和田アキ子

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和田 アキ子
基本情報
出生名 金 福子김복자
Kim Bokja
別名 金海 福子 (帰化前の通名
(かねうみ ふくこ)
和田 現子(帰化後の旧姓
(わだ あきこ)
飯塚 現子 (帰化後の本名
(いいづか あきこ)
出生 1950年4月10日(64歳)
出身地 大阪府大阪市天王寺区舟橋町
血液型 O型
学歴 城星学園高等学校中途退学
ジャンル J-POP歌謡曲ソウルR&B
職業 歌手タレント女優司会者ラジオパーソナリティ実業家
活動期間 1968年 -
レーベル RCAレコード1968年 - 1974年
RVC1975年 - 1978年
ワーナー・パイオニア1979年 - 1991年
ワーナーミュージック・ジャパン(1991年 - 2001年
テイチクレコード(2001年 - 2006年
ユニオンレコード2007年 - 現在)
事務所 ホリプロ
公式サイト Ako's official web site

和田 アキ子(わだ アキこ、1950年4月10日 - )は、日本歌手タレント女優司会者ラジオパーソナリティ実業家である。所属芸能事務所は、株式会社ホリプロテイチクエンタテインメント / ユニオンレコード所属。

在日韓国人として出生し、「金玉福子」といじめられることが嫌で、その後日本へ帰化[1]。公式プロフィールでの身長は、174cm。

愛称は「アッコ(さん・ちゃん)」「アコ(さん・ちゃん)」「ゴッドねぇちゃん」「芸能界のご意見番」。もしくは「ゴッド姉さん」という愛称もある。

本名:飯塚 現子(いいづか あきこ、旧姓:和田)。帰化前の通名は金海 福子(かねうみ ふくこ)。

来歴[編集]

幼少期[編集]

天王寺区にある大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。そのまま私立城星学園高校に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか3日間で中途退学となった[2]

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。173cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長・堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪神戸三宮で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名(当時は通名)の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である(人名#名前に用いられる漢字参照)。

芸能活動[編集]

デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。

1968年昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。

1969年4月25日(昭和44年)、2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が大ヒットし、人気歌手の仲間入り。

1970年(昭和45年)、『女番長・野良猫ロック』(日活)で映画初主演を果たす。また、「笑って許して」でNHK第21回NHK紅白歌合戦』に出場、『NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。以後、1978年(昭和53年)の『第29回NHK紅白歌合戦』まで連続出場。

1972年(昭和47年)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

1973年(昭和48年)から日本テレビ金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演。番組内で「ゴッド姉ちゃん[3]と呼ばれ、せんだみつお湯原昌幸ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まった。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、のサイズの大きさ(27cm)などによる。1979年(昭和54年)、「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌ったことや、『翔べ! 必殺うらごろし』(朝日放送製作、テレビ朝日系列へネット)への出演、また歌手に専念したいとの意向で日本テレビへ強引に降板を申し入れたことから、番組は打ち切りとなった。この一件が原因で、以後2年間和田は日本テレビへの出入りが禁止されるなど両者は折り合いが悪くなった(後に和解)[4]。この時、レギュラー出演していたバラエティ番組を全て降板した。

1985年(昭和60年)からTBSアッコにおまかせ!』の司会を担当。

1986年(昭和61年)、紅白に1978年(昭和53年)以来8年ぶりに出場[5]。以後、連続出場している。

1998年、『第49回NHK紅白歌合戦』で「今あなたにうたいたい」を歌い、自身初の紅白の大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せ、観客席から大拍手が起こった。

2005年(平成17年)7月13日付のオリコンチャートm-floとのコラボレーション作品「Hey!」が初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるTOP10入りを果たす。同年、自身初となる白組での紅白出場

2006年(平成18年)『第57回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手では2人目(1人目は島倉千代子)の30回出場を達成。

2008年(平成20年)、競艇日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。同年9月29日にはデビュー40周年記念として、ニューヨークアポロ・シアターで、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となる単独公演「40th Anniversary Concert "Power&Soul"」を行った。

2012年(平成24年)、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手として島倉を抜いて単独で歴代最多出場歌手(36回)となる。

プロデュース業[編集]

2007年(平成19年)4月10日東京西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。後に東京と大阪を中心に6店舗が展開。和田はプロデュースのみを行い、経営は現夫・飯塚の会社である株式会社エー・アンド・ケイ[6]が行っている。

婚姻歴[編集]

1976年昭和51年)に、当時和田のマネージャーを務めていた小林甫(現 ティアンドケイ・ミュージック代表取締役社長)と結婚したが、結婚を機に小林が他のタレントの担当に変わったことで生活にすれ違いが生じ、それが原因で9ヶ月で離婚[7][2]1981年(昭和56年)6月1日に、フジテレビドラマ『ひまわり戦争』に出演した際にカメラマンをしていた飯塚浩司(現 エー・アンド・ケイ代表取締役社長)と再婚。その直後に子宮癌が発覚。1981年7月に子宮を全摘出したため子供が出来ない身体となり、それを理由に自殺を考えたり離婚を求めたことがあるが、飯塚は「子供が欲しくて結婚したのではない」と言い、これがきっかけで夫婦の絆が一層深まったという。その後も飯塚とは夫婦関係を継続している。また姪や和田のマネージャーの子供らとの親交が深く、家族同然の付き合いをしている。また、発展途上国の恵まれない子供たちの支援団体の里親制度に登録・支援をしている[2]

