SPEED
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| SPEED | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | 歌手グループ |
| 活動期間 | 1996年8月~2000年3月 2001年10月~12月 2003年4月~12月 |
| レーベル | トイズファクトリー(1996年8月~2000年3月、2001年10月~12月) SONIC GROOVE(2003年4月~12月) |
| 事務所 | ヴィジョンファクトリー(VISION FACTORY) |
| 共同作業者 | 伊秩弘将 水島康貴 |
| 影響 | TLC |
| メンバー | |
| 島袋寛子 メインボーカル 今井絵理子 メインボーカル 上原多香子 コーラス、ダンス 新垣仁絵 コーラス、ダンス |
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SPEED(スピード)は、日本の女性4人組の歌手グループ。1990年代後半を代表する女性アイドルグループだったが2000年に解散した。『White Love』、『my graduation』はメガヒットを記録し、それぞれ冬の名曲、卒業の名曲として知られる事となった。その頃にリリースされた曲は次々とミリオンセラーとなった。又、数多くのCMにも抜擢された。主なプロデューサーは伊秩弘将。
目次 |
[編集] メンバー
- 島袋寛子 (しまぶくろ ひろこ、hiro、1984年4月7日 A型)
- 今井絵理子 (いまい えりこ、elly、1983年9月22日 O型)
- 上原多香子 (うえはら たかこ、1983年1月14日 A型)
- 新垣仁絵 (あらかき ひとえ、HITOE、1981年4月7日 AB型)の4人。
いずれも沖縄アクターズスクール出身。
[編集] 島袋寛子
メンバー最年少。メインヴォーカルを担当。突き抜けるような高音が特徴。最年少とは思えない受け答えでよく「しっかり者」と言われていた。年上の上原がいつも甘えていたほどである。が、一方で何事にも真剣に考え悩む一面があり、精神的な“もろさ”も持ち合わせていた。 性格が非常に真面目で「正義感が強い」「自分の心に嘘つかない」等コメントも真面目なものばかり。グループ解散後はポップスの他、ジャズ、また歌手活動以外にも、映画やミュージカルにも挑戦している。
[編集] 今井絵理子
メインヴォーカルを担当。パンチのある歌声で特にアップテンポの曲でリーダーシップを取っていた。ライブを盛り上げるのがうまく元気で「ステージの人」とも言われる。 人一倍仕事熱心で、仕事に関して自分にも他人にも厳しかった。何でも自分が納得できるまでチャレンジし、きつい事でも率先してやっていた。時にはやる気の見えないメンバーに激怒したこともあったという。自分の仕事が少なくてムシャクシャしていたというエピソードも今井らしい。また、解散に対して唯一消極的で(メンバーそれぞれの道を尊重したものの)できればしたくないとしていた。グループ解散後は歌手の他に女優としても活動。
[編集] 上原多香子
ダンス&コーラスを担当。美人なのに天然ボケで、おしゃべりで甘えん坊で、誰でも話しやすい雰囲気を持っていた。 そんな上原を島袋は「全てを調和する存在」と評価、振付師の中尾有里も「飄飄としていたけど、おとなしい寛子をいつも引っ張っていたのも多香子。グループのバランスを図っていたしっかり者」と称賛を惜しまなかった。なお、上原は島袋とよほど気が合うのか、TVなどでじゃれ合う姿が目立っており、ファンやスタッフの間で“仲良しコンビ”と専らの評判だったが、 その一方で島袋と今井、島袋と新垣は(仲が悪いわけではないが)互いに年齢や性格、仕事の関係上、やや話しづらかったと語っていた[1]。 グループ解散後は歌手・女優・CMモデルと、タレントとして幅広い分野で活動している。
[編集] 新垣仁絵
メンバー最年長。最年長ということもあり、グループのリーダーである。メンバーの意見をまとめたり、料理を作ったり、宿題の点検をしたりするなど、まるでメンバーの母のようであった。SPEEDではダンスとコーラスを担当していたが、中でもダンスのセンスはグループ髄一で与えられた振りを崩して自分流にアレンジしていた。 性格は「怒ると怖い」ということ。初期の頃、今井と些細な事から大喧嘩して以来メンバーに「怒らせると怖い」という認識を植えつけてしまったという(自称SPEEDの“裏ボス”だと語っていた)。一方でオヤジギャグを連発するなどお茶目な一面も見せており、リーダーとして、あるいはメンバーの一人として、二つの顔をうまく使い分けていた。グループ解散後はファッションデザイナーやイラストレーターとして活躍。
[編集] 来歴(誕生~解散)
[編集] 1992年~ SPEED誕生
| 1992年~1995年(詳しい期間は不明) | |
|---|---|
| 『BRAND-NEW KIDS』として活躍。 今井がメインのユニットでSPEEDメンバー4人、沖縄を中心に活躍中のCHIHARU、台湾を中心に活躍中の千田愛紗含む8人組のユニットだった。 |
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| 1995年 | |
| 春先、『沖縄アクターズスクール(以下OAS)』応接室に呼ばれる。 4人揃ってデビューの誘いを受ける。 |
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| 10月 | 17日、4人が沖縄から初上京する。(3日間) 東京でのレッスンが開始された。 |
| 11月 | 11日、日本テレビ系の音楽番組『THE夜もヒッパレ』に初出演。 4人でのテレビ出演はこれが初めてとなった。 |
| 12月 | 2日、日本テレビ系『THE夜もヒッパレ』に出演。 グループ名を番組内で公募する。 |
