宋津宇

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本来の表記は「宋津宇」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
宋津宇
各種表記
ハングル 송진우
漢字 宋津宇
発音: ソンジヌ
ローマ字 Song Jinwoo
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宋 津宇 (ソン・ジヌ)
ハンファ・イーグルス コーチ #84
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 忠清北道曽坪郡
(出生当時は槐山郡曽坪邑)
生年月日 1966年2月16日(48歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 1次ドラフト
初出場 1989年4月12日
最終出場 2009年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
国際大会
代表チーム 韓国の旗 大韓民国
五輪 2000年
オリンピック
男子 野球
2000 野球

宋 津宇ソン・ジヌ1966年2月16日 - )は、大韓民国忠清北道曽坪郡出身の元プロ野球選手投手)。東国大学校卒業。2010年現在、韓国プロ野球唯一の200勝投手である。

2011年からハンファ・イーグルスの投手コーチ就任。

来歴・人物[編集]

1982年、高校2年生時に世光(セグァン)高校を黄金獅子旗全国高校野球大会で優勝に導き、翌83年には大統領杯で準優勝の経歴をもち、東国大学へ入学。大学でもチームを大統領杯に導いたが、一時期ひじの負傷で野球ができなかった。1987年ビングレ・イーグルスの指名を受けたが、1988年ソウルオリンピック参加のため、入団が1年見送られ、卒業後、実業団野球チームに進む。ソウル五輪代表でも活躍し、1989年、プロ野球のビングレ・イーグルスに入団した。

新人だった1989年には、デビュー戦となった4月12日のロッテ戦を完封勝利で飾ると、この年9勝10敗9セーブと活躍し投手陣の柱となった。キャリア序盤は主に抑えとして使われた。1990年には最優秀救援(27セーブポイント)、1992年には最多勝(19勝)、最優秀救援(25セーブポイント)のタイトルに輝き、ビングレの黄金時代を支えた。1991年には日韓プロ野球スーパーゲームにも出場し、甲子園球場で登板した際には、阪神のコーチから入団を勧誘されたほどだった。長良川球場で行われた第5戦では先発し、勝利投手になった。

投球スタイルは韓国プロ野球随一の技巧派として知られていた。左のスリークォーター気味のフォームから投じられるストレートは時速135km前後だが、スライダー、カーブなどの変化球がさえ、卓越した投球術で打者に凡打の山を築かせる。そのため奪三振率は高くないが、非常に安定した投球内容を続け、先発した試合のテンポも速い。

1994年にチーム名がビングレ・イーグルスからハンファ・イーグルスに変更された後も、右の鄭珉哲(チョン・ミンチョル)と共にチームのエースとして君臨し続けた。1997年、1998年はともに6勝どまりと不振だったが、1999年は15勝を記録しチームの韓国シリーズ優勝にも貢献した。2000年5月18日のヘテ・タイガース戦でノーヒットノーランを記録し、この年シドニー五輪にも韓国代表として出場して銅メダルを獲得。

2000年に設立された韓国プロ野球選手会の初代会長にも選ばれ、2005年までその職を務め、このとき「会長様」のニックネームがついた。2000年5月18日、ヘテ・タイガース戦で韓国プロ野球史上11人目のノーヒット・ノーランを記録した(これは2012年シーズン終了時点で韓国プロ野球最後のノーヒット・ノーランである)。30代中盤を過ぎてもその投球には衰えが見られず、2002年には18勝を記録して最多勝争い2位と活躍した。またこの年には宣銅烈の持つ韓国プロ野球個人通算勝利記録(146勝)を抜き、史上初の個人通算150勝も達成した。

2006年8月29日の起亜タイガース戦で、史上初の個人通算200勝を達成した。2007年5月には韓国プロ野球史上最年長登板、最年長セーブ記録(いずれも41歳3ヶ月)、9月には史上最年長勝利記録(41歳7ヶ月)を更新。これらの記録は彼が記録を重ねる度に更新されている。2008年シーズン、韓国プロ野球史上初めて実働20年を記録する選手になった。また、2008シーズン開幕時に満42歳を超えて、2007年のフェリックス・ホセの41歳11ヶ月を抜き、史上最年長現役選手となった。2009年まで韓国プロ野球現役最年長であり、1980年代入団選手の中で最後の生き残りでもあった。

2008年は先発ローテーションに復帰して個人通算2000奪三振を記録して、規定投球回数を満たすなど奮闘したが、成績は6勝止まり。プロ入り21年目、満43歳になる2009年も現役を続行し、開幕間もない4月9日に個人通算3000投球回を達成。だが力の衰えは隠しようもなく、その後すぐに2軍へ降格。チームが早くから最下位に転落してベテラン優遇から若返りに方針転換。夏場まで再び1軍へ昇格することのないまま、ベテラン組への戦力外通告が相次ぐ中で8月16日、2009年シーズン限りで現役引退を表明し、21年のプロ生活に幕を閉じることになった。そして背番号21は、ハンファでは3人目となる永久欠番となることが決まった。9月23日、ハンファの本拠地・大田で引退試合を行い、現役最後の試合で先発登板したが打者1人だけを相手にして降板し、その功績をたたえて球場のバックスクリーン横に背番号21のモニュメントも建てられた。

引退後は2010年3月から日本プロ野球・読売ジャイアンツの2軍で、同じ韓国出身の金玄旭とともにコーチ研修を受けた。2011年からは古巣・ハンファの2軍投手コーチに就任。2012年7月より1軍投手コーチに配置転換となった。

韓国プロ野球で個人通算最多勝利数以外にも、最多敗戦、投球回数、奪三振、四死球など数々の通算個人記録の持ち主である。

2009年には日本の名球会に相当する「星球会」を設立しその会長に就任。慈善事業にも積極的に携わる。

詳細情報[編集]

宋の引退試合に掲げられたボード。左から「210勝・2048奪三振・3003投球回数」を表す

年度別投手成績[編集]








































W
H
I
P
1989 ビングレ
ハンファ
35 9 10 5 2 2.81 9 0 156.2 116 57 49 7 93 97 5.57 1.33
1990 50 11 7 0 0 1.82 27 0 128.1 80 29 26 2 54 103 7.22 1.04
1991 36 11 10 11 1 2.78 11 0 184.1 142 67 57 13 72 126 6.15 1.16
1992 48 19 8 4 1 3.25 17 0 191.1 157 79 69 17 101 130 6.12 1.35
1993 25 7 7 0 0 3.72 8 0 72.2 64 40 30 8 35 53 6.56 1.36
1994 33 9 10 3 0 3.92 10 0 133.0 119 90 76 10 64 90 6.09 1.38
1995 26 13 8 7 1 3.20 0 0 183.0 165 78 65 11 79 121 3.89 1.33
1996 31 15 9 5 0 3.25 0 0 213.0 185 80 77 18 94 160 6.76 1.31
1997 27 6 12 5 1 4.60 0 0 146.2 156 85 75 17 61 73 4.48 1.48
1998 24 6 10 1 0 4.79 0 0 114.1 125 66 61 19 46 72 5.65 1.50
1999 35 15 5 8 2 4.00 6 0 186.2 180 99 83 24 64 132 6.36 1.31
2000 28 13 2 2 1 3.40 4 1 135.0 121 60 51 19 61 105 7.00 1.35
2001 37 10 8 1 0 3.84 2 0 185.1 181 99 79 20 95 139 6.75 1.49
2002 31 18 7 8 1 2.99 0 0 220.0 199 82 73 16 65 165 6.75 1.20
2003 42 14 9 1 0 3.12 5 2 129.2 111 48 45 9 46 93 6.46 1.21
2004 28 11 8 1 0 3.61 1 0 172.0 162 73 69 19 51 100 5.23 1.24
2005 23 11 7 1 1 3.81 0 0 127.2 126 61 54 13 49 88 6.20 1.37
2006 26 8 8 0 0 3.60 0 0 147.1 147 64 59 10 56 94 5.74 1.38
2007 42 2 2 0 0 4.54 1 10 35.2 34 19 18 5 11 29 7.32 1.26
2008 31 6 8 1 0 4.48 0 2 132.2 141 72 66 13 68 73 4.95 1.58
2009 14 1 0 0 0 7.36 0 2 7.1 7 7 6 2 7 6 7.36 1.91
通算成績:21年 672 210 153 64 11 3.51 103 17 3003 2718 1341 1170 272 1272 2048 6.14 1.29
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はKBOにおける歴代最高

タイトル[編集]

  • 最多勝:1回 (1992年)
  • 最優秀救援:2回 (1990年、1992年)
  • 最高勝率:1回 (2000年)

表彰[編集]

  • ゴールデングラブ賞:1回 (2002年)

関連項目[編集]