大家友和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
大家 友和
ブリッジポート・ブルーフィッシュ #16
Tomo Ohka, pitcher of the Yokohama BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
横浜時代(2011年4月19日、横浜スタジアム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市右京区
生年月日 1976年3月18日(38歳)
身長
体重
185 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 NPB / 1994年4月27日
MLB / 1999年7月19日
最終出場 MLB / 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大家 友和(おおか ともかず、1976年3月18日 - )は、京都府京都市出身のプロ野球選手投手)。米独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都成章高等学校3年生のとき、夏の京都府大会で準優勝し、プロのスカウトの注目を浴びた。高校時代の同級生に現広島東洋カープの捕手の倉義和がいる。高校2年生のとき、本屋でノーラン・ライアンの本「ピッチャーズ・バイブル」を購入し、それから徹底的にトレーニングに取り組んだ[要出典]

1993年のドラフト横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団。背番号は56

横浜時代[編集]

1994年、高卒ルーキーながら一軍入りを果たす。同年4月29日のヤクルト戦で中継ぎとして登板し、わずか3球で初勝利を挙げる。

1997年オフ、フロリダ教育リーグに参加してメジャー挑戦を意識し始め、球団にその希望を伝える[1]

1998年、イースタンリーグで最優秀防御率のタイトルを獲得。そのオフ、球団がメジャーリーグ挑戦を了承したため自由契約となり、ジム・マスターアレクシスを代理人として12月にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。

レッドソックス時代[編集]

1999年は傘下のAA級トレントン・サンダーで開幕を迎え、8連勝を記録して6月にAAA級ポータケット・レッドソックスに昇格。フューチャーズゲームに選出され世界選抜の先発を務める。7月17日にメジャーに昇格し、19日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャー初登板初先発するも以降2連敗を喫し25日にマイナーに降格。8月23日にメジャーに再昇格し、25日に再降格したものの、9月4日に再昇格しリリーフとして起用される。10月1日のボルチモア・オリオールズ戦で3回を無失点に抑えメジャー初勝利を挙げる。

2000年はポータケットで開幕を迎え、6月1日のシャーロット・ナイツ戦でインターナショナルリーグ史上48年ぶり3人目となる完全試合を達成。15日には2年連続でのフューチャーズゲーム選出を果たすが、17日には金善宇と喧嘩して5試合の出場停止を受けた。7月21日にメジャーに昇格。28日にはマイナーに降格したが、8月6日に再昇格し3連勝を記録。その後6連敗を喫したものの、防御率3.12を記録した。

2001年は開幕メジャー入りを果たし先発ローテーション入りし2連勝。4月はリーグ4位の防御率2.28を記録。5月10日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローと初対決し、最速93mph(約150km/h)を記録したが左前安打を浴び、デビッド・コーンの復帰に伴い13日にマイナーに降格。6月7日に再昇格するが登板はなく10日に再降格し、29日に再昇格。7月31日にウーゲット・ウービナとのトレードでリッチ・ランドルズと共にモントリオール・エクスポズに移籍。

エクスポズ時代[編集]

移籍後は7連敗を喫したが、8月30日のアトランタ・ブレーブス戦で5回2/3を2失点に抑え移籍後初勝利。最後の3試合は17回2/3で防御率2.55、WHIP1.07と安定した投球を見せた。

2002年3月5日にはエクスポズと再契約。4月28日のセントルイス・カージナルス戦ではマット・モリスに投げ勝ち、以降4連勝を記録。前半戦を含む8勝4敗、防御率3.19、WHIP1.27の成績で折り返す。9月7日のブレーブス戦ではアンドリュー・ジョーンズへの死球が危険球とみなされ退場処分と6試合の出場停止を受けたが、後半戦も5勝4敗、防御率3.16、WHIP1.20と安定した投球を続け、チーム最多の13勝をマーク。オフには日米野球に出場。「まっすぐにこだわった」という投球を見せたが、中村紀洋に3点本塁打を浴びるなど3回1/3を7失点に終わった。

2003年7月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では7回までノーヒットノーランの好投を続けるも、7回にプラシド・ポランコが空振りした際にバットが内野スタンドにすっぽ抜ける。観客がバットを返さなかったため、ポランコは替えたバットで打ち、三塁線へ弱いゴロになったが、三塁手のエドワーズ・グスマンが取り損ねて初安打となった。後半戦は15試合の登板で3勝3敗、防御率3.76、WHIP1.41の投球を見せ、シーズンを通して2年連続10勝をマークし、クオリティ・スタートはリーグ4位の22を記録した。オフには1年233万7500ドルで再契約。

2004年3月23日に滋賀県草津市でNPO法人Field of Dreams」を発足させた。レギュラーシーズンでは4月は5度の先発で全て敗戦という幸先の悪いスタートを切る。防御率3.01、WHIP1.35と安定した投球を続けていたが、6月10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でカルロス・ベルトランのピッチャーライナーを腕に受けて骨折し故障者リスト入り。9月15日のフロリダ・マーリンズ戦で復帰したが、得点援護率が2.87と低いこともあり15先発で3勝に終わった。オフには1年275万ドルで再契約。