| 1996年 | |
| 1月 | 13日、『THE夜もヒッパレ』でグループ名が『SPEED』に決定する。 候補の中には、沖縄出身ということで「琉球ガールズ」「ハブとマングース」「スーパーモンチッチ」等の名前があった。その中で最終候補として残ったのが、「沖縄チャキチャキ娘」と「SPEED」の2つ。 英語表記での候補名は「SPEED」だけであった。 なお、この日がSPEEDの正式結成日とされている。 20日、ラジオ初収録。 『斉藤一美のとんカツワイド』(文化放送)で初めてラジオ番組にゲスト出演。 23日、『UP to boy』初登場。 |
| 4月 | 29日、『Body & Soul』のレコーディング開始。 |
| 6月 | 1日、CM撮影。 4人にとって初のCM撮影。アニメーションとの合成だったため、ブルーバックでの撮影に初挑戦した。 |
| 7月 | 22日、『Body & Soul』幻の発売日。 |
[編集] 1996年8月~ CDデビュー、一躍人気グループへ
| 1996年 | |
|---|---|
| 8月 | 5日、1stシングル『Body & Soul』発売。 某日、メンバーが東京に引っ越す。 |
| 9月 | 1日、メンバーが、都内の小中学校に編入する。 島袋が品川区立第四日野小学校に、他の3人が品川区立日野中学校に編入した。 17日、『OAS』を卒業する。 |
| 10月 | ~1998年9月、『BAD BOY』の広告展開。 SPEEDが、『BAD BOY』のイメージキャラクターとして起用される。 6日、初レギュラー番組日テレ「アムロ今田きっとNO.1」出演開始。 安室奈美恵司会のトーク番組で、初のスタジオ収録のバラエティ番組に出演。 13日、『ハイ!SPEEDで行こう!』スタート。 SPEEDのラジオ番組『ハイ!SPEEDで行こう!』(ニッポン放送)がスタート。 |
| 11月 | 18日、2ndシングル『STEADY』発売。 |
| 12月 | 6日、『第29回日本有線大賞』新人賞受賞。 31日、『レコード大賞』新人賞受賞。 TBS系『第38回輝く!日本レコード大賞』で、『BODY & SOUL』が新人賞を受賞した。 |
[編集] 1997年~ デビュー1周年、ファーストライブ開催
| 1997年 | |
|---|---|
| 3月 | 島袋・品川区立第四日野小学校卒業。 新垣・品川区立日野中学校卒業。 ファンクラブ『SPEED SPIRITS』発足 。 3日、第34回ゴールデン・アロー賞音楽新人賞受賞。 5日、『第11回日本ゴールドディスク大賞』BEST 5 NEW ARTIST賞受賞。 26日、3rdシングル『Go! Go! Heaven』発売。 |
| 4月 | 島袋・品川区立日野中学校入学。 25日、1st写真集『SPEED』発売。 ワニブックスより出版。撮影は加納典明。 |
| 5月 | 21日、1stアルバム『Starting Over』発売。 21日、渋谷タワーレコードにてシークレットミニライブを敢行。 アルバム発売記念として渋谷タワーレコードの屋上で500人を前にシークレットミニライブを敢行し、シングル曲を何曲か披露した。 |
| 7月 | 20日、『SUPER LIVE '97 in YONAGO』出演。 26日、『Jam Jam '97 in atema』出演。 30日~31日、1stライブ『Starting Over from ODAIBA』開催。 お台場で初の本格的なライブを行う。2DAYS、2万枚ののチケットが発売開始からわずか1時間で売り切れになり、まさにプレミアムライブとなった。2日間で2万人を動員した。 |
| 8月 | 5日、デビュー1周年。 6日、4thシングル『Wake Me Up!』発売。 7日、トリビュートアルバム『DANCE with YOU』発売。発売記念ライブを行う。 作詞家・阿久悠のトリビュートアルバム。SPEEDほか全7組のアーテイストが 、阿久作詞の1970年代のヒット曲をカバー。SPEEDが歌ったのはピンク・レディーの『ウォンテッド (指名手配)』と『サウスポー』の2曲。 8日、『篠原ともえとお友達ライブ』出演。 “お台場祭り”にて、篠原ともえの友達としてライブにゲスト出演。 9日、『KIT POP HILL '97』出演。 12日、『志度テアトロンSUPER LIVE '97』出演。 13日、神戸~鳴門ルート全通記念『Awaodori Live Carnival Super Live '97』出演。 19日、RKB毎日放送『もも缶スペシャルサマーライブ』出演。 20日、静岡朝日テレビ開局20周年記念『FEEL THE BEAT SUPER LIVE '97』出演。 23日、RADIO BERRYリスナー招待LIVE『MIDSUMMER LIVE』出演。 24日、千葉マリンスタジアム『SUPER J-POP '97 at MARINE STADIUM』出演。 31日、『信州SAKU音楽祭』出演。 |
| 10月 | 15日、5thシングル『White Love』発売。 |
| 11月 | 19日、ビデオ『SPEED First Live 〜Starting Over from ODAIBA〜』発売。 19日、『FBC開局45周年記念ライブ』出演。 29日、『全日本有線放送大賞』吉田正賞受賞。 よみうりテレビ系『第30回全日本有線放送大賞』で、『White Love』が吉田正賞を受賞した。 |
