阪神甲子園球場

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甲子園球場 から転送)
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium
2007年夏の全国高等学校野球選手権大会・開会式の様子
施設データ
所在地 日本兵庫県西宮市甲子園町1-82
開場 1924年8月1日
所有者 阪神電気鉄道
管理・運用者 阪神タイガース阪神園芸
グラウンド 外野 - 天然芝(ティフトン、ペレニアル・ライグラス)
内野 - 土(日本の黒土と中国福建省の白砂を調合)
照明 照明灯 - 6基
照度 - バッテリー間:2500ルクス
内野:2200ルクス
外野:1400ルクス
建設費 250万円(着工当時額)
設計者 大林組
建設者 大林組
使用チーム • 開催試合
全国高等学校野球選手権大会(1924年・第10回大会 - 1940年・第26回大会、1947年・第29回大会 - 現在)
選抜高等学校野球大会(1925年・第2回大会 - 現在)
阪神タイガース(1936年 - 現在)
収容能力
約60,000人(開場当初)
約80,000人(全スタンド完成時)
約55,000人(2001年まで)
50,454人(2007年まで)
46,229人(2008年現在)(内野:26,972席、外野:19,257席)
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:-m2
両翼 - 96 m (約315.0 ft)
中堅 - 120 m (約393.7 ft)
左右中間 - 119 m (約390.4 ft)
フェンス 3.2 m (約10.5 ft)

阪神甲子園球場(はんしんこうしえんきゅうじょう)は、日本兵庫県西宮市甲子園町にある阪神電気鉄道が所有する野球場である。通称は「甲子園球場」、日本野球界では単に「甲子園」と略されることが多い。プロ野球セントラル・リーグ阪神タイガースの本拠地球場となっている。

日本で最初に誕生した大規模野球専用競技場であり、プロ野球球団の本拠地の中で最大の収容人数である。広さは屋外球場としては最大である。高校野球のシーズンになるとしばしば「日本野球の聖地」と称され(大学野球では神宮球場が聖地と呼ばれる)、マスコミもそう言い習わすことが多い。

目次

[編集] 概要

阪神タイガースのホームグラウンドとしてプロ野球公式戦が開催されるほか、春・夏の高校野球が開催される球場としても知られ、「甲子園」といえば高校野球全国大会(春の選抜高等学校野球大会および夏の全国高等学校野球選手権大会)の代名詞となっている。この「甲子園」の名称は高校野球の代名詞に端を発し、今や野球に留まらず高校生の各種全国大会の代名詞として使われることもあり、特に高校生程度の若者が行う野球競技以外の文化系の部活動を中心に、その全国大会を『○○甲子園』と称している場合がある(甲子園の名がつく高校生大会一覧も参照)。

ただし、様々な競技が同時進行で行われる高校総体国体、あるいはサッカーラグビーといった競技の全国大会については、そのものが知名度が高い大会であるため「甲子園」と呼ぶことはない(サッカーは「国立」、ラグビーは「花園」と呼ばれる)。わかりやすく言えば、高文連主催でない文化系部活動の各種全国大会で「○○」甲子園と呼ばれることが多い。

かつてはサッカーJリーグエキシビションマッチや、戦前にはスキージャンプ競技大会など、野球以外の競技にも数多く使用されたが、現在は毎年12月開催のアメリカンフットボール東西大学王座決定戦「毎日甲子園ボウル」以外で定例的に使用されるケースはない。

近年は大学野球の試合にも使用され、毎年春・秋に開かれる関西六大学野球連盟と、関西学生野球連盟リーグ戦の一部試合(関関戦含む)が当球場にて実施されている。

南から北にかけて吹く浜風が強い日は、上空で風が舞っていて野手を悩ませる球場である。特に右方向(南)へ打球を飛ばす左打者にとっては不利な球場であり、この浜風で本塁打を損している選手は非常に多い。一方で、左方向の打球はよく伸びる。この浜風の特性を利用して、左打者であった掛布雅之ランディ・バースらは、芸術的と評される流し打ちでレフトスタンドへ本塁打を量産した。

  • ただ、アルプススタンドと外野スタンドの“隙間”は風の抜け道となっており、浜風が舞っている日でも右翼ポール際への打球はよく伸びる。
  • この浜風が発端となり試合の流れが180度変わってしまう事がみられるため、高校野球の試合の実況では「甲子園には魔物が棲んでいる」と言われる事がある。

また、最近は少なくなったが、コンサート等の野球以外のイベントにも使用出来る。

プロ野球の応援や歓声は周囲の住宅に大きく響くため、午後10時以降はトランペット太鼓を使った鳴り物応援は禁止となる。但し、阪神勝利時の六甲おろしは午後10時以降でも合唱される。

この他、紙テープ、紙吹雪、ウェーブによる応援は常時禁止されている。

[編集] 設備・仕様

外野スタンド席外壁に覆い尽くされた蔦
外野スタンド席外壁に覆い尽くされた蔦
右側から 一塁側アルプススタンド席、外野席、スコアボード
右側から 一塁側アルプススタンド席、外野席、スコアボード
外野席側からバックネット方面を望む。中央に写っているのが銀傘
外野席側からバックネット方面を望む。中央に写っているのが銀傘
球場改修期間中に撤去予定とされるレフトスタンド照明塔を横から撮影
球場改修期間中に撤去予定とされるレフトスタンド照明塔を横から撮影

バックネット裏を覆う「銀傘(ぎんさん)」と呼ばれる大屋根、時計台型のスコアボード、そして(つた)に覆い尽くされた球場外周の外壁が特徴。

[編集] 銀傘

銀傘は開設当初「鉄傘(てっさん)」と呼ばれ内野席全体を覆っており其の素材から「大鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれて、更に1930年には女性客の人気を狙ってアルプススタンドまで拡張された。しかし、1943年太平洋戦争のあおりで鉄骨を軍事産業に提供するために取り外され、その後1950年まで7年間は青天井の状態が続いた。その後1951年ジュラルミン製の銀傘として復活したが、一・三塁内野席の半ばからネット裏の客席にだけの開設当初より小さいものが設置された。1982年アルミニウム合金製に葺き替えられ、現在に至っている。

銀傘を支えるための柱が客席内に立てられており、後ろの客席からは柱が邪魔になるため観戦し難くなっている。2008年の改修で架け替えられる新たな銀傘は、客席内の柱をかなり上段に設置する予定であり、土台はすでに存在している。また、新たな銀傘は一部の報道にあったようなアルプススタンドまでのものではなく、開設当初と同じ大きさのものである。

銀傘の中央部には、野球中継で使用するためにテレビ各局が共同でリモコンカメラを設置している。このカメラは2台設置されており、地上波の並列中継があってもそれぞれ1台ずつ使用できる(ハイビジョン対応)。

[編集] スタンド

平屋建てで収容人員46,000人以上という規模からもわかるように、非常にスケールの大きな球場である。特に、外野席は他球場の倍程度の規模を誇り、他に類を見ない。よく阪神タイガースの新外国人選手が開幕前に阪神甲子園球場のフィールドに足を踏み入れて「非常に大きな球場だ」と驚く姿が関西スポーツ新聞の1面を飾る事がある。また、内野席は最前列がグラウンドレベルになっており、通常グラウンドレベルにある本塁後方のアナウンス室などは半地下となっている。

スタンドの設計は優れており、どこからも見やすく工夫されているが、リニューアル工事(後述)前の座席の座り心地は現代の球場の基準からすれば劣る部類に入っていた。特に座席の間隔が狭いために足元に荷物が置けない席が多く、売店に物を買いに行くときなどの席の出入りは困難を伴った。内野席のリニューアル工事では最大収容人員が減らされ、居住性の改善がなされた。リニューアルの済んでいないアルプススタンド、外野スタンドは長椅子で傷みも激しい。また、現在内野スタンドと外野スタンドに建っている照明塔も客席内に立っている柱が邪魔になるためリニューアル工事で撤去し、新たに球場の外に(前方の柱は最上段付近)照明塔を建てる予定である。

内野スタンド、アルプススタンド、外野スタンドはそれぞれわかれた構造となっており、一般客の通り抜けはできない。それぞれスタンド間にはグラウンドから球場外まで通じる通路があり、リリーフカーの出入りや観客の退場路などに使用されている。

アルプススタンドの1階は室内練習場となっており、客用の通路、売店、トイレ、喫煙所は3階となっている。また、3階の通路は狭く、トイレは外壁から外に突き出したような感じで設置され通路から中が丸見えである。通路の先端には立食形式の軽食堂があり、カレーライス、うどん、お好み焼、焼き鳥、かき氷等が売られている。

外野席の売店、食堂は通路に椅子、テーブル、調理台を並べた形となっている。日によっては焼き鳥や串焼きの煙で外野席の上空が少し霞んでいることもある。

[編集] 座席区分

バックネット裏の「グリーンシート」を中心として、外野スタンドに向かって「アイビーシート」、「アルプス席」と続いている。さらにフィールドシートとしてグリーンシート下部に「TOSHIBAシート」、アイビーシート下部に「みずほ銀行シート」を設けている。これらのフィールドシートの名称はネーミングライツによるもので、2008年からの5ヵ年契約(高校野球開催時を除く)である。なお他の多くの球場と違い、フィールドシートには防球用の金網があり、さらに後列との往来は制限されていない。

2006年からレフト上段に「ビジター応援席」が設置されるようになった。ただし巨人戦と千葉ロッテ戦(翌2007年から)のみ下段最前列まで設定されている。2008年からは他の球団の範囲を若干増やした。(もともと対中日戦、対広島戦のみ増やす予定だったがコンピュータの不具合でほかの7球団でも増えることとなった。)なお、大阪ドームを同じ本拠地とするオリックス戦のみ、観客席でのトラブルをさけるためにアメリカの「シカゴカブス対シカゴホワイトソックス」、「ニューヨークヤンキース対ニューヨークメッツ」のように三塁側の分配を検討している。

高校野球においては全席自由席となり、グリーンシートとTOSHIBAシートが「中央特別自由席」、アイビーシートとみずほ銀行シートが「1塁特別自由席」と「3塁特別自由席」になる。アルプス席はそのままであるが、学校の応援団が優先となる。外野席は無料開放(入場制限はある)される。

2001年まで「アルプス席」という名称は高校野球開催時のみ使用されていたが、プロ野球でも「アルプス席下さい」という人が後を絶たなかったので、2002年以降はプロ野球公式戦でも「アルプス席」という名称を用いている。巨人戦 およびオールスター戦日本シリーズなどの特別試合では『内野B指定席』と呼ばれていた。その他のプロ野球公式戦では、アルプススタンド=『内野自由席』であった。

改築前の座席区分はフィールドシート部分が「ボックスシート」、アイビーシート部分が「イエローシート」(一塁側)・「オレンジシート」(三塁側)であった。グリーンシート部分は今より狭いものであった。また席の色は緑・黄・オレンジとそれぞれ名称別に塗りわけられていた。また2001年シーズンまでアルプスを除いた内野席上段部全体を『内野A指定席』と設定し、緑色のシートが設置されていた。

星野仙一は監督時代、オレンジシートを指して「あれじゃジャイアンツカラーじゃないか、変えたほうがいい」と言っており、実際に他の色に塗り替えられるのでは、とよく噂された。また星野は「あのシートをファンで埋めて、見えないようにしたい」という趣旨の発言もした。そのため、インタビューなどで「甲子園に来てください」と発言するようになった。さらに選手も同様の事を行い、観客増加に力を入れた。ただ、オレンジシートのメンテナンスはイエローシートほど行き届いておらず、色が褪せたり傷んでいる椅子もいくつか見受けられた。

