大家友和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大家 友和
Tomokazu Ohka
クリーブランド・インディアンス #16
基本情報
国籍 日本
出身地 京都府京都市右京区
生年月日 1976年3月18日(33歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4cm
200 lb =約90.7kg
選手情報
投球・打席 右投両打
守備位置 投手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 NPB / 1994年4月27日
MLB / 1999年7月19日
経歴(括弧内は在籍年)

大家 友和(おおか ともかず、1976年3月18日 - )は、MLBクリーブランド・インディアンスに所属するプロ野球選手投手)。京都府京都市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

京都成章高等学校3年生のとき、夏の京都府大会で準優勝し、プロのスカウトの注目を浴びた。高校時代の同級生に現広島東洋カープの捕手の倉義和がいる。

1993年のドラフト横浜ベイスターズから3位指名され入団。

[編集] 日本時代

1994年、高卒ルーキーながら一軍入りを果たす。同年4月、中継ぎとして登板し、わずか3球で初勝利を挙げる。

1998年オフ、メジャーリーグ挑戦の希望を横浜に受け入れられ自由契約。同年12月、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。

[編集] メジャー時代

[編集] レッドソックス時代

1999年9月、メジャーに昇格し、同年10月のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーリーグ初勝利。2000年6月、3Aポータケットのシャーロット戦で完全試合を達成。

2001年、開幕をメジャーリーグで迎え、シーズン途中にモントリオール・エクスポズに移籍。

[編集] エクスポズ・ブルワーズ時代

2002年には13勝8敗という好成績をあげ、ローテーション投手として活躍。2003年も2桁勝利を記録した(10勝12敗)。

2004年カルロス・ベルトランのピッチャーライナーを腕に受けて骨折、シーズンの半分近くを棒に振っている。同年3月23日滋賀県草津市において、特定非営利法人(NPO法人)「Field of Dreams」を発足させた。

2005年、本拠地移転によりワシントン・ナショナルズとなったチームのローテーション投手として開幕から活躍し、監督のフランク・ロビンソンとの不仲が原因でシーズン途中にトレードによりミルウォーキー・ブルワーズに移籍。両チーム合わせて11勝9敗の好成績をあげた。

2006年は怪我により2か月あまり故障者リスト入りするなどにより4勝5敗、防御率4.82に終わった(通算48勝58敗、防御率4.04)。同年2月の前半二週間、毎日放送のラジオ番組『月極ラジオ』で、メインパーソナリティを担当した。

[編集] ブルージェイズ時代~現在

2007年1月、トロント・ブルージェイズと契約。年俸は150万ドル(約1億8,000万円)で、最高150万ドルの出来高払い。 同年4月29日、大リーグ通算50勝を達成。日本人選手では通算123勝の野茂英雄に次いで2人目の記録。しかし、6月7日、5敗目となり戦力外通告を受ける。6月19日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶが、7月4日、カージナルスとの契約が解除となり、フリーエージェントとなる。7月13日、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶが、8月5日にマリナーズから再び戦力外通告を受ける。

2008年2月22日、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。3Aのシャーロット・ナイツでプレーするが、メジャー昇格は出来なかった。同年12月6日、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約。

2009年5月28日、インディアンス傘下の3Aコロンバスから、約2年ぶりにメジャーに昇格。5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦に登板し、メジャー通算1000投球回、メジャー10シーズン目を達成。いずれも野茂英雄に次ぐ日本人投手歴代2位。

[編集] その他

  • 持ち球はストレート、ツーシーム、スプリット、スライダー、カーブ。
  • 2006年の年俸は453万ドル(約5億4,000万円)で、上原浩治(3億5,000万円)、松坂大輔(3億3,000万円)をはるかに上回る、日本人最高年俸投手であった(2007年は松坂大輔が600万ドルで日本人トップとなる)。
  • 2005年終了時のメジャー通算打率は.139。

[編集] エピソード

マイナーリーグ時代にシーズンオフ中、大学に通う選手が多いことに触発され、地元京都にある立命館大学の社会人入学試験を受験して合格。2003年からはシーズンオフを利用して、立命館大学経営学部に通っている。

高校2年生のとき、本屋でノーラン・ライアンの本「ピッチャーズ・バイブル」を購入し、それから徹底的にトレーニングに取り組んだ。その結果横浜から指名される選手に成長した(ちなみに当時の大家は、速球とカーブしか投げられず、しかも制球が悪かったらしい)。

先発登板するとき、しばしばマウンドでの投球練習の初球を狙ってバックネットにぶつけることがある。自分なりのリズムの作り方だと本人は言う。

1998年オフ、権藤博監督から「環境を変えたほうがいい」と打診された時、大家はメジャーリーグに挑戦したいという旨を伝えた。そして、権藤はその夢を後押しした。

広島のナックルボーラー・ジャレッド・フェルナンデスとは元チームメイトであり、友人でもある。

米国の人気アニメ「ザ・シンプソンズ」のシーズン14に名前だけ登場する。このアニメにおいては、モントリオール・エクスポズの選手として初めて、そして唯一の登場である。

不満や納得しない時は感情を表に出すことが多く、2005年6月4日の試合で4回途中で降板する時は、監督を侮辱するような態度を取ったとして、球団から罰金の処分を受け、翌日には「罰走」の意味を込めて、監督から代走で起用されることもあった。

[編集] 年度別成績

[編集] 日本








































W
H
I
P
1994 横浜 15 0 0 0 1 1 0 -- .500 28.0 29 1 18 0 18 0 0 13 13 4.18 1.68
1995 3 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9.1 3 0 13 0 6 0 0 2 2 1.93 1.71
1996 14 0 0 0 0 1 0 -- .000 18.0 27 3 14 1 11 3 0 19 19 9.50 2.28
1998 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 2.0 2 0 2 0 1 0 0 2 2 9.00 2.00
通算:4年 34 0 0 0 1 2 0 -- .333 57.1 61 4 47 1 36 3 0 36 36 5.65 1.88

[編集] メジャー

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています
年度 球団






















1999年 BOS 1 2 6.23 8 2 0 13.0 21 12 9 2 6 8
2000年 3 6 3.12 13 12 0 69.1 70 25 24 7 26 40
2001年 BOS→MON 3 9 5.48 22 21 0 107.0 134 70 65 15 29 68
2002年 MON 13 8 3.18 32 31 0 192.2 194 83 68 19 45 118
2003年 10 12 4.16 34 34 0 199.0 233 106 92 24 45 118
2004年 3 7 3.40 15 15 0 84.2 98 40 32 11 20 38
2005年 WAS→MIL 11 9 4.04 32 29 0 180.1 189 88 81 22 55 98
2006年 MIL 4 5 4.82 18 18 0 97.0 98 58 52 12 35 50
2007年 TOR 2 5 5.79 10 10 0 56.0 68 39 36 10 22 21
2009年 CLE 0 3 6.40 7 4 0 32.1 38 23 23 9 10 12
通算成績:10年 50 66 4.21 191 176 0 1031.1 1143 544 482 131 293 571

[編集] 関連項目

[編集] 関連書籍

[編集] 外部リンク

他の言語