藤圭子
| 藤 圭子 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 阿部 純子 |
| 出生 | 1951年7月5日(60歳) 岩手県一関市 |
| 出身地 | |
| ジャンル | 演歌 |
| 職業 | 演歌歌手 |
| 活動期間 | 1969年 - 1979年 1981年 - 不明 |
| 共同作業者 | U3 |
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - )は、日本の演歌歌手。本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げた。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した演歌歌手。前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實で、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。また、元夫は演歌歌手の前川清。
目次 |
[編集] 人物
幼いころから浪曲歌手の父 • 阿部壮(つよし)[1]、三味線瞽女の母 • 竹山澄子(2010年に死去。享年80)[1]の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った。藤は勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念した[1]。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり上京し、歌手デビューする事になる。1969年9月25日、「新宿の女」でRCAレコードよりデビュー。 作詞家の石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発した。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をもしのぐドスの効いた声は衝撃的であった。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間をおかず続くセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位。計37週連続1位という空前絶後の記録を作る。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声になってしまう。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。
1度引退したが、RCAレコードからCBSソニーに移籍する。1981年に第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表。
歌手を引退したあとは、夫が代表取締役を務める、娘で歌手の宇多田ヒカルの所属事務所である有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記されたままである。
[編集] 略歴
- 1969年 9月25日 「新宿の女」でデビュー。
- 1970年 「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得77万枚売上げる大ヒット。第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場。
- 1971年 前川清と結婚。
- 1972年 離婚。
- 1979年 突然引退を表明し、アメリカ合衆国に渡る。
- 1981年 藤圭似子の名で再デビュー。
- 1982年 宇多田照實と結婚(再婚)。
- 1983年 長女、光(宇多田ヒカル)を出産。
- 1984年 芸名を藤圭子に戻す。
- 1993年 有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に夫照實と設立し取締役になる。
- 1995年 夫照實と娘光の3人で「U3」のユニット名でインディーズでレコードを発売。
- 2000年 娘、ヒカルの全国ツアー札幌公演で、ステージに飛び入り参加し、「圭子の夢は夜ひらく」を歌う[2]。
- 2006年 3月にアメリカ・ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される[3]。
- 2007年 宇多田照實と離婚。
- 2009年 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定[3]。
[編集] エピソード
- 娘の宇多田ヒカルがデビュー直後の頃、アール・エフ・ラジオ日本で青江がDJをしていた番組にゲスト出演し、娘自慢を繰り広げた。
- 後年宇多田がブレークした際にこの番組の録音データを同局の社員が捜索したところ、同局の別の社員がこのデータを勝手に持ち出したあげく紛失していたことが判明している。その後、このデータの所在は明らかになっていない。
[編集] 多額の現金没収騒動
- 没収
- 2006年3月3日、ニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された。内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル(計約4900万円)。(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで。)
- 麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出される[3]。米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、あるいは使われる意図があったと結論、全額を没収した。
- 藤サイドの釈明
- 事件が明かになった直後の藤サイドはインタビューで「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。違法な現金ではない。ラスベガスのボランティア団体に寄付するつもりだった」と説明し、全額返還を求めた。また、麻薬への関与は一切ないと説明[4]。
- 藤圭子が2006年10月22日放送『スタ☆メン』(フジテレビ系)のインタビューを受ける。「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った。」、「カジノでは、現金所持が当たり前。」「アメリカはカード社会や小切手社会といわれているが、現金が主流である。」と主張した。また、麻薬探知犬が反応したことに関しては「麻薬とは一切関係がない」と否定した[5]。
- 返却
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ディスコグラフィー(シングル)
- 新宿の女(1969年9月25日)
- 女のブルース(1970年2月5日) オリコン1位獲得
- 圭子の夢は夜ひらく(1970年4月25日) オリコン1位獲得。園まりの「夢は夜ひらく」のカバーであった。
- 命預けます(1970年7月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:石坂まさを/編曲:曽根幸明
- (c/w ネオン街の女)
- 女は恋に生きていく(1970年10月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:石坂まさを/編曲:池田孝
- (c/w 盛り場数え歌)
- さいはての女(1971年2月5日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:彩木雅夫/編曲:池田孝
