リリーフ
野球におけるリリーフ(relief)、救援、または継投とは、先発投手の降板後、他の投手が登板すること。
リリーフを担う投手を日本では「リリーフ投手」や「救援投手」、アメリカ合衆国(以下アメリカ)では「リリーバー(reliever)」などと呼び、その役割によって特別な名称が用いられる場合もある(#リリーフ投手の種類を参照)。
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概要 [編集]
リリーフ投手は、試合途中にブルペンで投球練習を行い、あらかじめ出番に備えたうえで登板する。チームによってベンチ入り登録されるリリーフ投手の人数は異なるが、日本プロ野球(以下NPB)の場合は6 - 8人ほどである。メジャーリーグベースボール(以下MLB)の場合は10人ほどがベンチ入りしている。先発投手が先発ローテーションに従い中4日以上の間隔を空けて登板するのに対し、リリーフ投手は数試合連続登板することも多い(登板記録に関しては登板#登板に関する記録を参照)。
NPBにおいては「中継ぎ降格」という表現が存在することからも読み取れるように、リリーフ投手を先発、あるいは抑え投手よりも一段劣った存在とみなし、先発ローテーションに入れない、あるいは先発で通用しなくなった投手がこなす役割であるという考え方があり、先発争いから脱落した投手が中継ぎに回っている例が散見される。また抑え(後述)投手が炎上しやすくなるなどして中継ぎに回されることもある。
またリリーフ投手の活躍は、規定投球回数を満たしにくいこともあって記録に表れにくく、勝利数や奪三振数などの主な投手記録で先発投手を上回ることは事実上不可能であることも、低い評価を受けてしまう一因である。しかし、「投手分業制」が浸透し、先発投手の完投が減少するに従い、優秀なリリーフ投手の存在がチームの勝率に与える影響は大きくなっていった。また後述するようにリリーフ投手を表彰する各種タイトルも制定されるようになり、その評価は徐々に高まっていった。
歴史 [編集]
MLB [編集]
フィラデルフィア・フィリーズ監督のエディ・ソイアーは投手のジム・コンスタンティーを1948年よりリリーフ専門で起用しはじめた。コンスタンティーは1950年に16勝7敗22セーブ、防御率2.66を記録する活躍を見せ、最優秀選手にも選ばれた。さらにフィリーズはこの年のナショナルリーグで優勝した。
こうしたリリーフ専門投手の登場により、MLBでは1960年に非公式ながら最も優秀な抑え投手を表彰するファイアマン賞が制定された。さらに1969年には最多セーブが公式タイトルに制定された。
1974年にはマイク・マーシャルが106試合登板・15勝21セーブの成績を残し、リリーフ投手として初めてサイ・ヤング賞を獲得した。
また、1976年にはローレイズ・リリーフマン賞、2005年にはDHL デリバリー・マン・オブ・ザ・イヤーという表彰がそれぞれ開始されていった。
1979年、ニューヨーク・ヤンキースは7、8回にロン・デービスを、9回にリッチ・ゴセージを登板させる継投パターンを確立した[1]。この年14勝を挙げたデービスはセットアップマンの先駆となり、1981年には中継ぎ投手として史上初めてMLBオールスターゲームに選出された[1]。
1986年にはジョン・デュワンとマイク・オドネルによってホールドという中継ぎ投手を評価するための指標が発明され、1999年から正式に集計が開始された。しかし、MLBの公式記録にはなっておらず、最多ホールドや最多ホールドポイントなどの公式表彰もされていない。
アメリカ野球殿堂入りを果たしているリリーフ投手は、1985年のホイト・ウィルヘルムを皮切りに、ローリー・フィンガーズ(1992年)、デニス・エカーズリー(2004年)、ブルース・スーター(2006年)、リッチ・ゴセージ(2008年)である。
日本プロ野球 [編集]
NPBにおけるリリーフ投手の草分けは、1965年に20勝を挙げ「8時半の男」の異名をとった巨人の宮田征典と、中日投手コーチの近藤貞雄が提唱した「投手分業制」を体現して1966年から2年連続でオールスターゲームに出場した中日の板東英二である。もっとも野口二郎、稲尾和久などの1960年代前半までの多くのエース投手は、先発とリリーフの両方で活躍していた。野口や稲尾を「リリーフ投手」と呼ぶことはまずないが、実質的にはその役割を果たしていた。
リリーフ投手の役割がさらに重視されるきっかけとなったのは、南海ホークス監督の野村克也が阪神タイガースのエース投手であった江夏豊をリリーフ投手に転向させ、成功したことである。江夏は阪神から南海に移籍した1977年に、野村の説得によって先発からリリーフに転向するや、19セーブを記録し最多セーブのタイトルを獲得した。野村がMLBの例を参考にして編み出したリリーフ独自の調整法を取り入れたことで、江夏は1979年には広島東洋カープで22セーブを挙げ、リリーフ投手として初めてMVPを獲得[2]した。江夏は長年リリーフ投手として活躍し続け、その後の投手起用法に影響を与えた。
