アイドル

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日本の文化におけるアイドルは、特に魅力的で可愛い、もしくはかっこいいとみなされる人物を指し、例えばポップス歌手役者、テレビタレント雑誌広告などに掲載される写真モデルなど、数か月から数年にわたって継続的にマスメディアに登場する。

概説[編集]

由来[編集]

日本の文化言語における「アイドル」の語源となった英語のidolの本来の辞書的な意味は、偶像、すなわち目に見えない(不可視な)崇拝や信仰・信心・信奉・信条などの対象を可視化(目に見えるように)した、絵画彫刻などのことであり、代表的な用法に偶像崇拝偶像破壊などが見られる。その転用・発展・変化の結果、アメリカで「若い人気者」としての意味で1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリー1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらが「idol」と呼ばれ始め[1]、デビュー時のエルヴィス・プレスリー1950年代)やビートルズ1960年代)らも「アイドル」として認知されていた[2]。先駆的存在として、明治期の女義太夫が挙げられる。

「アイドル」の呼称の始まり[編集]

以上のような経過から当初の日本において「アイドル」とは、主に外国の芸能人を対象にした呼称であり[3][4]、日本の芸能人を対象としては、一般的に「スター」と呼ばれ、特に未だテレビが普及していない時代における日本の芸能界の主力が映画だったことから、人気ある若手の芸能人もほとんどが加山雄三吉永小百合浜田光夫ら特に「青春スター」と呼ばれた映画の俳優であった(東映ニューフェイス」も参照)。

その後、本格的なテレビ時代の到来、産業としての映画の全体的な斜陽化、そして絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダースザ・タイガースザ・テンプターズなどのグループ・サウンズのブームが巻き起こる過程で、徐々に「青春スター」の呼称も使われなくなり、「アイドル」の呼称に取って代わられるようになった[5]。その更に後の1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造され、1980年代には、市民権を得るようになった[6]

アイドル隆盛期[編集]

1970年代以降、日本では、『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子桜田淳子山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子国生さゆり工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。1980年代に入り、松田聖子・田原俊彦近藤真彦小泉今日子中森明菜[7]ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の定着が見られた。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。

アイドルの多様化[編集]

それまでのアイドルが一般的に歌手俳優グラビア写真モデルなど1人で様々な分野に活動したのに対し、1980年代の半ば以降、『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブや、高見知佳山瀬まみ井森美幸森口博子島崎和歌子松本明子松居直美らキャラクターを生かして主にテレビのバラエティ番組で活動したバラエティーアイドル(略して「バラドル」)、更に1990年代に入るとかとうれいこ細川ふみえ[8]グラビアアイドル[9]が登場した。

多様化の進展[編集]

現在では、様々な分野ごとのさらなる「アイドル」の細分化・多様化が見られ、また、個人で活動する事例のみならず、グループで活動する事例も発展している。また、サブカルチャーの充実や嗜好の細分化(おたく)に伴い、「落ドル」(落語)、「鉄ドル」(鉄道)、「ロボドル」、「ミリドル」(軍事=ミリタリー)、「株ドル」、「魚ドル」、「農ドル」などと名乗る事例や、「女子アナ」と呼ばれる女性アナウンサースポーツ界における浅尾美和浅田真央上村愛子オグシオ小椋久美子潮田玲子)、福原愛、メグカナ(栗原恵大山加奈)ら、そして、主に声優として活動する者ら、或いは、男女ともにウルトラマンシリーズ仮面ライダーシリーズスーパー戦隊シリーズなどの特撮テレビ番組で主要な役を演じた俳優など、マスメディアで「アイドル」のように取り上げられる事例も見られる。[要出典]アイドル#「アイドル」との合成語」も参照)。なお、全ての若い芸能人が「アイドル」と認識されているわけではなく、多くのロックミュージシャンに代表されるように、反抗的なイメージを高めたいと望む若い芸能人が「アイドル」という肩書きを拒む例も見られる。

