吉幾三

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吉 幾三
基本情報
出生名 鎌田 善人
出生 1952年11月11日(56歳)
出身地 青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市
ジャンル 演歌
職業
演歌歌手
作詞家
作曲家
活動期間 1972年 -
レーベル 徳間ジャパン
事務所 吉プロモーション
公式サイト 吉幾三オフィシャルサイト
  

吉 幾三(よし いくぞう、1952年11月11日 - )は演歌コミックソング歌手作詞家作曲家である。青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身。本名は鎌田 善人(かまだ よしひと)。血液型はB型。父は民謡歌手の鎌田稲一。次女は女優の寿三美(ことぶき みみ)。

目次

[編集] 略歴

[編集] 人物

9人兄弟の末っ子。身長178cm、体重70kg。

初期はアイドル歌手として売り出したが成功せず、フォークソング路線の『俺はぜったい!プレスリー』で大ヒットを飛ばし、低迷期を経て演歌の方向性に移行し再度の成功を収めている。

数少ない演歌系シンガーソングライターとして、ほとんどの曲を自ら作詞・作曲している。青森県の津軽出身ということから津軽を題材とした曲が多い。演歌の世界は作曲家や大御所歌手への弟子入りなど徒弟制度的な色合いが強く、歌手は先生や師匠からいい曲をもらえるのを待つしかないと言われ、常に自作曲を歌う吉のような立場は例外的と言える。吉以外では、ニューミュージック出身の堀内孝雄(元アリス)や、大御所として自作曲をいくつか持つ北島三郎五木ひろしなどの例が見られる程度である。

酒豪としても有名で、『志村けんのバカ殿様』に出演する時には必ず、度数の高い酒を持参して志村けんと共に飲むのが恒例である。バカ殿を困らせる数少ない人物。1992年に『日高晤郎のスーパーサンデー』(札幌テレビ放送)に出演した際、生放送中に泥酔した吉がカメラの前で陰部を露出しそれが放送されてしまうなど、酒絡みのトラブルも起こしている。

相当な下ネタ好き。自作曲「と・も・子…」の語りに「とも子のはいてたパンティ、いっつもほおずりしてるの。たまにかぶって歩いたりしてるの」とあったり、たけしのここだけの話に登場した時「今日は美江さんに逢えると思って、昨日からオナニーしまくりました」と言ったり、『志村けんのバカ殿様』では怪しい祈祷師役で放送禁止用語を連発していた。 また、『独占!おとなの時間』では、当時人気のあったノーパン喫茶を紹介するコーナーのレポーターとして出演していた事もある。

恩人で盟友と言える千昌夫に影響されバブル経済期に莫大な投資を行い、バブル崩壊で大損害を被った…と自虐ネタを披露することも多い。

郷里の金木町にて「いくぞうハウス」というタレントショップを経営していた(2008年5月31日で閉店)。

2007年10月19日社会人硬式野球チーム「吉球団『ブルーズヨシフォレスト』」の設立を青森市内で発表。自身は総監督を務める。

2007年11月26日に催されたデビュー35周年記念パーティーの席で、3年前からC型肝炎を患っていたことを告白。現在は完治したとのことである。

2008年には『俺ら東京さ行くだ』などの楽曲が動画投稿サイトで様々な曲とミックスされたものが投稿され、これらがきっかけで、ニコニコ動画などではIKZOブームが巻き起こった[1]。本人はこのブームを好意的に受け止めており、これらの制作者と吉幾三本人の協力でレコーディングされた完全新曲を収録したマキシシングルが発売されるまでに至った。詳細は後述。

[編集] 代表曲

2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する『雪國』をはじめとする代表曲で、背景映像に吉本人が出演する映像が多く採用されている。

