日本レコード大賞

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本レコード大賞
受賞対象 優れた楽曲・新人歌手
主催者 日本作曲家協会
Flag of Japan.svg 日本
初回 1959年12月27日
輝く!日本レコード大賞
THE JAPAN RECORD AWARD
Shinkokuritsugekujyo.jpg
「日本レコード大賞」の発表会は2004年から
新国立劇場・中劇場で開かれている。
(写真は外観)
ジャンル 音楽番組 / 特別番組
放送時間 毎年12月30日18:30 - 22:30
(240分)
放送期間 1959年12月17日 - 現在(51回)
放送国 Flag of Japan.svg 日本
制作局 TBS(旧:KRテレビ)
(日本レコード大賞後援)
監督 高田惰(舞台監督)
演出 木田将也(総合演出)
プロデューサー 落合芳行服部英司篠塚純櫟本憲勝
出演者 歴代授賞式司会者と視聴率を参照
音声 ステレオ放送1983年(第25回) - )
エンディング 日本レコード大賞受賞者による日本レコード大賞受賞楽曲演奏
外部リンク 第51回輝く!レコード大賞

特記事項:
TBSラジオ (JRN) でも同時放送される。
第10回1968年)まで放送日及び開催日は不定期。第11回1969年)から第47回2005年)まで毎年12月31日大晦日)の放送(開催)。
放送時間、スタッフは2009年第51回)現在。

日本レコード大賞(にほんレコードたいしょう)とは1959年に始まった日本で最も有名な音楽に関する賞である。略称は「レコ大」(レコたい)。英語表記は「THE JAPAN RECORD AWARD」(ザ・ジャパン・レコード・アワード)。

主催は社団法人日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会、後援はTBS(旧:KRテレビ)である。

日本に於ける商業音楽の音楽賞としては最高の権威がある。なお歌手が受賞を辞退した場合又は歌手がその年に死去した場合、その楽曲は大賞受賞曲とはならない。

放送上の番組名は『輝く!日本レコード大賞[1](かがやく! - )。民放では数少ないテレビラジオの同時放送番組でもある。

目次

[編集] 概要

企画にあたってはアメリカのグラミー賞をヒントにして、3人の作曲家(古賀政男吉田正服部良一)による話し合いからグラミー賞創設の翌年1959年に作られた。クラシックを除けば現在の世界各国の音楽賞の中でも歴史ある賞でもある。

その後、日本に刺激を受けたアジアの国々が続々と音楽賞を作った。

発表会は第46回2004年)から東京都渋谷区本町の新国立劇場・中劇場で開かれている。

[編集] 年別詳細(1959年~2009年)

1950年代 1959
1960年代 1960 - 1961 - 1962 - 1963 - 1964 - 1965 - 1966 - 1967 - 1968 - 1969
1970年代 1970 - 1971 - 1972 - 1973 - 1974 - 1975 - 1976 - 1977 - 1978 - 1979
1980年代 1980 - 1981 - 1982 - 1983 - 1984 - 1985 - 1986 - 1987 - 1988 - 1989
1990年代 1990 - 1991 - 1992 - 1993 - 1994 - 1995 - 1996 - 1997 - 1998 - 1999
2000年代 2000 - 2001 - 2002 - 2003 - 2004 - 2005 - 2006 - 2007 - 2008 - 2009