NPBでは1974年に最多セーブが公式タイトルに制定され、1981年にはファイアマン賞が[3]、1996年からは最優秀中継ぎ投手賞が制定された。1998年には佐々木主浩もリリーフ投手として江夏、郭源治に次いで3人目のMVPに輝くと、2003年には日本プロ野球名球会規則が改定、通算250セーブ投手の入会が許可され、その時点で250セーブを達成していた佐々木(日米通算)と高津臣吾、2010年には岩瀬仁紀が入会した。
岡田彰布は阪神監督時代の2005年、JFKの3人(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)による継投策を考案し、同年のリーグ優勝など好成績を残した。以後、複数投手による継投策にニックネームをつけることが流行した。
リリーフ投手の種類 [編集]
抑え [編集]
試合の最終盤に味方がリードあるいは相手ときわめて伯仲している場面で、最後に投げる投手を「抑え(おさえ)」あるいは「クローザー」(英:closerまたはclosing pitcher)という。「ストッパー」(英:stopper)と言うこともある[4][5]。また、打たれ出して上がった火を大炎上前に消すという意味で「火消し」あるいは「ファイアマン」(英:fireman=消防士の意)と呼んだり[5]、日本では自チームのリードを最後まで守り抜くという意味で「守護神」と呼ぶこともある。
通常は3点以内のリードで、最終回の1イニング(もしくは裏の一死以後。それまでは先発や中継ぎが投げる。監督が先発に完投勝利を付けさせる場合は出番さえない事がある)を投げ、相手チームに追いつかれずに試合を終了させる役割を負う。相手の反撃を抑え、チームを勝利へ導くポジションである抑えはチーム内でもっとも信頼の高いリリーフ投手が任される役割である[6]。
通常、抑えに求められる適性は奪三振率の高さである。そのため佐々木主浩やマリアノ・リベラ、馬原孝浩のように球威のある速球と、大きく、鋭く変化する変化球を有する投手が起用されることが多い。その一方で、ダン・クイゼンベリーや高津臣吾、武田久のような軟投派の抑えも存在する。また、ピンチに動じない精神力も求められる[2]。
1試合あたりの出場イニング数が少ない一方、登板試合数が多くなりがちなため、スタミナよりも回復力と安定性、そして立ち上がりの良さが要求される。試合終盤には、例えば味方チームが8回裏に逆転したり、あるいは9回裏に追いつかれそうになるなどの緊急の起用をほぼ毎試合想定する必要がある。
チームの戦術によっては抑えの役割を1人に固定せず、2人以上の抑えを起用する場合がある。その場合は、登板間隔や相手打者が右か左かなどで誰が抑えを務めるかは変化し、日本では2人の場合は「ダブルストッパー(和製英語)」と呼び、アメリカでは2人以上の場合には「クローザーバイコミッティー」(closer by committee=委員会によるクローザー)と呼ぶ[4]。
評価の指標には、登板数、防御率、勝利数のほか、セーブが用いられる(かつてはセーブポイントという記録も存在した)。防御率に関しては、失点を許せない場面で起用されることが多いため、他の投手よりも低い数字が求められる。
中継ぎ [編集]
先発投手と抑えの投手の間を担当する投手を「中継ぎ(なかつぎ)」または、「ミドルリリーフピッチャー(middle relief pitcher)」と呼ぶ。抑えと違って味方がリードしている時だけでなく同点やリードされている場合にも登板する。特に実力のある中継ぎの事を「中継ぎエース」、「リリーフエース」と呼び、リードを許している時や勝ち負けに関係なく大量点差が開いた場面で登板する投手とは区別される。
評価の指標には登板数や防御率、勝利数のほか、ホールドやホールドポイントが用いられる(かつてはリリーフポイントという記録も存在した)。
セットアッパー [編集]
試合終盤のリード時、または同点時を中心に登板する中継ぎを日本では特に「セットアッパー(和製英語)」、アメリカでは「セットアップピッチャー(setup pitcher)」または「セットアップマン(setup man)」と呼ぶ。抑えが登板する一つ前の回(通常は8回)を投げ、抑えと同等の力を持つ投手が起用される[1]。
ワンポイントリリーフ [編集]
