五木ひろし

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五木ひろし
基本情報
出生名 松山数夫
別名 松山まさる
一条英一
三谷謙
松山かずお(作曲時のペンネーム) 松園 明(特別公演、歌謡ショー、構成・演出)
出生 1948年3月14日(66歳)
出身地 日本の旗 日本福井県三方郡
血液型 A型
ジャンル 演歌
職業 歌手
作曲家
俳優
担当楽器
活動期間 1964年 - 現在
事務所 アップフロントプロモーション
公式サイト 五木ひろし公式ホームページ

五木 ひろし(いつき ひろし、本名:松山 数夫〈まつやま かずお〉、1948年3月14日- ) は、日本演歌歌手作曲家俳優。血液型はA型。2007年、紫綬褒章を受章した。京都府生まれ[1][2]福井県三方郡美浜町出身。所属事務所アップフロントプロモーション(旧:アップフロントエージェンシー)。レコード会社は、ファイブズ・エンタテインメント

経歴[編集]

生い立ち[編集]

父親は鉱山技師で鉱脈を追って家族で各地を転々とし京都府で生まれる[3][2]。幼稚園から小学校2年生までの3年間、三重県鳥羽市で暮らした[4]鳥羽市立加茂小学校に在籍していた頃から歌手になりたいと思っていたという[4]。その後福井県美浜町に移り、父親は鉱山技師を辞め、建築用石材を扱う会社を興す[2]。元・阪神川藤幸三美浜駅を挟んで同じ町内の出身[5]。少年時代に作曲家の上原げんと内弟子となり、松方弘樹らと共に歌を学ぶ。

1960年代[編集]

1964年、第15回コロムビア全国歌謡コンクールにて優勝。「歌うミスター平凡」(雑誌『平凡』主催)に選抜される。1965年6月、“松山まさる”を芸名として、コロムビアから「新宿駅から/信濃路の果て」でデビュー。シングルを計6枚発売するもヒットに至らず、1967年日本グラモフォンへ移籍。1967年4月、“一条英一”に改名して、ポリドール・レーベルから「俺を泣かせる夜の雨/流れ星(B面は愛田健二)」で再デビュー。シングルを計3枚発売するもヒットに至らず、1968年、プロダクションの倒産とともに契約を解除される[6]1969年、銀座で弾き語りをしているところを作曲家の遠藤実にスカウトされ、ミノルフォンと契約。12月、“三谷謙”に再び改名して、「雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌」で再デビューを果たすもヒットに至らず。

デビューしてから約5年間の間に2度も芸名を変更するなど不遇の時代を過ごす。

1970年代[編集]

1970年、故郷福井の放送局福井放送のプロデューサーの勧め[7]で、よみうりテレビ制作のオーディション番組『全日本歌謡選手権』に、歌手生命のすべてを賭けてミノルフォン専属のプロ歌手“三谷謙”として出場。第1週挑戦時には、「これで駄目なら、ふるさとの福井に帰って農業をやる」と覚悟のほどを語っているが、最終的には10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝く。これにより、レコード歌手として再デビューできる権利を獲得。同番組の審査員であった作詞家の山口洋子と、作曲家の平尾昌晃に師事。プロデューサーには山口が就任。芸能プロダクション(事務所)はキックボクシング・ジムであった野口プロモーション(社長:野口修)と契約を結び、同プロモーション所属の芸能人第1号となる。

1971年3月、新しい芸名を“五木ひろし”として、ミノルフォンから再デビューを果たす。苗字の「五木」は山口洋子が五木寛之から頂戴した。また、「いいツキひろおう」という意も入っている。再デビュー・シングルの「よこはま・たそがれ」で山口は単語の羅列ながらも女ごころを表現した詞を書き、平尾昌晃がそれにモダンでソフトな演歌調の曲を付けた。平尾にとって初めての演歌作品でもあった。マイクを左手で持ち、右手はを握り締め、腰をシェイクさせてリズムを採る独特の歌唱スタイルは、同じ野口プロモーションに所属していたキックボクサー沢村忠の“ファイティング・スタイル”からヒントを得たもので、物真似をされるほどに五木の代名詞として定着してゆく。五木は「“拳”は演歌の“コブシ(小節)”をかけている」と語っている。「よこはま・たそがれ」はオリコン・シングル・チャートで、最高位1位、登場週数46週、65万枚に迫る売上げを記録(以下、文中のチャート・データはすべてオリコン・シングル・チャートに基づく)。第2弾シングルのマドロス演歌「長崎から船に乗って」も最高位4位、登場週数28週、45万枚に迫る売上げを記録。この年、第4回日本レコードセールス大賞男性新人賞を受賞。また「よこはま・たそがれ」では第4回新宿音楽祭金賞、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞(初受賞)、第13回日本レコード大賞歌唱賞(初受賞)を受賞し、念願であったNHK紅白歌合戦第22回)への初出場も果たす。以降、2013年現在まで連続出場を継続中。

1972年、第3弾シングル「かもめ町みなと町」は前作同様にマドロス演歌ながらも、敢えて筒美京平を作曲に迎え、最高位11位、登場週数18週、15万枚を超える売上げを記録。第4弾シングルとして藤本卓也を作曲に迎えた「待っている女」は、ポップス演歌とプロモーションされ、最高位6位、登場週数22週、25万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回日本歌謡大賞放送音楽賞を2年連続2回目の受賞。ポップス演歌第2弾となる「夜汽車の女」は、前作の続編的性格を持ち、スマッシュ・ヒットに終わる。この曲で第14回日本レコード大賞歌唱賞を2年連続2回目の受賞。藤田まさとを作詞に迎えた股旅演歌「旅鴉」は、テレビ時代劇ドラマ『長谷川伸シリーズ主題歌として発売になったもので、テレビ歌謡番組などでは積極的に披露してはいないにも拘らず、最高位19位、登場週数32週、15万枚を超える売上げを記録。2作続いたポップス演歌から脱却し、年の暮れに発売になった「あなたの灯」は五木の持ち味が最大限に活かされたリズム演歌であり、翌1973年にかけて最高位5位、登場週数26週、30万枚を超える売上げを記録。ファンの裾野を拡げ、その後の方向性を決定づけた作品となる。

1973年には短い周期で「霧の出船」、「ふるさと」、「夜空」と立て続けに新曲が投入されたが、そのすべての作品をヒットさせるなど1年間を通じて活躍。「霧の出船」は最高位13位、登場週数23週、25万枚に迫る売上げを、「ふるさと」は最高位11位、登場週数43週、40万枚に迫る売上げを、「夜空」は最高位4位、登場週数31週、45万枚に迫る売上げをそれぞれ記録。叙情演歌の「ふるさと」はサビの部分を女性コーラスだけでレコードに吹き込んでいたが、テレビやステージなどでは五木が女性コーラスを従えて歌い、これを改善している。「狼のバラード」はテレビドラマの主題歌として発売になったものであり、テレビ歌謡番組などでは積極的に披露してはいない。ただし、そのB面に収録された「道」は、主力であったポップス演歌の「夜空」と並行してテレビ歌謡番組でも時折披露している。ほぼ毎日放送されていた歌謡番組は大半が生放送であったため、連日各放送局を掛け持ちで出演するなど多忙を極める。その都度、特徴的な“細い目”を司会者などから再三茶化されるが、それを軽妙に切り返して笑いを誘うなど、コミカルな部分をも持ち合わせていた。物真似番組にも数多く出演し、チャンピオンに度々選抜される。「ふるさと」で第4回日本歌謡大賞放送音楽賞を3年連続3回目の受賞、「夜空」で第15回日本レコード大賞を初受賞。以後毎年のように頂点をうかがえる位置につけるなど“賞レースの常連”となる。

