光GENJI

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光GENJI
基本情報
出身地 日本
ジャンル J-POP
活動期間 GENJI
1987年3月 - 1987年6月25日
光GENJI
(1987年6月25日 - 1994年8月31日
光GENJI SUPER 5
(1994年8月31日 - 1995年9月3日
レーベル ポニーキャニオン
事務所 ジャニーズ事務所
メンバー


内海光司
大沢樹生 (1987年 - 1994年)


GENJI
諸星和己
佐藤寛之 (1987年 - 1994年)
山本淳一
赤坂晃
佐藤敦啓
旧メンバー
GENJI
田代秀高 (1987年)
  

光GENJI(ヒカルゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していたローラースケートを履いて歌い踊る男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所所属。1987年6月25日に、「GENJI」と「」の2つのグループが合体されて結成。1995年9月3日解散。グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。また、結成当初には「ライト・イン・シャドー」というグループ名でも呼ばれていた。人気と売上のピークはデビュー直後からの3年程度だったが、後輩のSMAPTOKIOV6KinKi Kidsが着実に成長して人気を得て台頭するまでの期間、1989年 - 1990年代前半のアイドル冬の時代において苦難の時代を過ごしていた当時のジャニーズ事務所を支え続け、牽引した稼ぎ頭ともいえる存在だった。

目次

[編集] メンバー

(元・「イーグルス」のメンバー)


GENJI


光GENJI SUPER 5

  • 内海光司 (リーダー)
  • 諸星和己
  • 山本淳一
  • 赤坂晃
  • 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)

SAY・S (内部ユニット)

  • 佐藤寛之
  • 山本淳一
  • 赤坂晃
  • 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)

AKIRA & KOHJI (内部ユニット、別名「とんがりーず」、1994年結成。)

  • 赤坂晃
  • 内海光司

[編集] 「GENJI」元メンバー

[編集] 概要

  • 1987年3月に、諸星・寛之・山本・敦啓・田代の5名で「GENJI」を結成。同年4月5日より、MBSの視聴者参加の歌合戦番組『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のレギュラーになる。 この番組のオープニングで、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回披露していた。
  • まもなくして、田代が赤坂と交替。
  • 同年の来日ミュージカル『スターライト・エクスプレス』のキャンペーンに合わせ、同年6月25日に、既存グループだった5人組の「GENJI」と、元・イーグルスの2人による「」の2つのグループを合体して、「光GENJI」が結成された。
  • 同年8月19日ポニーキャニオンから『STAR LIGHT』でレコードデビュー。その時のキャッチコピーは、“超新星からのメッセージ”だった。
  • 光GENJIの登場、人気爆発は社会現象として一般紙にも取り上げられ、ファンクラブの会員数は、50万人にも及んだ。ローラースケートを履いてのパフォーマンスが話題となり、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた。
  • 光GENJI ローラーパニックとしてファミコンソフトにもなっている。
  • 初期のジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。
  • 振り付け、特に初期の楽曲は大変に激しかったため発汗の量が尋常ではなく、下着を日に二回は取り替えねばならなかったということが『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子によって番組中で語られている。
  • メンバー全員バク転が出来る。光GENJIの人気爆発とともに、当時の全国の小中学生のあいだでバク転が流行した。
  • メンバーのイメージカラーは、内海光司=青、大沢樹生=紫、諸星和己=ピンク、佐藤寛之=水色、山本淳一=赤、赤坂晃=緑、佐藤敦啓=黄色。[1][2]
  • 佐藤敦啓・赤坂晃・山本淳一・佐藤寛之の4人から成る“SAY・S”(セイズ)という内部グループがある。SAY・Sという名前は佐藤敦のS・赤坂のA・山本のY・佐藤寛のSで4人のそれぞれの頭文字をとってつけた名前で出来ている。
  • 1988年(昭和63年)には『パラダイス銀河』『ガラスの十代』『Diamondハリケーン』がオリコン年間シングルチャートの1・2・3位を独占するという、1978年(昭和53年)のピンク・レディー以来の大ブームを巻き起こした。デビューしてから1年間ほどは、80年代のアイドルブームの波に乗り、高い人気を獲得した。特に『パラダイス銀河』の頃はその人気の絶頂で、歌番組に出演した際はファンの大歓声により、司会キャスターの声が掻き消されるほどまでになっていた。聖飢魔IIも同時に出演した際にデーモン小暮は、『ワッハッハッハッハ、お前らのせいだぞ』と笑いながら言っていた。
  • 1988年1月に発売したビデオ『太陽がいっぱい 光GENJI』は約30万本を販売し、当時日本のビデオソフトとして最大の売り上げを記録した。
  • 1988年、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。同曲は翌年に開催された第61回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも使われた。
  • 1988年から1992年(平成4年)まで、『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。
  • 1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース、また1994年には「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース、バルセロナ五輪、リレハンメル冬季五輪の日本におけるオリンピックの盛り上がりに貢献した。
  • 1994年8月31日に大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する。
  • 1995年9月3日名古屋レインボーホールでのライブを最後に解散する(なお、公の場では“解散”ではなく“卒業”と表現・表記している。また、この名古屋のライブは、当時展開していた全国ツアーの最終日にもともと組まれていたもので、最初から「解散コンサート」と設定されていたわけではない)。この解散コンサートのチケットには、最高で100万円もの値が付き、またそれが実際に売れたという逸話がある。
  • 現在、CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』など、全盛期の名曲は、後輩に歌い継がれているのみならず、ブラスバンドの定番楽曲となり、高校野球の応援や官公署の祝い事などで演奏されることも多い。
  • デビューから解散までのCD売上は、シングル総売上29タイトル計1530万枚、アルバム総売上29タイトル計880万枚、ビデオ総売上15タイトル計320万本、コンサート動員数は、539公演計333万6594人動員である[要出典]

