イチロー

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イチロー (鈴木 一朗)
Ichiro Suzuki
シアトル・マリナーズ #51
Ichiro Cropped AL.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県西春日井郡豊山町
生年月日 1973年10月22日(38歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3cm
170 lb =約77.1kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 右翼手
プロ入り 1991年 ドラフト4位
初出場 NPB / 1992年7月11日
MLB / 2001年4月2日
年俸 $18,000,000[3](2011年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年2009年

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手外野手)である。

NPBMLBの双方で活躍し、MLBのシーズン最多安打記録など多数の記録を保持している。

夫人は元TBSアナウンサー福島弓子

アメリカ合衆国での愛称は「魔法使い(Wizard)」「安打製造機 (Hit Machine/Hitting Machine)」[1][2][3][4]

目次

[編集] 経歴

[編集] アマチュア時代

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小学校時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。エースで4番として活躍し、6年生の時に全国大会に出場。小学3年生の頃から、学校から帰ると父親と近くの公園で野球の練習に明け暮れた。学年が上がるにつれてそれだけでは満足できなくなり、町内にある空港バッティングセンターにほぼ毎日通い詰めていた。バッティングセンターに通いつめるあまり普通の球速では満足できなくなり、イチロー用のスプリングを作って、行く前に電話したという[要出典]。同センターにはイチロー専用8番打席が現在もある。なお、同時期に稲葉篤紀も同じバッティングセンターに通っていた。稲葉は「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」と話している。

豊山中学校では小学生時代の仲間と共に学校の野球部に所属。エースで中軸(主に3番)を打ち、中学3年の時に全日本少年軟式野球大会に出場し3位入賞を果たす。学校での成績も優秀で、学年では常にTOP10に入っていたという。地元・愛知の多くの強豪校から誘いが来たが、愛工大名電に進学する。

愛工大名電高校時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得。(ポジションは三塁手で打順は主に1番~3番) 2年夏の甲子園(左翼手として出場)、3年春の甲子園(投手として出場)と甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっている。高校時代の監督は中村豪松井秀喜とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者だった。3年間の高校通算打率は5割以上だという。 高校時代は投手だったが、交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投手から野手転向を余儀なくされる。投手としても有力な選手として当時から名前が挙がっていた。