1974年、「夜空」で第11回ゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞。バラード演歌「別れの鐘の音」は、最高位15位、登場週数18週、15万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回東京音楽祭国内大会ゴールデン・カナリー賞(初受賞)、世界大会外国審査員団賞(演歌系歌手としては初出場・初受賞)、第1回FNS歌謡祭'74音楽大賞上期最優秀視聴者賞(初受賞)を受賞。テレビやステージでは壮大感をより強調するため、サビの部分だけレコードに吹き込んだ時の歌い方をせずにロング・トーンで締めている。ステージでは締めくくりの曲としてたびたび使われている。五木はデビュー当初から古賀政男の「古賀メロディーを自分の持ち歌にしたい」と熱望していた。古賀がコロムビア専属作曲家であるという“レコード会社間の壁”に阻まれていたが、この年「浜昼顔」でようやく五木の熱意が実った。この曲は1936年7月ごろに藤山一郎に提供した「さらば青春」にリメイクを施し、1955年12月、青木光一に「都に花の散る夜は」として提供したものに再度リメイクを施し、詩人寺山修司が題と詞を付け直したものである。前述の「旅鴉」を除き、山口洋子以外のゲスト作詞家を迎え入れたのは自身ではこれが初めて。最高位5位、登場週数29週、40万枚に迫る売上げを記録。この曲で第5回日本歌謡大賞放送音楽賞を4年連続4回目の受賞。

「みれん」は最高位6位、登場週数22週、35万枚を超える売上げを記録。この曲で第2回FNS歌謡祭'74音楽大賞下期最優秀視聴者賞(2期連続2回目)、第2回FNS歌謡祭'74音楽大賞年間最優秀グランプリ(初受賞)、第16回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(初受賞)を受賞。第7回日本レコードセールス大賞LPゴールデン賞を受賞。日本レコード大賞と日本歌謡大賞とでその年の受賞曲が割れるという、同等規模のヒット曲を連発する歌手に特有の現象が1972年から3年連続して発生し、五木と関係者らを苦悩させる。

1975年、師匠である平尾昌晃から巣立ち、本格的に外部の作曲家の作品を歌い始める。森田公一を作曲に迎えたポップス演歌「哀恋記」は、最高位10位、登場週数16週、15万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回FNS歌謡祭'75音楽大賞上期最優秀視聴者賞を3期連続3回目の受賞。 代表作となった「千曲川」(後述)に次ぐ、猪俣公章の作曲による第2弾「ふたりの旅路」は、“五木ひろしが初めて取り組む本格演歌”と宣伝され、そのレコードにはジャケット(裏面に歌詞がある)のほか、山口洋子と猪俣の挨拶文を収めた小カードが追加挿入されるほどの力の入れようであった。最高位14位、登場週数22週、20万枚を超える売上げを記録。第1回日本演歌大賞を初受賞。

1976年、猪俣公章の作曲による第三弾「愛の始発」は、最高位10位、登場週数21週、25万枚を超える売上げを記録。この年の勝負作として投入した「北酒場」は、森進一「襟裳岬」のヒットに触発された形で“フォークの神様”と評価されていた岡林信康を作曲に迎え、五木が初めて取り組んだフォーク作品で、最高位13位、登場週数17週、15万枚を超える程度の売上げを記録する。「味の素」バラエティギフトのCMに出演。その契約金は当時、歴代最高額と云われている。「旅人」はCMソングとして発売されたものであり、ヒットさせることを目指した作品ではないため、テレビ歌謡番組等では積極的に披露してはいない。原点へ立ち返るとして、久々に平尾昌晃を作曲に起用した「どこへ帰る」は最高位16位、登場週数19週、15万枚を超える売上げを記録。ラスベガス公演をラスベガス・ヒルトンに於いて興行。「どこへ帰る」で第2回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを初受賞。第27回NHK紅白歌合戦では「愛の始発」で2年連続2回目となる白組トリを務める。

1977年、心情演歌「風の子守唄」を最後に、師匠である山口洋子から巣立ち、本格的に外部の作詞家の作品を歌い始める。その第一弾「灯りが欲しい」はこの年の勝負作と位置づけ、藤田まさとを作詞に迎える。これまで一貫して女ごころを歌ってきたのを一転、初めて男ごころを取り上げ、最高位14位、登場週数23週、20万枚を超える売上げを記録。第28回NHK紅白歌合戦では「灯りが欲しい」で3年連続3回目となる白組トリ、初めての大トリを務める。

1978年、ポップス演歌「潮どき」は、最高位17位、登場週数14週、10万枚を超える売上げを、「あしたも小雨」は、最高位16位、登場週数15週、15万枚に迫る売上げをそれぞれ記録。「熱愛」は本間千代子(表記:あたらしかずよ)を作詞に迎えた意欲作であり、且つこの年の勝負作であった割りには振るわず。「熱愛」で第20回日本レコード大賞古賀政男記念賞を受賞。尚、美空ひばりは受賞を辞退している。

1979年、独立を果たす。独立後第一弾「おまえとふたり」は、古賀政男の弟子でギタリストの木村好夫を作曲に迎える。不安を抱きながらの再出発となるが、折りからのカラオケブームに乗り、最高位3位、登場週数41週、90万枚を超える売上げを記録。最終的にはミリオン・セラーに至り、自身では最大のヒット曲となる。「おまえとふたり」で第21回日本レコード大賞金賞を初受賞。第30回NHK紅白歌合戦では「おまえとふたり」で4回目となる白組トリを務める。

1980年代[編集]

1980年、前年からの大ヒット作「おまえとふたり」に引き続き、「倖せさがして」が最高位4位、登場週数28週、50万枚に迫る売上げを、「ふたりの夜明け」が最高位10位、登場週数30週、35万枚を超える売上げをそれぞれ記録。 一年間を通じて活躍。第6回日本演歌大賞を2回目の受賞。第1回古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。第9回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀グランプリを2回目の受賞。第6回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを2回目の受賞。第11回日本歌謡大賞放送音楽賞を6回目の受賞。第22回日本レコード大賞金賞を2年連続2回目の受賞。第13回日本レコードセールス大賞シングルゴールデン賞を受賞。第31回NHK紅白歌合戦では「ふたりの夜明け」で2年連続5回目となる白組トリを務める。

1981年、「港・ひとり唄」は最高位21位、登場週数22週、20万枚に迫る売上げを記録。出身地である福井県の一市民・絽端久倫が作った詩に、新鋭の弦哲也を起用して曲を付けた企画もの旅情演歌「越前有情」が一定の評価を得たことから、この年の勝負作にも作曲を弦哲也で臨むことに踏み切る。 こうして誕生した「人生かくれんぼ」は最高位18位、登場週数33週、30万枚に迫る売上げを記録。後年、「越前有情」の歌碑が越前海岸国定公園の景勝地・呼鳥門の北側に建立される。「港・ひとり唄」で第10回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。「人生かくれんぼ」で第12回日本歌謡大賞放送音楽賞を2年連続7回目の受賞。第23回日本レコード大賞金賞を3年連続3回目の受賞。