[編集] 種類

[編集] 各賞

「日本レコード大賞」
対象年度に発売されたすべての邦楽シングルCDの中で「作曲編曲作詩を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な『作品』」、「優れた歌唱によって活かされた『作品』」、「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』」、以上3点に該当する『1作品』に贈る。審査対象は、「優秀作品賞」に選ばれた作品とする。
「最優秀歌唱賞」
対象年度内の作品を最も的確に表現し、さらに高めた『歌手』に贈る。審査対象は「金賞」に選ばれた作品の歌手としていたが、第50回2008年)からは11月下旬から12月上旬にかけて行われる選考委員会で決定されることになった。
「優秀作品賞」
大衆の強い支持を得て作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた『作品』に贈る。「金賞」や「ゴールド・ディスク賞」という名称が使われていた時期もあったが、第50回(2008年)からは「優秀作品賞」に変更された。
最優秀新人賞
「新人賞」の中から最も優秀と認められた『歌手』に贈る。
「新人賞」
対象年度内に於いてデビュー(初めて芸能活動として歌う)し大衆に支持され、将来性を認められた『歌手』に贈る。
「作曲賞」「編曲賞」「作詩賞」
特に作曲・編曲・作詩の分野で独創的であると認められた『作品・作者』に贈る。
「企画賞」
独創的な企画意図をもって製作され、それによって成果を上げ大衆音楽に大きな貢献をした『作品』(ミュージックビデオを含む)に贈る。
「功労賞」
長年に亘りレコードやCDを中心とする音楽活動を展開し、日本音楽界に大きな貢献をした『者』に贈る。
「特別賞」
対象年度に於いて社会的に最も世の中を賑わせ注目された『人』、『楽曲』、『作品』、『現象』などに贈る。その他にも年によって特別な賞が設けられる場合がある。
「特別功労賞」
長年に亘り音楽活動・評論活動を展開し、音楽界に大きな貢献をした『故人』に贈る。
「日本作曲家協会奨励賞」
第48回2006年)から新設された賞。日本作曲家協会が日本の心を伝え未来のある実力ある『歌手』に期待を込めて贈る賞。
「優秀アルバム賞」
対象年度に発売されたすべての邦楽アルバムCDの中で芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』に贈られる。
「最優秀アルバム賞」
優秀アルバム賞該当の中から最も優れた『作品』に贈られる。

[編集] 過去に存在した各賞

「童謡賞」
第1回(1959年)から第15回1973年)まで子供向けの童謡アニメソングに与えられた賞だった。建前としてはレコード大賞を童謡が受賞した際には「歌謡曲賞」を設けることになっていた[2]が、結局「歌謡曲賞」が設けられることはなかった。ザ・テンプターズの『おかあさん』がヒットした際には、同曲も「童謡賞」の対象にすべきかという議論があったという[3]第16回1974年)にヤングアイドル賞の導入により廃止された。そのヤングアイドル賞も1回限りで廃止された。
「歌唱賞」
優れた歌唱によって活かされた作品に贈られる賞として定義され、文字通り歌手の歌唱力を評価したものである。作詩賞、作曲賞、編曲賞と共に第1回(1959年)から設けられた賞である。第11回1969年)からは最優秀歌唱賞が設けられその候補としての位置付けとなり、さらに第19回1977年)までは大賞の最有力候補としての位置付けでもあった(第17回1975年)から第19回(1977年)までの3年間は大賞候補10組作品の中から歌唱賞5組作品が選出され、さらにその中から大賞と最優秀歌唱賞が決定された)。第20回1978年)からは金賞の導入により廃止された。
「大衆賞」
第11回(1969年)から第19回(1977年)まで大衆に支持された歌手や楽曲に与えられた賞だった。当初は歌唱賞と同様に大賞候補としての位置付けだったが、第17回(1975年)からは大賞候補の枠外の位置付けとなった。第47回(2005年)に1度だけ復活した。
「特別大衆賞」
1980年に引退した山口百恵のそれまでの実績を称え与えられた(第22回)。他に都はるみ中森明菜瀬川瑛子が受賞している。
「ゴールデン・アイドル賞」
第23回1981年)から第25回(1983年)までデビュー2年目に顕著な活躍をした歌手に与えられた。
「ベストアルバム賞」「アルバム大賞」
対象年度に発売されたすべての邦楽アルバムCDの中で最も芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた作品に贈る。第50回(2008年)からは優秀アルバム賞・最優秀アルバム賞として復活。
「吉田正賞」
作曲家吉田正の偉大な業績を記念し伝統的な日本の歌を充実させ、前進させた作曲家に贈る。
「美空ひばりメモリアル選奨」
歌手・美空ひばり戦後日本の社会、歌謡史に残した偉大な業績を称え、それを記念するに相応しい豊かな魅力と力量を持った歌手に贈る。初めて制定された第31回1989年)当初は「美空ひばり賞」だったが、第35回1993年)に「美空ひばりメモリアル選奨」に変更、第42回2000年)を以て最後となる。
「ロングセラー賞」
第25回1979年)に新設された賞。その頃、金賞(現在の「優秀作品賞」)に選ばれていたのは、前年11月下旬~当年11月中旬に発売されたレコードに限られていたが、1979年には「夢追い酒」(渥美二郎)、「花街の母」(金田たつえ)、「みちづれ」(牧村三枝子)、「北国の春」(千昌夫)といった、発売されて数年経っている曲が立て続けに大ヒットしたため、この賞が新設された。その年の金賞の対象期間より前に発売され、その年に売上(通算)が100万枚に達したレコードに贈られていた。その後も「ロングセラー賞」は毎年選出されていたが、第25回1983年)を最後に消滅。