ファンの変化[編集]

従来、異性のファンが多かったが、近年、女性アイドルと同年代の女性ファンも増えている。コンサートやイベントなどでは、いわゆる「親衛隊」と呼ばれる、派手な法被やグッズを身に付けたファンが見られる。所属する事務所などが会報を発行する公式ファンクラブを開設していることも多いが、1990年代以降の情報化社会の到来から情報の入手が容易になったことにより、以前に比べて会員数の減少も見られることからファンクラブを開設しない事務所やインターネット上でのみ開設して課金する事例も増え、ブログTwitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービスも公式に使用されている。また、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間と、ほぼ完全に一致している、という分析がある[10]

歌うアイドルの変遷・終焉とその後[編集]

70年代から始まる「歌うアイドル」は、80年代にピークを迎えた。彼女ら(彼ら)は、アイドルとしての活動をレコードリリースと歌番組を軸としており、バラエティー番組出演や女優業などは、いわゆる「副業」という位置づけであった。シングルレコードは、おおよそ3か月程度で一枚を出すのが常で、とりわけデビュー前後においては、レコード会社及びプロダクションが最も力を注ぎ、キャッチフレーズ(例:中森明菜「ちょっとエッチな ミルキーっこ」「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」等)を用いる等して、多大な宣伝効果を期待していた(少女隊セイントフォーらは、数億円とも呼ばれる巨額をデビューに費やしていた)。年度始めにデビューが多く、いわゆる豊作の「82年組」「85年組」、不作の「83年組」など、年度単位でアイドルをカテゴライズされることもあった。年末には、レコード大賞を筆頭に数々の賞を賭けた数々の歌番組が80年代勃興しており、各賞を獲得することが、当時のアイドルにとってのステータスであり、その激しさから「賞レース」などとも呼ばれた。当時は、レコード売り上げの指標となるオリコンチャートも重要視されつつ、アイドル歌手にとって、歌番組に出演することは、必須であり、当時はテレビ媒体を通して宣伝するという事が当然視されていた。特に、『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』→『歌のトップテン』等のランキング番組においては、その宣伝効果から、オリコンチャートに匹敵、むしろそれを上回る重要性さえ持っていた。 しかし、87年あたりから、いわゆるアイドル四天王は好セールスを記録していたものの、アイドル歌謡界全体から見ると、レコードの売り上げが頭打ちになり、次第に歌謡アイドル離れが進行していった。奇しくも、時を同じくして、『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの生放送看板番組が相次いで打ち切りになり、前述した年末の賞番組の権威も失墜し、次第にアイドル達がアピールできる媒体というものそのものが消滅したことも受け、90年前後では歌うアイドルそのものが壊滅する(もしくはアングラ化する)。それと入れ替わる形で、トレンディードラマブームが起こり、観月・宮沢・牧瀬の「3M」に代表される女優業を中心として、歌が逆に副業的なアイドル、或いは森口博子山瀬まみ井森美幸を代表とするバラドルと言われたマルチタレント(森口博子に至っては、バラドルとしての成功が結果的にアイドル歌手として波及効果を生み出しキャリア後半に売れっ子になった)、細川ふみえのようなグラビアを中心としたアイドルなど多様化を見せる。 90年代初頭において、高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれたのが象徴的事象であった。前述のように、アイドルそのものは、存続していたが、歌うアイドル、正統派アイドルという点でこの時期が終焉という一区切りを打ったと言える。その後、安室奈美恵SPEED等アイドルというジャンルが再びスポットを浴びたが、彼女らはアーティスト的要素を強く打ち出していたので、80年代のアイドルとは一線を画す面もある。2000年前後には、モーニング娘。の活躍により歌うアイドルの予感をうかがわせたが、あくまでつんく♂プロデュースによるモーニング娘。の一人勝ち状態で、邦楽界全体における歌謡アイドル復興には至らなかった点では、80年代の状況から程遠いといわざるを得ない。尚、近年のAKB48等の台頭は、おニャン子クラブを手がけた秋元康による成功という面により、現在も局地的ではあるが「歌うアイドル」復興の動きを見ることは出来る(皮肉にも、当時のおニャン子の台頭は正統派歌謡アイドルを崩壊させた遠因ともされた)。

