日本のヒップホップ

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日本のヒップホップ
様式的起源 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ヒップホップ
文化的起源 日本の旗 日本 1980年代
使用楽器 ラップボーカルターンテーブルシンセサイザーDAWドラムマシンサンプラーヒューマンビートボックス
流行時期 日本の旗 日本 1990年代後期、2000年代初期
サブジャンル
ウエスト・コースト・ヒップホップハードコアヒップホップ
融合ジャンル
ヒップポップミクスチャー・ロック
地域的なスタイル
渋谷系
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日本のヒップホップ(にほんのヒップホップ)では、日本ヒップホップについて解説する。

歴史[編集]

1980年代[編集]

1980年[編集]

12月21日、ザ・ドリフターズの13枚目のシングル「ドリフの早口言葉」が発売される。これを日本におけるラップの源流の一つとする説もあるが[1]TBS系列『8時だョ!全員集合』のプロデューサーであった古谷昭綱は、当時のインタビューで「日本に昔からある、古めかしい早口言葉をロックのリズムに乗せた」と述べている。[2]

1981年[編集]

2月21日、スネークマンショーの1枚目のアルバム『スネークマン・ショー』が発売される。本作の収録曲「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」や、12月に山田邦子が発表した「邦子のかわい子ブリっ子(バスガイド編)」等の歌謡曲において、ラップがコミカルな表現として頻出するようになる。[1]
3月21日、YMOの5枚目のアルバム『BGM』が発売される。本作の収録曲「RAP PHENOMENA/ラップ現象」で、細野晴臣がラップをしている。これがコミカルなラップ歌謡ではない、日本人による最初期のラップである。
ダンスにおいては、浅岡幸三がアメリカンブラックのダンススクール「ファンキージャム」を開校する。

1982年[編集]

小林克也率いるザ・ナンバーワン・バンドが、「うわさのカム・トゥ・ハワイ」で広島弁ラップを行なった[3]

1983年[編集]

7月30日、映画『フラッシュダンス』が日本で公開される。劇中のROCK STEADY CREWにようるストリートダンスに影響された浜松市のAPPLE PYE ALL STARSの大橋や、TOKYO B BOYSのCRAZY-Aらがブレイクダンスを始める。
10月、映画『ワイルド・スタイル』が日本で公開される。新宿のツバキハウスで開催されたヒップホップ・ショーでは、DSTによるスクラッチのデモンストレーションやレクチャーが行われた。また、西武デパートでは映画の支援パフォーマンスとしてダンスが行われ、その様子を日本テレビ系列『11PM』が紹介した。これをきっかけに、村山隆志を中心に数名のダンサーやラッパー、スクラッチDJのモンチ田中らがファンキージャム・ブレーカーズを結成する。

1984年[編集]

5月21日、佐野元春が4枚目のアルバム『VISITORS』を発売する。「COMPLICATION SHAKEDOWN」等の収録曲に、メジャーレーベル所属の日本人として初めてラップを取り入れ、商業的にも成功させる。
6月23日、ブレイクダンス (映画)が日本で公開され、ブレイクダンスが全国に広まる。ファンキージャム・ブレーカーズが記者会見や映画公開のショー、パンフレットでのHow To Dance等に参加した。この活動がきっかけとなり、後にナイキと提携して全国ツアーを行った。彼らのショーは原宿で開催されたスポーツフェアのミズノブースの他、コカ・コーラキリンタカラオンワード等、多岐に渡る。
7月1日、ラッツ&スターの14枚目のシングル「グラマーGuy」が発売される。ファンキージャム・ブレーカーズのモンチ田中のスクラッチや、ロバートのラップが取り入れられる。
12月21日、風見しんごの4枚目のシングル「涙のtake a chance」が発売される。ラップやブレイクダンスが取り入れられた。
原宿ではCRAZY-Aやナオヤが所属するTOKYO B BOYSをはじめ、B☆5 CREW、堀江ハルキ、DJ KRUSHMURO、DJ BEAT、阿部ちゃん、新宿六本木ではOHJI、SAM横浜市ではFLOOR MASTERS等のダンサーDJラッパーが活動していた。

