和田アキ子

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和田 アキ子
基本情報
出生名 金 福子김복자
Kim Bokja
別名 金海 福子 (帰化前の通名
(かねうみ ふくこ)
和田 現子(帰化後の旧姓
(わだ あきこ)
飯塚 現子 (帰化後の本名
(いいづか あきこ)
出生 1950年4月10日(63歳)
血液型 O型
学歴 城星学園高等学校中途退学
出身地 大阪府大阪市生野区鶴橋
ジャンル J-POP歌謡曲ソウルR&B
職業 歌手タレント女優司会者実業家
活動期間 1968年 -
レーベル RCAレコード1968年 - 1974年
RVC1975年 - 1978年
ワーナー・パイオニア1979年 - 1991年
ワーナーミュージック・ジャパン(1991年 - 2001年
テイチクレコード(2001年 - 2006年
ユニオンレコード2007年 - 現在)
事務所 ホリプロ
公式サイト Ako's official web site

和田 アキ子(わだ あきこ、1950年4月10日 - )は、日本の歌手タレント女優司会者実業家である。所属芸能事務所は、株式会社ホリプロ

在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化[1]。公式プロフィールでの身長は、174cm[2]

愛称は「アッコさん」「アコさん」「ゴッドねぇちゃん」「芸能界のご意見番」。

本名:飯塚 現子(いいづか あきこ、旧姓:和田)。帰化前の通名は金海 福子(かねうみ ふくこ)。

目次

来歴

歌手・司会

大阪市生野区鶴橋生まれ。4人兄弟の長女。大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。そのまま私立城星学園高校に進学するも、和田の意志とは関係なく父親が勝手に退学届けを出したため在学期間3日間で中途退学となった[3]

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。173cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪神戸三宮で活動していたが実際にデビュー出来たのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である(人名#名前に用いられる漢字参照)。

当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。

1968年昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。このデビュー曲は話題にならなかったが、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、人気歌手の仲間入りをした。

1970年(昭和45年)、『女番長・野良猫ロック』(日活)で映画初主演を果たす。また、「笑って許して」で『第21回NHK紅白歌合戦』(NHK)に出場、紅白歌合戦初出場を果たす。

1972年(昭和47年)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

1973年(昭和48年)から日本テレビ系のバラエティ番組金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演。番組内で「ゴッド姉ちゃん」(映画ゴッドファーザーに由来)と呼ばれ、せんだみつお湯原昌幸ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まった。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、のサイズの大きさ(27cm)などによる。1979年(昭和54年)、「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌い『うわさのチャンネル』などのバラエティ番組レギュラーを降り、歌手一本で仕事をすると宣言し日本テレビと一時折り合いが悪くなる(現在は和解)[4]1985年(昭和60年)から『アッコにおまかせ!』の司会を担当。長寿番組となる(2012年12月現在)。

1986年(昭和61年)、歌手として紅白歌合戦に1978年(昭和53年)以来8年ぶりに出場。以後、連続出場中(2012年現在)。1987年1988年1997年と合計3回紅組司会も務め、1987年の第38回では「抱擁」で紅組のトリを務めており、組司会とトリを兼任となった(組司会とトリの兼任は美空ひばり(大トリ)、森昌子以来紅白史上3人目であり、和田を最後に途絶えている)。

1998年平成10年)、『第49回NHK紅白歌合戦』で「今あなたにうたいたい」を歌い、自身初の紅白歌合戦の大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せ、観客席から大拍手が起こった。

2005年(平成17年)7月13日付のオリコンチャートでm-floとのコラボレーション作品「Hey!」がオリコン初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるオリコンTop10入りを果たす。また、自身のキャリアにおいて初となる白組での紅白出場

2006年(平成18年)『第57回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手では2人目(1人目は島倉千代子)の30回出場を達成。

2008年(平成20年)、競艇日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。同年9月29日にはデビュー40周年記念として、ニューヨークアポロ・シアターで、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となる単独公演「40th Anniversary Concert "Power&Soul"」を行った。

2012年(平成24年)、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手として島倉千代子を抜いて単独で歴代最多出場歌手(36回)となる。

プロデュース業

2007年(平成19年)4月10日、東京・西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。現在は東京と大阪を中心に6店舗が展開されている。和田はプロデュースのみを行い、経営は夫の会社である株式会社エー・アンド・ケイ[5]が行っている。

婚姻歴

1976年昭和51年)に、当時和田のマネージャーを務めていた小林甫(小林プロダクション代表取締役社長、現 ティアンドケイ・ミュージック)と結婚したが、結婚を機に小林が他のタレントの担当に変わったことで生活にすれ違いが生じ、それが原因で9か月で離婚[6][3]1981年(昭和56年)6月1日に、ドラマ「ひまわり戦争」に出演した際にカメラマンをしていた現在の夫の飯塚浩司(現 テレビ制作会社・広告代理店「エー・アンド・ケイ」代表取締役社長)と再婚。その直後に子宮ガンが発覚。1981年7月に子宮を全摘出したため子供が出来ない身体となり、それを理由に自殺を考えたり離婚を求めたことがあるが、夫は「子どもが欲しくて結婚したのではない」と言い、これがきっかけで夫婦の絆がいっそう深まったという。その後も、飯塚とは現在に至る。 このため、姪や和田のマネージャーの子供らとの親交が深く、家族同然のつきあいをしている。 また発展途上国の恵まれない子供たちの支援団体の里親制度に登録・支援をしている。[3]

