横浜スタジアム
| 横浜スタジアム Yokohama stadium |
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|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 神奈川県横浜市中区 横浜公園無番地 |
| 座標 | 北緯35度26分36.34秒 東経139度38分24.36秒座標: 北緯35度26分36.34秒 東経139度38分24.36秒 |
| 起工 | 1977年4月 |
| 開場 | 1978年4月4日 |
| 所有者 | 横浜市 |
| 管理・運用者 | 株式会社横浜スタジアム |
| グラウンド | 内外野 - ロングパイル人工芝(フィールドターフ) |
| ダグアウト | ホーム - 一塁側 ビジター - 三塁側 |
| 照明 | 照明灯 - 6基 照度 - バッテリー間:2500ルクス 内野:2000ルクス 外野:1650ルクス |
| 建設費 | 約48億円 |
| 設計者 | 創和設計 |
| 建設者 | 清水建設、大成建設など 11社による共同企業体 |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| 横浜DeNAベイスターズ(1978年 - 現在) | |
| 収容能力 | |
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30,234人
(内野:22,198席、外野:5,329席、立ち見:2,707人)[1] |
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | 両翼 - 94.2 m(約309.1 ft) 中堅 - 117.7 m(約386.2 ft) 左右中間 - 111.4 m (約365.tft) グラウンド面積 - 12,284m² 屋内練習場 - 963m² |
| フェンス | 5.0-5.3 m (約16.4 ft) |
横浜スタジアム(よこはまスタジアム)は、日本の神奈川県横浜市中区の横浜公園内にある野球場。日本プロ野球・横浜DeNAベイスターズの本拠地(専用球場)として使用されている。通称:「ハマスタ」。
目次 |
[編集] 概要
1978年(昭和53年)3月、老朽化した横浜公園平和野球場(よこはまこうえん・へいわやきゅうじょう、通称「平和球場」)の跡地に竣工。同年より、川崎球場から移転した横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となったほか、神奈川大学野球連盟のリーグ戦や、全国高校野球選手権の神奈川大会、横浜市長杯関東地区大学野球選手権大会(全国明治神宮野球大会出場決定戦)等、アマチュア野球の会場としても用いられる他に、アメリカンフットボールの会場としてもしばしば利用されている。高校野球夏の大会では、開会式のほか1回戦から使用され、準々決勝以降は保土ヶ谷球場にかわりメインスタジアムとなる。
施設は横浜市が所有し、市などの出資による第三セクター・株式会社横浜スタジアムが運営管理を行っている。どんぶりを傾けたような外観と、横浜のイニシャル“Y”を模した逆三角形の6基の照明塔が特徴である。2003年(平成15年)からロングパイル人工芝「フィールド・ターフ」を、日本の屋外球場では初めて[2]採用した。
神宮球場の拡張、広島の新球場への移行により、横浜スタジアムはプロ野球で使用される本拠地球場で両翼・中堅までの距離が最も狭い球場となった。
[編集] 株式会社横浜スタジアム
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒231-0022 神奈川県横浜市中区横浜公園 |
| 設立 | 1977年(昭和52年)2月 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | プロ野球興行 催し物開催のための施設の運営および賃貸 物品の賃貸 広告および放映放送契約 場内売店等の経営 入場券、キャラクターグッズ等の販売 |
| 代表者 | 鶴岡博(代表取締役社長) |
| 資本金 | 34億8000万円 (2011年1月31日時点) |
| 発行済株式総数 | 696万株(2011年4月28日時点) |
| 売上高 | 連結:33億4914万1000円 単独:32億8356万3000円 (2011年1月期) |
| 営業利益 | 連結:3億4696万円 単独:2億8858万6000円 (2011年1月期) |
| 純利益 | 連結:2億7019万円 単独:2億3973万円 (2011年1月期) |
| 純資産 | 連結:143億570万8000円 単独:138億1395万円 (2011年1月31日時点) |
| 総資産 | 連結:153億1012万2000円 単独:148億1812万7000円 (2011年1月31日時点) |
| 従業員数 | 連結:45人、単独:43人 (2011年1月31日時点) |
| 決算期 | 1月末日 |
| 主要株主 | テレビ朝日 5.74% 横浜ベイスターズ 5.74% 東京放送ホールディングス 5.74% フジ・メディア・ホールディングス 5.74% 横浜市 5.74% |
| 主要子会社 | 横浜球場商事(株) 100% スタジアム・エンタープライズ(株) 100% |
| 外部リンク | http://www.yokohama-stadium.co.jp/ |
[編集] 事業の内容
横浜市との間の公園施設の寄附に関する契約に基づき、横浜市よりスタジアム施設の使用許可及び管理許可を受けて、職業野球興行、催し物開催のための施設の運営及び賃貸、物品の賃貸、広告及び放映放送契約、場内売店等の経営を行ない、また、これらの観客、利用者を対象に入場券、キャラクターグッズ等の販売及びその他のサービス業務の事業活動を展開している。
[編集] 沿革
- 1929年 横浜公園平和野球場落成
- 1977年2月 株式会社横浜スタジアム設立
- 1978年3月 横浜スタジアム竣工 施設を横浜市へ寄贈すると同時に興行使用権を取得
- 1978年3月 株式会社大洋球団(現・株式会社横浜DeNAベイスターズ)の専用球場となる。
- 1979年3月 関連会社横浜球場商事株式会社設立 スタジアム商品、入場券等販売委託、酒類小売業経営(現・連結子会社)
- 1984年8月 屋内練習場竣工 施設を横浜市へ寄贈
- 1993年2月 関連会社スタジアム・エンタープライズ株式会社設立(現・連結子会社)
[編集] 特徴
[編集] 日本初の多目的スタジアム
内野スタンドの前段とピッチャーズマウンドは日本で初めて可動式を採用した。
野球開催時(通常時)はグラウンドの形状が扇形になっているが、アメリカンフットボールなどの試合を開催する際は一塁側・三塁側のスタンドを移動させて長方形にグラウンドの形状を変更することができる。マウンドは昇降式であり、野球以外のイベント開催時にはマウンドを降下させ、その上に骨組みを組み、さらに人工芝マットを敷くことでグラウンド全体を平らにすることができる。
この可動式スタンドや昇降式マウンドは、いずれもプロ野球以外の興行への使用を前提に設置された。このため、横浜スタジアムは日本で初めて設計段階から多目的スタジアムとして造られた建築物と言える。二塁ベース後方を中心として真円形に作られたスタンドなど、アメリカで1960~1970年代に流行したアメフト兼用球場の影響が見てとれる。この特徴は後のドーム球場等にも取り入れられた。また、プロ用野球場としては日本で初めて、建設時から全面人工芝グラウンドと電光掲示式スコアボード、および映像表示装置を採用している。
なお、2003年(平成15年)シーズン前に人工芝を、限り無く天然芝に近い感触とされるハイテク人工芝「フィールド・ターフ」に張り替えたことに伴い、従来の人工芝のように必要に応じて簡単に取り外しができなくなった。このため、内野スタンド可動席を動かすために人工芝を剥がすには、相当な経費がかかるようになったため、現在は可動席を動かすことがなくなっている。最後に可動席が移動したのは、2001年(平成13年)11月23日に開催された横浜ベイスターズと横浜F・マリノスとの合同ファン感謝イベントである。
横浜スタジアム建設前の横浜市内には大型の競技場やコンサートホールなどが無く、スポーツイベントや音楽興行の分野では立ち遅れた街であったが、横浜スタジアムの完成がこれらにおける発展にも大いに寄与した。長年にわたり横浜国際女子駅伝の発着会場となった[3]ほか、Jリーグ草創期にはグラウンドに天然芝のマットを敷いてプレシーズンマッチを行ったこともある。
また、コンサート会場としても数多く利用され、国内外の多数の有名アーティストが大規模なコンサートを行なってきた。しかし、屋根がない横浜スタジアムは、天候によってイベント開催の可否が左右されやすく近隣への騒音問題もあり、また3万人収容という施設に応じた集客が難しいことから、横浜アリーナや横浜国際総合競技場(現名称:日産スタジアム)が完成した1990年代以降、野球以外でスタンドが満員になるような大きなイベントにはそれ以前ほど使用されなくなっている。とはいえ、国内人気ロックバンドであるTUBEは20年以上にわたり毎年8月、横浜スタジアムでコンサートを実施しており、夏の風物詩となっているほか、TUBE以外の人気国内アーティストも毎年夏に1組程度野外コンサートを開催している。さらに、これに加えて2006年から横浜レゲエ祭も開催されるようになっている。2010年については横浜赤レンガ倉庫で行われたが、2011年は再び横浜スタジアムで行われる。
[編集] 建蔽率の問題
建物の立体的な外観は、他の野球場に見られるような垂直的なそれではなく、スタンドの上辺が広く下辺が狭い逆円錐形をしている。これは都市公園法施行令第6条1項1号で定められている、都市公園内運動施設の建蔽率規制によるもので、スタンドの下辺をもって建蔽率を計算する[4]ためのいわば苦肉の策である。兎にも角にも面積上の問題をクリアするためにかなり無理のある設計を行っている。また、近年に建設されたいわゆる「国際規格」の野球場に比べ、収容観客数の少なさやグラウンド面積の狭さが指摘されて久しいが、法規上の限界[5]の中で設計されていることから、スタンドの増築を伴う観客席増設や、スタンドの構造変更を伴うグラウンド面積の拡張なども、法令の改正がなされない限り事実上不可能である。
ダッグアウト裏やグラウンド内に場所が確保できなかったため、ブルペンは外野スタンドの下に存在する。ちなみに、ブルペンは目隠し用のテントと侵入防止用の鉄柵を隔てただけで横浜公園に面しているので、リリーフ投手の投球を受ける捕球音やブルペン捕手の掛け声を球場外から聞くことができる。
ダッグアウトとブルペンの間は連絡路がなく隔絶されているため、プロ・アマ問わずリリーフ投手は試合前からブルペンで待機するか、試合中の攻守交替時にグラウンドを歩いてブルペンに向かわなければならない。また、ブルペンからマウンドまでが遠いので、プロの試合における投手交代時は通常、リリーフカーを使用する。球場誕生時は日産自動車のブルーバード910型のオープンカー[6]を使い、その後は同社のBe-1やエスカルゴを経て、現在のリリーフカーはトヨタ自動車のスポーツカー・MR-Sを改造したものを使用している。
ブルペンを外野スタンド下に収める構造を採用した結果、横浜スタジアムの外野フェンスは高さがドーム球場並み[7]の5mに達するものになった。このため、グラウンド内でバウンドした打球がフェンスを越えてエンタイトルツーベースに至ることはほとんどあり得ず、フェンスによじ登ってのフライ捕球もまず不可能である。ただし、フェンスが高いとは言っても、外野スタンドが狭いため、プロのパワーヒッターであれば場外ホームランを打つことも可能である[8]。 --211.125.207.191 2012年2月18日 (土) 10:29 (UTC)
[編集] 短所と長所
上記で述べた通り、法規制クリアのため設計上の無理が少なからずあり、以下のようなしわ寄せが来ている。
- 外野スタンドは傾斜が急なのに加えて、スコアボードが最後列よりも大分前に設置されているため、見づらい所や全く見えない所が存在する[9]。
- スコアボードに関しては、近年他のプロ野球本拠地球場では大型化、ハイビジョン対応、動画対応のサブスコアボードなどのグレードアップが行われているが、前述のように構造上大型化が不可能である。
- バックスクリーンが外野フェンスのすぐ後ろ(数十cmの段差があるだけ)でフェンス最上段に黄色い識別用ラインが引かれているものの、その段差部分に飛び込んだ打球の判別に困難な時がある。2009年(平成21年)に中日のトニ・ブランコがここに当たる打球を放ったが、オーバーフェンスではないという判定になった。これについて落合博満監督が「オーバーフェンスかどうかを識別しやすい構造に変えるべきだ」と報道陣にコメントしている。2010年シーズンからは段差部分に土嚢が置かれ、土嚢に当たったボールの跳ね返りでオーバーフェンスかどうかの判別をしやすい様にしている。
- 2007年(平成19年)に改修されたベイブルーシートエリアを除くと、内外野とも前後の座席間隔が狭いため試合中の離席が困難。
- コンコースが狭いため売店やトイレが少なく、試合終了時に通路やゲートがとても混雑する。また、スタジアムが全席禁煙化されてからは、コンコース内やスタジアム外周に張り出して設置された喫煙場所を利用する喫煙者で、コンコース中が混雑している。
他にも観客の立場から見て不都合な点も多く、必ずしも快適に観戦できる球場とは言い難い。
- オープン当初はスコアボード後方の通路で左右の外野スタンドを連絡していたが、トラブル防止のために通路は閉鎖され、完全に分断されたため、ライト側観客席からレフト側観客席、あるいはその逆の移動はできない。その為か、入場ゲートも自由席が有るにも関わらずライト側とレフト側に分けられているので、「こちらは○○ファンの方が並ぶ最後尾です」というプラカードを係員が掲示して案内している。
- 両翼ポール際付近はスタンドのどの位置からも死角になりやすく、例えば一塁側内野席やライト側外野席に座ると、ライト線に打球が行った場合フェアかファウルかが判りづらい。またフェアであっても外野手の打球処理が見えない。ただし、内野席の外野側の座席をバッテリー間に向けるとこの不具合は避けられないものであり、近年のプロ用の新球場ではこの不具合よりも座席の向きを優先している球場が多い。
しかしその一方で、以下の点は他球場と比較して有利とされる。
- 外野側のファウルゾーンが狭く内野スタンドのネットも撤去された事から、観客とプレーする選手との距離が近く感じられ、臨場感が大きい。また試合の前後に、可動式スタンドの中央部から直に選手と握手したりサインを求めたりする事ができる[10]。
- 鉄道路線が三つ(横浜市営地下鉄・みなとみらい線・JR根岸線)も通り、いずれも球場から徒歩5分以内の所に駅があるため、都心や横浜市内からのアクセスがよく、延長戦でも比較的安心して観戦できる。
- 球場周辺に、横浜中華街や山下公園など試合の前後に立ち寄れるような観光スポットが多くある。
- 伊勢佐木町などの繁華街が近く、球場周辺にナイター終了後も営業している飲食店が多くある。
[編集] ゲーリッグとルースのレリーフ
横浜スタジアムには、外野レフトスタンドのポール際にベーブ・ルースのレリーフが、ライトスタンドのポール際にルー・ゲーリッグのレリーフがそれぞれ設置されている。これは、後述の通りルースやゲーリッグというメジャーリーグベースボールの歴史に名を残すスターがこの地でプレーしたことを記念するものである。