1985年[編集]

11月25日、吉幾三の8枚目のシングル「俺ら東京さ行ぐだ」が発売され、オリコンチャートで年間21位を記録する。これは邦楽史上初めてのラップを取り入れた楽曲のヒットである。12月にはハードコアボーイズが桑原茂一プロデュースのシングル「ほうらいわんこっちゃねぇMIX」を発売する。これが日本で初めて販売されたリミックスである。
高木完藤原ヒロシタイニー・パンクスを、モンチ田中らがDJグループM.I.D.を、dj hondaDJ KOOらがリミキサーグループThe JG'sを結成。
いとうせいこうがアルバム『業界くん物語』をプロデュース。
原宿ではTOKYO B BOYSやB☆5 CREWに代わり、ミスティックムーバーズ、B-ROCK CREW等が活動を始める。アフリカ・バンバータが来日した際は、ステージ下でブレイクダンスバトルが行われた。

1986年[編集]

8月、Run-D.M.C.エアロスミスと共演した「Walk This Way」を発売。全米チャート4位を記録し、日本でも流行する。
10月25日、近田春夫がPresident BPM名義で1枚目のシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」を発売する。
川畑満男が渋谷に「HIP HOP」というクラブをオープンする。DJ YUTAKAがレギュラーでプレイした。
いとうせいこう&タイニー・パンクスが1枚目のアルバム『建設的』を発売する。
JAGATARAMUTE BEATトマトスS-KENら4組のバンドが、インクスティック芝浦ファクトリーで「東京ソイソース」を開始する。ライブとライブの間にDJが入るという初めての試みをし、いとうせいこう&TINNIE PUNX、ランキンタクシー近田春夫ECD等が出演した。

1987年[編集]

ECDベスタクス主催のオールジャパンオープンDJバトルコンテストで優勝する。
パブリック・エネミー等が来日。

1988年[編集]

中西俊夫高木完藤原ヒロシ屋敷豪太、DJ K.U.D.O.らがレコードレーベル「MAJOR FORCE」を設立し、DJ Underground Contestを開催する。第一回目の優勝者はレゲエDJのChappie、第二回目の優勝者はDJ KRUSHで特別賞はスチャダラパー。このイベントにはTWIGY刃頭のグループBEAT KICKSをはじめ、B-FRESHDRAGON & BIKKEGAKU-MC、DJ SEIJI(SPC)、Hi-TECK GROOVE等も出場していた。

1989年[編集]

ニュージャックスウィングが流行し、テレビ朝日系列でダンス番組『DADA L.M.D』の放送が始まる。また、ZOOの初期メンバーであったKAZUとJJAY Yが日本人として初めて「ソウル・トレイン (テレビ番組)」に出演し、ジェフリー・ダニエルのバックダンサーを務めた。
ECDが「CHECK YOUR MIKE」を開催。BOY-KEN、Hi-TECTH GROOVE、A.K.I PRODUCTIONS、MAZZ & PMX、TUFF NUTS等が出演した。
Rhymesterが結成される。

1990年代[編集]

1990年[編集]

5月5日、スチャダラパーが1枚目のアルバム『スチャダラ大作戦』を、MAJOR FORCEから発売する。さらに、TOKYO No.1 SOUL SET脱線3かせきさいだぁ≡四街道ネイチャーSHAKKAZOMBIE、A.K.I. Production等と、リトル・バード・ネイション結成。
DJ Doc Holidayレコードレーベル「Rhythm」を設立。YOU THE ROCK & DJ BEN、Gas Boysなどが所属していた。
M.C.ハマー、レクスン・エフェクト、ボビー・ブラウン等が来日する

1991年[編集]

