起亜タイガース

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起亜タイガース
各種表記
ハングル 기아 타이거즈
漢字 起亞 타이거즈
発音 キア=タイゴズ
英語 Kia Tigers
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起亜タイガース
創設年度 1982年
ロゴデザイン
Kia Tigers insignia.svg
所属リーグ
韓国野球委員会
歴代チーム名
  • ヘテ・タイガース(1982年 - 2001年7月)
  • 起亜タイガース(2001年8月 - 現在)
本拠地
光州起亜チャンピオンズフィールド(2014-)
Gwangju Kia Champions Field View 04.jpg
収容人員 22,000人
縁故地 光州広域市
永久欠番
7,18
獲得タイトル
韓国チャンピオン(10回)
1983・1986・1987・1988・1989・1991・1993・1996・1997・2009
成績(タイトル以外)
日韓クラブチャンピオンシップ出場(1回)(太字は優勝、斜体は準優勝)
2009
韓国シリーズ出場(10回)(太字は勝利した年)
10勝0敗
1983198619871988198919911993199619972009
プレーオフ(6回)(太字は勝利した年)
2勝4敗(太字は勝利した年)
198719891990199220022003
準プレーオフ(4回)(太字は勝利した年)
0勝4敗
199420042006・2011
Aクラス(20回)
1983・1985-1997・2002-2004・2006・2009・2011
Bクラス(13回)
1982・1984・1998-2001・2005・2007-2008・2010・2012-2014
球団組織
オーナー 鄭夢九(チョン・モング、現代・起亜自動車グループ会長)
運営母体 起亜自動車
監督 金杞泰

起亜タイガース(キア・タイガース、기아 타이거즈、Kia Tigers)は大韓民国のプロ野球チーム。縁故地(ホームタウン)は光州広域市。本拠地は同市内の光州起亜チャンピオンズフィールド(2014年シーズンより。2013年までは光州無等総合競技場野球場を使用)。この他、全羅北道群山市にある群山月明総合運動場野球場でも主催試合を行っている。チーム表記を「KIAタイガース」としているメディアもある。

もともとはヘテ製菓が所有していたが、2001年起亜自動車に買収され、現チーム名になった。

概要[編集]

ヘテ・タイガース時代(1982-2001)[編集]

1982年プロ野球発足の時、オーナーの出身地である当時の全羅南道光州市を本拠地に創設。初年度は選手構成にも苦しむほど貧しい戦力で苦戦を強いられた。結局1982年は4位に終わったものの、翌年の1983年、強打を前面にだしてMBC青龍を下して初優勝を飾った。

1985年までは打線に比べて投手力が劣り、再び優勝争いから遠ざかっていた。1985年後半宣銅烈の入団とともにチームの常勝球団に変貌し始めた。その後も、当時のルールだった地域優先ドラフトのおかげでフランチャイズの全羅南北道地域出身の優秀な選手たちを独占的に確保して、王者の戦力を保つことができた。それで、1986年から1989年にかけて韓国シリーズ4連覇と韓国初の連覇を達成。1996年から1997年にかけても韓国シリーズを連覇、2度目の連覇も韓国初だった。1983年から1997年の15年間、韓国シリーズに9回出場して、全部勝利している。

しかし、1997年シーズンオフに訪れたアジア通貨危機は一時代を築いた名門チームの運命を変えることになった。親会社のヘテグループはもともと食品事業を軸にしていて規模も小さく、ほかの球団の親会社と比べてチームへの支援は貧しい方だった。FA制度など存在しなかった当時の制度の下で、幾度も優勝を重ねた優秀な選手たちの年俸を極力押さえてチームを維持してきたが、この経済危機の影響で経営難に陥り、普段でも物足りなかったチームへの支援が断たれてしまった。それで、チームは主軸選手のトレードで得たトレードマネーで運営費に充てる事態にはまり、それまで築いてきた戦力はあっという間に解体されて弱体化の道を進むようになった。