[編集] 名球会入り選手のプレート設置
2006年(平成18年)からは、名球会入りしたホエールズ、ベイスターズの選手の名前を入れたボール模様のプレートをライト外野スタンドに設置し、その功績を称えている。配置は右中間からライトポール際に向かって、以下の通り。
- 「1980.4.23 2000HITS 松原誠」(最終記録2095安打)
- 「1983.10.21 200WINS 平松政次」(最終記録201勝)
- 「2000.9.6 2000HITS 駒田徳広」(最終記録2006安打)
- 「2005.4.14 250SAVES 佐々木主浩」(最終記録381セーブ…日本252セーブ、アメリカ129セーブ)
- 「2006.5.11 2000HITS 石井琢朗」
[編集] 売店
売店は内野スタンド2階通路と外野スタンド1階に設置されている。高校野球の時は外野席の売店は営業しない(内野席が満席の場合、外野席が開放される。この時内野席から外野席へは移動できるが外野席から内野席への移動はできない)。内野スタンド一塁側にはマクドナルドが、三塁側にはケンタッキーフライドチキンがある。一時期ミスタードーナツもあったが今は撤退。場内で販売されている牛丼は以前は吉野家だったが2001年(平成13年)頃からはなか卯となっている。
また、スタジアム内で売られている「みかん氷」が名物となっている。かき氷の上に缶詰のみかんが乗り、その上に缶詰みかんのシロップをかけたもので、一杯350円。特に真夏のデーゲームの際には売り場に長蛇の列ができる。2009年(平成21年)までは1,3塁側の内野売店(2004年までは3塁側のみ)での販売であったが、2010年(平成22年)より外野席の売店でも販売するようになった。2007年(平成19年)からは1塁側のみだが、みかんの代わりに缶詰パイナップルとシロップを使った「パイナップル氷」が発売された。一杯350円。
崎陽軒のシウマイ弁当の掛紙は横浜スタジアムオリジナルの物が使われている。ただし定価の750円より100円高い850円となる。関内駅にある崎陽軒売店では定価で売られているが掛紙は通常。
内野席中程の3階には2005年(平成17年)に既存のレストランを改修した「カフェ・ビクトリーコート」が有り、店内にはベイスターズ(ホエールズ)の歴代のユニフォームや優勝ペナント等が飾られている。
スタンドの傾斜が激しい事もあり、関東のプロ本拠地球場では唯一、客席での生ビールタンクサーバー売りは実施されていない。売り子からビールを買うと缶ビールをカップに移し替えての販売である。1杯500円。生ビールの販売はコンコースの各種売店や、アサヒビールスタンドのみである。こちらは1杯650円
場内を売り歩いているビールの売り子が販売しているおつまみは2種類。マルハの関係からかちくわ、そして地元の美濃屋あられ製造本舗の横濱ビア柿である。いずれも税込み200円。
[編集] その他
- 上記のような球場の特色は、観客の応援スタイルにも影響を及ぼしている。ジェット風船を使った応援は、横浜市のポイ捨て・喫煙禁止条例抵触と試合進行妨害、近隣を走る根岸線への影響[11]を理由に禁止している。なお、1995年のオールスターゲームのみ特別に許可され、チームカラーの1つである黄色い風船で埋め尽くされた。
- 設けられた放送席のうち、高い位置にあり、またかなり狭いラジオ向けの放送席・「通称:鳥かご」がある。バックネット裏すぐ(通常の建物だと2階相当の高さにある)にある他の放送席と違って、バックネット裏内野スタンド上段にある事から、後から取り付けられたものと見られる。またグランド側には格子があるものの、窓が無い事から、場内の音が入りやすい。
- (東京)ヤクルトスワローズ応援団(ツバメ軍団)による「ビニール傘応援」は、座席間隔が狭いため危険として一時期禁止されていた。
- バックスクリーンが肌色と相対色である青色であるため、投手のリリースポイントが見やすい。そのためか当球場での試合は乱打戦になる傾向がある。
- 横浜の選手に本塁打が出ると"Good-bye Baseball!"(「入った! ホームラン!」の意)のアナウンスと共に、船の汽笛が鳴り響く。
- かつてグラウンドにカモメやカラスやネコが入り込んで試合が中断したことがある。また、雨が降ったときに外野グラウンドにカエルが入り込んできたこともあった。
- 3塁側内野スタンドの1階部分には剣道場(剣道横浜公武館)が入居している。
- 2009年(平成21年)8月27日の横浜対阪神戦の試合中に、泥酔した観客の男性がライトスタンドからグラウンドに転落し、2日後に死亡する事故が発生した。この転落事故の教訓から、マナーを守って観戦してもらえるように対策を検討している。
- 当日券の販売が有る場合には、各種指定席及び自由席を時間差をつけて販売している。なので、各種チケットの販売開始時間が場内アナウンスで事前に知らされる。
- 近年、相手チームが勝利した時のヒーローインタビューを行う事が多くなっている。セントラル・リーグ本拠地の他球場では滅多に見られない光景となっている。(他球場でも試合中継しているメディア向けに行われているが、球場内のスピーカーからは流さないようになっている場合が多い)
- 2010年(平成22年)の横浜ベイスターズの球団売却交渉の際に、球場使用料や広告・物販収入が横浜ベイスターズに入らないなどの契約内容が球団の経営を圧迫していると問題になった[12]。
[編集] 球場の歴史
[編集] 建設に至る経緯
横浜スタジアムが建設される前、この地には、1929年(昭和4年)に落成した横浜公園平和野球場(通称:平和球場)が存在した。この平和球場は、戦前にはのちの日米野球の前身となる米大リーグ選抜対日本代表の親善試合が行われ、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグといった当時のスター選手が訪れてプレーをしている。しかし太平洋戦争後、アメリカ軍による接収を経て横浜市に返還された後は老朽化が進行し、1970年代初頭にはスタンドが半分近く使用不可能な状況であった。
時を同じくして、当時川崎球場を本拠地としていた大洋ホエールズは、川崎球場の集客力に限界を感じ、より知名度の高い都市である横浜市への移転を目論んでいた。そこで大洋球団は1972年(昭和47年)11月22日、横浜市に対し「横浜平和球場が改築した折には、本拠地を川崎から移転したい」と申し入れを行い、当時横浜市長だった飛鳥田一雄の同意を得て覚書を取り交わした。
[編集] 新球場建設
飛鳥田市長は、大洋の移転意思もあって球場建設にはやぶさかでなかったが、折からの第一次オイルショックを受け横浜市の財政も逼迫しており、市が単独で建設の予算を捻出することは到底不可能な状況だった。また、当時はみなとみらい21地区の造成もまだ構想段階であった上、市内には随所に返還の目処が立たない米軍接収地が点在していたため、横浜公園以外で同等の交通アクセスを確保できるような土地はなかった。従って、球場の建設イコール平和球場の建て替え、という図式へ必然的に流れていったが、平和球場を解体してプロ野球も開催可能な規模の球場を建設するには、公園内建築物の建ぺい率制限や、所管官庁である建設省との折衝、さらに神奈川県立武道館等、球場建設によって移転を迫られる横浜公園内施設の代替地問題など、資金面以外にもさまざまなハードルがあった。中でも、横浜公園内の米軍横浜チャペルセンターの立ち退きに際しては、日本政府のほかに米軍当局との調整も必要であった。
[編集] 着工へ
しかし、飛鳥田市長の斡旋により西武グループの総帥である堤義明国土計画社長が大洋球団の株式の一部保有(約45%)と建設資金3億円の融資を表明すると、建て替えの機運は急加速をはじめる。やがて飛鳥田らの奔走により資金以外の問題は順次クリアされ、堤による支援のほか市民からの株主も募り[13]、1977年ついに第三セクター法人の運営会社「株式会社横浜スタジアム」が設立される。そして1977年(昭和52年)4月1日、市の建替え計画に対し大蔵省の許可が下り、球場の建設が開始された。
通常、この規模の建築物であれば2年前後の工期がかかるが、横浜スタジアムは翌年のプロ野球開幕に間に合わせるため、平和球場の解体を含めて1年程度の非常に短い工期が組まれることとなる。このため着工当初は7社程度のゼネコンによる共同企業体であったが、工期の関係上最終的には11社に及ぶゼネコンが結集し、超突貫体制で建築作業が行われた。法律上、公有地に企業が運営する施設を設置することができないため、建設は横浜スタジアム社が行った上で、一旦横浜市に施設を無償譲渡する形を執り、運営を横浜スタジアム社が行うという形が取られた。なお平和球場解体の際、スコアボードは藤沢市八部野球場に移設され、その後10年ほど使われていた。
この間、大洋球団[14] は6月15日、横浜移転を前提として検討を進めている旨を発表。そして8月20日、翌1978年から横浜スタジアムを専用球場とすることを川崎市に正式に通達した。しかし、大洋側がそれまで川崎市側に対して配慮を行わず、突然一方的に移転を伝えられたことで川崎市は激怒。市内の19団体が「エントツだけのまちにしないで。」とキャッチフレーズを銘打って移転反対を唱えるキャンペーンを行い、当時の市の人口の約半分に当たる54万人分の署名を集めるなど、一時猛反発を呼ぶ事態となった。
[編集] 落成
幸い工事は工期どおり無事に終了し、1978年(昭和53年)3月31日、晴れて横浜スタジアムは完成。同年4月4日に杮落としとなる横浜大洋ホエールズ(移転により改称)-読売ジャイアンツの公式第1回戦が行われ、前年新人王の斉藤明雄の力投により地元大洋が4-1で勝利して花を添えた。この試合の始球式は、前市長として建設に尽力した飛鳥田一雄(この時の地位は日本社会党委員長)が行っている。
[編集] ロッテ共用問題
横浜スタジアムの着工が正式に決定した頃、ロッテオリオンズは大洋球団に対し、「横浜スタジアムをロッテも本拠地として共用し、年間40試合前後の公式戦を開催したい」と申し入れを行った。
1972年(昭和47年)に本拠地の東京スタジアムを失ったロッテ球団は、この頃は宮城県仙台市の宮城球場を一応の専用球場としていた。しかし、東北新幹線は未開通、航空機も今ほど気軽に利用できる交通手段ではなかった時代であり、6球団中4球団(南海・近鉄・阪急・クラウンライター)が西日本に本拠を置き、さらに各球団とも現在とは比べ物にならないほど観客動員数の低かった当時のパ・リーグでは、カード毎の長距離移動はロッテ・ビジターともに選手の肉体面や球団の経営上、大きな負担であった[15]。それゆえ、横浜スタジアムの建設はロッテ球団にとってまさに渡りに舟と言える出来事であった。