1982年、「愛しつづけるボレロ」は最高位19位、登場週数19週、10万枚を超える売上げを記録。第1回メガロポリス歌謡祭演歌大賞を初受賞。「契り」は映画(東映系)「大日本帝国」の主題歌として自身では初めての映画タイアップ作品である。其の他、改名後では初めて自らが作曲を手懸けたシングル曲であること、非・演歌であること、売れっ子作詞家の阿久悠と初めてタッグを組み、最高位20位、登場週数30週、20万枚を超える売上げを記録。「居酒屋」は元々、五木のLPにソロで収録されていた曲であるが、同じミノルフォンに所属していた木の実ナナがそのカバー・シングルをデュエット企画で発売するにあたり、デュエット相手として五木が指名されたという経緯がある。 自身では初めてのデュエット・シングルであり、最高位29位、登場週数48週、20万枚に迫る売上げを記録。 現在でも、カラオケでは男女デュエット・ソングの定番として人気が高い。非公式シングルとして発表になった「恋の大阪」は、1998年11月、八島義郎セルフカバーしている。第8回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。「夢海峡」で第3回古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。「契り」で第15回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。「契り」で第11回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀歌唱賞を受賞「契り」で第8回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを3回目の受賞(歴代単独第1位)。「契り」で第13回日本歌謡大賞放送音楽賞を3年連続8回目の受賞。「契り」で第24回日本レコード大賞金賞を4年連続4回目の受賞。

1983年、「あなた」は自ら作曲を手懸け、最高位26位、登場週数21週、15万枚に迫る売上げを記録。谷崎潤一郎が著作した同名小説に材を得た文芸艶歌(つやうた)「細雪」は最高位9位、登場週数33週、45万枚に迫る売上げを記録。五木は後年、「艶歌は特に歌唱が難しい」と語っている。「細雪」で第12回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。「細雪」で第14回日本歌謡大賞優秀放送音楽賞を4年連続9回目の受賞。尚、優秀放送音楽賞は放送音楽賞が改称されたものである。「細雪」で第25回日本レコード大賞特別金賞を5年連続5回目の受賞。尚、この年のみ制定された特別金賞は、金賞と同格として取り扱われる。

1984年、4月、前述の「浜昼顔」と同様に、五木の熱意が実り、石本美由起がコロムビア専属作詞家であるという“レコード会社間の壁”を乗り越えて、旅情艶歌「長良川艶歌」が誕生。長良川の風物詩である鵜飼いを取り入れるなど、石本美由起が作詞家としての信条であるという“喚起力のある言葉”と“音感的に綺麗な言葉”が存分に活かされた作品に仕上がる。8月、大作映画(東宝系)「おはん」(原作:宇野千代/監督:市川昆/出演:吉永小百合石坂浩二大原麗子ミヤコ蝶々、他)の封切りに合わせ、同映画主題歌としてタイアップした艶歌「おはん」は、両A面扱いとしてヒット中の「長良川艶歌」のカップリングに収められ、装いも新たに再発売になる。「長良川艶歌/おはん」は最高位10位、登場週数47週、65万枚を超える売上げを記録。後年、「長良川艶歌」の歌碑が長良川畔の川灯台脇に建立される。「ふたりのラブソング」は都はるみとのデュエット企画のために五木が自ら作曲を手懸けており、“大物歌手同士のコンビ”などと話題を集める。第10回日本演歌大賞演歌名誉歌手賞を受賞。「長良川艶歌」で第13回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀グランプリを3回目の受賞(歴代単独第1位)。第15回日本歌謡大賞を受賞。第26回日本レコード大賞を2回目の受賞(歴代第2位)。

1985年、「そして…めぐり逢い」は最高位12位、登場週数38週、25万枚を超える売上げを記録。第4回メガロポリス歌謡祭演歌大賞を2回目の受賞。「第11回日本演歌大賞を3回目の受賞。第14回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第16回日本歌謡大賞優秀放送音楽賞を6年連続11回目の受賞(通算では歴代単独第1位、連続では沢田研二と並び歴代第1位)。第16回日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞を受賞。第27回日本レコード大賞金賞を7年連続7回目の受賞。

1986年、大阪を舞台とした浪花演歌「浪花盃」は最高位23位、登場週数36週、20万枚を超える売上げを記録。第12回日本テレビ音楽祭優秀賞受賞。「第15回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第28回日本レコード大賞金賞を8年連続8回目の受賞。ポップス「当日・消印・有効」は、テレビドラマ(テレビ朝日系)「私鉄沿線97分署」第3期主題歌として発売になったが、その目的(ドラマでは五木が歌っていることは伏せて、誰が歌っているかを当てる懸賞クイズにしていた)のためだけにグループ・サウンズのスリーピースバンドと組んで、ユニット“ブービーズ”を結成したことで話題を集める。レコード・ジャケットは、メンバー全員の両目の部分だけピックアップした写真がデザインされている。生演奏で一度だけ、テレビ歌謡番組(フジテレビ系)「夜のヒットスタジオ」で披露している。

1987年、アメリカ合衆国ニューヨーク公演をリンカーン・センターに於いて興行。大作バラード「追憶」は最高位12位、登場週数45週、30万枚を超える売上げを記録。「追憶」で第6回メガロポリス歌謡祭演歌大賞(男性部門)を3回目の受賞。第13回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。第8回古賀政男記念音楽大賞を受賞。第16回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第29回日本レコード大賞金賞を9年連続9回目の受賞。第38回NHK紅白歌合戦では「追憶」で6回目となる白組トリ、2回目となる大トリを務める。

1988年、「港の五番町」は、ムード歌謡を主に歌っていたコーラス・グループの原みつるとシャネル・ファイブが1972年9月に発売した作品であるが、これを復刻し(当時は“発掘”とプロモーションされた)、自身では初めてのカバー・シングルとして発売したところ、最高位12位、登場週数26週、20万枚に迫る売上げを記録。「港の五番町」で第14回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。第21回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。第17回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第30回日本レコード大賞金賞を10年連続10回目の受賞(通算・連続ともに歴代単独第1位)。第30回日本レコード大賞特別賞を初受賞(受賞理由(原文をそのまま掲載):昭和54年、「おまえとふたり」によって第21回日本レコード大賞「金賞」を受賞以来、「ふたりの夜明け」「人生かくれんぼ」「契り」「細雪」「長良川艶歌」「そして…めぐり逢い」「浪花盃」「追憶」そして本年度第30回の「港の五番町」と連続10回「金賞」を受賞するという偉業をなし遂げた。これは、優れた作品と、それをより生かす卓越した歌唱力との相乗効果の見事な結実であるとともに、その歌唱が10年間、大衆の大きな支持を獲得し続けたことを物語っている。)。

1989年、「面影の郷」は最高位29位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。5月、女優和由布子と結婚。披露宴の規模は5億円と云われ、当時芸能界最高額。当時40歳。「面影の郷」で第8回メガロポリス歌謡祭演歌大賞(男性部門)を4回目の受賞(歴代単独第1位)。結婚とこれまでの数々の受賞実績等を踏まえ、歌手としては一定の成果を収めることができたと判断。従前とは一線を画し、今後の活動方針について以下の趣旨を決意表明。