チームを支えた選手たちがトレードやFAなどでチームを去り形骸化。最後の優勝からたった2年間で最下位候補の一角に成り下がった。そして、ついに18年間チームを指揮した金応龍(キム・ウンヨン)監督まで2000年シーズンの後三星ライオンズに移籍。戦える戦力を備える事のできなかったチームは、18年間チームを指揮して9度優勝に導いた名将に残留を嘆願することすらできないほどだった。金応龍が去った後は、かつてのチームの中心打者で当時コーチを務めていた金城漢(キム・ソンハン)が監督に就任。金城漢はチーム最初の生え抜き監督になる栄光を手にしたが、チームの前途は依然として暗いままだった。

起亜タイガース時代(2001- )[編集]

2001年シーズンまでタイガースの売却先を見つけ出せないまま、主力選手の金銭トレードで当てた運営資金も底をつき、9度優勝を誇る名門球団の存続すら危うくなっていた。同年7月、各方面の努力の結果、本拠地光州に組み立て工場を持っている現代-起亜自動車グループが球団の買収に合意[1]。シーズン途中の8月にチーム名を起亜タイガースへと変更した。タイガースのニックネームは、その名に9度優勝の歴史が重く圧し掛かっていて、その歴史に誇りを持っている地元ファンを配慮して、そのまま引き受けることにした。韓国プロ野球では球団買収と同時にニックネームまで変えるのが一般的であるが、タイガースだけは他のチームとは違って、名称が継承された。

2001年シーズン途中タイガースを買収した起亜自動車は、中日から退団した李鍾範(イ・ジョンボム)を復帰させる他、翌年から現代-起亜自動車グループの資金力を基に戦力補強の着手。ヘテ時代末期の弱体化された戦力を強化して昔の栄光を取り戻そうとした。

その甲斐もあって、2002年、2003年は2年連続で公式戦2位でポストシーズンに帰り咲いた。しかし、両年ともプレーオフで敗退。2004年は公式戦4位で準プレーオフ出場もまた敗退。2005年は序盤から不振で、ヘテ時代から数えても球団史上初のシーズン最下位に転落した。2006年は投打ともに建て直しに成功し、斗山ベアーズとの激しい4位争いを制し準プレーオフへ出場したがハンファ・イーグルスに敗退した。

ヘテ時代は韓国シリーズ9度出場で全部勝利、一見ポストシーズンに強そうな印象を与える同チームだが、意外にも韓国シリーズ以外のステージでは弱く、ヘテ時代から数えてプレーオフ・準プレーオフのステージでは2勝7敗である。なお、1989年のプレーオフで勝利したのを最後に、2001年起亜に身売りされた後まで含めてプレーオフ・準プレーオフのステージで7連敗を記録している。
最近は昔のような圧倒的な戦力を擁することができず、公式戦1位で韓国シリーズに直行することができていないため、ポストシーズンに出場してもプレーオフまたは準プレーオフから始めることが多い。しかし、プレーオフや準プレーオフでは、前評判で優位と言われた時でさえも上述のように敗退するなど失敗が続いている。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ、準プレーオフの試合で7連敗を記録した(2002年のプレーオフ第5戦、2003年のプレーオフで3連敗で敗退、2004年の準プレーオフで2連敗で敗退、2006年の準プレーオフ第1戦)。

ヘテ時代の偉業が余りにも強く影響をしていて、ファンからはAクラス入りやプレーオフ出場では満足されることなく、韓国シリーズ出場すら出来ない状態に不満を持った過激派のファンたちが球団の公式ホームページの掲示板などを通じて「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテと起亜は別のチームだ」、「起亜に栄光なるタイガースを名乗る資格はない」などと苛立ちを募らせたりしていた。 2007年においても、前年のBクラスチームがそろって巻き返して順位争いをしていた最中で5月の頃から最下位に低迷したことで、ファンの間で球団のチーム復興への意地を疑う動きが極まれ、団長や監督など球団首脳部が球団の公式ホームページの掲示板や球場外野席の横断幕で激しい非難の声に叩かれた。これに対して、球団側からホームページの掲示板の一時閉鎖および、名誉毀損の疑いで数人のファンに対して訴訟を起こすなどの事態にまで発展した。
こういう不満に加えて、老朽化した本拠地の無等球場に代わる新球場の建設を求める声も大きくなっているが光州市側は予算の問題を挙げて新球場の建設を渋っていた。

