黒田博樹

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黒田 博樹
Hiroki Kuroda
フリーエージェント(FA)
Hiroki Kuroda on May 22, 2013.jpg
ヤンキース時代(2013年5月22日、カムデン・ヤーズにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市住之江区
生年月日 1975年2月10日(39歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 NPB / 1997年4月25日
MLB / 2008年4月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2004年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手投手)。現在は、フリーエージェントである。

父は元プロ野球選手の黒田一博

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

父・黒田一博が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江で活躍。上宮高から東都専修大学へ進学。上宮高では控え投手だったが、大学では力をつけエースに君臨。チームは4年生春から東都大学1部リーグに昇格する。同年から大学野球でのスピードガン場内表示が始まった神宮球場において、大学生で初めて球速150km/hを計時した。1部リーグ通算6勝4敗。

広島時代[編集]

広島時代(2004年)

1996年ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。

1997年、4月25日の対読売ジャイアンツ戦にて初登板・初先発・初勝利・初完投の快挙を達成。その後も同じ新人の澤崎俊和と共に先発ローテーションに入り、勝ち星こそ伸びず負けが先行したが規定投球回をクリアした。

1998年、2年目のジンクスにハマりわずか1勝で終わる。

1999年シドニーで行われたインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し韓国戦で勝利、台湾戦で完封勝利を収める。同年、カープの先発ローテに名を連ねる。

若い頃はスピードはあるものの制球難で、好投したかと思えば次の登板で初回5失点するなど好不調の波が激しく、成績も不安定であったが、2000年9月20日の巨人戦から閉幕まで4連続完投勝利を挙げ、一本立ちを果たす。

2001年オールスターゲームに初出場。初の二桁12勝をマークしチームの勝ち頭になる。

2002年、途中先発ローテーションから外れたが、2年連続二桁勝利を達成。

2003年、それまでのエース・佐々岡真司に代わって初の開幕投手となる。前半は不調で勝てない時期が続いたが、後半から本来の調子を取り戻し、最終的に13勝を挙げ3年連続2ケタ勝利を達成し、アテネオリンピック野球アジア予選にも出場。

2004年、6月20日に自己最速の157km/hを記録。アテネオリンピックでは野球日本代表に選出され中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得に貢献。

2005年、4月15日の横浜戦で三浦大輔と互いに完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けた。オールスターゲームにファン投票で選出され4年ぶりの出場を果たし、リーグ最多勝利で初タイトルを獲得。タイトル料込みで年俸2億円に達する。

2006年の国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に選出されるも、2月24日の12球団選抜との練習試合で打球を右手に受け負傷。出場辞退を余儀なくされる。5月31日にFA権を取得。本人は「これを機に他球団の評価も聞いてみたい」と語った。6月まで5勝6敗、防御率、WHIP1.11と安定した投球を続け、オールスターゲーム出場直前の7月2日の中日戦からは負け無しの8連勝を記録。7月は4勝0敗、防御率0.84、WHIP0.78の活躍で月間MVPをチームメイトの栗原健太と共に受賞。更に8月も続けて4勝0敗、防御率1.11、WHIP0.86の活躍で月間MVPを連続受賞。球団史上初の2ヶ月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープの歴史に名前を残せて嬉しい」と発言した。しかし、9月には右ひじを痛めて長期離脱。10月16日の中日戦で救援で復帰登板、プロ初セーブを記録した。この年、13勝6敗1セーブ、WHIP1.00、防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。1点台でのタイトル獲得は1992年赤堀元之以来、セ・リーグでは1989年斎藤雅樹以来の快挙となった。また、テンポの良い投球を評価されてスピードアップ賞を受賞。シーズン終盤、FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、ファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に突如現れた巨大横断幕である。それには多くのファンからのメッセージ、そして大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。更にシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、後に「あのファンの気持ちは大きかった」と述べた。この一連のエピソードは翌年7月に『誰がために〜黒田博樹物語〜』(漫画:吉原基貴、原案協力・取材:戸塚啓)として漫画化され、ヤングアニマル白泉社)に掲載された。オフには監督のマーティ・ブラウンの奨めで渡米し右肘関節のクリーニング手術(数か月で投球可能となる軽い手術)を行った。