大賞に直結する各賞へのノミネートについては、後進に道を空けるため、以降辞退している。但し、大賞候補の対象とはならない部門賞は除く。今後はより熟成された作品を新曲として発表し、発売周期(サイクル)には拘らずにじっくり歌い込んでゆき、従来どおり“現役歌手”として自身のオリジナル・ヒットを生み出し続けるということを前提に、今後は音楽文化の継承、後進の指導と育成、地域社会への貢献などにも目を向ける。

フォークシンガーの永井龍雲を作曲に迎えた「暖簾」を発売後は、約一年間次の新曲を発売せずこの曲に専念し、最高位26位、登場週数20週、10万枚に迫る売上げを記録。演歌以外の様々なジャンルの音楽家にも出会い、歌の幅が拡がってゆく。6月、「美浜・五木マラソン大会」を出身地の福井県三方郡美浜町で初めて開催。「美浜・五木ひろしマラソン大会」に改称され、以降も現在まで連続開催(年1回不定日)を継続中。

1990年代[編集]

1990年船村徹を作曲に迎えた「心」は、北島三郎ばりの“正統派演歌”であり、最高位17位、登場週数26週、15万枚を超える売上げを記録。

1991年、「財団法人 国際親善協会」の設立をプロデュース。20周年ゴールド・シングルとして発売になった「おしどり」は長年連れ添う夫婦愛を描いた夫婦演歌であり、翌1992年(平成4年)にかけて最高位15位、登場週数42週、35万枚を超える売上げを記録。第33回日本レコード大賞特別賞を“「財団法人 国際親善協会」及びそのプロデューサー五木ひろし”として2回目の受賞。

1993年、「べにばな」は最高位19位、登場週数29週、30万枚に迫る売上げを記録。

1994年、浪花演歌「浪花物語」は中村美律子とのデュエット企画であり、ふたりの台詞が織り込まれる。「汽笛」は最高位24位、登場週数28週、25万枚を超える売上げを記録。第45回NHK紅白歌合戦では「汽笛」で7回目となる白組トリを務める。

1995年、自ら作曲を手懸けた「パパと遊ぼう」は、初めて童謡に挑戦した。「酒 尽々」は最高位22位、登場週数24週、20万枚に迫る売上げを記録。『五木ひろしベストコレクション'94 女ひとり』で第9回日本ゴールドディスク大賞アルバム賞演歌・男性部門を受賞。

1996年、再び永井龍雲を作曲に迎えた「女の酒場」は最高位33位、登場週数36週、10万枚を超える売上げを記録。『五木ひろし全曲集―酒 尽々』で第10回日本ゴールドディスク大賞アルバム賞演歌・男性部門を受賞。

1997年、第48回NHK紅白歌合戦では「千曲川」で8回目となる白組トリ、3回目となる大トリを務める。紅白歌合戦で出場した年より前に発売された曲を歌ったこと、再度同じ曲を歌ったことはいずれも、自身では初めてのことであるが、これは翌1998年の長野オリンピックへ向けての“賛歌”として、同地を舞台としたこの曲に白羽の矢が立てられたためである。

1998年、「千日草」は最高位42位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。「酒 ひとり」は最高位31位、登場週数22週、10万枚を超える売上げを記録。第40回日本レコード大賞美空ひばりメモリアル選奨を受賞(受賞理由:三十年余に亘り第一線の地位を確保してきた業績に対して)。第49回NHK紅白歌合戦では「酒ひとり」で2年連続9回目となる白組トリを務める。

1999年、「再り会い」は最高位31位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。

2000年代[編集]

2000年、「山河」は小椋佳堀内孝雄コンビにより中国を舞台とした大作に仕上がり、ミレニアム・シングルと銘打って発売になる。 中国楽器を採用し、スタンド・マイクを用いて歌唱した。前田有紀ハロー!プロジェクトに正式メンバーとして加入するなど、後進の育成にも尽力。ハロー!プロジェクトが堀内孝雄やつんく♂らと同じアップフロントエージェンシー(当時。現在は「アップフロントプロモーション」)に所属していたことから、以後、彼等との関係が深まる。第51回NHK紅白歌合戦では「山河」で10回目となる白組トリ、4回目となる大トリを務める。 その他、KIRINの商品[FIRE]でCM出演し、スティービー・ワンダーの同CM曲TO FEEL THE FIREの日本語版を歌っている。

2001年「おふくろの子守唄」は“母”をテーマに掲げた曲であり、つんく♂がプロデュースしたが、母の急死以後は喪に服するとしてこの曲の歌唱を封印。「逢いたかったぜ」はコロムビア時代の恩師である上原げんとが作曲、岡晴夫が歌い、1955年7月に発売になった同名ヒット曲をカバーしたものである。

2002年、自身のレコード会社「ファイブス・エンタテインメント」の設立を果たし、長年所属してきた徳間ジャパン・コミュニケーションズから移籍。メジャー・ディスリビューションはキングレコードが担当。ファイブス・エンタテインメント移籍シングル第一弾「傘ん中」は最高位21位、登場回数28回、10万枚に迫る売上げを記録。「愛のメリークリスマス」は堀内孝雄やハロー!プロジェクト(モーニング娘。など)とのデュエット企画であり、自身では初めてのクリスマスものである。「傘ん中」で第35回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。「愛のメリークリスマス」で第44回日本レコード大賞企画賞を受賞。第53回NHK紅白歌合戦では「おふくろの子守唄」で11回目となる白組トリ、5回目となる大トリを務める。「おふくろの子守唄」を歌唱することは封印していたが、このNHK紅白歌合戦で封印を解き、涙ながらに熱唱した。

2003年、「逢えて…横浜」は再デビュー曲「よこはま・たそがれ」以来となる横浜を題材にしたシティー・ポップスであり、最高位21位、登場回数37回、10万枚に迫る売上げを記録。9月、構成と演出を自らが手懸けた「ライブコンサート」を日生劇場で興行。

2004年、3月、第54回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を文化庁より受賞(受賞理由(原文をそのまま掲載):自身の構成、演出による「五木ひろしライブコンサート」(日生劇場、9月)において日本の歌謡界に多大な業績を残した古賀政男作品に取り組み、創唱者に敬意を表す一方、自身の個性や持ち味を発揮し存在を強く印象付けた。大衆歌謡を原点に、伝統の継承と現代性を追求し実践。常に意欲的であり、精力的な活動を続けている。)。「アカシア挽歌/雪燃えて」は芸能生活40周年記念シングルとして両A面扱いで発売になり、最高位16位、登場回数35回、10万枚に迫る売上げを記録。芸能生活40周年記念アルバム『おんなの絵本』は、演歌界を代表する十六人の作家陣が豪華にちりばめられている。第46回日本レコード大賞ベスト・アルバム賞を受賞。授賞式では「冬の盆」と「アカシア挽歌」を披露。第55回NHK紅白歌合戦では「雪燃えて」で12回目となる白組トリを務める。

2005年、「ふりむけば日本海」は芸名を頂戴した五木寛之と初めてコラボレーションした。最高位14位、登場回数52回、10万枚に迫る売上げを記録。CDの売上げが不振に喘いでいる演歌・歌謡界の中にあって、コンスタントに10万枚程度の売上げ実績を収める。5月、チャリティー・コンサートを熊本県南阿蘇村の野外劇場アスペクタで興行。構成と演出を自らが手懸けた「美しき日々コンサート」を日本各地で興行。地球の緑を次世代に継承するためのプロジェクト「Green Earth21」構想を計画し、実行委員長に就任。

