東北楽天ゴールデンイーグルス
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| 東北楽天ゴールデンイーグルス | |
| 会社名 | 株式会社楽天野球団 |
|---|---|
| 創設年度 | 2005年 |
| 所属リーグ | |
| パシフィック・リーグ | |
| 歴代チーム名 | |
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| 本拠地 | |
| クリネックススタジアム宮城 | |
| 収容人員 | 23,000人 (クリネックススタジアム宮城) |
| フランチャイズの遍歴 | |
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| 永久欠番 | |
| 10:ファンナンバー | |
| 獲得タイトル | |
| リーグ優勝(0回) | |
| なし | |
| 成績(タイトル以外) | |
| Bクラス(4回) | |
| 2005-2008 | |
| 球団組織 | |
| オーナー | 島田亨 |
| 運営母体 | 楽天 |
| 監督 | 野村克也 |
東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。通称「楽天イーグルス」。
宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にあるクリネックススタジアム宮城を専用球場(本拠地)としている。
また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は山形県東村山郡中山町にある山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム、宮城県宮城郡利府町にある利府町中央公園野球場である。この他、仙台市泉区には練習場と合宿所(東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンドほか)が設けられている。
2005年シーズンから新規参入した、NPB加盟12球団の中で最も新しい球団。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」である。
目次 |
[編集] 球団の歴史
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
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| 本社所在地 | 983-0045 宮城県仙台市宮城野区宮城野2-11-6 |
| 設立 | 2004年10月29日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | プロ野球チーム 「東北楽天ゴールデンイーグルス」の運営 ほか関連事業 |
| 代表者 | 代表取締役社長 島田亨 |
| 資本金 | 4億円 |
| 売上高 | 75億5300万円(2007年12月決算) |
| 従業員数 | 200名(2007年9月現在) |
| 決算期 | 12月末 |
| 主要株主 | 楽天(株) 100% |
| 外部リンク | http://www.rakuteneagles.jp/ |
[編集] 球団設立
- 2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)の合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けてプロ野球チームの設立を提案。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。同年10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)とすることと、初代監督に田尾安志が就任することを発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。
- 新規参入決定後の11月8日、近鉄とオリックスの選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定。
- 11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議参加。明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で、その他、即戦力選手6名を獲得。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)がいた。
- その後、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名された岩隈久志も金銭トレードで獲得。
- チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権はファーム(二軍)のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は(2008年末現在)契約先は存在していない。
- また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム)を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化、仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(但し二軍本拠地は変更しない)。
- チーム名が「東北楽天」でありながら、球団発足の2004年当時に東北地方で人気が高く、ファンの入団希望も多かったダルビッシュ有(東北高→北海道日本ハムファイターズ)や佐藤剛士(秋田商業高→広島東洋カープ)といった東北地方の高校出身選手の獲得を見送っている。当時、「東北新球団への期待を裏切られた」との声もあがったが、「栄養費問題」で行き場を失っていた一場靖弘の獲得を優先させたためでもあるが、獲得資金の問題や新規参入球団ゆえの練習場や2軍施設における不十分さが大きかった。そのため、喉から手が出るほどほしい存在のダルビッシュなど地元出身選手ではあったが、高校を卒業したばかりの選手を育て上げられる環境にないという事情により、大学・社会人出身といった即戦力新人、または他球団からの移籍選手による補強がチーム編成の柱として進められた。
- 新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。その際、「近鉄の後継球団として大阪のファンも大切にする」との理由で宮城県よりも先に選手のサイン会が開催された。
[編集] 2005年シーズン
- 2月1日、沖縄県・久米島での春季キャンプで本格的に始動。
- 久米島キャンプ後のオープン戦は本拠地・宮城球場の全面改修工事実施の関係上、ホームゲーム(主催試合)は行われず、全17試合全て相手球団主催で開催された。
- 3月26日、パシフィック・リーグ公式戦開幕。千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦。開幕投手は岩隈久志。3回表、川口憲史(現:憲史)の適時二塁打で1点を先制(これがチームの記念すべき初得点)。続く山﨑武司も適時打を放ち、さらに1点を追加。7回裏に1点を返され、1点差に詰め寄られるも、9回表に酒井忠晴が左翼越えの適時二塁打を放ち、突き放す。その裏、岩隈は相手の反撃を0点に抑え、堂々の完投。チームは3-1で勝利し、新規参入初戦を白星で飾った。新規参入球団が既存球団を相手に初戦を勝利したのは、この時の楽天が日本プロ野球史上初めてであった。
- 翌3月27日の開幕第2戦は、前日とは打って変わって散々な試合。先発・藤崎紘範を皮切りに、楽天投手陣が初回からロッテ打線に捕まり大炎上。6人が登板し、4番手・福盛和男は1イニングを無失点に抑えたものの、他の5人は最長で2イニングしか持たず、それぞれ4~7失点を喫した。打線もロッテ先発・渡辺俊介の前にわずか1安打しか打てず(この他、四球が1つあり、計2人の走者を出したが、その2人の走者はいずれも後続打者の併殺打で倒れ、最終的には全イニング3人で攻撃終了。2塁すら踏めなかった)。終わってみれば、2リーグ制開始(1950年)以降としては最大得点差での完封負けとなる0-26の大敗(1リーグ制時代は1946年7月15日にゴールドスターがグレートリング戦で0-26で敗れたことがあった)。その後、チームは4連敗してしまう。