1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。

[編集] 日本プロ野球

1992年 - 1993年
1992年7月11日の対福岡ダイエーホークス17回戦(平和台球場)で、左翼手・村上信一に代わって守備で「鈴木 一朗」として1軍初出場を果たした。翌日の対ダイエー戦で初スタメン出場し、木村恵二の放った直球を右翼へ打ち返してプロ初安打を記録した[5]。この年は打率.366でウエスタン・リーグの首位打者を獲得しながらも、土井正三小川亨などの1軍首脳陣から自身の打法を否定され、「足の速さを活かすように」と内野安打狙いの打撃方法や、1軍打撃コーチの山内一弘からダウンスイングによる内角打ちを指示されるが意見や指導が合わず[6]、シーズン終盤にスタメン起用される機会は増えたものの、一軍に定着することは無かった。同年のジュニアオールスターでは、同点の8回に有働克也から代打決勝本塁打を放ってMVPと賞金100万円を獲得するが、この賞金全額を神戸市の養護施設に寄付した(2軍選手でこのことをしたのはイチローが初)。
1992年と1993年でプレーしたウエスタン・リーグでは、2シーズンにまたがり46試合連続安打を記録(1シーズンでは30試合)[5]。1993年は打率.371を残したが規定打席に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった(1993年のウエスタン・リーグ首位打者の打率は.346)。同年オフにはハワイ・ウィンターリーグに派遣され、「ヒロ・スターズ」に所属して優勝し、ウィンター・リーグ初のMVPに選ばれた。カウアイのヴィディンハ・フィールドでは推定飛距離500フィート(152メートル)の本塁打を打ち、地元では「新幹線ホーマー」と呼ばれていた[7]
1993年4月10日の開幕戦は9番・中堅手としてスタメンに起用され、翌日の試合では1番打者を務める。その後は控えにまわり、6月12日の対大阪近鉄バファローズ戦(長岡市悠久山野球場)で再び1番・中堅手としてスタメン出場を果たす。同試合では野茂英雄からプロ初本塁打を放った[8]。以降も6月23日まではスタメン起用されるが、程なくして打法に関する監督の意向で2軍行きを命じられる。2軍生活を余儀なくされたイチローは、同年の秋に2軍打撃コーチの河村健一郎と二人三脚で、日本時代のイチローの代名詞ともなる「振り子打法」を作り上げた。
1994年
監督に招聘された仰木彬はイチローの類い稀な打撃センスを見抜くと即座に一軍に呼び、登録名を当初の「鈴木」から「イチロー」に変更させ、1軍の2番打者に抜擢。打法も同年から1軍打撃コーチとなった新井宏昌に理解され、レギュラーとして活躍。4月末から1番打者に定着し、5月から8月にかけて日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録した。9月11日には日本プロ野球タイ記録の1試合4二塁打を記録すると同時に、1950年に藤村富美男が作ったシーズン最多安打記録191本に並んだ。次の試合でシーズン最多安打記録を44年ぶりに更新し、同月の122試合目には日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打の偉業を達成した。最終的に安打数も210本(当時の日本プロ野球記録、2010年にマット・マートンが214本を記録したため、現在はパ・リーグ記録)まで延ばし、この活躍で安打数が話題となったため、連盟によって同年から「最多安打」が連盟表彰のタイトルとされた。打率では、プロ野球史上初の4割打者誕生はならなかったものの、130試合制のなかで124試合目終了時まで3割9分台(.3904)を堅持。最終的にはパシフィック・リーグ新記録となる打率.385(2000年に自ら記録を更新)を残して首位打者を獲得。そのほかにも最高出塁率ベストナインゴールデングラブ賞正力松太郎賞を獲得し、打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得した。
1995年
開幕前の1月17日に発生した阪神淡路大震災によって、本拠地の神戸市が壊滅的な被害を受けた。イチロー自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災するなど、この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートした。イチローは「震災からの復興を目指す神戸のシンボル」的存在として、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得し、「打者五冠王」に輝いた。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初(現在も唯一)のほか、全試合フル出場での首位打者は王貞治(1969年)に次ぐ史上2人目の快挙だった。本塁打はリーグ3位タイの25本で、この年に28本放って本塁打王を獲得した小久保裕紀とは3本差であり、日本プロ野球史上前例のない打撃タイトル独占(六冠王)にあと一歩だった。そのほか、リーグ2位の長打率や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18死球に加え、当時の日本プロ野球タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残し、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録。2年連続となるシーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞も受賞。チームは悲願のリーグ優勝を達成した。
