金本知憲
阪神時代
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県広島市南区 |
| 生年月日 | 1968年4月3日(45歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 88 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 左翼手 |
| プロ入り | 1991年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1992年6月2日 |
| 最終出場 | 2012年10月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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金本 知憲(かねもと ともあき、1968年4月3日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家。
連続イニング・連続試合フルイニング出場数の世界記録保持者である。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
広島県広島市南区青崎出身。広島市立青崎小学校4年時にリトルリーグ「広島中央リトル」で野球を始めたが、練習についていけず、また体育の授業で手を骨折して練習が出来なくなったこともあり、それを口実に1年で退部した[1][2]。一学年下の野村弘樹が同チームのエースで四番だった[2]。その後は町内会のソフトボールや広島市立大州中学校の軟式野球部でプレー[1][3]。広陵高校に進学し硬式野球部に入部、2年からクリーンナップに座り外野手・三塁手・投手を兼任したが、当時は同校の低迷期で甲子園出場はなかった[4]。高校通算20本塁打。
法政大学野球部のセレクションを受ける準備を進めていたが、当時の広陵監督が本当なら8月に行われるセレクションを12月だと金本に告げ、金本はそれを信じてしまったため受けられず、1年間の浪人生活の後、中央大学硬式野球部のセレクションを目指すが、中央大学の監督からは浪人は推薦がないと聞かされていたが、広陵の監督が推薦は大丈夫だと言い、金本はそれを信じてしまう。金本はこのことについて、監督に二度も騙されて目の前が真っ暗になったと述べている[5]。この間、ヤクルトスワローズの入団テストを受けたがこれも不合格[6]。失意の中、知人から当時は無名だった東北福祉大学を紹介され一般受験で入学[5]。仙台六大学リーグ通算52試合出場、165打数63安打、打率.382。最優秀選手1回、ベストナイン2回受賞。恩師として名前を挙げる伊藤義博監督の下で1年からレギュラーとなり佐々木主浩・大塚孝二・矢野輝弘・斎藤隆・浜名千広ら後にプロ入りするメンバーと共に主力として4年連続で全日本大学野球選手権大会に出場。1988年第37回大会では決勝で近畿大学に逆転負けを喫して準優勝。第38回大会では連続優勝した近畿大学に3回戦で敗れ、第39回大会では小池秀郎・高津臣吾・川尻哲郎らを擁する亜細亜大学に決勝で敗れて準優勝。翌1991年、4年時の第40回大会では3度目の決勝で関西大学と延長17回の末に勝利し初優勝を達成。左手首をはく離骨折していながら勝ち越しの2点適時打を放ち、初優勝の立役者となった[4]。同年、第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、チームの勝利に貢献。後にチームメイトとなる桧山進次郎と同室になり、本人曰く「人に話せないようなことを色々した」という。これが縁となって阪神入団後に雑誌で2人の対談が行われた。この部屋で洗濯係だった鳥越裕介は「金本さんにめちゃくちゃいじめられた」と後に語っている。
秋のドラフト会議で広島東洋カープが4位指名で交渉権を獲得し契約金6000万円、年俸720万円(金額は推定)で入団合意した[7]。
広島時代 [編集]
入団後の2年間は芽が出ず、年下の前田智徳や江藤智らに追い抜かれ、打撃は当時のコーチから「転がして足を活かせ」と言われるほど非力で、外野守備も送球を地面に向かって投げてしまう悪癖から「モグラ殺し」のあだ名を付けられるなど、本人曰く「クビを覚悟していた」という。それらの悔しさから筋力トレーニングを本格的に取り入れ、地道な身体作りを行う。山本一義コーチと出会ったことも転機となり、1994年後半から頭角を現し17本塁打を放つなどレギュラーに定着していった。
1995年は開幕戦から5番打者として起用される。全試合5番で出場し続けるが、8月29日に左手首骨折により戦線離脱。それでも初の規定打席に到達し、24本塁打をマークするなど主軸として活躍。初のベストナインを受賞した。
1996年も主に5番打者として活躍し、初の打率3割を記録し、出塁率も4割を超えた。77四球はリーグトップで、選球眼にも磨きがかかる。9月には自身初の月間MVPも受賞した。
1997年の開幕戦は3番での起用となるが、ほどなくして5番・6番に回る。2年連続の打率3割と出塁率4割、そして自身初の30本塁打を記録する。9月9日には100本塁打を達成。
1998年は規定打席には達したものの、成績は前年に比べて大幅に落ち込んだ。7月5日の阪神12回戦で舩木聖士から死球を受け、試合は最後まで出たものの腫れが引かず、翌日からの2試合を欠場。10日の対ヤクルト15回戦から復帰して以降は2011年途中まで連続試合出場を続けた。また、7月12日には自身初となる4番スタメンで起用された。
1999年4月24日には史上49人目となるサイクル安打を達成。初の全試合出場を果たすなど完全復活し、本塁打と打点でキャリアハイの成績を残した。シーズン序盤は5番や6番を任されていたが、中盤以降は江藤に代わって4番に座っている。この年の7月21日の阪神18回戦より、2010年途中まで続く連続フルイニング出場が始まった。
2000年に前年まで不動の4番だった江藤が読売ジャイアンツにFA移籍したことで、3番・緒方、4番・前田、5番・金本の新クリーンアップが組まれるが、シーズン中盤から怪我で戦線離脱した前田に代わり4番に抜擢される。また、シーズン最終試合で30号本塁打を放ったことで、史上7人目となるトリプルスリーを達成。5年ぶりにベストナインを受賞した。なお、本塁打の可能性を高めるために少しでも多くの打席に立たせようと、達川監督の計らいで最終残り2試合は1番打者としてスタメン出場している。
2001年は全試合4番でフル出場を果たす。39年ぶりに毒島章一の記録を大きく更新する1,002打席連続無併殺打の日本記録を樹立。7月7日には200本塁打、9月2日には1,000本安打をそれぞれ達成。また、出塁率でも128四球で.463という数値を記録し、松井秀喜と分けてロベルト・ペタジーニに次ぐ2位に入った。出塁率.450以上が2人以上出るのは日本プロ野球史上初めてのことであったが、この年は一気に3人も出すほど歴史的な出塁率争いであった。
2002年、打率や出塁率は前年から大きく落としてしまうが、前年に引き続き全試合4番でフル出場。同年オフ、FA権の行使に悩み球団幹部に「今季は成績が悪かったので年俸は1,000万円減で構わないが、FAの再契約金を100万円でいいから出してほしい」と相談した。しかし、球団は厳しい財政事情から再契約金高騰の前例が作られることを懸念してFA権を行使しての残留は認めない方針を曲げなかったため、最終的にFA権利を行使して阪神へ移籍した。
阪神時代 [編集]
2003年、「プロ野球全体のことを考えて来い」、「俺とお前は一緒に歩むようになっている」[8]と星野仙一監督からラブコールを受け、阪神へ移籍。「過去に藤田平・和田豊らが付けていた背番号6を引き継げて嬉しい」と話し阪神ファンの心を掴んだ。もっとも、本当は大学時代の背番号だった5番を付けたかったと話しており、当時阪神への移籍が取り沙汰されていた中村紀洋のため6番にしたという。広島時代に付けていた背番号10は阪神では永久欠番のため、選択不可であった。かつて広島から巨人にFA移籍した川口和久や江藤智が広島市民球場で激しく野次られるのを見ていたため自分も野次られるのではないかと恐れていたが、移籍後初の広島市民球場での試合で逆に声援を受け安堵したと語っている。同年は開幕から3番に定着し、2番赤星憲広の盗塁王獲得に協力するとともに主軸として活躍し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは4本塁打、3試合連続本塁打、1試合2本塁打と3つのシリーズタイ記録を達成したが、チームは日本一に届かなかった。
2004年は岡田彰布新監督の意向で開幕から4番として起用され長打を量産。7月29日の対中日ドラゴンズ戦で左手首に死球を受け軟骨損傷と診断され、離脱の危機に直面した。翌日、自分のバットより軽い久慈照嘉のバットを借りて試合にも出場し、この時に右手だけで安打を放ったシーンが引退試合で放映されたビデオに選出された。8月1日には連続試合フルイニング出場の日本新記録を樹立。最終的に打率、本塁打(1999年と同数)、打点の3部門で自己最高記録を達成し、初タイトルとなる打点王を獲得する。左手首の故障についてシーズン後「この時だけは記録のために出続けた」と語ったが、故障後は本塁打のペースこそ落ちたが打率はむしろ上がっていた。
2005年6月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で入来祐作から本塁打を放ち史上4人目の全球団から本塁打を達成。過去の3人はいずれもセ・パ各4球団以上に所属して記録したが、金本は同年から導入された交流戦のおかげで2球団に所属しただけで達成できた。6月28日には米子市民球場での対広島戦で本塁打を放ち、現役選手では最多の32球場でアーチをかけた。この記録は2007年に田中幸雄が33球場で本塁打を放ち現役1位は一旦譲ったが、田中が同年限りで引退し再び現役1位となっている(日本記録は山内一弘の39球場)。8月11日の対中日戦では1,000試合連続出場、8月25日の対広島戦で1,000得点、9月9日の対広島戦で1,000打点、10月4日に阪神では1986年のランディ・バース以来、日本人選手では1985年の掛布雅之以来、阪神甲子園球場のラッキーゾーン撤廃後は初となる40本塁打を達成。打率・本塁打・打点の3部門で前年の自己記録を更新し、チームも優勝してMVPに選ばれた。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでは、ヒットが1本しか打てず、チームは4連敗で敗退。
2006年3月31日にカル・リプケンの8243イニング連続出場を更新。4月9日の対横浜ベイスターズ戦でリプケンを抜く、904試合連続フルイニング出場の世界新記録を達成し、8月15日に同カード、同球場の試合で1,000試合に伸ばした。オフの契約更改では推定年俸5億5,000万円と日本人選手では球界トップとなった。
2007年7月8日の対中日戦で1死満塁から金本の安打で生還しなかった二塁走者の鳥谷敬に対し「あのヒットで1人しか還ってこれないなんてもったいない」「足の速い若い選手が緊張感とか集中力がないのかなと思う」と叱咤。それまで後輩に対して苦言を呈することはあまりなかったことから、翌日のスポーツ新聞各紙では大きく取り上げられた。同年はシーズン中に左膝半月板損傷の大怪我をしながら2004年同様強行出場を続け、31本塁打95打点を記録したが打率は.265と4年ぶりに3割を下回った。なお、左膝はオフの10月に人生初という手術を受けた。
2008年は左膝のリハビリテーション優先のため1月後半からアメリカに滞在し、2月後半の安芸キャンプからチームに合流。4月6日に1999本目の安打を記録してから3試合18打席無安打だったが、4月12日の対横浜戦で史上37人目の通算2,000本安打を達成、リーチをかけてから連続打席無安打の歴代最長記録だった。この試合では広島からFA移籍したばかりの新井貴浩も1,000本安打を達成した。5月13日の対広島戦では阪神所属(達成時点)及び右投げ左打ちの選手として初の通算400本塁打を達成した。交流戦では首位打者を獲得した。6月に自身3度目となる月間MVPに選出され、最終的に2年ぶりに3割、3年ぶりに100打点に到達した。オフには2年連続で左膝の手術をした。また、現役選手でありながら同年からエイベックス・エンタテインメントとマネジメント契約を結んだが、引退後のマネジメントに関しては、ハードシックスプロジェクト、ダブルカルチャーパートナーズ(DCP)が管理している。
2009年は手術の影響でオープン戦にはほとんど出場できなかったが、41歳の誕生日でもある4月3日に行われたヤクルトとの開幕戦でリーグ最年長記録となる開幕戦本塁打を放った。4月8日の対広島戦、4月10日の対巨人戦で3打席連続本塁打を記録し、史上初となる月間2度の3打席連続本塁打を達成した。得点圏で27打数13安打21打点と好調だった4月には、自己最多となる月間30打点を記録し、自身4度目となる月間MVPに選出された。しかし5月以降の月間打率は全て2割台前半で最終的には移籍後ワーストとなる打率.261で、本塁打数も21本だった。
2010年は順調なキャンプを送ったが、3月17日、ヤクルトとのオープン戦前の練習中に味方選手と激突して右肩を痛め[9]、後の診断で右肩の棘(きょく)上筋部分断裂という重傷であることが判明[10]。それでも試合出場は続けていたものの、4月14日の対巨人戦で犠牲フライを本塁に返球できなかったり[11]、17日の対横浜戦では二塁走者の生還を二度許したりするなど満足な送球ができず、打撃でも打率.167と不振であったため[12]、翌18日の試合前に真弓明信監督に「これ以上出ても迷惑をかける」と自ら申し出て[11][13]スタメンから外れ、左翼守備を葛城育郎に譲った。これにより連続試合フルイニング出場の記録は1,492試合で止まり、同年5月15日にギネス・ワールド・レコーズ社によって世界記録に認定された。それ以降、スタメン出場しないときは、下記の2011年4月15日まで毎試合代打として出場し、連続試合出場は継続した。ただし、金本の記録のために、試合中の選手の起用方法に悪影響を与えた可能性も指摘された[14]。
スタメン復帰した時期もあったが結局最後まで調子が上向くことはなく、守備面でも補殺0, 打率(規定打席数未到達)、本塁打、打点全て阪神移籍後最低の成績に終わった。この年の規定打席未到達で全試合出場はNPB史上初の珍記録となっている。また、中日戦の成績は.096 (52-5)、打点1, 16三振であった。連続試合出場と関係のないクライマックスシリーズファーストステージ第2戦では出場機会がなかった。この時期、金本の右肩は棘(きょく)上筋が完全に断裂していた状態であったとも言われている。
2011年は連続フルイニング出場が止まった後も連続試合出場の記録は継続していたが、4月15日の対中日戦、8回表二死一塁で投手の代打に立った際、打席中に一塁走者の俊介が盗塁失敗し、打席未完了のままイニングが終了。この後真弓監督は金本に代え投手を出したので、連続出場記録が1,766試合で途絶えた(この場合のルール上、試合出場は記録されるが、連続試合出場記録には反映されないため[15])。記録終了後もシーズン通して一軍で出場は続けたものの、成績は前年より落ち込んでしまった。また、このシーズンで史上8人目となる10,000打席に到達した。
2012年開幕戦でスタメンで6番で先発出場した。その後、一時は打率が3割に到達するなど好調だったため5番でスタメン起用され、その後、4番の新井が不振により5月4日の巨人戦(甲子園)から約2年ぶりに4番出場し交流戦が終了するまで2試合を除き4番出場した(その2試合はマートンが4番で先発出場した)。その後は打撃の調子が落ちて結果が出ず、前年と変わらず右肩痛で守備難も目立ち、8月25日の広島戦では、天谷宗一郎のレフトオーバーの打球で、ランニングホームランを許した。6月28日に史上7人目、大学出身の選手では初の通算2500安打を達成。同記録達成は1991年の門田博光以来21年ぶりとなった。
9月12日に今季限りでの引退の意思を固めた事が明らかになり[16]、その日の会見で本人の口から改めて2012年シーズンでの現役引退が発表された。会見の中で金本は自らの進退について「10日くらい前に考え始め、本当の決断は2日前くらいに決断した。いろいろ理由はあるが、自分に対して『限界かな?』という思いと、時代の流れ。いつまでもいい時のパフォーマンスを出せない自分が居るのも」と語り、また家族の話になると「子供は大泣きしていたが『いつかはやめるんだよ』と言った。母親には一番最初に伝えたが、『体のケアをしてくれと…』」と言う所で涙を堪えるために言葉に詰まり、更にファンの話になると「落ちぶれてからはバッシングもあったけど、励ましてくれたファンには…」とついに涙を流す場面も見られた。また、記者からの自身にとって野球とは?という質問に対しては、「長嶋さんじゃないけど、人生そのもの。野球人生を10歳から始めて、7、8割はしんどいこと、2、3割の喜びしかなかったけど、少しの2、3割を追い続けて7、8割で苦しむ。そんな野球人生だった」と感慨深いように語った[17]。同記者会見において「記録」について聞かれた際は、「連続フルイニング出場」よりも「連続無併殺打」の方が印象深いとも語っている。
9月16日の対巨人戦で宮國椋丞から通算475本目となる本塁打を放ち、田淵幸一を抜いて通算本塁打単独10位とした[18]。
阪神シーズン最終戦の10月9日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)を金本の引退試合[19]として6月11日以来となる4番左翼として先発フル出場。6回の第3打席でDeNA先発三浦大輔から中前安打を放ち直後にセリーグ最年長記録を更新する盗塁を決めた。現役最終打席となった7回裏2死1・3塁では、三浦の前に捕飛に終わった。現役最終試合は、4打数1安打1盗塁だった。試合は3対0で勝利し、荒波翔のフライを金本が掴んで試合終了となった[20][21][22]。打点は記録できず長嶋茂雄の通算1522打点には1打点届かなかった。試合後には引退セレモニーが行われ、かつて引退試合で金本が花束を贈った清原和博から花束を受け取っている[23]。10月18日に任意引退公示された[24]。 2012年の10月16日に農業法人への出資金目的で現金約1900万円を騙し取られる詐欺被害に遭っていたことが発覚し、元会社社長が逮捕されている[25]。
現役引退後 [編集]
ダブルカルチャーパートナーズ(DCP)内HSP林田ルームがマネジメントを担当。また、RAS(Route American Sports, Inc.)、エイベックス・マネジメント株式会社とエージェント契約を結んでいる。
2012年12月12日桑田佳祐の全国ツアーI LOVE YOU -now & forever-大阪公演にて、桑田佳祐の曲で、金本本人の名前が歌詞に登場するOSAKA LADY BLUES 〜大阪レディ・ブルース〜演奏時にゲスト出演。桑田佳祐VS金本知憲の対決が実現した。
2013年からはフリーの野球解説者[26] [27]、デイリースポーツの特別評論家[28]、スポーツニッポンの野球評論家[29]としても活動。このうち、ラジオでの解説については、MBSラジオ専属扱いの本数契約で年間10本程度出演する[30]。
なお、2013年1月23日には、現役時代の晩年から痛めていた肩と脂肪腫の手術を無事終えたことを公式ブログで公表。「もう手術はごめんだ、健康第一!」とコメントしている[31]
人物 [編集]
両親は韓国人で、金本は在日韓国人3世にあたる。少年時代に博成(ひろなり/バクソン)から知憲に改名している。4人兄弟の末っ子である[32]。
2001年に日本人女性と結婚するにあたり、日本に帰化した[33][34]。帰化前の本名は金知憲(キム・ジホン/김지헌)。広陵高校時代の1986年に在日韓国人学生野球団の一員として渡韓した経験を持つ[35]。自身が公私混同を嫌い、さらにはナイーブな側面もあり、2001年に結婚した際も夫人を写さないことなどを条件に取材を受けている。
広島中央リーグ時代のチームメイトに野村弘樹と山本圭一がおり[2]、山本の実家には当時の写真が保管されている。野球界の他では島田紳助と仲が良い[36]
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | 広島 | 5 | 5 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .250 | .000 | .250 |
| 1993 | 42 | 95 | 89 | 9 | 17 | 3 | 0 | 4 | 32 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 16 | 4 | .191 | .242 | .360 | .602 | |
| 1994 | 90 | 293 | 257 | 41 | 69 | 14 | 2 | 17 | 138 | 43 | 2 | 0 | 3 | 2 | 31 | 2 | 0 | 64 | 3 | .268 | .345 | .537 | .882 | |
| 1995 | 104 | 438 | 369 | 72 | 101 | 15 | 1 | 24 | 190 | 67 | 14 | 10 | 0 | 3 | 61 | 2 | 5 | 78 | 5 | .274 | .381 | .515 | .896 | |
| 1996 | 126 | 511 | 423 | 84 | 127 | 18 | 2 | 27 | 230 | 72 | 18 | 7 | 0 | 7 | 77 | 2 | 4 | 104 | 2 | .300 | .407 | .544 | .951 | |
| 1997 | 133 | 552 | 465 | 77 | 140 | 17 | 2 | 33 | 260 | 82 | 13 | 9 | 0 | 4 | 80 | 5 | 3 | 104 | 8 | .301 | .404 | .559 | .963 | |
| 1998 | 133 | 573 | 499 | 77 | 126 | 33 | 3 | 21 | 228 | 74 | 9 | 6 | 0 | 1 | 68 | 0 | 5 | 94 | 2 | .253 | .347 | .457 | .804 | |
| 1999 | 135 | 576 | 502 | 84 | 147 | 21 | 2 | 34 | 274 | 94 | 10 | 3 | 0 | 1 | 70 | 1 | 3 | 92 | 3 | .293 | .382 | .546 | .928 | |
| 2000 | 136 | 588 | 496 | 96 | 156 | 20 | 2 | 30 | 270 | 90 | 30 | 10 | 0 | 4 | 80 | 7 | 8 | 101 | 2 | .315 | .415 | .544 | .959 | |
| 2001 | 140 | 615 | 472 | 101 | 148 | 28 | 1 | 25 | 253 | 93 | 19 | 9 | 0 | 6 | 128 | 16 | 9 | 69 | 1 | .314 | .463 | .536 | .999 | |
| 2002 | 140 | 604 | 540 | 80 | 148 | 30 | 2 | 29 | 269 | 84 | 8 | 5 | 0 | 2 | 60 | 4 | 2 | 99 | 5 | .274 | .348 | .498 | .846 | |
| 2003 | 阪神 | 140 | 632 | 532 | 94 | 154 | 24 | 2 | 19 | 239 | 77 | 18 | 4 | 0 | 2 | 93 | 5 | 5 | 89 | 6 | .289 | .399 | .449 | .848 |
| 2004 | 138 | 613 | 521 | 92 | 165 | 32 | 4 | 34 | 307 | 113 | 5 | 0 | 0 | 8 | 79 | 2 | 5 | 100 | 10 | .317 | .406 | .589 | .995 | |
| 2005 | 146 | 662 | 559 | 120 | 183 | 35 | 3 | 40 | 344 | 125 | 3 | 1 | 0 | 2 | 98 | 4 | 3 | 86 | 6 | .327 | .429 | .615 | 1.044 | |
| 2006 | 146 | 634 | 545 | 85 | 165 | 24 | 4 | 26 | 275 | 98 | 2 | 2 | 0 | 5 | 79 | 18 | 5 | 98 | 5 | .303 | .393 | .505 | .897 | |