- 4月1日、本拠地・フルキャストスタジアム宮城での初試合(対西武ライオンズ)。初回、1番打者を任された選手会長・礒部公一が西武先発・岡本篤志からバックスクリーン直撃の先頭打者本塁打。これが球団史上初の公式戦本塁打となった。この一発を皮切りに、楽天の打線が大爆発。新外国人のルイス・ロペス、礒部と同じく大阪近鉄バファローズから移籍してきた鷹野史寿も本塁打を放ち、終わってみれば16-5。ホーム開幕戦を大勝で飾り、チームはリーグ開幕戦以来のシーズン2勝目。この日先発の岩隈は開幕2連勝を飾った。
- 4月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)を皮切りに、29日の対西武ライオンズ戦(フルスタ宮城)で勝つまで11連敗を喫する。このため、4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを2軍にそれぞれ降格にするなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
- 5月6日、この年からセントラル・リーグのチームと公式戦として戦うセ・パ交流戦がスタート。楽天はフルスタ宮城に読売ジャイアンツ(巨人)を迎え、初戦を戦ったが、6-8で敗戦。交流戦初勝利は8日の対巨人3回戦(4-1)で、岩隈が巨人先発・高橋尚成との投げ合いを制し、完投勝ち。
- 6月8日、フルスタ宮城での対中日ドラゴンズ戦。3-3の同点で迎えた9回裏、代打・吉岡雄二が中日・高橋聡文から適時打を放ち、球団初のサヨナラ勝ち。
- 6月18日の対横浜ベイスターズ戦(フルスタ宮城)を以って、交流戦全日程を終了。成績は11勝25敗で12球団中最下位であった(なお、優勝は千葉ロッテマリーンズで、24勝11敗1分)。
- 7月2日、フルスタ宮城での初の対日本ハム戦。
- 7月は有銘兼久のチーム初完封勝利(31日・対西武ライオンズ戦)もあって、10勝9敗1分けと初の月間勝ち越し。
- 8月9日の対オリックス・バファローズ戦(スカイマーク)を皮切りに、シーズン2度目の11連敗を喫する。同一シーズンで2度の2ケタ連敗を記録したのは1989年の横浜大洋ホエールズ以来、16年ぶり。パ・リーグでは1961年に近鉄バファローズが3度記録して以来。
- 8月29日、対日本ハム戦(フルスタ宮城)で敗れたことにより、シーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決定。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年、8月20日に決まった近鉄以来53年ぶり。この時点での成績は33勝84敗1分で、8月の月間成績は3勝21敗だった。
- 9月25日のホーム最終戦(対ロッテ)終了後、田尾安志監督のシーズン終了を以っての解任が発表される。
- 9月28日、ヤフードームでの対福岡ソフトバンクホークス戦を以って、全日程終了。シーズンの最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)で開幕前から囁かれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位・日本ハムと25ゲーム差、31年ぶりのリーグ優勝を果たしたロッテとは47ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差も付けられる散々たるものであった。
- シーズン終了後、田尾前監督の後任として野村克也(ヤクルトスワローズ、阪神タイガース元監督)の監督就任が決定。9月末に戦力外通告を受けた小倉恒が野村新監督の強い希望(息子・カツノリの進言も受けた)により再契約。
- 12月26日に宮城県から1440万円の支援金の交付を受ける。
[編集] 2006年シーズン
- 田尾安志の後任として、野村克也を新監督に迎え入れる。弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った(無形の力とは、目に見える技術を有形の力とし、それに対して目に見えない力、すなわち判断力や観察力等の頭脳面を指す)。
- この年は前年より補強を進め、西武ライオンズを自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズを自由契約となったセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、米国からは2003年に千葉ロッテマリーンズでプレーしたリック・ショートを獲得。
- この年から「楽天イーグルスTV」(公式サイト)でホームゲームを中心に試合を無料で生中継するようになった(シーズン当初は楽天会員登録しなくても良かったが、現在は登録が必要)。
- オープン戦で初めて主催試合が組まれたが、本拠地・フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム・香川県営野球場(オリーブスタジアム/現・サーパススタジアム)・静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合(静岡で2試合)が組まれた。
- リーグ戦開幕直前、泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成。グラウンドサイズはフルスタ宮城と同じ両翼101.5m、中堅122mの全面人工芝。地元・宮城県を基盤とした家電販売のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた(その後、デンコードーは2007年4月1日、ケーズホールディングスに完全子会社化され、社名変更。それに伴い、翌2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦など対外試合では基本的に使用せず、練習専用施設として使用されている。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。
- 3月25日、札幌ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦で公式戦開幕を迎えるが、前年9勝を挙げた岩隈久志や横浜で前年7勝を挙げたバワーズがともに故障で開幕1軍から外れたため、前年2勝止まりだった一場靖弘が開幕投手を務める。翌26日はインチェ(林英傑)が先発。いずれも敗れ、その後、開幕からの連敗を5まで伸ばす。31日の6戦目(フルスタ宮城での対福岡ソフトバンクホークス戦)でようやくシーズン初勝利。
- この年からサードユニフォーム(“E”のマークが前面左上部に付きその下に小さく“RAKUTEN”と書かれた、袖がクリムゾンレッドのラグランスリーブ)を採用。セ・パ交流戦のホームゲームで着用するようになる。
- 5月25日、対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮)でヤクルト先発・リック・ガトームソンから交流戦初のノーヒットノーランを喫する。
- 6月20日、フルスタ宮城での対読売ジャイアンツ戦を以って、交流戦全日程終了。最終成績は17勝19敗で、12球団中7位(日本ハムと同率)だった(優勝は前年に続き千葉ロッテマリーンズで、23勝13敗)。6月の交流戦に限れば、11勝7敗とリーグトップの成績を残した(セ・リーグ球団を含めても、中日に次いで2位である)。
- 6月28日の対西武戦(福島)に4-1で勝ち、通算2度目の月間勝ち越し。
- サンヨーオールスターゲームはファン投票で選出された選手は1人もいなかったものの、監督推薦でホセ・フェルナンデスと福盛和男の2人が選出された。
- 8月20日の対オリックス・バファローズ戦でリーグ戦初の同一カード3連勝を果たす。
- 8月26日・27日、ファームの試合が青森県営野球場で開催、東北地方6県すべてで公式戦の開催を実現。
- 9月25日に行われたドラフト会議(高校生の部)で夏の甲子園大会準優勝・駒大苫小牧の田中将大投手を1巡目指名。日本ハム、横浜、オリックスとの競合の末、抽選で交渉権を獲得。
- 10月1日、フルスタ宮城での対ロッテ戦を以って全日程終了。2年連続最下位に終わったものの、前年より9勝多い47勝(85敗4分)を挙げ、5位・オリックスとは4.5ゲーム差であった。
- 11月3日〜8日、日米野球開催。日本代表監督として野村監督が指揮を執る(全5戦共)。楽天からは高須洋介、鉄平、福盛和男、小倉恒が出場。
- 11月14日、ホセ・フェルナンデスがベストナイン(三塁手)受賞。球団初のタイトル獲得選手となった。
- 12月28日、同球団のジュニアチームがNPB12球団ジュニアトーナメント(26日開催)にて読売ジャイアンツジュニアを下し優勝した。
[編集] 2007年シーズン
- 気候上の都合で、フルスタ宮城でのオープン戦開催はなし。高松1試合と静岡2試合の3試合のみを主催。
- 3月24日、グッドウィルドーム(西武ドーム)での対西武ライオンズ戦で公式戦開幕。2年目・草野大輔と高須洋介に選手会長の座を譲った礒部公一が本塁打を放つも、2年ぶりの開幕投手を務めた岩隈久志が踏ん張れず、チームは2-5で敗戦。翌25日の第2戦は新外国人ケビン・ウィットの2本塁打もあり9-2で快勝したが、チームはその後4連敗。
- ホーム(フルスタ宮城)開幕2戦目となった4月1日の対オリックス・バファローズ戦で、3回裏にホセ・フェルナンデス、山﨑武司がともにオリックス先発・吉井理人から満塁本塁打を記録。1イニング2本の満塁本塁打はプロ球界で3例目。同一投手から、及び柵越え本塁打ではプロ野球史上初。
- 4月17日〜4月19日、対福岡ソフトバンクホークス3連戦(フルスタ宮城)で、初の本拠地3連勝を記録(17日の初戦では永井怜、翌18日の第2戦では田中将大。2人の新人投手がそれぞれプロ初勝利を挙げる)。
- 4月20日~22日の対千葉ロッテマリーンズ3連戦(フルスタ宮城)で、ファン人気投票で決まったという3rdユニフォーム(正式には交流戦用のラグランスリーブのユニフォームがあるため4thユニフォーム)を着て試合を開催(なお、22日は雨天で試合中止となったので、実際にこのユニフォームを着て試合を行ったのは2試合であった)。
- 4月、山﨑武司がパ・リーグ月間MVP(打者部門)を受賞。月間MVP受賞は球団初であるが、山﨑自身にとっては中日時代の1996年6月以来2度目の受賞となった。
- 5月9日〜15日、球団新記録となる5連勝を記録。
- 6月17日、中島俊哉の1軍昇格により、楽天の創立メンバーは全員1度は1軍を経験。
- 7月2日、オールスター戦で8選手がファン投票で選出される。(後述)
- 8月1日、朝井秀樹が球団初の1-0での完封試合を達成。
- 8月27日、山﨑武司が球団初の40本塁打到達。
- 8月31日、田中将大が球団初の投手10勝到達。
- 8月、ホセ・フェルナンデスが月間MVPを受賞。チームの月間勝利数記録を15に更新する。
- 9月15日、山﨑武司が球団初の100打点到達。
- 9月29日、対ソフトバンク戦(ヤフードーム)に勝利し、球団創設3年目にして初めての最下位脱出を決める。10月3日の対北海道日本ハムファイターズ(フルスタ宮城)では単独4位が確定。
- 10月5日(楽天のホーム最終戦翌日)、本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻る(フルキャストとの命名権契約解消)。同日、千葉マリンスタジアムでの対ロッテ戦を以って全日程終了。最終成績は67勝75敗2分(勝率.472)で4位。優勝した日本ハムと13.5ゲーム差、3位・ソフトバンクとは7.5ゲーム差。クライマックスシリーズ出場争いには加われなかったものの、過去2年間に比べ飛躍的に成績が上がったシーズンとなった。
- ソフトバンク、オリックスにシーズン勝ち越し。同リーグで対戦成績勝ち越しは3年目で初。
- 山﨑武が43本塁打・108打点で本塁打・打点の二冠王に輝く。打撃部門タイトル獲得は球団初。リックも打率部門で第2位(首位打者は日本ハム・稲葉篤紀)。
- 田中が球団初の新人王に輝く。
- 総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。また得失点差-101はダントツの6位だったが、僅差のゲームでの勝負強さから得失点-21の西武や-49のオリックスよりも結果的に順位が上になった。
- その一方で併殺打が上位四人(山﨑武、リック、フェルナンデス、礒部)だけでソフトバンク全選手の合計(82個)に並ぶなど多く、シーズンチーム併殺打数が1996年ヤクルトの140個を超える144個を記録し、NPB新記録となった。
- 11月22日、球団オーナーの三木谷浩史が楽天本社の業務に専心する為、2008年1月1日を以てオーナー職を球団社長の島田亨に禅譲することが発表された。
島田はオーナーと球団社長を兼任する。また、三木谷自身は球団代表取締役会長に就き、大所高所から球団経営をサポートすることを表明している。
[編集] 2008年シーズン
- 日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日、「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。
- オープン戦は長崎県営野球場(ビッグN)2試合のみ主催。気候の都合上、加盟以来4年連続して地元・宮城での開催はなし。
- 地方球場での主催試合は2試合のみ(5月13日に対オリックス・バファローズ戦を福島県営あづま球場、7月1日に千葉ロッテマリーンズ戦を盛岡・岩手県営野球場)しか組まれなかった。
- 3月20日、ヤフードームでの福岡ソフトバンクホークス戦で公式戦開幕。2年連続開幕投手に選ばれた岩隈久志が7回1失点の好投を見せるも、3-1でリードした9回裏に4番手として登板したドミンゴ・グスマンが柴原洋に逆転3ランHRを打たれ、サヨナラ負け。これで3年連続開幕戦黒星となった。その後、チームは開幕から4連敗。
- 開幕4連敗後、球団初の7連勝。7連勝目となった4月3日の対千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。
- 6月14日、朝に「平成20年岩手・宮城内陸地震」が発生した影響で、当日にKスタ宮城で予定されていた対読売ジャイアンツ戦が中止となった(球場の被害がほとんどなかったため、初めは14時開始のところを1時間繰り下げ、15時開始で行うことを発表。しかし、交通機関はマヒし、なおかつ観客の安全確保も困難と判断されたため最終的には中止となり、翌々日に振替試合を行うことになった)。地震の影響で試合中止となったのは、日本プロ野球史上初めてであった。
- 6月22日、対広島東洋カープ戦で球団初のセ・パ交流戦勝ち越し決定(最終戦績は13勝11敗で5位)。
- 交流戦で5勝を挙げた岩隈久志が交流戦の優秀選手賞に当たる"日本生命賞"を受賞。また、6月度のパ・リーグ月間MVP(投手部門)も受賞した。投手部門での月間MVP受賞は球団初(岩隈自身にとっては近鉄時代の2004年5月度以来、通算4度目の受賞)。
- 7月、公式戦月間24試合のうち(雨天中止を除く)、チーム勝利数が5勝のみに終わるという大不振に陥った。『平均得点が2.88、平均失点が5.17』というもの。このことが、後のシーズン最終成績へ大きく影響を及ぼした。
- 同じく7月、前年まで北海道日本ハムファイターズに在籍していたフェルナンド・セギノールの獲得を発表。8月中旬からチームに合流する。
- 9月22日、岩隈久志が球団初の投手20勝到達。10月5日には背番号と同じ21勝目。"シーズン21勝"は1985年の佐藤義則(当時・阪急/現・楽天投手コーチ)以来、23年ぶりの快挙。さらに、最優秀防御率 (1.87)、最高勝率(21勝4敗、.840)と、投手タイトル三冠を達成した。20勝、勝率8割以上、防御率2点未満での同3冠は、1959年の杉浦忠(南海)以来、49年ぶり。
- 10月7日、レギュラーシーズン最終戦で同率5位で並んでいたソフトバンクと対戦。0-0で迎えた延長12回裏、山﨑武司のタイムリーヒットで1-0のサヨナラ勝ち。これで単独5位が確定し、2年ぶりの最下位逆戻りは免れた。なお、この試合はこのシーズン限りでの辞任を表明していたソフトバンク・王貞治監督最後の采配ということで、大きな話題を呼んでいた。ちなみに、野村監督にとってはヤクルト監督時代以来14年ぶりとなるレギュラーシーズン最終戦での相星最下位決定戦であり、この時も横浜ベイスターズに勝利し、最下位を免れている。