1996年
開幕から前半戦まで1番打者として出場し、オールスターゲーム第1戦では初回先頭打者初球本塁打(オールスター史上3人目、パ・リーグ選手では史上初)を放った。第2戦では投手として登板し、セ・リーグの野村克也総監督が代打で送った高津臣吾を遊ゴロに打ち取っている。後半戦からは打順を変更され、3番に固定。前半戦までは打率が1度も.330を超えない状態が続いていたが、3番になってからは調子を上げて固め打ちが目立つようになり、8月にはプロ野球記録となる月間48安打(月間打率は.475)を記録した。最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、猛打賞を26回(達成当時、日本プロ野球記録。現在日本プロ野球歴代2位)、1試合4安打を8回記録(達成当時、日本プロ野球新記録。現在はパ・リーグ記録)。9月23日の対日本ハムファイターズ戦(グリーンスタジアム神戸)で、延長10回裏にオリックスのリーグ連覇を決めるサヨナラ二塁打を放ち、前年のリーグ優勝時に果たせなかった「神戸での胴上げ」を実現させた。日本シリーズでは、第1戦の延長10回に河野博文から決勝本塁打を放つなどの活躍を見せ、1977年以来19年ぶりの日本一に輝き、イチローは優秀選手賞を受賞したほか、3年連続となるシーズンMVPを手にした。3年連続シーズンMVPは日本プロ野球タイ記録で、山田久志に次いで史上2人目の快挙。
1997年
この年以降は主に3番打者として出場。6月に「209打席連続無三振」の日本プロ野球記録を樹立し、その後の対日本ハム戦で下柳剛から三振するまで、216打席連続無三振を記録した。三振の少なさは高校時代から知られており、高校3年時の三振は僅か3つである。
1998年
シーズン序盤から好調を維持し、91試合目には打率.396を記録した。最終的に打率.358でシーズンを終え、張本勲の4年連続を抜いて日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成。5年連続・通算5回目となる最多安打も記録した(連続回数、通算回数ともにパ・リーグ記録。5年連続は長嶋茂雄の6年連続に次いで歴代2位、通算5回は長嶋茂雄の10回、川上哲治の6回に次いで歴代3位)。
1999年
4月20日の対日本ハム戦で金村曉から本塁打を放ち、日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。7月6日の対西武ライオンズ戦で松坂大輔から通算100号本塁打を打った。前半戦を打率.370・19本塁打・60打点の成績で折り返し、1995年以来のペースで本塁打を量産していたが、8月24日の対日本ハム戦で下柳剛から右手に死球を受けて負傷、残りのシーズンを棒に振った。これにより、1994年の開幕戦から続けていた連続試合出場が、パ・リーグ歴代4位(現5位)の763でストップした。
2000年
開幕戦から4番に指名される。毎試合スタメン出場し、79試合目を終えた時点でも打率.401を残すなど高打率を維持。7月には通算10度目となる月間MVP(日本プロ野球記録)を受賞した。97試合目終了時点で打率.398を記録し、102試合目終了時まで3割9分台(.3923)を堅持するなど高打率を残していたが、8月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦で3回に三塁線へファウルボールを打った際に右脇腹を痛めて途中交代。再び残りシーズンを棒に振った。
10月12日、記者会見でポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦の意向を表明。翌日の神戸での本拠地最終戦で9回に守備固めとしての出場した(打席には立たなかった)が、前日の記者会見を聞いたファンの声援に応えるため、イチローは手を振って応え、ファン一人一人と別れの握手をした。最終的に、日本プロ野球歴代2位となるシーズン打率.387を記録し、張本勲と並ぶ通算7度目の首位打者(日本プロ野球記録)を獲得。6年連続となる最多敬遠(パ・リーグ記録)も記録。ほか、通算5度目となる最高出塁率、7年連続通算7度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞をそれぞれ獲得した。11月10日にシアトル・マリナーズが交渉権を獲得。19日に3年契約で合意し、28日に渡米。30日に3年総額1400万ドルで正式契約を結び、野手としては日本人初のメジャーリーガーとなった。メジャーリーグ移籍に関して本人は2000年に移籍と決めていたが、恩師である仰木彬に「もう1年だけ一緒にやろう」と引き留められ、断ることができずにチームに残ったという裏話がある。

