氷室京介
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| 氷室京介 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 寺西修 |
| 別名 | ヒムロック |
| 出生 | 1960年10月7日(48歳) |
| 血液型 | O型 |
| 出身地 | 群馬県高崎市 |
| ジャンル | J-ROCK |
| 職業 | シンガーソングライター 音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ボーカル ギター |
| 活動期間 | 1982年 - 1988年 (BOØWY) 1988年 - (ソロ活動) |
| レーベル | EMI music japan |
| 事務所 | Beat Nix |
| 共同作業者 | 森雪之丞 松井五郎 |
| 影響 | デヴィッド・ボウイ エルヴィス・コステロ など |
氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年10月7日 - )は日本のロックボーカリスト、ミュージシャン。
群馬県高崎市出身。所属事務所はBeat Nix。ロサンゼルス在住。
目次 |
[編集] 人物
1982年、氷室狂介の名前[1]で、ロックバンド・BOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』で再デビュー[2]を果たす。
システムに組み込まれないという価値観と性急なまでの縦ノリビートが、当時20歳前後の若者に絶大なる支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとして、それ以後、解散までの約6年間に、日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残した(音楽評論家の間では、よく「BOØWY以前、BOØWY以後」と表現された)。
1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となる。その後も、独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスが、カリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与える。バラッドでの声の広がり、音程など、その歌唱技術にも定評がある(また、バンド解散後にソロとしても1位を取り続けることの出来たアーティストは少ない)。
1994年、ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減ったが(「たとえファンが離れても仕方ないと思っていた」と、後にコメント)、日本でライブコンサーを開けば、驚くほどの数のファンが集まる。ロサンゼルスという環境を生かして、凄腕の外国人エンジニア、アーティスト、ミュージシャン等に自らオファーを出し、自らをプロデュースするという形をとっている。また、クロムハーツとコラボレートするなど、ファッションにもこだわりを見せている。
趣味は、ライカでの写真撮影。好きな写真家は、アンリ・カルティエ・ブレッソンなど。
[編集] 音楽に対する姿勢
レコーディングでは、ジョシュ・フリーズ(Josh Freese、ドラム)、マイケル・ランドウ(ギター)など、その他ロサンゼルスの売れ筋ミュージシャンを多く起用している。楽曲は、幾度も作り直すなど、アレンジや録音にも多くの時間を割いて、演者であること以上にクリエイティブであり続けることに重きを置いている。
また“あくまでニルヴァーナ以降の流れ”とのコメントからは、80年代以降、もはや存在しないと認識されていた、初期衝動としてのロックやインディペンデントであることなどが、90年代に再び発見されたように、それらが、やはり自分にとっても重要であって、いかにランキングや流行の波に乗るかといったことはさして興味がなく、“俺の求めるサウンドはもう、こちらにさえない”と、最近になってコメントするほど、常に何処にも存在しないものを自分の力で創り出したいという欲求は、むしろロックというよりも真のアーティスト的な感覚に近い。
特に、2003年のアルバムリリース直後「クレームが来ないか心配だった」と語る通り、それまでのバラードなどのクオリティ重視とは打って変わり、再び荒削りなロックとしての音作りを追求。実際に、前作の感じを期待していると裏切られ、賛否両論に別れるというのが、渡米後は普通のこととなって来ている。
[編集] 作詞について
作詞に関しては、初期は、松井五郎が主だったが、最近では、森雪之丞の起用が目立つ。本人曰く「BOØWY時代は、詞を書いたが、ソロではほとんど詞を書かなくなった」、「アルバム『FOLLOW THE WIND』は全て雪之丞さんに作詞を依頼した」とのこと。
自分で作詞をしなくなったのは、BOØWYのアルバム『MORAL』収録曲の『SCHOOL OUT』の詞の内容に影響された若者が「あなたの言うとおり学校を中退した」などとする内容の手紙を送って来たためで、自身の歌詞の影響力について深く知ったため、と述べている。
シングル『EASY LOVE』、アルバム『IN THE MOOD』収録曲『Ignition』では、再び松井五郎を起用した。「息子の成長を見守ってる内に自分にも心境の変化があった。この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので…」とその理由を述べた。