FA権取得に伴い、10月15日に球団から「4年10億円+生涯保障、指導者手形」という条件を提示される。そして11月6日に4年12億円(基本年俸2億5000万円+単年最大5000万円の出来高込。当初の条件に出来高を上乗せしている)でFA権を行使せずに残留することを表明。「今後も国内他球団の移籍はない」と明言し、国内なら「生涯広島」を宣言した。なおこの契約は、4年の契約期間内で自由にメジャーリーグ挑戦できるようになっていた。FA権を行使せずに残留を決めたこと、残留会見での「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」、「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」と発言した。また、この年の選手会のベストエピソード賞に選ばれ、黒田の野球用具を担当するSSKは、社を挙げて黒田をキャンペーンすることを決定した。そして市民に感動を与えたことが評価され、広島市は「広島市民表彰」を黒田に授与すると発表した(球団4人目)。

2007年も開幕投手となり、長谷川良平以来球団2人目の5年連続開幕投手となる。またデーゲームは大の得意で、6月3日の楽天戦では2003年7月6日からのデーゲーム13連勝を記録した。7月14日の東京ドームでの巨人戦にて通算100勝を達成した(ちなみにプロ初勝利も東京ドームでの巨人戦だった)。オールスターゲームに2度目のファン投票選出で4度目の出場。例年夏場を得意としていたが、この年の8月からはクオリティ・スタートすら守れない試合が続き、8月と9月は2勝3敗、防御率4.58、WHIP1.48を喫した。

10月18日にFA権を行使する事を明らかにした。MLB球団は以前から黒田に目を付けており、特にテキサス・レンジャーズゼネラル・マネージャージョン・ダニエルズが興味を示した発言をしていた。ジョー・アーボンスティーブ・ヒラードと代理人契約を結び、12月1日に球団本部長の鈴木清明メジャー挑戦を決断したことを報告[1]。記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」とも語った。

12月15日、ロサンゼルス・ドジャースと3年3530万ドルで契約を結んだことをAP通信が明らかにした[2][3]。これにより、カープ初の日本人メジャーリーガー誕生となった。背番号は18だったが、会見場では08番を着けた。これはユニフォームが間に合わなかったためであり、同年にドジャースとマイナー契約したロバート・ブースが先に背番号08番を着けていた。ドジャースから当初提示された条件は4年契約だったが、「ワクワクする気持ちはほとんど湧いてこなかった。戦地に行くつもりでアメリカに行く。4年間もそんな苦しいことはできない。『苦しい時間』が短い方が自分は頑張れる。3年間できちんとした成績を残せれば、4年目に同等かそれ以上の契約を交わせるはずだ」として契約年数短縮を自ら申し出た[4]

ドジャース時代[編集]

ドジャース時代(2011年)

2008年4月4日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューし、初勝利[5]。5月21日のシンシナティ・レッズ戦では8回を5安打2失点に抑え、9回には斎藤隆が無安打無失点で抑え勝利し、日本人史上初の同試合での先発勝利とセーブ達成を記録[6]。27日のシカゴ・カブス戦では福留孝介とメジャー初対戦する[7]。6月6日のカブス戦では9回4安打無失点11奪三振無四球の快投でメジャー初完封を記録[8]。しかし19日に右肩腱炎で故障者リスト入り[9]。7月2日のヒューストン・アストロズ戦で復帰し[10]、7日のアトランタ・ブレーブス戦では7回終了時点まで完全試合の9回1安打無失点で完封勝利を挙げ、最終的にも走者は8回に出した1人しか許さなかった[11]。新人投手が8回途中まで完全試合を続けるのは、1984年オーレル・ハーシュハイザー以来初めて[12]で、完全試合を達成していれば、サンディ・コーファックスに次ぐドジャース史上2人目、日本人メジャー初の快挙となっていた[13]。前半戦は17試合の先発で5勝6敗、防御率3.43、WHIP1.20の成績で折り返し、後半戦初戦となった18日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦に先発するも2回6失点を喫し降板[14]。その後も監督のジョー・トーリから「どちらが本当の彼なのか」と言われるなど好不調の激しい登板を繰り返したが[15]、8月からは11試合の先発で4勝2敗、防御率2.56、WHIP1.03と好投。シーズン通算では防御率とWHIP、クオリティ・スタートでリーグ20傑に入り、FIPではリーグ9位の3.59を記録する。

ポストシーズンではカブスとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、6回1/3を6安打無失点の好投で勝利投手となり、リーグチャンピオンシップシリーズに進出[16]フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、6回0/3を5安打2失点の投球で勝利投手となる[17]。この試合でシェーン・ビクトリーノの頭部付近への投球が騒動となり罰金が科せられた[18]。チームは第5戦で敗退[19]。オフには翌年の第2回WBC日本代表の第一次候補に挙げられたが辞退する[20]

2009年野茂英雄松坂大輔に次いで日本人史上3人目の開幕投手として4月6日のパドレス戦に先発し、5回2/3を4安打1失点の投球で白星を挙げる[21]。しかし直後に左脇腹を痛めて10日に故障者リスト入りする[22]。6月1日のダイヤモンドバックス戦で復帰し[23]、23日のシカゴ・ホワイトソックス戦で復帰後初勝利を挙げる[24]。28日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対戦[25]。7月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では登板間隔の関係からメジャー初の救援登板したが、1回1/3を投げ2安打3失点を喫した[26]。前半戦はWHIP1.14と安定した投球を続けるも3勝5敗、防御率4.67を喫する。8月16日のダイヤモンドバックス戦ではラスティ・ライアルの打球を頭部に受け故障者リスト入りする[27][28]。9月6日のパドレス戦で復帰し[29]、最終的に規定投球回には達しなかったが、後半戦は5勝2敗、防御率2.98、WHIP1.13と好投を続け、チームは2年連続の地区優勝を果たす[30]

ポストシーズンでは首痛でセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは登録を外れ[31]、フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズで第3戦に先発するが、1回1/3を6失点で降板[32]。チームは前年に続き第5戦で敗退した[33]

2010年、4月9日のフロリダ・マーリンズ戦で初登板し、8回5安打1失点の好投で3年連続初登板勝利を記録[34]。5月2日のピッツバーグ・パイレーツ戦では岩村明憲とメジャー初対戦し、8回5安打1失点の投球で、メジャー通算20勝となる3勝目を挙げる[35]。前半戦は17試合の先発で7勝7敗、防御率3.87、WHIP1.37の成績で折り返す。7月22日のニューヨーク・メッツ戦では高橋尚成と投げ合い、8回5安打無失点の好投で8勝目を挙げる[36]。その後は好投するも打線の援護に恵まれない試合が続き[37][38][39]、8月25日のブルワーズ戦で6試合ぶりの白星を挙げる[40]。30日のフィリーズ戦では8回1死までノーヒットノーランの快投を見せ、メジャー移籍後初の10勝目に到達[41]。後半戦は14試合の先発で防御率2.87、WHIP0.93と好調だったが、「勝ち負けは(自分では)どうすることもできないって、今年はつくづく感じている」と語る[42]ほど好投するも打線の援護に恵まれない試合が多く[43]、4勝6敗に留まったが、シーズン通算では11勝、防御率3.39、投球回数196回1/3、奪三振数159と主要カテゴリーでメジャー自己最高の成績を記録した。

オフにはドジャースとの契約が終了しFAとなる。ESPNが作成したFA選手ランクリストでデレク・ジーターを上回るベスト30に入り「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と高評価を受け、複数球団が獲得を目指し去就が注目された。一部報道で古巣広島へ復帰の可能性も報じられ、日本の球団も獲得に動いたが、11月15日に1年1200万ドルでドジャースと再契約[44][45]。その後記者会見では「ドジャースが必要としてくれるなら第一に考えたかった」と語り[46]、自身のブログでは広島への復帰報道について謝罪し「日本に復帰するならカープしか考えていなかった」と改めて明言した[47]

2011年スプリングトレーニングでは東日本大震災の募金活動に参加し[48]、自身も5万ドルを寄付した[49]。4月3日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で初登板し、7回を6安打3失点の投球で4年連続の初登板勝利を挙げる[50]。9日のパドレス戦では9回2死まで無失点の好投でメジャー通算30勝となる2勝目を挙げる[51]。しかしその後は6月までの9敗中6試合でクオリティ・スタートを記録するなど好投しても打線の援護に恵まれない試合が続き、7月1日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー通算100先発を達成し、8試合ぶりの白星を挙げる[52]。前半戦は18試合の登板で6勝10敗、防御率3.06、WHIP1.22と過去最高の成績で折り返し、7月までポストシーズン進出を目指す複数の球団がトレードでの黒田の獲得を目指していることが盛んに報じられたが、トレード期限前の7月30日にトレード拒否権を行使して残留。「プレーオフの魅力はあったし葛藤はあった。昨年契約した時ドジャースでやると決めたし、その原点に戻りました」とコメントする[53]。8月26日のカージナルス戦で2年連続の二桁勝利となる10勝目を挙げ[54]、8月は5勝を挙げる[55]。9月11日のジャイアンツ戦では4回2/3を投げ3失点で、日本人選手ワースト記録となる16敗目を喫する[56]。16日のパイレーツ戦ではメジャー通算40勝目となる自己最多の12勝目を挙げ[57]、27日のダイヤモンドバックス戦でメジャー移籍後初の200イニングにも到達[58]。後半戦も14試合の登板で7勝6敗、防御率3.09、WHIP1.20と安定した投球を続け、前年に引き続き得点援護率がリーグワースト2位を記録するなど打線の援護に恵まれず、シーズン通算では16敗を喫したものの13勝とリーグ9位の防御率3.07、161奪三振と主要3部門で2年連続キャリアハイを更新した。

ヤンキース時代[編集]

2012年1月13日にニューヨーク・ヤンキースと契約合意し[59]、26日に1年1500万ドルで契約を結んだ[60]。4月13日のエンゼルス戦で移籍後初勝利を挙げる[61]。24日のテキサス・レンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、6回2/3を5安打2失点に抑えるも3敗目を喫した。6月13日のブレーブス戦では日米通算150勝を達成。17試合の登板で8勝7敗、防御率3.50、WHIP1.26の成績で前半戦を終える。7月18日のトロント・ブルージェイズ戦では、野茂英雄大家友和に次いで日本人史上3人目となるメジャー通算50勝を達成[62]。試合は7回雨天コールドのため、記録上完封勝利となった。23日のシアトル・マリナーズ戦では、この日トレードでヤンキースに移籍したイチローと共に先発出場し、7回を3安打1失点9奪三振の好投で野茂英雄以来日本人選手史上2人目となる3年連続の10勝目を挙げる[63]。8月14日のレンジャーズ戦では、日本人選手単独2位のメジャー通算52勝目となるシーズン2度目の完封勝利を挙げ、監督のジョー・ジラルディに「今季の投手陣の中で最高の投球内容だった」と絶賛された[64]。9月16日のタンパベイ・レイズ戦ではメジャー移籍後自己最多の14勝目を挙げ、2年連続の200投球回にも到達した[65]。レギュラーシーズン最終戦となった10月4日のボストン・レッドソックス戦では松坂大輔と投げ合い、7回7安打2失点の投球でプロ入り後キャリアハイとなる16勝目を挙げ、チームも地区優勝を決めた[66][67]。また、防御率3.32はヤンキース先発陣のトップ。投球回219回2/3はリーグ4位。勝率.593はメジャー自己ベストであった。

ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、ポストシーズンでの日本人選手最長となる8回1/3を5安打2失点の投球でチームの勝利に貢献[68][69]デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは中3日で先発登板し、5回まで走者を出さず、7回2/3を5安打3失点、ポストシーズンでの日本人選手最多となる11奪三振の好投を見せるも黒星を喫し[70]、チームは第4戦で敗退した[71]。11月20日に1年1500万ドルで再契約に合意した[72]

2013年、6月7日のシアトル・マリナーズ戦で日米通算2000奪三振を達成[73]。19日のロサンゼルス・ドジャース戦では、6回2/3を8安打2失点の投球で7勝目を挙げ、ナショナル・リーグ全球団からの勝利を達成した[74]。前半戦を19試合の先発で8勝6敗、リーグ2位の防御率2.65、WHIP1.05の成績で折り返し、オールスター代替出場選手の最終候補にも名前が挙がったが、選出は逃した[75]。7月25日のレンジャーズ戦で7回6安打無失点の好投で10勝目を挙げ、日本人選手最多記録となる4年連続二桁勝利を達成[76]。8月11日のエンゼルス戦で11勝目を挙げ[77]、17日のレッドソックス戦ではメジャー移籍後自己ワーストの11被安打で8敗目を喫するも防御率リーグトップとなる[78]。しかしその後は制球を乱し[79]後半戦は13試合の先発で防御率4.25、WHIP1.32の成績を喫し、さらに勝利投手の権利を有して降板した際も3度のセーブ失敗に遭うなどもあり[80]、後半戦の勝敗は3勝7敗に終わり、チームもポストシーズン進出を逃した。10月31日にFAとなり、12月6日に年俸1600万ドル+出来高の1年契約での再契約に合意したことが報じられ[81][82]、12月7日に正式発表された[83]

2014年、4月25日のエンゼルス戦で自己ワーストの8失点を記録するなど[84]5月までは防御率4.56、WHIP1.32を喫する。7月初旬にはCC・サバシア田中将大の故障者リスト入りにより、開幕から先発ローテーションを守る唯一の投手となり、前半戦は19試合の先発で6勝6敗、防御率4.10、WHIP1.21の成績で折り返す。7月25日のブルージェイズ戦で日本人史上2人目のメジャー通算200先発に到達[85]。30日のレンジャーズ戦では黒田と入れ替わりで広島に所属していたコルビー・ルイスと投げ合うが黒星を喫し[86]QS達成での敗戦数が現役選手最多の30敗となった[87]。8月25日には広島市の土砂災害の被災者への義援金を送ったことを発表[88]。28日のデトロイト・タイガース戦で日本人選手では野茂英雄以来の5年連続規定投球回に到達[89]。9月3日のレッドソックス戦では前年の自らの記録を更新する5年連続二桁勝利に到達[90]。14日のオリオールズ戦では日米通算3000投球回に到達[91]。シーズン最終登板となった25日のオリオールズ戦では8回2失点と好投するが、9回にデビッド・ロバートソンが同点打を許し勝ち星を逃す[92]。この試合では監督のジョー・ジラルディから9回の続投を勧められていたが、デレク・ジーターの現役最後のホームゲームだったことから「今日は僕の日じゃないので」と断ったという[93]。チームは2年連続でポストシーズン出場を逃したが、後半戦は13試合の先発で5勝3敗、防御率3.16、WHIP1.03の成績を残し、チームの先発投手で唯一開幕から先発ローテーションを守った[94]。日本人初のMLB全30球団勝利は持ち越した[95]シーズン終了後FAとなった [96]。11勝は田中の13勝に次ぐチーム2位、奪三振数はチームトップの146だったが、ヤンキースはFA選手に対して1年契約を提示するクオリファイング・オファーを申請せず[97]、その後古巣のドジャースがオファーを提示したことが明らかになった[98]

選手としての特徴[編集]

黒田の投球フォーム(2010年)