2007年は2年ぶり2度目の最下位に終わり、契約が1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン)監督を解任。SKワイバーンズを韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺汎鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッドコーチを監督に昇格させてデータ重視の野球でチームカラーの刷新を狙い、また崔煕渉(チェ・ヒソプ)、徐在応(ソ・ジェウン)、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手の思い切った補強を行った。
それで、シーズン開幕直前予想ではAクラスは安泰、前年優勝のSKワイバーンズに対抗する強力な優勝候補の一角とまで評された。しかし、これらのメジャーリーグ出身選手たちが揃って故障および不振に陥り、崔煕渉、徐在応は戦線離脱と2軍落ちを繰り返し、リマはシーズン途中解雇されるなど、期待を大きく裏切った。結果、夏場は若手の活躍で一時Aクラス入りを匂わせる追い上げを見せながら、終わってみれば公式戦6位。念願だった上位進出はならなかった。

2009年は開幕前さして下馬評は高くなかったが、中盤まで上位につけると、夏場になり7月末から8月中旬までの11連勝で波に乗り、首位に立ちそのまま12年ぶりの公式戦優勝を飾った。その背景としてはガトームソンロペスの両外国人投手の活躍で最強の先発投手陣ができあがったこと、LGから4月後半トレードで移籍した金相賢(キム・サンヒョン)、元メジャーリーガーの崔煕渉が本塁打を量産したことなどがある。またチームの快進撃により本拠地の光州・無等野球場は何度も入場券が完売する満員御礼となり、ビジターのソウル・蚕室野球場などにも大勢の起亜ファンが押しかけ、かつてないプロ野球人気の向上に大きく貢献した。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝3敗で破り、ヘテ時代以来12年ぶりの韓国チャンピオンとなった。同年11月14日、読売ジャイアンツとの日韓クラブチャンピオンシップにも出場したが4-9で敗れた。

2010年は金相賢など主力選手の故障、ロペスの不振、また2009年限りで退団したガトームソンの穴を埋める外国人投手に恵まれなかったことや、6月から7月にかけての球団ワースト記録となる16連敗もあり、5位にとどまりポストシーズン進出に失敗し、韓国シリーズ連覇はならなかった。2011年は公式戦4位となり、2年ぶりにポストシーズンへ進出したが、準プレーオフでSKに敗れた。同年10月18日、曺凡鉉監督が契約期間を1年残して辞任し、宣銅烈が2012年より17年ぶりに古巣へ復帰し監督に就任することが発表された。2012年3月末、4月7日の公式戦開幕を前に長年チームの顔だった李鍾範の現役引退が発表された(同年5月26日、李鍾範の盛大な引退式が行われた)。同年は5位で2年連続ポストシーズン進出に失敗した。9球団制となった2013年は8位に低迷し、2014年も2年連続8位と下位に低迷し、同年で宣銅烈監督は辞任した。

2014年10月、金杞泰監督が就任した。

2007年から2011年まで、春季キャンプは1月後半から2月末にかけて、日本・宮崎県の日向市お倉ヶ浜総合公園野球場で実施し、2014年の秋季キャンプは3年ぶりに同野球場で行われている。なお、2012年の春季キャンプはアメリカアリゾナ州サプライズと金武町ベースボールスタジアムなど沖縄県の野球場で実施された(2013年・2014年春季キャンプも同様)。

1982年の球団創設以来の光州無等総合競技場野球場の横で新球場・光州起亜チャンピオンズフィールドが2013年末に完成し、2014年シーズンから使用している。

歴代監督[編集]