2005年はチームが本拠地移転によりワシントン・ナショナルズと名称を変更。開幕から先発で起用されたが、前年までの通算で2.31だった与四球率が5月上旬までで5.70と制球が乱れ先発を外される。6月4日のフロリダ・マーリンズ戦では降板を要求する監督のフランク・ロビンソンに背を向けたため罰金1000ドルを科せられる。10日にトレードによりミルウォーキー・ブルワーズに移籍。

ブルワーズ時代[編集]

6月14日のタンパベイ・デビルレイズ戦で移籍後初先発し、自身初の完封勝利を挙げる。前半戦を5勝4敗、防御率3.62、WHIP1.32で折り返し、9月5日のシンシナティ・レッズ戦で10勝に到達。与四球率も移籍後は1.99と復調した。

2006年2月の前半二週間、毎日放送のラジオ番組『月極ラジオ』で、メインパーソナリティを担当。15日に日米合わせてこの年の日本人投手最高年俸となる1年453万ドルでブルワーズと再契約。4月15日のニューヨーク・メッツ戦では7回5安打2失点に抑え、打撃でも4回にバスター打法で勝ち越し2点適時打を放ち勝利投手となる。25日のブレーブス戦で長谷川滋利を抜いて日本人メジャーリーガー史上2位となる通算46勝を挙げた。2勝1敗、防御率3.18、WHIP1.356と好投を続けていたが、5月1日のヒューストン・アストロズ戦で右肩の張りを訴え途中降板。回旋筋裂傷が判明し故障者リスト入りし、7月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で復帰。8月24日のコロラド・ロッキーズ戦では6失点を喫するも、初めて左打席に立ち自ら4打点をマークし勝利。しかし9月15日の走塁中に左太腿を痛めシーズンを終了した。

ブルワーズ退団後[編集]

2007年1月にトロント・ブルージェイズと1年150万ドル+最高150万ドルの出来高で契約。 4月29日に野茂英雄に次いで日本人メジャーリーガー史上2人目となるメジャー通算50勝を達成。6月18日に解雇され、19日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶが、7月4日に契約解除される。13日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶものの8月5日に解雇される。

2008年2月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーし8試合のリリーフ登板を含む28試合の登板で5勝11敗、防御率4.18、WHIP1.33の成績に終わり、メジャー昇格はなかった。12月6日、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約。

2009年5月28日にメジャーに昇格。5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦に登板しメジャー通算1000投球回を達成した。

2010年は3月にメキシカンリーグキンタナロー・タイガースに入団したが、1週間で解雇された。

横浜復帰[編集]

4月7日に横浜ベイスターズと2年契約を交わし、12年ぶりに日本球界に復帰。背番号は44。5月2日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に先発で復帰登板し、6回1/3を投げ1失点の好投で勝利投手となった。日本では前述の初勝利である1994年4月29日のヤクルト戦以来16年(5847日)ぶりの勝利であり、これは遠山奬志の10年ぶりの勝利を抜く日本プロ野球最長ブランク記録である。

2011年は開幕から不調が続き、7試合に先発して6敗と1勝もあげることが出来なかった。9月27日に右肩のクリーニング手術を受けた。10月9日に球団から戦力外通告を受けた[2]。12月2日、自由契約公示された。

横浜退団後[編集]

2013年1月、韓国の独立球団高陽ワンダーズの春季キャンプに臨時インストラクターとして参加。4月8日、野球の独立リーグ、BCリーグ富山サンダーバーズに入団することで合意したことが発表された[3]。オフの12月16日に古巣・ブルージェイズとマイナー契約を結んだことが発表された[4]

2014年、ブルージェイズのスプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月3日にマイナーに降格し[5]、22日に自由契約となった[6]。その後は独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュのスプリング・トレーニングに参加。2014年4月23日にブリッジポートと契約したことが発表される[7]。5月6日のヨーク・レボリューション戦で9回を3安打5奪三振と好投し、移籍後初完封勝利を挙げた[8]。シーズン終了までブリッジポートに所属し、26試合の先発で7勝12敗、防御率5.15、WHIP1.67の成績を残す。

プレースタイル[編集]

人物[編集]