「そろそろ自分でも詞を書く時期に来ているのかな」とのコメントもしているが、過去の氷室自身にしか作れない言い回しなどをよく知るファンからは、再び作詞を希望する声も多く聞かれる。
[編集] 過酷なツアー
ライヴツアーの本数が増えて来ていることに関しては、「肉体的には疲れても精神的にはエネルギーをもらえるから」と、コメントしている。
ツアーのサポート・ミュージシャンは、本田毅(ギター)、西山史晃(ベース)など、主要メンバーは定着している。ドラマーやキーボーディストなど起用するミュージシャンにより、変化あるツアーを実現しているが、そのバンドの魅力は、なんといっても毎回演奏クオリティの高さだろう。また、派手な演出やMCをするわけでもなく、延々と終演まで20数曲をたたみかけていく様は、まさにライヴの王道である。
洋ロックの有名ハウス・エンジニアを迎えるなど、自他共に音への要求レベルも高い。それは、コアなファンも同様でときにグルーブ、PA、果ては氷室自身のコンディションやオーディエンスのノリなどについて感想をぶつけあうといったことが、ツアー中は夜ごとどこかで繰り返されたりする。
そんな10代から50代までの耳の肥えた、またはライブ慣れしたオーディエンスも含む幅広い層のファンのみならず、多くの業界関係者にも足を運ばせる。最近では、女性のオーディエンスも増え、男女比は6:4くらいになっている。
[編集] Web関連
2007年、自宅のスタジオから「青少年のいじめや自殺問題」に言及するなど、ダイレクトなコミュニケーションツールとしてのポッドキャストの配信を開始。音楽に没頭する期間は、そう頻繁に更新することは難しいが、日本だけでなく、またファン以外の人の反応もつぶさに感じ取れるとあって、熱のこもったトークが展開された。寄せられた感想などは、直接彼のパソコン上にあがる仕組みになっており、その感想などにまた彼が答える、といったやりとりが好評だった。
2007年のツアーにおける3月13日に行われたライブの映像が、4月4日からiTunes Storeにおいて順次リリースされた。公演後わずか3週間でライブビデオとしてリリースするという試みは、日本人初であった。
[編集] 経歴
[編集] デビュー
[編集] BOØWY時代
- 1981年
- 1982年
- 3月21日、アルバム『MORAL』でBOØWYのボーカリストとして再デビュー。
- 1984年
- 12月、「狂介」から「京介」に改名[4]。
- 1987年
- 12月24日既に絶頂期の人気を獲得していたBOØWYは、その年、解散という噂とともにツアーを続けていたが、ファイナルの渋谷公会堂のアンコール、氷室からバンドの終焉を宣言。
[編集] ソロ始動
- 1988年
- 1989年
- 7月21日、Charlie Sexton(ギターリスト)の東京公演にゲスト出演。
- 8月6日、「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。
- 9月27日、2nd アルバム『NEO FASCIO[7]』リリース。
- 1990年
- 1991年
- 8月1日、「JT SUPER SOUND '91(日本武道館)」に出演(この模様は日本テレビにて放送。「LOVE & GAME」を演奏する)。
- 1992年
- 12月7日、シングル『KISS ME』リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。
- 1993年
- 1月7日、アルバム『Memories Of Blue』リリース。累計130万枚を超える大ヒットとなる[9]。
[編集] 渡米後
- 1994年
- 自身の希望により家族とロサンゼルスに渡米[10]。
- 1995年
- 2003年
- 2004年
- 8月22日、東京ドームでしばらく封印していたBOØWY時代の曲を自らのソロ曲と共に演奏する「21st Century Boowys VS HIMURO」を行い、5万5千人のファンが全国から集まった[14]。
- NBAのシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。
- 2005年
- 9月14日、スクウェア・エニックスより発売された映像作品「ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン」のテーマ曲としてアルバム『NEO FASCIO』収録の楽曲「CALLING」が使用された[15]。
- 2006年
- 2007年
- 7月16日、ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演し、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった[17])。
[編集] 作品
[編集] シングル
- ANGEL(1988年7月21日)
- DEAR ALGERNON(1988年10月7日)
- SUMMER GAME(1989年7月26日)
- MISTY〜微妙に〜(1989年9月6日)
- JEALOUSYを眠らせて(1990年5月16日)
- CRIME OF LOVE(1991年2月27日)
- Urban Dance[18](1992年2月26日)
- Good Luck My Love(1992年11月7日)
- KISS ME(1992年12月7日)
- VIRGIN BEAT(1994年8月29日)
- 魂を抱いてくれ(1995年10月25日)
- STAY(1996年6月24日)
- SQUALL(1996年8月15日)
- WALTZ(1997年1月15日)
- NATIVE STRANGER(1997年6月4日)
- HEAT(1997年10月29日)
- SLEEPLESS NIGHT〜眠れない夜のために〜(1999年8月18日)
- ダイヤモンド・ダスト(1999年10月27日)
- 永遠~Eternity~(2000年1月15日)
- 炎の化石(2000年6月28日)
- Girls Be Glamorous(2001年1月1日)
- Claudia(2003年7月21日)
- Wild Romance(2004年9月8日)
- EASY LOVE(2006年2月8日)
- ANSWER(2006年8月2日)
- GLAY feat. KYOSUKE HIMURO名義でリリースされたコラボレーションシングル。
- SWEET REVOLUTION(2006年10月4日)
- Safe And Sound(2009年4月29日)
- 氷室京介 feat.GERARD WAY名義でiTune限定先行リリースされたコラボレーションシングル。
- タイアップ
- MISTY〜微妙に〜
- JELOUSYを眠らせて
- Moon・Love Song
- 映画「月光のピアス」サントラ(1991年)
- Good Luck My Love
- TBS系「ムーブ(バラエティー番組)」エンディングテーマ(1992年)
- Urban Dance
- よみうりテレビ系ドラマ「ひとりでいいの」主題歌(1992年)
- KISS ME
- 三貴「ブティックJOY」CMソング(1992年)
- VIRGIN BEAT
- 三貴「カメリアダイアモンド」CMソング(1994年)
- 魂を抱いてくれ
- MIDNIGHT EVE(魂を抱いてくれ C/W)
- 「関西セルラー(現au (携帯電話))」CMソング(1995年)
- STAY
- TBS系「COUNT DOWN TV」オープニングテーマ(1996年)
- SQUALL
- NAKED KING ON THE BLIND HORSE
- 「トヨタ・RAV4」CMソング(1996年)
- WALTZ
- 「ダイドー・ブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
- DRIVE
- 「ダイドー・ブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
- HEAT
- 「ダイドー・ブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
- 堕天使
- 「ダイドー・ブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
- 炎の化石
- 「ダイドー・ブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
- NATIVE STRANGER
- ダイヤモンド・ダスト
- CX系ドラマ「氷の世界」主題歌(1999年)
- 永遠~Eternity~
- 映画「ISORA/多重人格少女」テーマソング(2000年)
- OUTSIDE BEAUTY
- Girls Be Glamorous
- REVOLVER
- Claudia
- WOWOWヨーロッパサッカーイメージソング(2003年)
- Wild Romance
- 映画「ヴァン・ヘルシング」日本語吹き替え版エンディングテーマ(2004年)
- CALLING
- スクウェア・エニックスCG映像作品「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」イメージソング(2005年)
- EASY LOVE
- music.jp CMソング(2006年)
- BITCH AS WITCH
- WOWOWヨーロッパサッカーイメージソング(2006年)
- SWEET REVOLUTION
- YTV(NTV系)「ダウンタウンDX」エンディングテーマ(2006年)
- Safe And Sound
- スクウェア・エニックスCG映像作品「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN COMPLETE」エンディングテーマ(2009年)
[編集] アルバム
[編集] オリジナルアルバム
- FLOWERS for ALGERNON(1988年9月1日)
- NEO FASCIO(1989年9月27日)
- Higher Self(1991年4月6日)
- Memories Of Blue(1993年1月7日)
- SHAKE THE FAKE(1994年9月26日)
- MISSING PIECE[19](1996年9月30日)
- I・DE・A[20](1997年12月10日)
- MELLOW[21](2000年2月23日)
- beat haze odyssey(2000年10月18日)
- Follow the wind(2003年8月20日)
- IN THE MOOD(2006年12月20日)
[編集] ベストアルバム
- SINGLES(1995年7月19日)
- Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜(1998年6月24日)