[編集] メジャーリーグ

2001年
当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多かった。あるマリナーズの番記者は日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われた。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だったルー・ピネラも、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ得点は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった[9]。「51」という背番号をつけることになったときにも、当時のマリナーズでは「背番号51」はランディ・ジョンソン(1989 - 1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られてはいなかった。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは誰もいなくなった。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『シアトル・タイムズ』紙に、「お詫び」のコラムを掲載している[9]
4月2日のオークランド・アスレチックスとの開幕戦に、1番・右翼でスタメン出場。第4打席にセンター前へメジャー初安打を放ち、第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍でチームの勝利に貢献した。その後も順調にヒットを積み重ね、4月から5月にかけて2ヶ月連続でこの年から制定された月間新人MVPを受賞。オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得し、日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。オールスターでは先発が予定されていたカート・シリングが肩の張りを訴えたことに伴い急遽先発登板することになったランディ・ジョンソンと対戦。内野安打を放ち、盗塁も記録した。7月はキャリアを通じて自己ワーストとなる21打席連続無安打を喫し失速するが、翌月から復調し、8月28日には132試合目での200安打に到達。9月8日には1996年にアレックス・ロドリゲスが記録した球団最多安打記録の215安打を更新し、再び8月と9月の2ヶ月連続で月間新人MVPを受賞する活躍で、シーズン116勝(メジャータイ記録)でのチームの地区優勝に大きく貢献した。
この年、1930年ビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新(この年の両リーグ最多安打でもある)するとともに、メジャー史上初となるアメリカンリーグ新人王MVP首位打者盗塁王シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞の同時受賞を達成。首位打者と盗塁王を同時に獲得したのは1949年ジャッキー・ロビンソン以来52年ぶり通算6人目、新人でアメリカンリーグの打撃部門を制したのは1964年ミネソタ・ツインズトニー・オリバ以来。安打試合数の135試合はロジャース・ホーンスビーチャック・クラインウェイド・ボッグスデレク・ジーターら4人と並ぶメジャータイ記録で、192単打と692打数はアメリカンリーグ新人記録、打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには1975年フレッド・リンのみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、ビンス・コールマン(盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、マーク・マグワイア(本塁打王)以来6人目である。当時、イチローの安打数が200を超えたあたりからメディアでは「新人最多安打記録」が話題になったため、リーグ機構が1947年に制定したルーキー資格を基に過去の打撃記録を調べ直した結果、当初1927年ロイド・ウェイナーの「223安打」と思われていた新人安打数記録が1911年にジョー・ジャクソンが記録した「233安打」に訂正される事態も起きている。その他にもリーグ2位の127得点を残し、得点圏打率(.445)、2死得点圏打率(.460)、2死得点圏出塁率(.558)、走者ありでの打率(.420)は両リーグを通じて1位を記録した。
こうした活躍によって、当時の日本政府から国民栄誉賞授与を打診されたものの、イチローは辞退している。
2002年
5月は月間打率.404を残し、26日に打率と出塁率でリーグトップに躍り出た。6月18日のシンシナティ・レッズ戦では1999年2月にマリナーズのキャンプに参加して以来3年ぶりにケン・グリフィー・ジュニアと再会し、「やっぱり彼は僕にとってメジャーリーガーの象徴。メジャーに興味を持ったのも、彼の美しさ、スピードを見て感銘を受けたからなんです」と語った[10]。しかし8月から調子を落とし、9月22日のアナハイム・エンゼルス戦で2年連続の200安打を達成したが、チームも8月から失速し、監督のルー・ピネラはゲン担ぎとして試合前のメンバー表交換にイチローを登場させるなどしたが、地区3位に沈んだ。自身は最終的にリーグ4位の打率.321を残し、208安打を打つも最多安打にはあと1本及ばなかった。その他、投手から警戒されるようになりリーグ最多の27敬遠を記録したこともあり、四球は前年の30から68に倍増した。11月には日米野球に参加した。
2003年
4月は打率.243という低調なスタートを切ったが、5月から調子を上げ、16日にはメジャー通算500本安打を達成。オールスターのファン投票では新人から3年連続で両リーグ最多得票を獲得し、この年から新たに設けられた選手間投票でも最高の評価を受けて選出された。これは、ファン投票の連続最多得票は新人からという注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目の快挙であり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものにした。7月18日には自身メジャー初の満塁本塁打を放った。前年と同じく8月に失速し、9月20日に200安打に到達したものの、最終的にはリーグ7位の打率.312、同2位の212安打に終わった。チームも前年と同じく同時期に失速し、前年と同じ勝敗数でシーズンを終えた。オフには4年4400万ドルで契約延長した。
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2004年
スプリングトレーニングでメジャー4年間で最高となる打率.421を残して開幕を迎える。前年と同じく4月は打率.255と低調なスタートとなったが、5月には調子を上げ、自身2度目の月間50安打を記録し、21日に日米通算2000安打を達成。6月にやや調子を落とし、オールスターのファン投票中間発表では松井秀喜が3位、自身は4位だったが、最終発表で逆転し4年連続のオールスター先発出場を果たした。7月は29日に1試合5安打を記録するなど再び調子を上げて51安打を放ち、ジョー・メドウィック以来68年ぶりとなるシーズン2度の月間50本安打を達成。8月3日には首位打者に浮上した。26日にはメジャー史上初となるデビューから4年連続200安打記録を本塁打で自己最速にて達成し、31日に球団記録であるアレックス・ロドリゲスの月間54本安打を更新し、68年ぶりにロイ・ウェザリーの月間56安打のタイ記録に並んだ(タイ・カッブの月間67安打には届かなかった)。正式な記録ではないが、7月18日から8月17日の間にヒットを67本打っている(この間の打率は.508)。通算4度の月間50本安打はピート・ローズに並び(メジャー記録はジョージ・シスラーの10度)、他にもシーズン3度の月間50本安打の記録を更新。9月30日にはビル・テリーの連続4シーズン918本安打も更新。10月1日のテキサス・レンジャーズ戦では、84年間破られることのなかったジョージ・シスラーのメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を更新した。
最終的にチームは12年ぶりの地区最下位に沈んだが、自身はシスラーの記録を5本上回る262安打でシーズン最多安打記録を更新。同時に打率.372を残し、メジャーでは3年ぶり2度目の首位打者にも輝いたほか、得点圏打率(.372)、得点圏出塁率(.484)、2死得点圏打率(.472)、2死得点圏出塁率(.600)、走者あり打率(.364)、走者あり出塁率(.439)、対左投手打率(.404)、敬遠数(19)、出塁数(315)でもリーグ1位を記録。出塁率(.414)、盗塁数(36)などではリーグ2位を記録した。シスラーの記録は年間154試合制での記録で、イチローは160試合目での記録到達であったため[11]、米国内では少なからず疑問視する見方もあったものの[12]、この記録は内外で高い評価を受け、アメリカでは多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載され、『USAトゥデイ』紙にもバリー・ボンズが700号ホームランを打った時以来の全面広告でメジャーリーグ機構が祝福の意を表した。史上8人目となるコミッショナー特別表彰を受け、アメリカ野球殿堂には特別ブースが用意された。日本からは正力松太郎賞特別賞が授与された。その際「打撃の神様」の愛称で知られる川上哲治、「精神的にも技術的にも、『野球の神様』と言えば彼じゃないかと思う」と賛辞を送られている。2001年以来2度目の国民栄誉賞の授与も打診され(2度とも辞退)、アジアの国々や野球に関心の薄いイギリスでも異例の取り扱いで新聞等のメディアがその記録達成を伝えた[13]
2005年
4月は打率.356と好調なスタートを切ったが、一方で例年調子の良い5月に調子を落とす。6月14日には1933年のチャック・クライン(683試合)、1932年のロイド・ウェイナー(686試合)に次いで1900年以降3番目のスピード記録となる696試合目でのメジャー通算1000安打を達成したが、メジャー5年目で最低となる打率.311で前半戦を終了。オールスターではファン投票4位となり、初めて選手間投票での選出となった。翌年のワールド・ベースボール・クラシック開催を記念して、各国から選出された打者によって争われることとなったオールスター前日のホームランダービーの出場も打診されたが、こちらは辞退した。前年の活躍によって打率4割達成も期待されたシーズンであったが、最終的にはメジャーでの自己最多となるシーズン15本塁打・12三塁打を記録した一方で、自己ワーストの打率.303と206安打に終わり、チームも2年連続の地区最下位に沈んだ。
5年連続100得点30盗塁は6年連続のジョー・モーガン、タイ記録のリッキー・ヘンダーソンに次いで3人目(19世紀の記録を入れるとビリー・ハミルトンの10年連続が最高)。5度の200安打100得点30盗塁はタイ・カッブ以来89年ぶり、連続記録としては史上初。チャック・クラインの連続5シーズン通算1118安打を抜いた。
2006年
5月にメジャー通算200盗塁を、その翌日には日米通算400盗塁を達成した。6月にはキャリア1808試合目で日米通算2500本安打を達成。近代野球では最速となるアル・シモンズの1786試合、タイ・カッブの1792試合にはわずかに及ばなかった。オールスターファン投票では3位でオールスターに選出。会見では6年以上連続選出がアレックス・ロドリゲスとマニー・ラミレスだけであったことについて、「残りのひとりになりたいと思う。それは大いにある目標です」と語った[14]。7月26日には戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を更新。8月16日にロジャース・ホーンスビーが持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはメジャー通算400マルチヒットを928試合目で達成。これは6年目ではメジャー最速。9月には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーの連続6シーズン通算1313本安打を抜いた。9月7日に日米通算800マルチヒットも達成。9日にはジョージ・シスラーが持つ6シーズン最多安打1317本安打を超え、一週間後となった16日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー史上3人目となる6年連続200安打を達成した。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録した。