2006年、京都の高瀬川を舞台に、自ら作曲を手懸けた艶歌「高瀬舟」は、最高位9位、登場回数44回、10万枚に迫る売上げを記録。 TOP10入りは「長良川艶歌/おはん」(1984/9/17付、最高位10位)以来、自身では21年7か月ぶり通算16作目で、初登場での達成は自身ではこれが初めて。 これまでの自身の最高順位は1976/2/19付「愛の始発」の15位で、歌手生活42年目で最高のスタートとなる。また、この21年7か月ぶりのTOP10入りという記録は「アーティスト別シングルTOP10入りインターバル記録」でカーペンターズの22年1か月ぶりに次いで歴代第2位。「アーティスト別シングルTOP10入りインターバル記録・邦楽アーティスト部門」では美空ひばりの「みだれ髪」の19年10か月を上回る歴代第1位の記録で、18年4か月ぶりに邦楽記録更新。「アーティスト別シングルTOP10入り高齢記録・邦楽アーティスト部門」では58歳で、小田和正に次いで歴代第2位。「高瀬舟」で第48回日本レコード大賞作曲賞を受賞。作曲家としても評価を得る。

2007年、2月、N響(NHK交響楽団)ポップスとのジョイント・コンサートを興行。流行歌手としてはこれが初めて。自身にとって永年の夢であった“演歌とクラシックの共演”を果たした。 3月、国立劇場公演を興行。歌手としてはこれが初めて。「ゆめかぜ」は最高位18位、登場回数37回を記録。 10月、 飛騨・美濃観光大使を委嘱。11月、紫綬褒章を受章。流行歌手としては島倉千代子以来のことである。第58回NHK紅白歌合戦では「契り」で13回目となる白組トリ、6回目となる大トリを務める。尚、「契り」は二度目の歌唱となるが、それは作詞家・阿久悠の追悼企画のためである。

2008年、アップフロントエージェンシー(当時)へ芸能プロダクション(マネジメント契約)を移籍。ラヴ・ソング「この愛に死んでも」は最高位24位、登場回数22回を記録。4か月連続で5枚のシングルを発表。その第一弾「橋場の渡し」は、“大江戸ロマン”をテーマに隅田川最古の渡しを描いたものであり、最高位19位を記録。「テネシーワルツ」はパティ・ペイジ(1950年米国)と江利チエミ(1952年1月発売)をカバーしたジャズ・ソング(アメリカン・ポップス)であり、自身では初めての外国作品であるとともに、初めて2か国語(英語/日本語)で交互に歌ったシングルとなる。「雪が降る」はアダモが自作自演(1963年)したシャンソンをカバー。

2010年代[編集]

2012年、愛媛県松山市の繁華街・二番町を舞台にした「夜明けのブルース」をリリース、松山うたこころ大使を委嘱。

2013年、博多ア・ラ・モードで第46回日本作詩大賞をレーモンド松屋(歌:五木ひろし)が受賞。

エピソード[編集]

「千曲川」[編集]

1975年の勝負作として投入された旅情演歌「千曲川」はもともと猪俣公章が春日はるみ(新人時代の川中美幸)の不振を打開するために用意した作品で、星野哲郎によってタイトル(「笛吹川夜曲」)も詞も既にでき上がっており、LPに収録された。 しかし、かねてより五木の“NHK紅白歌合戦での初トリと2回目の日本レコード大賞獲り”を願っていた山口洋子は、この三拍子のメロディーの美しさに惚れ、猪俣からこれを譲り受ける。 信濃川と名前を変え滔滔(とうとう)と日本海に注ぐ“日本一の大河”千曲川を詠った明治の文豪・島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に感銘を受けた山口は、これを「千曲川」に改題し、敢えて現地には赴かずに東京に居ながら現地の情景を憧憬にも似た想いで詞を練ったという。その際、演歌にありがちな愛や色恋や情の部分を廃した。 これらが功を奏し、最高位6位、登場週数42週、45万枚を超える売上げを記録、五木の代表作のひとつとなる。

この曲で第4回東京音楽祭国内大会ゴールデン・カナリー賞を2年連続2回目の受賞、世界大会へ2年連続2回目の出場。また、第4回FNS歌謡祭'75音楽大賞下期最優秀視聴者賞(4期連続4回目)、第1回日本テレビ音楽祭グランプリ、第6回日本歌謡大賞放送音楽賞(5年連続5回目)、第6回日本歌謡大賞放送音楽特別連盟賞(受賞理由:5年連続での放送音楽賞受賞に対して)、第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(2年連続2回目。通算・連続ともに歴代第1位)をそれぞれ受賞。初めての白組トリを務めた第26回NHK紅白歌合戦でも歌われた。

五木はこの曲について「音域が意外に広く、迂闊には歌えない難しい曲」と語っている。 山口は近年「(自身の作品の中で)今でも“千曲川”が一番好きです」と述懐している。 後年、この歌長野県戸倉上山田温泉・萬葉公園内の千曲川を臨むことのできる位置に建立される。

夜のヒットスタジオでのエピソード[編集]

フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」の初出演は1971年6月21日放送。出世作となる「よこはま・たそがれ」での初登場であった。以後、番組晩期の1990年1月10日放送まで、長らく準レギュラー格としてコンスタントに出演回数を積み重ね、歴代1位となる222回出演という驚異的な記録を残した。「ミスター夜ヒット」の代表格として、番組にも数多くの名シーンを残した。

  • 人気コーナー「ご対面」でかつて公私共に世話になった2人の恩人とヒット歌手の仲間入りを果たした後で初めて対面し、感激のあまり号泣。「浜昼顔」をこの恩師2人が手前で座り見守るなか熱唱した(1974年8月19日放送)。
  • 1回目のマンスリー担当時、1983年のヒット曲「細雪」を大量の紙吹雪が舞う中で、朝丘雪路の舞踊にあわせ披露した(1985年10月23日放送)。
  • 2回目のマンスリー担当時、覆面バンド「ブービーズ」の一員として番組に登場し「当日・消印・有効」などを演奏。このほか「長良川艶歌」の際には、琴や三味線にも挑戦するなど、多芸ぶりをアピールした(1986年10月15日放送)。
  • 女優・和由布子との結婚披露宴終了後、番組ラストに駆けつけ、夫人や友人が見守る中で、「絆」を熱唱した(1989年5月31日放送。ちなみに五木・和の結婚披露宴の中継を担当したのは夜ヒットの製作・放送局であるフジテレビである)。

その他[編集]