出身・国籍

大阪府大阪市生野区鶴橋出身。帰化時の官報には1949年(昭和24年)生まれとなっている。

済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、かつての本名は金福子、通名は金海福子である。4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。芸能界デビュー時に、在日韓国人だとわかる名前をまずいと思った父親が、和田アキ子の叔父(叔父は当時既に帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となった[7]。現在、彼女本人が日本に帰化している。

エピソード

デビュー前・当初

初期に、会社が「R&B歌手なので世界に通用するような洋モノの名前がいい」ということから芸名が「マーガレット和田」になりかけたが、名前とイメージが合わず結局本名からとって「和田アキ子」でデビューすることとなった[3]。後年この話をタモリにした所、「イメージというものがあるでしょう!」と言われた。

デビュー当初は長身かつ大柄な体格・低音の効いた声が原因[8]で、横柄な態度を取っていないにもかかわらず先輩歌手から「態度がでかい」といじめられる[8]。他にも数え切れない理不尽ないじめに遭い「私が一人前になったら、そういうことはしないようにしよう」と誓う[9]。しかし、後輩芸能人、特に芸人・お笑いタレントには体育会系のノリで無理難題とも言える要求をすることがある[10]

人物

父親は柔道の道場を開いており、和田の持ち前の大きな体もあり中学1年生の頃すでに柔道初段であった。 また父親は礼儀作法・しつけに厳しく、男尊女卑で全てのことは男性優先、父の前では正座・敬語を使わなければいけないなどの厳しい家庭環境で、たびたび暴力に近い鉄拳制裁を加えられ[11]、まだ小学生であった和田を殴りつけることもあった 。 この厳しい父に反発し、中学2年生の頃には不良番長として子分を従えて歩き、飲酒・喫煙を繰り返し、大阪ミナミの繁華街を縄張りにし「ミナミのアコ」と呼ばれ恐れられていたという。[3][12]

ジャズ喫茶で歌っていたところを、当時は弱小音楽事務所であったホリプロダクション(現 ホリプロ)社長の堀威夫にスカウトされ上京し、1968年に歌手デビュー。

1972年(昭和47年)12月31日、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞。感極まり、たまたま近くにいた沢田研二の腕を掴み一緒にステージまで行く。和田の号泣ぶりと沢田のオロオロした姿がレコード大賞史に残る名シーンとなる。後日、「高橋圭三さんが『あの鐘…』と言った瞬間、頭が真っ白になってしまった。私はジュリーが大阪のナンバ一番で歌っていた時から仲良しだったのと、私の腕力が強すぎて逆らえなかったのでしょう。」と振り返っている。[要出典]1975年(昭和50年)、楽屋泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられたが、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じてしまい、以降プロフィールは訂正された。

中央競馬地方競馬馬主資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「ダイナマイトソウル」等、自身の曲・アルバムのタイトルにちなんだ名前を付けている。2004年(平成16年)11月28日には歌手として、東京競馬場で行われたジャパンカップのレース発走前に『君が代』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。

和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、ライザ・ミネリの髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした。[3]また、10日に一回の割合で髪の毛をカットしているという。[13]

2007年、2008年、2010年大腸ポリープの手術を受けていることを明らかにしている。2010年にいたっては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。

2008年(平成20年)3月3日読売テレビ日本テレビ系で放送のアニメ『ヤッターマン』中、和田をモデルにした三悪(ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「オマカセメカ」が登場[14]。両機は自身の2008年(平成20年)4月23日発売のアルバムCD『わだ家』のジャケットの表紙に採用された[15]

2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の東京スポーツの記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていたという。[16]

ホリプロの在籍期間は、女性タレントでは最長。全体では守屋浩に次いで長い。

喫煙歴と禁煙

ヘビースモーカーで、不良になり始めた中学生の頃からタバコを吸っており、禁煙に成功する前は一日2箱、特に麻雀をやっていた時は1カートン(200本)は吸っていたという。以前から何度も禁煙を試みるも失敗し、一時期禁煙に成功するも[17]数年後に喫煙を再開。しかし2007年7月に「アッコにおまかせ!」の企画で出川哲朗松村邦洋らと一緒に人間ドックを受けたところ軽度の肺気腫が見つかり、これが慢性閉塞性肺疾患(COPD)に発展すると歌手生命にかかわることが発覚。その後お盆休みでロンドンに滞在していたとき心臓発作を起こしたこと、姪・イチロー・芸能界の友人やいわゆるアッコファミリーからの説得、9月に念願のニューヨーク アポロシアターでの単独コンサートを控えていたこと、そして竹山隆範からの愛のこもった強い説得が決定打となり、2008年(平成20年)8月25日にから周りの人たちの協力を得て禁煙を開始し、2009年(平成21年)1月1日に完全禁煙を宣言。2009年(平成21年)の8月に禁煙1年周年を迎えた[18][16]

性格

動物が苦手で、特に等のは虫類が大嫌い。

デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、スケバン)として名を馳せていたものの唯一、沢田研二(正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。一方で、同じくデビュー前のアマチュア歌手時代、大阪ミナミの繁華街で、地方から来ていた人が恐喝されて殴られていたところを助け、無一文の彼らに同情し泊る宿を手配、宿代を肩代わりし、帰路の汽車賃を工面し国鉄大阪駅まで見送る等、親身になって面倒を見る人情家の面もある[19]

毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫であるという。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。 また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。 一方、前述の通りの家庭環境や山岡との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた島田紳助等の仲間の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁すことも多い。[20]

