片岡鶴太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| かたおか つるたろう 片岡 鶴太郎 |
|
| 本名 | 荻野 繁雄 |
|---|---|
| 別名 | 鶴ちゃん |
| 生年月日 | 1954年12月21日(54歳) |
| 出生地 | 東京都荒川区西日暮里 |
| 国籍 | |
| 血液型 | O型 |
| 職業 | タレント、俳優、歌手、画家、プロボクサー |
| 活動期間 | 1972年(昭和47年)- |
| 公式サイト | http://www.kataoka-tsurutaro.com/ |
片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、1954年(昭和29年)12月21日 - )は、東京都荒川区西日暮里出身のタレント、俳優、歌手、画家、プロボクサー。本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。愛称は「鶴ちゃん」。太田プロダクション所属。東京都立竹台高等学校卒業。絵を描くときのみ左利き。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
10歳の時、動物の物真似でフジテレビの素人参加番組『しろうと寄席』にテレビ出演。その時のADが後に『笑っていいとも!』のプロデューサーとなる横澤彪だった。早くから芸人を志し、高校進学に際しては中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったが、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入り、東京都立竹台高等学校に入学。演劇部に所属し、3年次には部長を務めた。
[編集] デビュー
高校卒業後、俳優を目指し、清川虹子の自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し弟子入りを志願したが清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、最後には警察を呼ぶと言われ断念。粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活の為しばらく土木作業員等の仕事を経験した後、声帯模写の片岡鶴八に弟子入りし、声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになる。
師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない。」と、芸を教えてくれなかったが、そば屋に連れて行ってもらってそばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋では盛りそばしか食べてはいけない」など芸人としての「粋」を教えてもらったという。鶴八師匠は、盛りそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、「早く売れる芸人になれ」という彼なりの激励であった。鶴太郎は師匠の懐の深さを知り「いつかは師匠と天丼を食べたい」と決意するが、不幸にも売れ出した頃に師匠は亡くなってしまった。
そんな売れていない頃、電話帳で見つけた女性宅へ郷ひろみの物まねでいたずら電話をし、「もしもし。僕、ひろみ。」と女性へ本物の郷ひろみと思わせた頃、「ガハハ!騙された!」とファンを逆なでするようないたずらをよくやっていたという。
その後、岡鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)の芸名でトランポリンの地方興行を行う。このままで終わってしまうことに不安を感じ一座を脱退。地方の温泉旅館での司会やものまねの仕事に就く。宿泊客の老人には持ち芸である小森のおばちゃまの真似はウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘と上京、結婚した[1]。
夫人との間には3人の子供を設けている[2]。
[編集] 全国区の人気
その後、漫才ブームの仕掛け人となった横澤彪と再会。片岡鶴太郎の芸名でテレビに進出する。お笑いタレントとして『オレたちひょうきん族』で披露した近藤真彦のものまねにより一躍脚光を浴び、九官鳥の「キューちゃん」や浦辺粂子、たこ八郎等の真似で人気を博した。
当時は小太りの体型で、熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出すなど、被虐的なキャラクターだった。そのため、鶴太郎こそがいわゆる「リアクション芸人」の元祖だとの声もある[要出典](上述の芸は、現在事務所の後輩であるダチョウ倶楽部の持ちネタとして有名である)。