  • 美空ひばりに大変可愛がられ、「五木ひろしが男で(“男に生まれてきて”という意)よかった!」と言わしめるほどに評価していた。
  • 演歌のみに留まらず、歌謡曲、バラード、R&B、ポップス、フォーク、ニューミュージッククラシカル、ジャズ、シャンソン、カンツォーネロックラテン民謡、童謡などあらゆるジャンルの作品を歌いこなしてきた。
  • 今日まで滞ることなくコンスタントにオリジナル・ヒットを生み出し続けてきた。還暦を迎えているが、改名前の不遇時代を除き、極端にスランプと思われる時期は見当たらない。
  • 2008年3月13日(還暦を迎える前日)、五木は思い出深い曲として自身の年代毎に、20代では「夜空」、30代では「おまえとふたり」、40代では「暖簾」、50代では「ふりむけば日本海」を挙げた。
  • 古賀メロディーをはじめ、歌い継がれてきた数々の楽曲を《次代に受け継ぐ》という大きな使命も担い、それを果たしてきた。
  • 海外公演やオーケストラとの共演など新しい試みにも果敢に挑戦、《後進への指標》ともなるべく率先垂範をしてきた。
  • ショーやリサイタル、コンサート等の公演チケット価格(クリスマス・ディナーショー2011年実績:¥50,000.-)は例年、最高峰を誇る。
  • 小学館発行の雑誌、女性セブン1974年6月26日号ではセミヌード撮影に臨んだ。
  • プロ野球読売ジャイアンツファンである。
  • 敦賀ヨーロッパ軒には学生時代から通い詰めるほど贔屓にしており、店内に写真パネルがある[8]他、新譜リリースの際はポスターも貼られている。

ディスコグラフィ[編集]

※1970年代以降はA面扱いの作品のみ掲載。※“五木ひろし”以外の名義で発売になったものは作品毎に併記。

1960年代[編集]

1965年(昭和40年)
  • 新宿駅から/信濃路の果て(“松山まさる”名義、作詞:古野哲也、作曲:上原げんと)6月発売
  • しばてん踊り(“松山まさる”名義)6月発売
  • 恋の船頭さん/さよならてるてる坊主(“松山まさる”名義、作詞:丘灯至夫、作曲:上原げんと)8月発売
  • 母と子の道/恋の長崎(“松山まさる”名義、作詞:西沢爽、作曲:上原げんと)11月発売
1966年(昭和41年)
  • お月見おどり(“松山まさる”名義)2月発売
  • 働きながら学ぶ友/空手小僧(“松山まさる”名義、作詞:白鳥朝詠、作曲:市川昭介)3月発売
1967年(昭和42年)
  • 俺を泣かせる夜の雨(“一条英一”名義、作詞:白鳥朝詠、作曲:松山まさる)4月発売
  • 俺のキッスは嘘じゃない/今夜の俺は燃えてるぜ(“一条英一”名義、作詞:白鳥朝詠、作曲:池よしを)8月発売
1968年(昭和43年)
  • 波止場のマリー/夜が憎い(“一条英一”名義、作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行)5月発売
1969年(昭和44年)
  • 雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌(“三谷謙”名義、作詞:北五郎、作曲:遠藤実)12月発売

1970年代[編集]

1971年(昭和46年)
1972年(昭和47年)
1973年(昭和48年)
  • 霧の出船(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)3月25日発売
  • ふるさと(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)7月15日発売
  • 狼のバラード(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)10月5日発売
  • 夜空(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)10月20日発売
1974年(昭和49年)
1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
1977年(昭和52年)
1978年(昭和53年)
1979年(昭和54年)

1980年代[編集]

1980年(昭和55年)
1981年(昭和56年)
  • 港・ひとり唄(作詞:喜多条忠、作曲:平尾昌晃)3月25日発売
  • 越前有情(作詞:絽端久倫、作曲:弦哲也)7月5日発売
  • 人生かくれんぼ(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也)8月5日発売
1982年(昭和57年)
  • 愛しつづけるボレロ(作詞:阿久悠、作曲:筒美京平)3月14日発売
  • 流れのままに(作詞:安麻呂、作曲:五木ひろし)3月25日発売
  • 契り(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし)7月1日発売
  • 居酒屋(“木の実ナナ&五木ひろし”名義、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)10月25日発売
  • 恋の大阪(作詞・作曲:八島義郎)※非公式シングル(商品番号:NCP-1002)
1983年(昭和58年)
  • あなた(作詞:安麻呂、作曲:五木ひろし)1月1日発売
  • 雨あがり(作詞:荒木とよひさ、作曲:桜田誠一)6月1日発売
  • 細雪(作詞:吉岡治、作曲:市川昭介)9月1日発売
1984年(昭和59年)
川灯台のたもとにある「長良川艶歌」の歌碑。
岐阜県岐阜市
  • 科学万博音頭(作詞:宮本和夫、作曲:宮本英一)3月17日発売
  • 長良川艶歌(作詞:石本美由起、作曲:岡千秋)/おはん(作詞:たかたかし、作曲:岡千秋)4月21日発売(「おはん」は、8月25日より両A面扱いのB面として収録)
  • デュオ しのび逢い(“マリエ&五木ひろし”名義、作詞:たかたかし、作曲:五木ひろし)11月5日発売
  • ふたりのラブソング(“都はるみ&五木ひろし”名義、作詞:吉岡治、作曲:五木ひろし)12月21日発売
1985年(昭和60年)
1986年(昭和61年)
  • 当日・消印・有効(“ブービーズ”名義、作詞:三浦徳子、作曲:小杉保夫)4月25日発売
  • 浪花盃(作詞:石本美由起、作曲:市川昭介)6月25日発売
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
  • それは…黄昏(作詞:荒木とよひさ、作曲:杉本真人)3月17日発売
  • ふりふり(“叶和貴子&五木ひろし”名義、作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)3月17日発売
  • 港の五番町(作詞:阿久悠、作曲:彩木雅夫)8月22日発売
  • 絆(きずな)(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし)12月1日発売
1989年(昭和64年/平成元年)
  • 面影の郷(さと)(作詞:山口洋子、作曲:猪俣公章)4月25日発売
  • フラワー&グリーン 花の輪音頭(作詞:三木務/石本美由起、作曲:遠藤実)4月25日発売
  • 暖簾(作詞・作曲:永井龍雲)9月13日発売
  • 二枚目酒(居酒屋パートII)(“田中好子&五木ひろし”名義、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)10月25日発売

1990年代[編集]