| 2007 | 144 | 624 | 533 | 74 | 141 | 17 | 3 | 31 | 257 | 95 | 1 | 0 | 0 | 7 | 81 | 11 | 3 | 113 | 9 | .265 | .361 | .482 | .843 | |
| 2008 | 144 | 623 | 535 | 87 | 164 | 33 | 2 | 27 | 282 | 108 | 2 | 1 | 0 | 8 | 77 | 9 | 3 | 99 | 8 | .307 | .392 | .527 | .919 | |
| 2009 | 144 | 619 | 518 | 66 | 135 | 37 | 0 | 21 | 235 | 91 | 8 | 1 | 0 | 8 | 88 | 6 | 5 | 98 | 7 | .261 | .368 | .454 | .822 | |
| 2010 | 144 | 396 | 353 | 39 | 85 | 12 | 0 | 16 | 145 | 45 | 1 | 1 | 0 | 1 | 39 | 0 | 3 | 90 | 3 | .241 | .321 | .411 | .732 | |
| 2011 | 122 | 372 | 348 | 27 | 76 | 11 | 1 | 12 | 125 | 31 | 1 | 1 | 0 | 0 | 24 | 4 | 0 | 53 | 5 | .218 | .269 | .359 | .628 | |
| 2012 | 126 | 406 | 356 | 24 | 92 | 16 | 1 | 6 | 128 | 30 | 3 | 3 | 0 | 1 | 49 | 0 | 0 | 54 | 2 | .258 | .347 | .360 | .707 | |
| 通算:21年 | 2578 | 10431 | 8915 | 1430 | 2539 | 440 | 37 | 476 | 4481 | 1521 | 167 | 74 | 4 | 72 | 1368 | 98 | 72 | 1703 | 96 | .285 | .382 | .503 | .885 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1992 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
| 1993 | 26 | 38 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 1994 | 82 | 155 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
| 1995 | 102 | 178 | 5 | 1 | 0 | .995 |
| 1996 | 121 | 227 | 6 | 3 | 3 | .987 |
| 1997 | 128 | 225 | 9 | 4 | 1 | .983 |
| 1998 | 131 | 209 | 11 | 5 | 1 | .978 |
| 1999 | 135 | 197 | 10 | 6 | 1 | .972 |
| 2000 | 136 | 226 | 4 | 6 | 0 | .975 |
| 2001 | 140 | 200 | 5 | 3 | 0 | .986 |
| 2002 | 140 | 205 | 8 | 2 | 2 | .991 |
| 2003 | 140 | 222 | 9 | 6 | 0 | .975 |
| 2004 | 138 | 186 | 12 | 10 | 3 | .952 |
| 2005 | 146 | 197 | 8 | 2 | 3 | .990 |
| 2006 | 146 | 204 | 6 | 3 | 1 | .986 |
| 2007 | 144 | 186 | 9 | 1 | 1 | .995 |
| 2008 | 144 | 193 | 4 | 2 | 0 | .990 |
| 2009 | 144 | 184 | 2 | 7 | 1 | .964 |
| 2010 | 73 | 90 | 0 | 4 | 0 | .957 |
| 2011 | 101 | 81 | 0 | 2 | 0 | .976 |
| 2012 | 92 | 100 | 3 | 1 | 0 | .990 |
| 通算 | 2510 | 3503 | 114 | 68 | 17 | .982 |
タイトル [編集]
- 打点王:1回(2004年)
表彰 [編集]
- MVP:1回(2005年)
- ベストナイン:7回(1995年、2000年、2001年、2004年 - 2006年、2008年)
- 日本シリーズ敢闘賞:1回(2003年)
- 優秀JCB・MEP賞:5回(1996年、2000年、2004年、2006年、2007年)
- セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):2回(2005年、2008年)
- 月間MVP:4回(1996年9月、2005年5月、2008年6月、2009年4月)
- JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2003年6月)
- オールスターゲームMVP:2回(1996年 第3戦、2003年 第2戦)
- 連盟特別賞:1回(2010年)※1492試合連続全イニング試合出場のプロ野球新記録
- 兵庫県スポーツ優秀選手特別賞(2006年11月15日)
- 特別功労賞(2012年)
記録 [編集]
- 初記録
- 初出場・初打席・初三振:1992年6月2日、対阪神タイガース9回戦(岡山県野球場)、3回裏に石貫宏臣の代打として出場、中込伸から三振
- 初安打:1993年8月8日、対ヤクルトスワローズ16回戦(広島市民球場)、7回裏に西山秀二の代打として出場、山田勉から右前安打
- 初本塁打・初打点:1993年9月4日、対横浜ベイスターズ21回戦(北九州市民球場)、8回表に町田公二郎の代打として出場、三浦大輔から右越ソロ
- 初先発出場:1993年9月5日、対横浜ベイスターズ22回戦(下関球場)、7番・左翼手として先発出場