高木完がアルバム『Fruit Of The Rhythm』でEPICソニーより、スチャダラパーがアルバム『タワーリングナンセンス』でキューンソニーよりメジャーデビュー。
日本テレビ系列「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で、「ダンス甲子園」が始まる。LL ブラザーズZOO等が出演する。ZOOファミリーでもあるBobyがニューヨークの「A LIVE TV」のダンサーからティンバーランドゲストミー・ヒルフィガーDKNY等、ヒップホップ系ファッションを日本に持ち込んだ。
KRUSH POSSE、TOKYO No.1 SOUL SET等が「Chain Gang」を、リトル・バード・ネイションが「LBまつり」を開催する。ECDも「CHECK YOUR MIKE コンテスト」開催し、第一回目はリボルド・サフレイジが、翌年の第2回大会ではイエロー・モンキー・クルーが優勝する。その他、TONEPAYS、キミドリ、T.A.K The RhymeheadとINOVADERのグループ3A BROTHERS等も輩出。さらに、ZINGIRhymesterEAST ENDMELLOW YELLOWは「Young MC's In Tow」を、CRAZY-Aは「WATCH ME」を開催する。

1992年[編集]

1992年、dj hondaが、DJ Battle World Supremacyにて準優勝を果たす。
グルーヴガーデンがトミーボーイからシングルを発売し、全米ツアーを敢行。ザ・ルーツ2パック、フーシュニケンズ、ブラックシープ、ディガブルプラネッツ等と共演。
MUROTWIGY、DJ GO等がMICROPHONE PAGERが結成。日本のヒップホップのオーバーグラウンド進出へのカウンタームーヴとしての活動を始める。
ECDが1枚目のアルバム『ECD』を発売する。
下北沢ZOOで、「スラムダンクディスコ」が開催される。YOU THE ROCK & DJ BEN、ECD、RHYMESTER、MICROPHONE PAGER、キミドリ、POWER RICE CREWMELLOW YELLOW等が出演した。

1993年[編集]

4月25日、RHYMESTERが1枚目のアルバム『俺に言わせりゃ』を発売する。本作の収録曲「FUNKY GRAMMAR」にEAST ENDMELLOW YELLOWが客演したことにより、後にRIP SLYMEKICK THE CAN CREW等も排出するFUNKY GRAMMAR UNITが結成され、「F.Gナイト」を開催する。
10月23日、キミドリが1枚目のアルバム『キミドリ』を発売する。
11月21日、m.c.A・Tが1枚目のシングル「Bomb A Head!」を発売する。
キングギドララッパ我リヤが結成される。
Run DMCアイス・キューブ等が来日。

1994年[編集]

3月9日、スチャダラパー小沢健二のシングル「今夜はブギーバック」が発売され、累計50万枚以上を売り上げる。
8月21日、EAST END×YURIが1枚目のシングル「DA.YO.NE」が発売される。日本のヒップホップミュージックとして初めてミリオンセラーを記録する。
DJ KRUSHイギリスでヒップホップをインストゥルメンタルとして表現する。この動きが後に欧州を中心としたトリップ・ホップのブームへと結びつく。

1995年[編集]

BUDDHA BRANDアメリカ合衆国から帰国する。
RINO等が参加したコンピレーションアルバム『悪名』が発売される。人気を博し、後に『続・悪名』が発売された。
LAMP EYEがシングル「証言 featuring RINO, YOU THE ROCK★, G.K.MARYAN, ZEEBRA, TWIGY, GAMA, DEV-LARGE」を発売する。
12月10日、キングギドラが1枚目のアルバム『空からの力』を発売する。
NHKおかあさんといっしょ」の11月・12月の歌として、ラップ調の童謡「サラダでラップ」が発表される。
EASTEND×YURIの「DAYONE」、「MAICCA」が新語・流行語大賞にノミネートされ、この年のNHK紅白歌合戦にも出場する。

1996年[編集]