| 12月 | 13日、この日までに『第30回日本レコードセールス大賞』シングル部門でのゴールデン賞(2位)受賞が決まる。 売上金額は39億円を記録した。(大賞は安室奈美恵で41億円) また、同日付のビルボード誌の表紙にSPEEDが登場。4ページにわたる特集が組まれた。 21日、LD『SPEED First Live ~Starting Over from ODAIBA~』発売。 22日、インターネットライブ『SPEED Interactive Live in Christmas』開催。 午後7時から9時までインターネットライブを開催し、大きな注目を集めた。1ヵ月後にまとめられた最終集計によると当日1日のアクセス数は世界82カ国から774万件、瞬間同時アクセス数は3,300ストリームに達したという。この記録的な数字は『ネット上の世界新記録』としてギネスへの申請が検討されるほどだった。また、国内では当時のネット人口800万人のうち200万人が視聴、一部が同時中継された地上波放送では関東地区で午後8時44分、瞬間最高視聴率21.4%を記録した。 31日、『レコード大賞』優秀作品賞受賞。 TBS系『第39回輝く!日本レコード大賞』で、『White Love』が優秀作品賞を受賞した。 31日、『第30回日本レコードセールス大賞』シングル部門でゴールデン賞(2位)受賞。 31日、『NHK紅白歌合戦』初出場。 NHK『第48回紅白歌合戦』初出場でトップバッターを飾る。歌ったのは『White Love』。 |
[編集] 1998年~ ミリオンセラー連発、トップアーティストへ
この年は、SPEEDにとって絶頂の年になった。この年に発売した3曲は全てオリコンで首位を獲得し、ミリオンセラーに。(「ALIVE」はオリコン調べでは96万枚だが、出荷枚数では132万枚(TOY'S FACTORY)。
| 1998年 | |
|---|---|
| 1月 | 12日、映画『アンドロメディア』主演決定。 |
| 2月 | 18日、6thシングル『my graduation』発売。 |
| 3月 | 上原・品川区立日野中学校卒業。 4日、『第12回日本ゴールドディスク大賞』BEST POP ALBUM OF THE YEAR受賞。 18日、ビデオ『SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS」』発売。 23日、映画『アンドロメディア』クランクイン。 |
| 4月 | 上原・渋谷区東京都立代々木高等学校(現在は廃校)夜間部入学。 5日、『全国交通安全パレード』でパニック。 警視庁実施の春の全国交通安全運動に参加。原宿・表参道のオープンカーでのパレードでは、約4万人のファンが殺到しパニックになった。 29日、2ndアルバム『RISE』発売。 |
| 6月 | 27日、2nd写真集『SPEED in アンドロメディア』発売。 |
| 7月 | 1日、7thシングル『ALIVE』発売。 10日、『金曜テレビの星 独占SPEED特集』放送。 TBS系「金曜テレビの星」で、バラエティ初のSPEED特集が放送された。 11日、全国松竹系映画『アンドロメディア』公開。 メンバーが映画初出演にして主演を務めた映画。全国で85万人を動員した。監督は三池崇史。 18日~10月10日、初の全国ツアー『SPEED TOUR 1998 RISE』開催。 史上最年少で東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドームの4大ドームでのツアーを行った。11カ所20公演で約30万人を動員した。 |
| 8月 | 5日、デビュー2周年。 5日、サウンドトラック『アンドロメディア』発売。 映画『アンドロメディア』のオリジナルサウンドトラック。ミリオンセラーとなった主題歌『ALIVE』ほか、同曲の別バージョン<悲劇のテーマ><ユウのテーマ><舞のテーマ><Music Box>を含む全17曲が収録されている。これもプロデュースは伊秩弘将。 |
| 10月 | 28日、8thシングル『ALL MY TRUE LOVE』発売。 |
| 11月 | 2日~、『バレーボール世界選手権』サポーターに抜擢。 『1998バレーボール世界選手権』のオフィシャルサポーターを務める。 14日、3rd写真集『SPEED YES,LOVE! make a rising』発売 。 11月21日、『全日本有線放送大賞』よみうりテレビ特別賞受賞。 よみうりテレビ系『第31回全日本有線放送大賞』で、『ALL MY TRUE LOVE』が特別賞を受賞した。コンスタントなCD売上と、テレビでの活躍が認められての受賞となった。 |
| 12月 | 4日、『日本有線大賞』有線音楽優秀賞受賞。 TBS系『第31回日本有線大賞』で、『ALL MY TRUE LOVE』が有線音楽優秀賞を受賞した。 5日、『第11回日刊スポーツ映画大賞』新人賞受賞。 12日、この日までに『第31回日本レコードセールス大賞』シングル部門でのゴールデン賞(2位)受賞が決まる。 売上金額は44億円だった。(大賞はL'Arc〜en〜Cielで58億円)2年連続で大賞を逃すこととなったが、2年間の総売上金額・83億円は全歌手中トップだった。 16日、ベストアルバム『MOMENT』発売。 21日、ビデオ『アンドロメディア』発売。 本格的な演技は初めてだったSPEEDの主演映画『アンドロメディア』のビデオ化。初回限定特典として写真集がついていた。 31日、『レコード大賞』優秀作品賞受賞。 TBS系『第40回輝く!日本レコード大賞』で、『ALIVE』が優秀作品賞を受賞した。 31日、『第31回日本レコードセールス大賞』シングル部門でゴールデン賞(2位)受賞。 31日、『紅白歌合戦』出場。 NHK『第49回紅白歌合戦』に2年連続出場。去年と同様にトップバッターを飾った。歌ったのは『ALL MY TRUE LOVE』。 |
[編集] 1999年~ メンバーソロ活動本格スタート
この年に入ると、個人でドラマや映画などに出演するなどメンバー個々の活動が本格化してきた。メンバーが次々とソロ作品を出していき、SPEEDの9thシングル『Precious Time』から上原、hiroのソロシングル、「24時間テレビ」のチャリティーパーソナリティなど多彩な活動が目立った時期であった。
| 1999年 | |
