アイドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アイドル (Idol) は、崇拝の対象(偶像、イコンなど)を指し示す英語。語源は「見る」を意味するギリシア語ιδειν(イデイン)で、ειδoς(エイドス、姿)、idolaイドララテン語、偶像)→idol英語偶像)と転じていった。

日本では主に若者に人気がある若手芸能人歌手俳優タレント)などを指し、デビュー当初から「アイドル」を自称する芸能人が存在するなど、独自の発展を遂げている。

目次

[編集] アイドルという言葉

日本に「アイドル」という言葉が普及したのは、1964年に映画「アイドルを探せ」(主演:シルビー・バルタン)がヒットしたことによるものである[要出典]。それまで特定の言葉はなく、ラジオ時代に一世を風靡した川田孝子小林幸子松島トモコらは「少女歌手」、映画時代に一世を風靡した吉永小百合浜田光夫らは「青春スター」などと呼ばれ、アイドルという言葉が定着し始めたテレビ時代にも「ジャリタレ」、「可愛い子ちゃん歌手」という言葉が使われていた。アイドルという言葉は1970年代半ば頃に一般に定着、1980年代には市民権を得た[1]

アイドルという言葉は、あるコミュニティにおいて人気のある者を指す言葉として用いられる場合がある。名詞的に「学校のアイドル」、「職場のアイドル」などと呼ばれるもの、また同様の形容詞的表現として「アイドル的人気のある人」、「○○ではアイドル並み」といった範囲限定使用がそれである。

「アイドル」と近いイメージの言葉に「スター」というものがある。両者の違いは明確に定義できないが、スターは手の届かない「高嶺の花」なのに対し、アイドルはより庶民性が高い存在という見方がある。また、スターはその語感・語源から、芸能人全てに使用されるものではなく、人気の高い者に対してのみ使われ、マイナーな芸能人をスターとは呼ばない。アイドルの庶民性を表現した「隣のお兄さん、お姉さん(のような)」という言葉もある。

[編集] 概要

1970年代から1980年代の日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手(アイドル歌手)のことを「アイドル」と呼ぶことが多かった。現代的なアイドルを生み出す原動力となったのが、1970年代のオーディション番組スター誕生!である。スター誕生!からは1970年代にピンク・レディー山口百恵などの1970年代の大スターを輩出し、1980年代前半のアイドルブームの下地となった。1980年代に入り松田聖子中森明菜小泉今日子たのきんトリオ等のアイドル歌謡曲をメインとするアイドルが活躍を始め、アイドルブーム が日本に沸き起こったのである。当時のアイドルの目標の一つが怪物音楽番組ザ・ベストテンへの出場であった。しかし1980年代末以降、アイドル歌謡曲が活動の中心であったアイドルブームは衰退した。

現在(1990年代半ば以降)では、女性アイドルの分類が細分化されており、アイドル歌手だけではなく、映画やドラマなどで女優活動に重点を置く「アイドル女優」、アニメ声優などの声優活動に重点を置く「アイドル声優」、男性誌グラビアで水着姿などを披露する活動が中心の「グラビアアイドル」、CM活動で人気を得る「CMアイドル」、バラエティ番組への出演を活動のメインとする「バラエティアイドル」などジャンルも多様化し、これらを総合的に「アイドル」と呼ぶのが一般的である。アイドル歌手以外のアイドルをアイドルとみなさない考えであっても、伝統的な清純性をセールスポイントとしているグラビアアイドルはアイドルと呼ばれる。

[編集] 女性アイドルの歴史

[編集] アイドル以前

語源的には1960年代まで、女性歌手女優に対する「アイドル」という語はあまり使用されていない。美空ひばり吉永小百合などの「国民的人気」を持つ少女歌手や少女女優は、一般的に「子役スター」と呼ばれていた。また、現在におけるアイドルユニットに相当する「三人娘」(美空ひばり、江利チエミ雪村いづみ)、「スパーク(ナベプロ)三人娘」(中尾ミエ伊東ゆかり園まり)が国民的な人気を博した。

