東北楽天ゴールデンイーグルス

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東北楽天ゴールデンイーグルス
会社名 株式会社楽天野球団
創設年度 2005年
所属リーグ
パシフィック・リーグ
歴代チーム名
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年 - 現在)
本拠地
日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)
宮城県仙台市宮城野区
Kleenex Stadium Miyagi.JPG
収容人員 23,026人
(日本製紙クリネックススタジアム宮城)
フランチャイズの遍歴
  • 宮城県(2005年 - 現在)
永久欠番
10:ファンナンバー
獲得タイトル
成績(タイトル以外)
クライマックスシリーズ(1回)
(太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退)
0勝1敗
2009
Aクラス(1回)
2009
Bクラス(7回)
2005 - 2008、2010 - 2012
球団組織
オーナー 三木谷浩史
運営母体 楽天
監督 星野仙一

東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本プロ野球球団でパシフィック・リーグの球団の一つ。NPBに於ける12球団のうち、最も新しい球団である。通称「楽天イーグルス」。2005年シーズンから新規参入した。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」(らくてんやきゅうだん)である。

宮城県保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある日本製紙クリネックススタジアム宮城専用球場(本拠地)としている。また、二軍イースタン・リーグ所属)の本拠地は同県宮城郡利府町にある利府町中央公園野球場である。更にその他には球団全体の練習場と合宿所が同県仙台市泉区にある東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンド他として設けられている。

目次

球団の歴史 [編集]

株式会社楽天野球団
Rakuten Baseball, Inc.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
983-0045
仙台市宮城野区宮城野2-11-6
本店所在地 983-0852
仙台市宮城野区榴岡5-12-55
設立 2004年10月29日
業種 サービス業
事業内容 プロ野球球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の運営および関連商品の企画・販売
代表者 立花陽三代表取締役社長
資本金 4億円(2010年12月31日時点)
純利益 △1,166万2000円(2010年12月期)
純資産 4億2,971万5000円
(2010年12月31日時点)
総資産 101億585万円(2010年12月31日時点)
従業員数 200人(2009年1月時点)
決算期 12月末日
主要株主 楽天 100%
関係する人物 三木谷浩史オーナー
外部リンク 球団オフィシャルサイト
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球団創立 [編集]

2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、本拠地を神戸とするプロ野球参入の意思を表明。この時点では根来コミッショナーは「参入は時間的に難しい」と述べていた[1]9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権[2]とする新球団の加盟を申請した。10月13日、初代監督に田尾安志が就任する事を発表[3]10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した[4]。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された[5](プロ野球の新規参入球団は1954年高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、近鉄とオリックスの選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定。

11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議参加。明治大学一場靖弘自由獲得枠で、その他、即戦力選手6名を獲得。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也東北福祉大学)がいた。その後、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司関川浩一飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。

チームの新本拠地となる宮城球場老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権はファーム(二軍)のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。

また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化、仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(但し二軍本拠地は変更しない)。

新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。

田尾監督時代 [編集]

2005年

2月1日沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。オープン戦は本拠地・宮城球場の全面改修工事実施の関係上、ホームゲームは行われず、全17試合全て相手球団主催で開催された。2月26日新大分球場にて球団初のオープン戦となる対読売ジャイアンツ戦が行われ、4-3で勝利している。

3月26日、パ・リーグ公式戦開幕。千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発岩隈久志が完投し3-1で勝利する。新規参入球団が既存球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、この時の楽天が日本プロ野球史上初めてであった。翌27日の第2戦は、投手陣が初回からロッテ打線に捕まり大炎上、打線も渡辺俊介の前にわずか1安打と抑え込まれ、全イニング3人で攻撃終了。2塁すら踏めなかった。2リーグ制開始以降としては最大得点差での完封負けとなる0-26の大敗。その後、4連敗。4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回礒部公一岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の公式戦本塁打を放つ。この一発を皮切りに、楽天の打線が大爆発し16-5で大勝し、チームは開幕戦以来のシーズン2勝目。しかし、4月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦から29日の対西武戦にかけて11連敗する。このため、4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを二軍にそれぞれ降格(替わって松井優典二軍監督と橋上秀樹二軍外野守備・走塁コーチが昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。

5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位となった。7月には10勝9敗1分けと球団史上初の月間勝ち越しを果たしたものの、8月にはシーズン2回目の11連敗を喫するなどして、29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年に於ける8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。9月25日のホーム最終戦(対ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表される。最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)。開幕前から囁かれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン首位のソフトバンクとは51.5ゲーム差も付けられた。田尾の後任には野村克也が就任。

野村監督時代 [編集]

東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・宮城球場(当時フルキャストスタジアム宮城 2006年4月=内野席増設時)
2006年

弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜を自由契約となったセドリック・バワーズ台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。

オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム香川県営野球場静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合(静岡で2試合)が組まれた。

リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。

3月25日、開幕戦の対日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈が故障のため、前年2勝止まりだった一場靖弘が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の対ソフトバンク戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。交流戦では5月25日の対ヤクルト戦(神宮)で先発リック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫したが、最終成績は17勝19敗で7位。後半に入ると、8月20日の対オリックス戦(スカイマーク)でリーグ戦初の同一カード3連勝。最終成績は47勝85敗4分で5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。

9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧田中将大投手を1巡目指名。日本ハム・オリックス・横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。

2007年

3月24日、開幕戦のグッドウィルドームの対西武戦で岩隈が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日、対オリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にホセ・フェルナンデスと山﨑武司がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日19日の対ソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。5月には、山﨑武司が球団初となる月間MVPを受賞。

7月2日オールスター戦で8選手がファン投票で選出され、田中将大、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部公一、山崎武司と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハム監督・トレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。

8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シ-ズン対戦成績で勝ち越している。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑武司が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打・108打点の成績で本塁打・打点の二冠王となり、田中将大が球団初の新人王を獲得。

楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻る。11月22日、球団オーナーの三木谷浩史が楽天本社の業務に専心する為、1月1日を以てオーナー職を球団社長の島田亨に禅譲することが発表された。島田はオーナーと球団社長を兼任する。また、三木谷自身は球団代表取締役会長に就いている。

2008年

日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。オープン戦は長崎県営野球場(ビッグN)2試合のみ主催。

3月20日、開幕戦の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回逆転サヨナラ3ランHRを許し敗戦し開幕から4連敗するが、その後7連勝し4月3日の対ロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。8月以降も岩隈が奮闘するものの負けが込む。シーズン最終戦となる10月7日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP沢村賞ベストナイン(投手)に選ばれている。

シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋FAで獲得。小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。

2009年

1月に大リーグの球団であるオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日の対オリックス戦と翌24日の対西武戦)。

4月3日、開幕戦の対日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝、4月を首位で終えるが、交流戦では6連敗し、最終的には9勝15敗の10位。7月も8連敗するなど低迷は続く。しかし、8月は最大6連勝するなど17勝7敗と大きく勝ち越し。12日の対ソフトバンク戦では球団史上初となるCS進出のマジックナンバー「19」が点灯し、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた。同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井)が2ケタ勝利を挙げた。

10月16日から行われたCS第1ステージは本拠地のKスタ宮城でソフトバンクと対戦。第1戦を岩隈、第2戦を田中で勝利、2連勝で第2ステージ進出。同21日から行われた第2ステージは札幌ドームでリーグ優勝した日本ハムと対戦。第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け。続く第2戦も岩隈で落とす。第3戦を田中で勝利したが、第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退。

CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任。この他、松井優典二軍監督や橋上秀樹ヘッドコーチら計8コーチも退団した。野村の後任にはこの年まで広島東洋カープ監督のマーティ・ブラウンが就任。野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)[6]

ブラウン監督時代 [編集]

2010年

スローガンは『Smart & Spirit 2010 Eagle Fire!』(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。

3月20日、京セラドーム大阪での対オリックス戦で開幕。4年連続開幕投手となった岩隈久志が8回1失点の好投を見せたが、打線の援護がなく結局0-1で敗れ、その後チームは4連敗。交流戦は12チーム中第5位(3位と同率も前年度順位が考慮された)となったが、この年の交流戦は上位6チームをパ・リーグが独占。そのためリーグでの順位が浮上することはなかった。交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位になって以降は1度も順位を浮上させることができず、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定した。結局、開幕から1度も勝率を5割に乗せることができず、最終戦績は62勝79敗3分(優勝したソフトバンクとは15ゲーム差、5位のオリックスとは7.5ゲーム差)。ホームゲームの平均観客数も前年より1000人近く減少。こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウンの監督解任を発表。

ブラウンの後任には、阪神のシニアディレクターの星野仙一が就任、11月27日に仙台市内で就任会見を行った。[7]

星野監督時代 [編集]

2011年

元大リーガー岩村明憲松井稼頭央を獲得。また、ポスティングシステムを利用しての大リーグ移籍を表明していた岩隈久志も入札で独占交渉権を獲得したオークランド・アスレチックスとの交渉が決裂し、楽天に残留。キャプテン制度導入に伴い、鉄平が球団初代キャプテンに就任。チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。当初、3月25日のKスタ宮城での対ロッテ戦で創設以来初の本拠地開幕戦を迎える予定であった。

東日本大震災による影響 [編集]

3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の際、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中だったが、選手は全員無事であった[8][9]。13日に練習再開、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い、関西などを中心に開幕までの練習を行い[10]、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている[11][12][13]。4月2日、3日には12球団によるチャリティー試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野監督は「遅くなってすみませんでした。ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している(この真っ最中にも強い余震が起きた)[14]。4月11日にはフアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された[15]
一方で、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ[16]、修復工事が必要となったことから、一時的に関西で主催試合を代替で行うことになった[17]。この年のセ・パ両リーグの開幕日は4月12日に延期。同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦、主催試合初戦は同15日からの阪神甲子園球場での対オリックス戦[18]。そして、本拠地・Kスタ宮城での初戦は同29日の対オリックス戦となり[19]、いずれも勝利した。

4月を9勝6敗で2位で終えたが、5月は7勝14敗2分と負け越し、岩村や鉄平が打率1割台で低迷、岩隈が18日離脱した事が原因とされ、18日には5位、翌6月4日には最下位となっている。交流戦も9勝13敗2分の9位と低迷。一方で田中将大が6、7月に連続して月間MVPを受賞するなどの活躍もあり[20]、7月には永井怜が故障で離脱したものの、岩隈が復帰、ダレル・ラズナーが抑えに転向し5セーブ、新人の塩見貴洋が2勝を挙げるなどもあり、12勝10敗1分と勝ち越す。8月、前半に7連敗するが、後半に球団タイの7連勝もあり勝ち越すが、9月は8勝14敗と失速。終盤までクライマックスシリーズ進出争いには加わったものの、66勝71敗7分、首位のソフトバンクと23.5ゲーム差、3位の西武と3ゲーム差の5位となった。統一球の影響もあり、本塁打は球団最少の53本で、7月から8月にかけ17試合連続で無本塁打の球団ワースト記録。ヤフードーム(11試合)と札幌ドーム(8試合)においてはそれぞれ本拠地球場となってからはパリーグ球団初の本塁打0に終わっている。田中が最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封の四冠王とゴールデングラブ賞の投手部門を獲得。山崎武司が戦力外通告を受け退団。[21]

震災以降 [編集]

2012年

1月、岩隈久志が大リーグ・シアトル・マリナーズにFA移籍。

チームスローガンは「Smart&Spirit2012 ともに、前へ。」。

3月30日、球団初の本拠地開幕戦となる対ロッテ戦が行われたが、3対5で敗れている[22]。交流戦は10勝14敗で9位。オールスター直前までの前半戦を40勝38敗3分の3位として、球団初のAクラス、勝率5割以上で折り返すが、後半戦に入り8連敗を記録するなど順位を下げる。9月を勝ち越して終盤までソフトバンク、ロッテとクライマックスシリーズ進出争いを展開するが、10月4日、139試合目となる対西武戦(Kスタ宮城)を引き分けたことにより[23]Bクラスが確定した。最終戦のロッテ戦(Kスタ宮城)に勝利[24]したことで、67勝67敗10分となり、首位の日本ハムと7.5ゲーム、3位のソフトバンクと1ゲーム差の4位に終わるが、3年ぶりにシーズン5割以上の成績を残した。

同年8月1日付で楽天創業者で球団会長の三木谷浩史が球団オーナーに復帰し、シンガポール現地法人代表に異動した島田亨に代わって元慶應義塾大学ラグビー部で証券会社勤務だった立花陽三が球団社長に就任した[25]

シーズンオフにはMLB・ダイヤモンドバックスからFAとなった斎藤隆(斎藤は横浜以来8年ぶりの日本球界復帰となる[26])らを獲得した。その一方で岩村明憲[27]草野大輔らがチームを去っている。また名誉監督の野村克也も任期満了で同職を退任した[28]嶋基宏日本プロ野球選手会新会長に選出[29]

2013年

チームスローガンは「Smart & Spirit 2013 HEAT!

本拠地・Kスタ宮城の外野フェンスに「ラッキーゾーン」(通称「Eウィング」)が設置された。それに伴い、本塁から両翼ポールまでの距離が従来の101.5メートルから100.1メートルに短縮。外野フェンス(ポール際)の高さも従来の4.1メートルから2.5メートルと低くなった(左右中間から中堅までは変更なし)。

4月27日、対西武戦(西武ドーム)に9対2で勝利し、球団通算500勝を達成[30]

チームの特徴 [編集]

  • 「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の深山に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で「ゴールデンイーグルス」となった[31]。なお、戦前に存在した球団「後楽園イーグルス→イーグルス」とは無関係。
  • 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズ・西武ドームでの埼玉西武ライオンズ同様、クリネックススタジアム宮城開催の主催試合では3塁側ベンチに座っている[32]
  • 毎年5月19日を「ゴールデンイーグルスの日」に制定。これは「ゴ(5)ールデンイ(1)ーグ(9)ルス」の語呂合わせに由来する。
    • 5月19日に開催された主催試合の来場者には、この日限りの記念グッズが進呈された。
  • ホームであるKスタ宮城は野外球場である上、やませの影響もあり雨や濃霧による中断、コールドになる試合が多く、その中断分も含めて試合が長丁場になる事が他球団に比べ多い。
  • 現存する12球団の中で唯一、リーグ優勝及び日本シリーズ出場を一度も経験していないチームである。
  • 野村監督就任以降は規律を重んじる傾向で、染髪、長髪、モヒカン等の髪型、髭は禁止されている。

ユニフォームの変遷 [編集]

親会社・楽天のイメージカラーであり、イーグルスのチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を基調としている。肩・脇腹に2本の細ライン、パンツに1本の細ラインが入っている。帽子は、えんじ色をベースに白文字の「E」。2011年からは株式会社デサントとオフィシャルプラチナスポンサー契約を締結し、ユニフォームなどのウェアを提供している。

ホーム用 [編集]

白地で、胸ロゴは鷲の翼章付き「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字があり、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークには黄色の縁取りが施されている。

  • 2005年 - 2010年:シャドー・ストライプが広めの等間隔に入っていた。
  • 2011年 - :胸番号・背番号・背ネームの字体が前年からビジター用(後述)のユニフォームで採用されているものと同じとなった。さらに、東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を込めて左袖に袖を一周するリング状の喪章、震災からの復興の願いを込めて左腕に「がんばろう東北」のワッペンを追加した(喪章は2011年のみ採用)。また、同年からはキャプテン制度導入に伴い、キャプテン選手[33]にはキャプテンマークとして、ユニフォームの右胸に「C(ホーム用は金色縁に赤、ビジター用は金色縁に白)」のワッペンが付いている。

ビジター用 [編集]

上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラーを採用。

  • 2005年 - 2009年:胸ロゴは「RAKUTEN」で、立体的に見えるように胸ロゴに黄色のシャドーが入っていた。
  • 2010年 - :胸ロゴのデザインが「Rakuten」に変更され、黄色のシャドーは廃止、胸番号・背番号・背ネームの字体も変更した。コンセプトは「シンプル&スマート」。[34]

3rdユニフォーム [編集]

地方主催試合用として、より東北地方に根差したチーム作りを目指す観点から「TOHOKU」のロゴを全面に打ち出したものを採用。

  • 2010年 - :フロント部分は白、脇(肩から両袖・わき腹にかけて)にはえんじ色のラグランデザインが使用され、胸に大きく「TOHOKU」の文字、その下に小さく「RAKUTEN」とある。右袖には帽子と同じ「E」マーク、左袖に「楽天」ロゴが入り、パンツは普段のホーム用をそのまま使用。
    • 東京ドーム以外での地方主催試合開催(いわゆる「東北シリーズ」で、郡山秋田岩手)、及び夏休み期間中のKスタ宮城での12試合を合わせた15試合で着用した。[35] 2011年も同様に、地方2試合(秋田・岩手)・8月のKスタ宮城での12試合、計14試合にて着用。
  • 2009年の左袖に、球団創立5周年を記念して「5th Anniversary」のロゴマークをデザインしたワッぺンが付いた。
  • 2011年の右袖に、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)犠牲者追悼の意を込め、黒の1ライン(喪章)が入り、「がんばろう東北」ワッペンが付く(「がんばろう東北」ワッペンは2012年も継続)。
  • 2012年シーズンより、ホーム、ビジターともにヘルメットがツヤありからツヤなしに変わった。

限定ユニフォーム [編集]

この他、期間限定での「3rd(または4th)ユニフォーム」が下記のとおり採用されている。

  • 2006年 - 2009年:交流戦期間のみ着用するホーム用が登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
  • 2007年:「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
  • 2008年7月11日 - 13日の対千葉ロッテマリーンズ3連戦では、2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
  • 2011年:「球団創設7年目特別企画ユニフォーム」としてイーグル・レインボーを採用。「虹(夢の架け橋)」をコンセプトに胸下・両袖をクリムゾンレッドを含む7色の帯で構成しており、胸部は通常デザインとは異なる紺色の「Eagles」ロゴに加え左胸下に鷲のイラストが入る。パンツはクリムゾンレッド(後側のみ紺の縁取り)のラインが入り、腰部に背番号が入る。アンダーシャツは紺色。キャップも通常デザインではなく白抜きの紺色・ゴシック体の「E」となる。5月28・29日の対阪神2連戦ならびに6月11・12日の対中日2連戦(いずれもKスタ宮城)の交流戦計4試合で着用した。[36]
    • 2011年7月1日からの対千葉ロッテマリーンズ3連戦では2011年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸には「E」の一文字ロゴ、肩と脇下には4色のラインが入る。また左袖には東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレムが入る(「がんばろう東北」ワッペン及び喪章は右肩に移動)。
  • 2012年6月29日からの対福岡ソフトバンクホークス3連戦で2012年度版「ファンクラブデーユニフォーム」を着用。普段はビジター用で使われるクリムゾンレッド生地に左胸に「E」の一文字ロゴマーク。右袖に「がんばろう東北」ワッペン、左袖には2012年ファンクラブの証である「ファンクラブワッペン(東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレム)」が付く。袖には犬鷲の羽ばたく翼と、「足」を生かした野球からイメージする「疾走感」も表現した白のラインが4本ずつ、両袖合わせて8本のラインをあしらい球団創設8年目であることを表現、同じく脇に4本のラインをあしらったキャップもオリジナルのものを使用。
  • 2012年7月27日 - 8月26日に行われた26試合(ホーム17試合・ビジター9試合)で、「イーグル・スター」ユニフォームを着用する。「イーグル・スター」は「星に願いを(WHEN YOU WISH UPON A STAR)」をテーマに作られた。アイボリー地にクリムゾンレッドのストライプ(楽天のユニホームにストライプが使われるのは、球団創立以来初)をあしらったデザインで、左袖には星を象ったロゴのワッペンが貼られていて、勝ち星を重ね優勝すること、そして東北の早期復興への願いがひとつの「星」に込められている。

球団旗の変遷 [編集]

  • 2005年 - :親会社のイメージカラーであり、球団のチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を地色に、中央に白文字のチームロゴ(左右両端の文字は鷲の翼をイメージした「EAGLES」、その上に小さく「RAKUTEN」)。

マスコット [編集]

クラッチ
東北楽天ゴールデンイーグルス マスコット #10
Rakuten Eagles Mascots Clutch.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 2005年
選手情報
ポジション マスコット
プロ入り 2005年
経歴(括弧内は在籍年)
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年 - 現在)
  • クラッチ
    • イヌワシをイメージした(背番号は10で、この球団の永久欠番に該当する。)。名前は一般公募され、英語のclutchに「ぎゅっとつかむ」「わしづかみ」という意味があり、また「勝負強い打者」を英語でクラッチヒッター(clutch hitter)と言うことから、「勝負強いチームになって、みんなの心をわしづかみにしてほしい」という願いを込めて決定された。
  • クラッチーナ
    • 「クラッチを元に女の子らしい名前を」ということで球団側が名づけた。ピンク色の羽毛が特徴。
  • Mr.カラスコ
    • 非公認マスコット。当該項目を参照。
  • 超特大ゴーヤ
    • 2009年の久米島キャンプの際に現地スポーツ団体(FC琉球沖縄プロレス)から贈呈されたマスコット。後にオリックスに移籍。詳しくは、当該項目を参照。
  • Baby-brown
    • 2010年、マーティ・ブラウンの監督就任を受け登場。どう見ても超特大ゴーヤの顔部分にブラウン監督の顔を模したお面(ただし造形はかなりリアルで、頭部ごと新造された可能性が高い)を貼りつけただけのようにしか見えないデザインのマスコット。ただし球団は「超特大ゴーヤとは何の関係もない」とコメントしている。公式サイトの記事[4]によると、久米島の海岸に打ち上げられていた所をたまたま居合わせた田中将大に助けられてそのまま球場までついてきたそうで、その様子が写真入りで紹介されている。そしてこのキャラを見たブラウン監督が気に入って「Baby-brown」と名づけ、自身の公認マスコットにしたとの事。
  • ピーマン ボン ジョルノ .カンパニー
    • 未公認マスコット。当該項目を参照。

主な歴代の球団歌 [編集]

公式応援歌 [編集]

2005年4月1日に行われた主催ゲームかつ本拠地の開幕戦である対西武戦と同年5月8日に行われた対巨人戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・Aサテライトスタジアム」の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット「黄金鷲団」のオープニング・エンディングでも使用されている。
イーグルスのオーナーである三木谷浩史の個人資産管理会社が所有する(楽天グループでは無い)ヴィッセル神戸Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。
  • LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
  • ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM
ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第3弾。CDは2007年3月24日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、4月1日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。この曲もスカイ・A sports+「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」のエンディングテーマソングとして使われている。
GAMは松浦亜弥藤本美貴のユニットだが、松浦は2年連続、また藤本は2年ぶりで、ともに2回目の応援歌担当となる。
ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第4弾。2008年3月20日発売。仙台駅構内・楽天イーグルスオフィシャルストア、Hello!Projectオフィシャルショップのみで発売。PVに、岩隈久志・山崎武司ら楽天所属選手(当時)が出演。
なお、PVは前述の選手登場のバージョンのほか、℃-uteメンバーのみ出演のバージョンのものも存在する。
球場での披露に関しては3月29日のホーム開幕戦のみ。
つんく♂と同じアップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)の堀内孝雄が歌う公式応援歌第5弾。
コーラスは矢口真里辻希美里田まいの3人が担当。

公式球団歌 [編集]

行進曲調。
  • Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
合体ロボットアニメの主題歌系ロック調。

公認応援歌 [編集]

  • 荒鷲のうた(作詞・作曲:石橋凌、歌:ARB
  • 東北楽天!おらほの!イーグルス(作詞:さくま詩穂里、作曲:斉藤常雄、歌:鴻巣巧一)
  • 黄金のつばさ(作詞:白津守康、作曲:餅雅彦、歌:板橋修)
地元・仙台市の歓楽街国分町にある代表的な2つの飲食店街の合同組織「虎屋横丁稲荷小路親交会(通称:稲虎応援団)」が制作した。
「サトル&アッキー」はDate fmの番組「AIRJAM」から誕生した、坂本サトルと本間秋彦のユニット。
  • 楽天イーグルスGO!GO!GO!GO!(作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山
毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。

公認イメージソング [編集]

後述するように田尾安志監督解任に対して抗議する意味も込め、さとう自らが歌唱を封印したが、2010年2月24日に自身が司会を努めるミヤギテレビOH!バンデス」にて封印を解き、毎月1回番組内で歌っている。

その他 [編集]

  • 楽天サンバ
東北放送のラジオ番組で制作された「マツケンサンバII」の替え歌。
  • 大空へ(作詞・作曲・歌:清貴
エフエム東京の番組企画で製作された。

場内アナウンス [編集]

  • クリネックススタジアム宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンス(「スタジアムDJ」と呼ばれる)は球団創設1年目の2005年から取り入れている。
    • 男女混声形式を採用しており、基本的にホーム側は男性、ビジター側は女性が担当している。
      • 男声アナウンスは2005年~2012年まで古田優児(フリーアナウンサー)が担当した。2013年からは千葉正人(フリーアナウンサー)が担当している。
      • 女声アナウンスは2005年~2007年まで高野志津(フリーアナウンサー)、2005年~2008年まで岩手佳代子(フリーアナウンサー)、2009年は山口祐佳(中日ドラゴンズのチアリーダーチーム「チア・ドラゴンズ」の元メンバー)が担当した。2012年からは紺野陽子が担当。
    • 2010年に男女混成形式の場内アナウンスが一旦は廃止。この年は男声アナウンスの古田がホーム、ビジター双方を務めた。また、非公式であるがオリックス戦では堀江良信が1回から3回のみ担当していた。
  • 男性の場内アナウンスといえば京セラドーム・ほっともっとフィールドで開催されるオリックス主催ゲームが先駆けであるが、選手の紹介方法については大阪D・神戸がメジャーリーグを手本としてポジションや打順を英語でアナウンスするのに対し、宮城球場は男性の場内アナウンスを使用しているのにかかわらずポジションや打順は日本語のままである。


クリネックススタジアム宮城 歴代場内アナウンス [編集]

期間 男声 女声
2005年~2007年 古田優児 岩手佳代子高野志津
 2008年 岩手佳代子
 2009年 山口祐佳
 2010年 担当なし
 2011年 山口祐佳
 2012年 紺野陽子
 2013年~現在 千葉正人

応援スタイル [編集]

  • 本拠地・日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)ではトランペットや笛の使用は禁止されており、NPBから許可を受けた私設応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない。楽天のみならず、他球団の応援団に対しても同様)。なお、Kスタ宮城以外の球場ではトランペットや笛を使用した応援を行っている。
  • 楽天攻撃時の選手の打席では他球団で行っている「かっとばせ」コールの代わりに「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がる様に語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団である「全国荒鷲連合会(総本部・北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されている。ただし、一部の選手については「4・4・8拍子」とは別の応援スタイルを取っている者も存在する(聖澤諒、外国人選手など)。
  • 初回撃開始時は"オープニングテーマ"(原曲:さとう宗幸の「青葉城恋唄)を歌う。
  • 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も少なくなく、その選手には共通の汎用テーマを使用している。なお、汎用テーマは3種類(30歳未満選手用、30歳以上・外国人選手用、投手用)用意されている。
  • 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。ちなみに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。その後、"チャンステーマ2"(原曲:山形のローカルヒーロー「大鍋宣隊イモニレンジャー」のテーマ)と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されている。この他、九州地区、北海道地区、関東地区、関西地区、ならびに東北地区専用のチャンステーマも存在する。
  • 7回の攻撃開始前には球団歌「羽ばたけ楽天イーグルス」の演奏終了に合わせ赤のジェット風船を飛ばしている。また、楽天が勝利した際は白い風船を飛ばしている(「白星」の意味)。
  • ホームゲームでの勝利時、監督・コーチ・選手一同がグラウンドに整列し挨拶を行っているが、その挨拶終了後、引き続き選手数名が外野スタンド前に走り、スタンドのファンと一緒に「万歳三唱」を行っている(どの選手が参加するかは日によって異なる)。

歴代監督・年度別成績 [編集]

年度 監督 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 打率 防御率 本塁打
2005 田尾安志 6 136 38 97 1 .281 51.5 .255 5.67 88
2006 野村克也 6 136 47 85 4 .356 33.0 .258 4.30 67
2007 4 144 67 75 2 .472 13.5 .262 4.31 111
2008 5 144 65 76 3 .461 11.5 .272 3.89 94
2009 2 144 77 66 1 .538 5.5 .267 4.01 108
2010 マーティー・ブラウン 6 144 62 79 3 .440 15.0 .265 3.98 95
2011 星野仙一 5 144 66 71 7 .482 28.5 .245 2.85 53
2012 4 144 67 67 10 .500 7.5 .252 2.99 52

※レギュラーシーズン首位球団とのゲーム差

チーム成績・記録 [編集]

2005年以降の順位の変遷
  • Aクラス 1回(2009年)
  • Bクラス 7回(2005 - 2008年、2010 - 2012年)
  • 連続Aクラス入り最長記録 1年(2009年)
  • 連続Bクラス最長記録 4年(2005 - 2008年)
  • 最多勝 77勝(2009年)
  • 最多敗 97敗(2005年)
  • 最多引き分け 10分け(2012年)
  • 最高勝率 .538(2009年)
  • 最低勝率 .281(2005年)
  • 最多本塁打 111本(2007年)
  • 最少本塁打 52本(2012年)
  • 初試合・初勝利 2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(対ロッテに3-1)
  • 初敗戦 2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(対ロッテに0-26)
  • 初引き分け 2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(対ロッテに4-4)
  • 最大連勝 7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ、2011年8月20日・対ソフトバンク - 8月27日・対ソフトバンク)
  • 最大連敗 11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
  • 1試合最多得点 18(2005年9月2日・対オリックス)
  • 1試合最多失点 26(2005年3月27日・対ロッテ)
  • 1試合最多安打 20(2008年6月29日・対ソフトバンク、2008年9月30日・対ソフトバンク)
  • 1イニング最多得点 10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏)
  • 1イニング最多失点 11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
  • 最多貯金 13(2009年10月9日・対オリックス)
  • 最多借金 59(2005年9月28日・対ソフトバンク)
  • 1試合最多本塁打数 6本(2010年6月6日・対巨人・中村紀洋8、9号、山崎武司13号、高須洋介2号、嶋基宏3号、ランディ・ルイーズ2号)

タイトル獲得者 [編集]

総合 [編集]

最優秀選手(MVP)
最優秀新人(新人王)
ベストナイン
ゴールデングラブ賞
  • 2010年 - 嶋基宏(捕)
  • 2011年 - 田中将大(投)
  • 2012年 - 田中将大(投)

打撃部門 [編集]

首位打者
  • リック・ショート(2008年)
  • 鉄平(2009年)
最多本塁打
  • 山崎武司(2007年)
最多打点
  • 山崎武司(2007年)
最多盗塁

投手部門 [編集]

最多勝利
  • 岩隈久志(2008年)
  • 田中将大(2011年)
最優秀防御率
  • 岩隈久志(2008年)
  • 田中将大(2011年)
最優秀投手
  • 岩隈久志(2008年)
  • 田中将大(2011年)
最多奪三振
  • 田中将大(2012年)
沢村賞
  • 岩隈久志(2008年)
  • 田中将大(2011年)

年度別獲得者 [編集]

()内は獲得タイトル 
M→最優秀選手、新→新人王、ベ→ベストナイン、ゴ→ゴールデングラブ賞、首→首位打者、本→最多本塁打、打→最多打点、盗→最多盗塁、勝→最多勝利、防→最優秀防御率、投→最優秀投手、三→最多奪三振、沢→沢村賞
  • 2006年 - ホセ・フェルナンデス(ベ)
  • 2007年 - 山崎武司(ベ/本/打)、田中将大(新)
  • 2008年 - リック・ショート(ベ/首)、岩隈久志(M/ベ/勝/防/投/沢)
  • 2009年 - 鉄平(ベ/首)
  • 2010年 - 嶋基宏(ベ/ゴ)
  • 2011年 - 田中将大(ベ/ゴ/勝/防/投/沢)
  • 2012年 - 田中将大(三/ゴ)、聖澤諒(盗)

永久欠番 [編集]

  • 10:ファン
サブメンバーの一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。日本プロ野球界では初。
球団創設時からの永久欠番であるので、背番号「10」をつけていた選手・監督・コーチは過去にも誰一人存在しない。
この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、一軍登録25人に次ぐ26番目、支配下選手登録者の一人という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
ちなみに、球団マスコットの「クラッチ」が背番号10を着用している。

主催ゲーム開催球場 [編集]

本拠地 [編集]

2005 - 2007年の呼称は「フルキャストスタジアム宮城」(略称:フルスタ宮城)
2008 - 2010年の呼称は「クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)
2011年からの呼称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)

地方開催 [編集]

スポンサー [編集]

放送 [編集]

楽天では初代球団オーナー・三木谷浩史の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは制作著作の権利までを球団側が所持。 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。

インターネットテレビ [編集]

  • 楽天イーグルスTV(2006-2007年、宮城球場で行われるホームゲーム全69試合を動画生中継した。2005年は人数限定の有料放送)
  • ヤフー動画(2007年から導入。ただし制約あり)
  • ニコニコ動画(2009年8月11日に楽天イーグルスチャンネルを開設。ホームゲームのハイライト・試合後の星野監督の会見・勝利試合のヒーローインタビューなどを動画配信。また2009年はクライマックスシリーズを含めたホーム・ビジター18試合を生放送した。)

従来型放送 [編集]

地上波テレビ:NHK・在仙民放各局がホームゲームを放送。
  • NHK地上波デジタル放送に関しては、サブチャンネルにて試合終了まで放送。大半は東北地方[38] で放送される。ただし、楽天球団制作映像優先の方針により、自局での映像制作には一定の制限があり、中継権を持たない試合の資料映像については、原則として楽天野球団制作からの配信を受ける形となる。
  • 2009年のクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦を放送(BS1でも放送されたが、実況・解説者は異なる)。番組編成は以下の通り
18:00~ 東北地方のデジタル総合2で放送(試合終了まで放送)
18:05~ BS1が飛び乗り(同上)
18:10~ NHK仙台放送局が飛び乗り(~18:30で一旦飛び降り(てれまさむねNHKニュース7放送の為 19:30に飛び乗り))
19:30~ 仙台局以外の東北地方のNHKが飛び乗り(~20:55で飛び降り(ローカルニュース・ニュースウオッチ9放送の為))

全国ネット並びにポストシーズン製作実績

  • 2005年5月の交流試合・巨人戦2試合(TBS製作、TBCアナウンサーは楽天ベンチリポーターのみ)
  • 2009年のクライマックスパ第1ステージ第2戦(自社製作、RKBにもネットされた)
  • 2011年4月のKスタ開幕・オリックス戦(TBCは宮城ローカル、全国中継は横浜×巨人との二元中継でTBSのスタッフで放送された)

TBC製作分・・・解説:杉山賢人 実況:松尾武 ベンチリポーター:飯野雅人 スタンドリポーター:高以亜希子

TBS製作分・・・解説:佐々木主浩 ゲスト:松山英樹 実況:林正浩 ベンチリポーター:伊藤隆佑

  • 仙台放送:土曜デーゲームが多いが2005年・2006年・2009年は巨人戦を差し替えていた。解説は斉藤明雄高木豊達川光男田尾安志江本孟紀フジテレビ系列解説者が担当。2010年のオリックス戦では2009年まで楽天打撃コーチを担当した池山隆寛がベンチサイド解説を務めた。実況アナの変貌が目まぐるしく2005年は下田恒幸(現フリー)が3試合、佐藤拓雄が1試合実況を務め、2006年は浅見博幸が2試合を実況。金澤聡がリポーターを務めた後2007年から実況、板垣龍佑(現テレビ東京)がリポーターを務めた後2009年からは広瀬修一が担当。2006年の実況を務めた浅見がインタビュアーとして同局中継3年ぶりの登場を果たした(中継終了後にインタビューが行われた)。在仙局の中では中継製作に一番消極的である反面ビジター試合を積極的に中継。アナウンサー(主に金澤)をベンチリポーターとして派遣している。2007年からは毎年1試合のみの中継となっていたが2011年は4月と5月さらには7月に1試合ずつ中継された。

ポストシーズンの放送実績

  • 2009年のクライマックスパ第2ステージ、VS北海道日本ハムファイターズ・第3戦(北海道文化放送製作)
  • ミヤギテレビ:レギュラーシーズンは週末デーゲームのみ未だに差し替え中継の実施はない。解説者は2005年が日本テレビ中畑清水野雄仁が担当、2006年から2008年までは楽天OB初のミヤギテレビ専属解説者となった川尻哲郎と日本テレビの池谷公二郎。2009年4月の西武戦と9月の日本ハム戦を阿波野秀幸が務め10月のクライマックスシリーズを若菜嘉晴が務めた2010年は初代打撃コーチの駒田徳広苫篠賢治、2011年は佐野慈紀西崎幸広が担当。実況は伊藤拓とリポーターを担当している外賀幸一が2009年7月のオリックス戦を実況する予定(解説は前述の若菜)だったが試合開始直前に中止となり幻となったが2010年7月の日本ハム戦で野球実況デビューを果たした。さらには2010年4月の中継では加藤智也がリポーターを担当。伊藤・外賀・加藤の先輩・上司にあたる三雲茂晴も裏方(制作)として中継に参加している。2009年4月3日に札幌ドームで行われた日本ハム戦の中継を系列のSTVが行ったものの同局は巨人戦を優先し、4年間続いていた開幕中継をストップさせた。

ポストシーズンでの放送実績

  • 2009年のクライマックスパ第2ステージ・第1戦、第2戦(札幌テレビ製作の映像+仙台のスタジオで伊藤が実況)

音声差し替え中継

  • 2008年3月のソフトバンク戦(福岡放送製作映像&仙台のスタジオ 解説:川尻哲郎、実況:伊藤拓)

その他

  • 2005年5月の阪神戦(ホーム開催であったが系列のよみうりテレビが製作、MMTは伊藤を『派遣』する形で中継を行った)

解説:川藤幸三、実況:小澤昭博、リポーター:伊藤拓・尾山憲一、他球場情報:山本純也 ※2011年も阪神戦を中継したがMMTとよみうりテレビは別スタッフで中継した。

  • 東日本放送夏の高校野球県大会中継をしていることもあり実況アナは豊富で中継数も仙台放送やミヤギテレビよりも多い、土曜デーゲーム中心だが2005年・2006年・2010年は巨人戦を、2011年はゴールデンタイムの編成を差し替えた。ホームでの巨人戦中継では2008年(詳細後述)を除きテレビ朝日製作のため協力(2011年現在も続いている)にまわり同局のアナウンサーは楽天リポーターとして登場する(2009年まで)。解説はほとんどの試合、東北福祉大OBの大塚光二が務めている(巨人戦の場合はグランド解説にまわる)が2008年は元ABCプロ野球解説者の村上隆行が、2010年からはデニー友利が新加入した。2008年まではファン代表としてローカルタレント本間秋彦がゲスト出演。(本間が諸事情で来られない場合もゲストを配し、野崎靖博戸叶尚も中継に加わったこともある)。実況は熊谷博之岩崎心平松本龍が担当。Jリーグ・ベガルタ戦中継がメインの加川潤も2005年1試合を担当した。リポーターは各実況アナに加え2007年のみ吉岡伸悟も担当、2008年までは相手チームにもリポーターを配し系列局のアナウンサーが担当していた。2007年はCS放送sky・A sports+中継の実況も担当。2008年は6月の交流試合・巨人戦を自社製作で行う予定だったが当日、朝に起きた岩手・宮城内陸地震の影響で中止。中継を行った4試合全てが4時間超になり終了まで中継ができない現象が続いた、2011年は在仙局では史上初となるKスタ以外でのホームゲーム中継を甲子園で実施、系列ABCの協力を全面に受け阪神戦同様の放送ブースで中継を行った。2006年から3年続けて開幕戦のネット受けを行いすべての試合で熊谷がベンチリポーターで派遣されている。

全国ネット並びにポストシーズン製作実績

  •  2005年と2006年5月の交流試合・巨人戦1試合ずつ(テレビ朝日製作、熊谷が楽天リポーターで出演)
  •  2009年のクライマックスパ第2ステージ第4戦(現地乗り込み、北海道テレビ製作の映像+熊谷の楽天応援実況)
  •  2011年のオールスターゲーム第3戦(KHBアナウンサーの出演はなし)

音声差し替え中継

  •  2010年6月の阪神戦(ABC製作映像+仙台のスタジオ 解説:大塚光二 実況:岩崎心平 リポート:松本龍)
  •  2011年6月の阪神戦(2010年同様の対応 解説:大塚光二 実況:松本龍)

2005年シーズンのデーゲーム中継は隣県(特に2軍本拠の山形県や福島県、岩手県)、ソフトバンク戦においてはTBC製作をRKBで仙台放送製作をテレビ西日本で日本ハム戦においてはミヤギテレビ製作をSTVで放送されたこともある。 2010年以降のTBC木曜ナイターは全試合ではないものの青森、秋田を除く3県にもネットされた試合がある。

BS
  • 2008年6月、交流戦2試合をBS朝日で放送。(当初は1日の広島戦を球団製作=スカイ・エーと同時、14日の巨人戦は東日本放送制作で宮城県向けローカル中継との同時放送を予定していたが、巨人戦中継予定当日が岩手・宮城内陸地震のため開催中止となり、予備日の16日の試合はKHBの放送枠の都合が付かなかったためこの試合も球団製作のものに変更された)
  • 同8月から日本BS放送(BS11デジタル)にて「BS11プロ野球・全国生中継」として中継に本格参入。同年度は終盤10試合を放送した。sky・A sports+と同様の球団制作中継。2009年からはタイトルを「プロ野球まるごと中継 熱闘!BS11ナイター」として20試合程度を放送した。
  • 2010年はタイトルを「熱闘!! 楽天戦 フル中継」と改題、中継数も30試合に増加。Kスタ宮城以外にも東京ドーム、岩手県営野球場、秋田こまちスタジアム、郡山市営開成山野球場で行われる試合も放送されるようになった。なお2011年よりタイトルを「断然 パ・リーグ主義!!」と改題(QVCマリンフィールドのロッテ戦も中継されるため)。2012年は放送なし。
  • 2011年からはBS11に加え、TwellVでも「TwellV プロ野球中継」で放送。2011年度は楽天主催試合を4試合中継。2012年度は楽天主催試合15試合を中継することが決定している。
CSケーブルテレビ
2008年度からは球団側が制作著作の権利を持ちマルチに映像制作している。
AMラジオ
コミュニティFM
  • FMいずみ泉区):「イーグルスライブラジオ」(2007年より) TBCラジオが中継しなかった平日デーゲームも放送した。
    ※2006年まではFMじょんぱ宮城野区、廃局)が「スタジアムFM」を展開していた。
FM放送
  • NHK仙台放送局(東北地方全域) : 開幕戦のみ放送。NHKラジオ第1放送高校野球優先のうえ、実施期間のために放送ができず、FM放送を行っている。2005年〜2007年の3年間はいずれも東北ブロックでの放送。2006年は対戦カードが日本ハムだったため、北海道でも放送された。

応援番組 [編集]

キーワード [編集]

フレックス・プライス [編集]

2009年よりKスタ宮城で行われる楽天の主催試合において、対戦相手や曜日などに応じてチケットの価格を変える「フレックス・プライス」が導入されている。「フレックス・プライス」のようなチケットの価格変動制は、メジャーリーグでは複数の球団が採用しており、日本では東京ヤクルトスワローズ神宮球場での巨人戦、阪神戦に限り一部席種を割高にしている例があるが、本格的な導入は楽天が初めてになる。

チケットの価格は6段階で設定されており、高い順から「プラチナ」、「クリムゾン」(2013年より導入)、「ゴールド」、「シルバー」、「ブロンズ」、「バリュー」となっている。2012年は開幕2試合を含む計8試合がプラチナとされ、一番安いバリューは主に平日のナイター試合に設定された。

席によっては、プラチナの価格がバリューの2倍以上になる事もある。 フレックスプライスについて

カラーユニフォーム対決 [編集]

2005年9月10日、フルスタ宮城の対ソフトバンク戦での企画。この日を「クリムゾンレッドデー」と銘打ち球場をチームカラーであるクリムゾンレッド一色にしようという企画で、ホームゲームではあるが、クリムゾンレッドのビジターユニフォームを着て試合を行った。このカードでは7月18日にも「鷹の祭典 in ヤフードーム ブラックホーク降臨!」と題して、ホームチームのソフトバンクが黒のビジターユニフォームで試合を行っている。[43]

2006年は阪神が、交流戦用ユニフォームとしてホームゲームでは、当時の監督・岡田彰布が入団した1980年当時のビジター用、ビジターゲームでは同時期のホーム用を着用して試合に臨むことを決定したため、楽天とは5月30日からの甲子園3連戦ではビジターvsビジターで対戦した。8月22日には、西武が球団の要望でビジターvsビジターをする等、この試みは各球団に広まっている。

平日デーゲーム開催 [編集]

2007年4月3日(火)~5日(木)、フルキャストスタジアム宮城で日本ハムとの3連戦をいずれもデーゲームで開催した。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラス東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況ぶり。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中将大の本拠地初登板もあって、約18000人ものファンが球場に詰め掛けた。翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火) - 3日(木)の対ロッテ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。

2009年~2011年は平日デーゲーム開催は行われず。2009年はWBCのため開幕が遅く4月7日(火)がホーム開幕戦。2010年はホーム開幕戦が土曜日に設定されたため(他球場では前日の金曜にホーム開幕戦となるナイターが行われている)。2011年は当初3月29日(火)~3月31日(木)の対ソフトバンク3連戦をデーゲームで開催する予定になっていたが、東日本大震災の影響による開幕日延期のため取り止めとなった。

2012年は4月3日(火)~4月5日(木)の対ソフトバンク3連戦が4年ぶりの平日デーゲーム開催となり、いずれの試合も観衆1万人を超えた。
2013年も4月3日(水)・4日(木)の対オリックス戦2試合がデーゲーム(ともに14:00開始)となったが、3日は雨天で中止となったため実際に行われたのは4日の1試合のみだった(この日の観衆は17482人)。

本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代-1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合プレーオフ(パ・リーグ)、日本シリーズでも行われた。

ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員 [編集]

楽天では以下の24人が「ファンクラブ名誉会員」となっている(職名は名誉会員認定当時)。

なお、「青葉城恋唄」で知られる歌手さとう宗幸宮城県仙台市在住)も名誉会員であったが、後述のように当時の田尾監督の解任に激怒し、ファンクラブを脱退している。しかし、2009年10月16日に行われたこの年のクライマックスシリーズ第1ステージ・第1戦の国歌斉唱にて独唱。

年間シーズンシートの有効利用法 [編集]

球場では年間シーズンシート「Seat Owners Club(シートオーナーズクラブ)」を諸事情により利用できないファンの座席を活用し、「SOCチャリティー」を開催している。 これは東北地方在住の幼稚園・小学生・中学生とそれを持つ親御さんの親子各試合につき400組800人を事前のはがき応募で募集し、野球の面白さ、楽しさを多くの少年少女らに伝えようとして実施しているもので、年間に4-5試合程度開催している。

地方球場の命名権 [編集]

地域密着を目指すという観点で、イーグルスでは2軍の主本拠である利府町中央公園野球場(イーグルス利府球場)のほか、地方遠征(主に2軍)を開催する岩泉球場しらさわグリーンパーク湯沢市稲川野球場の3球場の命名権を持っており、それぞれ「イーグルス岩泉球場」「イーグルスグリーンパーク本宮」「イーグルス稲川スタジアム」として運用している。

がんばろう東北 [編集]

地震による甚大な被害を受けた東北地方の人々を励ますべく、1995年の阪神・淡路大震災時のオリックス・ブルーウェーブが用いた「がんばろうKOBE」にあやかって作られた言葉。2008年の岩手・宮城内陸地震と2011年の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)において使用され、ユニホームの袖部分にもこのフレーズが描かれたワッペンが貼り付けられた[44]

主なキャンプ地 [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ 朝日新聞社刊『スト決行プロ野球が消えた2日間』124ページ
  2. ^ 朝日新聞社刊『スト決行プロ野球が消えた2日間』126ページ
  3. ^ 朝日新聞社刊『スト決行プロ野球が消えた2日間』170ページ
  4. ^ 朝日新聞社刊『スト決行プロ野球が消えた2日間』178ページ
  5. ^ 朝日新聞社刊『スト決行プロ野球が消えた2日間』181ページ
  6. ^ 野村克也氏 球団名誉監督就任について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年3月16日). 2011年6月5日閲覧。
  7. ^ 「東北を熱くする!」星野仙一監督就任会見”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年10月27日). 2011年6月5日閲覧。
  8. ^ 産経新聞 2011年3月12日
  9. ^ 球場に被害はなかったが、試合は関係者の安否確認のため8回で打ち切りとなっている。“「家族の安否確認のため」楽天OP戦は試合途中で終了”. スポーツニッポン. (2011年3月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/03/12/kiji/K20110312000409580.html 2011年6月5日閲覧。 
  10. ^ “星野楽天、関西開幕準備…復興まで拠点”. デイリ-スポーツ. (2011年3月17日). http://www.daily.co.jp/baseball/2011/03/17/0003872497.shtml 2011年6月5日閲覧。 
  11. ^ “楽天が試合後に募金活動、岩隈「ありがたい」”. サンケイスポーツ. (2011年4月6日). http://www.sanspo.com/baseball/news/110406/bsh1104060505002-n1.htm 2011年6月5日閲覧。 
  12. ^ “楽天選手会の募金活動にファンもエール”. デイリ-スポーツ. (2011年3月19日). http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/03/19/0003878159.shtml 2011年6月5日閲覧。 
  13. ^ 楽天イーグルスの支援活動 楽天イーグルス公式HP
  14. ^ “星野楽天、仙台に帰ってきた夜に大地震”. デイリ-スポーツ. (2011年4月8日). http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/04/08/0003936417.shtml 2011年6月5日閲覧。 
  15. ^ “楽天、モリーヨが震災理由に退団へ”. デイリ-スポーツ. (2011年4月12日). http://www.daily.co.jp/baseball/2011/04/12/0003950697.shtml 2011年6月5日閲覧。 
  16. ^ “Kスタ宮城の復旧工事開始。完了まで約5週間”. スポーツニッポン. (2011年3月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/03/22/kiji/K20110322000476220.html 2011年6月5日閲覧。 
  17. ^ 4月15日~17日・阪神甲子園球場、4月22日~24日・ほっともっとフィールド神戸
  18. ^ 阪神甲子園球場でのパ・リーグ球団の主催試合は史上初。
  19. ^ 2011年度 パシフィック・リーグ選手権試合日程”. 日本野球機構. 2011年6月5日閲覧。
  20. ^ この年は10月にも受賞しており、年間3度はパ・リーグ初の記録[1]
  21. ^ この段落の出典は、週刊ベースボール2011年12月19日号70ページとする
  22. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2012/result/03/30/05.html] スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
  23. ^ [2]スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
  24. ^ [3]スポーツニッポン 2012年10月9日閲覧
  25. ^ 立花陽三代表取締役社長 就任のお知らせ 東北楽天ゴールデンイーグルスプレスリリース 2012年7月24日付
  26. ^ “楽天、斎藤隆を獲得へ=プロ野球”. 時事ドットコム (時事通信). (2012年12月28日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012122800464 
  27. ^ “ヤクルト:岩村が古巣復帰…7年ぶり”. 毎日.jp (毎日新聞). (2012年12月11日). http://mainichi.jp/sports/news/20121212k0000m050022000c.html?inb=fa 
  28. ^ “球団名誉監督に関して”. 楽天野球団. (2012年12月29日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/2799.html 
  29. ^ “プロ野球選手会:将来がよくなるよう頑張る…嶋新会長”. 毎日.jp (毎日新聞). (2012年12月6日). http://mainichi.jp/sports/news/20121207k0000m050042000c.html 
  30. ^ 楽天 球団通算500勝!首位討ち大勝で花 ルーキー則本2勝目スポーツニッポン2013年4月27日
  31. ^ ちなみに、この時「イーグルス」の商標を先に取ったのは、参入時のライバル・ライブドアであった。
  32. ^ なお、福島・盛岡等の地方球場で行われる主催試合では1塁側ベンチを使用。
  33. ^ 2011年は鉄平、2012年は松井稼頭央
  34. ^ ビジターユニフォーム デザイン変更のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2009年12月28日). 2011年6月5日閲覧。
  35. ^ 今年の3rdユニフォームはデザイン一新!テーマは“TOHOKU”バージョン!”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年3月25日). 2011年6月5日閲覧。
  36. ^ 球団創設7年目特別企画ユニフォーム「イーグル・レインボー」を発表”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年5月2日). 2011年6月5日閲覧。
  37. ^ ベガルタ仙台の胸スポンサーにもなっている。ベガルタ仙台のものに比べて広告の大きさは小さいが、広告料は2倍になっている。
  38. ^ 必ずしも放送される全ての試合が東北6県で放送されるとは限らず、試合日によっては宮城県だけ、あるいはブロックネットでありながら編成の都合で一部県で放送されない(デジタルマルチ編成も)という試合もある。
  39. ^ 日テレプラスリリース「2013.1.28 「2013シーズン 東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合放送決定」のお知らせ」(2013年1月28日 同2月3日閲覧)
  40. ^ 字幕はJ SPORTS側で用意したものを使った以外、基本的に球団製作のものを使用。ただし同時ネットで放送するTwellV・パ・リーグTVは従来通り球団製作の字幕を採用していた
  41. ^ ビジターの試合を放送するときは、その地域の放送局と同時に放送される
  42. ^ 制作局である東日本放送の他に、青森朝日放送岩手朝日テレビ秋田朝日放送山形テレビ福島放送の6局ネットで放送。
  43. ^ なお、結果は7月18日は7-5で楽天、9月10日は6-3でソフトバンクが勝っており、どちらもホームチームが負けるという結果が残っている。
  44. ^ デザインは、ホーム用がえんじ色地に白枠、その中に白文字で。ビジター用は、白地にえんじ色の枠、その中にえんじ色の文字で「がんばろう東北(東と北の文字の間に帽子にも使われるEマーク)」。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]