- 初盗塁:1994年6月1日、対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)、8回表に二盗(投手:久保康生、捕手:木戸克彦)
- 節目の記録
- 100本塁打:1997年9月9日、対阪神タイガース23回戦(広島市民球場)、9回裏に藪恵壹から右越2ラン ※史上194人目
- 150本塁打:1999年8月22日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)、6回表に山本昌から右越決勝ソロ ※史上109人目
- 200本塁打:2001年7月7日、対阪神タイガース14回戦(広島市民球場)、3回裏に谷中真二から右越2ラン ※史上73人目
- 1000試合出場:2001年8月15日、対阪神タイガース20回戦(大阪ドーム)、4番・左翼手として先発出場 ※史上372人目
- 1000本安打:2001年9月2日、対読売ジャイアンツ25回戦(広島市民球場)、8回裏に岡島秀樹から中前適時打 ※史上207人目
- 250本塁打:2003年5月31日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、9回表に木村龍治から右越3ラン ※史上45人目
- 1000三振:2004年9月4日、対読売ジャイアンツ25回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に久保裕也から ※史上37人目
- 1500本安打:2005年4月2日、対ヤクルトスワローズ2回戦(大阪ドーム)、3回裏に坂元弥太郎から左越適時三塁打 ※史上87人目
- 300本塁打:2005年4月9日、対横浜ベイスターズ2回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に斎藤隆から右越逆転決勝2ラン ※史上30人目
- 1500試合出場:2005年5月14日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(阪神甲子園球場)、4番・左翼手として先発出場 ※史上143人目
- 1000得点:2005年8月25日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、6回表に今岡誠の満塁本塁打により記録 ※史上32人目
- 1000打点:2005年9月9日、対広島東洋カープ17回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に黒田博樹から右越ソロ ※史上26人目
- 3000塁打:2005年9月13日、対読売ジャイアンツ19回戦(長崎ビッグNスタジアム)、2回表に高橋尚成から右越満塁本塁打 ※史上39人目
- 300二塁打:2006年7月5日、対横浜ベイスターズ11回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に門倉健から右中間二塁打 ※史上45人目
- 350本塁打:2006年7月12日、対広島東洋カープ9回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に横山竜士から左越ソロ ※史上20人目
- 1000四球:2006年8月29日、対中日ドラゴンズ14回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に久本祐一から ※史上12人目
- 3500塁打:2007年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、8回表に横山道哉から右前安打 ※史上21人目
- 2000本安打:2008年4月12日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、7回表に寺原隼人から右前安打 ※史上37人目 (大卒選手かつ入団初年度に安打0本では史上初)
- 400本塁打:2008年5月13日、対広島東洋カープ6回戦(富山アルペンスタジアム)、9回表に横山竜士から右越2ラン ※史上15人目
- 350二塁打:2008年7月4日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、9回表にマットホワイトから ※史上26人目
- 2000試合出場:2008年8月16日、対横浜ベイスターズ15回戦(京セラドーム大阪)、4番・左翼手として先発出場 ※史上39人目
- 4000塁打:2009年8月6日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、1回表に川井雄太から右翼線適時二塁打 ※史上13人目
- 1500三振:2009年9月21日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から ※史上8人目
- 400二塁打:2009年9月29日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、3回表に由規から右中間適時二塁打 ※史上10人目
- 450本塁打:2010年6月27日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、8回表に松岡健一から右越2ラン ※史上13人目
- 2500試合出場:2012年6月2日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、4番・指名打者として先発出場 ※史上9人目
- 1500打点:2012年6月3日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、5回表に武田勝から右翼線適時2点二塁打 ※史上9人目
- 2500本安打:2012年6月28日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、7回表に岩田慎司から右翼線二塁打 ※史上7人目(大卒選手史上初)
- 日本シリーズ・オールスターゲーム
- 日本シリーズ4本塁打(2003年)※シリーズタイ記録
- 日本シリーズ3試合連続本塁打(2003年)※シリーズタイ記録