4月24日、YOU THE ROCK★が1枚目のアルバム『THE SOUNDTRACK '96』を発売する。ECDTWIGY、LAMP EYE、Mummy-DDEV LARGE、HAB I SCREAM、E.G.G.MAN、UZIMACKA-CHIN、HAC、DJ TSUTCHIE、DJ MASTERKEY、DJ MAKI、DJ WATARAIINOVADER等数多くのプレイヤーが参加し、クラシックとなった。
5月22日、BUDDHA BRANDが1枚目のシングル「人間発電所」を発売する。
7月7日、ECD日比谷野外音楽堂にて「さんピンCAMP」を開催する。約4000人を動員し、後にビデオ、DVD化された。
7月14日、スチャダラパー日比谷野外音楽堂にて「大LBまつり」を開催する。

1997年[編集]

6月11日、ヒップホップダンスボーカルユニットDA PUMPが1枚目のシングル「Feelin' Good 〜It's PARADISE〜」を発売する。
8月、CRAZY-A代々木公園にて「B-BOY PARK」を開催する。以降、毎年8月の恒例イベントとなる。
K DUB SHINEDJ OASISがアトミックボム・プロダクションズを設立する。

1998年[編集]

6月10日、熊本県餓鬼レンジャーが、1枚目のアルバム『リップ・サービス』を発売する。

1999年[編集]

7月23日、ミクスチャー・ロックバンドのDragon Ashが3枚目のアルバム『Viva La Revolution』を発売する。「Grateful Days featuring. ACO,ZEEBRA」等、ラップミュージックが多数収録された。
9月15日、札幌市THA BLUE HERBが1枚目のアルバム『STILLING,STILL DREAMING』を発売する。
10月29日、Shing02が1枚目のアルバム『緑黄色人種』を発売する。

2000年代[編集]

2000年[編集]

2月15日、三軒茶屋妄走族が1枚目のアルバム『君臨』を発売する。
7月27日、横浜市DS455が1枚目のアルバム『BAYSIDE RIDAZ』を発売する。
10月7日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが1枚目のアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』を2万枚限定発売し、即完売する。これを受けて同作をDef Jam Japanから再発売し、15万枚を売り上げる。
YOU THE ROCK★日比谷野外音楽堂にて「HIP HOP ROYAL 2000」を開催する。KAMINARI-KAZOKU.RHYMESTERK DUB SHINEZEEBRAスチャダラパーSOUL SCREAMOZROSAURUSNITRO MICROPHONE UNDERGROUND妄走族、WORD SWINGAZ等が出演した。

2001年[編集]

2月15日、DABOがシングル『拍手喝采』でDef Jam Japanよりメジャーデビュー。
3月22日、RIP SLYMEがシングル「STEPPER'S DELIGHT」でメジャーデビュー。10万枚を売り上げる。
4月25日、横浜市OZROSAURUSが1枚目のアルバム『ROLLIN'045』を発売。8万枚を売り上げる。
5月23日、KICK THE CAN CREWがシングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビュー。

2002年[編集]

キングギドラが6年振りに活動再開。復活後に発売した全てのシングルと『最終兵器 (アルバム)』がオリコンチャートで週間10位以内を記録する。アルバム収録曲である「公開処刑 feat. BOY-KEN」では、ZEEBRAから降谷建志に対する名指しのDIS、K DUB SHINEからRIP SLYMEKICK THE CAN CREWに対する暗喩なDISが行われた。
3月27日、S-WORDがシングル「KROSS OVA'<斬>-swisherz deftime fliez-」でDef Jam Japanよりメジャーデビュー。
4月28日、THINK TANKがBLACK SMOKER RECORDSを設立し、1枚目のアルバム『BLACK SMOKER』を発売。K-BOMBらのヴォーカルに、ダブレゲエの音楽性が取り込まれた。
6月10日、新宿MSCが1枚目のアルバム『帝都崩壊』を発売する。
7月10日、大阪の韻踏合組合が1枚目のアルバム『CRITICAL 11』を発売する。
12月18日、名古屋市M.O.S.A.D.が1枚目のアルバム『THE GREAT SENSATION』を発売する。
DJ KENTAROがDMC World Finalにおいてアジア人として初めて世界チャンピオンとなる。