80年代アイドル歌謡として、特徴として挙げられるのが、衣装、振り付けがある。今のアイドルもダンスを重視するが、この当時は激しい動きはさほど見られず、かっこよい動きを追求する現代に比べて、可愛らしさを追及する面が衣装にも振り付けにも見られた。両者とも、職人が手がける事が常であったが、南野陽子中森明菜ら、自ら衣装デザインに参入するアイドルもいた。尚、基本的にシングルを一曲リリースする度に、それに併せた衣装が作成されていた(時に複数着用意することもあった)。80年代前半は特にヒールやドレス、ミニスカートなどキュート且つ華麗な衣装が目立ち、石川秀美のような脚線美を売りにしたアイドルはこの演出をうまく取り入れていた。

曲作りにおいては、80年代は分業制を取り入れており、歌い手・作詞・作曲・編曲各々がプロ作家による独立性が保たれていた。90年代以降のモーニング娘。、安室奈美恵、華原朋美 篠原涼子らは、つんく、小室哲哉などによる曲作りまで含めた完全プロデュース型を展開していたのとは好対照であった(ただし、菊池桃子×林哲司のようなプロデュース型アイドルも僅かに存在していた)。後藤次利、林哲司のようないわゆるスタジオミュージシャンが多く参入していたのも特徴的であり、この点において、80年代アイドルの歌唱力は別としても、曲そのもののクオリティーは高品位であった。特に松田聖子のような大物アイドルとなると、レコーディングそのものに巨額が投じられた事もあり、彼女のアルバムは参加アーティスト(David Foster大瀧詠一等)という側面からみても豪華であったと言われる。他方で、柏原芳恵のように歌唱力に定評があり、一定の世界観を保持したアイドルには、中島みゆき松山千春に直接手がけられたプロデュースアルバム(タイニーメモリー、春なのに)をリリースした例もある。更に、河合その子河合奈保子のように元々ピアノ等の楽器を演奏できる歌手も少なくなく、彼女らはキャリア後半で自ら作曲を手がける事にもなった。また、当時のアイドルは可愛らしさを売りにする傾向があったため、アルバムトラックの中に、日記調で本人の肉声が入ったメッセージトラックなるものが収録されていたのも特徴的である。

80年代アイドルは、基本はまず「歌うこと」が仕事のメインという前提があったが、角川三姉妹と呼ばれた、薬師丸ひろ子原田知世のように女優業をメインとして、歌手業を補完的役割を担う歌手もいた。歌番組出演は当時のアイドルの生命線でもあったが、このようなタイプのアイドルはむしろ乱発的に出演せず、最小限のテレビ出演に留め、曲そのものの利益は勿論の事、映画公開と併せたプロモーション効果としてシングル曲を巧く利用していた。

当時の音楽的流行を取り入れる歌手もおり、荻野目洋子ヴィーナス以降の長山洋子黒沢ひろみ森恵BaBeWink真弓倫子勇直子のように、ユーロビート、ダンスサウンドを中心に曲作りをする歌手も目立った。

80年代のアイドルは全国区で売れる事が必須とされたが、今現在は、ローカルアイドルと呼ばれる、地方と密着したアイドル(主にグループアイドル)が各地で活躍しており、その数は膨大な規模になる。商業的な目的よりは、地方自治体を含めた地域活性化の役割(特に農業・漁業のような第一次産業の活性化)を多く担っており、80年代の営利目的のみを追求した形態とは一線を画す。知名度においてテレビで取り上げられる事は殆ど無いが、ファンと直接触れ合うライブ・イベント等、地域密着型の活動を得意としており、この点において、地域イベントを重視していた80年代のB級、C級アイドルの香りを残している(80年代にヒットしたアイドル歌謡をカバーするローカルアイドルもいる)。