これに対し、横浜スタジアムの単独使用を既定路線として進めていた大洋球団は、共用によって日程上の制約を受けることを嫌ってロッテ球団の申し入れに難色を示した。このとき大洋球団は既に川崎市に対し正式な移転通告をしていたため、プロ野球興行がもたらす経済効果を得たい横浜市と、それを喪失したくない川崎市、全国2位の人口を抱える横浜で集客を伸ばしたい大洋球団とロッテ球団、以上4者の思惑が交錯し、マスコミ等世間も注目する中[16]で竣工間近まで交渉が続いた。だが、すでに神奈川県における地域保護権を持つ大洋球団の優位は最後まで覆らず、ロッテ球団の神奈川県への保護地域変更は認められたものの、横浜スタジアムは当初の予定通り大洋の専用となり、ロッテは川崎球場に落ち着くこととなった。
本拠地問題が収束した後も、大洋球団が横浜移転発表前後に配慮を行わず紛糾を呼んだ経緯などから、川崎市と大洋球団は半ば絶縁状態となった。このため、大洋(横浜)球団の川崎球場での公式戦は横浜移転後の1978年から1992年まで開催されず、1993年(平成5年)8月6日には16年ぶりに公式戦日程(阪神タイガース戦)が組まれたものの、結局雨天中止となった[17]。これにより、大洋・横浜の公式戦はついに一試合も行われることはなく[18]、2000年(平成12年)に川崎球場の観客席は解体された。
[編集] 建設後の主な改修
横浜スタジアムは、完成後現在に至るまでの間に幾度も改装を受けている。
- 1978年 シーズン途中、ダッグアウト前にフェンスを設置。
- 1989年 スコアボード大規模改修。選手名・得点表示部は、選手名・回数ごとに分割して表示部が設けられていたが、全面連結表示になり、光源も電球からLED(発光ダイオード)となった。また、映像表示部は動画も橙単色で写していたが、フルカラーブラウン管式のものに改められた。
- 1998年 内野人工芝張替え。
- 1999年 スコアボード改修。選手名・得点表示部分を橙単色LEDから3色(赤・緑・橙)LEDに変更。映像表示部も解像度の高いフルカラーLED画面(東芝ライテック製:スーパーカラービジョン)に交換。外野席をベンチシートから背もたれ付コンパートメントシートに換装。全席禁煙化。また、開場以来のメインスポンサーであった日産自動車が経営不振により撤退し、トヨタ自動車が日産に替わってその座に着いた。その影響で、スコアボード上端の広告が日産からトヨタに改められている。
- 2001年 外野人工芝張替え。リリーフカーも開場以来の日産車(最後は日産・エスカルゴの改造車)からトヨタMR-Sの改造車に変更。
- 2002年 ベイスターズの親会社がTBSになったことに伴い、スコアボード左右下端のスピーカー部分にTBSの広告を掲示。
- 2003年 内外野人工芝を、アメリカのメジャーリーグやサッカーの競技場の天然芝球場風の着色が施され、限りなく天然芝に近い感触とされる「フィールド・ターフ」に張替えた。
- 2005年 内野スタンドから、バックネット以外のフェンスを撤去。また、開設時からライトスタンド中段に設置された電子オルガンブース[19]も撤去。これによりライトスタンドの席数が若干増えた。そのほか、レストランやトイレ等、コンコース内の施設を改修した。
- 2006年 外野フェンスラバークッションの高さをフェンス上端までかさ上げし、クッション厚も変更。ブルペンのマウンド数を一塁側・三塁側とも2箇所から3箇所へ増設。バックネットに広告表示用のLED画面(ファンケル化粧品協賛の広告を掲示)を設置。
- 2007年 バックネット裏[20]の座席を従来のオレンジ色のシートからベイスターズのチームカラーでもあるブルーのシートに変更。シートも跳ね上げ式になり、座席幅・間隔も10cm近く拡張される。その分座席数は2,000ほど削減されることになった。削減分は内野席最上段に立ち見スペースを設けることで、30,000人の収容能力を維持している。また、従来はスコアボード下のみにあったスピーカー設備を内野照明灯(4カ所8個)下にも設置した。
- 2011年 フィールドターフを内外野総張替え(ただし着色等の意匠は従来通り)。
[編集] スコアボードの改修
スコアボードは電球を使用していた時代(1988年まで)のレイアウトは川崎球場に似たタイプで、左上がスコア、右上が自由表示ディスプレイ、左右下をメンバー表示にあて、中心に大時計・カウント・審判名を表示した。最上部は左に「YOKOHAMA」、右に「STADIUM」の表記が入る。なお得点は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。
1989年(平成元年)の改修で橙単色LEDが使用された時代は延長戦の場合はそれが行われるイニング分左にスライドしていく形(例えば延長10回が行われる場合、1回のスコアが消去され2回~10回のスコアが表示される)だった。スコア上部には試合の経過時間[21](2008年以後、スピードアップ作戦のための奨励〔イニングス交代は2分15秒、投手交代を伴うものは2分45秒以内に再開させる〕により、インターバル時間も表示)が出されている[22]。