最初・2回目の結婚時、結婚式の司会はいずれも徳光和夫が担当した。

出身・国籍[編集]

大阪府大阪市天王寺区舟橋町[8]。帰化時の官報には1949年(昭和24年)生まれとなっている。

済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、かつての本名は金福子、通名は金海福子である。4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。父は柔道の師範で自宅で柔道場を開き、母は乾物屋を営んでいた[9]。芸能界デビュー時に、在日韓国人だとわかる名前をまずいと思った父親が、和田アキ子の叔父(叔父は当時すでに帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となった[10]。彼女本人が日本に帰化している。

『週刊文春』(2005年8月11/18日夏の特大号)のインタビューで、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っている。

エピソード[編集]

デビュー前・当初[編集]

初期に、会社が「R&B歌手なので世界に通用するような洋モノの名前がいい」ということから芸名が「マーガレット和田」になりかけたが、名前とイメージが合わず結局本名からとって「和田アキ子」でデビューすることとなった[2]

デビュー当初は長身且つ大柄な体格・低音の効いた声が原因[11]で、横柄な態度を取っていないにもかかわらず先輩歌手から「態度がでかい」といじめられる[11]。他にも数え切れない理不尽・陰湿ないじめに遭い「私が一人前になったら、そういうことはしないようにしよう」と誓う[9]

一緒に飲みに行った芸能人がテレビ番組などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は「若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない」「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃないんですよ。」と語っている[9]

活動の初期にニ、三の映画に主演、準主演しているが、現場の印象が非常に良くなかったため、長らく日本映画界とは距離を置いている。その後はごくまれにゲスト出演する程度であり、旺盛な芸能活動の中では映画の比率は無に等しい。

人物[編集]

父親は柔道の道場を開いており、和田の持ち前の大きな体もあり、中学1年生の頃すでに柔道初段であった。 また父親は礼儀作法・しつけに厳しく、全てのことは男性優先で男尊女卑、父の前では正座・敬語を使わなければいけないなどの厳しい家庭環境で、まだ小学生であった和田を殴りつけるなど、たびたび鉄拳制裁・暴力を加えられ[12]ることもあった 。 この父に憎んで[9]反発し、中学2年生の頃には不良番長として子分を従えて歩き、飲酒・喫煙を繰り返し、大阪ミナミの繁華街を縄張りにし「ミナミのアコ」と呼ばれ恐れられていたという[2][10]。ジャズ喫茶で歌っていたところを、当時は弱小音楽事務所であったホリプロダクション(現:ホリプロ)社長の堀威夫にスカウトされ上京し、1968年に歌手デビュー。

1972年(昭和47年)12月31日、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞。

1975年(昭和50年)、楽屋泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられたが、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じ、以降プロフィールは訂正された。

中央競馬地方競馬馬主資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「ダイナマイトソウル」等、自身の曲・アルバムのタイトルにちなんだ名前を付けている。2004年(平成16年)11月28日には歌手として、東京競馬場で行われたジャパンカップのレース発走前に『君が代』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。

和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、ライザ・ミネリの髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした。[2]

2007年、2008年、2010年大腸ポリープの手術を受けていることを明らかにしている。2010年にいたっては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。

2008年(平成20年)3月3日読売テレビ日本テレビ系で放送のアニメ『ヤッターマン』中、和田をモデルにした三悪(ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「オマカセメカ」が登場[13]。両機は自身の2008年(平成20年)4月23日発売のアルバムCD『わだ家』のジャケットの表紙に採用された[14]

2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の東京スポーツの記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていたという[15]

ホリプロの在籍期間は、女性タレントでは最長。全体では守屋浩に次いで長い。

本人曰く「ものまね瀬川瑛子さんしかできない」と話す。瀬川のまねは出演番組で披露することがある。

プロ野球自体よく分からない」と話す。ただし、決して野球アンチではなく清原和博を通じた読売ジャイアンツの選手との交流がある。

2014年6月、「夢は『いつも旬でありたい』ということ。でも、歌手という自負がなくなったらやめる」と自身の引退について語った。その上で「ドレスが唯一似合ってると思っているし。第2の和田アキ子はいないと思う。(体が)大きくなきゃだめだし、声もハイトーンではだめ。一代で終わるとしたら和田アキ子を全うしたい。まだまだやりたいこといっぱいある。頑張りたい」とも話し、引退はまだ先であることもほのめかした[16]

喫煙歴と禁煙[編集]