- Ballad〜La Pluie(2001年9月27日)
- Case of HIMURO(2003年3月19日)
- 20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜(2008年6月11日)
[編集] ライブアルバム
- The One Night Stands ~TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998~(1998年12月9日)
- 21st Century Boøwys Vs Himuro(2004年12月24日)
[編集] その他アルバム
- LOVER'S DAY double happiness(1991年8月21日)
- MASTERPIECE #12[22](1992年4月25日)
- Lover's Day II(1999年1月27日)
- カバー
- 「Pain」Jimmy Eat World、 「Miss Murder」AFI
- iTunes
- 「IN THE MOOD」先行リリース限定Trackとして「Snow-White Moonlight」を配信
- 「Safe And Sound」KYOSUKE HIMURO feat. GERARD WAY
[編集] ビデオ
- KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS(1989年・VHS)
- NEO FASCIO TURNING POINT(1990年・VHS)
- Birth of Lovers(1990年・VHS)
- OVER SOUL MATRIX(1991年・VHS)
- CAPTURED CLIPS(1993年・VHS)
- LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR(1995年・VHS)
- MISSING PIECE(1997年・VHS)
- The one night stands - tour "Collective Souls" 1998(1998年・VHS)
- 100152(1999年・VHS)
- Digital BeatNix Tower(2000年・DVD、CD-ROM)
- CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE(2003年・DVD)
- HIGHER THAN HEAVEN~AT YOYOGI NATIONAL STADIUM(2004年・DVD)
- 21st Century BoØwys vs Himuro/An Attempt to Discover New Truths(2004年・DVD)
- SOUL STANDING BY~(2005年・DVD)
- Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006 (2006年・DVD)
- Lightning Trick on iTunes - TOUR 2007 "IN THE MOOD" - (2007年・デジタルコンテンツ)
- その他
- "SWING ADDICTION at AJINOMOTO STADIUM"「SWEET REVOLUTION」(2006・シングル限定DVD)、
- 「ANSWER」「SUMMER GAME」(2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD)
- "CROSSOVER 05-06 2nd STAGE at MAKUHARI MESSE"「SWEET REVOLUTION」(2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD)
[編集] 楽曲提供
- 奥田圭子
- 『STORMY NIGHT』 - 作詞:芹沢類/作曲:氷室京介/編曲:小泉まさみ(1985年)
- 『プラスティック』 - 作詞:秋元康/作曲:氷室京介/編曲:布袋寅泰(1985年)
- 小泉今日子
- 『3001年のスターシップ』 - 作詞:湯川れい子/作曲:氷室京介/編曲:ホッピー神山(1987年)
- メロディーはアルバム『FLOWERS for ALGERNON』収録の楽曲「LOVE & GAME」と同一。
- 『3001年のスターシップ』 - 作詞:湯川れい子/作曲:氷室京介/編曲:ホッピー神山(1987年)
- 仲村知夏
- 『天使は眠っている』 - 作詞:森正和/作曲:氷室京介(1989年)
- 『BE COOL』 - 作詞:松宮晴吉/作曲:氷室京介(1989年)
- メロディーはアルバム『FLOWERS for ALGERNON』収録の楽曲「LOVE & GAME」と同一。
- 反町隆史
- 『SINCERELY』 - 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年)
- 『ONE』 - 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年)
- 後に氷室は、『beat haze odyssey』で同曲をセルフカバーした。
- DAIGO☆STARDUST
- 『MARIA』 - 作詞:DAIGO/作曲:氷室京介(2003年)
- メロディーはシングル『Claudia』と同一。
- 『MARIA』 - 作詞:DAIGO/作曲:氷室京介(2003年)
- KAT-TUN
