根元俊一

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根元 俊一
千葉ロッテマリーンズ #32
LM-Syunichi-Nemoto.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都西多摩郡瑞穂町
生年月日 1983年7月8日(28歳)
身長
体重
177cm
75kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年5月11日
年俸 2,400万円(2010年)
経歴(括弧内は在籍年)

根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

花咲徳栄高で3年時に主将としてチームを牽引し第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。

東北福祉大学へと進学して、2004年の第53回大学野球選手権で1番打者として優勝に大きく貢献した。6月16日の決勝戦では日本大学の先発・那須野巧から3打数1安打という成績を残している。

2005年の大学生・社会人ドラフトでロッテから3巡目で指名を受け入団。

[編集] プロ入り後

2011年8月21日vs西武戦。

2006年5月10日に初めて一軍に昇格し、翌日代走で初出場。5月12日に「9番・二塁手」で初めてスタメン出場。ノーヒットだったが、翌日は休養の西岡剛に代わり「1番・遊撃手」でスタメン出場。この日も4打数ノーヒットであったが、初安打よりも先に敬遠されてしまうという珍しい事態が発生した(後述)。更に翌日の試合で黒田博樹からプロ初安打。その後31試合に出場したが打率1割台、三振率は4割を超えるなど結果を残せず、昇格してからちょうど1か月後に二軍落ちした。二軍では左方向への安打を量産し、打率.343でイースタン・リーグ首位打者を獲得し、1年目から二軍の主力選手として活躍した。二塁打24本も同リーグ1位。11盗塁を決めたが盗塁失敗12回も記録した。

2007年は「9番・二塁手」で初の開幕戦スタメン出場を果たす。プロ初本塁打を打ち、打率.266とまずまずの成績を残していたものの、二塁のレギュラーには青野毅が定着し、青野の離脱後はホセ・オーティズが二塁のレギュラーになってしまったため、怪我の影響もあり結局この年も一軍定着はならなかった。二軍では規定打席には到達しなかったものの、打率.383と引き続き高打率を記録した。

2008年は春先から好調を維持し、初のサヨナラ安打やランニングホームランも記録。出場試合数も110と増加。打率は3割台前半を推移していたが8月に調子を落とし、最終的には.296と3割を切ってしまった。しかし、プロに入ってからは最高となる成績を収めた。

2009年井口資仁の入団で出番が減少し、井口や西岡の負傷離脱時も結果を残すことが出来ず打率.174に終わり、西岡離脱の穴を埋めた早坂圭介やこの年初めて3割を記録した塀内久雄に多少遅れをとってしまった。

2011年8月21日の対西武戦でサヨナラ安打を打った。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 ロッテ 31 62 54 8 9 3 0 0 12 1 3 1 1 0 5 1 2 22 0 .167 .262 .222 .485
2007 34 90 79 9 21 3 0 1 27 9 3 0 5 0 4 0 2 24 0 .266 .318 .342 .659
2008 110 360 314 45 93 21 6 3 135 29 9 6 10 0 32 0 4 60 1 .296 .369 .430 .799
2009 30 74 69 3 12 2 1 0 16 2 0 1 1 1 3 0 0 14 1 .174 .205 .232 .437
2010 53 61 51 4 10 2 0 1 15 6 0 0 4 0 5 0 1 19 1 .196 .281 .294 .575
2011 68 167 149 11 34 3 0 2 43 11 0 1 5 0 12 0 1 38 2 .228 .290 .289 .579
通算:6年 326 814 716 80 179 34 7 7 248 58 15 9 26 1 61 1 10 177 5 .250 .317 .346 .663
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績

年度 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 20 19 28 0 2 1.000 - 11 9 16 2 1 .926
2007 20 41 60 2 12 .981 2 0 0 0 0 - 7 14 13 0 2 1.000
2008 85 164 202 6 37 .984 2 3 4 0 0 1.000 16 18 29 3 9 .940
2009 13 23 30 1 5 .981 8 2 9 1 0 .917 8 7 13 1 5 .952
2010 4 3 4 0 2 1.000 7 3 9 1 0 .923 -
2011 4 8 10 1 0 .947 7 4 16 1 2 .952 42 44 94 5 14 .965
通算 146 258 334 10 58 .983 26 12 38 3 2 .943 84 92 165 11 31 .959

[編集] 背番号

  • 32 (2006年 - )

[編集] 記録

[編集] エピソード

  • 2006年5月13日千葉マリンでの対広島戦、10回裏二死二塁の場面でプロ初安打よりも先にプロ初敬遠される。結果的には次打者の渡辺正人死球で歩き、3番の福浦和也サヨナラ安打を打ち勝利した。
  • 2006年5月25日の千葉マリンでの試合、9回表の無死三塁で一打同点の場面。ここで、阪神の4番・金本知憲のセンター前に抜けるような当たりを前進守備だったにも関わらずダイビングキャッチで好捕。この時、一塁に送球する前にずれた帽子を一瞬で直すという新人離れの余裕を見せる(根元自身は無意識だったと話している)。このプレーをきっかけに小林雅英は立ち直り、3-2で勝利した。このプレーは光プレーなどプロ野球の好珍プレー番組で何度か紹介された。
  • 2006年5月27日東京ドームでの対巨人戦に代走から途中出場。10回表・無死で一塁走者に西岡剛の場面で打席につく。ボビーバレンタイン監督からバスターエンドランを指示されると、福田聡志が低めに落としたストレートにさばくように喰らいつきセンター前に弾き返し、一、三塁の場面を作った。この後、福浦が見事に決勝タイムリーを放って4-6で勝利した。本人の最も印象に残っている試合・プレーとしてあげている[1]
  • 左方向への当たりが多いのが特徴。2006年3月26日オープン戦で初安打を打った試合でレフト前ヒットを2本打ち、5月14日黒田博樹から打った一軍初安打もレフト線の二塁打、5月17日プロ初打点を挙げたときもベバリンからレフト前ヒットを打った。
  • 応援歌は平井光親から受け継いだものである。誤解が多いが「アルプスの少女ハイジ」のOPテーマ曲「おしえて」ではなく、サロニー作曲「The Alpine Milkman(邦題:山の人気者)」が原曲である。また、2010年より応援歌が侍戦隊シンケンジャーのエンディングテーマ「四六時夢中シンケンジャー」に変更になった。
  • 高校生時代、チームのキャプテンであるだけではなく学校生徒会長でもあった。
  • タレント俳優野久保直樹とは雑誌のインタビューがきっかけで交友関係がある。2008年5月上旬からシーズン終了まで千葉マリンスタジアムでの打席登場曲に羞恥心シングルを使用した。
  • 2008年から2010年まで姓が同じ読みの根本朋久が入団したため、「ねもとしゅんいち」とアナウンスされている(スコアボード表記は「根元」のまま。千葉マリンでのベンチ入りメンバー紹介の時だけ「根元俊」と表記。ちなみに根本朋久は「根本朋」と表示される)。
  • 2008年7月11日、ビジターでの楽天戦で球団新記録となるチーム今季4本目のランニングホームランを放ち、こちらも球団新記録となる高卒ルーキー5勝目をあげた唐川侑己と共にヒーローインタビューを受ける。
  • 野球を始めたきっかけは、母親がミロで景品として当てたサッカーボールとグローブを部屋に置いたら彼自身がグローブを選んだ事にある。ただしこれは彼の物心がつく前の出来事だったので、本人は覚えていないらしい。
  • 2010年1月10日に一般人女性と結婚。

[編集] 関連項目

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