  • 金東燁(キム・ドンヨプ、1982開幕-1982.4.28.)球団側との軋轢と成績不振で開幕1ヶ月足らずで解任。
  • 趙昌秀(チョ・チャンス、1982.4.29.-1982終了)監督代行
  • 金応龍(キム・ウンヨン、1983-2000)
  • 金城漢(キム・ソンハン、2001-2004.7.26.)成績不振で2004年シーズン途中解任。
  • 柳南鎬(ユ・ナモ、2004.7.27-2005.7.25.)2004年は監督代行、成績不振で2005年シーズン途中解任。
  • 徐定煥(ソ・ジョンファン、2005.7.26.-2007)2005年シーズンは監督代行。
  • 曺凡鉉(チョ・ボミョン、2008-2011)
  • 宣銅烈(ソン・ドンヨル、2012-2014)

永久欠番[編集]

主な在籍選手[編集]

投手[編集]


捕手[編集]


内野手[編集]


外野手[編集]


主な退団・引退選手およびコーチングスタッフ[編集]

韓国人選手およびコーチングスタッフ[編集]

金応龍(キム・ウンヨン)監督 (在籍年度1983-2000)
全盛期のヘテ・タイガースを率いた監督。ヘテ時代の韓国シリーズ9回優勝、4連覇、2連覇以上2回などの業績を残した。
物足りない親会社の支援にも関わらず、選手団を一手で掌握して、スター選手にまで鉄拳を辞さず、今まで韓国プロ野球きっての名将として称えられている。
監督として韓国プロ野球通算最多勝利記録保持者であり、2007年シーズン終了の時、同リーグ唯一の1000勝監督でもある。
これらの業績のため、ヘテ時代のほとんど(1983年-2000年)は彼が監督を務め、ブランク無しで18年間指揮をとったのも現在まで1チームにおける監督在任の韓国プロ野球史上最長の記録である。
その実績を買われて、三星ライオンズが2001年から招聘。
2002年同球団を初の韓国シリーズ優勝に導き、20年来の悲願を遂げさせるなど、チームを変えてもその手腕を発揮した。
2004年シーズンを最後に、韓国シリーズ10回優勝監督の名誉を手に、監督職から勇退。
2005年から2010年まで三星ライオンズの球団社長を務め、2013年よりハンファ・イーグルスの監督に就任。
金奉淵(キム・ボンヨン、在籍年度1982-1988)
韓国プロ野球初代ホームラン王。1983年シーズンの夏場、交通事故で重傷を負ったが、
その年の韓国シリーズで見事に復活、チームを初優勝に導く。
好打者が並んでいた1980年代のヘテ・タイガースの打線の中でも4番の座を譲らなかった中心打者であった。
金城漢(キム・ソンハン、在籍年度-選手:1982-1995、コーチ・監督:1996-2004)
ヘテ時代のチームを代表した打者。
韓国プロ野球初年度(1982年)は総員15人というチームの台所事情から投手と打者の二刀流を強いられ、投手としては10勝をあげ、打者としては69打点で打点王になる珍記録を残す。またこの年は本塁打も13本打っているがこれは2014年現在韓国プロ野球唯一、韓国以外でもメジャーリーグベーブ・ルース日本プロ野球大谷翔平のみが達成している「同一年での10勝かつ10本塁打」である。
その二刀流生活は85年まで続いたが、選手層が厚さを増すにつれ、ファーストに定着して打者に専念。「鴨尻打法」という独特のフォームから繰り出す勝負強い打撃を見せた。
1991年日韓スーパーゲームの第1戦で伊良部秀輝からホームランを打ち、東京ドームでホームランを記録した最初の韓国出身選手になる。
最多本塁打3回、最多打点2回のタイトルを獲得。また、韓国プロ野球初のシーズン30本塁打の記録も樹立した。
現役時代の功績によって、引退後はチームのコーチを経て、2001年、金応龍が三星ライオンズに去った後を継いで監督に就任。
しかし、監督になってからは、現役時代と比べてチームの戦力が低下して思うような成績をあげられない中で、所属選手を殴る傷害事件を起こし物議を醸した。これが引き金になって、2004年シーズン途中、監督職から退任。
その後は母校の郡山商高の監督を経て、現在は韓国のスポーツ専門ケーブルチャンネルのMBC-ESPNで解説を務めた。
