第50回NHK紅白歌合戦

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第50回NHK紅白歌合戦
NHK-Hall.jpg
会場のNHKホール
ジャンル 大型音楽番組
放送時間 19:30 - 23:45(255分)
放送期間 1999年平成11年)12月31日NHK紅白歌合戦第50回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 NHK
出演者 宮本隆治アナウンサー(総合司会)
久保純子(紅組司会)
中村勘九郎(白組司会)他
音声 ステレオ放送
外部リンク NHK紅白歌合戦公式サイト (日本語)
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第50回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1999年平成11年)12月31日
放送時間 1999年平成11年)12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
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第50回NHK紅白歌合戦』(だいごじゅっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1999年平成11年)12月31日NHKホールで行われた、通算50回目のNHK紅白歌合戦。19時30分 - 21時20分および21時30分 - 23時45分にNHK生放送された。

概要[編集]

  • 1993年第44回以来6年ぶりに放送開始時間が19:30(JST)に繰り上がった。
  • 当時の史上最多の観覧応募総数598,753通(約208倍)の中から約3,000人がホールで観覧した。
  • 両軍司会については、紅組司会には前回に引き続いての登板となる久保純子、白組司会にはこの年の大河ドラマ元禄繚乱』の主演・中村勘九郎(後の中村勘三郎)がそれぞれ起用された。前者は「NHK内の紅白司会者の希望アンケートで驚く程上位だったこと」、後者は「1900年代1000年代を振り返るには赤穂浪士歌舞伎が欠かせない」ということが選出理由とされた。勘九郎は司会発表会見で「(白組司会決定の際)重大な話があると聞かされ、(『元禄繚乱』内での)討ち入りのシーンの撮り直しかと思った」と述べ会場の笑いを誘った。なお、今回の司会発表は11月3日に行われた。
  • 当初、宇多田ヒカルの紅組歌手兼司会案もあったという。宇多田が出場を辞退したことに合わせ、このプランは立ち消えとなり、紅組司会の有力候補に上がったのは藤原紀香松嶋菜々子黒木瞳である。この年の『思い出のメロディー』の司会が好評だった黒木は関係者から「『思メロ』の司会は紅白のテスト」という声がまことしやかに広がり、一時は本命と目された。一方、前回の両軍司会である久保・中居正広SMAP)の続投を推す声も多く上がった。最終的に紅組司会は久保が続投し、白組司会は勘九郎が選出された[1]
  • なお、翌年の『大河ドラマ』の主演者が審査員に起用されることが慣例的な中、前回勘九郎の審査員起用はなかった(応援ゲストでの出演もなし。なお、同作出演者の松平健が審査員を担当)。
  • その他、一部マスコミ報道で白組司会の候補として爆笑問題(この年の『ポップジャム』の司会)の名前も挙がっていた[2]
  • 白組トップバッターのDA PUMPの歌唱前にここ2年間の白組司会であった中居が勘九郎を応援する場面があった。
  • 事務所枠の関係等から紅白に正規の出場歌手としては出場していないV6KinKi Kidsがそれぞれ第1部・第2部(前者が第2部、後者が第1部)のコーナーのプレゼンターとして登場した。この演出の中で互いに持ち歌のサビを歌唱した(V6が「Believe Your Smile」、KinKi Kidsが「フラワー」)。
  • 「第50回」を記念にし、今回の出場歌手の中で組司会経験もある和田アキ子松たか子加山雄三堺正章、中居が久保・勘九郎とトークをする特別コーナーが設けられた。
  • 応援合戦のゲストとして、85周年を迎えた宝塚歌劇団月組と勘九郎との縁で歌舞伎が登場した。宝塚と歌舞伎の共演は初めてである。
  • 翌年の3月での解散を発表していたSPEEDメドレーや別れを告げる鐘の音を入れた「my graduation」の特別アレンジ版「my graduation '99」を熱唱。終了後は紅組出場歌手や事務所の後輩である白組のDA PUMPらに讃えられた。
  • かつて交際していた松田聖子郷ひろみが直接対決したことで話題になった。曲紹介時はそのことについては一切触れられなかったが、その後に行われた審査員・津川雅彦の感想インタビューの際、彼は聖子・郷に触れ「NHKもやるな」とコメントして、会場の笑いを誘った。
  • NHKが実施した「21世紀に伝えたい歌」と言うアンケートの1位が美空ひばりの「川の流れのように」であったため、ひばりを慕っていた天童よしみが当曲を歌唱した。
  • 五木ひろしは、『第15回日本レコード大賞』受賞曲であるにも拘らずこれまで紅白で歌われることがなかった「夜空」を歌った(アレンジが施されたものである)。
  • 松たか子の曲紹介は勘九郎が行った。これは松と勘九郎が親戚、さらに松の初舞台の父親役が勘九郎だったことによるもの。その際、前回久保が自身が大ファンという理由で郷ひろみの曲紹介をしたことを挙げ、勘九郎が「去年の郷さんじゃないけど、この方だけ私に紹介させてほしいんです」と久保に対し述べた。
  • 当時プロ野球読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄から勘九郎(長嶋と親交があった)・白組への応援名目の電報が届けられ、勘九郎によって読み上げられた。
  • 山川豊は2年越しの大ヒットとなった「アメリカ橋」を同作曲者平尾昌晃と共同で2年連続で熱唱。前回は持ち時間上割愛された2番目の一部も今回はリピート部分を除いてフルコーラスで歌われた。
  • 立川談志は、勘九郎の抜き打ちで、ゲスト出演を果たした。
  • 勘九郎は本番前、西城秀樹の「Bailamos-Tonight we dance-(バイラモス)」のことを「“バイアグラ”って言ったらどうしよう」と不安がり、総合司会の宮本隆治が「『バイ』と『ラモス』で区切って、間で確認をされては」とアドバイスした。本番では無事曲紹介を成功させ、その後、舞台袖で2人で抱き合って喜んだという[3]
  • 勘九郎が本番中に自身の携帯電話で『元禄繚乱』の共演者である渡辺えり子(現:渡辺えり)、大竹しのぶ六平直政に連絡・生出演を打診し、3人は第1部の白組トリおよび大トリである前川清の歌唱前に登場。急遽決まった演出のため3人に紹介テロップは表示されなかった。
  • 第1部ラストと番組終了後(後述)に、出場歌手でオリジナルソング「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」を大合唱した。番組終了後の歌唱時は、審査員も合唱に参加し、田村亮子(現:谷亮子)も大きな声で歌っていた。同曲は番組側が、「紅白50回」と「未来へのメッセージソング」と言うテーマでスティービー・ワンダーにオリジナルソングの制作を依頼し、さだまさしが日本語歌詞に翻訳したものである。
  • 審査員の乙武洋匡が感想を述べる際では、宮本が乙武にマイクを向けるという形で行われた。
  • 紅組トリは和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、2年連続の紅組トリ担当となった。審査員であった同曲の作詞者阿久悠の目の前での歌唱であった。なお、今回の和田を最後に2年連続のトリ担当は2009年第60回 - 2010年第61回DREAMS COME TRUEまで途絶えることとなる。
  • 白組トリおよび大トリは北島三郎の「まつり」。
  • 50回記念回だったため、トリはそれぞれ両軍の最多出場歌手から選出された。
  • 特別審査員審査では6-5で紅組がリードしたが、客席審査で白組が逆転し、6-7で白組の優勝。
  • 優勝決定後、勘九郎は優勝旗授与のことを忘れ、出場歌手側に行こうとしたが、久保、宮本、和田に呼び止められ、優勝旗を受け取った。優勝旗を貰った勘九郎は『元禄繚乱』での大石内蔵助役での衣装に着替え、内蔵助役での演技そのままに白組歌手と勝どきを上げた。そして、エンディングでの「蛍の光」大合唱中に『元禄繚乱』にちなんで赤穂浪士の格好をした野猿他白組歌手が勘九郎を胴上げした。また、「蛍の光」終了後に和田が久保の頭を撫でる一幕があった。
  • 番組終了後、後座番組『ゆく年くる年』放送中の23:58(30秒)頃より画面が紅白終了直後のNHKホール内の映像に切り替わり、紅白出演者および観客による2000年に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。その後、同回のオリジナルソングとして制作された「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」の出演者による大合唱も行われた(先述も参照)。通常、総合テレビの年越しの瞬間は『ゆく年くる年』内でシンプルに進行しており、様々な形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異があるが、この際のみ例外であった。
  • 関東地区における視聴率[4]は、第1部の平均が45.8%と2部制になってから最高を記録した一方で、第2部の平均は50.8%と前回より約6ポイント低下。瞬間最高視聴率は郷ひろみが「GOLDFINGER '99」を歌い終えた頃の22:47で、56.6%である[5]。また、今回を最後に関東地区での平均視聴率50%台超は達成されていない。