[編集] ブルペン

アルプススタンド内部は簡易室内練習場となっており、プロ野球ではここにあるブルペンを使用し、中継ぎ投手が肩を作っている(指名されたら、アルプススタンドと外野スタンドの隙間からリリーフカーに乗せられ、マウンドに向かう)。アルプススタンドから通路への出入口が上部にしかないのはこのためである。室内練習場になる前は、一塁側は体育館、三塁側は25mの温水プールであった。「三塁側の室内練習場は天井が一塁側よりやや低く、床も高くなっている」「三塁側室内練習場の外にはマンホールが多数設けられている」など、元がプールであったことを彷彿とさせる部分が今も確認できる。

高校野球では雨天時や試合前の練習に使用されるのみで、試合中はファウルゾーンにあるブルペンを使用する。

ラッキーゾーン撤去後の数年間は、プロ野球でもファウルゾーンにあるブルペンを使用していた。


[編集] フィールド

2007年8月時点のフィールド
2007年8月時点のフィールド

建築当初はグラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びるという形状であったため、中堅120m、両翼110mに対し左右中間が128mもあるという設計で、1934年日米野球に出場したベーブ・ルースをして「この球場ではホームランは打てない」と驚かせた。その後スタンドの増築工事に伴ってフィールドは現在の扇形となり狭くなったが、それでもなお日本の野球場としては広大であり、小柄で非力な当時の日本人選手の体型とボールの品質の低さもあって、本塁打が極端に出にくい仕様であった。これがラッキーゾーン設置のきっかけとなった。

現在では中堅120m、左右中間119m、両翼96mという数値が公表されている。東洋一とも言われる左右中間の深さを生み出す外野フェンスのゆるやかな曲線は、他の球場には見られない独自の形状である。両翼はアルプススタンドが前方に張り出しているために数値としては小さいが、その部分はわずかであり、ゆるやかな外野フェンスがポールのそばで急に角度を増すような形状である。このため実質的には両翼も充分な広さを持っている。

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内野グラウンドは独特の黒土である。鹿児島鳥取大分など日本国内の黒土と中国福建省の白砂をブレンドしている。季節の雨量や太陽光量などを考慮し、春は白砂を多く(黒土5.5:白砂4.5)、夏は黒土を多く入れる(黒土6:白砂4)などしてブレンド具合を変えている。内野で激しい動きを見せるボールの行方を、球場観戦者にも見えやすくするための配慮である。 高校野球では敗戦するとこの土を持ち帰ることで有名。

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外野グラウンドは、日本のプロ野球の本拠地としては稀少となった天然芝である。開場当初は外野も土のグラウンドであったが、1928年12月から1929年2月にかけて張り付けられた。

1982年からオーバーシードといわれる芝の二毛作方式を採用している。夏芝「ティフトン」と冬芝「ペレニアル・ライグラス」を用いることによって、一年中芝生でプレーできるようになった。夏芝から冬芝への張り替えが9月下旬から10月上旬、冬芝から夏芝への張り替えが4月下旬から5月上旬である。

ただ、内野のバックネットやベンチ周辺の芝は人工芝となっている。

[編集] マウンド

ピッチャーマウンドのプレート後部蛇口を使用して内野グランドの水撒き作業
ピッチャーマウンドのプレート後部蛇口を使用して内野グランドの水撒き作業

ピッチャーマウンドのプレート後部には、放水用の蛇口がある。高校野球の試合前に、7~8人の整備員が一列に並んで内野全体に大型のホースで水を撒いている姿がよくテレビで放映される。この水は井戸水で、海から近いために若干の塩分を含んでおり飲用には適さない(夏の高校野球名物「かち割り」に使われる水は六甲山系の天然水を用いている)。かつて、近畿で真夏に異常渇水に見舞われた時、井戸水を使用していることを知らない人たちが「水の使いすぎ」と問題視したこともあった。

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外壁を覆う蔦は1924年12月に植栽された。正面の7号門と8号門の周りには日当たりの悪いところでも生育しやすいウコギ科の蔦を、その他の部分は冬に葉を落とすブドウ科の蔦を採用し、阪神園芸の手で管理されている。かつては約430株ほどが植えられ、葉の総面積はおよそ畳8000畳分あると言われた。 リニューアル工事のため今は蔦はない。その代わりに、蔦をイメージした緑のパネルで覆われている。蔦は現在、全国の高校野球連盟加盟校で育てられている(2000年(平成12年)に高校野球20世紀メモリアル事業の一環として同校達に蔦の苗木が送られた)。一部が数年後に甲子園に植えられて緑の甲子園が戻る予定。