[編集] レコード大賞受賞曲一覧

回数 放送日 曲名 所属レコード会社 歌手 作詩 作曲 編曲
第1回 1959年12月27日 黒い花びら 東芝音楽工業 水原弘 永六輔 中村八大 中村八大
第2回 1960年12月30日 誰よりも君を愛す 日本ビクター 松尾和子
和田弘とマヒナスターズ
川内康範 吉田正 和田弘
第3回 1961年12月28日 君恋し 日本ビクター フランク永井 時雨音羽 佐々紅華 寺岡真三
第4回 1962年12月27日 いつでも夢を 日本ビクター 橋幸夫
吉永小百合
佐伯孝夫 吉田正 吉田正
第5回 1963年12月27日 こんにちは赤ちゃん キングレコード 梓みちよ 永六輔 中村八大 中村八大
第6回 1964年12月26日 愛と死をみつめて 日本コロムビア 青山和子 大矢弘子 土田啓四郎 土田啓四郎
第7回 1965年12月25日 日本コロムビア 美空ひばり 関沢新一 古賀政男 佐伯亮
第8回 1966年12月24日 霧氷 日本ビクター 橋幸夫 宮川哲夫 利根一郎 一ノ瀬義孝
第9回 1967年12月16日 ブルー・シャトウ 日本コロムビア ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 橋本淳 井上忠夫 森岡賢一郎
第10回 1968年12月21日 天使の誘惑 東芝音楽工業 黛ジュン なかにし礼 鈴木邦彦 鈴木邦彦
第11回 1969年12月31日 いいじゃないの幸せならば 日本ビクター 佐良直美 岩谷時子 いずみたく いずみたく
第12回 1970年12月31日 今日でお別れ 日本グラモフォン 菅原洋一 なかにし礼 宇井あきら 森岡賢一郎
第13回 1971年12月31日 また逢う日まで 日本フォノグラム 尾崎紀世彦 阿久悠 筒美京平 筒美京平
第14回 1972年12月31日 喝采 日本コロムビア ちあきなおみ 吉田旺 中村泰士 高田弘
第15回 1973年12月31日 夜空 徳間音楽工業 五木ひろし 山口洋子 平尾昌晃 竜崎孝路
第16回 1974年12月31日 襟裳岬 ビクター音楽産業 森進一 岡本おさみ 吉田拓郎 馬飼野俊一
第17回 1975年12月31日 シクラメンのかほり キングレコード 布施明 小椋佳 小椋佳 萩田光雄
第18回 1976年12月31日 北の宿から 日本コロムビア 都はるみ 阿久悠 小林亜星 竹村次郎
第19回 1977年12月31日 勝手にしやがれ ポリドール 沢田研二 阿久悠 大野克夫 船山基紀
第20回 1978年12月31日 UFO ビクター音楽産業 ピンク・レディー 阿久悠 都倉俊一 都倉俊一
第21回 1979年12月31日 魅せられて CBSソニー ジュディ・オング 阿木燿子 筒美京平 筒美京平
第22回 1980年12月31日 雨の慕情 テイチク 八代亜紀 阿久悠 浜圭介 竜崎孝路
第23回 1981年12月31日 ルビーの指環 東芝EMI 寺尾聰 松本隆 寺尾聰 井上鑑
第24回 1982年12月31日 北酒場 日本コロムビア 細川たかし なかにし礼 中村泰士 馬飼野俊一
第25回 1983年12月31日 矢切の渡し 日本コロムビア 細川たかし 石本美由起 船村徹 薗広昭
第26回 1984年12月31日 長良川艶歌 徳間ジャパン 五木ひろし 石本美由起 岡千秋 斎藤恒夫
第27回 1985年12月31日 ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕 ワーナー・パイオニア 中森明菜 康珍化 松岡直也 松岡直也
第28回 1986年12月31日 DESIRE -情熱- ワーナー・パイオニア 中森明菜 阿木燿子 鈴木キサブロー 椎名和夫