あがり症で、コンサート・歌番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくあるという。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっとだという。その一方でバラエティ番組では一切あがらない。[8][16]また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切ってレコーディングするという[21][22]

芸能人との交友

先輩

山岡久乃とは、1973年(昭和48年)、TBS系ドラマ『あんたがたどこさ』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬する様になったと云う。このドラマの撮影に遅刻した和田は、共演者に謝罪せずそのまま撮影に臨もうとしたのだが、その姿を見た山岡は咄嗟に数多くの共演者やスタッフがいる前で、激しく和田を叱責、あまりの剣幕に怯えた和田は泣き出すが、山岡は「泣けば良いって云う訳ではないでしょ!時間を守るのは人として当たり前のことです」と更に叱責した。これ以来和田は挨拶の大切さや時間厳守を教えてくれた山岡へ毎年の誕生日に花束を贈り、山岡も和田のことを真の娘の様に可愛がったと云う。山岡は、TBS系バラエティ番組『テレビ探偵団』にゲストに来た際、司会の三宅裕司が、「今まで、ドラマで印象に残っている娘役は?」という質問に対し、「和田アキ子」と答えた。そのシーンを見た和田は、涙を流したという。和田が『芸能界のゴッドねえちゃん』と呼ばれる程後輩に対して礼儀作法にうるさく指摘する様になったり、色々と面倒をみる様になったのは、この時の山岡の厳しい一言のお陰だという。芸能界でも板東英二オール巨人に並ぶほどである。また番組収録が押して、収録時間が長引くことにも厳しくなった。

森繁久弥とはドラマ「桃から生まれた桃太郎」・「あんたがたどこさ」での共演を機に知り合い、大御所であった森繁になぜか気に入られるようになった。仕事のない日は毎日森繁の自宅に遊びに行ったり、酔っ払って押しかけてきた和田の面倒をみたり、愚痴をこぼしたりと家族同然のつきあいをしていた。また和田は、母親同然に可愛がってくれた人を含む“4人の母”の中の一人として、森繁の妻 森繁杏子をあげて感謝している。和田は森繁のことを親しみを込めて「森繁のじい」と呼んでいた。[3]

お笑い芸人との交友

大のお笑い好きで知られる。歌手でありながらお笑い芸人との親交が深く、島田紳助タモリビートたけし明石家さんま横山ノック上岡龍太郎せんだみつお松村邦洋出川哲朗勝俣州和カンニング竹山有吉弘行爆笑問題ますだおかだよゐこ博多華丸・大吉品川庄司などと親交がある。


島田紳助はデビュー当時は元不良と言うこともあり態度が非常に悪かったが島田がある番組のゲストに来た際に、和田は彼の芸能人としての可能性を感じ、和田が司会を務める『歌のトップテン』で一緒に共演。 また楽屋を同じ部屋にするなど、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで紳助とは自他認める弟分と言う意味も込めた親友的存在となり、自身の悩み等いろいろと相談できる間柄となった。[3]番組『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『B.C.ビューティー・コロシアム』(フジテレビ系)では司会コンビを組む(近年では、『毛髪クリニックリーブ21』のCMでも共演)。紳助は『歌のトップテン』において和田から司会術を学んだと話している。[要出典]

タモリ、ビートたけし、明石家さんまのお笑いBIG3とも親交が深く、和田アキ子殺人事件では3人と共演している。

タモリとは「うわさのチャンネル」で共演して以来、親交がある。笑っていいとも!テレフォンショッキングでは番組開始から5日目の1982年10月8日に初出演しており、同コーナーにおいて単独最多出演ゲスト(21回)である。

明石家さんまとは年始にはオーストラリアでゴルフ大会を行う仲で、ゴールドコーストに別荘(マンション)を持つ[23]

アッコにおまかせ!に共演する芸人ともよく飲みに行くが、下戸の芸人には、和田と飲みに行くのを嫌がるものも多い[要出典]

元芸能人で、ラブアタック!で共演した、横山ノックや上岡龍太郎とも親交がある。上岡龍太郎とは大阪にいた頃からの友達で[24]、横山ノックも素人時代から芸能界入りしても面倒を見たため、「親代わり」や「保護者」と和田自身が語り、ノックもこれを容認していた。

スポーツ選手との交友

スポーツ選手とも交友が深く、イチローシアトルの自宅に和田を招待したことがある。和田は今度イチローを「わだ家」に招待すると発言している。また、和田に禁煙を勧めたのもイチローである。清原和博とは、スポーツジムが一緒であったことから親交を持つようになった。板東英二とは、テレビ番組で度々共演し、「アッコ」、「板ちゃん」と呼び合う仲である。星野仙一は和田とのテレビでの共演は皆無であるが、年始に板東、明石家さんま等とゴルフをする仲である。同じホリプロ所属の元サッカー選手の武田修宏は、後述するように『アッコにおまかせ!』で共演しており、誕生パーティー後、和田家で一泊を強要されたという。また、同じホリプロ所属の元競泳選手の宮下純一とは、「北京五輪でメダルを取れば食事をごちそうする」という約束をしていた。

誕生パーティー

毎年、和田の誕生日パーティーは、多くの芸能人を招待して行われることで有名である。例えば2008年の誕生日パーティにはみのもんた高田純次陣内孝則等の大物芸能人や、番組共演者といわゆるアッコファミリーの出川哲朗勝俣州和らが参加している。[16]

テレビ出演

筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)の人気コーナーだった「ちくしてつやの真夜中トーク」で、ほろ酔いのまま登場し暴れ、コーナー打ち切りの原因を作った。本人曰く「ディレクターによって、昼間のうちに撮影現場の居酒屋に連れてこられた。そのため時間を持て余して飲酒してしまい、生放送時に自制がきかなくなってしまった」[要出典]

全国TVでは基本共通語で話すが、関西出身者との共演、ドラマで関西出身の人物を演じる時には関西弁を使う(視聴者参加番組で関西から来た人にインタビューする際も関西弁)。

上述の通り、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の看板コーナー『テレフォンショッキング』において単独最多出場ゲストである(2013年5月23日放送分で21回目出演)。

芸能界のご意見番

出演する番組や記者会見において、他の芸能人や『NHK紅白歌合戦』の出場者、放送内容に対する辛口コメントが多く、マスコミはそれを取り上げることが多い。特にプロ意識に欠ける言動があった芸能人については辛辣な口調で批評する[要出典]。「芸能界のボス」「芸能界のご意見番」の異名はこれに由来するが、本人は「自称したことはない、返上したい」と述べている[要出典]

2004年(平成16年)『第55回NHK紅白歌合戦』リハーサル後の会見で、NHKに不満を爆発させた一方、その約2か月前に暴行事件を起こし謹慎していた親友の島田紳助に対しては「早く復帰してほしい。」と語り、紳助の落ち度については語らなかった[要出典]

紅白で紅組司会を3回務めた仲間由紀恵について、「ほとんどカンペを見ていたのが残念」と、仲間がカンニングペーパーを見て司会をしていたことを暴露[要出典]

2007年(平成19年)『第58回NHK紅白歌合戦』の初出場者を見て「知らんヤツばっかやわァ!!」とアッコ節を炸裂させるが、その内の一人のすぎもとまさとが、かつて自身の『待ちわびて』『つれづれ恋人』を作曲した経緯があったことを知り謝罪する[要出典]。同紅白で「紅白の歌手別視聴率ランキングで紅組1位」となる(SMAP後の出番)。

週刊文春の「女が嫌いな女」の常連で、ランキング開始以降常に上位にランクインしている。アサヒ芸能のアサ芸プラスでは、2012年「見たくない紅白出場歌手ランキング」で、「大物ぶって鼻につく」「見飽きた感が絶大」などの理由で一位と不名誉な結果となった[25]。その一方、産業能率大学の「新入社員の理想の上司」調査[26]では、現在の調査方法になった1998年度から毎年10位以内にランクインしている。

2008年(平成20年)『第59回NHK紅白歌合戦』出場者の一部に対し「絞めてやりたい」と自身の冠番組である『アッコにおまかせ!』中に発言した。番組ではどの出場者が対象であるのかは言及しなかったが、「週刊新潮」によるとGIRL NEXT DOORエイベックス)に向けられたものだとのこと。[27]

2011年(平成23年)6月26日、レディー・ガガ東日本大震災に対して2億4千万円寄付したことについて、「(金額が)ガガにしては少ないと思うんだけど」と、『アッコにおまかせ!』番組内でコメントしている[28]。和田アキ子個人の寄付については公表されていないが、和田アキ子が所属するホリプロの芸能人全体、および事務所法人の合計額として5750万円を寄付し、『あの鐘を鳴らすのはあなた基金』を創設することを発表している。(このうち750万円については株主による義援金、とされている)[29]

歌手としての再評価

1990年代以降はヒット曲を飛ばすことができず、「歌も歌える(怖い)女タレント」というイメージが一般に浸透してしまったが、MISIA宇多田ヒカルらのブレイクによって興ったJ-POPの女性R&Bブームによって、「元祖・和製R&Bの女王」和田の再評価が21世紀になってからされるようになった。

若い世代の歌手・バンドが集まったトリビュートアルバムや、小西康陽選曲のフロアライクな視点で選曲されたベスト盤、和田の楽曲のみで構成されたDJ MIX CDやレゲエリミックスアルバムが発売される等、新しい形で新世代に音楽が聴き継がれていっている。

和田自身も新たな世代のミュージシャンとコラボーレションをし、現在も音楽活動を継続中である。

間違ったエピソード

自身または他者による作り話、あるいは誇張表現で語られたエピソードが、事実と誤認されてしまうケースが多い。間違ったエピソードは主に『いいかげんに1000回』で否定・訂正している。

「紅白歌合戦に大きなこだわりを持っている」と思われがちだが、「紅白が全てだと思っていない」「オファーがあるから出ているだけ」と多くの番組でそれを否定している。

小林幸子の紅白での豪華衣装を巡っての喧嘩報道について、「実際は喧嘩しておらず、会うのは紅白出演の時しか会えないので喧嘩しようがない。」と語る。一方、話を振られれば「どうして出場歌手も発表されていないのにあの人だけ衣装の準備ができるの?!」「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするの?」「あれは衣装じゃなくて舞台装置」など口撃ともとれる発言が散見される。小林は、一連のコメントに対し「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている。」「もし(紅白に)出場できなくても、コンサートで着ます。」と反論したことがある。それについて自身は週刊誌向けのリップサービスで言っていたと弁解している。

世間一般では大酒飲みと思われがちだが、和田の親友である島田紳助が司会の『一攫千金!日本ルー列島』(フジテレビ系)番組内で「大酒飲みではなく、少しの量でベロンベロンに酔うだけ」であると言い、否定している。