通算500イニング以上の両リーグの現役先発投手中8位となる通算与四球率2.06と安定した制球力を誇り、スリークォーターから平均球速92.0mph(約148.1km/h)、最速157km/hを計測した速球(高速シンカー、フォーシーム)と平均球速約87mph(約140km/h)のフォークスプリッター)、平均球速約84mph(約135km/h)のスライダーを武器にする本格派右腕で、稀にカーブカットボールも投げ分ける[99][100]。中でもスライダーとフォークはメジャーでも高い評価を得ており[101]、特にフォークはダン・ヘイレンのスプリッターと共に「現役最高のスプリッター」と評されている[102]

メジャー移籍前後で投球スタイルを変えており、広島時代にはフォーシームを主体としていたが、ドジャースに移籍する数年前から「ツーシーム系を内に、スライダー系を外に、フォークで高低をつける。打者が狙っている球を投げ、打たせて取ることが理想」という理想図を描き、移籍後はフォーシームをほとんど投げずツーシーム系主体の投球となった[103]。そのため広島時代に投げていた最速150km/hを越えることもあるシュートを、右打者の膝元に沈ませる速球・シンカーに進化させたという[4]。その他、スライダーに関しても2008年のシーズン序盤に痛打を浴びる事が多かったために握りを変えたという[104]

広島時代には完投数リーグ1位の年が6度もあるタフネスぶりから「ミスター完投」の異名を持った一方で[105]、完封数は年に1回程度。11年間で74完投を記録したが、完封に関しては14回に留まった。黒田自身も完投にこだわりを持っていたが、メジャーでプレーするようになってからは「いくら1試合を完封しても、次の登板でノックアウトを喫してしまってはチームにとって意味がない。それよりも7回、7回を連続してきっちり投げた方がチームへの貢献度が高くなる。この場所で完投にこだわることは自己満足に過ぎない」と思うようになったという[4]

OBからの評価も高く、江川卓は自著で「調子がいい時の彼のストレートは、ど真ん中に放っても打たれない」、中日ドラゴンズ監督だった落合博満は「今日(2006年7月2日、3安打完封)の黒田は俺が現役の時でも打てない。だからうちの選手が打てる訳がない」と絶賛された[106]

フィールディングの評価も高く、2008年には35のアシストを記録した[99]。1999年の甲子園での阪神戦では満塁で決勝のセーフティバントを成功させたことがある一方、打撃は苦手で連続無安打の記録を作ったこともあり、2010年に開幕から39打席無安打を続けた際には地元紙から「いくらピッチャーでもひどい」と言われた[107]

上記のように高い評価を得る一方で、好投した試合での打線の援護に恵まれないことで有名であり[108]、先述した通りドジャース時代には毎年のように好投しながらも援護に恵まれず、監督のジョー・トーリからも同情されていた他、ESPNからも「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と指摘され、2006年の広島時代には最優秀防御率でありながら援護率で最下位を記録している[109]。ヤンキース移籍後も他のローテーションピッチャーと比べて好投した試合での援護が著しく少なく、メディアから「黒田は弁護士を雇ってチームメイトを無援護で訴えるべきだ」と書かれたこともあった[110]

人物[編集]