第29回 1987年12月31日 愚か者 CBSソニー 近藤真彦 伊達歩 井上堯之 戸塚修
第30回 1988年12月31日 パラダイス銀河 ポニーキャニオン 光GENJI 飛鳥涼 飛鳥涼 佐藤準
第31回 1989年12月31日 淋しい熱帯魚 ポリスター Wink 及川眠子 尾関昌也 船山基紀
第32回 1990年12月31日 恋唄綴り ポリスター[4] 堀内孝雄 荒木とよひさ 堀内孝雄 川村栄二
おどるポンポコリン BMGビクター[5] B.B.クイーンズ さくらももこ 織田哲郎 織田哲郎
第33回 1991年12月31日 北の大地 日本クラウン 北島三郎 星野哲郎 船村徹 南郷達也
愛は勝つ ポリドール KAN KAN KAN KAN
小林信吾
第34回 1992年12月31日 白い海峡 キングレコード 大月みやこ 池田充男 伊藤雪彦 池多孝春
君がいるだけで ソニー・ミュージックエンタテインメント 米米CLUB 米米CLUB 米米CLUB 米米CLUB
中村哲
第35回 1993年12月31日 無言坂 ポリドール 香西かおり 市川睦月
久世光彦
玉置浩二 川村栄二
第36回 1994年12月31日 innocent world トイズファクトリー Mr.Children 桜井和寿 桜井和寿 小林武史
Mr.Children
第37回 1995年12月31日 Overnight Sensation
〜時代はあなたに委ねてる〜
avex trax trf 小室哲哉 小室哲哉 小室哲哉
久保こーじ
第38回 1996年12月31日 Don't wanna cry avex trax 安室奈美恵 小室哲哉
前田たかひろ
小室哲哉 小室哲哉
第39回 1997年12月31日 CAN YOU CELEBRATE? avex trax 安室奈美恵 小室哲哉 小室哲哉 小室哲哉
第40回 1998年12月31日 wanna Be A Dreammaker avex trax globe MARC
小室哲哉
小室哲哉 小室哲哉
第41回 1999年12月31日 Winter,again UNLIMITED RECORDS
(ポリドール)
GLAY TAKURO TAKURO MASAHIDE SAKUMA
GLAY
第42回 2000年12月31日 TSUNAMI ビクターエンタテインメント
ビクタータイシタ
サザンオールスターズ 桑田佳祐 桑田佳祐 サザンオールスターズ
第43回 2001年12月31日 Dearest avex trax 浜崎あゆみ 浜崎あゆみ CREA+D・A・I Naoto Suzuki
第44回 2002年12月31日 Voyage avex trax 浜崎あゆみ 浜崎あゆみ CREA+D・A・I 島健
第45回 2003年12月31日 No way to say avex trax 浜崎あゆみ 浜崎あゆみ BOUNCEBACK HΛL
第46回 2004年12月31日 Sign トイズファクトリー Mr.Children 桜井和寿 桜井和寿 小林武史
Mr.Children
第47回 2005年12月31日 Butterfly rhythm zone 倖田來未 倖田來未 渡辺未来 渡辺未来
第48回 2006年12月30日 一剣 コロムビアミュージックエンタテインメント 氷川きよし 松井由利夫 水森英夫 佐伯亮
第49回 2007年12月30日 ワーナーミュージック・ジャパン コブクロ 小渕健太郎 小渕健太郎 コブクロ
第50回 2008年12月30日 Ti Amo rhythm zone EXILE 松尾潔 Jin Nakamura
松尾潔
Jin Nakamura