[編集] 球場の歴史

  • 1924年7月31日 - 西宮市の武庫川の支流である枝川、申(さる)川を廃川とし、その川沿いに埋め立てられた場所に完成。国内の球場では参考に成る物がなく、アメリカ合衆国ニューヨークにあったニューヨーク・ジャイアンツの本拠地・ポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言われている。完成するまでは紅洲(べにす)遊園地と名づけられていたが、この年の正月に阪神電車関係者が西宮えびす神社に参拝した時に十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)が60年に1度来ると言う縁起の良い年である事から後に阪神電車甲子園大運動場(はんしんでんしゃ こうしえんだいうんどうじょう)と命名された。当初は陸上競技場としても利用される事を念頭に設計され、また内野席全体(現在のアルプススタンドを除く)に鉄傘が設置され当時の大きさから大鉄傘といわれた。杮落としは阪神間学童運動会。同年から全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の主会場となった。12月に蔦が植栽される。
  • 1925年 - 初代スコアボードを正式開設。(仮設板を入れると2代目)
  • 1929年 - 内野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリート50段、高さ14.3mに改築。その夏開催された中学野球の折、観客の着衣でスタンドが白く映え上がって見えた事から、当時の人気風刺漫画家・岡本一平岡本太郎の実父)が、朝日新聞に「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ(外スタンドはまた素敵に高く見える、アルプススタンドだ、上の方には万年雪が有りそうだ)」とイラスト入りの投書を寄せたのをきっかけに、「アルプススタンド」の通称が付く[1]
  • 1930年 - アルプススタンドにも鉄傘がかけられ其の大きさから超大鉄傘へと変わる(1943年に撤去、以来復活していない)。
  • 1931年10月1日 - 三塁側アルプススタンド下に温水プール開場(1937年、甲子園プール完成に伴い閉鎖・現在は3塁側のブルペンに其の姿を変えているがブルペンの至る所にプールだったと言う証拠が分かる)。
  • 1934年 - 外野中央に2代目スコアボード完成(仮設板を入れると実質3代目スコアボード(通称・軍艦形))。
  • 1935年 - 日本で4番目(現存する球団では2番目)のプロ野球チーム「大阪野球倶楽部」設立。甲子園をフランチャイズとする。
  • 1936年 - 外野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリートに改築。「ヒマラヤスタンド」の愛称がつけられた。グラウンドが現在の両翼96m(95mとも)、中堅120mとなり現在の形となる。
  • 1943年 - 太平洋戦争に伴う軍事高揚のために鉄傘が供出される。
  • 1945年 - アメリカ軍に接収されたため、1946年度のプロ、高校の各種野球の公式戦の開催が出来ず(西宮球場で代替)。
  • 1947年5月26日 - ラッキーゾーン(外野のフィールドに本塁打が出やすくするように設ける金網柵)の設置工事が完了。両翼が91mとなる。この年スタンド・グラウンドのみ接収が解除される。
  • 1948年 - フランチャイズの暫定導入に伴い、タイガースだけでなく南海ホークスも本拠地として使用した(本来は大阪府中百舌鳥球場を使うところだが、施設上の問題から公式戦では使われず、当球場を使用した)。
  • 1951年 - 内野ネット裏を中心として銀傘が復活。
  • 1953年 - この年の日本ワールドシリーズ南海 - 巨人の第6試合が特例で当球場で開かれた。しかし有料入場者は6,346人でシリーズワースト記録となった。
  • 1954年 - スタンド下部分の接収が解除され球場全体が阪神電気鉄道に返還された。
  • 1956年 - ナイター照明設備完成。その年の夏の甲子園でも早速、ナイターゲームが誕生した。
  • 1958年 - スコアボードが完全手書き式に変更(※1934年に完成した2代目(通算3代目)のスコアボードは得点部分が機械仕掛けで表示される仕組みだったが、ナイター設備完成時に照明が反射して見辛いという苦情がきたためガラスを撤去。すると今度は雨で機械が故障するというアクシデントが生じたため結果完全手書き式になった)。スコア表示と下段を一部改造。
  • 1963年 - 内野側に広告設置。
  • 1964年2月14日 - 球場名を甲子園球場から阪神甲子園球場に変更。室内練習場完成。
  • 1973年10月22日 - 阪神対読売ジャイアンツ戦、勝ったチームがセ・リーグ年度優勝を決める試合で、巨人が9-0で勝ち、日本プロ野球記録の9年連続リーグ優勝を決めるが、阪神ファンが試合終了後余りの不甲斐ない試合に激怒し乱入。巨人の胴上げは宿舎で行う。
  • 1974年 - 看板広告を変更。
  • 1979年 - センターバックスクリーンに2面広告装置「トライビジョン」完成。1997年に4面広告装置「ペンタビジョン」に変更。
  • 1982年 - 銀傘をアルミ合金に葺き替え。オーバーシードによる天然芝の二毛作に成功し、通年緑化。
  • 1984年 - 開場60周年(開場以来の「甲子」の年にあたる)を記念し、スコアボードを老朽化した手書き式から電光掲示式に変更。手書き時代の雰囲気を残すため、日本初の白色電光式を採用。(3代目=仮設を入れると実質4代目)
  • 1985年 - タイガース創立50年を記念し、甲子園駅から球場へ続く通路に虎の銅像が建立される。
ジェット風船を使用した応援スタイルが定着
ジェット風船を使用した応援スタイルが定着
阪神電鉄本線、甲子園駅の臨時改札口を出て約20m先に設置されているモニュメント
阪神電鉄本線、甲子園駅の臨時改札口を出て約20m先に設置されているモニュメント
  • 1992年 - ラッキーゾーン撤去、両翼大拡張(両翼91m→96mに)。同時に、ラッキーゾーン内にあったブルペンも廃止され、ファウルグラウンドにあるブルペンを使用する事に。現在、ラッキーゾーンのフェンスは甲子園に最も近い県立西宮今津高校の中庭に立てている。
  • 1993年 - スコアボード右半分がカラービジョンになる。勝利インタビュー後の阪神タイガースの歌(六甲颪)合唱時のアニメーションのカラー化のほか、試合中のリプレイや、攻守交替時にCMが放映されるようになる(後に左半分もカラー化)。広告変更。
  • 1994年 - 開場70周年を記念し、開場当時の姿を模したモニュメントがはめ込まれた記念碑が甲子園駅前バス停付近に建立される(2006年10月にお色直しの上、虎の像のそばに移設。跡地にはグッズショップが建てられた)。
  • 1995年
  • 1996年 - アニメーション「炎の5回裏」登場。
  • 2001年 - 21世紀の大改修計画を明らかにする(後述)。
  • 2003年 - 内野席の一部座席間隔を拡大し、収容人員が53,000人に。
  • 2004年 - 室内練習場(テニス場の一部を改造)完成。女子トイレ増設、フェンスラバーの厚さをメジャーリーグ並みにするなどの改良工事実施。21世紀の大改修の具体案まとまる。また、この年の8月に甲子園が生誕80周年を迎える。
  • 2005年 - スコアボードのカラービジョンが従来のブラウン管方式からLED方式に改造され、よりクリアな映像が楽しめるようになった。また、バックネット付近のフェンス広告が、電動で回転するものに変更され、同広告のスポンサーもカネボウからグリコグループに変わった(後述)。
  • 2007年2月 - 室内練習場隣にクラブハウスが完成し、球場内にあったロッカー、トレーニングルーム等の選手関連施設や球団事務所がクラブハウスへ移転。
    • 3月4日 - 甲子園駅前バス停付近に新しく「タイガースショップ アルプス」が完成。同月開催の選抜高校野球からルール改正に伴い本塁周辺にダートサークルと呼ばれるライン(本塁を中心に円が引かれており、振り逃げできる打者が1塁に走ろうとせずにこの円を超えるとアウトになる。プロ野球では当面引かれない)が設けられた[2]。10月から本格的にリニューアル工事開始。
  • 2008年3月 - 第1期リニューアル工事完了。内野エリアが改築される。改築点は下の通り。
    • 一塁側のイエローシートと三塁側のオレンジシートをアイビーシートと改称して、全て緑色で統一した。
    • 席と席の間を若干、広げて座り易くした。席にはジュースのカップ等が入る様にしている。
    • ボックスシートにフィールドシートの名称を採り入れ、さらに最前列を前に出して増席した。