[編集] 1970年代のアイドル

1970年代初頭に南沙織がデビューし、天地真理麻丘めぐみらが活躍する。これらの少女タレントに対し、「子役スター」に代わって「ジャリタレ」という言葉が業界で使われるようになった。また、1971年第22回NHK紅白歌合戦では初出場した南沙織が、司会者の水前寺清子から "ティーンのアイドル" と紹介されている。

スター誕生出身の山口百恵などがデビューする1970年代後半に入って、「アイドル」という呼称が芸能人・タレントの総称として一般化するようになる(現在用いられているような清純派芸能人という意味合いではない)。この後、キャンディーズピンク・レディーといった、アイドルグループも登場し始めた。また、山口百恵ら花の中三トリオ以降、タレントの低年齢化が進んだ(天地真理のデビューは21歳)。

[編集] 1980年代のアイドル

1980年代は女性アイドルの黄金時代であった。正統派の松田聖子を筆頭に、それに続く中森明菜から邪道とされるおニャン子クラブまでさまざまなタイプの女性アイドル(グループ)が現れた。女性アイドルのプロデュース手法などは、この時代に確立されたものである。

1980年代前半は、1980年デビューの松田聖子を初め、1982年デビューの中森明菜を筆頭とした花の82年組がそれに続き、多数のアイドルが生まれ、アイドル黄金時代と呼ばれる。

80年代アイドル全盛期の中でも、アイドルの当たり年は一般に、1980年、1982年、1985年と言われている。

80年代前半のアイドルの特徴は、デビュー時にキャッチフレーズが付けられていたことである。

  • 松田聖子…抱きしめたいミスソニー
  • 中森明菜…ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)
  • 山瀬まみ…国民のおもちゃ、新発売(なお、National Pastime―「国民のおもちゃ」というバンドもアメリカに実在した) など

また、80年代前半の一時期は、歌詞に自分の年齢を入れることも流行した。

  • 松田聖子…エイティーン
  • 中森明菜…少女A
  • 松本伊代…センチメンタル・ジャーニー
  • 小泉今日子…私の16才 など

しかし、1980年代終盤に入るとロックやニューミュージックバンドが台頭するようになり、アイドル歌手は凋落し始めていく。それと並行して、お笑い芸人顔負けの個性を表に出したバラエティアイドル(バラドル)が登場した。代表に松本明子井森美幸森口博子、山瀬まみ。

また、素人集団を売りとしたおニャン子クラブが業界を席巻した1985年以降は、従来の神秘的イメージを売りにしたアイドルは普通っぽさを売りにした身近なアイドルに席巻され、下火を迎える。

[編集] 1990年代のアイドル

従来の「歌手」から、テレビCMや雑誌のグラビアなど、ビジュアルを主体とした「モデル」型、豊満なバスト(巨乳)を売りとした「グラビアアイドル」が新たなアイドル像を形作っていった。「モデル」型では「3M」(宮沢りえ観月ありさ牧瀬里穂)がテレビCMで人気を博し、「グラビアアイドル」ではかとうれいこ細川ふみえ山田まりやなどが雑誌グラビアを足がかりに、テレビCMやバラエティ番組へと進出していくようになった。

1988年頃から1993年頃にかけては、テレビの歌番組の衰退とともに、それまでの歌手活動を中心とする女性アイドルは「アイドル冬の時代(または「アイドル氷河期」)」に入る。またこの時代以降若手女性タレントが自らをアイドルと名乗ることが一部を除きタブー化していった。

1990年代中盤は小室哲哉プロデュースによる歌手たち(小室ファミリー)や安室奈美恵SPEED沖縄アクターズスクール勢がヒットを連発した。また、それまでのアイドル歌手とは異なり、キャラクターの作りこみの少なさを兼ね備えることで人気を得た。しかし、曲のパターンが単一化していく中で次第に飽きられ、R&Bヒップホップが主体となると凋落し始めた。

1990年代後半になるとテレビ東京の番組『ASAYAN』のオーディションにおいて結成され、1998年にブレイクしたモーニング娘。を中心としたつんくプロデュースのハロー!プロジェクト勢や、アイドル女優出身の浜崎あゆみが人気を得た。