2009年、ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表のヘッドコーチを務めた。2013年よりハンファ・イーグルスの首席コーチに就任。
金茂宗(キム・ムジョン、在籍年度1983-1988)
日本名は木本茂美広島東洋カープに在籍していた在日韓国人選手。
1983年から88年まで捕手として在籍し、3度の韓国シリーズに出場し優勝に貢献。
5度のオールスター戦に出場し、1986年オールスター戦ではMVPを受賞。
朱東植(チュ・ドンシク、在籍年度1983-1984)
日本名は宇田東植日本ハムファイターズ阪神タイガースに在籍していた在日韓国人投手。
1983年から84年まで在籍し、通算16勝をあげた。
李順喆(イ・スンチョル、在籍年度1985-1997)
俊足巧打のリードオフとしてヘテの全盛期を支えた選手。
1985年入団。同じ年に入団した宣銅烈を押しのけてその年の新人王に選ばれる。
タイトルは最多盗塁3回。李鍾範の台頭とともに影を潜め、現役最後の年は三星にトレードされた。
その後、三星ライオンズ、LGツインズのコーチを経て、2004年LGのチームの監督に就任。
結局、2年連続6位の後、2006年は最下位に沈み、シーズン途中の6月で辞任の形式で退団。
2007年は金城漢とともにMBC-ESPNの解説者として活躍した。
2008年はウリ・ヒーローズのヘッドコーチに就任したが、同年限りで退団。
2009年、ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表の打撃コーチを務めた。
2012年より起亜タイガースの首席コーチに就任。
宣銅烈(在籍年度1985-1995)
中日ドラゴンズ、前身のヘテ時代に在籍。詳細は本人の項目を参照。
金正洙(キム・ジョンス、在籍年度1986-1999)
レギュラーシーズンでの活躍に比べて、韓国シリーズで強かったいわゆるシリーズ男の左腕投手。
現在まで韓国シリーズ最多勝利記録保持者で、その活躍ぶりから、「秋のカササギ」というニックネームをつけられた。
SKワイバーンズ在籍時の2003年には韓国シリーズに出場し、41歳での韓国シリーズ最年長登板記録を保持している。同年限りで現役引退。
韓大化(ハン・デファ、在籍年度1986-1993)
大学を卒業してプロ入り後3年間はOBベアーズに在籍していた。強打の三塁手として活躍。詳細は本人の項目を参照。
金大鉉(キム・デヒョン、在籍年度1986-1988)
かつて先発ローテーションを担っていたが、交通事故で死亡。
李強喆(イ・ガンチョル、在籍年度1989-1998、2001-2005)
宣銅烈の高校の後輩で、宣銅烈とともにチームを支えてきたサブマリーン投手。
安定感が抜群で、10年連続二ケタ勝利の記録は先輩の宣銅烈でさえできなかった離れ業であり、今も韓国プロ野球記録として残っている。
1999年フリーエージェントで三星ライオンズに移籍したが、故障でヘテ時代のような投球ができず、精彩を欠く。
2001年シーズン途中、トレードで古巣に復帰。以後は中継ぎで2005年まで現役を続けた。現役引退後は指導者になり、ネクセン、起亜で投手コーチを歴任し、2013年よりネクセン・ヒーローズの投手コーチ。
趙啓顯(チョ・ゲヒョン、在籍年度1989-1997)
高校時代は剛速球投手として名を馳せたが、プロに入ってからは、多種の変化球を駆使する技巧派投手に転身。
1990年代前半は抑えに転身した宣銅烈に代わり、ローテーションのエースになる。
1993年、1994年2年連続最多勝利、1995年は最優秀防御率のタイトルを獲得。
正面から相手打者を睨みながらワインドアップに入る投球姿勢から「闘鶏」というニックネームがつけられた。
またLGツインズと相性がよく、「LGキラー」の別名も持つ。
1994年、チームはLGツインズ相手に7勝11敗と負け越したが、7勝のうち6勝を一人で挙げたこともあった。
1997年シーズン終了後、三星ライオンズのトレードされた。その後、2000年、斗山ベアーズに移籍。2001年、現役引退した。
