第41回NHK紅白歌合戦
| 第41回NHK紅白歌合戦 | |
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会場のNHKホール
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| ジャンル | 大型音楽番組 |
| 放送期間 | 1990年(平成2年)12月31日(NHK紅白歌合戦第41回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | NHK |
| 外部リンク | NHK紅白歌合戦公式サイト |
| 第41回NHK紅白歌合戦 | |
|---|---|
| ジャンル | 大型音楽番組 |
| 放送方式 | 生放送 |
| 放送期間 | 1990年(平成2年)12月31日 |
| 放送局 | NHKラジオ第1 |
| 制作 | 日本放送協会(NHK) |
| 公式サイト | 公式サイト |
第41回NHK紅白歌合戦は、1990年(平成2年)12月31日にNHKホールで行われた、通算41回目のNHK紅白歌合戦。19時20分 - 20時55分および21時から23時45分にNHKで生放送された。
目次 |
[編集] 概要
- 前回から2部構成(昭和編・平成編)になっていたが、この時は採点の対象は第2部だけだった。今回から第1部も採点の対象となった。その影響で、この年から放送時間の前半が第32回日本レコード大賞とバッティングするようになり、歌手の奪い合いや掛け持ちによる大移動などの問題が生じた。
- 中継で歌う演出が初めて行われ、長渕剛はベルリンから中継で3曲歌う。この時の歌唱時間15分以上[1](17分とも)は紅白史上最長であった。またこの時、長渕は現地入りしたスタッフに対する非難を口にした[1]。しかし、中継先で歌う演出はNHKホールの観客や、他の紅白出場歌手達にも不評を買い、翌1991年・第42回以降は全出場歌手がNHKホールで歌う形に戻っている。その後、中継先で歌う演出は12年後の2002年(平成14年)・第53回まで行わなかった。
- 宮沢りえに至っても当日、会場入りしながらも「制約の有るNHKホールのステージでは歌いたくない」との理由で、本人歌唱の際は屋上に作られた特設セット(バスタブの中に入っていた)から、ストーリー仕立ての中継となった(2004年・第55回に初出場した氣志團がこの演出をオマージュ)。そのためNHKホールの会場や、視聴者の中にも「紅白らしいライブ感が無い」と不満の声はかなり多かった。なお宮沢の紅白出場は今回のみとなっている。
- 上述のように話題のアーティストに対して多くの演奏時間が用意された反面、番組進行は、本格的に放送時間を拡大した初めての年であるにも関わらず、司会の曲紹介や応援ゲストの出演時間の割愛・短縮、また本編の歌手の歌の時間も本来2コーラス披露する予定となっていたものを、1コーラス半に短縮せざるをえなくなるなど、相当に慌しいものとなってしまった。特に植木等の「スーダラ伝説」はフルコーラスの10分41秒から4分50秒にまで短縮させられた[1]。このことから、常連の紅白出場歌手や関係者の多くからも「衛星中継の多用」や「演奏時間の不均衡」につき少なからず不満・批判が主張され、特に上記の長渕に関しては、多くの常連出場歌手との間で「遺恨」を残す結果となってしまった(長渕はその後、2003年・第54回にて13年ぶりに出場。このときは前回の反省から曲は1曲のみ、しかも森進一の応援演奏・コーラスを率先して行うなど一転して「紳士的」ともいえる対応を見せ、このときの遺恨はある程度解消される格好となった)。
- 本紅白に出場した和田アキ子は裏番組『第32回日本レコード大賞』(TBS系列)の司会も務めた。史上初の紅白出場歌手と裏番組司会の兼任となった。なお『輝く!日本レコード大賞』終了後(そちらは22:30で放映終了)にNHKホールに駆け付けた。
- 前回のステージで歌手活動再開を果たした都はるみがこの年の新曲「千年の古都」で紅組トリを務めた。
- 白組トリおよび大トリは森進一の「おふくろさん」。森進一が白組トリを務めたのは現時点で今回が最後である。
- 様々な試みが功を奏して、第2部の視聴率が関東地区では51.5%を記録した。以後1990年代は50%台を維持するようになる。
- 優勝は白組。
[編集] 司会者
[編集] 演奏
[編集] 審査員
- 山本陽子(女優。この年下期の連続テレビ小説『京、ふたり』の能田妙子役)
- 中村鴈治郎(歌舞伎俳優)
- 諏訪内晶子(ヴァイオリニスト)
- 野田秀樹(俳優・劇団『夢の遊眠社』主宰)