- オールスターゲーム出場:11回(1995年 - 1997年、2000年、2001年、2003年 - 2006年、2008年、2009年)
- その他の記録
- サイクルヒット:1999年4月24日、対中日ドラゴンズ5回戦(広島市民球場)※史上49人目
- トリプルスリー:1回(2000年)
- 連続試合フルイニング出場:1,492試合(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録
- 連続イニング出場:13,686イニング(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録[37]
- 連続試合出場:1,766試合(1998年7月10日 - 2011年4月14日)※衣笠祥雄の2,215試合に次ぐ第2位
- 連続4番先発出場:880試合(2004年4月2日 - 2010年4月17日)※日本記録
- 連続打席無併殺打:1,002打席(2000年5月12日 - 2001年9月28日)※日本記録
- 1試合5四球(2001年10月11日)
- 1イニング5打点(2003年5月31日)
- 月間2度の3打席連続本塁打(2009年4月8日・4月10日)※プロ野球史上初
- 全試合出場で規定打席未到達(2010年)※プロ野球史上初
- 本塁打した投手数 226人※歴代2位
- 投手との年齢差本塁打:24歳0か月差(2012年9月16日、投手:宮國椋丞)※歴代2位
- 40代での代打本塁打:5本※日本記録
- セ・リーグ最年長盗塁:44歳6か月-2012年10月9日、対横浜DeNAベイスターズ24回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に二盗(投手:三浦大輔、捕手:高城俊人)
- セ・リーグ最年長安打(当時):44歳6か月-2012年10月9日、対横浜DeNAベイスターズ24回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に三浦大輔から中前安打
- セ・リーグ最年長二塁打:44歳4か月-2012年8月22日、対中日ドラゴンズ16回戦(京セラドーム大阪)、2回裏に吉見一起から二塁打
- セ・リーグ最年長三塁打(当時):44歳3か月-2012年7月31日、対ヤクルトスワローズ11回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に石川雅規から右線適時三塁打
- セ・リーグ最年長本塁打:44歳5か月-2012年9月26日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、9回表に増渕竜義から右越ソロ
- セ・リーグ最年長代打本塁打:同上
- セ・リーグ最年長猛打賞:44歳0か月-2012年4月28日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、8回表に山口鉄也から投強襲安打で達成
- 10,000打席到達(2011年)※史上8人目(大卒選手では史上初)
- 全球団から本塁打:2005年6月10日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に入来祐作から右中間へ逆転2ラン ※史上4人目
| 日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1993年9月4日 | 横浜21回戦 | 北九州市民球場 | 8回表 | 三浦大輔 | 1 |
| 2 | 10月5日 | 中日22回戦 | ナゴヤ球場 | 7回表 | 鶴田泰 | 3 |
| 3 | 10月20日 | 阪神25回戦 | 広島市民球場 | 5回裏 | 郭李建夫 | 4 |
| 4 | 1994年5月27日 | 巨人8回戦 | 広島市民球場 | 7回裏 | 斎藤雅樹 | 6 |
| 5 | 7月27日 | ヤクルト16回戦 | 明治神宮野球場 | 5回表 | 西村龍次 | 8 |
| 6 | 2003年5月22日 | 広島9回戦 | 阪神甲子園球場 | 8回裏 | クリス・ブロック | 248 |
| 7 | 2005年5月12日 | ロッテ3回戦 | 千葉マリンスタジアム | 1回表 | 久保康友 | 302 |
| 8 | 5月19日 | 西武3回戦 | 阪神甲子園球場 | 5回裏 | 許銘傑 | 303 |
| 9 | 5月21日 | ソフトバンク2回戦 | 福岡Yahoo! JAPANドーム | 1回表 | 和田毅 | 304 |
| 10 | 5月25日 | オリックス2回戦 | 阪神甲子園球場 | 3回裏 | 川越英隆 | 307 |
| 11 | 5月29日 | 楽天5回戦 | フルキャストスタジアム宮城 | 8回表 | 小山伸一郎 | 308 |
| 12 | 6月10日 | 日本ハム4回戦 | 阪神甲子園球場 | 1回裏 | 入来祐作 | 309 |
背番号 [編集]
- 10 (1992年 - 2002年)
- 6 (2003年 - 2012年)
関連情報 [編集]
著作 [編集]
- 『覚悟のすすめ』(角川oneテーマ21 A 87)2008年9月10日 ISBN 978-4047101579
- 『金本知憲 ― 心が折れても、あきらめるな! (スポーツ・ノンフィクション))』2009年7月 ISBN 978-4052031397
- 『人生賭けて~苦しみの後には必ず成長があった~』(小学館)2012年12月26日 ISBN 978-4093592109
解説者としての出演番組 [編集]
定期的に出演する番組のみ記載
- Dramatic Game 1844(日本テレビ・讀賣テレビ・広島テレビ制作の試合を担当)
- 虎バン(ABCテレビ)2013年から矢野・下柳と交互に「スペシャルコメンテーター」として出演
- MBSタイガースライブ(MBSラジオ)ラジオのプロ野球中継はMBSの専属扱い(ゲスト解説者として年に10回程度出演)
この他にも、ABCテレビ・関西テレビ制作のプロ野球中継や、『サンデースポーツ』(NHK総合テレビ)などに不定期で出演している(いずれもゲスト扱い)。
出演CM [編集]
いずれも現役選手時代
