李宅根
| ネクセンヒーローズ #29 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 釜山直轄市 |
| 生年月日 | 1980年7月10日(32歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 84 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 2002年 KBO二次ドラフト |
| 初出場 | 2003年4月2日 |
| 年俸 | 7億ウォン(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 金 | 2008 | 野球 |
李 宅根(イ・テックン、り たくこん、ハングル:이택근、1980年7月10日 - )は、大韓民国の釜山直轄市(現:釜山広域市)出身のプロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。韓国プロ野球のネクセンヒーローズに所属している。
目次 |
来歴・人物 [編集]
プロ入り前 [編集]
慶南商業高校時代から将来性・即戦力ともに評価が高く、高校生捕手としてスカウトから目をつけられていたが、高麗大学校へ進学。1年生時にはオーストラリアで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップに出場。 2001年にIBAFワールドカップ(台湾主催)や翌2002年には大学野球世界一を決める世界大学野球選手権大会(イタリア主催)にも代表に選出された。
同年の2次ドラフトで指名され、現代ユニコーンズに入団した。
プロ入り後 [編集]
1年目からユニコーンズにとって貴重な捕手と外野との控えとして、101試合出場、打率.278など堅実な働きを見せた。2、3年目は試合出場は減ったが、それでも3年目は規定打席未満でありながら、.331の高打率を残す。
入団時のポジションは捕手だったが、チームは絶対的な正捕手の金東洙がいて、レギュラー取りのチャンスを得ることはできなかった。元々、打力と俊足があり、主砲の沈正洙がFAで三星ライオンズに移籍したため、2006年より外野手にコンバート。シーズンはライトに定着し、初めて規定打席に到達し。リーグ2位の.322の打率を記録するとともに、ゴールデングラブ賞を初受賞。
2008年は、4月24日起亜戦で7打席連続(4安打・3四球)で出塁しプロ野球最多出塁記録を樹立。ムラが少ない打撃技術を買われて、2008年北京オリンピックの韓国代表に抜擢された。代表チームでは外野の控えメンバーとして主に代走として起用される場面が多かったが、北京五輪の初戦のアメリカ戦で9回の裏、代走で出場。相手投手の牽制悪送球を誘い、三塁まで進んだ後、李鍾旭の外野フライでサヨナラの得点を挙げた。
2009年のワールド・ベースボール・クラシックでも韓国代表に抜擢された。大会中は、代走や守備固めとしての起用が多くこれといった活躍はなかった。
シーズンは4年連続3割を残し、自身初となる40盗塁以上を記録し、さらなる成長を遂げた。同年12月、資金難のヒーローズは25億ウォンに無名選手2名をつけてもらい、彼をLGツインズへと交換トレードをすることにした。しかしヒーローズのKBOへの加入金をめぐる問題などもあり、一時このトレードの承認は留保されたが、加入金問題の解決もあって同月末移籍が承認された。
2010年は、チームの主力の李大炯が自身と同じセンターであったため、DHで出場する方針となった。シーズン開幕後間もなく腰痛で戦線を離脱。5月25日に復帰し、DHからレフトやファーストで起用されることに。不慣れな守備位置で打率も2割序盤台と攻守とも苦戦。しかし夏場以降は復調し、6年連続3割をマーク。2011年も故障で苦しみ、出場試合数が減少した。そのためオフにFA(フリーエージェント)を行使し、11月20日、古巣ネクセンヒーローズと契約期間4年の大型契約を結び復帰した。
2012年は、LG時代から続く故障がシーズン後半に再発し、3年連続で出場試合数が100を下回った。
エピソード [編集]
- 2007年シーズンを最後に現代ユニコーンズ解散のあと、保有権がヒーローズに継承され、ヒーローズ所属に。主力選手への大幅な年俸削減が続き、選手との間で軋轢まで見せたヒーローズ球団だったが、彼はその被害を受けていない数少ない選手の一人であった。しかし今後も活躍を続けた場合、2009年までメインスポンサーがなく経営が苦しいヒーローズが2億ウォン以上の高年俸を負担しきれなくなる上に、オリンピックやWBCでの活躍で日本の球団が興味を示すことでFA宣言して日本の球団に移籍してしまったらKBOの規約に定められた「国内の球団に移籍する時に払われる補償金」をもらえなくなると判断され、結局2009年12月LGツインズへ金銭と無名の2軍選手との引き換えにトレードされた。だが2011年オフFAでヒーローズに復帰した。
- 2010年ごろ、女性タレントとの交際が公になっていたこともある。しかしその後破局し、2013年1月、日本人と韓国人の間に生まれた女性と日本で挙式することが報じられた。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
所 属 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
四 死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
失 策 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 現代 | 101 | 212 | 26 | 59 | 11 | 0 | 4 | 17 | 2 | 3 | 24 | 35 | 3 | 5 | .278 | .342 | .387 | .729 |
| 2004 | 41 | 57 | 9 | 12 | 1 | 0 | 2 | 8 | 0 | 2 | 7 | 11 | 1 | 1 | .211 | .297 | .333 | .630 | |
| 2005 | 71 | 139 | 20 | 46 | 9 | 0 | 2 | 14 | 2 | 1 | 27 | 22 | 1 | 4 | .331 | .432 | .439 | .871 | |
| 2006 | 118 | 419 | 58 | 135 | 21 | 1 | 9 | 66 | 8 | 6 | 54 | 51 | 6 | 2 | .322 | .389 | .446 | .835 | |
| 2007 | 116 | 438 | 74 | 137 | 15 | 1 | 11 | 56 | 6 | 1 | 50 | 41 | 10 | 5 | .313 | .378 | .427 | .805 | |
| 2008 | ヒーローズ | 110 | 372 | 59 | 118 | 19 | 1 | 12 | 58 | 18 | 6 | 52 | 44 | 10 | 6 | .317 | .397 | .470 | .867 |
| 2009 | 123 | 456 | 84 | 142 | 26 | 0 | 15 | 66 | 43 | 8 | 77 | 59 | 13 | 5 | .311 | .378 | .408 | .875 | |
| 2010 | LG | 91 | 337 | 66 | 102 | 17 | 1 | 14 | 50 | 14 | 6 | 42 | 55 | 10 | 6 | .303 | .377 | .484 | .861 |
| 2011 | 85 | 317 | 44 | 94 | 17 | 0 | 4 | 29 | 10 | 6 | 43 | 45 | 9 | 4 | .297 | .377 | .388 | .765 | |
| 2012 | ネクセン | 94 | 345 | 54 | 95 | 20 | 1 | 8 | 55 | 13 | 8 | 34 | 30 | 10 | 1 | .275 | .340 | .409 | .749 |
| 通算成績:10年 | 950 | 3092 | 494 | 940 | 156 | 6 | 81 | 419 | 116 | 47 | 410 | 393 | 73 | 39 | .304 | .385 | .437 | .822 | |
タイトル [編集]
- ゴールデングラブ賞:2回(2006、2009年)
外部リンク [編集]
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