- 『Keep the faith』(作詞: 氷室京介、SPIN/RAP詞:JOKER/作曲: 氷室京介)
- 自身が作詞に携わるのは、アルバム『Case of HIMURO』に収録されている「CLOUDY HEART」、「ANGEL 2003」以来、4年7ヶ月ぶり。
- 『Keep the faith』(作詞: 氷室京介、SPIN/RAP詞:JOKER/作曲: 氷室京介)
[編集] ライブコンサート
- 1988年
- KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"(5公演、約5万人)、
- KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(15公演、約18万人)
- 1989年
- "NEO FASCIO"TOUR(36公演、約13万人)
- 1990年
- "NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90(7公演、約10万人)
- 1991年
- OVER SOUL MATRIX TOUR 1991(46公演、約12万人)
- 1993年
- TOUR 1993 "L'EGOISTE"(51公演、約15万人)
- 1994年
- SHAKE THE FAKE(16公演、約19万人)
- 1998年
- TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand[23](14公演、約21万人)
- 2000年
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"(35公演、約10万人)
- 2003年
- KYOSUKE HIMURO "Case of HIMURO"15th Anniversary Special LIVE(7月20日、さいたまスーパーアリーナ) 約3万5千人
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"(38公演、約12万人)
- 2004年
- KYOSUKE HIMURO "21st Century Boowys VS HIMURO"(8月22日、東京ドーム)約5万5千人、
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"(49公演、約14万人、11月7日、Zepp Tokyo ver.を含む)
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"(47公演、約12万人)
[編集] 出演
[編集] 映画
- 裸の24時間(1984年、自主制作映画)
[編集] テレビドラマ
[編集] テレビ番組
- THE SLEEPLESS NIGHT~氷室48HOURS~ (1999年、NHKBS2)
[編集] ラジオ番組
- 「SF Rock Station」(1986年10月~1987年3月、東海ラジオ)
- 「TOSHIBA PREMIA 3」(1990年、TOKYO FM)
[編集] CM
[編集] 書籍
[編集] 写真集
- Don't Knock The Rock / KING OF ROCK SHOW(1988年)ISBN 9784789704076
- HIMURO DOCUMENT 1987-1988(シンコーミュージック、1988年)ISBN 9784401621408
- FLOWERS for ALGERNON / KING OF ROCK SHOW(1989年)ISBN 9784789704373
- PAPARAZZI[24](1991年)
[編集] 関連項目
- 吉田拓郎
- 子供の頃ファンでギターを始めるきっかけになった。後に「たどりついたらいつも雨降り」を氷室がカバー。
- キャロル
- キャロルの解散ライブ映像を見て、バンドを始めるきっかけになった。
- RCサクセション
- 氷室は再デビュー前、挫折して群馬へ帰る直前、彼女にもらったチケットでコンサートを見に行き、ステージだけに集中している多くのファンたちの様子などを目の当たりにして、音楽に対する情熱を取り戻し、帰郷を思い留まったというエピソードがある。
- 泉谷しげる
- 「独りファシズム」を作詞。少年院を共に訪問した。
- ジェラルド・ウェイ
- 「Safe and Sound」をコラボレーションした。
- スティーヴ・スティーヴンス
- グラミー賞受賞ギタリスト。氷室渡米後のレコーディングやツアーに参加。
- リチャード・スターク
- クロムハーツの設立者にして責任者。氷室のステージ衣装やアクセサリーデザインも手がける。
- ミック・ジャガー
- 「ステージ見たら、俺泣いちゃいますからね」など、必ずといっていいほど定期的にコメントの中でリスペクトすべき人物として名前を出している。
- グリーン・デイ
- iPodに彼らのライブ映像を全てダウンロードするほどお気に入り。
- 山田かまち
- 幼なじみ。同じ小・中学校出身。
- 東海ラジオ放送
- 先述した「SF Rock Station」の制作・放送局。この時 番組パーソナリティーをやらせてもらっていた事から、氷室は名古屋でコンサートを行う際「名古屋は第二の故郷」とコメントする事がある。
- 佐伯明、友森昭一、ヒロ鈴木、市川訓由、永井利光、後藤次利、ホッピー神山、北島健二、佐橋佳幸、美久月千晴、佐久間正英、田家秀樹、DAITA
[編集] 脚注
- ^ 再デビューとなった経緯については経歴のデビューを参照してください。