- 10月17日、岩隈久志と藤井彰人が最優秀バッテリー賞受賞。岩隈は前述の通り、投手タイトル三冠達成。一方、藤井はリーグトップの盗塁阻止率(.429)を記録。
- 球団の総得失点差は3位日本ハム・4位ロッテより高い+20で、球団創設以来初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。しかし、チャンスの場面で打線が打てないことが多く、接戦に弱かったことが5位に低迷した原因となった。
- 11月3日、岩隈久志が沢村賞受賞。沢村賞受賞は岩隈自身にとっても球団にとっても初の快挙。
- 11月10日、読売ジャイアンツから小坂誠の金銭トレードでの移籍を発表。球団初の地元(宮城県)出身選手誕生。
- 11月21日、岩隈久志がパ・リーグMVPならびにベストナイン(投手)、首位打者のリック・ショートもベストナイン(外野手)を受賞。なお、岩隈のMVP受賞は沢村賞同様、自身・球団双方にとって初の快挙。
- 12月5日、中日ドラゴンズからFA権を行使していた中村紀洋の入団を発表。球団初のFA加入選手が誕生した。
[編集] 2009年シーズン
- 5年目にして初めて本拠地・クリネックススタジアム宮城でオープン戦を開催(3月23日の対オリックス・バファローズ戦と翌24日の対埼玉西武ライオンズ戦)。23日は6-6で引き分け、24日は3-1で楽天が勝利した。
- 地方球場での公式戦主催は前年より1試合多い3試合。いずれも7月の試合で、7日の対千葉ロッテマリーンズ戦を福島県営あづま球場、28日と翌29日の対埼玉西武ライオンズ2連戦を盛岡・岩手県営野球場(28日)と秋田・こまちスタジアム(29日)でそれぞれ開催。福島と盛岡では前年に続き、秋田では3年ぶりの主催試合開催となる。
- 3月23日、一場靖弘が宮出隆自との交換トレードで東京ヤクルトスワローズへ移籍。チームの生え抜き選手として、初の他球団移籍となった。
- 4月3日、札幌ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦で公式戦開幕。3年連続開幕投手に選ばれた岩隈久志が6回1失点の上々の投球を見せ、3-1で勝利。球団創設初年度以来、4年ぶりの開幕戦白星を挙げた。続く第2~4戦も勝利し、球団創設以来初の開幕4連勝を果たした。その後も好調を維持し続け、4月末の時点で13勝9敗の首位(3連敗が1度もなかった)。首位で4月を終えたのも球団創設以来初めて。
- 5月1日、本拠地での対オリックス戦を12-2で勝利。球団史上初めて2位以下に2ゲーム差以上をつけた首位を経験する。
- 翌々日(3日)には同じく本拠地でのオリックス戦を8-4で逆転勝ちし5連勝。この勝利で、貯金記録を球団史上最多の「7」に更新する。その後、6日の対西武戦(西武ドーム)で最多貯金記録を「8」に増やした。
- 5月19日~6月21日に行われたセ・パ交流戦は、最大6連敗を喫するなど低迷。6連敗後は4連勝するなど、徐々に復調の兆しを見せ始めたが、最終的には9勝15敗の10位に終わった。
[編集] チームの特徴
- 「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の深山に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。
- 当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で「ゴールデンイーグルス」となった。
- 球団のマスコットキャラクターはイヌワシをイメージした「クラッチ」(背番号は10で、永久欠番に該当する)と「クラッチーナ」。名前は一般公募され、英語のclutchに「ぎゅっとつかむ」「わしづかみ」という意味があり、また「勝負強い打者」を英語でクラッチヒッター(clutch hitter)と言うことから、「勝負強いチームになって、みんなの心をわしづかみにしてほしい」という願いを込めて決定された。クラッチーナは「クラッチを元に女の子らしい名前を」ということで球団側が名づけた。
- また、クラッチとクラッチーナ以外にも、非公認マスコットのMr.カラスコや未公認マスコットのピーマン ボン ジョルノ .カンパニーも登場する。
- 戦前の球団「イーグルス」とは無関係。
- 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズならびに西武ドームでの埼玉西武ライオンズ同様、クリネックススタジアム宮城開催の主催試合では三塁側ベンチに座っている(福島、盛岡等の地方球場での主催試合では一塁側)。そのため、一塁側ベンチに座る機会は他球団と比べ、非常に少ない(2008年の公式戦において一塁側ベンチに座ったのは11試合のみ)。
- 東北ゴールデンエンジェルス(オフィシャルチアリーディングチーム)に地元仙台市在住の主婦(44・年齢は2004年のオーディション実施当時)が合格して話題になった。
- 楽天野球団公認の漫画「ルーキー野球団・東北楽天ゴールデンイーグルス物語」が1話完結の形で週刊ヤングジャンプで連載された。主人公は毎回変わる(主人公となったのは最終回を除いて連載順に、礒部公一・田尾安志・岩隈久志・松井優典・山崎武司・吉田豊彦・中村武志・沖原佳典の8人)。
- 楽天の応援席では、ほとんどの観客がレプリカユニフォームや球団の法被などの楽天球団の応援グッズを身に付けているが、事実上の大阪近鉄バファローズの後継球団ということもあり、近鉄の帽子やレプリカユニフォームを身に付けている人も見られる(特に近鉄の本拠地であった大阪ドーム)。また、希に仙台ライブドアフェニックスのタオルなどを持った人も見られる。
- 毎年5月19日を「ゴールデンイーグルスの日」に制定。これは「ゴ(5)ールデンイ(1)ーグ(9)ルス」の語呂合わせに由来する。2005年も来場者にこの日限りの記念グッズが進呈された。
- ホームである宮城球場は野外球場である上、やませの影響もあり雨や濃霧による中断、コールドになる試合が多く、その中断分も含めて試合が長丁場になる事が他球団に比べ多い。
- 2009年現在までのドラフト自由枠・一位では、全て投手を獲得している。ほとんど若い投手を分配してもらえず、先発不足に悩まされてきたチーム事情からすれば当然ではある。ちなみに岩隈久志を除けば、ここ5年間の日本人先発の勝ち星の8割以上を占めているのはこれら新戦力ドライチたちであり、ドラフト新戦力投手たちはチームの生命線となっている。
- 現在、近鉄に在籍経験のあった楽天の選手は、岩隈、朝井、山村、愛敬、有銘、藤井、中村紀、牧田、磯部、川口(憲史)、高須の11名。オリックスに在籍経験のあった楽天の選手は 山崎武、中島、セギノールの3名。
- 中日ドラゴンズに所属していた選手が創設時から多く、これまでに毎年1名以上が加入している。球団初年度の2005年は中村武志、山﨑武司、紀藤真琴、酒井忠晴、関川浩一、小山伸一郎の6人(但し、中村は横浜ベイスターズ、山﨑はオリックス・ブルーウェーブからの加入)。2006年は鉄平(本名:土谷鉄平)。2007年は川岸強とドミンゴ(ドミンゴはシーズン中の加入)。2008年は石川賢。2009年は中村紀洋。このうち、(2009年現在)現役なのは山﨑、小山、鉄平、川岸、石川、中村紀の6人(関川はコーチとしてチームに留まっている)。
[編集] ユニフォーム
2005年から楽天株式会社のイメージ・カラーであるクリムゾン・レッド(エンジ)を基調としている。肩・脇腹に2本の細ライン、パンツに1本の細ラインが入り、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークには黄色の縁取りが施されている。背番号・胸番号・選手名の書体は「カッパープレート・ゴシック体」を採用している(1993年~2008年にかけて横浜ベイスターズも採用していた)。スパイクは白地にクリムゾン・レッドのライン。
- ホーム用
- 白地で細いシャドー・ストライプが広めの等間隔に入っている。胸ロゴは「EAGLES」、左右両端の文字は鷲の翼をイメージしたもの。その上に小さく「RAKUTEN」の文字がある。ホーム用にチーム名(企業名)を入れているのは福岡ソフトバンクホークスと同様。
- 2006年から交流戦期間のみ着用するホーム用が登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