今でこそその芸風は払拭され全く見られないが、『オールナイトフジ』ではおまるの中にかりんとうを入れて示すなどの下ネタを披露したり、同番組内の”鶴太郎劇団”という寸劇コーナーでは頻繁に女装して、男装した共演の女子大生と絡みのシーンを演じる、劇の最後のオチで全裸を女子大生に見せ付けるといった下品なキャラクターであった。「アブラギッシュな男No1」という不名誉な称号を得たのもこの頃である(井手らっきょは、鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを使うようになったと語っている)。
お茶の間に定着して以降、物真似ではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし(小森のおばちゃま・浦辺粂子・坂上二郎など多数)、後年にも、宮路社長や横山弁護士ら、話題の人物を好んで演じてみせた。
持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「プッツン」(喩えとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。またはその人物)が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれた。
[編集] 多方面での活動
『笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと「キューちゃん」のマネを必ず行う。『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』に出てきた九官鳥がモデルとなってる。
1980年代に某女性タレント[要出典]との浮気が報道された際、ビートたけしが「鶴太郎の野郎、この前カミさんがマンションに来てしょーがないから義理でやってたら隣の住人に『うるさいなー!毎日毎日!』と言われちゃった」と語り、当時の鶴太郎の人気のほどを伺わせた。
元々歌が上手く(東京荒川少年少女合唱隊の第一期生でもあった)、歌唱力の高さを活かして1980年代半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。「IEKI(胃液)吐くまで」など名曲が多いが、『オレたちひょうきん族』などで歌わせてもらうもなぜかヒットせず逆にお世辞にも上手とは言えない明石家さんまが「真赤なウソ」や人気コーナー「タケちゃんマン」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという(鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『夜のヒットスタジオ』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない)。
1988年には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由からプロボクサーテストを受験。当時ボクシングのプロテストの受験資格年齢は29歳までであったため、33歳(当時)の鶴太郎には本来受験資格がなかったが、日本ボクシングコミッション(JBC)に懸命に頼み込み、「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い合格した。受験にあたって前年から減量を始め、それまでの"小太り"から急激にシャープな体型に変わった。
プロテスト後は鬼塚勝也や畑山隆則のマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務めるなど両人の世界王座奪取に大きく貢献。1988年から1994年に放送され「現代版寅さん」と好評を得た『季節はずれの海岸物語』では主役の高村圭介を好演すると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。
1988年公開の映画『異人たちとの夏』出演での数多くの受賞をきっかけとして、活動の軸足を俳優に移し、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』の北条高時役で役者としての決定的評価を得ることになる。大河ドラマでは後年、『元禄繚乱』でも英一蝶役を怪演した。
1990年代には横溝正史原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・金田一耕助役で毎年出演(計9本)し、石坂浩二や古谷一行らと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。以降も『家栽の人』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を、『ララバイ刑事』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を好演するなど、コンスタントに活躍を見せている。
近年は2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多く、特にテレビ朝日系列の土曜ワイド劇場『終着駅シリーズ』での牛尾正直は当たり役の一つである。同シリーズの2007年9月22日放送『〜悪の条件』では1985年にフジテレビ系列で放送された『夕やけニャンニャン』以来約22年ぶりに国生さゆりと共演した。『八丁堀の七人』では久々に山田邦子と共演し、『オレたちひょうきん族』のコントを髣髴とさせるやりとりを見せた。
毎日放送「世界まるごとHOWマッチ」でのその日最後の問題、ソ連(番組放送当時)コーカサス地方のマッツォーニ(ヨーグルト)300個の値段を当てるクイズで、1個1ルーブルで300ルーブルとし、ビートたけしに「単純な奴なんだあいつは」「これがホールインワンだったら怒るよ」と散々こき下ろされた。結果ホールインワン賞(この日2本目)を獲得したが、その直後に怒ったたけしにゴールデントロフィーをいったん取り上げられ、エンディングの際には、巨泉から「300って書くのはよっぽど単純」、たけしから「俺は恥ずかしくて書けませんよ」「一生いいことないよ」「家に帰ったら親死んでるぞ」とまで言われた。その直後、ホールインワン賞のゴールデントロフィー2本で両手の塞がった鶴太郎が、巨泉から目録を受け取ろうとしてトロフィーを腕に掛けて持とうとした際、上部のボールが外れ台座部分が落下、右足を直撃するハプニングに見舞われた。
東京放送系「クイズダービー」の作詞問題でかに道楽の看板と答え会場全体が大爆笑となった。
だが以前、お笑い路線から離れ、ドラマ出演等でかっこいい路線へ転向しようとする鶴太郎を、かつてのお笑い仲間太平サブロー、太平シロー等に、自分ひとりだけ格好つけようとしていると激しく非難バッシングされトラウマを抱える。
飲み友達である志村けんの著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分は物まねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまさんには敵わない。コントには志村さんがいる。だから、俳優に行くしかない」と語ったとされている。俳優への転身は自身の評価にも繋がっており、映画『男はつらいよ』の二代目寅さん役最有力候補とされていたこともある(渥美清の死去後すぐ報道された)。
近年ではお笑い以外の多方面での活動が強調されており、本来の「芸人」としての活動からは遠のいているように見られがちであるが、「ものまね紅白歌合戦」や「爆笑レッドカーペット」に審査員として参加したり、時には上述のお約束芸を披露するなどしており、完全に第一線から身を引いたというわけではない。2008年にはFNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!にて、かつてのひょうきん族のキャラクターである「マイ爺さん」や「ピヨコ隊」を久々に演じた。
2009年1月3日放送の『おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ』でモーニング娘。の道重さゆみを大絶賛しており、収録日の翌日の2008年12月16日の片岡鶴太郎日記において道重さゆみを紹介している。
[編集] 芸術家としての片岡鶴太郎
タモリに影響を受け、挿絵を描くことを始める。コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃の棟方志功を演じたことをきっかけに、水墨画を描くことや陶芸など美術方面へ傾倒していく。岡本太郎とバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で共演したことから知り合い、岡本によってその才能を評価され自信を持ったとされる。この番組では、岡本とは対等に渡り合っていた。
群馬県吾妻郡草津町、福島県福島市に美術館、石川県加賀市、佐賀県伊万里市に工藝館がある。
右利きだが、ボクシングがオーソドックス・スタイル(左手が前、右手は退く)だったがゆえに絵は必ず左手で描いている。
鶴太郎が鯛を描いた台紙を用いた「片岡鶴太郎めで鯛電報」が2000年5月14日よりNTTから販売されている。台紙内部に格納された鯛と海老の絵は取り外してコースターなどに利用できるようになっている。
青森大学で芸術論を担当。2003〜2004年にはNHK『趣味悠々』で講師をつとめた。
2003年、奈良県當麻寺中之坊に天井画を揮毫し奉納。2004年秋より、文化勲章受章者や日本芸術院会員ら一流画家の作品にまじって、写仏道場の格天井に飾られている。作品名は『天井より海を眺め』。
2007年には、絵画の視点で書道にも挑戦し、第24回産経国際書展に応募。作品「骨」が話題を呼び、総数7575点の中から産経新聞社賞を受賞した。
最近では、ドラマの収録の合間に近所の人に請われ口紅一本で絵を描くこともある。「行列のできる法律相談所」のチャリティ企画にも出展していた。
[編集] 松村邦洋との出会い
鶴太郎は、福岡にあるテレビ西日本(TNC)を訪れた際に、そこでアルバイトをしていた中太りの青年と出会い、「君、たけしさんのものまねをしているよね。いいよ〜、面白いよ〜」と声をかけた人物は大学生の松村邦洋であった。この出会いで、松村は大学を中退、上京することとなった。 現在は松村にこの出会いをものまねされている。
[編集] 読字障害
2008年10月、NHKスペシャル『病の起源』第4回に出演。このシリーズは取り上げるテーマの病に罹った俳優・タレントが案内人を務めており、第4回のテーマは「読字障害」。そこで鶴太郎は、学生時代に教科書の音読などが苦手だったという経験を踏まえたうえで、自らも読字障害の疑いがあったのではないか、そのことが却って芸術家としても花開くきっかけになったのではないか、と告白した。
なお、番組の最後でも鶴太郎が述べていたが、日本ではまだ成人の読字障害を判定するための医学的システムが確立されていないため、鶴太郎の場合もまだ「疑い」の域を出ない。普段扱う文字の絶対数が少ない欧米でもシステムが確立されたのはごく最近である。
[編集] ものまねレパートリー
- 井上陽水
- 浦辺粂子
- 金子信雄(『仁義なき戦い』の親分風)
- 具志堅用高(「ちょっちゅね」ものまねの元祖)
- 小林旭(「チェッ」ものまねの元祖)
- 小森和子(彼女の生前に多用していた。没後、ものまねを封印すると宣言)
- 近藤正臣(「コンドーですっ」ものまねの元祖)
- 近藤真彦(「マッチでーす」ものまねの元祖)
- 坂上二郎(「飛びます、飛びます」ものまねの元祖)
- 千昌夫
- たこ八郎(「た…たこです」ものまねの元祖)
- 塩沢とき
- 山本晋也
- 村西とおる
- 郷ひろみ
- 瀬戸わんや(このものまねがエスカレートして、「ピヨコ隊」が誕生)
- 月の家円鏡(現:橘家圓蔵)
他多数
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- チョッちゃん(1987年4月 - 10月)
- 太平記(1991年、大河ドラマ 北条高時役)
- 連続テレビ小説 春よ、来い(1994 - 1995年)
- 毛利元就(1997年、大河ドラマ 井上元兼役)
- トキオ 父への伝言(2004年8月 - 9月)
- 篤姫(2008年、大河ドラマ 岩倉具視役)
- オトコマエ!(2008年4月 - 土曜時代劇 鳥居耀蔵役)
- オトコマエ!2(2009年)- 鳥居耀蔵 役
- 坂の上の雲(2009年11月29日~)- 八代六郎 役
- ◇日本テレビ系
- Wパパにオマケの子?!(1987年10月 - 1988年3月)
- ニュースなあいつ(1992年7月 - 9月、よみうりテレビ制作)
- おれはO型・牡羊座(1994年)
- 聖龍伝説(1996年10月 - 12月)
- 有閑倶楽部(2007年10月 - 12月)
- ◇TBSテレビ系
- もしも、学校が…!?(1985年8月 - 9月)
- 男女7人夏物語(1986年7月 - 9月)
- 男女7人秋物語(1987年10月 - 12月)
- 昭和のチャンプ・たこ八郎物語(1990年3月)
- 結婚したい男たち(1991年7月 - 9月)
- 家栽の人(1993年)
- 金のたまご(1997年)
- ◇フジテレビ系
- 季節はずれの海岸物語(1988年 - 1994年)
- あなたが欲しい(1989年)
- さよなら李香蘭(1989年)
- 世にも奇妙な物語「追いかけた男」「帰れない」「逆転」「夢のつづき」(1990年 - 1992年)
- 金田一耕助シリーズ獄門島(1990年)
- 金田一耕助シリーズ悪霊島(1991年)
- 金田一耕助シリーズ本陣殺人事件(1992年)
- 金田一耕助シリーズ悪魔の手毬唄(1993年)
- 上を向いて歩こう!(1994年4月 - 6月)
- 金田一耕助シリーズ犬神家の一族(1994年)
- 金田一耕助シリーズ八つ墓村(1995年)
- 金田一耕助シリーズ悪魔が来りて笛を吹く(1996年)
- 金田一耕助シリーズ女怪(1997年)
- 金田一耕助シリーズ女王蜂(1998年)
- 鬼が来た・棟方志功(関西テレビ制作)
- ◇テレビ朝日系
- ザ・刑事(1990年4月 - 9月 田中刑事役)
- ララバイ刑事
- うちの母ですが…(1995年)
- 影武者 ・織田信長(1996年 羽柴秀吉役)
- 大江戸弁護人 走る!(1996年)
- 森村誠一・終着駅シリーズ
- 影武者徳川家康(1998年)
- 八丁堀の七人(仏田八兵衛役、題字)
- 「ドラマスペシャル徳川家康と三人の女」(2008年3月15日・テレビ朝日 - 豊臣秀吉役)
- ◇テレビ東京系
- 古賀政男物語(1992年3月 テレビ大阪制作)
- なんでも屋大蔵の事件簿(2002年 - 2003年、女と愛とミステリー)
- 警察署長・たそがれ正治郎シリーズ(2005年 - )
[編集] 映画
- 19(ナインティーン)(1987年8月 東宝、破壊された消火栓から噴き出す水を傘でよける通行人役、セリフなし)
- 異人たちとの夏(1988年 監督:大林宣彦)
- 1989年第12回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞
- 座頭市 (1989年 監督:勝新太郎、正義の男役)
- 写楽(1994年、監督:篠田正浩、十返舎一九役)