※第32 - 34回(1990 - 1992年)は歌謡曲・演歌部門とポップス・ロック部門

  • それ以外の各部門賞受賞曲については各回の項を参照。

[編集] 沿革

発表の模様はテレビ(TBS系 (JNN) 地上波全国28局ネット)とラジオJRN全国17局ネット)で生中継されている(第42回2000年)から第47回2005年)まではTBS系BSデジタル放送BS-i(現・BS-TBS)でも放送されていた)。また、第44回(2002年)からCS放送・TBSチャンネルで過去に放送された回をその年の放送分につき1回限りではあるが毎年12月に再放送を行っている(TBSに現存している第10回(1968年)以降の放送分。CMはカットされるが、その部分には地上波で今年放送される回の5 - 15秒の番宣が挿入されている。過去には編成の関係で年明けの1月に放送されたこともある)。この放送は『NHK紅白歌合戦』(NHK)、『新春かくし芸大会』(フジテレビ系列)と双璧をなす年末年始恒例大型番組の一つであり「国民的番組」としての地位を築いてきた。

[編集] 草創期

番組の放送当初は本選と発表会とに分かれていた。第10回(1968年)まで開催日は固定されておらず、主に年末の昼間にモノクロで放送された。会場も神田共立講堂など小規模の会場で行われており、賞自体の知名度も極めて低かった。水原弘第1回のレコード大賞を受賞した際に「レコード大賞って何だ?」と言ったというエピソードがある[6]。また、美空ひばりが出演しても客席がガラガラだった事もあったという。

TBSに現存する映像はモノクロ放送の最後となった第10回(1968年。開催会場は渋谷公会堂)が最古である。同年には開始10周年を記念した特別番組「10周年記念音楽会」(1968年12月28日放送)が放映され、それまでの各賞受賞者達が勢揃いした。この特番は鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存している。これ以前の本選の模様はニュース映像の一部、写真、ラジオの音声のみが現存している。

第11回(1969年)からは出場歌手の日程調整をつけ易くするため、大晦日の『NHK紅白歌合戦』(NHK)が始まる前の19~21時に本選を開催・生中継する様になった。会場も帝国劇場に移され、元NHKアナウンサーで人気司会者であった高橋圭三を司会進行役に起用した。また、カラーでの放送も開始された。レコード大賞授賞式が大晦日のTBSの定番プログラムとなる前は『オールスター大行進』という人気歌手・バラエティータレントが大量に出演するショー番組が恒例番組として放送されていた関係で第11回(1969年)の放送は「オールスター大行進」という副題が付されており、受賞歌手以外のタレント(美空ひばり橋幸夫ザ・ドリフターズコント55号など)も出演していた。

第11回(1969年)以降はすべて鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存している。

[編集] 黄金期

1969年から1988年にかけての20年間、テレビ歌番組の隆盛と共に番組の最盛期を迎えた。テレビ中継の最高視聴率ビデオリサーチ・関東地区調べ)は第19回1977年)の50.8%[7]で『NHK紅白歌合戦』と並ぶ大晦日の「国民的行事」となり、また放送時間も次第に拡大し18時台のスタートとなった。中でも第27回(1985年)には会場が日本武道館となり、授賞式の華やかさは最高潮を迎えた。

第25回1983年)からTBSの音声多重放送の開始に伴い、テレビでのステレオ放送が始まった。以降、すべてステレオ放送となる。

なお、ステージにはビッグバンドと当時の常識ではあり得ない規模のストリング・オーケストラ(弦楽合奏)、合唱団が並び、ほとんど全ての楽曲の伴奏を務めた。指揮は作曲家・編曲家でもある長洲忠彦が担当。クラシックの指揮者のような格式ある棒さばきで、レコード大賞のステージになくてはならない存在であった。

[編集] 衰退期

元号平成に変わった1989年以降、『NHK紅白歌合戦』がそれまでの21時から19時20分と大幅に開始時刻を早めたことで、紅白とのバッティングが生じる事も多くなり出演者の移動がままならなくなる。その余波はテレビ放送にも現れ、第30回1988年)まで30% - 40%前後を維持してきた視聴率が一気に15%前後と大幅に下落した。そのため、紅白にも出場する歌手が慌しく移動する様子を生中継するのが風物詩の1つとなった(第47回(2005年)まではこのスタイルが続いていた)。

アイドル歌手が連続して大賞を受賞したことなどからその打開策として第32回1990年)から大賞を「ポップスロック部門」と「歌謡曲演歌部門」に分割したが共に効果がなかったため、第35回1993年)から再統一している。

第36回1994年)から第45回2003年)までは、会場を東京・赤坂のTBS放送センター(ビッグハット)で開催された。第46回(2004年)以降は渋谷のNHK放送センターから比較的近い距離にある新国立劇場に変更されたが、これは『NHK紅白歌合戦』(NHKホールが会場)や『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京新宿コマ劇場が会場)と掛け持ちする歌手の移動に配慮した事が理由である。