- 2007年に「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2008年7月11日-13日の千葉ロッテマリーンズとの3連戦には、2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- ビジター用
- 上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラー。胸ロゴ、背番号、胸番号、肩、脇腹ラインは白。胸ロゴは「RAKUTEN」で、立体的に見えるよう黄色のシャドーが入っている。
地域密着を謳う球団として発足したものの、ユニフォームには地域名を示す「TOHOKU(東北)」「SENDAI(仙台)」「MIYAGI(宮城)」等のロゴが入っておらず、疑問の声も少なくない(ユニフォーム決定の際、田尾監督は地域名が入っていなかったことを悲観したという)。楽天の場合、袖部分、胸の中央部、球団旗にはすべて楽天もしくは、楽天のグループ会社のロゴや名前を付られており、逆にファンたちが着ているレプリカユニフォームの方に「東北魂」という文字が躍っているという状況である。
- 宮城球場以外の東北各地での公式戦については、「(協賛スポンサー名)みちのくシリーズ」と題して行われている。
- 2009年の右袖に、「5th Anniversary」のペットマークが付いた。
[編集] 主な球団歌
[編集] 公式応援歌
- THE マンパワー!!!(作詞・作曲:つんく♂(シャ乱Q)、歌:モーニング娘。)
- 2005年4月1日のホーム開幕戦(対西武ライオンズ戦)と5月8日の対読売ジャイアンツ戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A「サテライトスタジアム」の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット「黄金鷲団」のオープニング・エンディングでも使用されている。しかし歌詞の中に球団に関係したものが入っていない点(発表当初は野球に関するフレーズが全く入っていなかった)、東北地方のチームの応援歌であるにもかかわらず歌詞に大阪弁(「ものごっつい」)が含まれている点を批判するファンもいる。
- 楽天が経営するもう1つのプロスポーツチーム・ヴィッセル神戸(Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥(兵庫県姫路市出身)をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。その影響で「B'zかL'Arc〜en〜Cielに歌わせるべきだった。」と言う声が相次いだ。
- LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- 前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
- ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第3弾。CDは2007年3月24日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、4月1日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。この曲もスカイ・A sports+「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」のエンディングテーマソングとして使われている。
- 越えろ!楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:℃-ute)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第4弾。2008年3月20日発売。仙台駅構内・楽天イーグルスオフィシャルストア、Hello!Projectオフィシャルショップのみで発売。PVに、岩隈久志・山崎武司ら楽天イーグルス所属選手が出演。
- 紅の翼(歌:堀内孝雄)
- つんく♂と同じアップフロントエージェンシーの堀内孝雄が歌う公式応援歌第5弾。
[編集] 公式球団歌
- 羽ばたけ楽天イーグルス(作詞:藤巻浩・勝山聡・井岡美里、作曲:藤巻浩、歌:狗鷲合唱団)
- 行進曲調。
- Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
[編集] 公認応援歌
- 楽天イーグルスGO!GO!GO!GO!(作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山)
- 毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。
[編集] 公認イメージソング
- 後述するように、安易な田尾安志監督解任に対して抗議する意味も込め、さとう自らが歌唱を封印した。
[編集] その他
- 楽天サンバ
- 大空へ(作詞・作曲・歌:清貴)
- エフエム東京の番組企画で製作された。
[編集] 場内アナウンス
- クリネックススタジアム宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンス(「スタジアムDJ」と呼ばれる)は男女混成形式を採用。ホーム側はファーストシーズン(2005年)から古田優児(フリーアナウンサー)が担当しており、2009年シーズンで5年目。一方、ビジター側は2009年より山口祐佳(中日ドラゴンズのチアリーダーチーム「チア・ドラゴンズ」の元メンバー)が担当している。
[編集] 応援スタイル
- クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)では鳴り物の使用が大幅に制限されており、トランペットや笛の使用は禁止。NPBから許可を受けた応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない)。なお、鳴り物応援の規制は大半のファンが必ずしも批判的や肯定的ではない、しかし、鳴り物応援が規制されているにもかかわらず、球場内外ではスピーカー等でアナウンスや音楽などを大音量で流している、また、笛や拡声器なども10時以降にも球団スタッフのみ使用しているように球場周辺の病院や住居などを考えた処置をしていないにもかかわらず、応援のみ規制されていることに批判が集中している。なお、Kスタ宮城以外の球場ではトランペット、笛も使用した応援を行っている。
- 楽天攻撃時の選手の打席では「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がる様に語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」(イーグルス私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されている。
- 2008年より初回撃開始時に"オープニングテーマ"が歌われるようになる。原曲はさとう宗幸の「青葉城恋唄」(サビ部分を使用)。
- 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も多くおり、その選手には共通の汎用テーマを使用している(なお、個別応援歌は年間数曲ずつ作られている)。中には、元の所属球団で使用されていた応援歌が使用されている選手もおり、(2009年現在)現役では山﨑武司に対して中日時代のものを使用している。既に退団または引退した選手についても同様で、関川浩一、中村武志、益田大介に対しては中日時代、飯田哲也に対してはヤクルト時代、酒井忠晴に対してはロッテ時代、ケビン・ウィットに対しては横浜時代(但し、歌詞を全面的に書き換えている)のものをそれぞれ使用していた(いずれも当該球団の私設応援団から使用許諾を得ていた)。なお、球団設立当初は多数を占めていた近鉄の選手については旧近鉄応援団が近鉄時代の応援歌の使用を認めなかった為、前述の益田を除いて、元近鉄の選手は初年度は汎用テーマを使用していた。「全鷲連」が最初に用意した個別応援歌はチームの初代4番打者でもであったルイス・ロペスのものであるが、既存の曲で原曲はドリフ大爆笑のテーマ。なお、この応援歌はロペスが退団した後でもファンの間で親しまれており、現在も時折球場で歌われているもよう。なお、「全鷲連」で作曲された最初の個別応援歌はアンディ・トレーシーのもので、この曲は2006年から2008年までホセ・フェルナンデスの応援歌として流用(但し、歌詞を一部変更)された。