2003年[編集]

EAST ENDが活動再開。11年振りに発売したアルバム『Beginning of the Endless』は、FUNKY GRAMMAR UNITの全員に加え、CRAZY-A童子-T等が参加した。
高田馬場降神が自主制作アルバム『降神』を発売する。

2004年[編集]

3月、ダースレイダー、METEOR、環ROY等がDa.Me.Recordsを設立。
4月7日、「KAMINARI-KAZOKU.」が結成10年目にして初めてのアルバム『330 ~more answer no question』を発売する。
8月25日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが2枚目のアルバム『STRAIGHT FROM THE UNDERGROUND』を発売し、オリコンチャートで週間4位を記録。
9月8日、加藤ミリヤが1枚目のシングル「Never let go/夜空」を発売する。「夜空」はBUDDHA BRANDの人間発電所をサンプリングしており、リミックスにはDEV LARGE等が参加している。
7月14日、K DUB SHINEが3枚目のアルバム『理由』を発売する。本作の収録曲「来たぜ」が原因となり、DEV LARGEとのビーフが起きた。インターネットで公開されたDEV LARGEのアンサーソング「ULTIMATE LOVE SONG」、K DUB SHINEのアンサーソング「1 THREE SOME」、DEV LARGEのアンサーソング「前略ケイダブ様」は、後にミックスCD等にバージョン等を変えて収録されている。
11月22日、M.O.S.A.D.TOKONA-Xが急逝。享年26歳。
DJ AKAKABEがDMC世界チャンピオンとなる。

2005年[編集]

7月13日安室奈美恵が7枚目のアルバム『Queen of Hip-Pop』を発売。約50万枚を売り上げた。
11月23日、DEV LARGEが「"D.L presents THE SINGLE ; MUSIC REVOLUTION β」を発売し、D.L名義でのソロ活動を開始。
京都のRYUZOがR-RATED RECORDSを設立。
ZEEBRAOZROSAURUS等が所属していたレコードレーベルFUTURE SHOCKが停止。
童子-Tがアトミックボム・プロダクションズから退社する。
B BOY PARK2002 MC BATTLEの優勝者漢a.k.a.GAMI等が、ULTIMATE MC BATTLEを開催。カルデラビスタが初代チャンピオンとなる。現在は漢a.k.a.GAMIに代わり晋平太等が運営している。

2006年[編集]

2月1日、KREVAが2枚目のアルバム『愛・自分博』を発売し、日本人ラッパーとして初めてオリコンチャート週間1位を記録する。
9月2日、SCARSが1枚目のアルバム『THE ALBUM』を発売する。
9月20日、SEAMOが2枚目のアルバム『Live Goes On』を発売し、オリコンチャート週間1位を記録する。SEAMOはこの年のNHK紅白歌合戦にも出場した。
12月27日、SOUL'd OUTがベストアルバム『Single Collection』を発売し、オリコンチャート週間2位を記録。

2007年[編集]

1月31日、RHYMESTERがベストアルバム『メイドインジャパン〜THE BEST OF RHYMESTER〜』を発売し、オリコンチャート6位を記録する。3月31日にはKING OF STAGE VOL.7 を日本武道館で開催する。18年間の活動で共演してきたキングギドラゴスペラーズ横山剣SUPER BUTTER DOGScoobie Do、Wack Wack Rhythm Band等のアーティストが出演した。
3月21日、THA BLUE HERBが5枚目のシングル「PHASE 3」を発売し、オリコンインディーズチャート週間1位を記録する。
3月、ヒップホップ専門誌「blast」が廃刊。
8月15日、相模原市を拠点に活動するSD JUNKSTAのリーダー、NORIKIYOが1枚目のアルバム『EXIT』を発売する。
10月17日、SEEDAがアルバム『街風』でエグジットチューンズよりメジャーデビュー。
10月24日、ノリアキが1枚目のアルバム「This is da Music.」を発売する。
TBS系列『リンカーン』のコーナー「世界ウルリン滞在記」に、練マザファッカーD.Obay4k、D-Ask、SHIZOO等が出演。中川家にラップを指南した。D.Oは会話の語尾に毎回『メーン』と言った。