その平成に入ると、音楽に対する考えの変化から、賞取りレースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に受賞そのものを辞退する一部有力アーティストが増えるようになり、権威は大きく低下した。大賞のMr.Childrenが授賞式に出席しないという異例の事態となった第36回(1994年)以降、授賞式に出席しないアーティストを受賞させない傾向が高まった。

スポンサー面では第47回(2005年)になると常連だったスポンサーの多くが降板。さらに他番組のスポンサー枠の確保でスポンサー枠が縮小された。それらの事情で第41回1999年)以降、テレビ放送の視聴率は低落を続け第47回(2005年)まで低迷、さらに受賞アーティストがエイベックスばかりに偏るようになったことや、裏番組に2003 - 2005年には格闘技イベント「PRIDE男祭り」の中継に視聴率を奪われることが影響してその回では過去最低の10.0%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)を記録する事態にまでなってしまった。

[編集] 放送日変更

第48回(2006年)、放送日を大晦日から12月30日に変更した。放送時間は前年より30分拡大した18:30 - 21:54となった。この変更は視聴率の長期低落傾向の打破が主な理由だが大晦日の紅白歌合戦出場やライブを行うアーティストの出演辞退を食い止めること、紅白出場歌手とのダブルブッキングを避けること、さらに当番組の後に放送されている格闘技番組『Dynamite!!』の放送時間拡大を望む声などもあった。会場は前年同様に新国立劇場。また、歴代の受賞曲VTRも前年より長めに放送された。視聴率は17.0%と前年を7%上回り、長年続いた視聴率低迷に歯止めをかけた。17%越えしたのは第40回1998年)以来実に8年振りだった。因みにその翌日の大晦日に拡大放送された『Dynamite!!』も高視聴率(最高視聴率は19.9%)を記録し『レコ大』30日放送、『Dynamite!!』大晦日長時間放送が成功を収めることになった。翌年以降も同様の編成が行われている。

2005年までの大晦日は渋谷区神南(原宿)のNHKホール(『NHK紅白歌合戦』)、渋谷区初台の新国立劇場(『日本レコード大賞』)、新宿区歌舞伎町の新宿コマ劇場(『年忘れにっぽんの歌』)相互の大移動を短時間でこなす出場者のスケジュールの余裕のなさがあったが、2006年以降はレコード大賞を1日ずらしたことでそれがある程度緩和された。

[編集] 歴代授賞式司会者と視聴率

司会者は第11回(1969年)から第25回(1983年)まで高橋圭三が長く務めていたがその後は幾度か司会者が変更され、第38回(1996年)からは堺正章が務めている。アシスタントにはその年に最も輝いているタレントや女優、キャスター、その当時のTBSの最も人気のあるアナウンサーなどが選ばれている。また、最近は番組の途中で司会者全員衣装を変えるのが恒例となっている。審査会場や他のライブ会場からのリポート担当、曲ナレーションのみのために声だけ出演をするアナウンサーなども回によっては存在する。

第11回(1969年)の浅丘と第12回(1970年)の佐良直美は厳密には「特別ゲスト」扱いとしての出演だが、実質的には高橋のアシスタント役的な役割を番組内では務めた。また第12回(1970年)の堺・加藤、第13・14回(1971・1972年)の沢田雅美、第24回(1982年)の松宮一彦アナ、第19回(1977年)の小島一慶アナについては観客へのインタビュー役を担当するための司会補佐として出演した。

第19回(1977年)より高橋圭三は授賞式の進行一切を統括する「総合司会」として別のMC席から式全般の進行統括、最優秀歌唱賞・大賞・最優秀新人賞等の受賞者発表等を行い、総合司会者の高橋の下に更に総合司会の下に「司会」としてもう1人の男性司会者と女性司会がコンビとなって歌手へのインタビュー、各部門賞受賞者発表等を行う形となっていた。なお、それ以外の年(第21・25回(1979・1983年))についてもMC席は高橋1人が常在し女性司会はインタビューなどのある際にその都度登場するパターンで授賞式が進行され、厳密には一般的な男女ペア形式での司会スタイルとは異なる形となっていた。

TBSラジオでは別に中継実況アナウンサーがいる。第40回(1998年)までは松宮一彦が、第41回(1999年)から第49回(2007年)までは小島一慶が、第50回(2008年)は向井政生アナが担当。

