金廣鉉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
金 廣鉉
各種表記
ハングル 김광현
漢字 金廣鉉
発音: キムグァンヒョン
ローマ字 Kim Kwang-Hyun
テンプレートを表示
オリンピック
男子 野球
2008 野球
金 廣鉉 (キム・グァンヒョン)
Kim Kwang-Hyun
SKワイバーンズ #29
Kim Kwang-Hyun, Beijing 2008.jpg
北京五輪での金廣鉉
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 京畿道安山市
生年月日 1988年7月22日(24歳)
身長
体重
187 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 KBO一次ドラフト
初出場 KBO / 2007年4月10日
年俸 2億4000万ウォン(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 韓国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年

金 廣鉉(キム・グァンヒョン、韓国語:김광현1988年7月22日 - )は、大韓民国京畿道安山市出身のプロ野球選手投手)。左投げ左打ち。韓国プロ野球SKワイバーンズに所属している。

韓国のニックネームは微笑みサウスポー(下記参照)。

目次

来歴[編集]

高校時代からプロ入りまで[編集]

野球好きの父親の影響もあり、小学校3年時より野球を始める。安山工業高校時代より速球派の左腕として頭角をあらわす。2005年、2年生エースとしてアジア青少年大会に出場。台湾戦で勝利投手となる。平田良介らが率いる日本高校選抜チームにも5回をパーフェクトに抑えた。だが、打者陣が沈黙気味で大会中の防御率は1.04だったが2勝(2敗)という成績だった。 一方、この大会で、堂々たるマウンドさばきを見せ、日本でも注目される存在となった。

2006年ハバナキューバ)で開催されたAAA世界野球選手権大会に出場。準々決勝の台湾戦で先発で登板し、5安打の完封勝利。そして、準決勝におけるカナダ戦と決勝のアメリカ戦でもリリーフとして登板。大会通じて大会最多の4勝、防御率0.87、22個の奪三振が高く評価され、MVPを獲得。地域優先ドラフト[1]でSKワイバーンズに指名され、入団した。

SK時代[編集]

2007年、シーズン開幕直前に開かれた記者会見では、プロ入り1年先輩の柳賢振(リュ・ヒョンジン、前年度MVP、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)を指して「頭を使えばもっといい投手になれる」と発言し、韓国中の注目を集める。開幕から先発ローテーションに入ったものの後半は調子を落す。シーズン中は2軍落ちも経験、勝ち星も3つにとどまったが、8月に1軍復帰してからは本来の姿を取り戻したと評された。ワイバーンズはシーズン初めから好調を維持して韓国シリーズに進出。韓国シリーズでは、チームが1勝2敗と追い込まれていた第4戦(10月26日)に先発登板。粘り強い投球で斗山ベアーズ打線を8回2死まで1安打、無失点に抑える好投を見せ、斗山のエースで今シーズンのタイトルを総なめにしたダニエル・リオスとの投げ合いを制した。ワイバーンズも韓国シリーズ球団史上初制覇を果たした。優勝祝勝会で監督の金星根からアジアシリーズ初戦の先発登板を告げられる。

KONAMI CUP アジアシリーズ2007のため来日。プロフィールのインタビューには「韓国シリーズで高校時代の自信を取り戻した」と答えている。開幕戦に先発し、7回まで中日打線を3安打、無得点に抑えた。ワイバーンズもそのまま6対3で勝利。日本のチームが敗れたのは大会初のことであった。決勝戦は2番手として登板、初戦で抑え込んでいた李炳圭に2ランを浴びて降板し、チームも9回表に勝ち越し点を許し敗れてしまった。

北京オリンピック・アジア予選には、代表選考のころ不調で2軍落ちしていたため、出場できなかった。また、新人王のタイトルも、記者投票で斗山ベアーズ林泰勳(イム・テフン)に敗れ、受賞できなかった。

2008年北京オリンピック野球世界最終予選の代表に選出され、メキシコ戦、台湾戦に先発、いずれも勝利投手となり、韓国代表の五輪出場に貢献した。北京オリンピック野球韓国代表にチーム最年少で選出。予選と準決勝の日本戦で先発。予選では6回を投げ、2失点で勝ち負けつかず、準決勝では8回2失点で勝利投手となって、韓国代表の金メダル獲得に貢献。韓国では日本キラー(일본 킬러)というあだ名がついた。

国内リーグのレギュラーシーズンでは、前年から一段成長した姿を見せ、ローテーションのエースとして活躍し、チームの韓国シリーズ連覇に貢献、最多勝と最多奪三振のタイトルを手にして、期待された素質を開花させた。またレギュラーシーズンMVPにも選ばれた。アジアシリーズでは、日本代表・埼玉西武ライオンズ戦で先発したものの、5回途中3失点で降板と振るわず、チームは勝利したものの満足のいく内容ではなかった。さらにチームも台湾代表・統一セブンイレブン・ライオンズに敗れ、決勝進出もならなかった。

2009年第2回WBC韓国代表にも選出され、東京ラウンドの日本戦で先発した。来日直後は「(日本は)大した相手ではない。抑えられる。」と自信満々であり、韓国では北京オリンピックの再現が期待されたが、金をよく研究した日本打線の前に1回1/3を投げて8失点で投球数も60球近くとKOされ、2対14で7回コールド負けをするきっかけを作り敗戦投手となった。本人曰く「僕の野球人生は長くないが、あんなに打たれたのは初めて。」と悔しそうに語った。その後も同大会で先発登板することなく、2次ラウンドで3試合リリーフ登板した。日本との2次ラウンド順位決定戦では8回表5番手として登板し、勝ち越しタイムリーを打たれてしまった。結局同大会では満足のいく結果を残せなかった。

2009年、国内リーグのレギュラーシーズンでは、前年と同じくチームのエースとして活躍していたが、8月2日金賢洙の放った打球が手の甲に直撃。ボールの跡がはっきりと分かるほどの痛烈なピッチャー強襲であり、負傷で戦線を離脱。その後も、プレーオフや韓国シリーズといったポストシーズンでも1度も登板することなくシーズンを終えた。だが規定投球回数に達していたため、初の最優秀防御率のタイトルを獲得した。

2010年、負傷から復活し1年を通して先発ローテーションを守り、SKのエースとして活躍し17勝で自身2度目となる最多勝のタイトルを獲得した。広州アジア大会の代表チームに招集されたが、顔面麻痺により辞退し、日韓クラブチャンピオンシップの出場メンバーからも外れた。2011年は前年オフの体調不良がたたったか開幕1軍に入れず、治療のためたびたび戦線を離脱し4勝にとどまった。2012年も体調不良が治らず、1軍初登板は6月後半からだったが、先発として起用され続け8勝をあげた。

人物[編集]

韓国では、「第2の柳賢振」や「微笑みサウスポー」の異名をとる。

金はLGツインズのファンであったが、出身校の安山工高の所在地がSKワイバーンズのフランチャイズである京畿道であるため、地域優先ドラフトでワイバーンズに指名された。

日本の野球ファンやプロ野球解説者の間では、しばしば同い年である東北楽天ゴールデンイーグルス田中将大に例えて紹介することが多く、「韓国の田中」と呼ばれることもある。しばしば日本の成瀬善久とともに特集される。

韓国プロ野球の伝え手として知られる室井昌也が、石川遼に顔が似ているとコメント。 なお、韓国では年齢が近いサッカー韓国代表の寄誠庸によく似ていると言われている。

プレースタイル[編集]

本格派投手として、長身・長いリーチと真上から振り下ろすオーバースローを駆使し調子が良ければ三振を狙い、調子が悪ければ打たせて取る投球をする。ストレートは最速155km/h、平均でも144km/hから148km/hをマークする。キレのある速球と完成度の高い変化球で三振を多く奪う。縦に鋭く落ちる高速スライダーをはじめ、大きく曲がるカーブ、さらに特殊チェンジアップと変化球は多彩。特に高速スライダーの評価が高い。若干コントロールに難あり。

金の特殊チェンジアップは球筋が特殊で、KONAMI CUP アジアシリーズ2007の際には、テレビ中継でゲスト解説を務めた上原浩治がストレートと間違えたほどである(チェンジオブペース)。シームを指と横にして投げている。

一方で、主な欠点は、メジャーリーガーのように足を高く上げ、腕を大きく振るフォームが特徴であるためモーションが大きく、クイックは苦手。故に、盗塁をされやすいのが最大の欠点である。他にも、調子が上がって来るのが45月ぐらいであることなど安定しているとは言えない。

微笑みサウスポー[編集]

マウンド上では常に笑顔を絶やさず、韓国では微笑みサウスポーとして知られるようになった。SKワイバーンズの金星根監督は、笑顔を見せることが相手打者に対する闘争心がないという印象を与えることを懸念し、できるだけ無表情で投球するように勧めている。

詳細成績[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 SK 20 13 0 0 0 3 7 0 0 .300 342 77.0 80 5 41 2 4 52 2 0 35 31 3.62 1.57
2008 27 27 1 1 0 16 4 0 0 .800 659 162.0 127 9 63 1 2 150 3 0 50 43 2.39 1.17
2009 21 21 1 0 1 12 2 0 0 .857 568 138.1 121 14 53 1 4 112 8 0 46 43 2.80 1.26
2010 31 30 2 1 0 17 7 0 0 .708 797 193.2 153 13 84 1 5 183 13 0 56 51 2.37 1.22
2011 17 9 1 0 0 4 6 0 0 .400 328 74.1 70 6 45 0 5 61 1 0 45 40 4.84 1.55
2012 16 16 0 0 0 8 5 0 0 .615 347 81.2 85 9 36 0 2 65 2 1 44 39 4.30 1.48
通算:6年 132 116 5 2 1 60 31 0 0 .659 3041 737.0 636 56 322 5 22 623 29 0 276 247 3.06 1.31
  • 年度別成績の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

  • 最多勝:2回(2008年,2010年)
  • 最優秀防御率:1回(2009年)
  • 最多奪三振:1回(2008年)

表彰[編集]

  • シーズンMVP:1回(2008年)
  • ゴールデングラブ賞:1回(2008年)

脚注[編集]

  1. ^ フランチャイズ保護地域に所在する高校の出身選手を対象に、1人だけ排他的に指名権を行使できるドラフト。ウェーバー方式で行われる2次ドラフトの前に行われる。

外部リンク[編集]