打者1人ないし2人など限定した場面で登板する投手を「ワンポイントリリーフ(和製英語)」または、「ショートリリーフ(short relief)」、「スポットリリーバー(spot reliever)」と呼ぶ。特に“左打者は左投手を打ちにくい”というセオリーに基づいて、しばしばピンチのときに左打者を抑えるために起用される左投げのワンポイントリリーフを日本では「左殺し」「左のスペシャリスト」、アメリカでは「シチュエーショナルレフティ(situational lefty)」「レフトハンドスペシャリスト(left handed specialist)」「LOOGY(left handed one out guy)」などと呼ぶ。NPBでこの役割の先駆けとなったのは1970年代後半から1980年代に西武などで活躍した永射保である。また、阪神の遠山奬志は松井秀喜に勝負強く、「松井キラー」と呼ばれた。当時の監督・野村克也は遠山をすぐに降板させず、右打者に強い葛西稔をマウンドに上げて遠山を一塁手に回し、右打者を抑えた後に登場する左打者に対し再度遠山を投手、一塁手を葛西に、という変則的な戦法を用いた事がある。
なお、ワンポイントリリーフの投球イニングは多くの場合1/3もしくは2/3イニングで、四死球や安打などで出塁を許した場合には0/3イニングで降板することも珍しくない。後続のリリーフ投手が被打し、出塁を許した走者が得点して負けた場合は敗戦投手となり、更に取られた点が自責点として加算され、防御率が跳ね上がってしまう。一方、交代前の投手が出塁を許した走者が得点しても自責点としては記録されず、負けても敗戦投手にはならないため、防御率や勝敗だけでワンポイントリリーフを評価することは難しい。
ロングリリーフ [編集]
試合序盤で先発投手が降板した場合などに登板し、概ね3イニング以上を投げ続けるリリーフ投手を特に「ロングリリーフ」と呼ぶ。
敗戦処理 [編集]
先発もしくは先に登板したリリーフが打ち込まれ、相手に大量のリードを許した時に登板するリリーフ投手のことを日本では「敗戦処理」、アメリカでは後始末をするという意味から「モップアップマン(mop up man)」と呼ぶ。
敗戦処理という言葉にも表れているように、ベンチが半ば試合をあきらめた場面で起用される。したがって、登板過多になりやすい中継ぎや抑えを温存するため、やや格の落ちる投手や、時には野手が起用される[7]。
プレッシャーのかからない状態で投げることができるので、若手投手のテストの場としたり、故障明けや登板間隔の開いた投手を調整目的で登板させることもある。敗戦処理であっても好投すれば、先発や接戦での中継ぎに起用されるようになる場合もあり、チームが逆転すれば、勝利投手になることもある。
しかし、千葉ロッテなどで監督を経験したボビー・バレンタインは、敗戦処理を若手投手に任せると打ちこまれて自信を喪失してしまう可能性を考慮し、もっぱらベテラン投手に敗戦処理を任せていた(小宮山悟がその代表格)。
脚注 [編集]
- ^ a b c 福島良一「セットアッパーって何?」『週刊ベースボール』第36号 (2010, p.33)
- ^ a b 「特集 決めろ!勝利の方程式」(2009)
- ^ 協賛企業であった損保ジャパンが業務見直しを理由に2002年度限りで撤退したため、同年を最後に廃止となった。
- ^ a b 伊藤 (2009)
- ^ a b 英語で「stopper」や「fireman」という表現が使われたのは1990年代頃まで。
- ^ 巨人のリリーフ投手・越智大祐は『週刊ベースボール』2009年6月15日号のインタビューにおいて「中継ぎだったら、僕が打たれたとしても、山口鉄也や豊田清さんに助けてもらえる場合があるけど、抑えは最後まで一人で投げきるしかない。(中略)やっぱり全然別物」と語っている。
- ^ 2012年5月6日のボストン・レッドソックス対ボルチモア・オリオールズ戦では、双方がリリーフを全員使い果たし、ついにオリオールズは内野手のクリス・デイビス、レッドソックスは外野手のダーネル・マクドナルドを登板させるという87年ぶり、メジャーリーグになってから初の珍事が起きた。試合は延長17回、9-6でオリオールズの勝ち。メジャー初!勝ち投手も負け投手も野手 日刊スポーツ2012年5月8日
参考文献 [編集]
- 「特集 決めろ!勝利の方程式」、『週刊ベースボール』第64巻第24号、ベースボールマガジン社、2009年6月。
- 伊藤茂樹「アメリカ野球雑学概論」、『週刊ベースボール』第65巻第54号、ベースボールマガジン社、2009年11月、 p.76。
- 「特集 最強ブルペン陣の醍醐味 喰らえ!必勝フルコース」、『週刊ベースボール』第65巻第36号、ベースボールマガジン社、2010年9月。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Treder, Steve Examining the Relief of Relieving - The Baseball Times