かつてはヘビースモーカーで、不良になり始めた中学生の頃から煙草を吸っており、成人式の際の記者会見では冗談交じりに禁煙・禁酒を宣言したこともあった[17][9]。禁煙に成功する前は一日3箱、特に麻雀をやっていた時は1カートン(200本)は吸っていたという。以前から何度も禁煙を試みるも失敗し、一時期禁煙に成功するも[18]数年後に喫煙を再開。しかし2007年7月に『アッコにおまかせ!』の企画で出川哲朗松村邦洋らと一緒に人間ドックを受けたところ「肺気腫の疑い」との診断を受け、翌年、9月に念願のニューヨークアポロ・シアターでの単独コンサートを控えていたことから精密検査を受け、「慢性中等度閉塞性呼吸不全」(中程度の慢性閉塞性肺疾患〔COPD〕)との診断を受ける。この際、医師から「完全な肺気腫で、(このままの生活を続ければ)将来的に歌が歌えなくなる」と“歌手生命の危機”を告げられる。[19]その後、盆休みでロンドンに滞在していた時心臓発作を起こしたこと(これも喫煙が原因で、血管の石灰化を起こしていた)、姪、イチローはじめ、周囲の友人やアッコファミリーからの説得、そして竹山隆範からの愛のこもった強い説得が決定打となり、2008年(平成20年)8月25日にから周りのサポートを得ながら禁煙を開始し、2009年(平成21年)1月1日に完全禁煙を宣言。2009年(平成21年)の8月に禁煙1周年を迎えた[20][15]。こうした経験から2011年5月には「COPD広報大使」に任命されている[21]

性格[編集]

動物が苦手で、特になどの爬虫類が大嫌い。

デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、スケバン)として名を馳せていたものの、唯一沢田研二(正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。

毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫であるという。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。 また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。 一方、前述の通りの家庭環境や山岡久乃との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた芸能人の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁したりすることも多い[22]

あがり症で、コンサート・音楽番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくあるという。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっとだという。その一方でバラエティ番組では一切あがらない[11][15]。また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切り、真っ暗な中で譜面台の明かりだけをつけてレコーディングするという[23][24]

芸能人との交友[編集]

先輩[編集]

山岡久乃とは、1973年(昭和48年)、TBS系ドラマ『あんたがたどこさ』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬するようになったと言う。このドラマの撮影に遅刻した和田は、共演者に謝罪せずそのまま撮影に臨もうとしたのだが、その姿を見た山岡はとっさに数多くの共演者やスタッフがいる前で、激しく和田を叱責、あまりの剣幕におびえた和田は泣き出すが、山岡は「泣けばいいっていうわけではないでしょ! 時間を守るのは人として当たり前のことです」とさらに叱責した。これ以来、和田は挨拶の大切さや時間厳守を教えてくれた山岡へ毎年の誕生日に花束を贈り、山岡も和田のことを真の娘のように可愛がったという。和田が「芸能界のゴッドねえちゃん」と呼ばれるほど後輩に対して礼儀作法にうるさく指摘するようになったり、いろいろと面倒をみるようになったのは、この時の山岡の厳しい一言のお陰だという。芸能界でも板東英二オール巨人に並ぶほどである。また番組収録が押して、収録時間が長引くことにも厳しくなった。

森繁久弥とはドラマ「桃から生まれた桃太郎」「あんたがたどこさ」での共演を機に知り合い、大御所であった森繁になぜか気に入られるようになった。仕事のない日は毎日森繁の自宅に遊びに行ったり、酔っ払って押しかけてきた和田の面倒をみたり、愚痴をこぼしたりと家族同然のつきあいをしていた。また和田は、母親同然に可愛がってくれた人を含む“4人の母”の中の一人として、森繁の妻 森繁杏子をあげて感謝している。和田は森繁のことを親しみを込めて「森繁のじい」と呼んでいた。[2]

お笑いタレントとの交友[編集]

大のお笑い好きで知られる。歌手でありながらお笑いタレントとの親交が深くタモリビートたけし明石家さんま島田紳助横山ノック上岡龍太郎せんだみつお爆笑問題博多華丸・大吉品川庄司や、アッコファミリーの松村邦洋出川哲朗勝俣州和カンニング竹山有吉弘行ますだおかだよゐこなどと親交がある。

島田紳助はデビュー当時は元不良と言うこともあり態度が非常に悪かったが、紳助がある番組のゲストに来た際に、和田は彼の芸能人としての可能性を感じ、和田が司会を務める日本テレビ歌のトップテン』で共演。 また楽屋を同じ部屋にするなど、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで紳助とは自他認める弟分という意味も込めた親友的存在となり、自身の悩み等いろいろと相談できる間柄となった[2]。『歌のトップテン』、フジテレビB.C.ビューティー・コロシアム』では司会コンビを組む(『毛髪クリニックリーブ21』のCMでも共演)。

タモリ、ビートたけし、明石家さんまのお笑いBIG3とも親交が深く、和田アキ子殺人事件では3人と共演している。

タモリとは「うわさのチャンネル」で共演して以来、親交がある。笑っていいとも!テレフォンショッキングでは番組開始から5日目の1982年10月8日に初出演しており、同コーナーにおいて、単独最多出演ゲスト(22回)である。