司会者[編集]

演奏[編集]

審査員[編集]

大会委員長[編集]

出場歌手[編集]

紅組 白組
歌手 歌手
第1部
モーニング娘。(2) LOVEマシーン DA PUMP(2) We can't stop the music
Hysteric Blue(初) 春〜spring〜 Something ELse(初) ラストチャンス
茂森あゆみ速水けんたろう(初) だんご3兄弟 鳥羽一郎(12) 足摺岬
MAX(3) 一緒に・・・ GLAY(3) サバイバル
原田悠里(初) 津軽の花 吉幾三(14) 冬の酒
松たか子(2) 夢のしずく 19(初) あの紙ヒコーキ くもり空わって
香西かおり(8) 望郷十年 山川豊(7)(・平尾昌晃 アメリカ橋
中村美律子(7) 河内酒 西城秀樹(16) Bailamos-Tonight we dance-
Kiroro(2) 長い間 堀内孝雄(12) 続・竹とんぼ―青春(ゆめ)のしっぽ―
伍代夏子(10) 風待ち湊 TOKIO(6) 愛の嵐
SPEED(3) my graduation'99 ゴダイゴ(3) ビューティフル・ネーム
Every Little Thing(3) Over and Over 加山雄三(14) 君といつまでも
藤あや子(8) 女のまごころ 前川清(9) 東京砂漠
第2部
浜崎あゆみ(初) Boys & Girls 野猿(初) Be cool!
鈴木あみ(初) BE TOGETHER L'Arc〜en〜Ciel(2) HEAVEN'S DRIVE
安室奈美恵(5) RESPECT the POWER OF LOVE SMAP(9) Fly
globe(3) YOU ARE THE ONE Sans Filtre(初) Yei Yei
八代亜紀(21) 舟唄 かぐや姫(初) 神田川
長山洋子(6) さだめ雪 細川たかし(25) 櫻の花の散るごとく
川中美幸(12) 君影草~すずらん~ 美川憲一(16) 永遠にバラの時を
松田聖子(13) SWEET MEMORIES 郷ひろみ(20) GOLDFINGER '99
坂本冬美(12) 風に立つ 三波春夫(31) 元禄名槍譜 俵星玄蕃
小林幸子(21) やんちゃ酒 さだまさし(11) 奇跡~大きな愛のように~
由紀さおり安田祥子(8) 故郷 森進一(32) おふくろさん
石川さゆり(22) 天城越え 谷村新司(13) 昴―すばる―
天童よしみ(4) 川の流れのように 五木ひろし(29) 夜空
和田アキ子(23) あの鐘を鳴らすのはあなた 北島三郎(36) まつり

「伝説のスーパーヒーローショー」の曲目・歌手

「紅白50回ザッツ!エンターテイメント」の曲目・歌手

「スポーツ・ヒーローショー」の曲目・歌手

選考を巡って[編集]

出場歌手が決定する以前、マライア・キャリーローリング・ストーンズといった海外の大物アーティストが出場するのではないかと一部スポーツ新聞民放各局のワイドショー等で報道されたが、実際には出場しなかった。

だんご3兄弟」を歌う茂森あゆみ速水けんたろうはCD上のユニット名義が「速水けんたろう・茂森あゆみ」と速水の方が先であるため、白組出場が予想されていたが、茂森を先に表記する処置で実際は紅組出場であった。

SPEEDは解散前、最後の出場となる。SPEEDはその9年後(2008年)に完全復活を果たし、同年の第59回に再出場を決めた。

3ヶ月の期間限定でオリジナルメンバーにより再結成したゴダイゴ1980年第31回以来、19年ぶり3回目の出場。

三波春夫1989年第40回以来10年ぶり31回目の出場(歌唱は「元禄名槍譜 俵星玄蕃」)。紅白プロデューサー・磯野克巳によると、磯野の担当番組『ふたりのビッグショー』に三波が出演した際「もう一度、紅白へ出たい」と打ち明けられたことが再出場のきっかけになったという。この時点で三波は前立腺癌で体調低下が顕著となっており、自身の出番以外はほとんど楽屋で横になっていたことが磯野によって明かされている。また後に2005年12月29日放送の『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』内で北島三郎が「この時、(前立腺癌の影響で)体調悪かったんですよ」と本紅白での三波について語った。翌2000年第51回は出場せず、その翌年の2001年4月に前立腺癌で逝去。三波の生涯最後の紅白出場となった。