その後、指導者の道を歩み、三星ライオンズ、斗山ベアーズなどの投手コーチを歴任している。
2008年北京オリンピック韓国代表の投手コーチを務めた。
林昌勇(イム・チャンヨン、在籍年度1995-1998)
シカゴ・カブス、元東京ヤクルトスワローズ。詳細は本人の項を参照。
金相辰(キム・サンジン、在籍年度1996-1998)
将来のエース候補で1996-1997年韓国シリーズ連覇に貢献した投手だったが、1999年に胃癌のため22歳の若さで死去
張盛好(チャン・ソンホ、在籍年度1996-2010)
入団1年目から主力打者として活躍し、独特の一本足打法で、2002年には首位打者となる。
2005年FAを行使し残留したが、その後出場機会が減り、2009年オフ2度目のFAを行使したものの、高額年俸がネックとなり起亜に残留となった。
本人のトレード要請により、2010年3対3の大型トレードでハンファ・イーグルスへ移籍。2012年2000本安打を達成。
馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度2004-2005)
通算200本塁打以上の大砲として2003年オフ三星ライオンズから巨額でFA移籍したが、年齢による衰えで期待に応えられなかった。
2005年シーズン終盤に2軍落ちすると首脳陣批判を繰り広げ、この年のオフ4年契約の2年目終了時点でLGツインズにトレードされた。
全炳斗(チョン・ビョンドゥ、在籍年度2005-2008)
2008年シーズン途中SKワイバーンズにトレード。詳細は本人の項を参照。
鄭珉台(チョン・ミンテ、在籍年度2008)
かつては現代ユニコーンズのエースとして活躍。
同球団の解散後、新球団ウリ・ヒーローズとは契約せず、7000万ウォンと格安の年俸で起亜に入団した。
しかし、肩の手術やリハビリのため2005年以降1勝もあげられず力の衰えは顕著で、新天地でもほとんど2軍暮らしが続き、7月に突如現役引退を表明。
文鉉晶(ムン・ヒョンジョン、在籍年度2002-2010)
2007年は、チームの左のリリーフとして活躍していたが、2008年は結果を出せず登板機会が減り2010年シーズンオフに退団。
金炯哲(キム・ヒョンチョル、在籍年度2008-2010)
2007年オフにSKワイバーンズから移籍し、代走要員として起用される。
しかし、極度の打撃不振から抜け出せず、2010年10月6日に自由契約。
孫正勳(ソン・ジョンフン、在籍年度2009-2010)
2009年に鳴り物入りして入団したが、2年間で1度も1軍出場がなく退団。
金鍾國(キム・ジョングク、在籍年度1996-2010)
ヘテ時代から、李鍾範と二遊間コンビを組み高い守備技術を中心に活躍。2010年オフに現役を引退。
李大振(イ・デジン、在籍年度1993-2011)
1990年代後半ヘテのエースとして活躍したが、2000年ごろから故障に悩まされ一時期打者にも転向した。2009年個人通算100勝を達成。2011年シーズン途中の7月にウェーバー公示され、LGツインズへと移籍し2012年に引退。2014年より投手コーチとして起亜に復帰。
李鍾範(イ・ジョンボム、在籍年度1993-1997、2001-2012)
走攻守そろった大型内野手として活躍し、「風の子(パラメアドゥル)」と呼ばれた。1998年から2001年まで中日ドラゴンズにも在籍。詳しくは本人の項を参照。
金相賢(キム・サンヒョン、在籍年度2009-2013)
2009年シーズン開幕後の4月にLGツインズより移籍し、この年本塁打・打点の打撃二冠王、シーズンMVPを受賞し起亜タイガースとしての初、ヘテ時代以来通算10度目の韓国シリーズ優勝に貢献。2013年5月トレードでSKワイバーンズへ移籍。詳しくは本人の項を参照。
李容圭(イ・ヨンギュ、在籍年度2005-2013)
LGツインズから移籍し2005年より主力外野手として活躍。2013年11月、FAハンファ・イーグルスへ移籍。詳しくは本人の項を参照。
尹錫珉(ユン・ソンミン、在籍年度2005-2013)
詳しくは本人の項を参照。
宋恩範(ソン・ウンボム、在籍年度2013-2014)
詳しくは本人の項を参照。

