トミー・ボンド
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | ロングフォード州グラナード |
| 生年月日 | 1856年4月2日 |
| 没年月日 | 1941年1月24日(満84歳没) |
| 身長 体重 |
5' 7.5" =約171.5 cm 160 lb =約72.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1874年5月5日 |
| 最終出場 | 1884年8月11日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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トミー・ボンド(Thomas Henry Bond, 1856年4月2日 - 1941年1月24日)は、1870-1880年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手(投手)。アイルランド・ロングフォード州生まれ。1877年にメジャーリーグ初、ナショナルリーグ初の最多勝、最多奪三振、最優秀防御率の投手三冠を獲得した。
目次 |
[編集] 経歴
1874年に、当時のナショナル・アソシエーションに参加していたブルックリンのアトランティック・クラブに所属、投手として55試合に登板したが、成績は22勝32敗で、敗戦数、失点数、自責点、被本塁打の4つの部門でリーグ最多を記録する。翌1875年からはハートフォード・ダークブルースに所属、チームがナショナルリーグに加盟した1876年と2年間在籍し、その間2年続けて防御率1点台の好投をみせた。
投手としてのピークはハートフォードからボストン・レッドキャップスに移った1877年からの3年間で、1877年と1878年に2年続けて40勝を記録、またこの2年間の奪三振数もそれぞれ170,182とリーグ最多となり、ボストンの両年のナショナルリーグ優勝に貢献した。さらに、1877年はメジャーリーグ初となる40勝、防御率2.11、奪三振170での投手三冠王。
1879年にはリーグ最優秀防御率とともに11の完封勝ち(リーグ最多)を記録するなど、ナショナルリーグ設立当初のボストンの主力投手として1880年まで活躍したが、怪我の影響か翌年以後は年に数試合に出場するだけにとどまった。
1883年は丸1年ナショナルリーグではプレーせず、投手として本格的に復帰したのは1884年のことだった。この年ユニオン・アソシエーションのボストン・レッズから23試合に登板し13勝9敗、シーズン中にアメリカン・アソシエーションのインディアナに移って5試合に投げるが、インディアナでは勝ち星を挙げられず、同年8月にインディアナから放出されると、以後選手として試合に出場することはなかった。
以後1885年にはナショナルリーグで17試合、1891年にはアメリカン・アソシエーションで1試合審判として出場した記録が残っている。1941年にボストンで死去。ナショナルリーグ初年度(1876年)に出場した選手の中では、最後まで存命した選手でもあった。
[編集] 通算成績
[編集] 投手成績
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 417 | 408 | 3628.2 | 234 | 42 | 163 | 0 | 879 | 3767 | 51 | 198 | 2* | 80* | 932 | 2.31 | 1.09 |
[編集] 打撃成績
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 監督としての戦績
| 年 度 |
球 団 |
リ | グ |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位 |
備 考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1882 | WOR | NL | 6 | 2 | 4 | .333 | 9位 | 7月11日~7月20日 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference