フアン・マリシャル
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | モンテ・クリスティ州ラグナ・ヴェルデ |
| 生年月日 | 1937年10月20日(75歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1957年 |
| 初出場 | 1960年7月19日 |
| 最終出場 | 1975年4月16日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 1983年 |
| 得票率 | 83.69% |
| 選出方法 | BBWAA[1]選出 |
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この表について
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フアン・アントニオ・マリシャル(Juan Antonio Marichal, 1937年10月20日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。ドミニカ共和国モンテ・クリスティ州ラグナ・ヴェルデ出身。ニックネームは「Manito」,「Dominican Dandy」,「Mar」。
目次 |
[編集] 経歴
1957年にニューヨーク・ジャイアンツと契約。1958年にチームはサンフランシスコに移転。1960年7月19日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で史上2人目のドミニカ共和国出身の投手[1]としてメジャーデビューし、1安打12奪三振で完封勝利。同年は6勝2敗・防御率2.66の成績。1961年は途中7連勝を記録するなど13勝10敗。1962年は初の開幕投手を務め、オールスターゲームにも初めて選出されるなど18勝11敗・防御率3.36を記録。チームはロサンゼルス・ドジャースと熾烈な優勝争いを演じ、残り7試合の時点で4ゲーム差を付けられるがその後同率で並び、3試合制のプレイオフにもつれ込む。最終戦に先発して勝敗は付かなかったがチームは勝利し、2勝1敗で移転後初のリーグ優勝を果たす。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第4戦に先発し、4回無失点で降板。チームは3勝4敗で敗退した。
1963年は5月15日から9連勝を記録。6月15日のヒューストン・コルト45's戦ではノーヒットノーランを達成。7月2日のミルウォーキー・ブレーヴス戦でウォーレン・スパーンと投げ合い、両チーム無得点のまま延長16回まで進み、16回裏にウィリー・メイズがスパーンからサヨナラ本塁打を放ち完封勝利を挙げた。サンディ・コーファックスと並ぶリーグ最多の25勝(8敗)・防御率2.41、リーグトップの321.1イニングを記録し、最多勝のタイトルを獲得。1964年は開幕から6連勝。8月に故障者リスト入りするものの21勝8敗・防御率2.48、リーグ最多の22完投を記録した。1965年は前半戦で14勝7敗・防御率1.55・7完封を記録。オールスターゲームでは先発投手を務め、3回無失点でMVPに選出された。8月22日のドジャース戦でライバルのコーファックスと対戦。打席に立った際にドジャースの捕手ジョン・ローズボロがマリシャルの頭部をかすめるように返球し、これに激高してローズボロの頭部をバットで殴打して乱闘となり、退場処分。リーグから9日間の出場停止と1,750ドルの罰金を科されが「1750日間の出場停止にすべき」との声もあった。最終的に22勝13敗・防御率2.13、リーグトップの10完封を記録。チームは9月4日から14連勝を記録しドジャースとの差を4.5ゲームまで広げるが、ドジャースが9月16日から13連勝して抜き去られ、2ゲーム差でリーグ優勝を逃した。1966年は開幕から5月終了まで4完封を含む10連勝・防御率0.80と絶好のスタートを切り、5月にプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞。25勝6敗・防御率2.23、リーグトップのWHIP0.86を記録した。1967年は開幕から3連敗するが直後から8連勝を記録し、オールスターゲームでは2度目の先発投手を務めた。しかし8月に故障で離脱し、14勝10敗とやや不本意な成績に終わる。1968年は投球内容は今一つながら5月11日から10連勝。被安打295はリーグワーストながら26勝9敗・防御率2.43、共にリーグ最多の325.2イニング・30完投を記録し2度目の最多勝のタイトルを獲得した。1969年は21勝11敗・防御率2.10、リーグ最多の8完封で最優秀防御率のタイトルを獲得。
1970年は故障で出遅れ、復帰後も精彩を欠いて12勝・防御率4.12に終わる。1971年は18勝を挙げてチームの地区優勝に貢献。ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し2失点完投と好投するが敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退。1972年は開幕戦勝利の後8連敗を喫し、防御率3.71ながら6勝16敗と大きく負け越す。1973年は8月以降2勝9敗で11勝15敗に終わり、12月7日にボストン・レッドソックスに移籍。
1974年は11試合の登板で5勝に終わり、10月24日に解雇。1975年3月15日に因縁のドジャースと契約するが2試合に先発して防御率13.50と結果を残せず、同年限りで現役引退。戦後にデビューした投手でシーズン25勝以上を3回記録したのは他にコーファックスのみだが、同時期にコーファックスやドン・ドライスデール、ボブ・ギブソン、トム・シーヴァー、スティーヴ・カールトンらの大投手がいたこともあり、サイ・ヤング賞のタイトルには縁がなかった。
1983年にドミニカ共和国出身の選手としては初めての野球殿堂入りを果たす。1990年に背番号「27」がジャイアンツの永久欠番となった。2005年、ジャイアンツの本拠地AT&Tパークに左足を高く上げた豪快な投球フォームの銅像が建てられ、オークランド・アスレティックス戦の試合前に披露された。
[編集] エピソード
- 先述の乱闘で、ローズボロから訴訟を起こされたが示談で落ち着く。両者はその後親友となり、乱闘シーンの写真にそれぞれサインを入れたりしていた。事件によるネガティヴな印象の影響からか殿堂入りがなかなか決まらなかった際も、ローズボロは「あの事件が殿堂入りを妨げているのだとしたら、それは間違っている」と殿堂入りを後押しする発言をした。
- シンシナティ・レッズで活躍したホゼ・リーホは娘婿で、1990年に自身が経験できなかったワールドチャンピオンとなり、シリーズMVPを獲得した。