[編集] 施設概要

阪神甲子園球場 上空からの撮影(1985年、ラッキーゾーンが確認できる)
阪神甲子園球場 上空からの撮影(1985年、ラッキーゾーンが確認できる)
  • 所在地:兵庫県西宮市甲子園町1-82
  • 敷地面積 39,600m2(2007年までの公称値)38,500m2(リニューアル完了後の見込み値)
    • グラウンド面積 13,000m2(2009年~)
    • スタンド面積 22,600m2(2009年~)
      • 2007年までそれぞれ14,700m2、24,900m2と公称していたが、下述の改修工事に併せて再計測を行い、2007年までの実測面積は13,500m2、20,800m2であることが判明した。なお2008年シーズンは改修工事の途中であり、公表されていない。
  • 収容人数:46,229人(内野26,972人、外野19,257人)
  • センター 120m
  • 両翼 96m
  • 工事発注者:阪神電気鉄道
  • 設計・施工:大林組(※リニューアル工事も担当)
  • 球場使用料:基本は無料(一般向けへの貸し出しは行わない)

[編集] 21世紀の大改修

バックネット裏入口・改修工事前の撮影。球場外壁を覆う蔦
バックネット裏入口・改修工事前の撮影。球場外壁を覆う蔦
バックネット裏入口・改修工事前、蔦の伐採後の撮影。取り除かれた蔦の代わりに工期期間中は緑のパネルで全体を覆う。
バックネット裏入口・改修工事前、蔦の伐採後の撮影。取り除かれた蔦の代わりに工期期間中は緑のパネルで全体を覆う。

[編集] 2005年まで(構想段階)

1990年代初頭、いずれ来る甲子園球場の建替えについて、阪神電鉄首脳がドーム球場化を念頭において、アメリカの主要ドーム球場を視察して廻った。当初は阪神パーク跡地に、新甲子園ドーム球場を建設する計画もあったようである。その後、バブル崩壊や、西梅田再開発事業など優先事案があったこともあり、この建替え案は白紙撤回することとなる。だが、予てから球場の耐用年数が築80年程度と診断されていたことや、阪神・淡路大震災でスタンドの一部に亀裂や崩落が発生し、補修せざるを得なかったこともあり、改めて全面的な球場施設の改修について、建替えも含め具体的な構想が浮上した。そして2004年7月に構想の一部概要が報道された。内容は、当初計画されていたドーム球場ではなく天然芝の開放型球場とし、建替えではなく段階的にスタンドや銀傘、場内設備の全面改装をしていくこととして、西大阪線延伸事業が一段落する2008年のシーズンオフを目途に着工し、引き続き球場を使用しながら工事を進め、その他の大規模な工事についてはシーズンオフを中心として段階を追って行い、2010年以降の完成を目指す、というものであった。

[編集] 2005年(基本構想の発表)

2005年11月には基本構想として正式発表されている。改修に関する主な構想は下記の通り(詳細は後述の外部リンクを参照のこと)。

  • 2007年10月着工、2010年3月竣工。シーズンオフを中心に3期にわけて工事を行い、プロ野球・高校野球はともに開催予定とする。
  • 内野・外野ともに天然芝の形態、黒土、オープンエアー(グラウンドに屋根をかけない)。
  • 甲子園のシンボルとされている蔦を改修工事前に一旦伐採(2006年度と2007年度のシーズンオフ2年間に分けて行う)し、工事終了後に再植樹。
  • 2007年シーズンオフに銀傘を撤去し、2008年シーズンオフに新しい銀傘に付け替える。
  • バリアフリー対策により、収容人員を4万7,000人に縮小する。しかし、収容人数を減らすことにより今以上に阪神戦のチケットの競争率が高くなり、球場へ見に行けなくなるファンが今よりも増えてしまう可能性があるため、改修するのなら増席をするべきだという意見もある。

なお、この改修により2007年~2009年のシーズンは阪神がリーグ優勝・2位・セ・リーグクライマックスシリーズ優勝の場合でもポストシーズンゲーム(クライマックスシリーズ)と日本シリーズを甲子園球場で行わないこと(代替開催先は京セラドーム大阪または神戸市スカイマークスタジアムを使う予定)が2005年11月の実行委員会で了承された(試合ではないが、毎年甲子園で行われた「ファン感謝デー」は2007年はインテックス大阪に会場を移し「ファン感謝の集い」として行った。平年行われていたソフトボール軟式ボールを使ったエキシビジョンマッチなどは会場の都合で行えない)。また、ドーム化に関しては高校野球界から「青空の下でプレー出来なくなり、高校野球に相応しくない」との反対論が続出していた可能性が高いとされる。

