指名打者
指名打者(しめいだしゃ)とは、公認野球規則にもとづき、野球の試合において攻撃時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをいう。DH(designated hitter の略)や指名代打(しめいだいだ)ともいう。
ソフトボールの試合においては、任意の野手に代わって打席に立つ打撃専門の選手として指名選手(DP; designated playerの略)が認められており、指名選手はどの守備位置の選手にも適用可能[1]である。対して、DHは投手以外の守備位置に替わって打席に立つことは認められない。
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概要 [編集]
指名打者(以下DHと表記)は一切守備に就かず、投手と攻守を分担する。試合開始前にメンバーを発表する際には、投手以外の野手とともに打順が定められる。先発出場したDHは、相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度、打席を完了(安打または四死球・失策等により走者となる、またはアウトになる)しなければならない。ただし、DHの打順が来る前に相手チームの先発投手が交代した場合はこの義務はなくなる。
なお、チームは必ずしもDHを起用しなくてもよいが、起用しなかった場合には、その試合途中からDHを起用することはできない。逆に、DHを試合中に解除して守備の9人のみにするというメンバー変更は可能である。このときも再度DHを起用することはできない。
日本プロ野球(以下、NPB)・メジャーリーグベースボール(以下、MLB)の一部、韓国野球委員会・中華職業棒球聯盟・四国アイランドリーグplus・ベースボール・チャレンジ・リーグなどのプロ野球リーグや社会人野球、日本の大学野球リーグ(一部の連盟を除く - 後述)、および日本中学硬式の「フレッシュリーグ」等で採用されており、国際試合においても採用されることが多くなっているが、それ以外の少年野球・高校野球においては採用されていない。
DHには守備力は全く不要であり、打撃技術は秀逸だが守備能力に難のある選手や、長打力からもっぱら打撃を期待される外国人選手などの打撃専業化を目的として起用されることが多い。そのためコンタクト、パワー、選球眼を含めたトータル・パッケージを求められるが、中でも打線の中軸を担えるだけの破壊力が必需である。具体例としては、MLBにおいては30本塁打とOPS.900の両方をコンスタントにクリア出来れば一流と目される[2]。また、負傷により守備力が落ちている選手、あるいは足腰に不安があるベテラン選手等の守備配置による体力消耗軽減を目的として起用されることも多い。特にMLBにおいては、レギュラー選手の疲労回避手段や軽負傷選手の負担軽減を目的として、普段は守備についている選手をDHとして起用する例がしばしば見られる。ただ、守備をこなしてから打席に入ることで打撃のリズムを作るのをよしとする選手は、DHとしての起用を嫌う場合がある。DH専門の選手は選手寿命が短くなるという説[3]もある。
DH制を採用している団体に所属しているチームとそうでない団体に所属しているチームが試合をする際は、前者の主催試合のみDH制を採用することが多いが、近年は主催に関係なくDH制を採用するケースも増えている。
歴史 [編集]
MLB [編集]
1972年、過度な投高打低状態にあったアメリカンリーグ(ア・リーグ)では12球団のうち9球団が年間観客動員数が100万人を割る状態であった[4]。これを解消するためオークランド・アスレチックスのオーナーだったチャーリー・O・フィンリーらのアイディアによって、翌1973年よりア・リーグで初めてDH制が採用された[4]。DHとして最初に打席に立ったのはニューヨーク・ヤンキースのロン・ブルームバーグであった[4]。
DH制制定以降のMLBではポール・モリター、エドガー・マルティネス、デービッド・オルティスなどDHのスター選手も現れた[4]。2004年、長年DHとして活躍したマルティネスの引退の際にア・リーグはこれを称え、年間最優秀指名打者賞をエドガー・マルティネス賞と改名する事を決定した[4]。しかし2010年、マルティネスがアメリカ野球殿堂入りの対象者となった際には、野球記者の投票は36.2パーセントしか集まらなかった[4]。同年1月に招集されたMLB特別委員会で、以後のMLBオールスターゲームではア・リーグ、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)のどちらの本拠地での開催であってもDH制を採用することが決定した[4]。