「日本レコード大賞」歴代授賞式司会者と視聴率一覧
回数 男性 女性 補助 視聴率
(関東地区)
第1回 1959年 芥川隆行 不在 不在 不明
第2回 1960年
第3回 1961年
第4回 1962年 10.8%
第5回 1963年 20.7%
第6回 1964年 14.6%
第7回 1965年 三木鮎郎 14.2%
第8回 1966年 13.5%
第9回 1967年 12.5%
第10回 1968年 10.3%
第11回 1969年 高橋圭三 浅丘ルリ子 30.9%
第12回 1970年 佐良直美 堺正章
加藤茶
36.7%
第13回 1971年 山本陽子 沢田雅美 36.3%
第14回 1972年 森光子 46.5%
第15回 1973年 玉置宏 44.1%
第16回 1974年 小川哲哉 45.7%
第17回 1975年 43.0%
第18回 1976年 不在 41.9%
第19回 1977年 高橋圭三
久米宏
黒柳徹子 小島一慶 50.8%
第20回 1978年 不在 42.9%
第21回 1979年 高橋圭三 檀ふみ 43.3%
第22回 1980年 高橋圭三
渡辺謙太郎
中田喜子 34.3%
第23回 1981年 竹下景子 35.3%
第24回 1982年 高橋圭三
児玉清
松宮一彦 31.3%
第25回 1983年 高橋圭三 松宮一彦 32.7%
第26回 1984年 森本毅郎 不在 30.4%
第27回 1985年 倍賞美津子 31.4%
第28回 1986年 竹下景子 29.8%
第29回 1987年 関口宏 三雲孝江 29.4%
第30回 1988年 21.7%
第31回 1989年 板東英二 楠田枝里子 14.0%
第32回 1990年 和田アキ子 12.5%
第33回 1991年 布施明
石田純一
黒柳徹子 山本文郎 14.7%
第34回 1992年 神田正輝 15.1%
第35回 1993年 宮本亜門 牧瀬里穂 13.3%
第36回 1994年 15.3%
第37回 1995年 西田敏行
中山秀征
渡辺真理 不在 17.2%
第38回 1996年 堺正章 飯島直子 雨宮塔子 16.6%
第39回 1997年 草野満代 16.5%
第40回 1998年 江角マキコ 18.5%
第41回 1999年 黒木瞳 進藤晶子 14.1%
第42回 2000年 14.0%
第43回 2001年 米倉涼子 安住紳一郎
小倉弘子
14.0%
第44回 2002年 菊川怜 13.3%
第45回 2003年 不在 12.7%
第46回 2004年 伊東美咲 安住紳一郎
小林麻耶
10.4%
第47回 2005年 綾瀬はるか 10.0%
第48回 2006年 蛯原友里
押切もえ
17.0%
第49回 2007年 16.8%
第50回 2008年 上戸彩
松下奈緒
16.9%
  • 視聴率はビデオリサーチ調べ。赤数字は最高視聴率で、青数字は最低視聴率。
  • 第4回〜第44回の視聴率の出典は『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』134-135頁。
  • 通常アナウンサーは同授賞式では進行役となる事が一般だが第29・30回(1987・1988年)の三雲孝江アナについては進行役という扱いでなく男性司会と同等の位置付けがなされていたため、ここでは女性司会の欄に記載する事とする。

[編集] 放送スタッフ

第50回(2008年)

[編集] ネット局

[編集] テレビ

JNN系列で第47回(2005年)まで12月31日にネットして来た番組であるが以前はクロスネット局が多く、JNN系列でも曜日によって他系列を同時ネットしている局も多くあった。その反面、JNN系列以外でも曜日によってJNNを同時ネットしている局もあり、番組をネットした局もあった。先発局でJNN系列局が以前金曜日の19:30 - 21:00枠で日本テレビを同時ネットしている局が多数あったり水曜日の20:00 - 21:30(その後19:30 - 21:00)の枠、土曜日の19:30 - 22:00枠、日曜日の19:00 - 21:00枠が日本テレビ同時枠だったりした局があった。

今分かっている事は放送日が金曜日だった第13回(1971年)に静岡放送が番組をネットせず、日本テレビ系の番組を同時ネットした事である。また南海放送が木曜日にJNNを同時ネットしていたので、その年だけは番組をネットしたりしていた。TVネットワーク腸捻転時代(1974年まで)はABCにてネット。