最終的に2年ぶりのリーグ最多安打とリーグ6位の打率.322を記録したが、8月には自己ワーストとなる月間打率.233の不振に陥り、「あんなに野球が難しいのか、こんなにしんどいのかと何度も思った」と振り返った[14]。連続盗塁成功は39まで伸ばしたが、ビンス・コールマンのシーズン記録44連続盗塁成功には及ばなかった。その他、メジャー通算100敬遠と日米通算200敬遠も達成し、この年から創立されたセイバーメトリクスの専門家により選出されるフィールディング・バイブル・アワード右翼手部門にも選出された。
2007年
5月3日に41連続盗塁成功を達成して、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新(従来の記録は、ティム・レインズの40)。5月16日にリーグ記録を45まで伸ばす。5月18日のエンゼルス戦、7回裏に先頭打者のイチローが安打で出塁。この場面でベンチからヒットエンドランのサインが出て、イチローはヒットエンドランのタイミングでスタートを切るが、2番打者のホセ・ビドロがサインを見落として投球を見送り、ヒットエンドランに失敗。これが盗塁死扱いになって連続盗塁成功記録は「45」でストップし、ビンス・コールマンの連続盗塁成功50のメジャー記録更新は目前で逸した。7月5日には56試合中53試合目となる安打を放ってジョージ・シスラーやタイ・カッブに並ぶも、56試合中56試合に安打を放ったジョー・ディマジオや56試合中54試合に安打を放ったデレク・ジーターには及ばなかった。7月8日、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続7シーズン通算1479本安打を抜いた。
7月11日、7年連続で出場したオールスターゲームにおいてクリス・ヤングからオールスター史上初のランニングホームランを放った。同試合ではこのランニングホームランを含む3打数3安打2打点を記録し、オールスターMVPを受賞した。7月17日には1901年以降最多となるビル・テリーが持つ連続7シーズン最多安打1487本安打を超え、29日にはアル・シモンズ(1040試合)、ジョージ・シスラー(1048試合)に次ぐ近代野球では3番目のスピード記録となる1060試合目でのメジャー通算1500安打を達成。8月17日に19世紀以降最多となるジェシー・バーケットが持つ連続7シーズン最多安打1526本安打を超え、9月3日のニューヨーク・ヤンキース戦ではロジャー・クレメンスから本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。
シーズン終了を待たず、7月には5年9000万ドルで契約を延長。最終的にマグリオ・オルドニェスとの首位打者争いには敗れたものの、リーグ2位の打率.351と同1位の238安打を記録し、メジャー初となる3度目の230安打以上を達成。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、リーグ1位の二死得点圏打率.431、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮し、2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。中堅手としてゴールドグラブ賞も受賞し、アンドレ・ドーソン以来となるシーズン途中のコンバートなしでの右翼手と中堅手両方での受賞となり、この年にゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時に受賞した選手は、アメリカンリーグではイチローとプラシド・ポランコのみだった。
2008年
スプリングトレーニングで26打席連続無安打を喫して開幕を迎え、5月終了時点でも打率.284とメジャー8年目で初めて打率3割未満で6月を迎えた。6月7日に戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続8シーズン通算1666安打を抜いた。6月11日にメジャー通算300盗塁を達成し、5日後に日米通算500盗塁を達成。21日には1901年以降最多となるポール・ウェイナーが持つ連続8シーズン最多1680安打を超え、7月27日には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーが持つ連続8シーズン最多安打1719本安打を超えた。30日のテキサス・レンジャーズ戦ではルイス・メンドーサからレフト前に安打を放ち、日本人選手では張本勲以来2人目となる日米通算3000本安打を達成。2175試合目に達成したため、2135試合で達成したタイ・カッブには及ばなかった。
9月17日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で遊撃手への内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。9月26日のオークランド・アスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200本安打100得点を8回記録したのはルー・ゲーリック以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了し、メジャータイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。
2009年
2009 ワールド・ベースボール・クラシックに出場し、打撃不振に苦しむも、決勝戦の延長で韓国代表・林昌勇から値千金の決勝打を放ち、日本代表の連覇に大きく貢献した。大会終了後はマリナーズに合流してプレシーズンゲームに数試合に出場したが、極度の疲労により体調を崩し、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の潰瘍が認められ、自身初の故障者リスト入りとなった[15]
打席に立つイチロー
2009年6月10日の試合にて。