- コシノジュンコ(ファッションデザイナー)
- 渡辺久信(西武ライオンズ投手)
- 森口祐子(プロゴルファー)
- 松岡修造(プロテニスプレーヤー)
- 沢口靖子(女優。翌年の大河ドラマ『太平記』の赤橋登子役)
- 真田広之(俳優。同じく『太平記』の主人公・足利尊氏役)
- 沖清司・NHK番組制作局長
- 客席審査員9名
- 家族審査員(全国200家族)
[編集] 大会委員長
- 小山春也・NHK放送総局長
[編集] 出場歌手
| 紅組 | 白組 | ||
|---|---|---|---|
| 歌手 | 曲 | 歌手 | 曲 |
| 第1部 | |||
| DREAMS COME TRUE(初) | 笑顔の行方 | 光GENJI(3) | COCORO |
| 中山美穂(3) | 愛してるっていわない! | 吉田栄作(初) | 心の旅 |
| 荻野目洋子(4) | ギャラリー | 少年隊(5) | FUNKY FLUSHIN' |
| 工藤静香(3) | くちびるから媚薬 | チェッカーズ(7) | 夜明けのブレス |
| 内藤やす子(2) | KOKU-HAKU Vol.I | ガリー・バレンシアーノ(初) | I Know What You Want |
| 瀬川瑛子(3) | 人生晴れたり曇ったり | 新沼謙治(13) | 渋谷ものがたり |
| 佐藤しのぶ(4) | (「ウエストサイド物語」から)トゥナイト | 久保田利伸、アリスン・ウイリアムズ(初) | FOREVER YOURS(アメリカ・ニューヨーク・ワシントンスクエアより中継) |
| オユンナ(初) | 天の子守歌 | 尾崎紀世彦(3) | また逢う日まで |
| シンディー・ローパー(初) | I Drove All Night | 長渕剛(初) | 親知らず・いつかの少年・乾杯(ドイツ・ベルリン・フランス聖堂より中継) |
| 第2部 | |||
| 宮沢りえ(初) | Game(東京都港区芝浦より中継) | 忍者(初) | お祭り忍者 |
| ピンク・レディー(3) | ピンク・レディー・メドレー[2] | たま(初) | さよなら人類 |
| B.B.クイーンズ(初) | おどるポンポコリン | 植木等(7) | スーダラ伝説[3] |
| EVE(初) | イマジン | 郷ひろみ(14) | Wブッキング |
| 青江三奈(18) | 恍惚のブルース | 西田敏行(3) | もしもピアノが弾けたなら |
| 福士りつ(初) | 津軽あいや節 | アレキサンドル・グラツキー(初) | ソング |
| 大津美子(7) | ここに幸あり | 堀内孝雄(3) | 恋唄綴り |
| マルシア(初) | ふりむけばヨコハマ(ブラジル・サンパウロ・オリンピア劇場より中継) | 橋幸夫(18) | いつでも夢を (左に同じ) |
| 加藤登紀子(3) | 知床旅情 | チョー・ヨンピル(4) | 釜山港へ帰れ(韓国・ソウル・ロッテワールドより中継) |
| 小林幸子(12) | 天命燃ゆ | さだまさし(3) | 風に立つライオン |
| 鮫島有美子(初) | ぼだい樹(ドイツ・ベルリンからの映像) | ポール・サイモン(初) | 明日に架ける橋(アメリカ・ニューヨークからの映像) |
| 川中美幸(8) | ぐい呑み酒 | 吉幾三(5) | 酔歌 |
| 松原のぶえ(5) | 蛍 | 細川たかし(16) | うかれ節 |
| 伍代夏子(初) | 忍ぶ雨 | G-クレフ(初) | WE ARE G-CLEF |
| 八代亜紀(17) | 花 (ブーケ) 束 | 布施明(16) | シクラメンのかほり |
| 坂本冬美(3) | 能登はいらんかいね | 鳥羽一郎(4) | 演歌船 |
| ケー・ウンスク(3) | 真夜中のシャワー | 五木ひろし(20) | 心 |
| 和田アキ子(14) | 抱かれ上手 | 北島三郎(27) | 山 |
| 石川さゆり(13) | うたかた | 谷村新司(4) | いい日旅立ち |
| 都はるみ(22) | 千年の古都 | 森進一(23) | おふくろさん |
[編集] 選考を巡って
この年は、「今年の歌」「21世紀に伝える歌」「大晦日にふさわしい熱唱」という観点が出場者・曲目決定に当たって重要な基準とされた[4](このうち「21世紀に伝える歌」に関しては前年の第1部における「昭和の紅白」をイメージした番組構成が高い評価を得たことによるものである)。それに伴い、往年の紅白をにぎわせた歌手が数多くカムバックした。