|---|---|
| 1月 | 9日、『SPEED NEW YEAR'S CONCERT』開催。 “お正月ツアー”と銘打った'99年1発目のスペシャルライブをビックパレット福島で行った。14日~15日、『SPEED 1999 SPECIAL LIVE』開催。 沖縄コンベンションセンターで、凱旋ライブを行った。地元の沖縄での初ライブとあってメンバーも「生まれ育った沖縄でライブをやれてすごくうれしかった。」「客席ほとんどがメンバー関係者だった。」などと語っている。また、見に来ていた友達をステージに上げたりとアットホームな雰囲気であった。 20日、ビデオ『SPEED TOUR RISE IN TOKYO DOME』発売。 98年10月9日に東京ドームで行われたライブを収録した2本目のビデオ。『RISE』のオープニングで始まり、『ALL MY TRUE LOVE』『my graduation』などのヒット曲を収録。18万本のセールスを記録した。 |
| 2月 | 17日、9thシングル『Precious Time』発売。 |
| 3月 | SPEEDのアルバムがシンガポールのヒットチャート「SPVA」で日本人歌手史上初のトップ10入り。 今井・品川区立日野中学校卒業。 ドラマ『L×I×V×E』制作発表。 今井、新垣が初の連続ドラマ『L×I×V×E』(TBS系)に出演。その制作発表では初ドラマにかける意気込みを語った。 ドラマ『蘇える金狼』制作発表。 上原が出演する日本テレビ系ドラマ『蘇える金狼』の制作発表。香取慎吾らと並んで初ドラマレギュラーの感想を語った。 3日、『第13回日本ゴールドディスク大賞』SONG OF THE YEAR賞受賞。 25日、上原多香子 1stシングル『my first love』発売。上原がソロデビューしたファーストソロマキシシングル。ダンス重視の上原だったが、SPPEDメンバーで1番早い単独ソロデビューとなった。プロデュースはЯ・K works。 |
| 4月 | 今井・私立八雲学園高等学校入学。 9日~、TBS系ドラマ『L×I×V×E』オンエア。 今井は吹奏楽部をまともなクラブに立て直そうとする部員役で、フルート担当。新垣は名サックスプレイヤーを熱演。 17日~、日本テレビ系ドラマ『蘇える金狼』オンエア。 上原は茂義コーポレーション会長・茂義賀津夫の唯一人の孫娘で、決められたレールでの人生を送っていた女子高校生役を演じた。 |
| 5月 | 12日、『L×I×V×E』オリジナルサウンドトラック発売。 ドラマ主題歌にもなっていた八反安未果の『SHOOTING STAR』ほか伊秩弘将率いるガーデンズの『約束の場所へ (ENGLISH VERSION)〜Candles in the Rain〜』『Holiday』など全19曲。全曲を伊秩弘将、水島康貴のSPEEDサウンドメーカーコンビが担当。 19日]]、10thシングル『Breakin' out to the morning』発売。 19日、上原・全国東映系映画『ドリームメーカー』稽古合宿&クランクイン。 この映画の撮影が日本テレビ系ドラマ『蘇える金狼』と重なってスタート。 |
| 6月 | SPEEDのアルバム『MOMENT』がシンガポールのヒットチャート「SPVA」で日本人歌手史上初の1位獲得。 (また、どの作品か定かではないが、SPEEDのアルバムは同国のプラチナディスクに認定されている) 2日、ビデオ『アンドロメディア スペシャルプライス』発売。 30日、HITOE'S 57MOVE 1stシングル『INORI』発売。 新垣がHITOE'S 57MOVE名義でソロデビューしたファーストソロマキシシングル。SPPEDメンバーでは2番目に早い単独ソロデビューとなった。 |
| 7月 | 仁絵ブランド誕生。 新垣がデザインしたTシャツなどが、全国の専門店で販売開始された。 12日、島袋・ドラマ『天国のKiss』にゲスト出演。 島袋が、1stシングル『AS TIME GOES BY』が主題歌となっていた日本テレビ系『天国のkiss』の第1回放送にゲスト出演した。 16日~9月23日、全国ツアー『SPEED TOUR 1999 REAL LIFE』開催。 全国ツアー『SPEED TOUR 1999 REAL LIFE』が、『広島サンプラザホール』を皮切りにスタート。これで2回目の全国ツアーとなった。12カ所24公演で約15万人を動員した。 |
| 8月 | 5日、デビュー3周年。 18日、hiro 1stシングル『AS TIME GOES BY』発売。 島袋がhiro名義でソロデビューしたファーストソロマキシシングル。SPPEDメンバーでは3番目に早い単独ソロデビューとなった。 21日、サウンドトラック『天国のKiss』発売。 主題歌『AS TIME GOES BY』のストリングスバージョンなど、劇中で使われた楽曲の数々を収めたドラマオリジナルサウンドトラック。伊秩弘将が作曲した『AS TIME GOES BY』以外は、上田知華のサポートメンバーとして知られるチェリストの溝口肇が手がけた。ほかに『天国のKiss(Main Theme)』など、インスト楽曲を全19曲収録してある。 21日~22日、『24時間テレビ』チャリティーパーソナリティ。 日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のパーソナリティを務めた。新垣はチャリティーTシャツのデザインも手がけた。 28日~30日、『Final Summer Dream Stage at MARINE STADIUM'99』出演。 夏の『千葉マリンスタジアム』で行った野外ジョイントライブに出演。安室奈美恵、MAXらとともにステージを飾った。 |
| 9月 | 上原・全国東映系映画『ドリームメーカー』プレミアム試写会出席。 東京の会場では高熱を出してしまった上原は、予定されていたライブをやむなく中止した。 29日、上原多香子 2ndシングル『Come close to me』発売。 上原のセカンドソロマキシシングル。前作に引き続きЯ・К worksが手がけた。 |