女性アイドル史[編集]

「アイドル」以前[編集]

美空ひばり吉永小百合ら「スター」の時代であり、そのひばりに江利チエミ雪村いづみを加えた「三人娘」、或いは、中尾ミエ伊東ゆかり園まりから成る「スパーク3人娘」らが人気を博した。フランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。

1970年代[編集]

デビュー年

1972年の沖縄返還により、冬季においても屋外での水着グラビア撮影を国内で行うことが可能になった[要出典]。また、高視聴率ドラマの主要キャラクターを演じた岡崎友紀吉沢京子らが人気を集めた。1971年の『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場した南沙織が司会者の水前寺清子から「ティーンのアイドル」と紹介された[要出典][11]。この時期、パフォーマンス、フリルレースで飾られた白色系のステージドレス、今日のオタ芸の前身となるコールなどのアイドル像が創り出された[要出典]。1970年代後半に入ると松任谷由実、中島みゆき、竹内まりやなどのニューミュージック歌手がヒットするようになり、例えばデビュー当初の竹内まりやは、アイドル的な売出し方をされたこともあった。

1980年代[編集]

デビュー年

1980年、松田聖子が大ブレイクを果たし、同期デビューの岩崎良美や河合奈保子も若年層の人気を獲得、再びアイドル歌手が台頭した[12]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージックが優勢であったが[12]、1982年には中森明菜や小泉今日子がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[13]

彼女たちのような正統派から、邪道とされたおニャン子クラブまで様々なタイプが現れ、1980年代の後半には、工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯の4人が「アイドル四天王」と呼ばれた。

1980年代の終盤に入るとバンドブームの煽りを受け、また、ゴールデンタイムから歌番組の相次ぐ終了により、アイドル歌手の露出の場が減って行き、並行して松本明子井森美幸森口博子山瀬まみらがバラエティーアイドルと呼ばれるようになった。

1990年代[編集]

デビュー年

1990年、歌手活動を中心とするアイドルはWink、CoCo、ribbon、高橋由美子、東京パフォーマンスドールらの活躍が見られたものの、テレビ歌番組の減少と共に「アイドル冬の時代」・「アイドル氷河期」[14]を迎えた。

1991年には、テレビCMから人気を博した観月ありさ、牧瀬里穂がCDデビューを果たし、宮沢りえを含めた3人が「3M」と呼ばれ若年層の絶大なる人気を獲得。かとうれいこ細川ふみえC.C.ガールズら雑誌のグラビアを中心に活動した「グラビアアイドル」も登場し、以降アイドルという存在が急速に多様化していった。

1990年代中盤、歌手活動を中心としたアイドルは、スーパーモンキーズ、中谷美紀菅野美穂加藤紀子らを輩出した桜っ子クラブさくら組、酒井美紀、Melodyらが健闘していたものの、テレビ歌番組は減少の一途を辿っており活動の場は限定された。同時期、ドラマ出演をきっかけに注目された内田有紀、水着グラビアで中高生男子の圧倒的な支持を得た雛形あきこがブレイク。両者とも、後にCDデビューを果たしている。またこの時期、アイドル的な活動をする声優が増えた。

1990年代終盤、小室哲哉のプロデュースによる華原朋美や篠原涼子などのアイドルないしアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)、安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄アクターズスクール出身者などがミリオンセラーを連発。

1997年、テレビ番組『ASAYAN』のオーディションからデビューしたモーニング娘。鈴木あみが台頭した。

2000年代[編集]

モーニング娘。を中心としたつんくプロデュースによるハロー!プロジェクトが、松浦亜弥Berryz工房℃-uteらを加え人気を得る。浜崎あゆみ中島美嘉ら、J-POPというジャンル名で呼ばれるようになった歌手らも人気を集め、また、上戸彩長澤まさみ新垣結衣堀北真希らが女優として、中川翔子小倉優子若槻千夏ほしのあきらがバラドルとして、それぞれ台頭を見せ、或いは、『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする里田まいスザンヌ木下優樹菜南明奈misonoらが知名度を高めた。