- 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。前奏として「青葉城恋唄」サビ部分を使用。この前奏は2007年まではビジター限定で使用されていたが、2008年からはホームでも使用されるようになった。因みに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。2008年には"チャンステーマ2"(原曲:山形のローカルヒーロー「大鍋宣隊イモニレンジャー」のテーマ)と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されている。この他、九州地区ならびに東北地区専用のチャンステーマも存在する。これらは当該地区以外では使用されないため、先の2曲と比べると知名度は低い。
- 劣勢時、"ファイティングテーマ"なるものが使用されることがある。なお、一部選手やファンからの評判は悪いもようで、このテーマが使用されることは滅多にない。それ故、万が一このテーマが使用された場合、よっぽどの"異常事態"であると言える。
- ジェット風船については、7回の攻撃開始前にはチームカラーの赤、楽天勝利時には白(白星の意味)を飛ばしているが、新型インフルエンザ感染拡大防止対策として、2009年5月下旬から当面使用自粛となっている(販売も行っていない)。ちなみに、創立当初の7回の風船は赤・黄のツートン使用であった。
[編集] 年度別成績
| 年度 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 勝差※ | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 田尾安志 | 6 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | 51.5 | .255 | 5.67 | 88 |
| 2006 | 野村克也 | 6 | 136 | 47 | 85 | 4 | .356 | 33.0 | .258 | 4.30 | 67 |
| 2007 | 4 | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | 13.5 | .262 | 4.31 | 111 | |
| 2008 | 5 | 144 | 65 | 76 | 3 | .461 | 11.5 | .272 | 3.89 | 94 |
※シーズン1位チームとのゲーム差
[編集] チーム成績・記録
- 初試合・初勝利 2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(ロッテに3-1)
- 初敗戦 2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(ロッテに0-26)
- 初引分 2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(ロッテに4-4)
- 最速10勝到達 17試合目(2009年)
- 最速20勝到達 33試合目(2009年)
- 最速30勝到達 56試合目(2008年)
- 最速40勝到達 85試合目(2008年)
- 最速50勝到達 110試合目(2007年)
- 最速60勝到達 128試合目(2007年)
- 最大開幕連勝 4(2009年)
- 最大開幕連敗 5(2006年)
- 最大連勝 7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ)
- 最大連敗 11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
- 最大連続延長戦 2(2005年6月25日・対西武 - 6月26日・対西武、2006年6月13日・対阪神 - 6月14日・対阪神)
- ゲーム最多得点 18(2005年9月2日・対オリックス)
- ゲーム最多失点 26(2005年3月27日・対ロッテ)
- ゲーム最多安打 20(2008年6月29日・対ソフトバンク、2008年9月30日・対ソフトバンク)
- イニング最多得点 10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏)
- イニング最多失点 11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
- 最多貯金 8(2009年5月6日・対西武、同9日・対ロッテ)
- 最多借金 59(2005年9月28日・対ソフトバンク)
[編集] 永久欠番
- 10:ファン
- ベンチ入りする控え選手の一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。日本プロ野球界では初。
- この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、ベンチ入り25人に次ぐ26番目の選手という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
[編集] 歴代本拠地
[編集] スポンサー
- 左袖
- パンツ
- MJQウェディング(2006年 - 2007年)
- エイブル(2008年 - )
- 左胸
- アイリスオーヤマ(2009年 - )
- ベンチシート、応援用ビッグユニフォームなど
- 北電子(2007年 - 2008年)
[編集] 放送
楽天では初代球団オーナー・三木谷浩史の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは製作著作の権利までを球団側が所持。 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。
[編集] インターネット・テレビ
[編集] 従来型放送
- 地上波テレビ
- NHK、在仙民放各局がホームゲームを放送。地上波デジタル放送に関しては、サブチャンネルにて試合終了まで放送。範囲は宮城県内のみがほとんどだが、東北地方の他県でも年に数回ぐらいの放送がある(2006年はNHK総合・東日本放送で東北地方全域に放送した また、NHKでは東北ブロックで放送されることが多い。)。ただし、楽天球団制作映像優先の方針により、自局での映像制作には一定の制限があり、中継権を持たない試合の資料映像については、原則として楽天野球団制作からの配信を受ける形となる。
- TBCテレビ、在仙のなかでは一番放送の数が多く日曜のデーゲームを中心に年に数回、巨人戦を差し替えて放送している。解説者は2005年は対戦相手エリアの解説者が登場していたが2006年は衣笠祥雄、川口和久、盛田幸妃が担当、2007年はラジオ解説が主の佐々木信行、秦真司が行い、2008年には駒田徳広(現横浜打撃コーチ)、松本匡史も加わり2009年からは高橋雅裕が新加入。実況は佐藤修、三橋泰介、松尾武が担当。リポーターには各実況アナに守屋周、猪井操子、飯野雅人が務める。2009年4月に放送されたホーム開幕戦では3波(テレビ・TBCラジオ向け、NRN記録用)の実況を行った関係上リポーターを置かず実況の三橋が談話などを紹介した(実況陣の一員である佐藤とリポート専属の猪井は当日ラジオのレギュラーがあった為、放送に加われなかった)過去には実況で大井健郎(現・報道記者)、リポーターで根本宣彦、山本義幸も担当した。全国ネットの経験は2005年の交流試合・巨人戦2試合と2007年のオールスターゲーム(いずれもTBS製作でTBC関係者の出演は巨人戦における楽天リポーターのみ)
- 仙台放送、TBC同様、週末デーゲームが多く2006年まで巨人戦を差し替えていた。しかし2009年は4月の日本ハム戦で久しぶりの差し替え中継を行った。解説は斉藤明夫、高木豊、達川光男というフジテレビ系列の解説者が担当。2007年は前監督の田尾安志が務め、2008年は達川が、2009年は斉藤が再登板となった。実況アナの変貌が目まぐるしく2005年は下田恒幸(現フリー)が3試合、佐藤拓雄が1試合実況を務め、2006年は浅見博幸が2試合全て実況、金澤聡がリポーターを務めた後2007年から実況を務め板垣龍佑(現テレビ東京)がリポーターを務め2009年からは広瀬修一が担当、2006年の実況を務めた浅見がインタビュアーとして同局中継3年ぶりの登場を果たした(中継終了後にインタビューが行われた)。因みに在仙局の中では中継製作に一番消極的である。
- ミヤギテレビ、こちらは週末デーゲームのみ、未だに差し替え中継の実施はない。解説者は2005年が中畑清、水野雄仁が担当、2006年より楽天OB初の解説者となった川尻哲郎とキー局の池谷公二郎、2007年からは川尻のみとなったが2009年4月の西武戦は阿波野秀幸が務めた。実況は伊藤拓、リポーターは外賀幸一が担当している。両者の先輩に当たる三雲茂晴も裏方として中継に参加している。2008年3月23日に福岡Yahoo!JAPANドームで行われたソフトバンク戦は系列の福岡放送が製作する映像を仙台のスタジオで中継を行ない、在仙局でビジター試合の解説・実況を差し替えた唯一の試合である、2009年4月3日に札幌ドームで行われた日本ハム戦の中継を系列のSTVが行ったが同局は巨人戦を優先し、4年間続いていた開幕中継をストップさせた。
- 東日本放送、夏の高校野球県大会中継をしていることもあり実況アナは豊富で中継数も仙台放送やミヤギテレビよりも多い。こちらは土曜デーゲーム中心だが2006年までは巨人戦を差し替えていた。ホームでの巨人戦中継は毎年行っているが2007年まではテレビ朝日製作のため協力にまわり同局のアナウンサーは楽天リポーターとして登場する。解説はほとんどの試合、東北福祉大OBの大塚光二が務めている(巨人戦の場合はグランド解説にまわる)が、2008年は元ABCプロ野球解説者の村上隆行が登場した。他局と違う点はローカルタレントの本間秋彦がゲストとして登場していたが2009年4月の日本ハム戦は登場せず同局プロ野球中継初『解説・実況・リポーター』のみの放送となった。(本間が諸事情で来られない場合もゲストを配し、野崎靖博、戸叶尚も中継に加わったこともある)実況は熊谷博之、岩崎心平、松本龍が担当。ベガルタ中継がメインの加川潤も2005年1試合を担当した。リポーターは各実況アナに加え2007年は吉岡伸悟も担当、2008年までは相手チームサイドにもリポーターを配し系列局のアナウンサーが担当していた。2007年はCS放送sky・A sports+中継の実況も担当していた、2008年6月には交流試合・巨人戦の自社製作を行う予定だったが当日、朝に起きた岩手・宮城内陸地震の影響で中止になった、余談ではあるが2008年に行った4試合全てが4時間超になり終了まで中継ができない現象が続いた。因みに全国ネットの経験は2005年の交流試合・巨人戦1試合となっている。
2005年シーズンのデーゲーム中継は隣県(特に2軍本拠の山形や福島、岩手)、ソフトバンク戦においてはTBC製作をRKBで仙台放送製作をテレビ西日本で日本ハム戦においてはミヤギテレビ製作をSTVで放送されたこともある。
- 2008年6月、交流戦2試合をBS朝日で放送。(当初は1日の広島戦を球団製作=スカイ・エーと同時、14日の巨人戦は東日本放送製作で宮城県向けローカル中継との同時放送を予定していたが、巨人戦中継予定当日が岩手・宮城内陸地震のため開催中止となり、予備日の16日の試合はKHBの放送枠の都合が付かなかったためこの試合も球団製作のものに変更された)
- 同8月から日本BS放送(BS11デジタル)にて「BS11プロ野球・全国生中継」として中継に本格参入。同年度は終盤10試合を放送する。sky・A sports+と同様の球団製作中継。2009年からはタイトルを「プロ野球まるごと中継 熱闘!BS11ナイター」として20試合程度を送る。
- AMラジオ
- 東北放送(県域放送)「TBCイーグルスナイター」
- ※ 「プロ野球三都物語」は開幕前に1年に1度放送。
- NHK仙台放送局(東北地域向け):NHKプロ野球の枠での放送と、「NHKラジオ夕刊」など通常の番組を休止しての放送がある(7時のニュースは放送される)。
- FM放送
- NHK仙台放送局(東北地方全域) : 開幕戦のみ放送。NHKラジオ第1放送が高校野球優先のうえ、実施期間のために放送ができず、FM放送を行っている。2005年〜2007年の3年間はいずれも東北ブロックでの放送。2006年は対戦カードが日本ハムだったため、北海道でも放送された。
[編集] キーワード
[編集] カラーユニフォーム対決
- 2005年9月10日、フルキャストスタジアム宮城の福岡ソフトバンクホークス戦での企画。この日を「クリムゾンレッドデー」と銘打ち球場をチームカラーであるクリムゾンレッド一色にしようという企画で、ホームゲームではあるが、クリムゾンレッドのビジターユニフォームを着て試合を行った。このカードでは7月18日にも「鷹の祭典 in ヤフードーム ブラックホーク降臨!」と題して、ホームチームのソフトバンクが黒のビジターユニフォームで試合を行っている。7月18日は7-5で楽天、9月10日は6-3でソフトバンクが勝っており、どちらもホームチームが負けるという結果が残っている。
- 2006年は阪神タイガースが、交流戦用ユニフォームとしてホームゲームでは岡田彰布監督が入団した1980年当時のビジター用、ビジターゲームでは同時期のホーム用を着用して試合に臨むことを決定したため、楽天とは5月30日からの甲子園3連戦ではビジターvsビジターで対戦した。8月22日には、西武ライオンズが球団の要望でビジターvsビジターをする等、この試みは各球団に広まっている。
[編集] 平日デーゲーム開催
2007年4月3日(火)~5日(木)、フルキャストスタジアム宮城(当時の呼称)で北海道日本ハムファイターズとの3連戦をいずれもデーゲームで開催。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス・バファローズ3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラスと東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況ぶり。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中将大の本拠地初登板もあって、約18000人ものファンが球場に詰め掛けた。
翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火)~3日(木)の対千葉ロッテマリーンズ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。
ちなみに、2009年も相手側主催ながら8月18日・19日の対日本ハム戦2試合が平日ながらデーゲームで開催されることが決まっているが、これは会場である旭川・スタルヒン球場にナイター設備がないための処置である。楽天主催試合では平日のデーゲーム開催は今のところない。これは同年度の開幕戦が4月3日と前年より2週間ほど遅かったためであった。
- 本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代-1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合やプレーオフ(パ・リーグ)、日本選手権シリーズでも行われた。
[編集] 2007年度オールスターファン投票
2007年オールスターファン投票の結果が発表されたが、フルスタでの開催という要素などが相まって、12枠のうち8枠を、田中将大、松本輝(辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部公一、山崎武司と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、野村監督は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、北海道日本ハムファイターズ監督でこの年の全パ監督を務めるトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。
[編集] ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員
東北楽天では以下の24人が「ファンクラブ名誉会員」となっている。
- 大友康平(宮城県塩竈市出身):HOUND DOGのボーカル
- 涼風真世(宮城県石巻市出身):女優
- 生島ヒロシ(宮城県気仙沼市出身):フリーアナウンサー
- 大泉逸郎(山形県西村山郡河北町出身):演歌歌手