[編集] 1999年10月~ 突然の解散宣言、4人から一人一人へ
| 1999年 | |
|---|---|
| 10月 | 5日、『SPEEDが2000年3月31日で解散する』との発表がある。 そもそもSPEEDはソロデビューには若すぎたため結成されたグループであり、初めから解散は決まっていた。 《OAS校長はグループのデビューにあたり解散後のソロ活動に向けて今からすべきことを個別にアドバイスしていたが、これも特殊な結成が故のことである。(詳細は1997年の「沖縄アクターズスクール公式ガイド」に掲載)》 こうした背景から事務所社長はメンバーの動向を見つつ解散時期をずっと探っていた。その中で1997年には「翌年の全国ツアー終了後に解散しようと思う」と関係者に語る段階にまで話が進む。この案は「ソロの準備期間が必要」との考えもあり却下されたが、その時の表情はとても真剣で決して冗談ではないことを伺わせていた。 1998年夏、「時期が来た」との判断により、メンバーに解散を勧告。その後、ソロ活動が活発になってきた1999年の春から具体的な話し合いに入り、何度も話し合った結果、解散発表の1ヶ月ほど前に決定の運びとなった。発表は10月中旬に設定され、それに沿った準備が進められていく。しかし、10月6日発売の週刊誌に解散の記事が載る事が判明したため、海外に出ていた事務所社長は緊急帰国し発表の前倒しを決意、急遽週刊誌発売の前日となる5日に会見が行われた。 突然の解散原因は、上に記した6日発売の週刊誌に「島袋(当時中学生)の男性問題が原因」と書かれた事が発端となり各メディアでも報道されたが、これに対し事務所側は正式に報道を否定。さらに当の島袋本人もいくつかの動きをみせる。まず男性タレントとの関係については解散会見上で友達と説明。それを示すかのように2000年3月発売の『セブンティーン』誌上では自発的に友達として登場させた。なお、母親にも友達として会わせているという。(1999年10月『女性自身』内の母親インタビューより)そして一連の報道に関しても『SPEED駆け抜けた青春(2000年1月放送)』『hiro素顔でMelody Fair』第1回放送分で否定。特に後者では最近嬉しかった事として「落ち込んでいた自分を、とある喫茶店で出会った女性が励ましてくれた事」を挙げ、間接的に否定を強調するかたちとなった。 突然の解散宣言に日本中は騒然となった。解散発表会見が行われ、会見席上で4人は「決して悪い意味ではなく、前向きな解散です」と淡々と語った。テレビではテロップ付きのニュース速報として流され、会見終了後の夕方にはNHKを含め各局でトップ級のニュースとして放送された。また、解散は海外にも波紋を呼び、実現はならなかったが台湾では訪台の署名が行われ、後にレコード会社に署名が届けられるという事態にまで発展した。 23日、全国東映系映画『ドリームメーカー』公開。 病に倒れる役どころを演じた上原。今井はレンタルCD店のお客として登場している。 |
| 11月 | NHKハイビジョン放送のPRキャラクターに起用される。 3日、11thシングル『Long Way Home』発売。 オリコン調べで自身4番目の高初動となる36万枚を記録するも、『嵐』のデビューシングル『A・RA・SHI』(55万枚)に屈し2位。累計売上61万枚、出荷枚数85万枚を記録。 なお、今作をもってシングルの総売上が1000万枚を突破。当時3年3ヶ月での達成は歴代6位、11枚目での達成はMr.Children(9作)、安室奈美恵(10作)に次ぐ歴代3位のスピード記録だった。また、アイドルグループとしてはピンク・レディー、SMAPに続いての達成、女性グループとしてはピンク・レディーに続いての達成となった。 12日、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』出席。 天皇即位10年を祝福する『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』にYOSHIKI、安室奈美恵、GLAY、らとともに出席。 20日~12月25日、『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』開催。 東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドームの4大ドームツアーを行った。約21万枚のチケットは3時間ほどで完売になった。4カ所5公演で約21万人を動員した。 関東最終となる東京ドームには安室奈美恵、宇多田ヒカル、松坂大輔など各界の有名人が駆けつけた。 20日、『全日本有線放送大賞』ゴールドリクエスト賞受賞。 よみうりテレビ系『第32回全日本有線放送大賞』で、『ALIVE』がゴールドリクエスト賞を受賞した。この時、ナゴヤドーム公演でのライブがそのまま中継された。 |
| 12月 | 13日、『第32回日本レコードセールス大賞』が発表される。 99年のシングル売上は22億円で8位、シングル部門での3年連続受賞(3位以内)こそ果たせなかったが、97年~99年の総売上は105.3億円を記録。期間中に100億円の大台を突破したのはSPEED、GLAY(105.5億円)の2組だけだった。 22日、3rdアルバム『Carry On my way』発売。 ラストオリジナルアルバムを発表。『Precious Time』『Breakin' out to the morning』『Long Way Home(Album Edit)』ほか全14曲を収録。オリコン調べで初動56万枚で初登場1位。デビューから4作連続1位は当時の女性歌手歴代1位タイ記録。デビューから4作連続初動50万枚突破は史上初めてとなった。累計売上88万枚、出荷枚数150万枚を記録。 31日、TBS系『第41回輝く!日本レコード大賞』出演。 31日、『紅白歌合戦』出場。 NHK『第50回紅白歌合戦』に3年連続出場。第1部最高となる視聴率55.5%を記録した。歌ったのは『my graduation'99』。 |
