石本美由起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
石本 美由起
基本情報
出生名 石本 美幸
出生 1924年2月3日
出身地 日本の旗 日本 広島県大竹市
死没 2009年5月27日(満85歳没)
ジャンル 演歌
職業 作詞家
活動期間 1948年 - 2009年
共同作業者 江口夜詩上原げんと古賀政男船村徹市川昭介 ほか
影響 北原白秋ゲーテ

石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年2月3日 - 2009年5月27日 )は、広島県大竹市出身の作詞家。本名は美幸。

目次

[編集] 来歴・人物

幼少から喘息を患い、家に閉じこもるような生活を送る。生家は宮島江田島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所に建ち、幾分救われる。そばにある文学は全て読んだが、なかでも北原白秋ゲーテを読みふけった。1944年海軍大竹海兵団に入隊するが、すぐ体調を崩して病院に入る。慰問に来た東海林太郎の歌声に兵士たちが瞳を輝かせるのを見て、歌の魅力を知った[1]

戦後、作詞を始め、高橋掬太郎が主宰する歌謡同人誌、「歌謡文芸」に投稿を始める。夢中になった白秋の詩『思い出』の中の一篇「ザボンのかげ」からインスピィレーションを得て「長崎のザボン売り」という詩を書き、同人誌に投稿すると、作曲家江口夜詩の目にとまり、1948年小畑実の歌でレコード発売され大ヒットした。1950年暮れ、東京に住まいを移し、キングレコードの専属となって作詞家としてのスタートを切る。

1951年、作曲家上原げんとに見込まれ共にコロムビアレコードに移ったことで、上原をはじめ古賀政男船村徹市川昭介らの作曲家とコンビを組み、美空ひばり島倉千代子都はるみらの楽曲を手がける。特に美空ひばりには、大ヒットとなる「ひばりのマドロスさん」、「港町十三番地」、「哀愁波止場」、「悲しい酒」、「人生一路」などの詞を提供し、ひばり伝説の一翼を担った。美空ひばりには約200作を提供。他に遠藤実らとこまどり姉妹のデビュー「浅草姉妹」等も手がけている。

総作詞作品は3500曲以上にも及び、作詞界の大御所的存在で、他の代表曲には、故郷の窓から遠い空を想い続けた少年の日を思い出して書いたという「憧れのハワイ航路」や「薔薇を召しませ」、「陽気なハーモニカ娘」、「こんなアベック見たことない」、「渡り鳥いつ帰る」、「逢いたかったぜ」、「東京の人さようなら」、「逢いたいなァあの人に」、「浅草姉妹」、「ソーラン渡り鳥」、「十国峠の白い花」、「おんなの海峡」、「大ちゃん数え歌」(アニメ「いなかっぺ大将」主題歌)、「長良川艶歌」(日本レコード大賞)、「矢切の渡し」(日本レコード大賞)、「河内おとこ節」などがある。「長良川艶歌」、「矢切の渡し」は2年連続の日本レコード大賞受賞だった。

この他、玖波小学校校歌瀬野川中学校校歌、八本松中学校校歌、「四谷大塚進学教室の歌」、広島東洋カープ応援歌燃える赤ヘル僕らのカープ」、株式会社第一興商社歌「明日をつくる」等も手がけている。


晩年は糖尿病に悩まされた。2009年5月27日午前零時50分、病気のため横浜市内の病院にて逝去。85歳没。法名は「慧楽院釋醇美」。

[編集] 新歌謡界

作詞家を志す後進の育成を目的として歌謡同人誌「新歌謡界」を主宰した。1952年6月23日発行の創刊号から1982年8月20日発行の第171号で廃刊となるまで、満30年に及ぶ長きに渡っての活動であった。 ここから星野哲郎松井由利夫八反ふじをたなかゆきをらを初めとする多くの優れた才能が世に輩出されている。[2]

[編集] 要職

日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長、、日本音楽作家協会理事長、日本作詞家協会会長、日本音楽作家団体協議会副会長などを歴任し、広く後進の指導にもあたった。

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 参考文献

  • 奥山弘「艶歌の竜」と歌謡群像、1995年、三一書房

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス