鈴木郁洋

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鈴木 郁洋
オリックス・バファローズ #44
OB-Fumihiro-Suzuki.jpg
2008年7月1日、京セラドーム大阪にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県西白河郡西郷村
生年月日 1975年5月23日(36歳)
身長
体重
181cm
75kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1997年 ドラフト4位
初出場 1998年10月9日
年俸 6,000万円+出来高 (2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2000年

鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手捕手)。

愛称は「シドニー」。2012年からオリックス選手会長を務める。

目次

[編集] プレースタイル

捕手としては華奢な体型で、俊足が持ち味。中日に在籍している頃から代走としての起用が多く、オリックスに移籍してからは正捕手であった日高剛の代走で出場してそのまま守備に就くこともしばしばあった。岡田彰布監督が就任した2010年以降は、日高のリード面の不振や若手捕手の経験不足などにより、スタメンマスクや試合終盤での抑え捕手として出場する機会が増えた。

一方では打撃に課題を残し、通算打率は1割台である(2011年終了時)。交流戦では9番打者としてスタメン出場することもあった。

[編集] 経歴

仙台育英高校時代は、1992年第64回選抜高等学校野球大会第74回全国高等学校野球選手権大会にそれぞれ出場。卒業後は東北福祉大学へ進学し、持ち味の俊足を活かして盗塁王も獲得している。1997年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。

中日ではポスト中村武志として嘱望され、2000年には予選に出場した古田敦也の代役としてシドニーオリンピック野球日本代表でマスクを被る大役を果たした。その後、谷繁元信の加入などで中日での出場機会が激減。

2002年オフに大阪近鉄バファローズへ金銭トレードで移籍。

2004年オフ、オリックス・バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルスの間で行われた選手分配ドラフトでオリックスに入団、正捕手争いに挑むことになった。

2005年5月6日から開かれたセ・パ交流戦の対中日戦では、スターティングメンバーとして中日在籍の経験を生かし投手陣をリードし、オリックスに交流戦初戦での勝利をもたらした。

2006年2007年はシーズンの大半を二軍で過ごしたものの、2008年大石大二郎監督代行就任後は、控え捕手としてはもちろん、代走要員として起用される事が多かった。自己最多となる11得点と、7年ぶりとなる盗塁を記録している。基本的に外野手は指名打者起用の多いタフィ・ローズも含め5人しか登録しないことの多い大石采配の中で、試合前には外野手としてもノックを受けるなど緊急時の外野守備要員と、何役も務めることで重用され、一軍定着を果たした。

2009年は正捕手の日高剛の怪我による戦線離脱後、スタメンに起用されることが多くなった。二番手捕手の地位を確保して自己最多の63試合に出場し、チーム2位の8盗塁を記録した。

2010年4月21日日本ハム戦で7年ぶりの本塁打となる逆転3ランを放つなど4安打(3二塁打1本塁打)6打点の活躍でお立ち台に上がった。シーズン中盤からはリード面を買われ日高の二軍降格などもあり、出場機会が増加。7月14日ロッテ戦では先発金子千尋の3戦連続完封勝利を援護する自身2度目の満塁走者一掃の三塁打を放つ。最終的にチームトップの17犠打を記録し、前年を上回る86試合に出場した。また、4月に右手親指を骨折しながらも残りのシーズンに強行出場していたことが明らかになった。

2011年は自己最多となる89試合に出場。7月2日の対ソフトバンク戦では、ブライアン・ファルケンボーグからプロ入り14年目にして初のサヨナラ打を記録した。9月20日の練習中に送球を顔面に受け、全治4週間の鼻骨骨折と診断されたが、伊藤光が故障で戦線離脱していたチーム事情もあり、残りシーズンも出場し続けた。捕手としてはチーム最多の出場となり、打撃面でも打率.204を記録し、2割をなんとか超えた。オフにはこの年取得した国内FA権を行使せず残留し、岸田護に代わり選手会長に就任した。

[編集] 人物

「プロ野球界に入らなかったらプロのファッションモデルになっていた」(本人談)という程、ルックスには自信を持っている。

中日ドラゴンズに所属していた2000年シドニーオリンピックに出場して、正捕手として大活躍。それ以来当時中日の監督であった星野仙一に「シドニー」という愛称をつけられる。

近年、二軍では若手捕手の育成目的もあり外野手(主に左翼手)を務めることも多い。一軍でも2009年5月1日の楽天戦で左翼手として途中出場した。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 中日 4 9 8 2 5 1 0 0 6 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .625 .667 .750 1.417
1999 36 62 56 7 12 3 0 0 15 7 2 0 2 1 3 1 0 12 1 .214 .250 .268 .518
2000 42 67 62 9 14 4 0 1 21 10 1 1 1 1 1 0 2 16 1 .226 .258 .339 .596
2001 24 19 17 1 1 0 0 0 1 0 2 0 0 0 2 0 0 5 0 .059 .158 .059 .217
2002 15 28 25 2 5 1 0 0 6 3 0 0 2 0 1 0 0 11 1 .200 .231 .240 .471
2003 近鉄 12 10 10 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .100 .100 .400 .500
2005 オリックス 44 72 68 4 7 3 0 0 10 5 0 0 3 0 1 0 0 23 0 .103 .116 .147 .263
2006 15 14 13 2 3 0 1 0 5 1 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .231 .286 .385 .670
2007 3 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2008 27 21 18 11 3 0 0 0 3 0 2 0 2 0 1 0 0 9 0 .167 .211 .167 .377
2009 63 161 140 13 28 5 0 0 33 8 8 2 6 0 14 0 1 28 2 .200 .277 .236 .513
2010 86 224 192 9 30 5 1 1 40 12 1 0 17 0 14 0 1 65 3 .156 .217 .208 .426
2011 89 171 152 11 31 7 0 0 38 7 3 0 11 1 5 0 2 34 2 .204 .238 .250 .488
通算:13年 460 858 761 73 140 29 2 3 182 55 19 3 44 3 44 1 6 211 10 .184 .233 .239 .472
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績

年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1998 4 17 3 0 0 1 1.000 1 0 1 1.000
1999 34 113 8 1 0 0 .992 10 9 1 .100
2000 41 130 9 2 1 0 .986 12 10 2 .167
2001 20 38 2 0 0 0 1.000 6 6 0 .000
2002 13 46 5 1 1 2 .981 11 9 2 .182
2003 12 32 2 0 0 0 1.000 4 3 1 .250
2005 43 158 17 3 1 3 .983 26 18 8 .308
2006 14 39 2 0 1 1 1.000 3 2 1 .333
2007 0 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 .000
2008 17 38 1 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2009 57 331 21 3 8 4 .992 52 40 12 .231
2010 86 507 33 3 1 3 .994
2011 88 397 22 5 0 3 .988
通算 429 1846 125 18 13 17 .991 73 57 16 .219

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 38 (1998年 - 2002年)
  • 44 (2003年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 関連項目

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