[編集] 2006年7月の工事短縮公表

上記基本構想を若干変更し、銀傘設置工事を集中化(2008年度は旧来の銀傘を維持し、同年10月から2009年春の工事で撤去・付け替える)させることにより工事期間中に銀傘を設置した状況が維持されること、内野観客席は2008年シーズンからリニューアルされたものが使用されること、外周や売店をのぞいては2009年3月までに完成すること(2009年10月以降の工事で行うのが外周・売店のみの工事であり、おそらくポストシーズンゲーム(クライマックスシリーズ)や日本シリーズに支障をきたすことにはならない)が2006年7月に公表された。

[編集] 2008年3月、第1期改修完了

リニューアル工事と平行して球場内の飲食店も一新されることとなり、2008年1月29日、阪神電鉄本社は出店する飲食店の企業を公表した。その中には、あのケンタッキーフライドチキンの名前もあり、カーネル像も設置されることとなった。ケンタッキー側はカーネル像にユニフォームを着せたいと望んでおり、球団に使用許可を求めている。また従来からある「甲子園カレー」などを扱っていた飲食店も存続する。

3月11日大林組より引渡しを受け工事完了となった。後に無観客で行われた練習試合において選手達からグラウンドとダッグアウトとの段差が高すぎる(90cm)、後列の椅子と天井の間が無さすぎるなどの指摘を受け、椅子を前にずらすなどダッグアウト内の手直しを行った。3月22日第80回選抜高等学校野球大会で内野エリアのリニューアルオープンをむかえた。

また、バックスクリーン中央上部にプロ野球開催時に限り時計カウンターが仮設された。これは2008年から試合の攻撃間インターバルを出来るだけ2分15秒(投手交代時は2分45秒)以内に収めて試合時間短縮をしようという球界の奨励に基づいて義務付けられた時刻表示のため。

[編集] 甲子園にまつわるエピソード

[編集] スコアボード

[編集] 歴史

3代目スコアボードの全景(2007年第89回全国高等学校野球選手権大会)
3代目スコアボードの全景(2007年第89回全国高等学校野球選手権大会
スコアボードの右半分(2006年第88回全国高等学校野球選手権大会の決勝再試合)
スコアボードの右半分(2006年第88回全国高等学校野球選手権大会の決勝再試合)

開設当時の甲子園のスコアボードは得点掲示のみをする仮設の板であった。これは1924年の夏の高校野球の開催に間に合わせるために球場を建設したため、常設のものが間に合わなかったためである。1925年に選手名も表示するスコアボードが正式に開設された。この当時から球場独特の明朝体の選手・チーム名表記がなされていた。

しかし、当時のスコアボードは最大で十六回までしか書き記すことが出来なかった。1926年の夏の大会・静岡中学 - 前橋中学の試合は延長十九回まで続き、常設のスコアボードにやぐらで仮設のスコアボードを急ごしらえして凌いだ。その後1933年準決勝の明石中学 - 中京商業の試合は二度と破ることができない延長25回(現在規定では延長15回までのため)まで0-0の同点という試合(試合は中京商業がサヨナラ勝ち)となり、その仮設のやぐらに0のパネルが並び続けたため見辛いということから、1934年にスコアボードを改修することになった。

2代目のスコアボードは1934年から1983年までの延べ半世紀にわたって使用された。スコアボード左側に選手名表記、真ん中に時計とボールカウンター(ただしストライクも赤色ランプ)、審判団、右にスコア(当初は上段に九回まで、延長十回以後は下段に記した)を表記するものだった。高さは現在の3代目スコアボードの半分程度(スコア表示部分と三菱電機の広告がある緑色の部分の境目あたり)であった。

当初は阪神電鉄の車両部のスタッフが遠隔操作でスコアやボールカウンターを操作していたが、ナイター設備が1956年に完成すると、それをカバーする目的で使われていたガラスが反射して見辛いことから、ガラスを外して手動に改修。1958年にはスコア表示を十二回までとし、下段はその日の試合結果(プロ野球の場合は他球場の経過)を表すものに変更された。

2代目の選手名、(高校野球の)チーム名は、全て球場係員の手による、白ペンキを用いた手書きであった。選手名は全て明朝体に近い独特の書体で書かれていた(明朝体よりもやや横幅が広いので字全体がひしゃげた感じになる)。電光掲示が少なかった当時においても、明朝体で選手名を表示する球場は少なかった。

ただし基本的には2文字分記入するのが精一杯のサイズだったために、3文字はまだしも4文字以上の選手名の表示(記入作業)は難しいもので、チーム名も基本的には2文字分(例:広島商業は「広商」)の大きさだった。書体ともども、職人芸といえる高度な技術が必要であった。さらに作業はスコアボードの裏側で行われたため、夏期は屋外以上の熱気がこもり、肉体的にも消耗度の高い大変な作業であった。

また、雨中の試合においては手書きの部分のペンキが雨で流され、時間の経過とともに読みとれなくなることが多かった。この状態はよく「(スコアボードが)涙を流す」とか「洟(はな)を垂れる」などと表現されていた。

高校野球において、プロ選手(特に阪神タイガースの選手)と同じ苗字の選手がいた場合は、プロ選手用のボードを使いまわすこともあった。また、プロ選手のボードは金属製であったが、高校野球用はベニヤ板だった、との証言もある。

これらの特徴もまた甲子園の独特の雰囲気を演出していたため、2代目のスコアボードへ強い思い入れを持つオールドファンは多い。

その後球場開設60年を機にスコアボードの近代化を実施することになり、1983年秋から冬にかけて半世紀にわたって使用された2代目スコアボードが取り壊され、1984年から2代目をモチーフにした電光掲示板(3代目)を2代目の真後ろに設置した。3代目は2代目の雰囲気を残すため白色電光による白黒ボードとされた。イニング単位のスコア表示は十回までに省略されたが、新たに合計得点(計)・ヒット(H)・エラー(E)の数字も表記出来るようにした。上半分は現在のバックネット裏にあるものと同様にチーム名や各イニング得点などの部分ごとに分割されており、その下に白黒の大型電光掲示板があった。