[編集] 獲得タイトル・表彰・記録
- 最多勝 2回:1963年, 1968年
- 最優秀防御率 1回:1969年
- MLBオールスターゲーム選出 9回:1962年 - 1969年, 1971年
- オールスターMVP 1回:1965年
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス 1回:1966年5月
- ノーヒットノーラン 1回:1963年6月15日
- アメリカ野球殿堂入り:1983年
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960 | SF | 11 | 11 | 6 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | -- | .750 | 328 | 81.1 | 59 | 5 | 28 | 1 | 0 | 58 | 3 | 2 | 29 | 24 | 2.66 | 1.07 |
| 1961 | 29 | 27 | 9 | 3 | 2 | 13 | 10 | 0 | -- | .565 | 769 | 185.0 | 183 | 24 | 48 | 5 | 2 | 124 | 7 | 1 | 88 | 80 | 3.89 | 1.25 | |
| 1962 | 37 | 36 | 18 | 3 | 2 | 18 | 11 | 1 | -- | .621 | 1101 | 262.2 | 233 | 34 | 90 | 5 | 3 | 153 | 3 | 1 | 112 | 98 | 3.36 | 1.23 | |
| 1963 | 41 | 40 | 18 | 5 | 4 | 25 | 8 | 0 | -- | .758 | 1270 | 321.1 | 259 | 27 | 61 | 6 | 2 | 248 | 2 | 3 | 102 | 86 | 2.41 | 1.00 | |
| 1964 | 33 | 33 | 22 | 4 | 8 | 21 | 8 | 0 | -- | .724 | 1089 | 269.0 | 241 | 18 | 52 | 8 | 1 | 206 | 4 | 2 | 89 | 74 | 2.48 | 1.09 | |
| 1965 | 39 | 37 | 24 | 10 | 6 | 22 | 13 | 1 | -- | .629 | 1153 | 295.1 | 224 | 27 | 46 | 4 | 4 | 240 | 2 | 0 | 78 | 70 | 2.13 | 0.91 | |
| 1966 | 37 | 36 | 25 | 4 | 7 | 25 | 6 | 0 | -- | .806 | 1180 | 307.1 | 228 | 32 | 36 | 3 | 5 | 222 | 3 | 0 | 88 | 76 | 2.23 | 0.86 | |
| 1967 | 26 | 26 | 18 | 2 | 3 | 14 | 10 | 0 | -- | .583 | 839 | 202.1 | 195 | 20 | 42 | 9 | 1 | 166 | 0 | 0 | 79 | 62 | 2.76 | 1.17 | |
| 1968 | 38 | 38 | 30 | 5 | 7 | 26 | 9 | 0 | -- | .743 | 1307 | 326.0 | 295 | 21 | 46 | 9 | 6 | 218 | 8 | 2 | 106 | 88 | 2.43 | 1.05 | |
| 1969 | 37 | 36 | 27 | 8 | 3 | 21 | 11 | 0 | -- | .656 | 1176 | 299.2 | 244 | 15 | 54 | 7 | 6 | 205 | 5 | 2 | 90 | 70 | 2.10 | 0.99 | |
| 1970 | 34 | 33 | 14 | 1 | 0 | 12 | 10 | 0 | -- | .545 | 1035 | 242.2 | 269 | 28 | 48 | 3 | 1 | 123 | 4 | 0 | 128 | 111 | 4.12 | 1.31 | |
| 1971 | 37 | 37 | 18 | 4 | 6 | 18 | 11 | 0 | -- | .621 | 1124 | 279.0 | 244 | 27 | 56 | 6 | 3 | 159 | 6 | 1 | 113 | 91 | 2.94 | 1.08 | |
| 1972 | 25 | 24 | 6 | 0 | 0 | 6 | 16 | 0 | -- | .273 | 699 | 165.0 | 176 | 15 | 46 | 7 | 3 | 72 | 2 | 0 | 82 | 68 | 3.71 | 1.35 | |
| 1973 | 34 | 32 | 9 | 2 | 3 | 11 | 15 | 0 | -- | .423 | 888 | 207.1 | 231 | 22 | 37 | 7 | 1 | 87 | 2 | 3 | 104 | 88 | 3.82 | 1.29 | |
| 1974 | BOS | 11 | 9 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | -- | .833 | 244 | 57.1 | 61 | 3 | 14 | 1 | 2 | 21 | 0 | 2 | 32 | 31 | 4.87 | 1.31 |
| 1975 | LAD | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 34 | 6.0 | 11 | 2 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 9 | 9 | 13.50 | 2.67 |
| 通算:16年 | 471 | 457 | 244 | 52 | 51 | 243 | 142 | 2 | -- | .631 | 14236 | 3507.1 | 3153 | 320 | 709 | 82 | 40 | 2303 | 51 | 20 | 1329 | 1126 | 2.89 | 1.10 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 脚注
- ^ 1人目のルディ・ヘルナンデス(ワシントン・セネターズ)はこの16日前に初登板を果たしており、わずかな差で1人目を逃した。
[編集] 外部リンク
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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