上記の「絞めてやりたい」発言について当時、Perfumeアミューズ)にも向けられていたと報道されたが、和田自身が好意的な発言(同グループのCDをレンタルショップにて借りた経験がある、同グループの話題が振られた時も喜んで対応している、むしろファンであるかのような対応も度々見せている)をしていたため、事実上の誤報となった。

作品

いくつかのヒット曲を持つ和田だが、オリコン最高位はシングル8位、アルバム25位止まりである。2003年(平成15年)発売のシングル『トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜』はオリコン77位(サウンドスキャンでは90位)を記録し、1992年(平成4年)発売の「愛、とどきますか」以来11年ぶりのオリコン100位以内ランクインシングルとなった。2006年(平成18年)発売のアルバム「今日までそして明日から」はオリコン76位を記録し、1972年(昭和47年)発売の『オリジナル・ゴールデン・ヒット集』以来34年ぶりのオリコン100位以内ランクインアルバムとなった。

オリコン調べによる1990年代(1989年12月1日〜1999年11月30日)のレコード・CDのトータル売上金額は2億220万円で総合993位である[30]

あの鐘を鳴らすのはあなた」は自他共に認める和田の代表曲。多くの歌手によってカヴァーされる(詳しくは当該項目を参照)。この曲の歌詞にはベトナム戦争への反戦メッセージが込められているといわれ、1972年(昭和47年)の『第23回NHK紅白歌合戦』では当時のNHKに配慮して歌わなかった。

シングル

1-32まではRCAレコード→RVCから発売。33-69はワーナー・ミュージックジャパンから発売。70以降コラボ企画以外は原則的にテイチクエンタテインメントから発売。ただし、デビュー当時より原盤権は東京音楽出版→ホリプロ音楽事業部が一貫して管理しているため、現在は基本的に音源の発売権はテイチクエンタテインメントに集約されている。

以下は、別名義、コラボレーション含む。

  1. 星空の孤独(1968年10月25日)デビュー曲
  2. どしゃぶりの雨の中で(1969年4月25日)オリコン最高19位
  3. そのときわたしに何が起こったの?(1969年10月25日)
  4. 笑って許して(1970年3月25日)オリコン最高11位
  5. さすらいのブルース(1970年7月5日)
  6. 貴方をひとりじめ(1970年11月5日)
  7. 卒業させてよ(1971年3月5日)
  8. 天使になれない(1971年6月5日)オリコン最高8位
  9. 涙の誓い(1971年9月5日)
  10. 夜明けの夢(1971年12月5日)オリコン最高10位
  11. あの鐘を鳴らすのはあなた(1972年3月25日)第14回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲
  12. 夏の夜のサンバ(1972年6月25日)オリコン最高19位
  13. 孤独(1972年9月25日)
  14. あなたにありがとう(1972年10月25日)
  15. 私は歩いている(1973年4月5日)
  16. 悪い奴(1973年7月25日)
  17. この命奪って(1973年10月25日)
  18. 古い日記(1974年2月25日)
  19. ふれあう愛(1974年5月25日)ジョン・レノン 'LOVE' のカヴァー
  20. 晴れのち曇り(1974年7月5日)
  21. 美しき誤解(1974年9月25日)
  22. 見えない世界(1975年2月15日)及川恒平細野晴臣作品
  23. もっと自由に(1975年5月30日)宇崎竜童阿木燿子作品
  24. 酔いどれ(1975年9月5日)
  25. 放浪(さすらい)ヨコスカ(1975年12月20日)
  26. 街角(1976年4月25日)
  27. 雨のサタデー(1976年7月25日)
  28. ダンス・ウィズ・ミー(1976年11月25日)浜田省吾作品
  29. 二杯目のお酒(1977年3月5日)
  30. 夜更けのレストラン(1977年10月25日)
  31. コーラスガール(1978年3月5日)
  32. ひとり酔い(1978年12月20日)柳ジョージ作品[31]
  33. 夢まであずけて(1979年9月25日)
  34. Shut up!(シャラップ)(1980年2月10日)
  35. 無礼句ダウン(1980年6月25日)
  36. 酔ったからって(1980年11月28日)
  37. 夕暮れ、恋人(1981年4月25日)
  38. 待ちわびて(1982年3月25日)杉本真人作品
  39. 思い出・砂時計(1982年9月25日)
  40. 恋はこりごり(1983年4月23日)鈴木雅之作品
  41. Once More Take a Chance(1983年11月30日)woodと共演
  42. 君が野に咲くバラなら(1984年9月12日)萩本欽一プロデュース作品。テレビ朝日系『たみちゃん』主題歌
  43. バ・カ・ダ・ネ(1985年6月25日)
  44. もう一度ふたりで歌いたい(1986年6月25日)
  45. 愛するときを過ぎても(1987年6月25日)
  46. 抱擁(1987年8月25日)映画『極道の妻たちII』主題歌
  47. だってしょうがないじゃない(1988年4月25日)オリコン最高25位
  48. ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット(1988年5月25日)アッコにおまかせ合唱団名義
  49. 続・だってしょうがないじゃない(1989年)
  50. 抱かれ上手(1990年3月25日)荒木とよひさ作詞
  51. よくやるね(1991年4月25日)
  52. 大阪ヘヴィーレイン(1992年2月25日)
  53. 愛、とどきますか(1992年5月25日)映画『遠き落日』主題歌
  54. Will Way(1993年4月10日)伊集院静作詞
  55. 抱いてサンバナイト(1993年9月25日)
  56. 逢いたいうちが華だから(1994年5月25日)
  57. やじろべえ(1994年8月25日)秋元康作詞
  58. がんばって(1995年5月25日)
  59. さあ冒険だ(1995年9月1日)フジテレビ系『ポンキッキーズ』メロディー
  60. Mother(1996年6月25日)
  61. 風のように空のように(1997年4月10日)TBS系『新幹線'97恋物語』主題歌
  62. (1997年10月25日)石井竜也プロデュース作品
  63. 河〜River〜(1998年2月11日)映画『極道の妻たち 決着(けじめ)』主題歌
  64. 真夏の夜の23時(1998年7月25日)小西康陽プロデュース作品
  65. Free At Last HOUSE FOUNDATION+Akiko Wada名義
  66. ぼろぼろ(1999年7月14日)
  67. あの日によく似た青い空(2000年6月17日)朝本浩文プロデュース作品
  68. REACH OUT(2000年10月12日)アニメ『勝負師伝説 哲也』主題歌
  69. 愛の光(2001年2月21日)テレビ東京系『女と愛とミステリー』エンディングテーマ
  70. 運命〜Destiny〜(2001年10月17日)
  71. ラストシーンに戻りたい(2002年7月22日)
  72. たまたまねぎねぎ〜たまねぎがおしえてくれたもの〜(2003年3月26日)ババロア@(和田アキ子&久本雅美)名義。『新型テレビ』の企画から誕生
  73. トゥモロー〜ジョージアでいきましょう編〜(2003年5月28日)缶コーヒー「ジョージアコマーシャルソング
  74. ルンバでブンブン(2003年6月11日)横山剣プロデュース作品 ※「タイガー&ドラゴン」収録
  75. 旅立ちのうた(2004年2月25日)NHKみんなのうた
  76. 愚かな女たち(2004年8月25日)
  77. 帰り来ぬ青春 readymade mix 2004(2005年3月2日)小西康陽プロデュース作品
  78. Loop In My Heart/HEY!(2005年7月13日)m-floEMYLI&YOSHIKA/m-flo♥Akiko Wada、ドワンゴイロメロミックスコマーシャルソング/TBS系『野球熱闘2005』テーマソング、TBS系『MLB主義』エンディングテーマ
  79. あの鐘を鳴らすのはあなた(2006年4月25日)
  80. How We Do It!!!/(Everything Will be)All Right(2006年5月10日)Skoop On Somebody/Skoop On Somebody+AKIKO WADA
  81. ゴールデンタイム(2007年6月27日)サントリーゴールデンドライコマーシャルソング
  82. 幸せのちから(2008年2月27日)POWER & SOUL KYOTEIコマーシャルソング
  83. Brand New PARADISE(2009年2月25日)Wトラブル名義。日本テレビ系「歌スタ!!」コラボ企画「和田スタ!!」から選ばれた予備校講師の岡本茂樹とのユニット
  84. あなただけの青空(2009年3月4日)POWER & SOUL KYOTEIコマーシャルソング
  85. キララ・キララ バカ(2009年10月21日)荒木とよひさ作詞
  86. 人生はこれから(2010年10月20日)マルハンコマーシャルソング
  87. ff (フォルティシモ)[32](2011年4月20日)サントリー新「ジョッキ生」コマーシャルソング、HOUND DOGのカバー。
  88. 今夜は夢でも見ましょうか(2012年7月25日)
  89. 今でもあなた(2013年7月3日)秋元康作詞。デビュー45周年記念シングル。