- 日清食品「出前一丁」(広島時代、1998年の懸賞キャンペーンTVCM(中国地区限定)に江藤智・野村謙二郎・町田公二郎・緒方孝市らと共演)
- ファイテン(2007年、アドバイザリー契約も結んでいる)
- 日産自動車「ADバン」(2007年、雑誌広告とラジオCMのみ)
- 阪神電気鉄道「阪神なんば線」(道頓堀での看板と神戸と大阪の地下鉄と阪神の駅広告)
- 上新電機「Joshin」(関西地方のみで放送のCM)
脚注 [編集]
- ^ a b 元阪神 金本知憲 独占インタビュー120分 vol.1=1(デジタル大衆)
- ^ a b c 阪神 金本スタメン外れる フルイニング出場止まる スポーツニッポン、2013年4月16日
- ^ 阪神:「鉄人」ありがとう…44歳金本引退、惜しむファン
- ^ a b Turning Point 決断のとき 金本知憲vol.15(後編)|ザバス|株式会社 明治
- ^ a b 元阪神 金本知憲 独占インタビュー120分 vol.1=2(デジタル大衆)
- ^ 広島県勢の“王者”に上り詰めた広陵高
- ^ 朝日新聞、1991年12月9日付朝刊 (14版、25面)
- ^ 『金本知憲の真実―鉄人への道―』(アスリート企画出版部 2005年9月)
- ^ 金本、右肩激痛に耐え壮絶初タイムリー デイリースポーツ、2010年3月30日。
- ^ 衝撃事実!金本、右肩腱板部分断裂 デイリースポーツ、2010年4月1日。
- ^ a b 金本、自分で止めた連続フルイニング記録 デイリースポーツ、2010年4月18日。
- ^ 阪神 金本スタメン外れる フルイニング出場止まる スポーツニッポン、2010年4月18日。
- ^ 阪神・金本、フルイニング出場ストップ 読売新聞、2010年4月18日。
- ^ 金本の“記録”が足かせ? スポーツニッポン、2010年9月17日。
- ^ 公認野球規則10・23(c)「プレーヤーが連続試合出場を記録するためには、少なくとも自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場するか、あるいは塁に出るかアウトになって打撃を完了しなければならない。」(以下略)
- ^ 金本 21年目44歳で引退決意 12日午後に会見 - スポーツニッポン 2012年9月12日
- ^ “金本が会見「10日前決めた限界かな」(”. デイリースポーツ online (2012年9月13日). 2012年9月13日閲覧。
- ^ 金本田淵氏超えた!最後の巨人戦で歴代単独10位の475本塁打スポーツニッポンン 2012年10月15日閲覧
- ^ ラストゲーム ベイスターズ戦 みどころ阪神球団公式サイト
- ^ [1]スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
- ^ 金本 ウイニングボールがっちりつかみ有終スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
- ^ [2]阪神球団公式サイト 2012年10月10日閲覧
- ^ “アニキのアニキ”清原氏が引退セレモニー来た!スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
- ^ “2012年度 任意引退選手”. 日本プロ野球機構 (2012年10月18日). 2012年10月23日閲覧。
- ^ 阪神・金本選手、1900万円の詐欺被害 出資金名目、元会社社長を逮捕 埼玉県警msn産経ニュース 2012年10月16日
- ^ 引退の金本、「将来は広島監督をやりたい」 来年はフリーで「勉強」する2012年12月27日
- ^ 週刊ベースボール2013年2月20日増刊号の解説者名鑑によると、日本テレビ放送網(系列の読売テレビ放送、広島テレビ放送含む)の解説者になることが書かれている
- ^ 金本が“デイリー入団”特別評論家にデイリースポーツ 2012年10月13日閲覧
- ^ 球児 金本氏に明かした「4カ月で10キロ増えました」(「スポーツニッポン」2013年3月16日付記事)中の金本の肩書などを参照
- ^ アニキ金本氏 MBSラジオ解説者に(「デイリースポーツ」2013年3月21日付記事)を参照
- ^ 金本氏 手術終了報告も思わず本音?「もうごめんだ、健康第一!」 スポニチ 2013年1月25日
- ^ “金本 涙の引退…阪神社長“引退勧告”に抵抗も最後は決断”. スポニチ (2012年9月13日). 2012年9月13日閲覧。
- ^ 「甲子園に降臨したウルトラマン金本」 『AERA』2008年10月20日号
- ^ 「<野球>日本野球、韓国系金本選手フルイニング出場新記録」『中央日報 日本語版』2006年4月10日更新
- ^ /index.nhn?category=worldbaseball&ctg=news&mod=read&office_id=295&article_id=0000000189 [박동희의 야구탐사 ‘슬픈 전설’, 재일동포 야구단 [2]편 ]
- ^ 2005年『FNSの日』にて。
- ^ 金本「外れます。迷惑かけられない」連続フルイニング出場止まった…阪神 スポーツ報知、2010年4月19日。
関連項目 [編集]
- 広島県出身の人物一覧
- 東北福祉大学の人物一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 西村龍次 - 高校の同期(1年の1学期に寒川高校に転校)
- AKB砲
- OSAKA LADY BLUES 〜大阪レディ・ブルース〜 - 桑田佳祐の楽曲。間奏でプロ野球のアナウンス風の実況が挿入されており、対戦シーンとして桑田真澄と共に名前が出ている。その関係上、2012年12月12日のライブツアーに同曲が特別に演奏され、金本が登場した。
外部リンク [編集]
- 金本知憲公式サイト
- 金本知憲オフィシャルブログ「世界の鉄人」
- 個人年度別成績 金本知憲 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- コラム 金本知憲 1766試合連続出場の重み【OCNスポーツ】
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