アイドルそのものも多様化し、それによりアイドルの性格も大きく変わる。アイドル女優バラドルグラビアアイドル女子アナレースクイーン、スポーツ選手、チャイドルお菓子系アイドル声優TV特撮のヒロイン地下アイドル(ライブアイドル)、AV女優などアイドルは様々なジャンルに分散していった。

このような背景から、女性アイドルのイメージに、実力より人気先行・子供向け等のマイナス面があるとして女性アイドルと呼ばれるのを嫌う歌手、タレントも増えた。そのためかある時点でアイドル卒業を宣言したりする女性アイドルさえいる。

[編集] 2000年代のアイドル

歌手という正統派のアイドルの系譜は、この頃になるともはやアイドルとしてではなくアーティストという在り方で登場する。ただし旧来型のアイドルとは異なり、歌唱力、作詞力、同性の支持が必須条件として求められるようになった。それと同時にアイドルの概念は細分化、周辺化し、グラビアアイドル女性タレント等がアイドルシーンの中心となって活躍。アイドル輩出の土壌は多様化している。また1980年代と異なりアイドルという言葉が極めて負の要素で使われる事が多くなり平山あやの項目にあるとおり従来アイドルに位置すると思われるタレント自らがアイドル呼ばわりを固辞する等という現象も随所に見られるようになった。よって現在では「アイドル」という確固たる立場で活躍するよりは、さまざまなシーンにおいて活動を行いなおかつアイドル性も併せ持つという場合の方が多い。

また、それに伴いアイドルの短命化が進んでおり大ヒットすることが少なくなり、大量生産大量消費状態となっている。かつてのアイドル仕掛け人であるホリプロ創業者の堀威夫が嘗て読売新聞のインタビュー記事で「昔は即席めんが受ける時代だからズブの素人がスターになることが受け入れられた。現在は高い金を出して並んででもうまい物を求める時代だからそうはいかない。今の時代スター誕生のような番組をやっても時代に合わない。」と話し、同じく仕掛け人の一人である相澤秀禎も自著の中で「女性アイドルといえど今は同性の支持なくして売れず、同性の支持の方が重要だ。」と述べる等女性アイドルという概念そのものが最早変貌を求められる時代になったと言える。

現在では、モーニング娘。松浦亜弥ハロー!プロジェクト勢らが引き続き支持を得ているほか、浜崎あゆみ大塚愛中島美嘉倖田來未などの若手歌手らも人気を集めた。また、近年では上戸彩長澤まさみらアイドル女優の台頭が活発化している。

[編集] 女性アイドルの多様化

女性アイドルは、時代ごと及びジャンルごとに分類されることが多い。

1980年代中頃までは、アイドルは手の届かない遠い存在、庶民の憧れ的な存在であったが、フジテレビの「夕やけニャンニャン」から飛び出したアイドル集団「おニャン子クラブ」は、親しみやすさを前面に打ち出し、従来のアイドル像を覆した。

また、それまでのアイドルと言えば、歌手、俳優、グラビアなど多岐に渡るジャンルで活動した者が多く、薬師丸ひろ子菊池桃子など、事務所の方針等で水着にならないアイドルは若干いたが、歌手デビューしないアイドルは極めて稀であった。レコードが売れない者はトップアイドルとして認識されない風潮があった。

しかし、山瀬まみ井森美幸森口博子など、歌手としてのセールスが芳しくなかったアイドル達が、テレビのバラエティ番組に活路を見出し、活躍するようになった。バラエティアイドルを略した「バラドル」という呼称が普及したのも、この頃である(ただし、森口博子は1990年代に入ってヒット曲に恵まれ、歌手としても成功した)。

1990年代に入ると、かとうれいこ細川ふみえなどが、恵まれたプロポーションを武器にグラビアアイドルとして活躍した。1970年代にアグネス・ラムが同様の活躍をしたことはあったが、大勢のグラビアアイドルが活躍するようになったのは彼女たちの功績が大きい。