NPB [編集]
NPBでは人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグがア・リーグの成功を参考に1975年から採用した[5]。日本で最初にDHとして打席に立ったのは日本ハムファイターズの阪本敏三であった[5]。採用初年度はリーグの平均打率(.247→.254)と投手の完投数(197→302)がそれぞれ向上し[5]、平均試合時間の5分短縮にも成功したが[5]、肝心の人気回復には繋がらなかった[5]。日本選手権シリーズでは1985年に初めて採用され[5]、阪神タイガースの弘田澄男が初めてDHとして打席に立ったセ・リーグ選手となった[5]。このときは、隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられ、そのルールに従い、翌1986年は採用せずに実施された[5]。その後、パ・リーグ本拠地球場での採用を毎年続けることに規定が改められ、1987年よりパ・リーグ代表チームの本拠地の試合で採用されている[5]。オールスターゲームでは1983年に初採用されたが、セントラル・リーグが投手を打席に立たせて最後まで抗議の意思を示したため1年で中断[5]。その後セ・リーグが態度を軟化させて1991年からパ・リーグ所属チームの本拠地球場でのみ両リーグが採用するようになり、1993年から全試合に採用されている[5]。セ・パ交流戦では、パ・リーグ所属チームの主催試合でのみこの制度が採用されている。オープン戦は導入初年度の1975年はパ・リーグ所属チーム同士の対戦でしかDH制は使えなかった(パ・リーグ所属チームの主催試合でも相手がセ・リーグ所属チームの時は使えなかった)が、2年目の1976年からはパ・リーグ所属チームの主催試合であれば相手に関係なく使えるようになり、さらに1979年からはセ・リーグ所属チームの主催試合でも試合前に両監督の合意があれば相手に関係なく(セ・リーグ所属チーム同士の対戦であっても)DH制が使えるようになった。
ファーム(二軍)の公式戦では、イースタン・リーグでは2008年までは一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームのみで採用されていたが、2009年からは全チーム全試合で採用されるようになった。また、ウエスタン・リーグでも2013年より一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームに加えて、阪神タイガースのホームゲームでも採用されるようになった。
二軍の教育リーグではオープン戦と同様にセ・リーグ同士のチームが対戦する場合も含めて採用されている。
日本の野球では、スコアボードに出場選手を表示する際、それぞれの選手に守備番号が付されるが、指名打者を起用する試合においては、投手は本来の「1」ではなく「P」と表示されることがある。
日本のアマチュア野球 [編集]
日本の学生野球では、全日本大学野球選手権大会が1992年からDH制を採用した[5]。これを受け、1994年秋から東都大学野球連盟が採用した[5]。以後大半の連盟がこれを採用するに至ったが、東京六大学野球連盟と関西学生野球連盟では採用されていない[5]。また明治神宮野球大会では採用されていない。
日本の高校野球では、選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会共に採用されていない。
国際大会 [編集]
1984年のロサンゼルスオリンピックで公開競技として野球が採用されて以来、2008年の北京オリンピックで野球競技が廃止されるまでDH制が採用された[5]。アジアシリーズやワールド・ベースボール・クラシック(WBC)など、野球の国際大会では数多く採用されている。
DH制の評価 [編集]
DH制度が導入されると、打力が期待できない投手を打順に組み入れる必要がなくなったため、切れ目のない攻撃的な打順を組むことができるようになった。同時に、打力は高いが、守備に難のある野手を1人、DHとして先発出場メンバーに追加できるようになった。この結果、投手が打席に立たない分、野手全体の打撃成績を伸ばすことが可能になった。また投手にとっても、好投を続けている時に、試合展開により、やむを得ず代打を送られてしまい交代させられるというケースが無くなった。また、投手が打席の準備および立つ必要がなくなったため、味方の攻撃中に休ませることも可能になった。更には、自打球、死球、走塁時の肩の冷え・スライディング・ベース角による捻挫など、打者や走者の役割から生じうる故障および体力の消耗などを未然に防止できる効果もあり、投手にとっても好ましい制度であるといえる。2000年代以降のNPBでは、国際大会に選ばれる先発投手がパ・リーグに多いことの理由として上のような理由を挙げ、先発投手を育てるにはDH制のほうがいいとする評論家も多い[誰?]。
この制度に対する批判として最も大きな論は、それが「打って・守って・走って」という野球本来の姿をゆがめているというものである[4]。さらに、本来は「打順に名を連ねる9人のうち最低1人は、通常、打力が殆ど期待されない投手である」という制約のもとで、いかに頭を働かせて工夫して点を取るかというのが野球の醍醐味であって、指名打者制度は野球の戦術性を損なうという意見もある(そのため、セ・リーグやナ・リーグは、パ・リーグやア・リーグに比べて知略に富む野球をしていると言われることがある)[要出典]。
ただしその論にも批判はある。チャンスの場面で投手に打順が回ってくれば、早い回であればバントを命じ、遅い回であれば代打を送るという選択肢が機械的に採用されるだけであって、戦術の選択の幅を広めるというケースは滅多にないというものである。また、チャンスで投手の前の打者に打順が回ったときにその打者を敬遠して投手と勝負するケースも多い。DH制度があれば、監督は投手の交代のタイミングについて、緻密な計算にもとづき決断をしなければならないが、DH制度がなければ投手にいつ打順が回ってくるかによって機械的に降板が決まるというケースが増える、と指摘する人もいる。
実際には、好投している先発投手に代打を送るかどうかの選択にも、監督の個性やチーム状態、試合展開など様々な要因に左右され、場合によっては救援投手を続投させるために、終盤のチャンスの場面でも敢えて代打を送らないという戦法もある。さらには継投タイミングについても、DH制度下では考慮する必要のない打順の兼ね合いが非常に重要な要素として加わり、投手の打順まで続投させるか、あるいは即交代させるかという判断は、その後の試合展開を大きく左右する。こうした要素がより一層戦術性を増すこととなる。
また、投手に代打を送った次の回に代打を下げてリリーフを送るか、リリーフを一番遠い打順に置いて代打をそのまま守備につかせるか、複数選手の守備位置を変更するかなど、打順の巡り合わせにより戦術が左右される場合が多々ある。
一方で、先述した「投手に打力がない」という考え方そのものに対する反論もある。日本の学生野球においては「エースで四番」という言葉に表現されるように、チームで最も野球センスのある者が投手を務めるという伝統が根強く、プロ入りするような投手であれば打者としても一流だったという投手も多い(高校野球大会で通算6本の本塁打を放った桑田真澄など)。打撃を生かすために投手から野手に転向した選手もいる(ベーブ・ルース、王貞治など)。打つこと自体が好きで、自ら安打を放つことにより気分良く投球ができる投手もいる。
ただし、一般的にプロのレベルでは、いくら学生時代に四番打者を務めて打撃に才能がある選手でも投手として育てられる場合は投球の技術の習得のため、打撃練習はほぼ放棄される。そのため、他の野手に比べて打撃練習に打ち込む時間が少なくなり、その練習の中でも作戦に応じたバント練習の割合が高くなる。さらに、打席が回るチャンスが減り、相手の投手の技術的レベルも学生野球に比べて格段に上がる。その結果、プロ野球での投手の打撃は、バントを除くと、練習により身に付けた技術よりも持ち前の才能やセンスに任せたようなものが多く、学生野球における「エースで四番」が出来る選手はほとんどいなくなる。実際にプロ野球での投手は他の守備位置の野手に比べ打率が低いため(ほとんどが1割台で2割台も稀である)、プロ野球に限ってはごく一部の例外を除くと投手に打力がないという考えを間違いとはいえない。DH制度がプロ野球でこういった投手の打力不足を補うために採用された制度であり、主に組織された一定レベル以上の成人野球で使われることを考えれば、学生野球の投手や野手に転向した元投手の例をむりやり拡張した上で投手に打力がないという考えを否定してDH制度の無用論の根拠とすることは出来ないという見方もある。
しかし、特に日本のプロ野球においては「野手は打撃手でよい」という考え方はされず、投手だけが極端に守備力を求められるわけではない。投球についても、野手であっても相手の得点を阻止する為には強肩とコントロールが必須であり、投手から野手に転向する選手の中にはこの強肩を生かすという者もいる。そうした選手の場合、選手登録上野手として登録されていても、リリーフに上がれるよう備えていることも多い。
日本ではパ・リーグが導入を決定した際、セ・リーグは指名打者を採用しない理由を9ヶ条にまとめて発表した(上に挙げた理由も含まれる)。それは今でもセ・リーグの公式見解であり、公式サイトにも掲載されている[6]。
但し、DH制はあくまでも有利選択のオプション(DHを使用せず投手を打席に立たせることも可能)であり、使用は強制ではなく任意であるが、相手チームがDH制を採用し、自チームが採用しないという選択は、自チームが一方的に不利になるので、通常は起こり得ない。実例としては、リーグ優勝決定後、日本シリーズ対策でDHを使わなかった西武の例がある。#指名打者に代わって投手が打つ参照。
DHローテーション [編集]
最近では特定の選手を指名打者に固定せず、何名かの選手で回す「DHローテーション」も浸透している[7]。すなわち、打撃専門の選手をチームに採用せず、普段守備についているレギュラー選手を休ませる目的でのDH起用であり、ベテラン選手の多いニューヨーク・ヤンキースなどで採用されている。そのヤンキースのジョー・ジラルディ監督は、「その日の選手の状態を見て、誰をDHにするか感覚で決めている。常にフレッシュな状態で出場させるのも、私の大事な仕事」と言っているように、先発ローテーションとは異なり順番が厳密に指定されているわけではない。
DHローテ制のメリットとしてコストパフォーマンスに優れるという指摘があり、MLBでは中心となりつつある[8]。それと同時に、打撃には優れるが、守備に問題のある選手の評価が急落した。
指名打者が関わる選手交代 [編集]
指名打者は打順表の中でその位置が固定されており、DHの打順位置を変更することはできない。
指名打者への代打・代走 [編集]
前述のとおり、先発出場したDHは少なくとも一度、打席を完了しなければならない。打席を完了した後か、相手チームの先発投手が降板した後は、DHに対して代打や代走を起用することもできる。この代打者または代走者は、それ以降のDHとして、退いた打者の打順を引き継がなければならない(このルールは1982年から適用)。
ただし、DHとして起用された選手が怪我などによって退場する場合には、特例として代打が認められる。
- 阪急の上田利治監督はこの試合の近鉄の先発投手を読み切れず(実際には左腕投手の鈴木啓示が先発した)、指名打者に投手の山沖之彦を偵察要員として起用し、1回に山沖に打順が回ると右打者の河村健一郎を代打に送ろうとした。だが上記ルールによって打者交代が認められず、山沖がそのまま打席に立つ羽目になった(山沖は三振)。
1998年5月15日、オリックス・ブルーウェーブ対福岡ダイエーホークス戦
- オリックスの指名打者として先発発表されていたトロイ・ニールが開始直前になって腹痛を訴えた。しかしメンバー発表後であったため上記ルールにより交代は認められず、ニールは打席に立たなければならなかった。ニールは第一打席で本塁打を打つと全速力でホームまで走り、ハイタッチもする間もなく、そのままトイレへ直行した。
2010年4月10日、千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ戦
2011年5月20日、オリックス・バファローズ対広島東洋カープ戦
- 広島の野村謙二郎監督は先発の指名打者に投手の今村猛を偵察要員として起用してしまい、メンバー表交換の際にオリックスの岡田彰布監督に指摘されて初めて気付いた。上記ルールにより代打は認められないため、今村は2回表の第一打席に立ち、犠牲バントを成功させた。次の打席では石井琢朗が代打に出された[9]。
指名打者に代わって投手が打つ [編集]
DHの選手に替わり、投手が打席に立っても構わない。ただし、その時点でDHは消滅する。投手が試合開始から打順に入っている場合も同じである。
- 西武ライオンズは1990年10月11日の対近鉄バファローズ戦と1992年10月10日の対日本ハムファイターズ戦でスターティングメンバーから投手を打順に入れた。どちらも西武がリーグ優勝を決定した後、指名打者制が使えない試合が発生する日本シリーズ対策として行なったものである。対近鉄戦では工藤公康と渡辺智男、対日本ハム戦では渡辺久信、潮崎哲也、石井丈裕が打席に入った。
指名打者に代わって投手が走る [編集]
DHの選手が塁上に出た場合、投手が代走に出ても構わない。ただし、その時点でDHは消滅する。
指名打者が野手になる [編集]
DHの選手を守備に就かせることもできるが、その時点でDHは消滅する。代わりに退いた選手の打順は、投手が引き継がなければならない。DHだった選手の打順は変わらない。
- 1991年5月29日、近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ戦 - オリックスの指名打者で起用された石嶺和彦が9回表に代走が出て退き、その代走の選手が守備についたため、その裏から登板したドン・シュルジーが6番の打順に入った。延長戦突入後の11回に打席に入ったシュルジーは決勝本塁打を放った。指名打者制の導入後、パ・リーグの投手が打った初めての本塁打であった。
投手が守備位置を変更し、投手でなくなる [編集]
投手が投手以外の守備位置へ移った場合、その時点でDHは消滅する。投手だった選手はDHの打順に入り、DHは退いた形となる。新たに登板した投手に対してはDHを使用することができない。
従って、DHが消滅し投手が打順表に入る場合、原則として投手の打順は、打順表の空いたところを引き継ぐこととなり、打順の組み換えは認められない。ただし投手に関係する守備位置交代を含めて、同時に2人以上の選手の交代を行った場合、新たに打順表に入る選手の打順は、投手の打順も含めて監督が打順を指定する。
連続フルイニング出場記録の扱い [編集]
NPBでは、指名打者のみの出場であっても連続フルイニング出場記録は継続の扱いとなる。MLBにおいては、指名打者では連続フルイニング出場を認めないという見解が出された。2006年のセ・パ交流戦まで連続フルイニング出場記録を続けていた金本知憲に関して、阪神球団がMLBに問い合わせて確認した(実際には、金本は左翼手として全試合に出場した)。
日本選手権シリーズ [編集]
1985年より隔年採用、1987年よりパ・リーグ主催試合でのDH制採用となった日本選手権シリーズでは、セ・リーグ所属チームの主催試合ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手が打席に立たなければならない上、DH起用が前提となっているタイプの選手をどのように活用するか(代打専門とするか、慣れない守備に付かせるか)という点で、パ・リーグ側のチームには事前準備が一層求められる。
- 西武ライオンズは1990年の日本シリーズで主砲DHのオレステス・デストラーデを外野守備で先発起用、これに応えたデストラーデは守備のある第1・2戦でそれぞれ槙原寛己・斎藤雅樹の両エースから決勝本塁打を放つなど、4試合全てで決勝打を放ち、シリーズMVPとなった。
- 他方、1997年の日本シリーズでの西武は、チーム内2冠の主力DHであるドミンゴ・マルティネスをヤクルト主催試合(第3戦~第5戦)で活かし切れず3連敗、貧打のまま1勝4敗で敗れた。ヤクルト投手の高津臣吾に第3戦で決定的なタイムリーを打たれたのと対照的な結果となった。
セ・パ交流戦 [編集]
2005年から始まったセ・パ交流戦ではパ・リーグ所属チームの主催試合でのみDH制が採用されている。セ・リーグ所属チームの主催試合ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手は打席に立たなければならない。また、普段はDHとして起用されている選手をどう守備に組み込むか、またほとんど打席に入ることがない投手をどう扱うか、一方のセ・リーグのチームは誰を指名打者として起用するかが戦術の大きな要素となる。
- 福岡ソフトバンクホークスは2005年、セ・リーグ所属チームの主催試合でDHが使用できない時に、フリオ・ズレータを一塁手として出場させる関係で、松中信彦を左翼手として出場させた。松中は主に一塁手・指名打者を務めていて、外野手の出場経験が少なかったため守備力が不安視されたが無難にこなし、2006年には外野手としてベストナインに選出された。
DH制導入後、パ・リーグ試合でのパ・リーグ投手の打撃 [編集]
| 日付 | 選手 | 所属 | 相手 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1975年6月3日 | 太田幸司 | 近鉄 | 日本ハム | 右飛 |
| 1975年8月10日 | 佐々木宏一郎 | 南海 | 太平洋クラブ | 三ゴロ野選(打点1) |
| 1976年6月27日 | 大石弥太郎 | 阪急 | 太平洋クラブ | 遊飛 |
| 1978年4月8日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 三振 |
| 1978年8月23日 | 倉持明 | クラウンライター | 日本ハム | 四球 |
| 1981年8月10日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 遊ゴロ |
| 1982年8月12日 | 宮本四郎 | 阪急 | 近鉄 | 左飛 |
| 1982年9月27日 | 稲葉光雄 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
| 1982年10月7日 | 山田久志 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