かぐや姫が初出場。この年8月、福岡で開催された「南こうせつ サマーピクニック ドリーム」にかぐや姫の3人が集結し「再結成」したが、紅白のスタッフが偶然にもその会場に足を運んでいたことから実現したものである[6]。当初は紅白の1日限定での再結成の予定であった。しかしファンからの反響は大きく、メンバーが手紙やインターネットで署名を募集したところ、コンサートを要望する声が多く寄せられた。その結果、翌2000年にはかぐや姫としての全国ツアーが開催された[6]

野猿が初出場。これにより、木梨憲武は3回目の初出場に(第42回ではとんねるず第47回では憲三郎&ジョージ山本として)[7]。メンバーにはフジテレビの裏方スタッフが含まれていることから、民放テレビ局の社員として初となる、紅白への歌手としての出場となった[7]。メンバーはとんねるず初出場の時と同様、アフロヘアーのかつらをかぶり、紅白に全身を塗った格好で登場。この初出場の舞台裏の映像はフジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で後日に放送した。「瞬間視聴率70.1%、歌手別最高視聴率を狙う」と意欲を見せていたが、結果はビデオリサーチ・関東地区調べで瞬間視聴率52.8%だった[5]

長髪グループであったのが原因で紅白出場を果たせなかった、元ザ・スパイダース堺正章ムッシュかまやつ井上堯之からなる3人組・Sans Filtreが初出場。堺は裏番組第41回日本レコード大賞』(TBS系列)の司会を掛け持ちしながらの出場となった。

宇多田ヒカル10月5日に「学業優先のため、冬休みはレコーディングに専念したい」ことを理由としてNHKに出場辞退を申し出、それを受ける形で14日、NHKが出演交渉を断念した[8]。なお、宇多田の母親・藤圭子にも出演交渉がされていたという[9]

その他、NHKが出演交渉を行った松任谷由実井上陽水矢沢永吉らの出場も実現しなかった[7]。松任谷に関しては、事前報道で「出場に前向き。大晦日にカウントダウンコンサートを行う東京国際フォーラムからの中継で出演する演出も検討されている」などとも報道されていた[10]

北島三郎は島倉千代子が保持していた通算出場回数を更新した。

ゲスト出演者[編集]

50回という節目の回らしく大物・人気のタレントが大量に番組の随所に登場し、番組を賑やかに盛り上げた。

演奏ゲスト[編集]

  • 佐久間正英(ベース。Hysteric Blueのサポート)
  • coba(アコーディオン。茂森あゆみ・速水けんたろうの伴奏)
  • 渡辺貞夫(サックス。松田聖子の伴奏)
  • 塚田佳男(ピアノ。由紀さおり・安田祥子の伴奏)

参考文献・出典[編集]

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)

脚注[編集]

  1. ^ 合田道人『紅白歌合戦の真実』、『紅白歌合戦の舞台裏』
  2. ^ 爆笑問題、歌手デビューSANSPO.COM、1999年10月21日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  3. ^ http://www.news-postseven.com/archives/20131222_231917.html 女性セブン 2013年12月26日号・2014年1月1日号
  4. ^ ビデオリサーチ社調べ
  5. ^ a b 郷ひろみ“7000万人”が見たSANSPO.COM、2000年1月4日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  6. ^ a b 再結成かぐや姫「中年パワー爆発だ」、SANSPO.COM、2000年5月13日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  7. ^ a b c 聖子、3年ぶり紅白復帰!郷と対決も、SANSPO.COM、1999年12月1日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  8. ^ 読売新聞』1999年10月15日付東京朝刊、38頁。
  9. ^ 合田『紅白歌合戦の真実』、337頁。
  10. ^ ユーミン 紅白初出場へ “最後の大物”口説き落とす中日スポーツ、1999年11月10日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]