| 2000年 | |
| 1月 | 3日、ラジオ「ハイ!SPEEDで行こう!」(ニッポン放送)でSPEEDが「あなたの卒業式をプロデュース」という企画が発表される。 1月21日、4th写真集『SPEED RUNS, Our Graduation』発売。 主婦と生活社より出版。撮影は平間至、佐藤靖彦、長谷部達也、藤沢謙。『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』のライブ模様、リハーサル風景、バックステージの様子と、4人それぞれのファイナルライブへの想いがつづられた1冊。 |
| 2月 | 14日、本『ハイ!SPEEDで行こう!』発売。 ラジオ『ハイ!SPEEDで行こう!』(ニッポン放送)でのトークを文章にして、本にまとめた1冊。他にも『名言集』や、『素朴な疑問』などが含まれている3年間の歴史がつまっている。 15日、本『SPEEDスピリッツ 1335DAYS』発売。 16日、hiro 2ndシングル『Bright Daylight』発売。 解散宣言後、ソロ作品発売のトップバッターとなった島袋のセカンドマキシシングル。資生堂『ティセラ ダンスダンスダンス』CMソング。伊秩弘将がファンキーなナンバーを提供した。オリコンシングルチャート初登場2位、累計売上43万枚を記録。 23日、ラジオ『ハイ!SPEEDで行こう!』(ニッポン放送)で、卒業式のプロデュース校が練馬区立富士見台小学校に決まる。 |
| 3月 | 島袋、品川区立日野中学校卒業。 1日、ビデオ『SPEED FINAL DOME TOUR REAL LIFE』発売。 SPEEDのラストライブとなったドームツアー『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』の模様を収録。白熱のステージングのほかにも、バックステージの4人の素顔やリハーサル風景などの映像も収録。 3月15日、『第14回日本ゴールドディスク大賞』BEST POP ALBUM OF THE YEAR受賞。 15日、Eriko with Crunch 1stシングル『Red Beat of My Life』発売。 今井がEriko with Crunch名義のファーストソロマキシシングル『Red Beat of My Life』でソロデビュー。ボーカル重視の今井だったが、SPPEDメンバーで1番遅い単独ソロデビューとなった。ハウス食品『フルーチェ』CMソング。伊秩弘将プロデュース。オリコンシングルチャート初登場3位、累計売上25万枚を記録。 24日、プロデュース校の練馬区立富士見台小学校で卒業式が行われる。皆で『my graduation』を合唱したり、メンバーからのメッセージが流されたりした。また、記念品として特製腕時計『THE MEMORIAL OF SPEED'S GRADUATION』が卒業生全員に配布された。こうして、1月から動き始めた企画は幕を閉じることとなった。 25日、5th写真集『LEGEND of SPEED BEST MEMORIAL BOOK 1995-2000』発売。 ワニブックスより出版。主に『UP to boy』、『Wink up』、『COOLTRANS』掲載写真が中心となっている。SPEEDの4年間の歴史を年代別に分け、年表風に紹介した1冊。 26日、事務所社長がラジオ番組で解散後の再結成を発表。 これは、例えば年に1度など限定的に再結成することを示した発表である。「お客さんが寂しがっている部分もあるでしょうから。」「実はこれが初めての発表で本人たちにもまだ話していない。」などと語っていた。 29日、ベストアルバム『SPEED THE MEMORIAL BEST 1335days Dear Friends 1・2』発売。 解散を記念して発売されたベストアルバム2枚。1stシングル『BODY & SOUL』から11thシングル『Long Way Home』までの全シングル曲の他に、人気曲・未発表曲・新曲を前期と後期に分けて収録。 1998年12月に発売されたベストアルバム『MOMENT』と収録曲が重複しないようなつくりとなっている。初動各37万枚でデビューから6作連続での初動30万枚突破は史上初めてとなった。累計売上は計102万枚。また、この2作をもってアルバム総売上が800万枚を突破。女性グループとしては初めての達成となった。 |
[編集] 2000年4月~ 解散後の動き
| 2000年 | |
|---|---|
| 9月 | 27日、ビデオ『SPEED SPIRITS Ⅱ』発売。 SPEEDのセカンドビデオクリップ集。『ALIVE』から『Long Way Home』までの全シングルと、『Carry On my way』『April-Theme of “Dear Friends”-』を加えた全7曲のプロモーションビデオが収録されている。 27日、DVD『アンドロメディア』発売。 SPEEDの主演映画『アンドロメディア』のDVD化。SPEED初のDVD化作品となった。 27日、上原・DVD『ドリームメーカー』発売。 上原多香子の出演映画『ドリームメーカー』のDVD化。 |
| 12月 | 20日、DVD『SPEED SPIRITS COMPLETE』発売。 SPEEDのサードビデオクリップ集。ビデオ『SPEED SPIRITS』と『SPEED SPIRITS Ⅱ』の収録曲を全て1枚のDVDにまとめたもの。ほかにもCM集などがついている。 |
[編集] 来歴(再結成)