メジャーやマイナーを転々としてきたが、メジャーでの成功・失敗について「よく成功とか失敗とか言われるが、じゃあ何が成功で、何が失敗なのか。僕はアメリカに来て野球が楽しいと思えるだけで、成功だと思うんです。僕らは見せてナンボの世界にいますから、成績を残せなければ失敗と言われるのも仕方がないと思うが、やりたいことをやるのが一番だと思います。先発でもリリーフでも、マイナーでもメジャーでも、野球をやれるだけで僕は十分、幸せなんです」と語っている[10]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1994 横浜 15 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 126 28.0 29 1 18 1 0 18 0 0 13 13 4.18 1.68
1995 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 44 9.1 3 0 13 0 0 6 0 0 2 2 1.93 1.71
1996 14 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 95 18.0 27 3 14 0 1 11 3 0 19 19 9.50 2.28
1998 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 2 0 2 0 0 1 0 0 2 2 9.00 2.00
1999 BOS 8 2 0 0 0 1 2 0 0 .333 65 13.0 21 2 6 0 0 8 0 0 12 9 6.23 2.08
2000 13 12 0 0 0 3 6 0 0 .333 297 69.1 70 7 26 0 2 40 3 0 25 24 3.12 1.38
2001 12 11 0 0 0 2 5 0 0 .286 241 52.1 69 7 19 0 2 37 1 1 40 36 6.19 1.68
MON
WSH
10 10 0 0 0 1 4 0 0 .200 228 54.2 65 8 10 0 1 31 1 0 30 29 4.77 1.37
'01計 22 21 0 0 0 3 9 0 0 .250 469 107.0 134 15 29 0 3 68 2 1 70 65 5.47 1.52
2002 32 31 2 0 1 13 8 0 0 .619 806 192.2 194 19 45 7 7 118 2 1 83 68 3.18 1.24
2003 34 34 2 0 1 10 12 0 0 .455 864 199.0 233 24 45 11 9 118 8 0 106 92 4.16 1.40
2004 15 15 0 0 0 3 7 0 0 .300 367 84.2 98 11 20 1 1 38 3 0 40 32 3.40 1.39
2005 10 9 0 0 0 4 3 0 0 .571 231 54.0 44 6 27 1 1 17 3 0 23 20 3.33 1.31
MIL 22 20 1 1 0 7 6 0 1 .538 543 126.1 145 16 28 4 2 81 5 0 65 61 4.35 1.37
'05計 32 29 1 1 0 11 9 0 1 .550 774 180.1 189 22 55 5 3 98 8 0 88 81 4.04 1.35
2006 18 18 0 0 0 4 5 0 0 .444 421 97.0 98 12 35 1 5 50 4 0 58 52 4.82 1.37
2007 TOR 10 10 0 0 0 2 5 0 0 .286 251 56.0 68 10 22 1 0 21 2 0 39 36 5.79 1.61
2009 CLE 18 6 0 0 0 1 5 0 0 .167 306 71.0 77 18 19 1 4 31 0 3 47 47 5.96 1.35
2010 横浜 22 22 1 0 0 7 9 0 0 .438 525 121.2 145 16 22 1 3 62 2 0 72 62 4.59 1.37
2011 7 7 0 0 0 0 6 0 0 .000 145 32.2 41 6 10 2 0 14 1 0 26 25 6.89 1.56
NPB:6年 63 33 1 0 0 8 17 0 0 .320 945 311.2 247 26 79 4 4 112 6 0 134 123 5.23 1.54
MLB:10年 202 178 5 1 2 51 68 0 1 .429 4620 1070.0 1182 140 302 26 30 559 32 2 521 459 4.14 1.39
  • 2011年度シーズン終了時
  • MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更

独立リーグでの成績[編集]











































W
H
I
P
2013 富山 21 7 7 0 2 .500 111.0 478 108 6 25 59 5 48 46 5 1 0 3.73 1.50
通算:1年 21 7 7 0 2 .500 111.0 478 108 6 25 59 5 48 46 5 1 0 3.73 1.50
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号[編集]

  • 56 (1994年 - 1998年)
  • 53 (1999年 - 2000年)
  • 18 (2001年 - 同年途中、2007年)
  • 24 (2001年途中 - 2003年)
  • 34 (2004年 - 2005年途中、2013年 - )
  • 55 (2005年途中 - 2006年)
  • 16 (2009年)
  • 44 (2010年 - 2011年)

関連情報[編集]

書籍[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/ohka/02.html
  2. ^ 2012年の選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
  3. ^ 大家友和投手入団内定のお知らせ”. BCリーグ (2013年4月8日). 2011年4月8日閲覧。
  4. ^ Blue Jays sign two MLB.com
  5. ^ 大家はマイナーへ「ナックル発展途上」日刊スポーツ、2014年3月3日。
  6. ^ 大家が自由契約「驚いていない」日刊スポーツ、2014年3月23日。
  7. ^ メジャー通算51勝 大家が米独立リーグ入り”. スポーツニッポン (2014年4月24日). 2014年4月24日閲覧。
  8. ^ 日本人選手情報:球速80kmの魔球ナックル、大家友和が独立リーグで完封勝利!”. J SPORTS (2014年5月9日). 2014年5月12日閲覧。
  9. ^ a b 橋本佳奈 (2013年5月8日). “大家、ナックルボールで再起 元大リーガー、BC富山に”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/sports/update/0508/TKY201305080449.html?ref=rss 2013年5月8日閲覧。 
  10. ^ 週間ベースボール 2009年29号、54頁、2009年、雑誌20441-7/6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]