鄭珉哲

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鄭 珉哲
2015年3月24日
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 大田広域市
生年月日 (1972-03-28) 1972年3月28日(52歳)
身長
体重
188 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 KBO高卒優先指名
初出場 KBO / 1992年4月5日
NPB / 2000年5月18日
最終出場 KBO / 2009年6月18日
NPB / 2001年6月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ハンファ・イーグルス (2010 - 2014)
チョン・ミンチョル
各種表記
ハングル 정민철
漢字 鄭珉哲
発音: チョンミンチョル
ローマ字 Jeong Mincheol
本人表記: Jung Min-Chul
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鄭 珉哲(チョン・ミンチョル、韓国語:정민철、1972年3月28日 - )は、大韓民国大田広域市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

第一次ハンファ時代[編集]

1991年大田高等学校からピングレ・イーグルスに入団。

高卒でありながら1年目から先発とリリーフを行き来して、14勝4敗7セーブ、防御率2.48の成績で最高勝率投手タイトルを獲得。2年目のジンクスもなく、途中で防衛兵として兵役を全うしながらも先発ローテーションを守った。

入団から日本移籍まで8年の間、大きな故障もなく、1年も欠かさず二桁勝利を挙げた。その間、7シーズンが13勝以上、防御率3.21以下の抜群の安定性を誇り、「いつも計算できる投手」として韓国トップクラス投手の座を固めた。

1999年は自己最多の18勝をあげ、チームの初優勝に貢献。

読売時代[編集]

主軸投手としての功績を球団に認められ、個人通算100勝を手土産に2000年にレンタル移籍で読売ジャイアンツに入団。

しかし外国人枠に阻まれたことも影響して一軍出場は限られ、当時の巨人ではビル・ガリクソン以来の外国人投手初登板初勝利を挙げたものの、その後は期待された成績を残すことは出来なかった。

2001年シーズン後に退団した。

第二次ハンファ時代[編集]

2002年、古巣のハンファに復帰した。

しかし、復帰後は巨人時代の調整不足の影響でまるで巨人移籍前とは別人のような無力なピッチングで成績が落ち、2004年は韓国プロ野球でデビュー以来、初めてシーズン0勝に終わった。

その後は変化球を多用する投球術を磨き、2007年には韓国球界復帰後としてはキャリアハイの成績を挙げ韓国通算150勝を達成したが、2008年は再び不振の投球が目立ち6勝止まりでチームもプレーオフ進出が3年連続で途切れた。

2009年は力の衰えもあって開幕から1勝もできず6連敗で、チームも最下位に低迷していたこともあり、再建のためシーズン途中の7月にプレイングコーチに就任した。

その後1軍登板の機会はなく9月に2009年限りでの現役引退を表明し、最後につけていた背番号23はハンファの永久欠番となることも決まった。

引退後[編集]

9月12日、ハンファの本拠地・大田でのヒーローズ戦で引退セレモニーが行われ、背番号23をたたえるモニュメントも球場内に設置された。

2010年からハンファの投手コーチに就任した。

2014年限りでハンファを退団し、2015年より韓国のスポーツ専門チャンネルで野球解説者として活動した。

2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ2018年アジア競技大会の投手コーチを務めた。

2019年10月、ハンファの団長(現場の最高責任者)に就任、2022年10月まで務めた。

プレースタイル・人物[編集]

通算勝利数161勝は韓国プロ野球史上2位で、韓国プロ野球では4名しかいない個人通算150勝以上の投手の一人である(2022年シーズン終了時点)。

韓国内でも人気のあったSPEEDの大ファンだった。誰のファンかは不明だが、報知新聞の「ジャイアンツ日記」で「2番目か3番目がいいですね」と話していたため、今井絵理子hiroの可能性が高い。来日直後にCDを買いに走り、よく聞いていたがその直後に解散。本人は大きなショックを受けた。その後初登板時に翌日のスポーツ紙はこぞって「SPEEDのファン」と書いていた。

NHKのハングル講座に出演したことがある。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 ビングレ
ハンファ
33 22 10 3 14 4 7 -- .778 785 195.2 141 15 68 4 4 145 61 54 2.48 1.07
1993 18 17 10 1 13 3 1 -- .813 596 148.1 117 10 40 0 6 110 40 37 2.24 1.06
1994 28 27 9 4 14 10 0 -- .583 863 218.0 156 6 56 1 7 196 59 52 2.15 0.97
1995 22 22 8 2 13 7 0 -- .650 678 162.2 152 12 40 3 10 127 65 58 3.21 1.18
1996 32 29 9 4 13 12 1 -- .520 879 219.2 173 16 48 4 9 203 81 74 3.03 1.01
1997 31 30 10 4 14 11 0 -- .560 825 208.2 172 11 45 2 4 160 69 57 2.46 1.04
1998 23 23 1 0 10 7 0 -- .588 607 148.1 133 12 35 4 2 97 55 52 3.16 1.13
1999 32 29 2 1 18 8 1 -- .692 834 201.2 179 22 57 3 12 151 92 84 3.75 1.17
2000 巨人 4 4 1 1 0 2 0 0 -- 1.000 80 18.2 21 4 3 0 1 16 0 0 10 10 4.82 1.29
2001 8 6 1 0 1 1 2 0 -- .333 176 40.2 43 8 15 1 2 28 2 1 22 21 4.65 1.43
2002 ハンファ 26 24 0 0 7 13 0 0 .350 599 138.0 144 19 39 1 9 116 83 82 5.35 1.33
2003 26 26 0 0 11 10 0 0 .524 598 139.2 132 18 51 1 4 73 65 62 4.00 1.31
2004 13 13 0 0 0 6 0 0 .000 260 54.0 76 11 18 0 3 22 50 46 7.67 1.74
2005 25 25 0 0 9 3 0 0 .750 495 115.2 124 14 26 0 6 56 70 62 4.82 1.30
2006 25 24 0 0 7 13 0 0 .350 563 130.2 142 18 42 0 5 62 68 57 3.93 1.41
2007 26 26 1 1 12 5 0 0 .706 638 155.1 155 11 32 1 8 66 58 50 2.90 1.20
2008 25 25 0 0 6 10 0 0 .375 554 127.1 144 13 40 0 5 56 78 74 5.23 1.45
2009 8 8 0 0 0 6 0 0 .000 158 31.0 54 7 18 0 0 21 36 34 9.87 2.32
KBO:16年 393 370 60 20 161 128 10 0 .557 9932 2394.2 2194 215 655 24 94 1661 1030 935 3.51 1.19
NPB:2年 12 10 2 1 1 3 2 0 -- .600 256 59.1 64 12 18 1 3 44 2 1 32 31 4.70 1.38
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ピングレ(ピングレイーグルス)は、1993年にハンファ(ハンファイーグルス)に球団名を変更

タイトル[編集]

KBO

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 55(1992年 - 1999年、2002年 - 2004年)
  • 30(2000年 - 2001年)
  • 23(2005年 - 2009年)
  • 71(2010年 - 2012年)
  • 88(2013年 - 2014年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]