1993年から右半分の電光掲示板がスコア部分を含めて一体化・全面カラー化され、動画も取り込めるようになった(三菱電機の「オーロラビジョン」を採用。なお十一回からは改めて十回までのスコアを消去した上で十一回からのスコアを入力(十一回以降のイニングの漢数字は1文字分のところに2文字が縦書きで表示される)。スコアのイニングス表示は大会の規定イニングス分【春の選抜大会と夏の全国大会の高校野球は十五回、プロ野球は十二回、プロ野球の日本選手権シリーズは十五回】までとなる)。

2005年からオーロラビジョンがブラウン管方式からLEDに変更されたため、スコア部分の1文字あたりドット数が増えた(16×16→24×24。オーロラビジョン以外の部分は16×16のまま)。ただし、LEDの方が電球より小さいため、文字の大きさ(縦・横の長さ)自体は変わっていない。現在のオーロラビジョンは49万1520個ものLEDによって構成され内部には人は居ない状態。

2007年現在、プロ野球開催時にオーロラビジョンで流されるCMトヨタ自動車上新電機伊藤ハム大阪四季劇場キリンビールアサヒビールなど。

なお、2代目以降、大時計下にはSEIKO,3代目の途中からCITIZENの広告が入り、2002年以降は右側オーロラビジョン下部にトヨタ自動車の広告が入る。

[編集] 表記

電光板左側の選手名・チーム名表記は、手書き時代と同じように明朝体の字体を忠実に再現している。ただ、選手名を表示する枠は一行で6文字までしか表示出来ないため、7文字を超える選手は文字を小さくして枠の中に二行に分けて表示している。

普段はオープン戦オールスター程度しか使用する機会がないため気付かないことが多いが、DH制に備えて選手名は10人分確保されている(9番打者の右横が投手枠)。また、試合開始30分前の先発バッテリー発表時には9番目の枠に投手、10番目の枠に捕手の名前を表示する。

審判員の名前は球審塁審の4人制のみの対応のため、高校野球時のナイターやプロ野球のオールスター・日本シリーズ開催時には外審もいるが、外審の名前は表示されない(プロ野球挙行時は外審がいる場合、試合開始前にスコアボード右側のカラースクリーン部分に並列する形で表示して紹介する)。球審の表記は他球場で用いられている「Plate umpire(プレート・アンパイア)」の略であるPLではなく、CHとなっている。これは「Chief umpire(チーフ・アンパイア)」の略かと思われる。プロ野球12球団の本拠地の中では、唯一のものである。かつての平和台野球場も球審はCHとなっていた。また塁審の表記はローマ数字とBの組み合わせとなっている(一塁→IB・二塁→IIB・三塁→IIIB)。

ヒット、エラー等の判定は審判の名前の上にある横三文字分の枠の中にヒットの場合はH、エラーの場合はEとエラーをしたポジションの数字が表示される(1ヒット1エラーの場合はHE7のように表示される。また1つのプレーで2人がエラーをした場合にはE53(この場合はサードとファースト)と表示される)。

スコアボードのチーム名(得点側)は漢字3文字(詰めても3.5文字)までしか表示出来ないため、高校野球時には工夫して表示している(例:智弁和歌山和智弁駒大苫小牧駒大苫)。ただし例外として秋田経法大附経法大附日高中津日高中津と4文字表示された例がある(スコアボードのLED化でドット数が増えたためと思われる)。この表示方法は、NHKABCの高校野球中継でも用いられていることが多い。また、1991年夏の大会では同名の高校を区別するため(詰めれば3.5文字入ることを利用して)、智弁和歌山→和・智弁智弁学園(奈良)→奈・智弁大阪桐蔭大・桐蔭桐蔭学園(神奈川)→神・桐蔭と中点付き(中点を0.5文字として)で表記された。なお、プロ野球の試合では漢字ではなくアルファベットの略称(阪神タイガース→T、読売ジャイアンツ→G、横浜ベイスターズ→YB、サーパス神戸(オリックスの2軍)→SKなど)で表示される。

高校野球のときは、観客にとってややこしいプレー・判定が出たときは(ボーク守備妨害など)、スコア表示の下に判定を表示する。何が起こったのか理解出来ない観客が多く、また説明もなかったので「表示してほしい」と要望されたことから始めた。

3代目導入と同時に、バックネット裏の簡易スコアボードも同時に電光表示化された。ただこちらは現状特に改修されておらず、スコアは十回までしか表示出来ないため延長戦で十一回以上となった場合は、一回~十回のスコアを全て消去した上で十一回の得点を一のところに、それ以降の回はイニング数の下一桁と同じ漢数字のところに表示している。

また、現在のバッターが誰かを表示するランプは2代目スコアボードのときからビジターの選手名とホームの選手名の間に9個の赤いランプがつけられていた。3代目スコアボードにも9個の赤いランプ(選手名の表示は10人分あるがDH制の場合ピッチャーは打席に入らないため)が踏襲されていた。1997年からは、それまで選手名とポジションの間で攻撃中のチームを表示していた赤いライン(1番~9番まで(DH制の場合はピッチャーのところまで)が1本につながっていた)を選手名ごとに区切った短い赤いラインで表示するようになった。

他の球場の多くが代打のポジションを「H」・「PH」、代走のポジションを「R」・「PR」としているのに対し、甲子園では代打は「」、代走は「」と漢字表記しているのも特徴である(オープン戦等でDH制の場合、指名打者は「DH」、投手は「P」と表記される)。

ポジションや得点部分で使用される数字の「3」には平仮名の「ろ」のような形のものが用いられている。

2003年9月15日には、阪神のサヨナラ勝ちでマジックを1としたデーゲーム終了後、マジック対象チームであるヤクルトの試合(対横浜)がオーロラビジョンで中継された。このときビジターチームの選手名が表示される部分の1番打者~9番打者のところに横浜・ヤクルト戦の1回~9回のスコアが、また10番目(DH制のときに投手名が表示される)のところに合計得点(計)が表示された(このときイニングの数字と計の文字は緑色で表示された)。