解散後はそれぞれソロ活動を行っているが、前述の社長の発言通り度々再結成されている。(現在までにチャリティライブのため2度行われた) 再結成の話にやや抵抗のあるメンバーもいたが、解散したグループがあえて指名された事、一人の人間としてチャリティの部分を受けとめた事から心の整理がついたという。 メンバーの複雑な心境が垣間見える。関係者は「再結成はメンバーのスケジュールとタイミング次第」としており、今後も不定期的な再結成が行われる予定となっている。
[編集] 2001年10月~ 一度目の再結成
| 2001年 | |
|---|---|
| 10月 | 6日、震災からの復興をアピールする『See阪神・淡路キャンペーン』目玉イベント『淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001』の初日に登場。一夜限りの再結成を果たした。震災にあった淡路の子供たちから「彼女たちの歌で励まされた」「元気な姿に勇気づけられた。立ち直った姿を見て欲しい」などの声が自治体や兵庫県に寄せられ、兵庫県が出演を強く根強く要請。事務所側も充実したソロ活動に絡めて「感謝、出発というテーマもピッタリでぜひ協力したい」とこれを快諾、実現に至った。ライブでは元気な歌声、ダンスを披露。2万4000人の観客を沸かせた。なお、この「淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001」の収益金2000万円は当初、震災被災者への義援金に充てられる予定だったが、半分の1000万円は発表直後に起こったアメリカ同時多発テロ事件被災者への義援金に急遽変更された。又、後に発売された関連CDの収益金の一部はアフガニスタンの難民支援義援金として寄贈された。 |
| 12月 | 12日、スペシャルシングル『One More Dream』発売。 ファンからの熱い要望を受け、事務所はキャンペーンソングとして新たに作られたこの曲をシングルとして10万枚限定で発売した。希望と祈りが込められている、とても暖かいメロディーの1曲に仕上がっている。またこのシングルは、公式には12thシングルではなく、スペシャルシングルとされている。カップリング曲は『White Love(New Recording)』『One More Dream ~願い~』。 19日、ライブアルバム『SPEED MEMORIAL LIVE “One More Dream” + Remix!!!』発売。 SPEEDが一夜限りの復活を果たした兵庫県淡路島でのライブを収録した初回限定アルバム。大ヒット曲連発の躍動感溢れるステージがそのまま伝わってくる、まさに『One More Dream』なライブ+リミックスを3曲収録している。なお、本作品の収益の一部は日本ユニセフ協会を通じ難民支援のために寄贈された。 |
[編集] 2003年4月~ 二度目の再結成
| 2003年 | |
|---|---|
| 4月 | 8日、『Save the Children 一緒に始めよう』キャンペーンのメッセンジャーとして集結することを発表。全国13万人動員のチャリティツアーを行うなど全国に募金を呼びかけた。ファミリーマートやライブ会場での募金に加えチャリティライブ、CD、関連商品などから集まった寄付金は総額1億4644万5469円(12月1日現在)。実行委員会の予想をはるかに超えるものだったらしく効果は絶大であった。寄付金は世界の子供たちに向けての啓蒙事業などに充てられた。 |
| 8月 | 27日、シングル『Be My Love』発売。 |
| 9月 | 18日、DVD『SPEED First Live ~Starting Over from ODAIBA~』、『SPEED TOUR RISE IN TOKYO DOME』発売。 |
| 10月 | 22日、DVD『SPEED SPIRITS I』、『SPEED SPIRITS Ⅱ』発売。 |
| 11月 | 27日、シングル『Walking in the rain/Stars to shine again』発売。 27日、アルバム『BRIDGE』発売。 『Be My Love』『Walking in the rain/Stars to shine again』ほか全13曲を収録。 |
| 12月 | 25日、ライブDVD『Save the Children SPEED LIVE 2003』発売。 |
| 2004年 | |
| 1月 | 9日、写真集『BRIDGE』発売。 |
| 2月 | 11日、ライブアルバム『BEST HITS LIVE~Save The Children SPEED LIVE 2003~』発売。 |
[編集] エピソード
- 特徴
- ユニット名の由来
- メンバーの今井絵理子が短距離走を得意とし、50mを7秒台で走るという瞬足であったため。
- 明確だった役割分担
- SPEEDは主に島袋、今井…ボーカル重視、上原、新垣…ダンス重視というスタンスを採っており個々の存在意義がハッキリしていた。
なお、例外として、新垣と上原がメインボーカルを務めた“ライブでのみ披露され未だCD化されていない楽曲”「リトルワールドへようこそ」等がある。
- 歌唱形態はユニゾンヴォーカル
- SPEEDの歌唱形態は基本的には、シングル・アルバムの楽曲ほとんどが、今井絵理子と島袋寛子のユニゾンや掛け合いのリードヴォーカルであり、バックコーラス(重唱)とバックボーカルの多くは、Melodie Sexton、Joey Johnson、Leon Danielの3人である。これについてプロデューサーの伊秩弘将は「ユニゾンの方があの時期の少女のパワーとメッセージがよりストレートに伝わると信じていた」と説明している。
- 隠れたヴォーカル!?男女の黒人コーラス
- SPEEDが憧れるミュージシャンに黒人コーラスグループ「TLC」がいる。その影響なのか大半の曲に男女の黒人コーラスが採用された。一部の曲ならまだしもここまで全面的に押し出すのは極めて稀。しかもコーラスだけに止まらずソロパートまでもが多数存在する。(事実、デビュー曲「Body & Soul」の出だしと終わりは黒人パートである)もはやヴォーカルメンバーと言われても何ら不思議はない。