1999年(平成11年)の改修でカラー化されてからは再び10回まで表示され、11回以後は改めて表示をクリアし、対戦チームの横に10回までのスコア、そしてその右隣に11回~18回のスコアを表示できるようにしている。
2010年(平成22年)より球審のカウントコールの順番が変更された(国際慣習準拠)のに伴い、ボールカウント表示をストライク、ボール→ボール、ストライクの順に変更。日本のプロ野球本拠地では初である。
[編集] 過去に起きた新球場建設の動き
近年は横浜スタジアムに替わる新球場建設の動きも見られた。[23]
[編集] 新鶴見操車場跡地の利用
1990年代の初めには近郊の新鶴見操車場跡に新球場を建設することを目指し入札手続の準備を進めたが、入札に参加しなかったためそれが頓挫したこともあったといわれている。
[編集] 横浜ドーム構想
横浜ベイスターズ(横浜大洋ホエールズ)が、この球場を本拠地としてから初めて本格的な優勝争いに加わった1997年(平成9年)から優勝した1998年(平成10年)にかけて、横浜スタジアムの来場者数は劇的に増加した。特に1998年(平成10年)はゴールデンウィーク以降、どの対戦カードも公式発表で2万人を超える入場があり、当日券発売なしの試合も珍しくなかった。このため、チケットを買いそびれたファンからは横浜スタジアムの収容観客数の少なさが叫ばれ[24]、入場できたファンからも施設内の狭さに対する不満が続出した。これに乗じた高秀秀信横浜市長(当時)は、みなとみらい21地区[25]に多目的ドームを前提とした新球場建設を提案し[26]、横浜商工会議所等の地元経済団体も呼応する動きを見られた。
しかし、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)など他都市で多目的ドームの経営失敗例が生じたことや、横浜アリーナ等の既存施設と使用目的が競合することなどから、それ以上の具体的な進展は見られなかった[27]。それに加え、2000年代に入るとベイスターズの成績がふたたび低迷し観客数も減少。さらに2002年(平成14年)、主唱者であった高秀が市長選に敗れて退陣し、新市長に就任した中田宏によって横浜市が不要不急な公共事業を凍結する政策に転換した[28]こともあり、新球場構想はたちまち頓挫した。
その後、高秀の構想によって新球場建設予定地と目されていた西区みなとみらい6丁目の広大な空き地は、日産自動車との定期借地によりJリーグ・横浜F・マリノスの練習場・クラブハウス(マリノスタウン)、ならびに横浜市の横浜みなとみらいスポーツパーク(管理・運営は(財)横浜市スポーツ振興事業団)となった[29]。
2011年2月、横浜ベイスターズ売却問題をきっかけに「横浜ドームを実現する会」が再編された。経済界から300社近くの賛同が得られているという。2012年秋をめどに運営会社を設立する方針[30][31]。
[編集] 交通機関
- JR根岸線 関内駅 南口より徒歩2分
- 横浜市営地下鉄ブルーライン 関内駅 1番出入口より徒歩5分
- JR根岸線 石川町駅 北口より徒歩5分
- 横浜高速鉄道みなとみらい線 日本大通り駅 横浜スタジアム口より徒歩3分
- 横浜市営バス 横浜スタジアム前・市庁前・内駅北口・尾上町・羽衣町停留所
[編集] ギャラリー
[編集] 脚注
- ^ 消防法上の定員は30,730人となっている。
- ^ ドームも含めた野球場での初採用例は、2002年(平成14年)の東京ドーム。
- ^ 2003年から大会が終了した2009年までの発着場所は横浜赤レンガ倉庫。
- ^ スタンドのいわゆる「軒下」にあたる部分やグラウンドは、法令上の「建築物」とは見做されず、建蔽率の計算対象から除外される(軒下は公共の通路、グラウンドは広域避難場所に指定されているため)。
- ^ 法律上は建蔽率10%以下でなくてはならないとされるが、横浜市の条例はさらに厳しい7%以下という規制を定めている。
- ^ ひらけ!ポンキッキの歌『はたらくくるま3』のリリーフカーとして登場した。
- ^ スタンドが真円形で可動席を持つ球場の特徴である。
- ^ 実際に、何人かの選手が過去にしばしば場外ホームランを放っており、その中には投手のバルビーノ・ガルベスも名を連ねている。また、松井秀喜やタイロン・ウッズは、一人で複数回打っている。
- ^ バックネット裏のスタンド最上段に一応サブスコアボードは存在するが、これに表示されるのは得点経過とBSOカウントだけであり、打順表、球速表示、動画スクリーン等は見ることができない。但し、外野スタンドの傾斜角があるため、後部席でもグラウンド面が楽に見渡せるという利点がある
- ^ ただし、ビジターチームの選手は横浜ファンに配慮してあまりスタンドに近づかず、内野席からのサインの要求にも応じない傾向にあるが、最近は横浜ファンが一塁側に集まるようになったため、オープン戦や平日の試合などではサインを求めたりすることができる場合もある。
- ^ 風に流された風船が架線に付着し、列車がストップする恐れがある。