| 1983年6月7日 | 木下智彦 | 阪急 | 日本ハム | 二飛 |
| 1986年4月10日 | 佐藤義則 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
| 1987年10月20日 | 渡辺久信 | 西武 | ロッテ | 一ゴロ |
| 1989年6月15日 | 酒井勉 | オリックス | 西武 | 三振 |
| 1990年9月12日 | 山沖之彦 | オリックス | 日本ハム | 四球 |
| 1990年10月11日 | 工藤公康 | 西武 | 近鉄 | 四球 |
| 渡辺智男 | 三ゴロ | |||
| 1991年5月20日 | ドン・シュルジー | オリックス | 近鉄 | 左本塁打(打点1) |
| 1992年5月19日 | 清川栄治 | 近鉄 | 福岡ダイエー | 三振 |
| 1992年10月10日 | 渡辺久信 | 西武 | 日本ハム | 左安 |
| 潮崎哲也 | 三振 | |||
| 石井丈裕 | 三振 | |||
| 1998年9月8日 | 橋本武広 | 西武 | オリックス | 三振 |
| 1998年10月10日 | 西口文也 | 西武 | 千葉ロッテ | 三振(2打席とも) |
| 2000年8月28日 | 大塚晶文 | 大阪近鉄 | 千葉ロッテ | 一ライナー |
| 2001年9月29日 | ジェレミー・パウエル | 大阪近鉄 | 千葉ロッテ | 三安 |
| 2004年6月19日 | 豊田清 | 西武 | 日本ハム | 三振 |
- 代打としての出場
| 日付 | 選手 | 所属 | 相手 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1975年9月2日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 投安 |
| 1976年7月6日 | 村上雅則 | 日本ハム | 南海 | 三振 |
| 1976年7月10日 | 村上雅則 | 日本ハム | ロッテ | 一ライナー |
| 2000年8月7日 | 松坂大輔 | 西武 | オリックス | 中安(打点2) |
- DHとしての出場
| 日付 | 選手 | 所属 | 相手 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1982年8月12日 | 山沖之彦 | 阪急 | 近鉄 | 三振 |
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 指名選手の替わりに守備を行う選手をフレックスプレイヤー(FP; Flex Playerの略)という。FPはどこの守備位置の選手でもよい。
- ^ 出野哲也 「2008一塁手&DHランキング ― とにかく打てないと話にならない」 『月刊スラッガー No.122 , 2008年6月号』 日本スポーツ企画出版社、17-19頁。
- ^ International Sports & Marketing (2009年11月25日). “残留、移籍?揺れる松井秀の進路…決着は長期化”. 読売新聞 2009年11月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 奥田 (2010, p.25)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 奥田 (2010, pp.22 - 23)
- ^ セ・リーグは指名打者(DH)制を採用しないのですか - 「ご隠居様の野球問答」日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2012/04/29/mlb___split_1/
- ^ http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2012/04/29/mlb___split_1/index2.php
- ^ “DHに偵察要員…野村監督「完全なボーンヘッド」”. スポーツニッポン. (2011年5月21日) 2011年5月23日閲覧。
参考文献 [編集]
- ジョージ・F・ウィル『野球術』
- クレイグ・R・ライト、トム・ハウス『ベースボール革命』
- 奥田秀樹 他「特集 打撃に生きる男たち 指名打者の"誇り"」、『週刊ベースボール』第22号、ベースボールマガジン社、2010年5月。
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