元芸能人で、ラブアタック!で共演した、横山ノックや上岡龍太郎とも親交がある。上岡龍太郎とは大阪にいた頃からの友達で[25]、横山ノックも素人時代から芸能界入りしても面倒を見たため、「親代わり」や「保護者」と和田自身が語り、ノックもこれを容認していた。

誕生パーティー[編集]

毎年、和田の誕生日パーティーは、多くの芸能人を招待して行われることで有名である。例えば2008年の誕生日パーティにはみのもんた高田純次陣内孝則等の大物芸能人や、番組共演者とアッコファミリーの出川哲朗勝俣州和らが参加している。[15]

テレビ出演[編集]

全国ネット番組では基本的に共通語で話すが、関西出身者との共演、ドラマで関西出身の人物を演じる時には関西弁を使う(視聴者参加番組で関西から来た人にインタビューする際も関西弁)。

上述の通り、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の看板コーナー『テレフォンショッキング』において、単独最多出場ゲストである(通算22回出演)。

芸能界のご意見番[編集]

出演する番組や記者会見において、他の芸能人や『NHK紅白歌合戦』の出場者、放送内容に対する辛口コメントが多く、マスコミはそれを取り上げることが多い。特にプロ意識に欠ける言動があった芸能人については辛辣な口調で批評する。「芸能界のボス」「芸能界のご意見番」の異名はこれに由来する[9]

本人は「芸能界のご意見番」と呼ばれることは嫌っており、「オブラートに包んでいるつもりなんだけど、声もよく通るし迫力があるから。他の人でそこまで言っていいのっていっぱいいるよ」と自身よりも過激な発言をする人物がいるのに、自身の発言が目立って取り上げられることに不満を見せている[26]

週刊文春の「女が嫌いな女」の常連で、ランキング開始以降常に上位に位置している。アサヒ芸能のアサ芸プラスでは、2012年「見たくない紅白出場歌手ランキング」で、「大物ぶって鼻につく」「見飽きた感が絶大」などの理由で1位となった[27]。その一方、産業能率大学の「新入社員の理想の上司」調査[28]では、現行の調査方法になった1998年度から2013年度まで必ず10位以内にランクインしていた。

2008年(平成20年)『第59回NHK紅白歌合戦』出場者の一部に対し「絞めてやりたい」と『アッコにおまかせ!』内で発言した。番組ではどの出場者が対象であるのかは言及しなかったが、『週刊新潮』によるとGIRL NEXT DOORエイベックス)に向けられたものだとのこと[29]

2011年(平成23年)6月26日、レディー・ガガ東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に対して2億4千万円を寄付したことについて、「(金額が)ガガにしては少ないと思うんだけど」と、『アッコにおまかせ!』番組内でコメントしている[30]。和田個人の寄付については公表されていないが、所属するホリプロの芸能人全体、および事務所法人・ホリプロの株主による義援金の合計額として5750万円を寄付し、『あの鐘を鳴らすのはあなた基金』を創設した[31]

作品[編集]

いくつかのヒット曲を持つ和田だが、オリコン最高位はシングル8位、アルバム25位止まりである。2003年(平成15年)発売のシングル『トゥモロー〜ジョージアで行きましょう編〜』はオリコン77位(サウンドスキャンでは90位)を記録し、1992年(平成4年)発売の「愛、とどきますか」以来11年ぶりのオリコン100位以内ランクインシングルとなった。2006年(平成18年)発売のアルバム「今日までそして明日から」はオリコン76位を記録し、1972年(昭和47年)発売の『オリジナル・ゴールデン・ヒット集』以来34年ぶりのオリコン100位以内ランクインアルバムとなった。

オリコン調べによる1990年代(1989年12月1日〜1999年11月30日)のレコード・CDのトータル売上金額は2億220万円で総合993位である[32]

あの鐘を鳴らすのはあなた」は自他共に認める和田の代表曲。多くの歌手によってカバーされる(詳しくは当該項目を参照)。同曲の歌詞にはベトナム戦争への反戦メッセージが込められているといわれ、1972年(昭和47年)の『第23回NHK紅白歌合戦』では当時のNHKに配慮して歌わなかった。

シングル[編集]

1-32まではRCAレコード→RVCから発売。33-69はワーナー・ミュージックジャパンから発売。70以降コラボ企画以外は原則的にテイチクエンタテインメントから発売。ただし、デビュー当時より原盤権は東京音楽出版→ホリプロ音楽事業部が一貫して管理しているため、現在は基本的に音源の発売権はテイチクエンタテインメントに集約されている。

