モンテ・ウォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
モンテ・ウォード
John Montgomery Ward
Monte Ward Baseball Card.jpg
モンテ・ウォードのベースボールカード
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ベルフォント
生年月日 1860年3月3日
没年月日 1925年3月4日(満65歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手内野手
初出場 1878年7月15日
最終出場 1894年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1964年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ジョン・モンゴメリ・"モンテ"・ウォード(John Montgomery "Monte" Ward、1860年3月3日 - 1925年3月4日) は、19世紀のメジャーリーグの選手。主なポジションは投手、後に遊撃手アメリカ合衆国ペンシルベニア州ベルフォント生まれ。右投げ左打ち。投手・内野手としての活躍だけでなく、初の選手組合の創設などにも関わった。

経歴[編集]

1878年~1883年[編集]

1878年にプロビデンス・グレイズに入団。最初は投手を務めていた。1年目に37試合に登板し、22勝13敗、リーグ最高の防御率1.51の成績を収める。翌1879年と1880年には70試合に登板、両年とも600イニングス近い投球回を投げ、グレイズの主力投手として活躍する。1879年は47勝19敗で最多勝利投手、奪三振も239でリーグ最多を記録。1880年は一時期監督も兼任していたが、39勝24敗で防御率は1点台だった。さらにこの年の6月17日には、後の300勝投手であるパッド・ガルヴィンと投げあい、MLB史上2人目となる完全試合を達成している。

ウォードはニューヨーク・ゴサムズに移った1883年まで主に投手・外野手として活躍し、この年と翌年の投球ルール改定(下手投げルールの撤廃)を期に内野手に転向した。通算防御率2.10は、MLB歴代4位に相当する。

1884年~1894年[編集]

1884年は自身二度目の選手兼任監督を務め、主にショートのポジションを守っていた。1887年に自己最高となる打率.338を記録、また同じ年に111もの盗塁をきめて盗塁王となる。盗塁記録が残っている1886年以降は、引退するまで9年続けて30盗塁以上をあげていた。また1892年にも、88盗塁を記録し2度目の盗塁王になっている。

選手組合と新リーグの創設[編集]

当時ナショナルリーグの球団オーナー達が行っていた、選手への度重なる給料抑制に対抗すべく、ウォードは選手組合の必要性をよびかけ、1885年に選手組合 (The Brotherhood of Professional Baseball Players) を組織する。しかしさらに給与制限策をすすめようとする球団オーナー側に対し、ウォードは1889年11月、30人ほどの代表の選手達とニューヨークで話し合いを持ち、「プレイヤーズ・リーグ」の設立と選手の参加を了承した。代表の選手達は他の選手の勧誘を行い、最終的にはナショナルリーグの8割の選手を引き抜くことに成功する。

1890年にプレイヤーズ・リーグは開幕したが、ナショナルリーグ側が選手達により高給の条件を提示して逆に選手を引き抜き、結局リーグは1年運営されただけだった。

引退後[編集]

ウォードは1894年に34歳で現役を引退して法律の専門課程に入った。1909年にはナショナルリーグ会長に就任する予定があったそうだが、アメリカンリーグ側のバン・ジョンソンやチャールズ・コミスキーらの反対がありこれは実現しなかった。その後1912年にボストン・ブレーブス(現・アトランタ・ブレーブス)の球団経営に参画、また1914年と1915年に運営されたフェデラル・リーグにも関わり、ブルックリン・ティップトップスのビジネスマネージャーを務めたこともあった[1]

1925年にジョージア州オーガスタで死去。1964年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。

































O
P
S
1825 7647 2104 231 96 26 1408 867 540* 326 420 17* 20* .275 .314 .341 .655

投手成績[編集]






























W
H
I
P
292 261 2461.2 164 24 102 3 920 2317 26 253 144 575 2.10 1.04

獲得タイトル・記録[編集]

打撃部門
  • 盗塁王:2回 (1887年、1892年)
  • シーズン盗塁数:111(1887年、歴代3位)
投手部門

監督としての戦績[編集]



















1880 PRO NL 32 18 13 .581 2位 6月1日7月24日
1884 NYG 16 6 8 .429 4位 9月23日
1890 BRW PL 133 76 56 .576 2位
1891 BRO NL 137 61 76 .445 6位
1892 158 95 59 .617 3位
1893 NYG 136 68 64 .515 5位
1894 139 88 44 .667 2位
通算成績 751 412 320 .563

脚注[編集]

  1. ^ Simply Baseball Notebook”. 2004年8月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年10月30日閲覧。

出典・外部リンク[編集]