リョービ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
リョービ株式会社
RYOBI LIMITED
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5851 1960年6月上場
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:726-8628
広島県府中市目崎町762番地
設立 1943年12月16日
(株式会社菱備製作所)
業種 非鉄金属
事業内容 ダイカスト製品、印刷機器、パワーツール、建築用品 等
代表者 代表取締役会長 浦上浩
代表取締役副会長 吉川進
代表取締役社長 浦上彰
資本金 184億72百万円
発行済株式総数 171,230,715株
売上高 単体923億円、連結1,259億円
(2010年3月期)
純資産 単体614億円、連結679億円
(2010年3月)
総資産 単体1,400億円、連結1,739億円
(2010年3月)
従業員数 2,130人(2010年3月)
決算期 3月末日
主要子会社 東京軽合金製作所
関係する人物 浦上豊(創業者)
外部リンク www.ryobi-group.co.jp
テンプレートを表示

リョービ株式会社は、広島県府中市に本社を置く企業である。世界的なダイカストトップメーカーである。

企業理念は「技術と信頼と挑戦で、健全で活力にみちた企業を築く」。コーポレートメッセージは「くらしごこちがテーマです。」

概要[編集]

前身は浦上豊1943年に興した三菱電機福山工場(現・福山製作所)のダイカスト製品の下請け・「菱備製作所」(りょうびせいさくしょ)。社名は創業当時からの本社所在地の府中市が旧備後国であり、さらに近接の岡山県西部が備中と呼ばれることと、三菱電機の関連会社であったため、同じ音の「両備」を掛け、更に「三菱」から一字を採った。1972年、創業者・豊の急逝により、後を継いだ長男の浩(現会長)によりCIが実行され「RYOBI」となった。

なお両備バスを中心とする両備ホールディングスなどの両備グループは無関係。

1944年からダイカスト製品を製造し、その後、印刷機器、釣具パワーツール、建築用品、ドアクローザーゴルフクラブなどの製造・販売を行っていた。

釣具・ゴルフクラブなどの製造・販売については、釣具は2000年上州屋営業譲渡、ゴルフ用品は2002年に事業撤退した。ゴルフクラブの製造販売を手掛けていたことからスポーツ関係のスポンサーを務めることが多く、広島東洋カープの本拠地に広告を出したほか、読売ジャイアンツ中日ドラゴンズ阪神タイガース横浜ベイスターズの本拠地球場にも1990年代まで広告を提供し、プロ野球中継の影響もあり1980年代からは全国に名前が知られるようになり、全国区の企業となった(後楽園球場東京ドーム1999年に一旦撤退のち2013年現在は再び提供、ナゴヤ球場ナゴヤドームには1998年まで)。フジテレビ系の「プロ野球ニュース」のスポンサーでもあった。

2013年現在の主要生産品目は、自動車関連(エンジンやギアボックス、サスペンションアーム)のダイカスト製パーツであり、国内メーカーはのみならずメルセデスベンツやジャガーといった海外メーカーとも取引がある。設計から製造までの一貫体制が整っており、塗装まで済ませた状態でメーカーに納品できることが強みとされている。また高精度印刷機やドアクローザー(住宅関連機材)の部門もある。

主な拠点[編集]

  • 本社・広島工場
  • 広島東工場
    • 広島県府中市鵜飼町800番地2
  • 静岡工場
  • 印刷機器工場
    • 広島県府中市栗柄町444番地1

沿革[編集]

  • 1943年12月16日 株式会社菱備製作所を設立。
  • 1944年 ダイカスト製品の製造・販売を開始。
  • 1962年 蒲原工場(現・静岡工場)の操業を開始。
  • 1973年 リョービ株式会社に商号変更。
  • 2000年9月30日 不採算事業の見直しにより、釣具事業を株式会社上州屋へ譲渡。譲渡に際し、上州屋がリョービから商標使用許諾を受けて、「RYOBI(リョービ)」ブランドの釣具の製造・販売・アフターサービスを行っている。
  • 2002年5月31日 不採算事業の見直しにより、ゴルフ用品の製造・販売を終了(アフターサービスは2008年3月末に終了)。
  • 2011年10月1日 子会社のリョービイマジクスにて行っていたフォント事業を株式会社モリサワへ譲渡。リョービイマジクスは2012年4月1日に当社に吸収合併された。
  • 2014年1月1日 リョービの印刷機部門と三菱重工印刷紙工業株式会社のオフセット枚葉印刷機事業と統合し合弁会社「リョービMHIグラフィックテクノロジー株式会社」を設立

テレビ・ラジオコマーシャル活動[編集]

エピソード[編集]

  • 推理作家内田康夫はCM制作会社を経営していた時、リョービの広告を手掛けていたため、府中のリョービ本社を度々訪れた。この時、現在の会長で当時重役だった浦上浩から聞いた当地・備後地方に伝わる後鳥羽天皇に纏わる伝承を素に創作したのが、商業デビュー作『後鳥羽伝説殺人事件』である。この作品は浅見光彦が初登場する内田の出世作としても知られる。浦上はこの前作である『本因坊殺人事件』の主人公の名前に使われている[1]

TV番組での紹介[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『後鳥羽伝説殺人事件』p300 1996年2月(角川春樹事務所)
  2. ^ TBS がっちりマンデー

関連項目[編集]

外部リンク[編集]