以下は、別名義、コラボレーション含む。

  1. 星空の孤独(1968年10月25日)デビュー曲
  2. どしゃぶりの雨の中で(1969年4月25日)オリコン最高19位
  3. そのときわたしに何が起こったの?(1969年10月25日)
  4. 笑って許して(1970年3月25日)オリコン最高11位
  5. さすらいのブルース(1970年7月5日)
  6. 貴方をひとりじめ(1970年11月5日)
  7. 卒業させてよ(1971年3月5日)
  8. 天使になれない(1971年6月5日)オリコン最高8位
  9. 涙の誓い(1971年9月5日)
  10. 夜明けの夢(1971年12月5日)オリコン最高10位
  11. あの鐘を鳴らすのはあなた(1972年3月25日)第14回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲
  12. 夏の夜のサンバ(1972年6月25日)オリコン最高19位
  13. 孤独(1972年9月25日)
  14. あなたにありがとう(1972年10月25日)
  15. 私は歩いている(1973年4月5日)
  16. 悪い奴(1973年7月25日)
  17. この命奪って(1973年10月25日)
  18. 古い日記(1974年2月25日)
  19. ふれあう愛(1974年5月25日)ジョン・レノン 'LOVE' のカヴァー
  20. 晴れのち曇り(1974年7月5日)
  21. 美しき誤解(1974年9月25日)
  22. 見えない世界(1975年2月15日)及川恒平細野晴臣作品
  23. もっと自由に(1975年5月30日)宇崎竜童阿木燿子作品
  24. 酔いどれ(1975年9月5日)
  25. 放浪(さすらい)ヨコスカ(1975年12月20日)
  26. 街角(1976年4月25日)
  27. 雨のサタデー(1976年7月25日)
  28. ダンス・ウィズ・ミー(1976年11月25日)浜田省吾作品
  29. 二杯目のお酒(1977年3月5日)
  30. 夜更けのレストラン(1977年10月25日)
  31. コーラスガール(1978年3月5日)デビュー10周年記念作品
  32. ひとり酔い(1978年12月20日)柳ジョージ作品[33]
  33. 夢まであずけて(1979年9月25日)
  34. Shut up!(シャラップ)(1980年2月10日)
  35. 無礼句ダウン(1980年6月25日)
  36. 酔ったからって(1980年11月28日)
  37. 夕暮れ、恋人(1981年4月25日)
  38. 待ちわびて(1982年3月25日)杉本真人作品
  39. 思い出・砂時計(1982年9月25日)
  40. 恋はこりごり(1983年4月23日)鈴木雅之作品
  41. Once More Take a Chance(1983年11月30日)woodと共演
  42. 君が野に咲くバラなら(1984年9月12日)萩本欽一プロデュース作品。テレビ朝日系『たみちゃん』主題歌
  43. バ・カ・ダ・ネ(1985年6月25日)
  44. もう一度ふたりで歌いたい(1986年6月25日)
  45. 愛するときを過ぎても(1987年6月25日)
  46. 抱擁(1987年8月25日)映画『極道の妻たちII』主題歌
  47. だってしょうがないじゃない(1988年4月25日)オリコン最高25位
  48. ダ・ダ・ダ・ダ・ダイエット(1988年5月25日)アッコにおまかせ合唱団名義
  49. 続・だってしょうがないじゃない(1989年)
  50. 抱かれ上手(1990年3月25日)荒木とよひさ作詞
  51. よくやるね(1991年4月25日)
  52. 大阪ヘヴィーレイン(1992年2月25日)
  53. 愛、とどきますか(1992年5月25日)映画『遠き落日』主題歌
  54. Will Way(1993年4月10日)伊集院静作詞
  55. 抱いてサンバナイト(1993年9月25日)
  56. 逢いたいうちが華だから(1994年5月25日)
  57. やじろべえ(1994年8月25日)秋元康作詞
  58. がんばって(1995年5月25日)
  59. さあ冒険だ(1995年9月1日)フジテレビ系『ポンキッキーズ』メロディー
  60. Mother(1996年6月25日)
  61. 風のように空のように(1997年4月10日)TBS系『新幹線'97恋物語』主題歌
  62. (1997年10月25日)石井竜也プロデュース作品
  63. 河〜River〜(1998年2月11日)映画『極道の妻たち 決着(けじめ)』主題歌
  64. 真夏の夜の23時(1998年7月25日)小西康陽プロデュース作品
  65. Free At Last HOUSE FOUNDATION+Akiko Wada名義
  66. ぼろぼろ(1999年7月14日)
  67. あの日によく似た青い空(2000年6月17日)朝本浩文プロデュース作品
  68. REACH OUT(2000年10月12日)アニメ『勝負師伝説 哲也』主題歌
  69. 愛の光(2001年2月21日)テレビ東京系『女と愛とミステリー』エンディングテーマ
  70. 運命〜Destiny〜(2001年10月17日)
  71. ラストシーンに戻りたい(2002年7月22日)
  72. たまたまねぎねぎ〜たまねぎがおしえてくれたもの〜(2003年3月26日)ババロア@(和田アキ子&久本雅美)名義。『アッコとマチャミの新型テレビ』の企画から誕生
  73. トゥモロー〜ジョージアでいきましょう編〜(2003年5月28日)缶コーヒー「ジョージアコマーシャルソング
  74. ルンバでブンブン(2003年6月11日)横山剣プロデュース作品 ※「タイガー&ドラゴン」収録
  75. 旅立ちのうた(2004年2月25日)NHKみんなのうた
  76. 愚かな女たち(2004年8月25日)
  77. 帰り来ぬ青春 readymade mix 2004(2005年3月2日)小西康陽プロデュース作品
  78. Loop In My Heart/HEY!(2005年7月13日)m-floEMYLI&YOSHIKA/m-flo♥Akiko Wada、ドワンゴイロメロミックスコマーシャルソング/TBS系『野球熱闘2005』テーマソング、TBS系『MLB主義』エンディングテーマ
  79. あの鐘を鳴らすのはあなた(2006年4月25日)
  80. How We Do It!!!/(Everything Will be)All Right(2006年5月10日)Skoop On Somebody/Skoop On Somebody+AKIKO WADA
  81. ゴールデンタイム(2007年6月27日)サントリーゴールデンドライコマーシャルソング
  82. 幸せのちから(2008年2月27日)POWER & SOUL KYOTEIコマーシャルソング
  83. Brand New PARADISE(2009年2月25日)Wトラブル名義。日本テレビ系「歌スタ!!」コラボ企画「和田スタ!!」から選ばれた予備校講師の岡本茂樹とのユニット
  84. あなただけの青空(2009年3月4日)POWER & SOUL KYOTEIコマーシャルソング
  85. キララ・キララ バカ(2009年10月21日)荒木とよひさ作詞
  86. 人生はこれから(2010年10月20日)マルハンコマーシャルソング
  87. ff (フォルティシモ)[34](2011年4月20日)サントリー新「ジョッキ生」コマーシャルソング、HOUND DOGのカバー。
  88. 今夜は夢でも見ましょうか(2012年7月25日)
  89. 今でもあなた(2013年7月3日)秋元康作詞。