- ^ 同郷ではあったが、当時の二人に面識はそれ程なかった。
- ^ 京都に行った際、占い師に「狂」の字を使うのは良くないと言われたため(参照:月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介70ページ)。
- ^ 当時の音楽シーンが遅れて来たメディアを通じて一過性のバンドブームに湧く中、誰もやったことのない特設ステージをソロとしてのツアー会場に選んだ。会場では雨に祟られることも多くBOØWY時代同様、必ずしもコンディションの良いステージばかりではなかったが、それはそれまで同様、追われる側として当たり前の音楽シーンとは一線を画すアクションだった。
- ^ オフィシャルファンクラブ名(ツアー名でも使われた”KING”はチェスが命名の由来)
- ^ 世界では中国の天安門事件、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争勃発と混乱と狂騒に包まれていた。ソロデビュー1stと同様、ポップなイメージを予想していた多くの人たちに、このコンセプトアルバムを通して、自分の音楽への向き合い方を明確に提示した。
- ^ この時期、前ツアーから共にライブを行って来たバンドといくつかのイベントに出演、翌年にはレコーディングスタイルもバンドとともにスタジオへ入るなど、バンドの中でのボーカリストとしての在り方を追求していた時期と言える。
- ^ 渋谷の街をジャックしたかのような巨大なボードやウォールペインティング、ポスター、その後、珍しくなくなったこれらのプロモーションスタイルは当時は斬新なものだった。
- ^ 後のインタビューでは「あのまま日本にいたら、きっと自分はダメになっていたと思う」と発言している。
- ^ この時期からシングルにバラードが登場しはじめ、チャートやセールスに左右されない創作活動を念頭に置くようになる。また、ビデオクリップでコラボレートした新進気鋭の映像集団”PROPAGANDA”は、それまでの自分をとりまくシステムを考え直すほどの強烈な感銘を彼に与えた。
- ^ BOØWY時代に「CASE OF BOØWY」と称したライブを行い、またビデオでもリリースされた。バンド解散20周年を迎え、この単独イベントが唯一バンド解散を前提とした企画であったことが公表されている。
- ^ どこの会場でも熱狂的に迎えられ、最終、東京代々木公演のアンコール「Cloudy Heart」でのハプニングは彼とオーディエンスとの深い絆を誰もが再確認した出来事だった。その"HIGHER THAN HEAVEN"ツアーファイナルの模様はファンの熱い要望で異例の1ライブ完全収録でビデオリリースされている。
- ^ ネット上などでは、バンド解散の美学への裏切りであるとか、ソロ後のファンへの裏切りであるとかの強い反発意見も出たが、バンドの元フロントマン自らトリビュートしたことに関して、「長年、応援してくれているファンが喜んでくれれば」「当時のバンド仲間に敬意を込めて」「(再結成や様々な問いかけに対する)俺なりの答えです」とコメントした。ちなみに、ライブイベントのサブタイトルの和訳は「温故知新」である。
- ^ 15年以上も前の曲が使われた理由として、プロデューサーの野村哲也は以前から氷室京介のファンで、「製作中にずっとこの曲がイメージとして頭にあった」とコメントした。
- ^ GLAYが氷室京介のファンであることは以前から有名であるが、対談すら過去に実現しなかった両者のコラボレートが今になって実現した背景にはGLAYがそのとき抱えていた事務所独立に伴うトラブルを聞いたうえで氷室が「一緒にやろう」と快諾したとされている。
- ^ 出演のきっかけは氷室の息子がMr.childrenのファンでスタッフ経由でサインを貰ったことがあったためと氷室自身が明かしている
- ^ レコーディングは氷室がリスペクトする錚々たるメンバー(Andy Newmark, Jeff Thal, Tony Levin)と共に行われた。
- ^ 1年以上の歳月をかけて完成されたこのアルバムのタイトルは、原作が洋書絵本「僕を探しに」、「ビッグ・オーとの出会い」の2冊からヒントを得て付けられた。
- ^ このアルバムをもって氷室自身「究極の氷室京介の音楽」と語っている。L.Aを活動の拠点にし、また憧れのギタリスト、スティーブ・スティーブンスの協力を得たことで達成された満足感と自信を強烈に感じさせる力強い作品に仕上がっている。
- ^ このアルバムを氷室が「自分のためだけに創ったアルバム」とコメントしたことからオフィシャルBBSが閉鎖されてしまうほどの一部のファンからの反発を受けた。ある意味、彼自身の偽りの無い感情が唯一公開され発信されたアルバム。
- ^ 氷室のレコーディングに欠かせないエンジニアNeil Dorfsmanとのセッションが初めて実現したのは、この作品から。
- ^ 1298日ぶりのステージとなったアリーナクラスを中心に行われた全国ツアー。サポートギタリストにスティーヴ・スティーヴンス本人、ステージデザインにストーンズなどを手掛けるマーク・フィッシャーなど、圧倒的スケールで話題の多かったツアー。
- ^ 企画から写真選択に至るまで氷室自身が手掛けた写真集。撮影はローマからカイロ、セイシェルからニューヨークまで世界6カ国を旅しながら、フォトグラファー加藤正憲によって行われた。(当時のコンサート会場、通販限定)
- ※部分的に、KING SWING編集のプライベートマガジン"The Interviews 1998-2000"を参照した。