  • 両親をガンで失ったため、癌の研究や啓発を行う活動に多額の寄付をしており、ロサンゼルスのメディアに紹介されたこともある。父が肺ガンになった際は入院先の広島に足しげく通い、メジャー挑戦を1年先延ばしにしたのは父の闘病を支えたい気持ちが強かったというのも理由のひとつだった[101][4]
  • ドジャースでほぼ毎日キャッチボールを共にしたクレイトン・カーショウと仲が良い[111]。カーショウとは10歳以上の年齢差があり、国籍や考え方、生活習慣も違ったが、お互いに尊重し合いながら成長していったという[4]。投球についてたびたび話し合うだけでなく、プライベートでも頻繁に食事を共にしたり、プレゼントを贈り合ったりもしていた[4]。2011年にトレードでの移籍に心が傾いた際にもカーショウにだけ心境を明かした他[112]、この年ドジャースで最後の登板となった試合前にカーショウとキャッチボールをした際には、この年233イニングを投げたカーショウは、既にシーズン最後の登板を終えてキャッチボールを禁じられていたためコーチたちに止められたが、「いいんだ、ヒロが先発するんだから、僕がキャッチボールの相手をするのは当然だろう」としてキャッチボールを続けたといい[4]、カーショウはこの年最後のミーティングでも「ヒロに話しておきたい。ドジャースに来年も残ってほしいんだ」と話し、ミーティングが終わってロッカールームに戻った黒田は感極まって泣いてしまったという[4]。この年のオフにFAとなり移籍先の球団を選んだ際には、「カーショウと投手同士としては対戦したくないな」という思いからナショナル・リーグの球団への移籍は避けたという[4]。2013年7月31日のドジャース戦でカーショウとの対戦が実現した際には、試合はヤンキースが勝利したが、黒田が7回5安打無失点、カーショウが8回5安打無失点とそれぞれ好投し互いに勝敗はつかず[113]、黒田は「カーショウなら仕方がないと思ってましたし、こういう展開だとなかなか勝つチャンスがないと思っていたんで、僕はもう常に0点に抑え続けるしかないかなと思ってました」[114]、カーショウも「彼はアメリカン・リーグで最も良い投手のひとりだから負けるのは仕方がない」とそれぞれ語った[115]
  • 日本とはやり方の違うアメリカのトレーニングについて「アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事」として積極的に取り入れ、「結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった」と語っており[116]、また、日本でプレーしていた頃は「練習や試合だけの日もあれば、ゆっくりする日もあるんだろうな」とメジャーについてのイメージを漠然と描いていたが、毎日のようにユニフォームを着て球場に行かなければならない実状を経験して、練習時間が長いと言われる日本のほうがむしろ「しんどくない」と思ったという[4]。そのため「日本と同じような調整では絶対に身体がもたない」と思い、調整法を変えていくことに至ったという[4]
  • 高校時代、西郷隆盛が自らの甥市来政直に贈った漢詩の一節『雪に耐えて梅花麗し』に感銘を受け、以来それを座右の銘としており、2012年のスプリング・キャンプのミーティングで各選手の好きな言葉として黒田が紹介した。この言葉には主将のデレク・ジーターや監督のジョー・ジラルディも共鳴したという[117]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































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I
P
1997 広島 23 23 4 1 0 6 9 0 -- .400 601 135.0 147 17 63 0 4 64 8 1 72 66 4.40 1.56
1998 18 6 0 0 0 1 4 0 -- .200 199 45.0 53 5 24 0 1 25 1 0 34 33 6.60 1.71
1999 21 16 2 1 0 5 8 0 -- .385 406 87.2 106 20 39 1 3 55 4 0 70 66 6.78 1.65
2000 29 21 7 1 0 9 6 0 -- .600 623 144.0 147 21 61 2 1 116 3 0 73 69 4.31 1.44
2001 27 27 13 3 3 12 8 0 -- .600 786 190.0 175 19 45 1 8 146 7 0 72 64 3.03 1.16
2002 23 23 8 2 1 10 10 0 -- .500 671 164.1 166 16 34 3 1 144 1 0 69 67 3.67 1.22
2003 28 28 8 1 4 13 9 0 -- .591 827 205.2 197 18 45 2 3 137 5 1 77 71 3.11 1.18
2004 21 21 7 1 1 7 9 0 -- .438 639 147.0 187 17 29 1 2 138 1 0 81 76 4.65 1.47
2005 29 28 11 1 3 15 12 0 0 .556 852 212.2 183 17 42 2 7 165 7 0 76 75 3.17 1.06
2006 26 25 7 2 3 13 6 1 0 .684 744 189.1 169 12 21 4 7 144 5 0 49 39 1.85 1.00
2007 26 26 7 1 2 12 8 0 0 .600 738 179.2 176 20 42 3 5 123 1 0 78 71 3.56 1.21
2008 LAD 31 31 2 2 2 9 10 0 0 .474 776 183.1 181 13 42 8 7 116 5 0 85 76 3.73 1.22
2009 21 20 0 0 0 8 7 0 0 .533 485 117.1 110 12 24 1 1 87 5 0 59 49 3.76 1.14
2010 31 31 0 0 0 11 13 0 0 .458 810 196.1 180 15 48 13 5 159 12 0 87 74 3.39 1.16
2011 32 32 0 0 0 13 16 0 0 .448 838 202.0 196 24 49 6 5 161 12 1 77 69 3.07 1.21
2012 NYY 33 33 3 2 1 16 11 0 0 .593 891 219.2 205 25 51 2 8 167 13 0 86 81 3.32 1.17
2013 32 32 1 1 1 11 13 0 0 .458 824 201.1 191 20 43 2 5 150 6 0 79 74 3.31 1.16
2014 32 32 0 0 0 11 9 0 0 .550 820 199.0 191 20 35 0 7 146 13 0 91 82 3.71 1.14
NPB:11年 271 244 74 14 17 103 89 1 0 .536 7086 1700.1 1706 182 445 19 42 1257 43 2 751 697 3.69 1.27
MLB:7年 212 211 6 5 4 79 79 0 0 .500 5444 1319.0 1254 129 292 32 38 986 66 1 564 505 3.45 1.17
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録
NPBその他記録
MLB
MLB、NPBにまたがった記録