1990年(平成2年)
  • 暖簾~ニューバージョン(作詞・作曲:永井龍雲)4月21日発売
  • 心(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)8月22日発売
1991年(平成3年)
  • 母人よ(作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)2月25日発売
  • 時が過ぎれば…(作詞:大津あきら、作曲:浜圭介)5月1日発売
  • おしどり(作詞:石坂まさを、作曲:弦哲也)10月1日発売
1992年(平成4年)
  • 杯に歌のせて(作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)1月25日発売
  • 愛別(作詞:石坂まさを、作曲:五木ひろし)6月25日発売
  • 終着駅(作詞:松本隆、作曲:玉置浩二)10月23日発売
1993年(平成5年)
  • 悠久の男(作詞:JIJI、作曲:五木ひろし)4月5日発売(商品番号:TKSI-20292、ベスト・カップリングシリーズ)
  • べにばな(作詞:石坂まさを、作曲:弦哲也)8月1日発売
1994年(平成6年)
  • 涙でもかまわない(作詞:松井五郎、作曲:松田博幸)2月9日発売
  • 浪花物語(“五木ひろし&中村美律子”名義、作詞:もず唱平、作曲:岡千秋)4月25日発売
  • 女・ひとり(作詞:荒木とよひさ、作曲:五木ひろし)6月12日発売
  • 汽笛(作詞:木下龍太郎、作曲:伊藤雪彦)10月5日発売
1995年(平成7年)
  • パパとあそぼう(作詞:高田ひろお、作曲:五木ひろし)2月8日発売
  • 愛のバラードを…となりで(作詞:荒木とよひさ、作曲:五木ひろし)6月10日発売
  • 素浪人の唄(作詞:迫間健、作曲:五木ひろし)7月20日発売
  • 酒 尽尽(作詞:能吉利人、作曲:桜井順)8月25日発売
1996年(平成8年)
  • 由良川慕情(作詞:もず唱平、作曲:五木ひろし)1月1日発売
  • 女の酒場(作詞・作曲:永井龍雲)4月21日発売
  • 粋な男(ひと)~藤山寛美追悼歌~(作詞:もず唱平、作曲:五木ひろし)5月1日発売
  • デュオ 時の流れに身をまかせ(“五木ひろし&テレサ・テン”名義、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)11月5日発売
1997年(平成9年)
  • 出発(たびだち)の朝(作詞:吉本哲雄、作曲:五木ひろし)1月1日発売
  • 罪と罰(作詞:岡田冨美子、作曲:浜圭介)2月18日発売
  • 紫陽花(あじさい)(作詞:松本礼児、作曲:幸耕平)5月19日発売
  • 雑草(作詞:松井五郎、作曲:永井龍雲)11月4日発売
1998年(平成10年)
  • そして…花送り(作詞:吉本哲雄、作曲:五木ひろし)2月25日発売
  • 千日草(作詞:水木れいじ、作曲:上総優)3月14日発売
  • 傷だらけの人生(作詞:藤田まさと、作曲:吉田正)6月24日発売 (鶴田浩二のカバー)
  • 北のともしび(“五木ひろし&天童よしみ”名義、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)7月23日発売(商品番号:TKSI-20582)
  • 北のともしび(“天童よしみ&五木ひろし”名義、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)7月23日発売(商品番号:TESA-424)
  • 酒ひとり(作詞:土田有紀、作曲:岡千秋)9月22日発売
  • 流れ星(作詞:荒木とよひさ、作曲:五木ひろし)10月1日発売
1999年(平成11年)
  • 萩の花郷(さと)(作詞:水木れいじ、作曲:五木ひろし)1月21日発売
  • 再(めぐ)り会い(作詞:悠木圭子、作曲:鈴木淳)4月28日発売

2000年代[編集]

2000年(平成12年)
  • 京都恋歌(作詞:高林こうこ、作曲:田尾将実)1月21日発売
  • 山河(作詞:小椋佳、作曲:堀内孝雄)4月26日発売
  • 風雪(かぜ)に吹かれて聞こえる唄は…(作詞:吉本哲雄、作曲:五木ひろし)11月10日発売
2001年(平成13年)
  • おふくろの子守唄/ダブルベッド(作詞・作曲:つんく)4月11日発売
  • 浮浪雲(作詞:ジョージ秋山、作曲:五木ひろし)7月1日発売
  • 逢いたかったぜ(作詞:石本美由起、作曲:上原げんと)8月8日発売
2002年(平成14年)
  • 渚の女(ニューヴァージョン)(作詞:山口洋子、作曲:五木ひろし)1月13日発売
  • 傘ん中(作詞:阿久悠、作曲:船村徹)6月26日発売
  • 愛のメリークリスマス(“五木・孝雄+ハロー!プロジェクト聖歌隊。”名義、作詞:阿久悠、作曲:船村徹)11月27日発売 (シングルは8cmと12cmの2種類が存在する)
2003年(平成15年)
  • 北物語(作詞:阿久悠、作曲:船村徹)1月22日発売
  • 望郷の詩(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし)5月31日発売
  • 逢えて…横浜(作詞:悠木圭子、作曲:鈴木淳)8月27日発売
2004年(平成16年)
  • アカシア挽歌/雪燃えて(作詞:荒木とよひさ、作曲:弦哲也)6月2日発売 (この曲より12cmシングル)
2005年(平成17年)
  • ふりむけば日本海(作詞:五木寛之、作曲:五木ひろし)3月13日発売
  • ふたりで竜馬をやろうじゃないか(“堀内孝雄 with 五木ひろし”名義、作詞:荒木とよひさ、作曲:杉本真人)4月20日発売
2006年(平成18年)
  • 高瀬舟(作詞:水木れいじ、作曲:五木ひろし)4月19日発売
  • 献身(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし)12月6日発売
2007年(平成19年)
  • ゆめかぜ(作詞:石坂まさを、作曲:弦哲也)5月9日発売
2008年(平成20年)
  • この愛に死んでも(作詞:荒木とよひさ、作曲:五木ひろし)2月6日発売
  • ふるさと ~'08バージョン~(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)3月5日発売
  • 橋場の渡し(作詞:喜多条忠、作曲:弦哲也)8月27日発売
  • テネシーワルツ(日本語詞:和田寿三、作詞:Pee Wee King/Redd Stewart、作曲:Pee Wee)9月24日発売 ※江利チエミが歌ったもののカバー。
  • 江戸の手毬唄(作詞:吉岡治、作曲:宇崎竜童)10月22日発売
  • 凍て鶴(作詞:喜多条忠、作曲:三木たかし)11月19日発売
  • 雪が降る(作詞:安井かずみ、作曲:salvatore Adamo)11月26日発売 ※越路吹雪が歌ったもののカバー。
2009年(平成21年)
  • 紅い花 (作詞:松原史明 作曲:杉本眞人) 5月13日 ※ちあきなおみの楽曲のカバーであり、1974年のシングルとは同名異曲。

2010年代[編集]

2010年(平成22年)
  • おしろい花 (作詞:たかたかし 作曲:木村好夫 ) CW/ おんなの街角 (作詞:水木れいじ 作曲:五木ひろし) 2月3日
  • おしろい花 (作詞:たかたかし 作曲:木村好夫 ) CW/ 雪見酒 (作詞:石本美由起 作曲:岡千秋) 8月25日
2011年(平成23年)
  • 月物語 (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし) CW/ トワイライト ブルー (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし) 3月23日
  • 街 (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし) CW/ 花は生き方を迷わない (作詞:中島薫DCA 作曲:五木ひろし) 7月27日
  • ふたつ星 (作詞:松井五郎 作曲:弦哲也) CW/ 冬の唄 (作詞:阿久悠 作曲:五木ひろし) 10月26日
2012年(平成24年)
  • 冬の唄 (作詞:阿久悠 作曲:五木ひろし) CW/ ふたつ星 (作詞:松井五郎 作曲:弦哲也) 1月25日再発売
  • 夜明けのブルース (作詞・作曲:レーモンド松屋) CW/ 芙美子 (作詞・作曲:レーモンド松屋) 4月25日
2013年(平成25年)
  • 博多ア・ラ・モード(作詞・作曲:レーモンド松屋) CW/ であい橋(作詞:鮫島琉星 作曲:五木ひろし) 4月24日
  • 博多ア・ラ・モード(作詞・作曲:レーモンド松屋) CW/ 伊豆の国(作詞:荒木とよひさ 作曲:南郷孝) 8月7日
2014年(平成26年)
  • 桜貝(作詞:水木れいじ 作曲:弦哲也) CW/ 東京ロマンス(作詞・作曲:レーモンド松屋)3月19日