2008年[編集]

9月17日、ZEEBRAが音楽活動20周年を記念したベストアルバム『The Anthology』を発売。11月1日には「ZEEBRA 20th Anniversary The Live Animal in BUDOKAN」を開催し、DEV LARGE以外の全員による「証言」等も披露された。
10月4日、B.I.G.JOEが2009年の服役終了に先駆け、アルバム『COME CLEAN』を発売。

2009年[編集]

練マザファッカーのメンバーでCD販売店「BOOT STREET」のアルバイトの男が、同店の店舗にて大麻を売ったとされる大麻譲渡事件に関連し、D.Oが実質的に経営する会社・D.Officeに家宅捜索が入り、練マザファッカーのメンバー・PIT GObが大相撲力士・若麒麟真一と共に大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、後にD.Oも麻薬取締法(コカイン所持・使用)違反容疑で逮捕された。この事件は、大相撲力士が逮捕されたこともありテレビなどのメディアで大きく取り上げられ、D.OやPIT GObも写真付きで報道された。彼らが大麻の使用や麻薬の売買などの犯罪行為を歌う、所謂ギャングスタ・ラッパーだった事もあり、メディアからのバッシングを受けた。
SEEDAOKITERIYAKI BOYZへのディスソングを発表。その後TERIYAKI BOYZに属するVERBALが自身のポッドキャスト番組にSEEDAを招き、話し合いが行われた。さらに、MSCのGUNNIESがSEEDAに対するディスソングを発表。これに対しSEEDAもブログでアンサーソングを発表した。この一連のビーフSEEDA#TERIYAKI BEEFと呼ぶ。Amebreakはこれを「一連のディス曲に関する是非はともかく、日本語ラップに関するビーフがここまでスピーディに展開するようになったのは特筆すべき事実」とした。
Da.Me.Recordsに所属していたCOMA-CHITARO SOULKEN THE 390がそれぞれメジャーデビューする。KEN THE 390は青山テルマ届けたい… feat.KEN THE 390/このまま ずっとで共演し、ミュージックステーションにも出演する。
7月15日、新潟Hilcrhymeがシングル「純也と真菜実」でUNIVERSAL MUSICよりメジャーデビュー。9月30日には2枚目のシングル「春夏秋冬」を発売し、オリコンチャートでデイリー1位を記録。

2010年代[編集]

2010年[編集]

4月2日、PヴァインBOOKsより「ラップの言葉」が出版される。サイプレス上野、宇多丸般若等、15名のラッパーへのインタビューが収録された。後に「ラップのことば2」が発売される。
10月20日、R-RATED RECORDSよりSKI BEATZプロデュースのコンプレーションアルバム『24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN』が発売される。本作の収録曲「24 BARS TO KILL」は、SKY-HIの「96 Bars To Kill」をはじめ、様々なアーティストによるリミックスがYouTube上にアップされた。

2011年[編集]

2月26日、KAMINARI-KAZOKU.がシングル「2U」を発売。不祥事により音楽活動からの引退を宣言していたメンバーYOU THE ROCK★へのメッセージソングである。
4月30日、キングギドラが9年振りに活動再開し、大阪城野外音楽堂で開催された東北地方太平洋沖地震チャリティーライブ「KEEP YOUR HEADS UP!」に出演する。6月8日、グループ名の表記をKGDRに変更し、東北地方太平洋沖地震チャリーティーソング「アポカリプス ナウ」を配信。
MACCHOのソロユニットとなっていたOZROSAURUSにDJ SN-Zが加入。同時にEMIミュージック・ジャパンと契約し、メジャーでの活動を再開する。

2012年[編集]