また、従来はアイドルとは見なされなかった女子アナや、若い女性声優、「特撮ヒロイン」(「平成仮面ライダーシリーズ」、「スーパー戦隊シリーズ」、「ウルトラマンシリーズ」など特撮ヒーローもののヒロイン(正義側・敵側は問わない)役の女優・グラビアアイドル)が支持を集めたほか、15歳以下のアイドルを指すチャイドル(U-15アイドル、ジュニアアイドル)、ヌードグラビア専門のヌードル、若手演歌歌手の演ドルなどの新たな造語が生まれた。また内田有紀広末涼子深田恭子などの女優業をメインとするアイドル女優が活躍する。こうしてアイドルの細分化が進み、歌手としての成功は、アイドルとしての成功に必要不可欠ではなくなった(ただし、内田有紀や広末涼子は歌手としても成功した)。

更にサブカルチャーの充実趣向の細分化にあわせ様様な分野のアイドルが生まれるようになり鉄ドル、ロボドル等と名乗るアイドル、浅尾美和上村愛子オグシオ小椋久美子潮田玲子)などスポーツにおけるアイドルも出現し話題を集めている(知名度の低い種目においてはアイドルを作って話題を集める事も行なわれている)。

[編集] 男性アイドルの概要

男性アイドルは1970年代以降ほぼジャニーズ事務所の一人勝ちと言って良い。特に1980年代少年隊シブがき隊光GENJIなどが人気を博し、特に1990年代初めに登場したSMAPが、歌手というよりバラエティタレントとして人気を得たこと、(男性アイドルということもあるが)メンバーが30代になってもアイドル的な人気を獲得していることも、アイドル像を大きく変化させたと言える。最近ではのメンバーのうち桜井翔は報道キャスター(月曜日限定)としての面を見せ、二宮和也に至ってはハリウッドデビューを果たしている。その後、ジャニーズ以外の男性アイドルDA PUMPw-indsなどを始め多数の事務所からデビューするも人気は遠くジャニーズに及んでいない。両者が現れる直前に登場し、“ジャニーズ系を超えるか”と見られたのが高橋良明である。

一方、2000年代の韓流ブームで著名となった韓国美形男性タレントは、全体的な印象が1980年代アイドルブーム時のアイドルを連想させるため、多くが韓流アイドルとして認識されている。そのため、韓流ドラマ・韓流映画も、アイドルドラマ・アイドル映画として認識されてしまっている。

一般的に、女性アイドルがかわいらしさやあどけなさをセールスポイントにするのに対して、男性アイドルは格好良さ、爽やかさ、スポーティさなどをセールスポイントにする(王子も参照)。どちらも性的な魅力を前面に出さない(清純さを強調する)点で共通しており、アイドルの恋愛沙汰はそれ自体スキャンダルとして取り上げられることが多かった。女性アイドルでは、主たるファン層である若い男性の需要に応えるためにいわゆる「健康的なお色気」(水着グラビア等)程度は提供されることもあるが、男性アイドルについては女性アイドルと比較しても性的な面が隠される傾向があり、中性的な顔立ちや体つきの少年がアイドルとして売り出されることが多い。

1950年代には石原裕次郎日活映画や歌で活躍し、1960年代には御三家と呼ばれた橋幸夫舟木一夫西郷輝彦が現在で言うアイドル的人気を博したが、当時は「アイドル」という言葉が生まれる前であった。1960年代前半にスリーファンキーズや、現在も男性アイドル事務所に名を残すジャニーズあおい輝彦など)がデビューし、男性アイドルグループの礎を築いた。さらに、1960年代後半にはグループ・サウンズブームがあり、ザ・スパイダースかまやつひろし堺正章井上順など)やザ・タイガース沢田研二など)の人気はアイドルと呼べるものであった。

1970年代に入り、徐々にアイドルという言葉が使われ出した頃に登場したのが新御三家郷ひろみ西城秀樹野口五郎)で、3人とも主に歌手として活動を行った。さらに、ザ・タイガースの事実上の解散後、ソロあるいはバンドとして活動を続けた沢田研二もザ・ベストテンなどの歌番組の常連として人気を保った。70年代には他にもフォーリーブスジャニーズ事務所所属の男性アイドルの先駆)、フィンガー5(兄妹5人組。人気絶頂期にはメインボーカルの(四男)にアイドル的人気が集まった、男女混合アイドルグループと解すこともできる)などの男性アイドルグループが輩出した。この時代の男性アイドルのイメージとしてよく使われたのが「白馬に乗った王子様」であり、手の届かない別世界の存在として記号化されることが多かった。