『俺はぜったい!プレスリー』1977年(昭和52年)
初ヒット曲[1]。コミカルなフォークソングと呼べるもので、『ロッテ歌のアルバム』や『8時だョ!全員集合』(両者共にTBS)のゲストとして歌ったこともある(特に『全員集合』はこういったジャンル分けの難しい曲を積極的に登場させることで知られていた。他にはデビュー直後のサザンオールスターズ喜納昌吉とチャンプルーズなど)。この時改名した名前『吉幾三(よしいくぞう)』は人を喰ったような名前で面白く、当時の『クイズダービー』の三択問題にもなった。
この曲をヒントに「俺は田舎のプレスリー」(1978年松竹)という映画が製作され、吉本人も主人公の友人役で出演している。
この曲には、レコードに収録されているものとは別に、吉が地元で歌う際の別バージョンが存在しており、通常は地元の近郊にある大きな街で比較的知名度もある「五所川原」と歌っているところを、吉の本来の出身地である「金木町」と歌っていた。しかし、2005年に金木町が五所川原市と合併したため、現在このバージョンが歌われることはない。
『俺(お)ら東京さ行ぐだ』1984年(昭和59年)
大ヒット曲。当時のオリコンでは演歌チャートではなく「フォーク、ニューミュージック」チャートでランクインしていた。主人公が故郷の田舎を出て、東京へ出ようとする歌詞である。これ以前にもスネークマンショー小林克也山田邦子らがラップテイストの強い曲を発表しているが、ラップ音楽の特徴であるプロテストソングを(自虐的ではあるが)盛り込んだところ[1]に特徴がある。この歌の歌詞が吉の出身地の言葉である津軽弁であると勘違いされることも多いが、全く津軽弁になっていない。その題を題材に映画が公開され、吉本人が出演した。
「電話もガスも電気もない」という内容の歌詞があり、発売当初は出身地である金木町から「うちはそんなに田舎じゃない」と猛抗議を受けたと後日談で語っている。また、発売した当時日本中の小さな農村から「ふざけるな!!」「オラたちの村をバカにしてるのか!?」と凄い数のクレームが押し寄せてきたとも語っている。しかし吉いわく、幼少期は本当になかったのだとのこと[1]。また歌詞には「レーザーディスクは何者だ!?」ともあるが、後日パイオニアから吉にレーザーディスクがプレゼントされたという逸話もある。
TBSの『ザ・ベストテン』内に「今週のスポットライト」コーナーで登場した際、吉が歌詞を忘れて最初から歌い直したことでも有名。
1990年には同じメロディーで歌詞の違う『これが本当のゴルフだ!!』という曲も発表している。こちらはゴルフが下手な人を主人公としている。
2003年にDaカルロス喜田造が『俺ら東京さ来ただ』のタイトルでカバー(シングル『TOKIO』収録)。こちらは上京した主人公が、故郷の田舎へ帰ろうとする歌詞。2006年にはノーボトムがダンスミュージックでカバーしたシングルが吉の公認でリリースされている。
作品発表から24年が経過した2008年には、この楽曲がきっかけで、インターネット上において「IKZOブーム」が巻き起こった[1]。詳細は後述。また、このブームを受けて、コンピレーションアルバムウマウマできるトランスを作ってみた 2~作者は病気シリーズ~』にはトランスによるカバーアレンジバージョンが収録された。
『津軽平野』1985年(昭和60年)
『ゲゲゲの鬼太郎』1985年(昭和60年)
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第3シリーズで主題歌エンディングテーマを歌った。エンディングの『おばけがイクゾー』は吉の作詞・作曲によるものであり、当時はまだ色物の印象が強いと言われたシンガーソングライター・吉幾三の本領が発揮された作品である。なお、オープニング曲『ゲゲゲの鬼太郎』はテレビで放送されたバージョンとシングルおよびサウンドトラックに収録されたバージョンのボーカルに若干の違いがある(ボーカルはともに吉がとっている)。
『雪國』1986年(昭和61年)
1987年(昭和62年)2月、オリコン、『ザ・ベストテン』で第1位となる(発売からほぼ1年後の快挙)。1987年度年間順位3位(オリコン)。オリコン通算300曲目の1位獲得作品。
元々は栃木県那須のホテルであった宴会の席で即興で作った歌で、「好きよ あなた」という歌いだしが「だめよ そこは」という下ネタ満載の、とても放送できるような詞ではなかったが、その後レコード会社のディレクターからメロディーの良さを買われ、真面目な詞にして作り直す事を提案された。その時、吉はNHKの『新日本紀行』の中で雪煙をあげて走る奥羽本線の列車の姿を観て、「女の人が男の人を追う詞にしよう」と、今の詞を思いついたという[2]。イントロの印象的なストリングスは、当初エンディングに入れる予定だった。
『海峡』1987年(昭和62年)
『酒よ』1988年(昭和63年)
自分の半生を歌った26分バージョンが存在する。
『酔歌』1990年(平成2年)
『Dream』2000年(平成12年)
新日本ハウスのCM曲として有名なこの曲(住みなれた/我が家に…)も、吉の作詞作曲である。もともとCM専用曲として作曲したが、大きな反響があり後からCD化が決定した。
『出張物語』2000年(平成12年)
川中美幸とのデュエット。
『TOFU』2004年 (平成16年)
NHKみんなのうたで放送され、子供たちにも人気があった。