- ^ 横浜スタジアム社長が渡辺会長に反論「もうかってない」。読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』によれば物販と広告の収入は全て球場側に権利があり、入場料についてもそのうちの25%が球場側に入っている(2011年11月4日放送より)
- ^ オーナーズ・クラブをつくり、内野席年間シートを45年間与えるというプレミアムつけ、募集一口250万円の市民株主を800口募集し20億円の資金を得る。(有隣堂『有鄰』第398号 2001年1月1日発行)
- ^ 横浜スタジアムとの間に契約を交わし、20年契約で入場料収入の29%、シーズン席の収入の30%と販売経費を球団から球場へ払い、球場内広告に対して5,000万円、物販協力金として350万円を球場から球団へ支払うというものだった。1978年(初年度)の横浜スタジアムは広告収入5億3,300万円、物販収入9億2,000万円。1993年は、球場収入13億9,200万円、広告収入13億9,300万円、物販収入15億6,500万円で、経常利益は13億9,600億円、資産は現金・預金・有価証券で64億3,800万円であった。この契約は現在も延長されていると思われる。
- ^ いわゆるジプシー・ロッテと呼ばれていた問題である。
- ^ 一部では両球団の合併報道や、横浜スタジアムや大洋球団に国土計画が出資していたことから「西武が大洋を買収」という報道もあった。
- ^ 代替試合は川崎球場ではなく横浜スタジアムで開催された。
- ^ 但し、オープン戦は1994年(平成6年)と2000年(平成12年)に開催されている。1995年(平成7年)にもオープン戦の日程が組まれたが、雨天中止となった。また、ロッテ主催の対大洋オープン戦は1991年(平成3年)までの間に行われた。
- ^ 日本ビクター製のビクトロンが用いられていたことからビクトロン・カプセルとよばれたこのブースは、開設当初はレフト側に設置され、ライト側に移設された後もスタジアム名物だったものの、2002年頃から使用されなくなっていた。
- ^ 9・11・13・15・17ゲート周辺、可動席部分を除く。
- ^ 1989年3月23日に行われた大洋対巨人のオープン戦では、試験的に秒単位で時間が表示されていたが、公式戦では分単位の表示に改められた。
- ^ アメリカンフットボールの各クォーターの残り時間や、ロードレースのタイム表示にも使用。
- ^ 横浜スタジアム建設の際に募集した800口の市民株主によるオーナーズ・クラブの存在により、新規に建設される球場は(株)横浜スタジアムの運営、及び横浜ベイスターズの新球場への移転が前提とされる。また、このオーナーズ・クラブの存在によって、2023年まで横浜ベイスターズは専用球場を(株)横浜スタジアムの運営する球場以外の場所に設置できないと規定されている。
- ^ 当時、特に外野自由席は私設応援団やその関係者による座席の大量占拠によって立ち見を余儀なくされる一般入場客が多く、問題化していた。これは、1999年(平成11年)の外野座席のコンパートメントシート化や外野指定席の導入によって多少は改善したが、絶対的な座席数にはほとんど変化が見られなかった。
- ^ 60街区・61街区
- ^ 旧建設省出身で土木・建築業界を支持基盤としていた高秀は、1998年(平成10年)の市長選で、ベイスターズの優勝を条件にドーム球場建設を公約している。
- ^ この当時、ベイスターズの公式戦が行われる日に横浜公園内で「横浜ドームを実現する会」という団体が連日署名運動を行っていた。この署名活動にはかつてベイスターズ(大洋ホエールズ)に所属していた選手も多数署名したという。「実現する会」の実体は、横浜商工会議所の青年部や建設関連業者など、主に新球場建設の利権に絡む人々であった。一方で、ベイスターズファンの一部から試合中ライトスタンドにおいて「ハマドーム、イラン」や「横浜ドームはいらない」と書かれた横断幕掲示が見られた。
- ^ 中田市長はラジオ番組に出演した際「横浜ドームは不要。横浜スタジアムの可動式スタンドを使えなくしてでも天然芝にするか、東京ドームで今年(2002年)から導入されたフィールドターフを導入すればよい」と発言していた。
- ^ 横浜高速鉄道みなとみらい21線の新高島駅構内の柱や改札口などに「マリノスタウン」と書かれている。
- ^ 「横浜ドーム計画」再浮上…建設へ市民団体が再結成 2011年10月5日、神奈川新聞。
- ^ 横浜ドーム実現へ新会社設立構想、出資に市民枠/神奈川 2011年10月5日、神奈川新聞。
[編集] 関連項目
- 日本の野球場一覧
- ニッサングリーンカップ・全国草野球大会(全国決勝戦が当球場で行われ、草野球の甲子園といわれた)
- 全日本少年軟式野球大会
- 社稷野球場(横浜スタジアムをモデルとして造られた韓国・釜山広域市にある野球場)
- 横浜シミズ(横浜ベイスターズ主催試合で、球団と折半で運営業務・施設管理を委託している)
[編集] 外部リンク
| 前本拠地: 川崎球場 1955 - 1977 |
横浜DeNAベイスターズの本拠地 1978 - 現在 |
次本拠地: n/a - |
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