Perfumeテクノポップユニットとして音楽から人気を獲得し、海外へ進出する一方、逆に海外からも、「黒船」と呼ばれたリア・ディゾンや、KARA少女時代K-POPも来日して活動した。また、現在に人気の続くAKB48(2005年)が秋葉原に専用の劇場を持って「会いに行けるアイドル」として頭角を現わし、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』に中川翔子やリア・ディゾンと共に1つの枠で初出場し、「アキバ枠」と報じられた[15][16]

アイドリング!!!』から誕生したアイドリング!!!(2006年)や、レプロエンタテインメント所属の9nine(2005年)、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ(ももいろクローバーとして2008年)、その妹分にあたる私立恵比寿中学(2009年)、AKB48の初の妹分にあたるSKE48(2008年)や派生グループにあたるSDN48(2009年)、ハロー!プロジェクトのスマイレージ(2009年)、スウィートパワー所属のbump.y(2009年)、プラチナム・パスポート所属のPASSPO☆(ぱすぽ☆として2009年)、異色の「男装」で活動する風男塾中野腐女子シスターズとして2006年)、また、バニラビーンズ(2007年)らの始動も、この時期である。この中から2009年にAKB48、アイドリング!!!によるコラボレーションとしてAKBアイドリング!!!も活動した。

2010年代 - アイドル戦国時代[編集]

AKB48やSKE48の妹分にあたるNMB48HKT48などが加わった「48グループ」の形成、また、エイベックス所属のSUPER☆GiRLS東京女子流MAXSPEEDの妹分にあたるFairies、小・中学生からるさくら学院、AKB48の「公式ライバル」として始動したソニー所属の乃木坂46など多数のグループが次々と誕生し、2000年代から活動するグループも含めて「アイドルを名乗るタレントの数」が「日本の芸能史上、最大」[17]という状況を指し、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[18][19]

アイドリング!!!が「ホスト役」[20]を務める、2010年から始まった多数の女性アイドルが一堂に会する共演イベントであるTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、2012年の第3回には、「111組」もの参加[17]、「732人」もの出演者に達し[21]、他にも2012年の指原莉乃プロデュース『第一回ゆび祭り〜アイドル臨時総会〜』IDOL-NATIONなど同種の共演イベントを通じたアイドル同士の交流も増えた。また、これらのグループのメンバーの中でも特にアイドリング!!!のメンバーであった菊地亜美やBerryz工房のメンバーである嗣永桃子らは、共に地上波テレビバラエティー番組などで個人としても活躍の場を広げている[17]

新潟のNegicco、福岡のLinQ、宮城・仙台のDOROTHY LITTLE HAPPY、愛媛のひめキュンフルーツ缶ら、各地のローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる地域に密着したアイドルも相次いで全国デビューしている[17][18][21]。また、KARAや少女時代らの成功を受け、4minute2NE1T-ARAAFTERSCHOOLレインボーらも続いて日本でデビューした。逆に、日本のAKB48のフォーマットも海外へ輸出され、インドネシアでJKT48、中国でSNH48が始動している。

雑誌メディアなどのグラビアをAKB48メンバーが多く占めるようになり、グラビアアイドルの露出する場が少なくなっている、という声も見られる[22]

男性アイドル史[編集]

「アイドル」以前[編集]

1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫舟木一夫西郷輝彦ら、他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループサウンズ1970年代新御三家ら、そして、初代ジャニーズあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。

1970年代[編集]

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。他には、フォーリーブスジャニーズ事務所所属)やフィンガー5らが登場した。この時代に男性アイドルのイメージとして使われた「白馬に乗った王子様」など、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[要出典]

1980年代[編集]