- 免許がない!(1994年、監督:明石知幸、自動車教習所指導員 暴田豪役)
- でべそ(1996年、監督:望月六郎)
- SADA(1998年、監督:大林宣彦)
- 千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、監督:堀川とんこう)
- ラストラブ(2007年、監督:藤田明二)
[編集] バラエティ
- ◇日本テレビ系
- テレビに出たいヤツみんな来い!!(1982年、本名の荻野繁雄名義で素人に混ざって毎週ネタを披露)
- 今日もワクワク(1985年 - 1986年)
- 鶴ちゃんのトッピング(1985年 - 1986年)
- 鶴ちゃんのプッツン5(1986年 - 1994年)
- 鶴太郎のテレもんじゃ(1986年 - 1988年)
- 鶴太郎の危険なテレビ(1988年)
- ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!! (坂上二郎のものまねで男性軍キャプテンを担当)
- 発明将軍ダウンタウン(パネラーとして不定期に出演)
- 世界一受けたい授業(ゲスト出演・2007年8月4日放送分)
- ◇TBSテレビ系
- クイズダービー(ゲスト解答者として出演)
- 枝里子と鶴太郎のデータブティック(1984年 - 1985年)
- ◇フジテレビ系
- お笑い大集合(1978年 - 1980年、この番組でものまね芸人としてのテレビでのデビューを果たす。)
- オレたちひょうきん族
- 笑ってる場合ですよ!(ツービートの代役)
- オールナイトフジ
- 夕やけニャンニャン(1985年4月 - 9月)
- 笑っていいとも!(1984年 - 1993年、1994年 - 1995年)
- スターどっきり(秘)報告(レポーターとして出演)
- 上海紅鯨団が行く(1986年 - 1987年、関西テレビ制作)
- 鶴太郎のギャグハラスメント
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島
- 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦(審査員として出演)
- トリビアの泉(ゲスト出演・2004年7月21日、2005年7月13日放送分)
- 脳内エステ IQサプリ(ゲスト出演・2006年3月25日放送分)
- タカトシ×くりぃむのペケ×ポン(ゲスト出演・2007年7月10日放送分)
- SMAP×SMAP(コーナーレギュラー)
- 爆笑レッドカーペット
- ライオンのごきげんよう(ゲスト出演・2009年)
- ◇テレビ朝日系
- 週間漫画ゲラゲラ45(1979年 - 1983年、番組後期のレギュラー)
- ぶったま!ピープー(1983年)
- アイドルパンチ(1984年 - 1985年)
- 鶴ちゃんのおもいっきりポコポコ(1986年)
- 鶴太郎の大人によくないテレビ(1986年 - 1987年)
- ツルーライトゾーン(1988年)
- クイズMONOものがたり(1988年)
- ◇テレビ東京系
- ヤンヤン歌うスタジオ(1986年 - 1987年、あのねのねの後任の二代目司会者)
- クイズ赤恥青恥(1995年 - 2003年)
- いい旅夢気分(不定期)
[編集] 情報番組
[編集] その他の番組
- NHK地球エコ2008・MOTTAINAI(NHK総合、BS2、2008年4月 - 8月)
- 片岡鶴太郎のにっぽん蕎麦紀行~窮(きわ)められしそばの世界を求めて~(旅チャンネル、2009年2月-)
- 片岡鶴太郎のにっぽん発見(旅チャンネル、2009年4月-)
[編集] ラジオ
- 極楽ワイド・鶴ちゃんで〜す (ニッポン放送)
- 片岡鶴太郎の土曜日は鶴日和(文化放送)
- 片岡鶴太郎の遊More達人クラブ(文化放送)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 『哀愁ドンファン』(ラジオシティレコード)
- 『ゴーストブスターズ』(映画「ゴーストバスターズ」日本版主題歌、キャニオン・レコード)
- 『LOOKING FOR A FIGHT』(佐野元春プロデュースによる曲、キャニオン・レコード)
- 『IEKI吐くまで』(キャニオン・レコード)
- 『酔うほどに…』(キャニオン・レコード)
- 『思いの丈で…』(関西テレビ・フジテレビ系列花王名人劇場『志功の青春紀より・夢を彫る男』主題歌、ポニーキャニオン)
- 『DREAMER』(映画『Mr.レディー 夜明けのシンデレラ』主題歌、ポニーキャニオン)
- 『あんたが一番好きやねん』(日本コロムビア)
- 『夢の背中』(NHK『趣味悠々 秋元康の陶芸入門』テーマ曲、ユニバーサルJ)
[編集] アルバム
- 『キスヲ、モット、キスヲ…』(ラジオシティレコード)
- 『豪華愛蔵盤 片岡鶴太郎ヒット大全集』(ポニーキャニオン)
[編集] 脚注
- ^ 以上、ゲスト出演した文化放送『くにまるワイド ごぜんさま〜』でのインタビューによる
- ^ 「誰だって波瀾爆笑」より