- (c/w 東京花ものがたり)
- 恋仁義(1971年5月5日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:曽根幸明/編曲:曽根幸明
- (c/w 涙ひとしずく)
- みちのく小唄(1971年6月5日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:野々卓也/編曲:池田孝
- (c/w 会津磐梯山)
- 愛の巡礼(1971年7月5日)
- 知らない町で(1971年10月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:曽根幸明/編曲:曽根幸明
- (c/w 圭子の網走番外地)
- 京都から博多まで(1972年1月25日)
- 別れの旅(1972年5月25日)
- 作詞:阿久悠/作曲:猪俣公章/編曲:池田孝
- (c/w 哀別)
- 花は流れて(1972年9月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:鈴木邦彦/編曲:池田孝
- (c/w 遊侠の人)
- 悲しみの町(1972年12月5日)
- 明日から私は(1973年3月25日)
- 作詞:山上路夫/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- (c/w 分かれ道)
- 花小唄(1973年7月)
- 作詞:石坂まさを/作曲:野々卓也
- (c/w 新東京小唄)
- 遍歴(1973年8月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:曽根幸明/編曲:池多孝春
- (c/w 愛の狐)
- 恋の雪割草(1973年11月5日)
- 京都ブルース(1974年4月5日)
- 火の国小唄(1974年6月)
- 作詞:石坂まさを/作曲:野々卓也
- (c/w 萩の女)
- 私は京都へ帰ります(1974年7月5日)
- 作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章/編曲:池多孝春
- (c/w 雨の仙台)
- 命火(1974年8月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:石坂まさを/編曲:小杉仁三
- (c/w 夜のブルース)
- あなたの噂(1975年1月)
- 作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章
- (c/w 銀座のお恵ちゃん)
- 生きてるだけの女(1975年4月25日)
- さすらい(1975年9月)
- はしご酒(1975年11月5日)
- 女だから(1976年4月25日)
- 聞いてください私の人生(1976年8月25日)
- 作詞:六本木哲/作曲:六本木哲/編曲:池多孝春
- (c/w 薄化粧)
- 哀愁酒場(1977年2月5日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路
- (c/w あなたへの未練)
- 貴方ひとすじ(1977年6月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:若林いさむ/編曲:池多孝春
- (c/w 新宿エレジー)
- 面影平野(1977年11月5日)
- 銀座流れ唄(1978年5月)
- 作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童
- (c/w 猫と女)
- 酔い酔い酒場(1978年10月)
- 作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童
- (c/w 女文字)
- 北の港町(1979年3月)
- 作詞:遠藤実/作曲:遠藤実
- (c/w わくらばの宿)
- 可愛い女(1979年10月)
- 新宿挽歌(1987年2月25日)
- 作詞:なかにし礼/作曲:船村徹/編曲:丸山雅仁
[編集] アルバム
- LP
- 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970年3月5日)オリコン1位獲得
- 女のブルース(1970年7月5日)オリコン1位獲得
- 歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う(1970年12月5日)オリコン2位獲得
- さいはての女(1971年3月5日)
- 圭子の人生劇場(1971年7月5日)
- 藤圭子リサイタル(1971年10月5日)
- 圭子のわらべ唄(1971年12月25日)
- 知らない町で(1971年12月25日)
- 藤圭子オン・ステージ(1972年5月25日)
- 別れの旅(1972年6月25日)
- オリジナル・ゴールデン・ヒット集(1972年8月5日)
- 遠くへ行きたい/「演歌の旅」(1972年12月5日)
- CD
- 藤圭子 伝説の名曲(1999年10月21日)
- 聞いて下さい私の人生〜藤圭子コレクション(2000年12月20日)
- 藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 〜15年の輝石〜(2005年9月21日、通信販売)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子(2005年10月26日)
- スーパーベスト(2005年12月11日)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子 ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌(2010年12月8日)
[編集] 主な出演映画
- 盛り場流し唄 新宿の女(1970年)日活
- ずべ公番長 夢は夜ひらく(1970年)東映
- 涙の流し唄 命預けます(1970年)松竹
- 女子学園 やばい卒業(1970年)日活
- 藤圭子 わが歌のある限り(1971年)松竹
[編集] テレビ番組
- ふりむくな鶴吉 第16話「寒椿」(1975年、NHK)
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第41話「生きてるだけの兇悪」(1975年、NET) - 小倉涼子役
- 標的(1979年、KTV)
- 新・海峡物語(1981年、テレビ朝日)
- 徹子の部屋(テレビ朝日)
- 日曜笑劇場「サブシロのTHE・ハタラケ興業」(ABC)
- 料理バンザイ!(テレビ朝日)
- ふたりのビッグショー(NHK)
- 日高晤郎のスーパーサンデー (STV)
- ものまね王座決定戦(フジテレビ)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ a b c “宇多田の祖母逝く…娘、孫との再会の願いかなわず” (日本語). Sponichi Annex. (2010年11月6日) 2010年11月6日閲覧。
- ^ ZAKZAK (2006年9月29日). “藤圭子42万ドル差し押え…麻薬取締局が多額所持に”. 2009年1月29日閲覧。
- ^ a b c d MSN産経ニュース (2009年1月28日). “藤圭子さんに42万ドル返還へ 米空港で06年差し押さえ”. 2009年1月29日閲覧。
- ^ ZAKZAK (2006年10月4日). “藤圭子、大金所持の不可思議…NYで4900万差し押さえ”. 2009年1月29日閲覧。
- ^ ZAKZAK (2006年10月23日). “藤圭子「5年で5億円使った」…差し押さえ事件釈明”. 2009年1月29日閲覧。
[編集] 外部リンク
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