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘薬丸裕英布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊など、人気グループを次々と送り出した。子役を経てアイドルとして人気を博した高橋良明は、交通事故1989年1月に16歳で夭折した。

1990年代[編集]

主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、前半までは、光GENJIが他を圧倒する人気を見せ、中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi KidsTOKIOV6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉を筆頭にメンバー個人も俳優としても成功した。

そういったジャニーズ全盛の中、ヴィジョンファクトリー系のDA PUMPw-inds.なども人気を集めた。

2000年代 - 2010年代[編集]

女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平溝端淳平ら、また、ウルトラマンシリーズ出身の杉浦太陽仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョー要潤水嶋ヒロ佐藤健スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。 かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは、女性アイドルと同じく東方神起BIGBANGを皮切りに超新星2PMFTislandらのK-POP組など、バラエティーからでなく、音楽の方面から人気を博す事例も再び見られ、また、を筆頭としたジャニーズ事務所のグループも音楽や芝居、バラエティー分野などで人気を集めている。

「アイドル」との合成語[編集]

アイドルの類型もしくはアイドル的要素を表す、アイドルとの合成語複合語やその略語かばん語など)を挙げる。記事が存在しないものには、それぞれの概略説明を記した。記事が存在するものの説明は、個々の記事を参照。

文献情報[編集]

  • 青木一郎[23]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫1993年
  • 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」、『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日NAID 110002940787
  • 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」、『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892
  • 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[1]
  • 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927

出典・脚注[編集]

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  1. ^ 音魂大全 鈴木 創著 洋泉社刊より、ザ・ビートルズ1962年〜1966年ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
  2. ^ ビートルズ日本公演プログラムより。
  3. ^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
  4. ^ 映画の中のみでなら、1938年松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。
  5. ^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
  6. ^ 『アイドル工学』・P.69より。
  7. ^ 80年代の初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブル・スコア以上の差をつけた5名(2012年6月29日に放送された『ミュージックステーション』より)。
  8. ^ 共に所属していたのは、その後にも多くのグラビアアイドルを輩出したイエローキャブで、後に主要なタレントがイエローキャブとサンズエンタテインメントとに分かれた。
  9. ^ 1970年代のアグネス・ラムのような同様の前例も存在した。
  10. ^ アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年5月13日閲覧。
  11. ^ 東京宝塚劇場で行われ、視聴率78.1%を記録した。
  12. ^ a b 「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
  13. ^ “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムス (ジャパンタイムス). (2009年8月25日). http://www.japantimes.co.jp/news/2009/08/25/news/pop-idol-phenomenon-fades-into-dispersion/ 2013年5月13日閲覧。 
  14. ^ この時代にアイドルだった世代は、「氷河期世代」(団塊ジュニアポスト団塊ジュニア)とも重なる。
  15. ^ “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071125-287476.html 2013年5月13日閲覧。 
  16. ^ “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日). http://contents.oricon.co.jp/news/movie/50813/full/ 2013年5月13日閲覧。 
  17. ^ a b c d “ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日). http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20121009-OYT8T00206.htm 2013年4月23日閲覧。 
  18. ^ a b “【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2019492/full/ 2013年4月23日閲覧。 
  19. ^ Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年4月23日閲覧。
  20. ^ NEWS 指原莉乃 オフィシャルサイト”. エイベックス・マーケティング. 2013年4月23日閲覧。
  21. ^ a b ““アイドル戦国時代”の懐の広さを垣間見る──『インディーズ・アイドル名鑑』(1-3) - 日刊サイゾー”. サイゾー (サイゾー). (2012年11月1日). http://www.cyzo.com/2012/11/post_11802.html 2013年5月5日閲覧。 
  22. ^ “グラビアアイドルたちが宣言!「AKB48には負けたくない!」 | webザテレビジョン: エンターテインメントニュース”. ザテレビジョン (ザテレビジョン). (2012年1月11日). http://news.thetv.jp/article/27255/ 2013年5月13日閲覧。 
  23. ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去

関連項目[編集]