アルバム[編集]

  • LET'S SING SONG BEST 12(1987年1月25日)
  • Only Yesterday(1988年8月25日)
  • だってしょうがないじゃない/和田アキ子 全曲集(1989年12月21日)
  • 私も…そうだった(1990年9月25日)
  • よくやるね 和田アキ子 バラード・コレクション(1991年9月25日)
  • 和田アキ子 グレイテスト・ヒッツ 1968~1991(1991年11月28日)
  • 愛、とどきますか(1992年10月25日)
  • 和田アキ子全曲集〜だってしょうがないじゃない(1992年11月10日)
  • 和田アキ子全曲集シングルズ1993-1968(1993年4月21日)
  • 和田アキ子PERFECT COLLECTION(1993年10月25日)
  • 和田アキ子全曲集'94 Song(s) for you(1994年9月25日)
  • Alive/Song(s) for you '95(1995年9月25日)
  • テーマソングス'80〜'96(1996年9月10日)
  • DYNAMITE SOUL WADA AKIKO(1996年10月25日)
  • BALLADS バラード全曲集(1996年12月11日)
  • グレイテスト・ヒッツ'97(1997年5月25日)
  • DYNAMITE GROOVE WADA AKIKO(1997年9月25日)
  • DYNAMITE-A-GO-GO!!!(1998年9月25日)
  • VERY BEST OF AKIKO WADA'98(1998年9月25日)
  • DYNAMITE PARADE(2000年10月12日)
  • LOVE BALLAD BEST(2000年10月25日)
  • 和田アキ子 ベスト・ヒット(2002年3月21日)
  • 和田アキ子リサイタル〜日劇に於ける実況録音(2002年3月21日)
  • (株)ワダアキコ(2003年4月25日)
  • Haaah! 和田アキ子シングルコレクション(2003年6月11日)
  • ラブバラード・ベスト(2004年10月21日)
  • Free Soul Wada Akiko(2004年11月24日)
  • ベストヒット・コレクション(2005年5月25日)
  • RAGGA AKIKO(2005年12月16日)
  • リズム&ブルースの女王(2006年3月22日)
  • 今日までそして明日から(2006年10月25日)
  • わだ家(2008年4月23日)
  • World Standard Wada Akiko(2008年4月23日)
  • Wada Akiko Dynamite Best 1968-2008(2008年11月26日)
  • The Soul Extreme EP2(福原美穂、2011年10月12日) Get Up! feat. AKIKO WADAで参加。
  • Yell〜2011 BEST OF THE BEST〜(2011年11月30日)
  • AKIKO WADA 45th ANNIVERSARY ESSENTIAL COLLECTION(2013年6月12日)

など

DVD[編集]

  • 35 Anniversary WITH YOU〜tomorrow(2003年10月22日、VHSもある)
  • 和田アキ子特別企画ドラマ「ザ・介護番長」(2007年4月18日)
  • ドラマ「和田アキ子殺人事件」(2007年4月18日)
  • AKIKO WADA POWER & SOUL 和田アキ子 40周年記念コンサート at the APPOLO THEATER(2009年1月21日)
日本人女性歌手初のアメリカ・アポロシアターでのコンサートを収録した作品
  • 日活映画「女番長 野良猫ロック」(2012年4月3日)
  • 日活映画「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」(2012年4月3日)