[編集] 球場のフェンス広告について

甲子園球場ではフェンス、スタンド、ベンチに広告看板を掲出しているが、高校野球の全国大会期間中は日本高校野球連盟との取り決めで外野フェンス、バックネット付近、ベンチについては広告をシートで隠している。

  • 外野フェンスに関しては、選抜高等学校野球大会時のみ、歴代優勝校の校章と校名、優勝回が書かれた白い校板を掲示していた。この校板は1932年の第7回大会から掲示されていたが、1984年の第56回大会2日目第1試合に行われた佐賀商高島の試合において、外野でワンバウンドしてラッキーゾーンに入る本来ならばエンタイトルツーベースとすべき当たりを審判はホームランと判定してしまう事件が起きた。校板が白くて大きいためにボールが見えにくかったためである。このために、翌日からは校板は取り外されることになった。
  • フェンス部分は1983年夏の大会まで内外野全て脱着式だったが、1984年に内野部分にラバーが貼られる様になってからは内野部分の広告はそのまま露出し、外野部分とバックネット付近の広告を外す(隠す)ようになった。
  • 1992年にラッキーゾーンが外され外野にラバーが貼られると大会名の入ったグリーンのシートで広告を隠している。
    • (例)通常主催者のクレジットは左中間、大会名は右中間のフェンス部分に表示される
    • 春の大会 主催 日本高等学校野球連盟・毎日新聞社 第○回選抜高等学校野球大会
    • 夏の大会 主催 日本高等学校野球連盟・朝日新聞社 第○回全国高等学校野球選手権大会
    • なお1995年選抜大会には阪神・淡路大震災の復興を祈念する文言が左中間側に、2008年の第80回大会記念には「今ありて未来も扉を開く」という大会歌今ありての歌詞の一部が右中間側にそれぞれ掲示されている。
  • なお、高校野球の兵庫県大会、あるいは1998年に開かれた「アジアAAA(トリプル・エー)野球選手権大会」(アジアの高校生年代の野球大会)の時は広告フェンスを隠さず、通常と同様の状態で試合を行っている。
  • 本塁後方のフェンス広告(2ヶ所)は2004年まではカネボウが、2005年からは江崎グリコおよびグリコ乳業が広告を出している。2005年から幕巻き取り式による電動で広告パターンを複数出せるようになった(商品名などをチェンジ出来る)。なお、オールスターゲームの時のみ協賛企業(三洋電機ガリバーインターナショナル)の広告となる。
  • バックスクリーンには三菱電機が広告を出している。バックスクリーン部分の広告は試合開始前、攻守交代時、本塁打時、試合終了後に点灯する。バックスクリーン下部(ペンタビジョン)の広告(1979年から2004年まではカネボウ、2005年からはグリコグループ)は電動により5種類のパターン(但しそのうち1種は試合中に使用する緑一色のパターンなので、広告として使用できるのは4種類)を掲示することができる。本塁打時には周囲の電飾が点滅するとともに「ホームランおめでとう!」のパターンが掲示される。
    • 2007年現在の広告パターンは、「(ポスカムの商品写真(クリアドライ))」、「(ポスカムの商品写真(フレッシュライム))」、「デンタルガムは、ポスカム。」、「ホームラン おめでとう!(岡田准一の写真入り)」。
  • 本塁後方のフェンス、バックスクリーンの広告看板の露出はプロ野球時のみ。

[編集] 甲子園と社会人野球

[編集] 甲子園球場とフットボール

基本的には野球以外のスポーツイベントに使うことがない当球場であるが、サッカーラグビーアメリカンフットボールといったフットボール競技に用いられることもある。

[編集] 連合体育大会

西宮市では、市立の全ての小学校および中学校の生徒による体育大会を、阪神甲子園球場にて毎年秋にそれぞれ1回開催している。

小学校と中学校は別々の開催であり、それぞれ「小学校連合体育大会(略称・小連体)」、「中学校連合体育大会(略称・中連体)」と呼ばれている。中連体は全員参加だが、小連体は6年生のみの参加である(かつては5年生も参加していた)。

球場まで市内南部の学校からはいずれも徒歩で向かうが、北部(生瀬駅西宮名塩駅周辺など)の学校からはバスで向かっている。

参加各校の生徒はスタンドで待機しつつ、観戦および応援をする。なお、観戦場所は学校毎に指定されているため、学校によって外野席になったり、屋根・テーブル付きの中央特別指定席になったりして差が出る(ただ場所は毎年順番に変わる)。

内容は、学校対抗でリレーなどのトラック競技を行ったり、市内全学校が地区毎に数ブロックに分かれて共同でマスゲーム・組体操を披露するものである。もちろん球場のフィールド内で行われるため、参加者全員が「甲子園の土を踏む」(といっても外野部分で組体操などを披露する生徒達は踏めないが)わけである。

この「甲子園の土を踏む」ことは全国の野球少年のあこがれであるが、少年期に西宮市に在住し、市立の小学校高学年または中学校に通った者であれば、その多くが「甲子園の土を踏む」ことを、男女を問わず実際に体験していることになる。

甲子園の外野部分の天然芝の中にはミミズが多数生息しており、特に裸足で行う組体操の時には、このミミズがしばしば参加者を驚かせることがある。また、連合体育大会開催前日には、甲子園球場近くの小・中学校が、甲子園球場周辺を掃除している。

中連体では、全プログラム終了後には、各校ごとに校歌を歌いながら人文字やエール交換をする。

阪神甲子園球場の改装工事に伴い、小連体・中連体共に2007年度から2009年度までの3年間休止される。

[編集] 映画・テレビドラマのロケーション