- 青江三奈はこの年12月2日に亡くなった「恍惚のブルース」の作曲家、浜口庫之助を偲ぶ形式で1983年(昭和58年)の第34回以来7年ぶりに復帰。しかしその後は青江自身2000年(平成12年)7月2日に亡くなるまで紅白出場は果たせず、この回が青江の生涯最後の紅白出演となった。
- 大津美子が病気を克服し、見事に28年ぶりに紅白へカムバック出場。自身最大の代表作でありながら、これまで紅白では一度も披露されていなかった「ここに幸あり」を披露した。
- 植木等が歌手としては1967年(昭和42年)・第18回以来、23年ぶりに歌手として紅白に登場(2007年死去、最後の出場でもある)。この年の末に発表した「スーダラ伝説」(ハナ肇とクレージーキャッツの代表的なヒット曲をつなぎ合わせたヒットメドレー的な楽曲)を白組出場メンバー総出の応援の下で熱唱。このときのパワフルなパフォーマンスぶりがきっかけとなり、翌年にかけて若年層を中心に植木等の歌手・タレントとしての功績の再評価がなされることとなった。
- 1994年(平成6年)・第45回を除き2007年(平成19年)まで連続出場したさだまさしがカムバックしたのもこの回から。演奏時間7分以上の大作「風に立つライオン」を披露した。
- このほか、郷ひろみや橋幸夫、布施明ら往年の紅白の常連組も久々に紅白に登場。白組司会の西田敏行も歌手兼業で出場し、代表作「もしもピアノが弾けたなら」を羽田健太郎のピアノ伴奏で、紅組司会の三田佳子が傍らで見守る中、久々に披露した。
この年の主な初出場者は上記の宮沢りえ、長渕剛のほか、この年のオリコン年間シングルチャート1位である「おどるポンポコリン」を引っさげて登場のB.B.クイーンズや久保田利伸、吉田栄作など、海外からはシンディ・ローパーやポール・サイモンなどの大物も含めて計19組。これは紅白歌合戦で第42回に次いで2番目に多い初出場歌手数である(2010年現在)。
この年の出場者数、紅白各29組は2003年(平成15年)に各31組の出場者が選考されるまで、紅白最多出場者数記録となっていた。しかし、当初の企画段階では、これよりも更に2、3組の上積みを予定しており、その枠には、海外の大物アーティストを起用する方針であったという。事実、12月6日に出場者の発表が行われた際にも、紅組29組、白組27組の出場歌手を先ず発表した上で、「今年は31組ずつの歌手を選ぶ方針で人選を進めているため、残りの数組についてはまた交渉がまとまり次第おって発表をする」という異例の声明が出されている。しかし、当初出場を念頭に交渉に当たっていたビリー・ジョエルやジュリー・アンドリュースらからは「スケジュールが取れない」という理由でことごとくオファーを固辞されてしまい[5]、結局は予定よりも2組少ない紅白各29組ずつとなり、残りの白組の2枠については、唯一、大物アーティストの中で出演OKの返事がきたポール・サイモンと、アメリカの黒人ソウルシンガー、アリスン・ウィリアムスとのセットで国内の歌手から久保田利伸を選出、そして両者をNHKホールではなく、アメリカからの衛星中継で出演させる形で決着が図られた。最終的に出場者が全決定したのは12月19日のことだった[6]。
紅白いずれにも属さない「特別ゲスト」としてフランク・シナトラとの出演交渉を行ったが、結局シナトラとの交渉は暗礁に乗り上げ、出演はならなかった[5][7]。
[編集] ゲスト出演者
- 今いくよ・くるよ(漫才師。少年隊と工藤静香の曲間およびB.B.クイーンズの曲中)
- 宮川大助・花子(漫才師。同上)
- オール阪神・巨人(漫才師。同上)
- 栗田貫一(タレント。瀬川瑛子の曲紹介)
- 森口博子(タレント。東京都渋谷区より中継およびB.B.クイーンズの曲後)
- ティム・コール(イリュージョニスト)
- 大竹まこと(タレント。B.B.クイーンズの曲中)
- 高田純次(タレント。同上)
- チャーリー浜(コメディアン。EVEの曲前)
- ジョージ・カール(パフォーマー。西田敏行の曲前)
- 杉浦圭子アナウンサー(ブラジル・サンパウロ・オリンピア劇場より中継)
- チョウ・ヨンウン(BSキャスター。韓国・ソウル・ロッテワールドより中継)
[編集] 演奏ゲスト
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- NHK紅白歌合戦 公式サイト
- 紅白歌合戦完全マニュアル - 視聴率など。
- Red and White Song Festival
- 紅白歌合戦出場歌手・曲目一覧
- 紅白歌合戦情報 - リンク集など
- NHK総合「紅白歌合戦」 - ビデオリサーチ。1962年(第13回)以降のテレビ視聴率を掲載。
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