自身開幕戦となった4月15日のロサンゼルス・エンゼルス戦で張本勲と並ぶ生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000打点も達成した。当日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」だったこともあり、この日だけは背番号を42に変更して出場した(なお、当日はイチローに限らず、選手や監督、コーチも背番号を42に変更して出場している)。翌16日には3086安打目をライト前に放ち、記録を更新。5月にはメジャータイ記録に残り1と迫る通算7度目の20試合以上連続安打。6月3日には自身の持つ球団記録を塗り替える27試合連続安打を記録し、メジャー9年間で最高となる打率.362で前半戦を終了。オールスターにも9年連続の選出を果たした。
7月28日のトロント・ブルージェイズ戦では3対3の同点で迎えた9回、2アウト満塁の場面でスコット・ダウンズから自身メジャー初となるサヨナラ打を記録。9月6日、アル・シモンズの1390試合に次いで近代野球史上では2番目の速さとなる1402試合目でのメジャー通算2000本安打を達成。12日のテキサス・レンジャーズ戦では日米通算200号本塁打を達成し、翌13日にはメジャー史上初となる9年連続200本安打を達成。17日のシカゴ・ホワイトソックス戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録した。さらに翌18日のニューヨーク・ヤンキース戦にて1−2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面でマリアノ・リベラから自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録した(シーズン3度のサヨナラ打、2試合連続のサヨナラ打、逆転サヨナラ本塁打は全て日本人メジャーリーガー初)。26日のトロント・ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、デビッド・パーシーが投じた2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議し、日米通じて自身初の退場処分を受けるなど、本人にとって「初」ずくめの年となった。
4月から10月まですべての月で月間打率3割以上を記録し、昨年の8月から続いていた2試合連続無安打なし記録を9月下旬まで継続。併殺打の数も出場1試合目に記録した1のみに留めるなど、シーズンを通して抜群の安定感を見せた。同シーズンはジョー・マウアーと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.352と、メジャー史上初となる4年連続最多安打を記録。また、メジャー移籍後では自己最高の長打率を残した。自身3度目の最多敬遠も記録し、2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞した。シーズンを通じての「100得点」「30盗塁」の連続記録は途絶えたが、「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」については9年連続と伸ばした。
2010年
6月5日のロサンゼルス・エンゼルス戦にて、フランクリン・グティエレスの内野ゴロで本塁に生還し、メジャー通算1000得点を達成した。9月18日、日本プロ野球選手経験者として史上初となる日米通算3500安打を記録。偶然にもこの安打はメジャー2222本目のぞろ目でもあった。23日には10年連続200本安打を達成した。通算での200本安打10回はピート・ローズと並ぶ大リーグ史上2人目であるが、10年連続は史上初の記録である。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について10年連続と伸ばした。また前年に途切れた30盗塁は、42盗塁を残して再び達成した。
2011年
4月2日のオークランド・アスレチックス戦、自身のメジャーデビューからちょうど10年となったこの試合で、エドガー・マルティネスの持つ球団最多安打記録を更新するメジャー通算2248安打を達成[16]。4月としてはメジャー自己4番目に高い月間打率.328とともに39安打10盗塁を記録するなど快調な滑り出しを見せた。しかしこれまで最も相性の良かった5月は一転して極度の不振が続き、メジャーデビュー以降全ての月で最低となる月間打率.210を記録。6月15日のエンゼルス戦でメジャー通算400盗塁および日米通算600盗塁を記録し、シーズンを通しては自身初となる2年連続40盗塁を達成。37歳ながら走塁による貢献値を示すEQBRRはメジャー全体で3位の8.9を記録した。また、9月8日のロイヤルズ戦ではメジャー通算36本目の初回先頭打者本塁打を放ったことでボビー・ボンズを上回る歴代6位となり、日米通算では44本目となって福本豊を上回る日本選手最多記録となった。
しかし結局5月以降は一度も月間打率3割を記録出来ないまま、打率.272・184安打でシーズンを終了。メジャー移籍後10年連続で達成してきた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」が途切れた(なかでも「打率3割」と「オールスター出場」に関しては、日米通算ではレギュラーの座を確保した1994年以降17年連続で達成していた)。守備でも最終的にDRSではなんとかプラスに留めたものの、UZRではデータ公開が始まった2002年以降初めてマイナスの数値を記録(ただし、UZRは最低3年モニターしなければ正確な評価は出ないとされる)[17]。この年から各ポジション別に選ばれた最終候補3人の中から受賞者が決定となるよう方式が変更されたゴールドグラブ賞選考では、最終候補にも名が挙がることはなく、他の記録と同様に10年連続(日米通算では1994年以降17年連続)で途切れてしまった。
こうした極度の不振により、各メディアからは「年齢による力の衰え」[18]と指摘され、「今季は期待外れに終わった」とする声も聞かれる[19]不本意なシーズンとなった。不振の要因として、「スピードの衰え」や「視力の低下」、「不運」などが囁かれ[20]、「一塁に到達するまでのスピードが平均3.9秒になった」とする[21](前年の平均も3.92秒)[22]声や、「右方向へのゴロが多く、内野安打を稼ぎやすい左方向への打球が少なかった」[23]、「好守によって阻まれたヒットが多い」[24]、「ボール球に手を出す確率が高くなった」などという声が挙がった[25]