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

1971年(第22回)に「よこはま・たそがれ」で初出場を果たして以来、2013年(第64回)迄連続出場を継続中である。

  • 通算出場回数:43回(北島三郎、森進一に次ぎ、歴代単独第3位)
  • 連続出場回数:43回(森進一に次ぎ、歴代単独第2位)
  • 通算出場曲数:38曲(歴代単独第1位)
  • 通算トリ回数:13回(美空ひばり、北島三郎と並び、歴代第1位)
  • 連続トリ回数:3回(美空ひばりに次ぎ、島倉千代子、森進一、SMAPと並び、歴代第2位)
  • 通算大トリ回数:6回(美空ひばり、北島三郎に次ぎ、歴代単独第3位)
  • 出場年オリジナル・シングル発売曲通算歌唱回数:36回(歴代単独第1位)
年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1971年(昭和46年)/第22回 よこはま・たそがれ 07/25 青江三奈(1)
1972年(昭和47年)/第23回 2 待っている女 21/23 青江三奈(2)
1973年(昭和48年)/第24回 3 ふるさと 18/22 ちあきなおみ
1974年(昭和49年)/第25回 4 浜昼顔 19/25 八代亜紀(1)
1975年(昭和50年)/第26回 5 千曲川 24/24 島倉千代子 トリ(1)
1976年(昭和51年)/第27回 6 愛の始発 24/24 都はるみ(1) トリ(2)
1977年(昭和52年)/第28回 7 灯りがほしい 24/24 八代亜紀(2) 大トリ(3)
1978年(昭和53年)/第29回 8 熱愛 18/24 八代亜紀(3)
1979年(昭和54年)/第30回 9 おまえとふたり 23/23 八代亜紀(4) トリ(4)
1980年(昭和55年)/第31回 10 ふたりの夜明け 23/23 八代亜紀(5) トリ(5)
1981年(昭和56年)/第32回 11 人生かくれんぼ 21/22 八代亜紀(6) トリ前(1)
1982年(昭和57年)/第33回 12 契り 21/22 八代亜紀(7) トリ前(2)
1983年(昭和58年)/第34回 13 細雪 19/21 森昌子
1984年(昭和59年)/第35回 14 長良川艶歌 19/20 小林幸子(1) トリ前(3)
1985年(昭和60年)/第36回 15 そして…めぐり逢い 19/20 小林幸子(2) トリ前(4)
1986年(昭和61年)/第37回 16 浪花盃 19/20 小林幸子(3) トリ前(5)
1987年(昭和62年)/第38回 17 追憶 20/20 和田アキ子(1) 大トリ(6)
1988年(昭和63年)/第39回 18 港の五番町 19/21 石川さゆり(1)
1989年(平成元年)/第40回 19 暖簾 16/20 パティ・キム
1990年(平成2年)/第41回 20 26/29 桂銀淑
1991年(平成3年)/第42回 21 おしどり 26/28 坂本冬美(1)
1992年(平成4年)/第43回 22 終着駅 25/28 坂本冬美(2)
1993年(平成5年)/第44回 23 べにばな 23/26 坂本冬美(3)
1994年(平成6年)/第45回 24 汽笛 25/25 都はるみ(2) トリ(7)
1995年(平成7年)/第46回 25 酒 尽々 22/25 坂本冬美(4)
1996年(平成8年)/第47回 26 女の酒場 24/25 伍代夏子 トリ前(6)
1997年(平成9年)/第48回 27 千曲川(2回目) 25/25 安室奈美恵 大トリ(8)
1998年(平成10年)/第49回 28 酒ひとり 25/25 和田アキ子(2) トリ(9)
1999年(平成11年)/第50回 29 夜空 26/27 天童よしみ(1) トリ前(7)
2000年(平成12年)/第51回 30 山河 28/28 天童よしみ(2) 大トリ(10)
2001年(平成13年)/第52回 31 逢いたかったぜ 26/27 天童よしみ(3) トリ前(8)
2002年(平成14年)/第53回 32 おふくろの子守唄 27/27 石川さゆり(2) 大トリ(11)
2003年(平成15年)/第54回 33 逢えて…横浜 27/30 和田アキ子(3)
2004年(平成16年)/第55回 34 雪燃えて 28/28 小林幸子(4) トリ(12)
2005年(平成17年)/第56回 35 ふりむけば日本海 26/29 DREAMS COME TRUE
2006年(平成18年)/第57回 36 高瀬舟 25/27 倖田來未(1)
2007年(平成19年)/第58回 37 契り(2回目) 27/27 石川さゆり(3) 大トリ(13)
2008年(平成20年)/第59回 38 凍て鶴 17/26 倖田來未(2)
2009年(平成21年)/第60回 39 凍て鶴(2回目) 16/25 水森かおり
2010年(平成22年)/第61回 40 おしろい花 15/22 倖田來未(3)
2011年(平成23年)/第62回 41 ふるさと(2回目) 20/25 いきものがかり
2012年(平成24年)/第63回 42 夜明けのブルース 16/25 きゃりーぱみゅぱみゅ
2013年(平成25年)/第64回 43 博多ア・ラ・モード 19/26 Perfume
  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

音楽番組(司会)[編集]

  • 日本の名曲 人生、歌がある(2013年7月6日、BS朝日、単発) - 伍代夏子とともに司会
  • 日本の名曲 人生、歌がある(2013年10月2日 - 、BS朝日、レギュラー放送)

ドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

記録[編集]

日本レコード大賞受賞記録[編集]

通算受賞記録[編集]

  • 大賞:2回(浜崎あゆみEXILEの3回に次ぎ、橋幸夫細川たかし中森明菜安室奈美恵Mr.Childrenと並んで歴代第2位)
  • 最優秀歌唱賞:3回(歴代単独第1位)
  • 歌唱賞:5回(歴代単独第1位)
  • 金賞:10回(歴代単独第1位)※歌唱賞廃止後に新設された。
  • 作曲賞:1回 ※自身の作曲に対して。
  • ベスト・アルバム賞:1回
  • 企画賞:1回
  • 特別賞:2回
  • 古賀政男記念賞:1回
  • 美空ひばりメモリアル選奨:1回

連続受賞記録[編集]

  • 最優秀歌唱賞:2回(八代亜紀と並び、歴代第1位)
  • 歌唱賞:5回(歴代単独第1位)
  • 金賞:10回(歴代単独第1位)※歌唱賞廃止後に新設された。

オリコン・シングル・チャート記録[編集]

※シングル・チャートに基づく(演歌チャートではない)。

  • アーティスト・シングル・トータル・セールス:歴代単独第13位(B'zに追い抜かれる迄は歴代単独第1位、男性ソロ部門では未だに単独1位をキープしている)
  • TOP100チャートイン作品数:歴代単独第1位
  • TOP100総登場週数:歴代単独第1位

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『「家」の履歴書 このヒトはどんなイエに住んできたか』 1996年 文藝春秋 291、322頁
  2. ^ a b c 週刊現代2011年8月20日、27日号、86頁(講談社)
  3. ^ 『「家」の履歴書 』 、291頁
  4. ^ a b 林一茂"五木ひろしさん:母校に 鳥羽時代を公表、加茂小の新校舎完成式 児童「偉大な先輩誇りです」/三重"<ウェブ魚拓>毎日新聞2013年3月22日付三重版(2013年3月28日閲覧。)
  5. ^ 『「家」の履歴書』、322頁
  6. ^ ドキュメント五木ひろし 限りなき飛翔 大下英治作
  7. ^ 1971年6月よこはまたそがれ改名4度五木ひろし起死回生の「4・4・7」、スポニチ2011年6月20日
  8. ^ 敦賀ヨーロッパ軒海のホテルひろせ公式ブログ

外部リンク[編集]