[編集] IKZOブーム

2008年4月頃より、ニコニコ動画など動画共有サイトを中心に、TRF宇多田ヒカル電気グルーヴTM NETWORKなど他のアーティストの楽曲と「俺ら東京さ行ぐだ」のマッシュアップや、「俺ら東京さ行ぐだ」自体のリミックスがブームとなった[1]。これをきっかけに、ニコニコ動画内ではIKZO (IKUZO) の愛称が自然と定着し、これはのちに公式の愛称となった。

これらのアレンジは個人が非公式で作成したものであったが、吉はこのブームについて「温故知新。私の曲に限らず昔の曲が注目されるのは音楽業界にとって喜ばしいことだ」「ジャンルは違うが音楽の基本は底辺で共通する部分が沢山ある。私の昔の楽曲との間にたまたま同調する部分が有ったのではないか」とコメントし、好意的に受け止める姿勢を見せた[3]

その後、2008年7月4日に開かれたニコニコ動画の公式イベント「ニコニコ大会議2008」では花を贈呈した[4]。同月には、このブームがきっかけで、ドワンゴ(ニコニコ動画の運営会社、ニワンゴの親会社)が運営する携帯電話向けコンテンツ「dwango.jp」で本人の肉声ボイスが配信されることになり、ニコニコ動画にてそのレコーディング風景が公式の動画として配信された[5]

同年10月には、「上京した主人公が、親に忠告された言葉を思いだす」という設定で書かれた吉自身の作詞作曲によるアンサーソング「NDA!」(んだ!)が発売された。さらに11月には、ブームのきっかけとなったマッシュアップの作者と吉自身による完全新規レコーディング曲を収録したマキシシングル「IKZO CHANNEL 441.93」(『441.93』は『よしいくぞう』の語呂合わせで、実在のチャンネルではない)も発売され、吉本人もIKZO名義でキャンペーン活動に積極的に参加した。

[編集] 紅白歌合戦出場

[編集] 楽曲提供作品

[編集] その他の楽曲

[編集] 出演作品

[編集] バラエティ

[編集] ドラマ

[編集] 映画

[編集] CM

[編集] ラジオ

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f 「うたの旅人――元祖ラップ若者が支持」『朝日新聞』2008年11月29日付 Be on Sunday Entertainment、e1-e2面
  2. ^ テレビ朝日帰ってきた昭和の名曲』で本人が明かした話による。この曲は元巨人中畑清への提供曲であったが、中畑本人に『だめだよ、そんな曲売れないから』と言われ仕方なしに本人が歌ったところ、大ヒットとなった。
  3. ^日経エンタテインメント!』2008年7月号176ページ
  4. ^ 吉幾三から花、「おっくせんまん」のゴム登場 ニコ動イベント
  5. ^ ニコニコ動画 「IKZO (本人Ver.)」

[編集] 外部リンク

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