柳賢振

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リュ・ヒョンジン
各種表記
ハングル 류현진
漢字 柳賢振
片仮名
(現地語読み仮名)
リュ・ヒョンジン
ラテン文字転写 Ryu Hyun-Jin
柳 賢振 (リュ・ヒョンジン)
ハンファ・イーグルス #99
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 仁川広域市
生年月日 1987年3月25日(24歳)
身長
体重
188cm
98kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 2次ドラフト
初出場 2006年4月12日
年俸 4億3000万ウォン(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 韓国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年
オリンピック
男子 野球
2008 野球

柳 賢振(リュ・ヒョンジン、1987年3月25日 - )は、ハンファ・イーグルスに所属する大韓民国出身のプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 経歴

高校時代は宣銅烈2世と呼ばれた光州出身の韓基周(ハン・ギジュ)の影に隠れていた。

仁川出身で出身校である東山高校も仁川所在だったため、SKワイバーンズが優先的に指名できた。しかし、当時捕手の補強に重点を置いたSK球団のスカウト陣の判断で1次ドラフトでSKに指名されず、2次ドラフトに流された。2次ドラフトでハンファ・イーグルスの指名を受けた。入団の時は韓基周の方にメディアの関心が集中され、契約金も韓基周の3分の1くらいであったが、プロ1年目の実績では大きな差をつけ、現在は伸び悩んでいる韓基周より格上の評価を受けている。

2006年はルーキーでありながら、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を独占、ハンファの韓国シリーズ進出の原動力となった。

2007年も17勝をあげ、最多奪三振のタイトルを獲得し、チームのポストシーズン進出に貢献。2年目のジンクスという言葉とは無縁な活躍ぶりを続けた。

メディアデーの記者会見では、同じ左腕で1学年下の新人金廣鉉SKワイバーンズ)に「頭を使えればもっといい投手になれる」と指摘され、それ以降韓国国内では金廣鉉としばしば比較の対象になることがある。しかし、金廣鉉のプロ1年目の成績が柳賢振の新人の時の実績にはるかに及ばなかったため、金廣鉉は「まだ実績もないのに口だけ先走っている」と批判された。なお、両者の直接対決は2010年シーズン終了時ではまだ一度も実現したことがない。2010年5月23日のハンファ対SKで両者が予告先発され直接対決が実現するかに思われたが、不運にも雨天中止となった。

指名打者制度を採択している韓国プロ野球でまだ打席に入る機会はないが、珍しく「左投げ右打ち」として登録されている。

ポストシーズンや国際試合でやや苦戦する傾向があり、国内リーグのレギュラーシーズン向きではないかとみられることがあった。2006年ドーハで開かれたアジア競技大会で、プロ選抜の韓国代表が乱打戦の末、社会人主体の日本代表に敗れ批判されたが、その試合の先発が柳賢振だった。また、北京オリンピック世界最終予選でもカナダ戦に先発したが3本のホームランを浴びて負け投手となり、結局韓国は2位通過となった。

2008年北京五輪に韓国代表として出場し、予選リーグで強豪として評されたカナダ戦、決勝のキューバ戦で先発し、いずれも勝利投手となった。内容的にも17回1/3を投げて自責点2とほぼ完璧で、大会防御率は1.04という好成績を残した。韓国の金メダル獲得に貢献し、国際試合という不安は払拭された。

2009年第2回WBC韓国代表に選出され、1次ラウンド初戦の台湾戦では先発し4回途中まで無失点に抑え勝利に貢献。1次ラウンド順位決定戦の日本戦では3番手としてリリーフ登板しチームの完封勝利に貢献。しかし2次ラウンド初戦のメキシコ戦では3回途中にエイドリアン・ゴンザレスの打球を足に受け降板。その後は先発することはなく、2次ラウンド順位決定戦の日本戦などでリリーフ登板したのみだった。大会通じては防御率2.57を残した。レギュラーシーズンではチームが最下位に低迷したこともあり勝ち数は伸びなかったが13勝をあげた他、2年ぶりに最多奪三振のタイトルを獲得した。

2010年は最下位争いを続けたチームで孤軍奮闘し、一時期は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振と自身2度目の投手3冠王なるかと騒がれた。しかしシーズン終盤になって故障により戦線離脱し16勝どまりで最多勝は金廣鉉に譲ってしまい、最優秀防御率(4年ぶり2度目)、最多奪三振(2年連続4度目)の2冠にとどまった。

2011年6月には通算1000奪三振を達成。だが故障で長期離脱したことが響き、プロ入り後自己最低の11勝に終わったものの、6年連続2ケタ勝利を記録しチーム最多勝となった。オフにはスコット・ボラスと代理人契約を結んでいたことが報じられた。

[編集] 投球スタイル

入団当初はストレートカーブを武器にしていたが、制球に苦しみ具臺晟からチェンジアップと伝授。

力強いフォームから繰り出される最速154km/h(2007年8月31日LG戦にて)のストレートとキレの良いチェンジアップ、落差のあるカーブやスライダーで三振を積み重ねる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績







































W
H
I
P
2006


30 18 6 2.23 1 6 1 201.2 159 57 50 11 54 204 9.13 1.05
2007 30 17 7 2.94 0 6 1 211    195 74 69 15 71 178 7.59 1.25
2008 26 14 7 3.31 0 2 1 165.2 144 66 61 12 68 143 7.77 1.27
2009 28 13 12 3.57 0 4 2 189.1 180 80 75 19 69 188 8.94 1.31
2010 25 16 4 1.82 0 5 3 192.2 149 42 39 11 54 187 8.74 1.01
2011 24 11 7 3.36 0 3 0 126.0 101 54 47 12 39 128 9.14 1.11
通算:6年 163 89 43 2.83 1 26 8 1086.1 928 373 341 80 355 1028 8.52 1.18
  • 2011年度シーズン終了時
  • 太字はリーグ最高

[編集] タイトル

  • 最多勝利:1回(2006年)
  • 最優秀防御率:2回(2006年、2010年)
  • 最多奪三振:4回(2006年、2007年、2009-2010年)

[編集] 表彰

  • MVP:1回(2006年)
  • 新人王:1回(2006年)
  • ゴールデングラブ:2回(2006年、2010年)

[編集] 外部リンク

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