著書[編集]

  • 『和田アキ子だ!文句あっか!』、日本文芸社、1983年。ISBN 4-537-00976-4 - 発行部数は120万部に達した。
  • 『和田アキ子の“バ・カ・ダ・ネ”―よせばいいのに言っちゃった―』、ワニブックス、1985年。
  • 『言いたい放題アッコとバンちゃん』、日音、1986年。板東英二との共著。
  • 『みんな大好き』、小学館、1987年。
  • 『和田アキ子と28人のプロたち』、スタジオシップ、1990年。
  • 『5年目のハイヒール』、扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
  • 『啓示』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5 - ホリプロ40周年記念企画で刊行された書籍
  • 『アッコの愛の説教部屋』、PHP研究所、2004年。
  • 『おとなの叱り方』、PHP研究所、2008年。ISBN 978-4-569-69625-6
  • 『禁煙アッコ 和田アキ子禁煙事件』、宝島社、2009年。ISBN 978-4-7966-7202-3 - 構成 鈴木おさむ

主な出演[編集]

現在の出演番組[編集]

過去の出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1970年(昭和45年)/第21回 笑って許して 02/24 水原弘
1971年(昭和46年)/第22回 2 天使になれない 03/25 美川憲一
1972年(昭和47年)/第23回 3 孤独 02/23 フォーリーブス
1973年(昭和48年)/第24回 4 笑って許して (2) 06/22 橋幸夫
1974年(昭和49年)/第25回 5 美しき誤解 10/25 海援隊
1975年(昭和50年)/第26回 6 もっと自由に 06/24 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
1976年(昭和51年)/第27回 7 雨のサタデー 07/24 西城秀樹
1977年(昭和52年)/第28回 8 夜更けのレストラン 12/24 千昌夫
1978年(昭和53年)/第29回 9 コーラス・ガール 13/24 千昌夫 (2)
1986年(昭和61年)/第37回 10 もう一度ふたりで歌いたい 12/20 菅原洋一
1987年(昭和62年)/第38回 11 抱擁 20/20 五木ひろし トリ(1)
1988年(昭和63年)/第39回 12 だってしょうがないじゃない 09/21 吉幾三
1989年(平成元年)/第40回 13 だってしょうがないじゃない (2) 19/20 谷村新司 トリ前(1)
1990年(平成2年)/第41回 14 抱かれ上手 27/29 北島三郎
1991年(平成3年)/第42回 15 あの鐘を鳴らすのはあなた 28/28 谷村新司 (2) トリ(2)
1992年(平成4年)/第43回 16 愛、とどきますか 27/28 さだまさし トリ前(2)
1993年(平成5年)/第44回 17 星空の孤独 24/26 谷村新司 (3)
1994年(平成6年)/第45回 18 あの鐘を鳴らすのはあなた (2) 22/25 小林旭
1995年(平成7年)/第46回 19 もう一度ふたりで歌いたい (2) 25/25 細川たかし トリ(3)
1996年(平成8年)/第47回 20 Mother 20/25 さだまさし (2)
1997年(平成9年)/第48回 21 24/25 北島三郎 (2) トリ前(3)
1998年(平成10年)/第49回 22 今あなたにうたいたい 25/25 五木ひろし (2) 大トリ(4)
1999年(平成11年)/第50回 23 あの鐘を鳴らすのはあなた (3) 27/27 北島三郎 (3) トリ(5)
2000年(平成12年)/第51回 24 もう一度ふたりで歌いたい (3) 27/28 北島三郎 (4) トリ前(4)
2001年(平成13年)/第52回 25 夢 (2) 27/27 北島三郎 (5) トリ(6)
2002年(平成14年)/第53回 26 抱擁 (2) 25/27 さだまさし (3)
2003年(平成15年)/第54回 27 古い日記 2003 KOUHAKU Remix 27/30 五木ひろし (3)
2004年(平成16年)/第55回 28 あの鐘を鳴らすのはあなた (4) 22/28 ゆず
2005年(平成17年)/第56回 29 HEY! 27/29 渡辺美里 白組での出場
2006年(平成18年)/第57回 30 Mother (2) 23/27 秋川雅史
2007年(平成19年)/第58回 31 あの鐘を鳴らすのはあなた (5) 26/27 森進一 トリ前(5)
2008年(平成20年)/第59回 32 夢 (3) 26/26 氷川きよし トリ(7)
2009年(平成21年)/第60回 33 もう一度ふたりで歌いたい (4) 22/25 コブクロ
2010年(平成22年)/第61回 34 AKKOィィッ!紅白2010スペシャル[注 1] 16/22 加山雄三
2011年(平成23年)/第62回 35 あの鐘を鳴らすのはあなた (6) 19/25
2012年(平成24年)/第63回 36 愛、とどきますか(2) 21/25 美輪明宏
2013年(平成25年)/第64回 37 今でもあなた 17/26 TOKIO
  1. ^ 「人生はこれから」→「笑って許して」(3)→「古い日記」(2)