[編集] スポンサーについて

スポンサーセールスは1990年代初期まで大晦日が該当する曜日の19・20時台のレギュラースポンサー(例えば月曜日が大晦日に当たった場合19時台前半はライオンYKK、19時台後半はブラザー雪印乳業、20時台は松下電器・松下電工(現:パナソニックパナソニック電工)が提供。水曜日が大晦日に当たった場合20時台は水曜夜8時枠連続刑事ドラマ→『わくわく動物ランド』に提供していたスポンサー各社(=江崎グリコ牛乳石鹸大正製薬メナード化粧品積水ハウス他1社)の提供)だったが、1995年頃以降は特定の企業がスポンサーでCMを流すケースが増えている(主に外資系レコード会社やエイベックスグループ・ソニーミュージックなど)一部電機メーカーや食品メーカーが年末年始の特別編成による休止振り替えでスポンサーにつくことが多い(1995年 - 1997年はスポンサーの中に牛乳石鹸共進社、2002年・04年は大正製薬、2003年 - 2005年はライオン、2005年はメナード化粧品も提供していた))。

2007年のスポンサーでは『さんまのSUPERからくりTV』から花王伊藤園(以上60")、マツダ生涯学習のユーキャンクリナップ小林製薬(以上30")、武田薬品(通常だと60"だがこのときは30")、『どうぶつ奇想天外!』から日産自動車(60")、サンスターAEON味の素NTT東日本NTT西日本ロッテ(以上30")、「日曜劇場」から花王(90")といった通常番組の筆頭スポンサーがほぼ丸々入った。そのうちスポンサーでは昨年のスポンサーだった(例・ヤマザキナビスコ日本グッドイヤーKDDI(主にau中心)キリンビールキリンビバレッジなど)のが数社あった。

2008年のスポンサーでは2007年と同様に該当曜日のスポンサーが殆どが提供し、ユニリーバ・ジャパンを筆頭に返り咲き・連続のスポンサーがあるが、新たにイー・モバイルなどのスポンサーが数社提供していた。

[編集] ラジオ

JNN(TV)とJRN(ラジオ)との兼営局(一部のNRNとのクロスネット局除く)では、一部の放送局でTVとラジオで同時放送している。なおRABラジオではかつて『JRNナイター』を放送した曜日のみ途中飛び乗り放送していたが、現在は放送していない。

  • RNCラジオでは1997年のJRN加入後も含めてネットする事はなかったが、2005年に初めてネットした。こちらもRAB同様JRNナイターの絡みから実現したものと思われる。MBSでは1975年ネットチェンジからテレビとラジオで同時放送されて来たが、2006年以降についてはラジオが自社制作枠の確保による編成上の理由で放送されなくなった。

[編集] 問題点

現在の日本レコード大賞は15人の審査委員の審査により賞が決定される。この審査基準の長所としては単純な売り上げだけでなく楽曲の内容、詞の奥深さなどを加味し総合的にその年の最優秀楽曲を決定できるという点にある。逆に審査基準が明確ではないことから、審査委員と特定の芸能事務所やレコード会社との癒着疑惑を未だに晴らせないというジレンマがある。「レコード大賞は出来レース」等と揶揄する声は常に付きまとう。

近年は音楽そのものに対する考えの変化から、出演やノミネートそのものを辞退するアーティストが増えている。その影響か「大衆の強い支持を得て作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた『作品』」という「優秀作品賞」のハードルが非常に低くなっている。一方、浜崎あゆみの受賞以降は総合的な音楽業界への貢献度(全体のセールス)やTBSのタイアップの高さなどが評価された「歌手」に授与される傾向となっており、「楽曲」に授与するというレコード大賞の本来の目的から外れている状況にある。国民的に支持される楽曲が生まれにくい現状が、こういう事態を招いていると考えられる。

[編集] パロディー

  • お笑いマンガ道場(ダジャレマンガの一種で『マンガ輝け!レコード大賞』をやっていた)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 時期は不明だが、当初は「!」がなかった
  2. ^ 長田暁二『昭和の童謡アラカルト―戦後編』ぎょうせい、1985年、139頁。ISBN 4324001243
  3. ^ 『昭和の童謡アラカルト―戦後編』160-161頁
  4. ^ 現在の音源元はUPFRONT WORKS/ライスミュージック
  5. ^ 現在の音源元はBeing group
  6. ^ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、133頁。ISBN 4062122227
  7. ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』133-136頁。