アルバム

  • LET'S SING SONG BEST 12(1987年1月25日)
  • Only Yesterday(1988年8月25日)
  • だってしょうがないじゃない/和田アキ子 全曲集(1989年12月21日)
  • 私も…そうだった(1990年9月25日)
  • よくやるね 和田アキ子 バラード・コレクション(1991年9月25日)
  • 和田アキ子 グレイテスト・ヒッツ 1968~1991(1991年11月28日)
  • 愛、とどきますか(1992年10月25日)
  • 和田アキ子全曲集〜だってしょうがないじゃない(1992年11月10日)
  • 和田アキ子全曲集シングルズ1993-1968(1993年4月21日)
  • 和田アキ子PERFECT COLLECTION(1993年10月25日)
  • 和田アキ子全曲集'94 Song(s) for you(1994年9月25日)
  • Alive/Song(s) for you '95(1995年9月25日)
  • テーマソングス'80〜'96(1996年9月10日)
  • DYNAMITE SOUL WADA AKIKO(1996年10月25日)
  • BALLADS バラード全曲集(1996年12月11日)
  • グレイテスト・ヒッツ'97(1997年5月25日)
  • DYNAMITE GROOVE WADA AKIKO(1997年9月25日)
  • DYNAMITE-A-GO-GO!!!(1998年9月25日)
  • VERY BEST OF AKIKO WADA'98(1998年9月25日)
  • DYNAMITE PARADE(2000年10月12日)
  • LOVE BALLAD BEST(2000年10月25日)
  • 和田アキ子 ベスト・ヒット(2002年3月21日)
  • 和田アキ子リサイタル〜日劇に於ける実況録音(2002年3月21日)
  • (株)ワダアキコ(2003年4月25日)
  • Haaah! 和田アキ子シングルコレクション(2003年6月11日)
  • ラブバラード・ベスト(2004年10月21日)
  • Free Soul Wada Akiko(2004年11月24日)
  • ベストヒット・コレクション(2005年5月25日)
  • RAGGA AKIKO(2005年12月16日)
  • リズム&ブルースの女王(2006年3月22日)
  • 今日までそして明日から(2006年10月25日)
  • わだ家(2008年4月23日)
  • World Standard Wada Akiko(2008年4月23日)
  • Wada Akiko Dynamite Best 1968-2008(2008年11月26日)
  • The Soul Extreme EP2(福原美穂、2011年10月12日) Get Up! feat. AKIKO WADAで参加。
  • Yell〜2011 BEST OF THE BEST〜(2011年11月30日)
  • AKIKO WADA 45th ANNIVERSARY ESSENTIAL COLLECTION(2013年6月12日)

など

DVD

  • 35 Anniversary WITH YOU〜tomorrow(2003年10月22日、VHSもある)
  • 和田アキ子特別企画ドラマ「ザ・介護番長」(2007年4月18日)
  • ドラマ「和田アキ子殺人事件」(2007年4月18日)
  • AKIKO WADA POWER & SOUL 和田アキ子 40周年記念コンサート at the APPOLO THEATER(2009年1月21日)
日本人女性歌手初のアメリカ・アポロシアターでのコンサートを収録した作品
  • 日活映画「女番長 野良猫ロック」(2012年4月3日)
  • 日活映画「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」(2012年4月3日)

著書

  • 『和田アキ子だ!文句あっか!』、日本文芸社、1983年。ISBN 4-537-00976-4 - 発行部数は120万部に達した。
  • 『和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―』
  • 『5年目のハイヒール』、扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
  • 『啓示』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5 - ホリプロ40周年記念企画で刊行された書籍
  • 『おとなの叱り方』
  • 『禁煙アッコ 和田アキ子禁煙事件』、宝島社、2009年。ISBN 978-4-7966-7202-3 - 構成 鈴木おさむ

出演

現在の出演

過去の出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1970年(昭和45年)/第21回 笑って許して 02/24 水原弘
1971年(昭和46年)/第22回 2 天使になれない 03/25 美川憲一
1972年(昭和47年)/第23回 3 孤独 02/23 フォーリーブス
1973年(昭和48年)/第24回 4 笑って許して (2) 06/22 橋幸夫
1974年(昭和49年)/第25回 5 美しき誤解 10/25 海援隊
1975年(昭和50年)/第26回 6 もっと自由に 06/24 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
1976年(昭和51年)/第27回 7 雨のサタデー 07/24 西城秀樹
1977年(昭和52年)/第28回 8 夜更けのレストラン 12/24 千昌夫
1978年(昭和53年)/第29回 9 コーラス・ガール 13/24 千昌夫 (2)
1986年(昭和61年)/第37回 10 もう一度ふたりで歌いたい 12/20 菅原洋一
1987年(昭和62年)/第38回 11 抱擁 20/20 五木ひろし トリ
1988年(昭和63年)/第39回 12 だってしょうがないじゃない 09/21 吉幾三
1989年(平成元年)/第40回 13 だってしょうがないじゃない (2) 19/20 谷村新司 トリ前
1990年(平成2年)/第41回 14 抱かれ上手 27/29 北島三郎
1991年(平成3年)/第42回 15 あの鐘を鳴らすのはあなた 28/28 谷村新司 (2) トリ (2)
1992年(平成4年)/第43回 16 愛、とどきますか 27/28 さだまさし トリ前 (2)
1993年(平成5年)/第44回 17 星空の孤独 24/26 谷村新司 (3)
1994年(平成6年)/第45回 18 あの鐘を鳴らすのはあなた (2) 22/25 小林旭
1995年(平成7年)/第46回 19 もう一度ふたりで歌いたい (2) 25/25 細川たかし トリ (3)
1996年(平成8年)/第47回 20 Mother 20/25 さだまさし (2)
1997年(平成9年)/第48回 21 24/25 北島三郎 (2) トリ前 (3)
1998年(平成10年)/第49回 22 今あなたにうたいたい 25/25 五木ひろし (2) 大トリ (4)
1999年(平成11年)/第50回 23 あの鐘を鳴らすのはあなた (3) 27/27 北島三郎 (3) トリ (5)
2000年(平成12年)/第51回 24 もう一度ふたりで歌いたい (3) 27/28 北島三郎 (4) トリ前 (4)
2001年(平成13年)/第52回 25 夢 (2) 27/27 北島三郎 (5) トリ (6)
2002年(平成14年)/第53回 26 抱擁 (2) 25/27 さだまさし (3)
2003年(平成15年)/第54回 27 古い日記 2003 KOUHAKU Remix 27/30 五木ひろし (3)
2004年(平成16年)/第55回 28 あの鐘を鳴らすのはあなた (4) 22/28 ゆず
2005年(平成17年)/第56回 29 HEY! 27/29 渡辺美里 白組での出場
2006年(平成18年)/第57回 30 Mother (2) 23/27 秋川雅史
2007年(平成19年)/第58回 31 あの鐘を鳴らすのはあなた (5) 26/27 森進一 トリ前 (5)
2008年(平成20年)/第59回 32 夢 (3) 26/26 氷川きよし トリ(7)
2009年(平成21年)/第60回 33 もう一度ふたりで歌いたい (4) 22/25 コブクロ
2010年(平成22年)/第61回 34 AKKOィィッ!紅白2010スペシャル[注 1] 16/22 加山雄三
2011年(平成23年)/第62回 35 あの鐘を鳴らすのはあなた (6) 19/25
2012年(平成24年)/第63回 36 愛、とどきますか(2) 21/25 美輪明宏
  1. ^ 「人生はこれから」→「笑って許して」(3)→「古い日記」(2)