[編集] ジャニーズ事務所タレントとの関係

  • 年長の2人(元イーグルス)を「」、残りの5人を「GENJI」と分けるグループ内ユニットの存在が特徴的で、このスタイルは後輩のV620th CenturyComing Century)、Hey! Say! JUMPHey! Say! BESTHey! Say! 7)、B.A.D.BOYSB.A.D.BOYS)に引き継がれた。
  • 後にSMAPとして活躍するメンバーを含む「スケートボーイズ」というグループが、初期のバックダンス、およびスケボーのパフォーマンスを担当していた。 1988年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』で、光GENJIが「メドレー〜ガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞〜」を披露した際にも、SMAPはバックダンス、スケボーパフォーマンスで登場している。 更に翌1989年の紅白歌合戦には、コーラスとして参加している。
  • 『剣の舞』や『地球をさがして』に登場したバックダンサーグループ「平家派」には、野口隆史(後の反町隆史)、坂本昌行長野博城島茂山口達也国分太一井ノ原快彦らが在籍していた。
  • 勇気100%』を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。またこの楽曲は2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%』として受け継がれている(同時に『忍たま乱太郎』の主題歌も交代)[3]
  • ローラースケートを用いたパフォーマンスは、K.K.KityKis-My-Ft.2が受け継いでおり、『パラダイス銀河』など光GENJIの代表曲を歌う時に、ローラースケートを履いている。

