国吉佑樹
| 横浜DeNAベイスターズ #65 | |
|---|---|
2012年11月23日、横浜スタジアムにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府枚方市 |
| 生年月日 | 1991年9月24日(21歳) |
| 身長 体重 |
196 cm 100 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2009年 育成選手ドラフト1位 |
| 初出場 | 2011年8月27日 |
| 年俸 | 1,800万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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国吉 佑樹(くによし ゆうき、1991年9月24日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
経歴 [編集]
大阪府枚方市出身。小学2年生のときに軟式の「桜丘北ウインズ」で野球を始める。5年生時から6年生チームのエースを務める。中学ではボーイズリーグの「オール枚方」で活躍。
秀岳館高(熊本県)では、2年春からベンチ入りするが控え投手だった。2年冬からウエイトトレーニングに取り組んだことで下半身が安定し、球速も140km/h以上を記録するようになった。監督からは予想以上に成長してくれたと評される。3年春は熊本県大会準優勝、夏の熊本県大会は準々決勝で敗退。
2009年10月29日、プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズの育成枠1位の指名を受け、支度金200万円、年俸240万円で契約した。プロ入り1年目は右肩痛に悩まされ二軍でも5試合の登板に終わっている。しかしその右肩痛によって投球ができない間に下半身のトレーニングを徹底的に行い、投球フォームを上半身に頼っていたものから体全体を使ったフォームに改善。2011年の夏場には球速が最速152km/hを計測するようになった。二軍の試合で好投を続け、同年7月29日に支配下選手登録される[1]。同年8月27日の中日戦で一軍初登板・初先発を果たした[2]。その後は先発ローテーションの一角として起用され、10月4日の対巨人戦ではプロ初勝利を挙げている[3]。
3年目となる2012年は、自主トレを三浦大輔らと行い[4]、キャンプでも新たに就任した友利結ピッチングコーチのもと前年までの数倍となったランニングや投げ込みなどの練習を精力的に行った[5]。オープン戦では合計18イニングを無失点に抑える好投を見せた。5月6日の中日ドラゴンズ戦で先発し、5回1/3イニングを投げ勝利。山本昌とのプロ野球史上最大年齢差先発対決(26歳1ヶ月差)を制した[6]。また9月7日の広島東洋カープ戦では、セの育成出身投手としては初となる完封勝利も記録した[7]。11月21日、800万増の1800万円で契約更改[8]。
プレースタイル・人物 [編集]
スリークォーターから投げ下ろす平均球速約143km/h[9]、最速154km/hのストレートを投げる[10]。変化球は、スライダー・カーブ・フォークを操る[11]。もともと球威で押していくタイプのピッチャーであり、コントロールはアバウトで、2012年シーズンはベイスターズ投手陣の中で最も多い59個の四球を与え、自滅する事が多々あった。キャンプで臨時にコーチをかって出た江川にはそのコントロールを指摘されたものの[要出典]、前述の球威に関しては江川も認めており「コントロールがついて自信がつけばすごいボールになる」と言われた[要出典]。
196cmの長身に長い手足、米国人の祖父譲りの甘いマスクで高校時代はチームメイトから「ダルビッシュ」と呼ばれていた[12]。プロ入り後もメディアから「ハマのダルビッシュ」と称されることもある[13]。
2012年4月29日の中日戦(ナゴヤドーム)では、ユニフォームをホテルに忘れ、2回まで身長192cmの友利結コーチのユニフォームを着用した[14]。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | 横浜 DeNA |
8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 198 | 47.0 | 42 | 2 | 20 | 1 | 2 | 39 | 1 | 0 | 13 | 12 | 2.30 | 1.32 |
| 2012 | 19 | 19 | 1 | 1 | 0 | 4 | 12 | 0 | 0 | .250 | 498 | 112.2 | 108 | 10 | 59 | 2 | 2 | 95 | 4 | 0 | 57 | 46 | 3.67 | 1.49 | |
| 通算:2年 | 27 | 27 | 1 | 1 | 0 | 5 | 16 | 0 | 0 | .238 | 696 | 159.2 | 150 | 12 | 79 | 3 | 4 | 134 | 5 | 0 | 70 | 58 | 3.27 | 1.44 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
記録 [編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2011年8月27日、対中日ドラゴンズ18回戦(横浜スタジアム)、5回2失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に平田良介から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2011年10月4日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、7回1失点(自責点0)
- 初完投勝利・初完封勝利:2012年9月7日、対広島東洋カープ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)3被安打
- 打撃記録
- 初安打:2012年8月31日、対読売ジャイアンツ17回戦(東京ドーム)、3回表に小山雄輝から右前安打
背番号 [編集]
- 111 (2010年 - 2011年7月28日)
- 65 (2011年7月29日 - )
登場曲 [編集]
- Everybody Go - Kis-My-Ft2(2012年 - )
脚注 [編集]
- ^ “支配下登録および背番号変更のお知らせ”. 横浜ベイスターズ (2011年7月29日). 2012年3月21日閲覧。
- ^ “育成出身・国吉 プロ初登板初先発は5回2失点で及第点”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年8月28日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ ““ハマのダル”国吉1勝 母に「5年待って」から7カ月”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年10月5日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “横浜DeNA:三浦が自主トレ、小林・国吉も泊まり込みで”. 神奈川新聞. (2012年1月15日) 2012年3月21日閲覧。
- ^ “コーチが強制ストップ…国吉 150球投げ込み敢行”. スポーツニッポン. (2012年2月6日) 2012年3月21日閲覧。
- ^ “国吉やっと今季初勝利!史上最大年齢差投げ合い制した”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月7日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “万歳!国吉 ゲンコツ初完封 デニーコーチの一発効いた”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年9月8日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ 【DeNA】国吉、800万増の1800万 - 2012年11月21日,日刊スポーツ
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、94頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
- ^ “【DeNA】国吉は阿部へのカーブ悔やむ”. 日刊スポーツ. (2012年9月28日) 2012年9月29日閲覧。
- ^ “尾花監督 育成出身“横浜の佑樹”を1軍抜てきへ”. スポーツニッポン. (2011年8月16日) 2012年3月21日閲覧。
- ^ “国吉(秀岳館)ダルビッシュになる 高校野球・熊本大会7月11日開幕”. 西日本スポーツ. (2009年6月19日) 2012年3月17日閲覧。
- ^ “キヨシ、好投国吉に愛の告白 君のことが好きになっていく”. 中日スポーツ. (2012年2月22日) 2012年3月17日閲覧。
- ^ “DeNA国吉、ちぐはぐ“背信投”3敗目”. サンケイスポーツ. (2012年4月30日) 2012年5月4日閲覧。
関連項目 [編集]
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