鉉に譲ってしまい、最優秀防御率(4年ぶり2度目)、最多奪三振(2年連続4度目)の2冠にとどまった。5月23日のSK戦では金廣鉉との直接対決が実現するかに思われたが、不運にも雨天中止となった。

2011年6月には通算1000奪三振を達成。だが故障で長期離脱したことが響き、プロ入り後自己最低の11勝に終わったものの、6年連続2ケタ勝利を記録しチーム最多勝となった。オフにはスコット・ボラスと代理人契約を結んでいたことが報じられた。

2012年は自己最少の9勝に終わったが、5度目の最多奪三振のタイトルを受賞した。

10月末、ポスティングシステムを行使して一定額の入札があった場合のみメジャー移籍を認める方針を球団が発表。11月10日にロサンゼルス・ドジャースが約2573万ドルで落札したと発表され、交渉期限の12月9日(米国時間)に6年総額3600万ドル+出来高で契約。これにより、KBO(韓国プロ野球)から直接MLB(メジャーリーグベースボール)に移籍した初の韓国人選手となった。またMLB移籍が決まったことで、2013 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表も辞退した。

ドジャース時代 [編集]

日付は全て現地時間2013年、4月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャー初先発。6回1/3を10安打、3失点、5奪三振で初黒星を喫する。4月7日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャー初勝利。

選手としての特徴 [編集]

力強いフォームから繰り出される最速154km/h[1]速球と、同じ腕の振りから投げるチェンジアップ[2]、二種類のカーブ[3]スプリッターのように落差の大きいスライダー[4]を投げ分け、韓国での通算奪三振率8.78と奪三振が多い[2]

プロ入り当初は速球とカーブを中心とした投球だったが、具臺晟からチェンジアップを教わりレパードリーに加える[2]

本人によると「右でバットを振ると腰の切れがよくなる」という理由から[3]左投げ右打ちで登録されているが、韓国プロ野球では指名打者制度を採択しているため、ハンファ時代には打席に入る機会がなかった。

詳細情報 [編集]

年度別投手成績 [編集]







































W
H
I
P
2006


30 18 6 2.23 1 6 1 201.2 159 57 50 11 54 204 9.13 1.05
2007 30 17 7 2.94 0 6 1 211    195 74 69 15 71 178 7.59 1.25
2008 26 14 7 3.31 0 2 1 165.2 144 66 61 12 68 143 7.77 1.27
2009 28 13 12 3.57 0 4 2 189.1 180 80 75 19 69 188 8.94 1.31
2010 25 16 4 1.82 0 5 3 192.2 149 42 39 11 54 187 8.74 1.01
2011 24 11 7 3.36 0 3 0 126.0 101 54 47 12 39 128 9.14 1.11
2012 27 9 9 2.66 0 1 0 182.2 153 58 54 12 51 210 10.35 1.12
通 算 190 98 52 2.80 1 27 8 1269.0 1081 431 395 92 406 1238 8.78 1.17
  • 2012年度シーズン終了時
  • 太字はリーグ最高

背番号 [編集]

  • 99 (2006年 - )

タイトル [編集]

  • 最多勝利:1回(2006年)
  • 最優秀防御率:2回(2006年、2010年)
  • 最多奪三振:5回(2006年、2007年、2009-2010年、2012年)

表彰 [編集]

  • MVP:1回(2006年)
  • 新人王:1回(2006年)
  • ゴールデングラブ:2回(2006年、2010年)

脚注 [編集]

  1. ^ 2007年8月31日LG戦にて
  2. ^ a b c 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、216頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  3. ^ a b 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、208頁。ISBN 978-4-86191-374-7
  4. ^ WBCで輝いたMLB未経験選手9人の評価は? MLBのスカウトから見た日韓の選手たち 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、50-52頁。

外部リンク [編集]