[編集] 追っかけ

  • ジャニーズ系タレントの例に漏れず、彼らにも「追っかけ」は存在したが、それらファンの熱狂振りは驚異的なものであった。人気の凄まじさゆえに、メンバーたちはプライベートの確保や行動がほとんどできなくなり、メンバーやその家族などの関係者には苦悩した者もいたという。メンバーのある者は、実家がツアー旅行の観光ルートに組み込まれ、観光客に自ら「そういうことはやめてくれ」と苦情を言うという体験をしたことを自伝で語っている。
  • ブーム真っ只中の1988年当時、最年少のメンバー2名は中学3年生で、プライベートで学校の修学旅行にも参加したが、行き先である京都には大量の追っかけの他、特ダネ狙いのカメラマンまでもが出没する有り様で、行き帰りの京都駅東京駅の構内でも一目見ようと数百人からそれ以上のファンが待ち構えており、それを警備の為に多くの駅職員や鉄道警察隊が動員され、必死に制止するという状況であった。この模様は、『ザ・ベストテン』でも両名の帰還時に一部放映された。投宿時には外出機会とメンバーの安全の確保のために、本人は伊達眼鏡帽子で変装し(変装姿を撮った写真も存在、自伝本に掲載されている)、さらに影武者や外出先についての偽情報まで使用されたほどである。帰路の東京駅でも、押し寄せたファンの為に新幹線ホームからの移動すらままならず、時には郵便物の搬送などに使われる業務用通路を通って駅から「脱出」するという有様であった。この模様の一部は歌番組でも放映された。他にも写真週刊誌などでも報道があった。さらに後年、2008年にはコンビニコミックにおいてこの一連の騒動が漫画化されている。また、1995年の解散コンサートは前述の通り名古屋市南区の名古屋レインボーホール(最寄り駅はJR東海笠寺駅)で行われたが、その時のJR東海道本線の超人気列車「大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら」号)は彼らとの別れを惜しむファンが大量に乗り込み列車内がパニック状態となった程である。
  • 1980年代末から1990年ごろにかけてはバレンタインデーに大型トラックで数台分ものチョコレートが送られた。事務所にトラックが到着する映像はこの時代の歌番組の風物詩になっていた。
  • 後に「たかじん胸いっぱい」で諸星が4tトラックに38台分だと語っている。それは武道館の1Fを埋め尽くし2Fから取れるほどだった。
  • 福岡県RKB毎日放送1974年から1995年まで放送されていた長寿番組『RKBベスト歌謡50』での最終年(1995年)年間ベストワンの楽曲は彼らのラストシングル「bye-bye」であった。
  • ある歌番組に出演する際には諸星より僕たちからのお願いとして『学校を休んでまでもコンサートに行ったりしないこと。コンサートなどの会場では係員の指示に従うこと』などを全国のファンに呼びかけていた。

[編集] 労働基準法

デビュー当初、赤坂と佐藤敦啓は労働基準法により、基本的に夜8時以降~翌朝5時までの生出演が出来ないとされていて、メンバー5人が歌っている時に、出演できない2人のVTRを合成させたり 当時バックで踊っていたSMAPの中居 木村が代わりにはいる等の工夫をしていたが、当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に、時々メンバー全員で出演したときもあり、夜8時以降に出演したり、出演しなかったり、という状況が続いていた。ちょうどCDシングル DIAMONDハリケーンをうたっていた頃のこと。労働基準法に関しては伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演出来なかったというエピソードがある。

その後、光GENJIの出演をめぐりついに国会で議論になり、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という国会上の結論が出され、1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」昭和63年7月30日、基収355号)[4]があり、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。

この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検当時15歳の女性タレント当時の所属事務所放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、当局では「労働者に該当する」と判断したため、ラジオの深夜生放送出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が書類送検[5])が発生、それについて2000年4月13日に行われた特別委員会で取り上げられたこと[5]などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めており、現在15歳未満のメンバーの多いHey! Say! JUMP等は、夜9時以降の生出演は行なわれていない。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] 光GENJI