1980年代に入ると、男性アイドル界はジャニーズ事務所を中心に回るようになっていく。まず、1979年に放映された3年B組金八先生に生徒役として出演したたのきんトリオ田原俊彦近藤真彦野村義男)の3人が80年代に入って次々とレコードデビューし、ヒットを飛ばすようになった。さらにシブがき隊光GENJI少年隊など人気グループを次々と世に送り出したジャニーズ事務所は、押しも押されもしない男性アイドル界のトップ事務所として芸能界に君臨することとなっていった。

1990年代以降、男性アイドルのイメージが、それまでの「王子様」としての存在からより身近な存在へと変わっていった。その中で、デビュー当初からコントなどのお笑いに近い仕事もこなしてきたSMAPが人気グループに成長し、彼らを擁するジャニーズ事務所の男性アイドル界の王者としての座は揺るぎないものとなっている。そのためもあってか、女性アイドルで起きているようなアイドルの細分化(「癒し系アイドル」など)は、いまだ男性アイドルでは顕著となっていない。また、ジャニーズ所属以外の男性アイドルがゴールデンタイム歌番組にほとんど出られないという謎の現象も起こっている。

[編集] 国民的アイドルの概要

1980年代末には「国民的アイドル」という呼称(概念)も登場した。「国民的アイドル」という言葉は、「全日本国民的美少女コンテスト」(国民的美少女コンテスト)から派生したものと思われる。同コンテストは、歌手というより女優(あるいはモデル)を発掘するという意味合いが強いと見られ、アイドル=歌手という図式の崩壊・変容に一役買った面がある。近年国民的アイドルと呼ばれたのはSMAP、SPEED、モーニング娘。、松浦亜弥、上戸彩などである。

その条件として、まず一部の者や限定的な趣向者のみにしか知られていないアイドルではなく、年齢層も子供から高齢者まで幅広く認知がなければならない。さらに、人気が長い間高いこと。芸能界では一般的に視聴率が取れる人物(グループ)を指す。また、高視聴率のメイン番組を持っていることなどが挙げられる。

[編集] アイドルのファン

アイドルのレコード(CD)などを熱心に購入するだけではなく、コンサートやイベントに参加する者も多い。芸能プロダクションなどが運営するファンクラブに所属する者も多い。

ファンがアイドルに向けた熱意が高じた結果、芸能プロダクションなどの公式ファンクラブとは別に、1970年代半ばにはファン側が主体の全国規模のファン組織が登場する。キャンディーズのファン組織「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」が、その初めての例と言われる。これが俗に言う「アイドル親衛隊」の始まりであり、後に親衛隊連合、親衛隊同盟という二大勢力に発展していく。また「追っかけ」や「カメラ小僧」という行為(ファン像)も生まれてきた。

ファンの多くは、内心は熱狂的だが、表面的には密やかな態度であると見る向きもある。その一方、アイドルへの思いが高じたあげく、アイドルを傷つける行為に走る例も見られる。古くは美空ひばりこまどり姉妹がファンから硫酸をかけられた事件が挙げられる。1980年代にも、松田聖子がコンサート中にステージ上でファンに殴られた事件、倉沢淳美がサイン会でファンから腕を切りつけられた事件などが発生している。 しかしながら1990年代以後芸能界においてアイドルという言葉が極めて負の意味で 用いられるのに合わせるかのように価値観の変化や娯楽の多様化などから若年層のアイドル離れが急激に進み少子化による若年層そのものの減少し、これらの層の中には『萌えブーム』へつながる2次元の美少女キャラクター(アニメやゲームのヒロインなど)のファンへと移行してゆく者が出現したこともあいまってアイドルイベントに足を運ぶ若者が急激に減少し今日では経済力に勝る中年層にむしろ的を絞る商法を 行う場合も出て来ている。

[編集] 雑誌の表紙

小学館の学習雑誌の表紙は、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。それ以前は子供の写真か、写真技術が未発達なうちは子供を描いた水彩画が用いられていた。明治時代少年雑誌では、グラビアに政治家の写真が使用されていたことと対照的である。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)

[編集] 出典・脚注

  1. ^ 「アイドル工学」 P.69