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

テレビドラマ[編集]

その他[編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

映画[編集]

劇場アニメ[編集]

ゲーム[編集]

海外アニメ[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

関連項目[編集]

和田アキ子を演じた女優[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 官報 第13376号 法務省告示第百五十四号
  2. ^ a b c d e f g h 和田アキ子『5年目のハイヒール』、扶桑社、1993年。ISBN 4-594-01265-5
  3. ^ 当時、公開された映画ゴッドファーザーに由来。
  4. ^ 和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』、日本文芸社、1983年、37-38ページ。ISBN 4-537-00976-4
  5. ^ 1979年 - 1985年はヒット曲に恵まれず、紅白は落選となっていた(中村竜太郎、『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号 “実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”)。
  6. ^ 飯塚と、和田の2番目の弟である和田現夫が経営。
  7. ^ ただし再婚時の結婚パーティーに出席したり、再婚者・飯塚と3人で一緒に食事をしたり、毎年和田のディナーショーを企画をするなど、離婚後も良好な関係を保っている
  8. ^ 生野区東成区の境界付近。上町台地付近に位置している。
  9. ^ a b c d e f 和田アキ子『おとなの叱り方』、PHP研究所、2008年。ISBN 978-4-569-69625-6
  10. ^ a b 中村竜太郎、『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号 “実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”
  11. ^ a b c 和田アキ子『啓示』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5
  12. ^ 和田曰く「理不尽なまでのスパルタ式のしつけ」。
  13. ^ 読売テレビプロデューサー諏訪道彦がブログで、このメカに関しては和田の所属事務所から許諾を得たと述べている[1][2]
  14. ^ オマカセメカはytv・日テレ版『ヤッターマン』の2代目オープニング(第11話「ドロンジョ様はお年ごろだコロン!」以降より)にも数秒間登場している。
  15. ^ a b c d 和田アキ子著 鈴木おさむ構成『禁煙アッコ』、メディアファクトリー、2000年。ISBN 4-5401-0053-5
  16. ^ デイリースポーツ』2014年6月28日配信
  17. ^ 当時は未成年者の飲酒・喫煙に対しては寛容であったため問題発言とは見なさず、普通の芸能ニュースとして「スポニチテレビニュース」や週刊誌スポーツ新聞で紹介された。
  18. ^ 当時『アッコにおまかせ!』で、和田が禁煙に成功したら髪形を坊主にすると生島ヒロシが宣言し、禁煙が達成されたので坊主となった
  19. ^ 和田アキ子さんを悩ます冷え性を改善する方法とは 駆け込みドクター!”. from4050 (2013年12月8日). 2014年3月16日閲覧。
  20. ^ アッコ禁欲生活中! 5カ月前から禁煙していた - サンケイスポーツ2009年1月12日
  21. ^ “和田アキ子氏がCOPD広報大使に,“肺の健康チェック”啓発へ”. MT Pro. (2011年5月11日). オリジナル2014年3月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140315153406/http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1105/1105021.html 2014年3月15日閲覧。 
  22. ^ 大先輩に拍手をする会『「アッコ」に文句あっか!』本の森出版センター、1997年。ISBN 4-87693-333-2
  23. ^ TOKIO HOT100 2005年7月24日 GuestRoom、J-WAVE、2005年
  24. ^ ORICON STYLE 福原美穂『大先輩・和田アキ子とのコラボに迫る!』、オリコン、2011年
  25. ^ 和田アキ子『和田アキ子だ文句あっか!』日本文芸社、1983年、60ページ。ISBN 4-537-00976-4
  26. ^ 『デイリースポーツ』2014年6月28日配信
  27. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/7221360/
  28. ^ 産業能率大学 活動紹介 調査報告書一覧、学校法人産業能率大学]
  29. ^ 「荒れる「和田アキ子」紅白歌手を「締めてやりたい」」、『週刊新潮』第53巻第48号、新潮社、2008年12月18日、 48-49頁、20120327閲覧。
  30. ^ スポーツニッポン』2011年6月27日付
  31. ^ 『デイリースポーツ』2011年3月18日付
  32. ^ 「オリコンウィーク・ザ・一番」2000年1月3日・10日合併号より
  33. ^ B面「愛して」は浜田省吾作品(後に「愛を眠らせて」としてセルフカバー)で、和田も出演したABC系時代劇『翔べ! 必殺うらごろし』の主題歌
  34. ^ 2曲目:あの鐘を鳴らすのはあなた(40周年コンサート at the APOLLO THEATHERより)、3曲目:Tomorrow never knowsMr.Childrenのカバー)、4曲目:ff (フォルティシモ)サントリー新「ジョッキ生」CMヴァージョン。
  35. ^ きょうの料理 アッコのA定食「しょうゆバターチャーハン定食」 NHK
  36. ^ きょうの料理 アッコのA定食「ジャンボおむすび定食」 NHK

外部リンク[編集]