[編集] シングル

  1. STAR LIGHT(1987年08月19日)c/w ROLLING STOCK
    デビュー曲であり、1987年度オリコン年間順位4位。
  2. ガラスの十代(1987年11月26日)c/w Graduation
    映画『ふ・し・ぎ・なBABY』の挿入歌1988年度オリコン年間順位2位。
  3. パラダイス銀河(1988年3月9日)c/w LONG RUN
    第30回日本レコード大賞を受賞。第61回選抜高等学校野球大会入場行進曲。1988年度オリコン年間順位1位。
  4. Diamondハリケーン(1988年6月21日)c/w Welcome
    1988年度オリコン年間順位3位。
  5. 剣の舞(1988年10月10日)c/w 涙の輝き
    平家派がバックを務めた。1988年度オリコン年間順位7位である。
  6. 地球をさがして(1989年3月6日)c/w NEW! 青春にはまだ早い
    振りの一部に手旗信号が含まれており、手旗信号のブームを巻き起こした。平家派がバックを務めた。1989年度オリコン年間順位11位。
  7. 太陽がいっぱい(1989年7月20日)c/w 時をこえたフェスティバル
    シングルジャケットは全部で8種類作られた。1989年の第15回「日本テレビ音楽祭」、第20回「日本歌謡大賞」、フジテレビの第18回「FNS歌謡祭」でいずれも“大賞”を獲得している。1989年度オリコン年間順位4位。B面曲は「ひらけ!ポンキッキ」挿入歌。
  8. 荒野のメガロポリス(1990年2月7日)c/w PLEASE
    アナログレコード(EP)の発売は同曲が最後。
  9. Little Birthday(1990年5月17日)c/w な・な・なのなの時間割
    B面曲はGENJIの5人だけの楽曲。
  10. CO CO RO(1990年8月18日)c/w みつめていたい
    A面曲は紅白歌合戦出場曲。B面曲は「ひらけ!ポンキッキ」挿入歌。
  11. 笑ってよ(1990年11月3日)c/w 水彩画
  12. 風の中の少年(1991年2月7日)c/w TVの中のHERO
  13. 奇跡の女神(1991年4月26日)c/w もっと近づきたい
  14. WINNING RUN(1991年8月30日)c/w 熱帯夜
    紅白歌合戦出場曲。当時のF1ブームを意識した曲である。
  15. GROWING UP(1991年11月7日)c/w 若さのゆくえ
  16. TAKE OFF(1992年2月20日)c/w 君にCheer Up!
  17. リラの咲くころバルセロナへ(1992年4月29日)c/w I'LL BE BACK
    紅白歌合戦出場曲。バルセロナ五輪の応援ソング。
  18. Meet Me(1992年8月20日)c/w クレヨンで描いたタイムマシン
    B面曲は「ひらけ!ポンキッキ」挿入歌。
  19. 愛してもいいですか(1992年11月6日)c/w 夢で逢えるから
  20. 君とすばやくSLOWLY(1993年2月19日)c/w サヨナラと言えなくて
  21. 勇気100%(1993年5月13日)c/w 微笑みをあずけて
    紅白歌合戦出場曲。NHK教育テレビテレビアニメ忍たま乱太郎』のオープニングテーマ。
  22. BOYS in August(1993年8月4日)c/w 恋する気持ち
  23. この秋…ひとりじゃない(1993年10月27日)c/w きっと愛しあえる
  24. BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜(1994年1月20日)c/w 君は世界を夢見て
    リレハンメル五輪の応援ソング。
  25. ヨーソロー!未来へよろしく(1994年4月28日)c/w 僕らのREASON
  26. TRY TO REMEMBER(1994年7月21日)c/w LUNAR PARK-GO-ROUND
  27. Melody Five(1994年10月7日)c/w JOYFUL RHAPSODY
  28. DON'T MIND 涙(1994年10月21日)c/w SHAKING NIGHT
  29. Bye-Bye(1995年8月2日)c/w レディーはそよかぜ