背番号[編集]

  • 15 (1997年 - 2007年)
  • 18 (2008年 - )

関連情報[編集]

著書[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

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  8. ^ 黒田「壊れてもいい」志願の続投で初完封 - 日刊スポーツ(2008年6月8日)
  9. ^ 黒田がDL入り、復帰は最短で28日 - 日刊スポーツ(2008年6月20日)
  10. ^ 黒田復活最速155キロ20日ぶり登板4勝 - 日刊スポーツ(2008年7月4日)
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  44. ^ 黒田ド軍と正式に再契約「うれしい」 - 日刊スポーツ(2010年11月17日)
  45. ^ 黒田「2ケタ勝利最低ライン」/一問一答 - 日刊スポーツ(2010年11月24日)
  46. ^ ド軍残留黒田「世界一を目指したい」 - 日刊スポーツ(2010年11月24日)
  47. ^ ドジャース残留黒田がブログで騒動を謝罪 - 日刊スポーツ(2010年11月19日)
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  49. ^ 黒田「自分も協力」義援金5万ドル - 日刊スポーツ(2011年3月16日)
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  51. ^ 黒田9回2死まで0封「最後ヘロヘロ」 - 日刊スポーツ(2011年4月11日)
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  79. ^ 終盤苦しんだ黒田 チーム背負い活躍、疲労が心身に - 日経新聞コラム(2013年9月30日)
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  91. ^ 黒田 3000投球回到達に「まさか…」日刊スポーツ、2014年9月15日。
  92. ^ 黒田「ジーターは持っているものが違う」日刊スポーツ、2014年9月26日。
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  101. ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』 廣済堂出版、2010年、404頁。ISBN 978-4-331-51439-9
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  108. ^ 好きな言葉は「気迫」。NYが認めた黒田博樹の志。〜常勝軍団でつかんだエースの座〜 - Number SCORE CARD(2012年9月10日)
  109. ^ Run supportの項目を参照
  110. ^ Kuroda should sue for lack of support - ESPN(2012年8月26日)
  111. ^ 好調ドジャースが浮上 最下位からの巻き返し - sportsnaviコラム(2010年5月25日)
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  113. ^ 黒田、雄叫び7回0封「抑えるしかない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)
  114. ^ 黒田7回無失点も勝敗つかず「仕方ない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)
  115. ^ Dodgers derailed despite Kershaw's gemMLB.com Recap、2013年7月31日。
  116. ^ 黒田が苦しみを乗り越えて得たもの=2011シーズンを終えて - sportsnaviコラム(2011年10月11日)
  117. ^ 黒田、完封11勝目!座右の銘「耐雪梅花麗」チームに浸透 - スポーツニッポン(2012年8月16日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]