3月7日、SALUが1枚目のアルバム『IN MY SHOES』を発売。
5月30日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが「"NITRO MICROPHONE UNDERGROUND" LIVE DVD 10-11」の発売を最後に活動を休止する。
7月14日、TBS系列で放送された「CDTVスペシャル!夏フェス2012」にRHYMESTERが出演し、地上波で初めてライブを披露する。
9月5日、AKLOがソロとして1枚目のアルバム『THE PACKAGE』を発売。

2013年[編集]

8月7日、AAASKY-HIavex traxよりシングル「愛ブルーム/RULE」を発売し、メジャーデビュー。同年のB-BOY PARKにも出演。
10月17日、渋谷 clubasiaでMAKI THE MAGIC R.I.P PARTY『MAGIC FOREVER』が開催される。CQとDEV LARGEによる「人間発電所」や、RHYMESTERによる「B-BOYイズム」などが披露された。もともとDEV LARGEの出演予定はながったが、イベント前に偶然会ったK DUB SHINEに誘われ、急遽出演することとなった。この2人はかつてビーフ騒動があったが、この日を機に和解している。
アーティスト活動25周年を迎えたZeebraが、11月20日に8thアルバム『25 To Life』、12月25日に過去の客演作品を収録したボックス『100 Feat. ~ Zeebra 25th Anniversary Box ~』を発売。
12月30日、妄走族が新曲「塗りつぶせ」を発表し、活動を再開。

2014年[編集]

avexがヒップホップ専門レーベル「CLOUD 9 CLIQUE」を設立。ANARCHYが第1弾アーティストとして契約を結び、メジャーデビュー。
ZeebraがEGO、2WIN、SHOW GUN擁する新レーベル「GRAND MASTER」を設立。
MC漢率いる「9sari group」と、ダースレイダーが代表に就任した「ブラックスワン」が、「9SARI OFFICE」を新設する。

代表的なアーティスト[編集]

日本武道館[編集]

これまでに日本武道館単独のコンサートを行った日本のヒップホップアーティスト一覧。

  • RIP SLYME (2002年7月25日、2004年に3DAYS公演、2008年に3DAYS公演、2009年に2DAYS公演、2011年に2DAYS公演)
  • KICK THE CAN CREW (2002年11月30日)
  • m-flo (2005年11月2日)
  • KREVA (2006年4月28日、2010年10月13日&14日、2014年9月7日)
  • RHYMESTER (2007年3月31日)
  • SOUL'd OUT (2007年4月27日)
  • SEAMO (2008年1月20日)
  • ZEEBRA (2008年11月1日)
  • HOME MADE 家族 (2009年1月11日)
  • AK-69 (2014年3月5日)
  • Hilcrhyme (2014年10月14日)

NHK紅白歌合戦[編集]

これまでに『NHK紅白歌合戦』に出演した日本のヒップホップアーティスト一覧。

MC[編集]

DJ[編集]

ダンサー[編集]

グラフィティライター[編集]

ビートメイカー[編集]

ヒューマンビートボクサー[編集]

日本のヒップホップレーベル及びプロダクション[編集]