[編集] アルバム

  1. 光GENJI
  2. Hi!
  3. Hey! Say!
  4. Hello…I Love You
  5. ふりかえってTomorrow
  6. Cool Summer
  7. White Dreaming with 光GENJI
  8. 333 Thank You
  9. ひと夏ひと夜
    「ドキドキSummer Days」が、当時『ひらけ!ポンキッキ』で使用された。
  10. VICTORY
  11. BEST FRIENDS
  12. Pocket Album~7つの星
  13. DREAM PASSPORT
  14. SPEEDY AGE
  15. WELCOME
  16. 宇宙遊詠
  17. HEART’N HEARTS
  18. FOREVER YOURS
  19. SUPER BEST TRY to REMEMBER
  20. See You Again
    3枚組CD。事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージ、なつかしの写真、メンバーによる曲の解説が掲載されているラストアルバム。

解散後にリリース

  1. 光GENJI・BEST
  2. 光GENJI All Songs Request

[編集] ビデオ

  1. 太陽がいっぱい
  2. 少年武道館Ⅰ
  3. 光GENJI ファーストライブ
  4. 少年武道館II
  5. 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Sey!
  6. あ・き・す・と・ぜ・ね・こ (非売品)
  7. …これから物語〜少年たちのブルース〜(光)/ふ・し・ぎ・なBABY(GENJI)
  8. 虹色夏物語
  9. ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅
  10. コンサートであおう!
  11. 独逸旅情-素顔になって-
  12. 7番目の夏
  13. BRAVO!Nippon
  14. FOREVER YOURS
  15. P/S I LOVE YOU
  16. Bye-Bye for Tomorrow SeeYou Again P/S I LOVE YOU(光GENJI Super5)

[編集] GENJI

[編集] ビデオ

  1. な・な・なのなの時間割(1990年6月21日)

[編集] 光GENJI SUPER 5

[編集] シングル

  1. Melody Five
  2. DON'T MIND 涙 / SHAKING NIGHT
    両曲ともにNHK教育テレビテレビアニメ忍たま乱太郎』のエンディングテーマ。
  3. Bye-Bye

[編集] アルバム

  1. SOMEONE SPECIAL

[編集] SAY・S

[編集] シングル

  1. 曇りのち晴れ
  2. WE ARE THE CHAMP 〜THE NAME OF THE GAME〜
  3. HAPPY ROAD

[編集] アルバム

  1. SAY・Sベスト

[編集] ビデオ

  1. 曇りのち晴れ
  2. WE ARE THE CHAMP 〜THE NAME OF THE GAME〜
  3. HAPPY ROAD SHOW!

[編集] AKIRA & KOHJI

[編集] シングル

  1. MR.MIRACLE

[編集] CD化されていない楽曲

  • 今、君と歌いたい
    (結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲)
  • どうもありがとう(初期のコンサートでエンディングに歌われていた)
  • 7th Door−7つ目の扉−(結成7周年を記念して制作された楽曲)
  • Shake Again(1994年春コンで披露) 

[編集] 主な出演作品

[編集] バラエティ番組

[編集] テレビドラマ

連続ドラマ
単発ドラマ

               愛車物語 (1991年4月18日、フジテレビ) - 佐藤寛之

                  メリークリスマスを君に (1992年12月26日、テレビ東京) - 山本

[編集] 映画

  • 少年武道館
  • ふ・し・ぎ・なBABY
  • これから物語 〜少年たちのブルース〜 - 内海・大沢
  • 新極道の妻たち 惚れたら地獄 - 赤坂
  • 極道の妻たち 赫い絆 - 赤坂

[編集] ラジオ

[編集] パロディ

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ エンタメ芸能新聞 【赤坂晃 光GENJI 元メンバー覚せい剤所持で逮捕】(記事内にメンバーのイメージカラーの記述がある。)
  2. ^ 山本淳一のブログ【milliondollar happy】の「光GENJI衣装の変遷?」記事(光GENJI時代の自分のイメージカラーについての記述がある。)
  3. ^ さらに『忍たま乱太郎』の主題歌としての『勇気100%』は、2009年4月からはHey! Say! JUMPが受け継いでいる。
  4. ^ 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
  5. ^ a b 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
先代:
1987年
近藤真彦
第30回日本レコード大賞
日本レコード大賞
(1988年)
次代:
1989年
Wink