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

テレビドラマ

バラエティ

日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
  • 和田アキ子アワー(1990年、終了)、
  • アッコの泣かしたろか!?(1998年、終了)
  • 志村&所の戦うお正月(テレビ朝日・ABC)毎回、黒柳徹子とパチンコ対決を行っている。
NHK
読売テレビ
関西テレビ
福岡放送
  • アッコとマチャミのテレビ → 新型テレビ(2000年 - 2005年、終了)

ラジオ

映画

  • 不良番長 一獲千金(1970年) - 映画初出演
  • 女番長 野良猫ロック(1970年)
  • 三匹の牝蜂(1970年)
  • 喜劇 花嫁戦争(1971年)
  • コント55号とミーコの絶体絶命(1971年)
  • としごろ(1973年)
  • 裸足のブルージン(1975年)
  • お姐ちゃんお手やわらかに(1975年)
  • キンキンのルンペン大将(1976年)
  • 喜劇 百点満点(1976年)
  • ミスターどん兵衛(1980年)
  • スタア(1986年)
  • 極道の妻たちII(1987年)
  • お日柄もよくご愁傷さま(1996年)

CM

劇場版アニメ

ゲーム

関連項目

和田を演じた女優

脚注

  1. ^ 官報 第13376号 法務省告示第百五十四号
  2. ^ 2011年5月29日放送『アッコにおまかせ!』(TBS系)にて人間ドックを受けたところ171.2cmに縮んでいたと告白
  3. ^ a b c d e f g h 和田アキ子『5年目のハイヒール』、扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
  4. ^ 和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』、日本文芸社、1983年、37-38ページ。ISBN 4-537-00976-4
  5. ^ 夫の飯塚浩司と、和田の2番目の弟である和田現夫が経営
  6. ^ ただし再婚時の結婚パーティーに出席したり、現在の夫と3人で一緒に食事をしたり、毎年和田のディナーショーを企画をするなど、離婚後も良好な関係を保っている。
  7. ^ 週刊文春」2005年8月11/18日夏の特大号収録“「血と骨」のブルース”より
  8. ^ a b c 和田アキ子『啓示』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5
  9. ^ 踊る!さんま御殿!!』にて
  10. ^ 紅白歌合戦の後で、「朝まで和田の歌っているシーンを見せ、後輩の芸能人が「そろそろ終わりにしましょう」と言っても朝まで見せる」、「朝が来たら朝日を見にいかせる」、「ますだおかだよゐこなど、お酒のほとんど飲めない芸人に飲酒を強要する」など。
  11. ^ 和田いわく「理不尽なまでのスパルタ式のしつけ」。
  12. ^ 中村竜太郎、「週刊文春」2005年8月11/18日夏の特大号 “実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”
  13. ^ 2013年5月23日放送『笑っていいとも!』内のコーナー『テレフォンショッキング』で和田が発言。
  14. ^ 読売テレビプロデューサー諏訪道彦がブログで、このメカに関しては和田の所属事務所から許諾を得たと述べている[1]。2008年(平成20年)2月17日放送の『おまかせ!』でこのことが取り上げられ、アニメ放送前日(2008年3月2日)放送回の『おまかせ!』で和田はこのメカをデザインした大河原邦男から直筆原画をもらったと発言[2]
  15. ^ オマカセメカはytv・日テレ版『ヤッターマン』の2代目オープニング(第11話「ドロンジョ様はお年ごろだコロン!」以降より)にも数秒間登場している。
  16. ^ a b c d 和田アキ子著 鈴木おさむ構成『禁煙アッコ』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5
  17. ^ 当時「アッコにおまかせ!」で、和田が禁煙に成功したら髪形を坊主にすると生島ヒロシが宣言し、禁煙が達成されたので坊主となった
  18. ^ アッコ禁欲生活中! 5カ月前から禁煙していた - サンケイスポーツ2009年1月12日
  19. ^ 朝日放送・『探偵!ナイトスクープ』より
  20. ^ 大先輩に拍手をする会『「アッコ」に文句あっか!』、本の森出版センター、1997年。ISBN 4-87693-333-2
  21. ^ TOKIO HOT100 2005年7月24日 GuestRoom、J-WAVE、2005年
  22. ^ ORICON STYLE 福原美穂『大先輩・和田アキ子とのコラボに迫る!』、オリコン、2011年
  23. ^ 2013年4月28日放送の『アッコにおまかせ!』で発言。
  24. ^ 和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』、日本文芸社、1983年、60ページ。ISBN 4-537-00976-4
  25. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/7221360/
  26. ^ 産業能率大学 活動紹介 調査報告書一覧、学校法人産業能率大学]
  27. ^ 「荒れる「和田アキ子」紅白歌手を「締めてやりたい」」、『週刊新潮』第53巻第48号、新潮社、2008年12月18日、 48-49頁、20120327閲覧。
  28. ^ スポーツニッポン2011年6月27日
  29. ^ デイリースポーツ2011年3月18日
  30. ^ 「オリコンウィーク・ザ・一番」2000年1月3日・10日合併号より
  31. ^ B面「愛して」は浜田省吾作品(後に「愛を眠らせて」としてセルフカバー)で、和田も出演したABC系時代劇『翔べ! 必殺うらごろし』の主題歌
  32. ^ 2曲目:あの鐘を鳴らすのはあなた(40周年コンサート at the APOLLO THEATHERより)、3曲目:Tomorrow never knowsMr.Childrenのカバー)、4曲目:ff (フォルティシモ)サントリー新「ジョッキ生」CMヴァージョン。

外部リンク