- ザ・グレート・サスケ(岩手県盛岡市出身):みちのくプロレス所属のプロレスラー・元岩手県議会議員
- 千昌夫(岩手県陸前高田市出身):演歌歌手
- 山寺宏一(宮城県多賀城市出身):声優
- 舞の海秀平(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身):スポーツキャスター
- ウド鈴木(山形県鶴岡市出身):お笑いコンビキャイ〜ンのメンバー
- 稲垣潤一(宮城県仙台市出身):歌手 2007年3月31日フルスタ開幕戦(日本ハム戦)で国歌斉唱。
- 畑山隆則(青森県青森市出身):プロボクシング元世界王者
- 西田敏行(福島県郡山市出身):俳優
- 中村雅俊(宮城県牡鹿郡女川町出身):俳優・歌手
- 三瓶(福島県本宮市出身):お笑いタレント
- 浅野史郎:前宮城県知事
- 寺田典城:秋田県知事
- 佐藤栄佐久:前福島県知事
- 増田寛也:前岩手県知事、前総務大臣
- 三村申吾:青森県知事
- 斎藤弘:山形県知事
- 藤井黎:前仙台市長
- 田中義剛(青森県八戸市出身):タレント
- 遠藤登:山形県天童市長
- 宇津井弘治:山形県東村山郡中山町長
なお、「青葉城恋唄」で知られる歌手・さとう宗幸(宮城県仙台市在住)も名誉会員であったが、後述のように田尾監督の解任に激怒し、ファンクラブを脱退している。
[編集] 田尾監督の解任
- チーム再建の方向性に相違があったため、2005年9月25日の本拠地最終戦で東北楽天は田尾安志の解任を発表。田尾は9月28日のシーズン最終戦まで指揮を執った。また話題を集めた45歳のゴールデンエンジェルスメンバーも「別の夢がある」と引退した。田尾の解任に関しては、エンドランを多用し、バントをあまり利用しない采配や不可解な継投、球速が低下するなど怪我の兆候のあった岩隈を使い続けたことなど、監督はもとよりコーチの経験もない田尾の手腕を疑問視し、解任やむなしの意見も少なからずあったが、後任の野村克也も含め「1年で何が分かるのか」といった批判や「他チームと比べても戦力の差が歴然で、誰が監督でも同じような成績になったはずだ」という解任反対意見の方が圧倒的に多く、そんな田尾に同情的なファンも多かった。本拠地最終戦では試合終了後20分間に渡ってファンが涙ながらに「田尾コール」を行った。その試合では対戦相手の千葉ロッテのファンもこれに加わった(実際は「田尾コール」はライトスタンドのロッテファンから始まった後に球場全体へ広がった)。シーズン最終戦のソフトバンク戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でもイーグルスファンばかりかホークスファンからも「田尾コール」が起こる中、ゴールデンイーグルスナインがベンチ裏に下がる田尾を呼び止め、グラウンドで胴上げを行った。この光景はニュースや雑誌でも取り上げられ、田尾への同情を一層深めることとなる。この件に対してある球団職員は「監督がやめたらファンをやめる人がいますか。10日もたったら忘れますよ」と発言し、物議を醸した。その後、解任反対を訴える団体「東北若鷲会」が発足。フルスタ宮城内で田尾監督解任反対署名活動を開始。名誉会員だったさとう宗幸もファンクラブを脱退し「夢のつばさ」の歌唱を封印、「フルスタへは二度と来ない」と語り、ファンの声を代弁した(しかし2006年3月28日の本拠地開幕戦には球場を訪れ試合前の国歌斉唱を行っている)。ファンサイトもこの時期を境に凍結しているものも少なくない。
- 球団は田尾退団時に功労金を提示したが「球団批判発言をしないこと」などの条件付きだったため、当然田尾は受け取りを断った。このことは田尾が同志社大学での講演で明らかにしている。後任監督となった野村克也も契約をするとき、「著作物や公演の利益3割を球団に還元すること」という条件を提示された事に激怒したという。
- 9月27日、かねてから監督候補として名前の挙がっていた野村克也(社会人野球・シダックス監督:当時)に非公式の監督要請を打診したものの、契約条件が厳しく(単年契約を提示)難航。しかし3年契約で合意し、次期監督に就任することが決定した。これに関し、ソフトバンク監督の王貞治は「監督より選手に費用をかけるべき」と苦言を呈している。
[編集] 初代オーナー・三木谷への批判
新規参入の際、オーナー三木谷浩史はシーズン前には10億円ほどの補強費があり、必要ならばポケットマネーも出して現役バリバリのメジャーリーガーを獲得すると大々的にコメントしたが、実際には年俸5000万円前後の外国人程度しか補強しなかった。結果的にはほとんどの選手がデイモン・マイナーやマット・スクルメタ、アーロン・マイエットのように、まったくと言っていいほど試合に出ないまま解雇されている。つまり結果的には助っ人と呼べるほどの活躍はしていない選手がほとんどであった。また、「金銭面で折り合わない」などの理由からFA選手の獲得も見送った。助っ人が期待外れで、FA選手も見送られた楽天打線は絶望的な攻撃力不足に陥り、クリーンナップにカツノリを起用するという珍事まで発生した。
しかし半世紀ぶりの新球団が実質初めて東北に本拠地を置くという期待感もあって、地元はもとより全国から当初の目標としていた数を大きく超える多数のスポンサーが集まった。入場者数も軒並み好調で、グッズ販売も予想をはるかに上回った。その他にも地域密着を掲げる中でボランティアを活用するなどしてスタッフや関係者の人件費も抑えていた。成績低迷から選手年俸の高騰もなく、出来高の支払いも少なかったことから、年間数十億円の赤字が常態化しているパ・リーグでは異例の黒字決算となった。
初年度に単年度黒字を達成した事に対してオーナーおよび球団幹部は「1年目は大成功だった」と発言した。しかし、裏を返せば、他のチームが払っている金、なかんずく人件費を使わなかったために達成できた黒字とも言えなくもない。そのためこの発言には批判も集まった。三木谷は同じくオーナーを務めるヴィッセル神戸においても、「地域密着」を謳いながらユニフォームにホームタウンの名前を入れなかったり、思うように成績を残せないとすぐにチーム指導者を解任したりなどの行動があって典型的な「金は出さずに口を出す」オーナーとの認識が一部にあった事もあり、一部ファンからは、チームの強化よりも球団の利益を追求するものだとして三木谷に対する批判が集中した。
2006年には西武を自由契約となっていたホセ・フェルナンデスを推定年俸2億円で獲得した。また、前述のヴィッセル神戸においても比較的積極的に資金を投入する姿勢を示しており、それまでの批判を払拭しつつある。
[編集] 球団人気
宮城県以外の他県での球団に対する馴染み薄さや田尾解任の騒動もあり、2005年のシーズン終了後に東北6県で開催されたファン感謝祭ではチケットがまったくと言っていいほど売れず、軒並みファンの入りは2〜3割と低調だった。なお、プロ野球におけるファン感謝祭は一般的に無料であることが多く、それを有料開催で行ったことが上記の批判に拍車をかけることになった。
これを受けてある幹部からは「ここまで入りが悪いとは。対策を考えなければならない」というコメントが発せられたが、その後には「1年目は地域密着の形がしっかりとできたと思う」と矛盾したコメントを発表している。
この件に関して球団社長・島田亨は「地域密着の成功度は宮城90%、他県10%以下」とコメントしている。
[編集] 年間シーズンシートの有効利用法
- 球場では年間シーズンシート「Seat Owners Club(シートオーナーズクラブ)」を諸事情により利用できないファンの座席を活用し、「SOCチャリティー」を開催している。
- これは幼稚園・小学生・中学生とそれを持つ親御さんの親子各試合につき400組800人を事前のはがき応募で募集し、野球の面白さ、楽しさを多くの少年少女らに伝えようとして実施しているもので、年間に4-5試合程度開催している。
[編集] 主なキャンプ地
[編集] 関連項目
- 東北楽天ゴールデンイーグルス (ファーム)
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの年度別成績一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合の地方球場一覧
- Template:東北楽天ゴールデンイーグルスドラフト指名選手
- 楽天イーグルスTV
[編集] 外部リンク
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