- 主な支持層は同世代の少女達
- SPEEDは主に同世代の少女達に人気を博した。CD購入者は女性が中心、ライブでは黄色い声援が飛ぶ「新世代アイドル」と呼ばれた。そのため、芸能界では近年、SPEEDのファンだったという芸能人が続々とデビューしている。矢口真里、中島美嘉、ソニン、ベッキー、後藤真希、川嶋あい、上野樹里、松浦亜弥、長澤まさみ、新垣結衣、堀北真希、玉置成実、上原奈美、リア・ディゾン、Perfumeなどが有名で、その中でも矢口、ソニン、後藤、上野、松浦、新垣、玉置、上原、PerfumeはSPEEDに影響されて芸能界にアプローチを仕掛けた。またリア・ディゾンは初めて手に取った日本のCDがSPEEDのCDで、それをきっかけにJ-POPを聴くようになったという。いずれも同世代かやや下の世代の少女達でSPEEDがこれらの世代に与えた影響力は計り知れない。
- 2006年3月15日放送の世界仰天ニュース内で女子高生100人に「初めて買ったCDは何ですか?」というアンケートが実施された。そこで発表された5位までにSPEEDの曲が3曲ランクイン。当項目を象徴する結果となった。
1位「White Love」23人、2位「硝子の少年」10人、3位「STEADY」6人、4位「Body & Soul」5人、5位「だんご3兄弟」4人
- Body & Soul・・・・サンフランシスコ、ロサンゼルス
- Go! Go! Heaven・・・・ニューヨーク、マイアミ
- Wake Me Up!・・・・フィリピン
- ALL MY TRUE LOVE・・・・アリゾナ
- SPEEDがHEY!HEY!HEY!に出演した時、トーク中にダウンタウンの松本人志に頭を強く叩かれ、新垣が泣いてしまうという出来事があった。それから毎回SPEEDが出演する際に妙な空気が漂うことが多くなり、その事件後に番組からの配慮からかメンバーの位置を変えたりしたりしていた。新垣はSPEEDが解散するまでずっとこの出来事を引きずっていた。このエピソードはとても印象的で、解散前のSPEEDとして最後に出演した際の『SPEEDが選んだHEY!HEY!HEY!思い出のVTR・BEST5』というコーナーではこの事件が堂々の1位になった。今井がソロで出演した時、ダウンタウンに「夏のツアーに来てください」と誘い、渋っていたため、松本に「仁絵ちゃんもいますよ」と言ったところ、松本は「僕は仁絵ちゃんのこと大好きなんですけど、仁絵ちゃん、僕のこと大嫌いですからね」とぼやいていた。
- SPEEDのメンバー全員、雑煮が嫌いである。
- SPEEDは一度、脱走事件を起こしたことがある。仕事でロサンゼルスからハワイに行く時、ロサンゼルスがすごく楽しくて、ロサンゼルスの空港でメンバー全員で逃げようと空港の外に出て行ったが、「帰って来い」と言われてメンバーは素直に戻って行った。
- 東京にある月島の『上州屋』というもんじゃ焼きのお店はSPEEDがデビューしてまだ間もないころ、毎週のように訪れていた。このお店にはSPEEDの写真が飾ってあったりした。『解散直前!!SPEED』という番組で、SPEEDが解散前にミュージックステーションで行われるラストライブの話し合いをするためにも訪れた。『解散直前!!SPEED』では、SPEEDが過去にミュージックステーションに出演した際の映像などが放映された。
- SPEEDは沖縄出身のため、雪を知らなかった。だが『これが日本の正月だ』という番組で、札幌北広島プリンスホテルファミリースキー場にて、初めて雪を体験した。
- SPEEDは渋谷などに買い物に行っても、ファンに追いかけられて買い物ができないことが多かった。だがメンバー全員「追われるのが面白い」、「スリルがある」と言って、追いかけられるのを当時は楽しんでいるようだった。それからはメンバーが2人以上で行動しているとファンに追いかけられるため、4人で買い物に行く際も集合場所と集合時間を決めて、4人バラバラで買い物をしていた。
- SPEEDが上京して間もないころ、沖縄では電車がないので、東京で電車に乗ろうとすると迷子になることが多かった。SPEEDのメンバー全員は「渋谷などで、なぜ地下鉄は地下にはなく、上にあるのか」が疑問だった。必ずハチ公前に出てしまっていたらしい。
- SMAPの中居からは時々、四姉妹(新垣→「長女」、上原→「次女」、今井→「三女」、島袋→「四女」)と呼ばれていた。
- SPEEDはよくミーティングをしていた。
〈補足〉
- 現役時代とソロ活動開始時の所属レコードはトイズファクトリーであったが、現在はそれぞれ、エイベックスに所属している。
- SPEEDという英語の語源は成功・繁栄という意味であり、彼女たちはまさに「名は体を現す」存在であったといえる。
- 再結成した訳でないが、2007年7月の中越沖地震の際には、「読売愛と光の事業団」を通し、4人の連名で義援金を寄付している。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
| 発売年 | 発売日 | タイトル | タイアップ | |
| 1996年 | 8月5日 | 1st | Body & Soul | 日清シスコ「シスコーン」CMソング |
| 11月18日 | 2nd | STEADY | テレビ朝日系ドラマ「イタズラなKiss」主題歌 | |
| 1997年 | 3月26日 | 3rd | Go! Go! Heaven | アサヒ飲料・三ツ矢サイダー「さわやかぶどう」 「さわやかグレープフルーツ」CMソング |
| 8月6日 | 4th | Wake Me Up! | ロート製薬「ロートZi:リセ」CMソング | |
| 10月15日 | 5th | White Love | 資生堂「ティセラエンジェルド |