外国人選手およびコーチングスタッフ[編集]

ホセ・マラベ(在籍年度2000)
横浜ベイスターズ
アルキメデス・ポゾ(在籍年度2000)
横浜ベイスターズ
ゲーリー・ラス(在籍年度2001)
読売ジャイアンツ東北楽天ゴールデンイーグルス
ルイス・サントス(在籍年度2001)
読売ジャイアンツ
ルディ・ペンバートン(在籍年度2002)
西武ライオンズ
ダニエル・リオス(在籍年度2002-2005)
東京ヤクルトスワローズ
マイク・ジョンソン(在籍年度2003、2005)
大阪近鉄バファローズ。シドニー五輪、北京五輪でカナダ代表として出場。
2009年シーズンSKワイバーンズと契約して韓国球界に復帰。
セス・グライシンガー(在籍年度2005-2006)
千葉ロッテマリーンズ。2006年には先発として29試合に登板し、14勝12敗、防御率3.02、164奪三振という成績を残した。
起亜在籍時の登録名は「グレイシンオ(그레이싱어)」。
スコット・シーボル(在籍年度2006)
広島東洋カープ
フェリックス・ロドリゲス(在籍年度2007)
2006年までサンフランシスコ・ジャイアンツアリゾナ・ダイヤモンドバックスフィラデルフィア・フィリーズニューヨーク・ヤンキースなどでセットアッパーとして活躍。
ウィルソン・バルデス(在籍年度2008)
東京ヤクルトスワローズ。起亜での登録名は「バルデス」。
ホセ・リマ(在籍年度2008)
デトロイト・タイガースヒューストン・アストロズロサンゼルス・ドジャースカンザスシティー・ロイヤルズニューヨーク・メッツなど。2010年5月死去。
フェリックス・ディアス(在籍年度2008)
北海道日本ハムファイターズ
リック・ガトームソン(在籍年度2009)
東京ヤクルトスワローズ
アキリーノ・ロペス(在籍年度2009-2011)
トラビス・ブラックリー(在籍年度2011)
アンソニー・レルー(在籍年度2012-2013)
福岡ソフトバンクホークス
デニス・ホールトン(在籍年度2014)
元福岡ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツ
ハイロ・アセンシオ(在籍年度2014)
池内豊(在籍年度2003-2005)
阪神タイガース。コーチとして在籍。
神部年男(在籍年度2008-2009)
近鉄バファローズ。コーチとして在籍。
杉本正(在籍年度2010)
西武ライオンズ。コーチとして在籍。
平野謙(在籍年度2011)
中日ドラゴンズ。コーチとして在籍。
高橋雅裕(在籍年度2011)
横浜大洋ホエールズ。コーチとして在籍。
高橋三千丈(在籍年度2012)
元中日ドラゴンズ。コーチとして在籍。
松山秀明(在籍年度2012)
オリックス・ブレーブス。コーチとして在籍。
南谷和樹(在籍年度2012)
元サムソン、楽天、西武コーチ。コーチとして在籍。
花増幸二(在籍年度2013-2014)
日本ハム三星ライオンズハンファ・イーグルスコーチ。コーチとして在籍。
長谷部裕(在籍年度2014)
元中日ドラゴンズ。コーチとして在籍。
田中実(在籍年度2014)

:元日本ハムファイターズ。コーチとして在籍。

中村武志(在籍年度2015-)
元中日ドラゴンズ。コーチとして在籍。

脚注[編集]

  1. ^ 同グループはかつて現代グループ(当時現代ユニコーンズを所有していた)に属していたが、前年(2000年)に分離した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]