レーベル、プロダクション 代表、主宰者 主な所属アーティスト かつて所属していたアーティスト 備考
THA BLUE HERB RECORDINGS ザ ブルーハーブ
BLACK SMOKER RECORDS THINK TANK
Libra Records 西原慶祐 R指定
YAMAZIN
AXIS
MSC
SHINGO☆西成
Da.Me.Records ダースレイダー 環ROY
KEN THE 390
TARO SOUL
COMA-CHI
R-RATED RECORDS RYUZO LA BONO CAPO
RUFF NECK
DJ LEAD
GAZZILA
SMITH-CN
THUGMINATI
D.OFFICE D.O 練マザファッカー
昭和レコード 般若 SHINGO☆西成
ZORN
Gunsmith Production 318 SQUASH SQUAD
KOHH
LIL KOHH
株式会社BM内のレーベル
YINGYANG PRODUCTION YINGYANG ISH-ONE
S7ICK CHICKs
J.ACE LAVEL SIMON JAP
DREAM BOY KEN THE 390 DREAM BOYS
Queen's Room COMA-CHI
MASTER OG G-MAN UZI
CLOUD 9 CLiQUE ANARCHY エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ内のヒップホップ専門レーベル
GRAND MASTER Zeebra EGO
2WIN
SHOW GUN
OZROSAURUS
9SARI GROUP 漢 a.k.a GAMI MASTER
D.O
HI-BULLET
DOGMA
LORD 8ERZ
株式会社鎖グループ内のレーベル
BLACK SWAN 佐藤将(~2014)
ダースレイダー(2014~)
GOKU GREEN
PONY
LIBRO
MSC
設立者である佐藤の死後、株式会社鎖グループ内のレーベルとなる。
FOREMAN DJ 琥珀 株式会社鎖グループ内のミックスレーベル
FEEL NO PAIN DABO
JHETT a.k.a.YAKKO for AQUARIUS
DJ SAAT
starplayers Records RHYMESTER JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント内のレーベル

日本のヒップホップに関連するメディア[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • MARUI 24CLUB (1986年、FM横浜)
  • HIP HOP NIGHT FLIGHT(1995年9月17日 - 9月17日、TOKYO FM)
    パーソナリティはYOU THE ROCK★
  • Hip Hop Journey -Da Cypher- (1997年4月5日 - 2002年3月30日、J-WAVE)
    パーソナリティはRIKO。
  • BEATS TO THE RHYME (1999年10月、 TFM系全国27局ネット)
    パーソナリティはZEEBRAとDJ KEN-BO。

雑誌[編集]

映画[編集]

  • ビッグマグナム 黒岩先生 (1985年)
    Dr.Tommy率いるB-5 Crewがブレイクダンスシーンに登場。
  • ハートブレイカー 〜弾丸より愛を込めて (1993年)
    ダイアモンド・ユカイ他、博多広島など西日本のダンスチームが出演し、オール博多ロケを敢行[4][5][6]。本作は当時の様々なストリートダンスをふんだんに散りばめて、ダンスバトルなどのヒップポップ・カルチャーの生の姿を撮影した[5]。また日本語でヒップポップを踊る"ということを明確に目標に掲げで制作されており、"ヒップポップの日本化"の先駆けとなった[5]。大ヒットには到らなかったものの"音楽ダンス映画"というジャンルを築いた[5]。本作は、その後ストリートダンス界でカルト映画化し、日本のダンサーは勿論、アンダーグランドであるアジアのストリートダンサーたちから熱い支持を受けた[5]

死去した日本のヒップホップ関連人物[編集]

MC
DJ
トラックメイカー
  • M.FUJITANI (「瘋癲」のトラックメイカー兼ドラマー。2003年9月10日、バイクによる交通事故で死去)
  • Nujabes2010年2月26日に交通事故で死去。享年36)

脚注[編集]

  1. ^ a b 第20回――ラップ歌謡 - TOWER RECORDS ONLINE
  2. ^ 週刊サンケイ サンケイ新聞出版局 1981年2月19日号 80頁。
  3. ^ 平山雄一『弱虫のロック論 GOOD CRITIC』角川書店、2013年、p.148、『SWITCH』(VOL.30.2012年7月、スイッチ・パブリッシング)p.19-21、SPEEDSTAR ONLINE - Victor Entertainment - 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
  4. ^ 小松壮一郎(こまつ そういちろう)会員名鑑 - 日本映画監督協会 - Directors Guild of Japan
  5. ^ a b c d e 平山雄一『弱虫のロック論 -GOOD CRITIC-』角川書店、2013年、pp. 150-153
  6. ^ 小松壮一郎(m.c.A・Tオフィシャルブログ、2008年7月30日)、この曲!#1 Bomb A Head!(m.c.A・Tオフィシャルブログ、2010年6月1日

関連項目[編集]