[編集] WBC

WBC日本代表でのイチロー
第1回WBC
オリンピックはあくまでもアマチュアのための大会。自分はプロ」という考えで[26]オリンピックなどへの参加を断り続けていたが、2006年に初開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックにはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加。1次リーグこそ本調子でなかったものの、2次リーグ、準決勝、決勝と試合が進むごとに調子を上げ、アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録。マリナーズでは考えられない感情・闘志むき出しのプレイを見せ、疑惑の判定で敗れたアメリカ戦の後には、決起集会を開いてチームを鼓舞するなど[27]、日本チームを牽引。決勝のvsキューバ戦では、中押しのきっかけとなる二塁打と、1点差に詰め寄られた後に突き放すタイムリーヒットを放った。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録し、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門のベストナインに選ばれている。
第2回WBC
この大会では、開幕前の練習試合から全く安打が出ず、開幕後も打率.200前後という絶不調の状態に陥り、マスコミなどからはバッシングも受け、"国民の心配事"とまでささやかれた。それでも監督の原辰徳は全試合でイチローを1番に起用し続け、最終的にイチローもそれに応える。決勝の韓国戦で、6打数4安打、延長10回に決勝の2点タイムリーを放つ大活躍。大会全体では打率.273(44打数12安打)ながらも最後の最後で日本の連覇に大きく貢献。その後のトロフィー授与式や祝勝会では、普段クールなイチローも笑顔を絶やすことはなかった。

[編集] 選手としての特徴

[編集] 打撃

イチローの5号本塁打
2005年6月17日のニューヨーク・メッツとの試合にて。投手は石井一久

メジャーではほとんどの試合で1番打者を務めており、リーグを代表するリードオフマンの1人として知られる。2001年から2010年までの平均では224本、初めて200安打が途切れた2011年までの平均でも220安打を放ち、ハイペースで安打を量産している。歴代シーズン最多単打記録を保持しているなど、安打の内容は単打の割合が高い。日本時代は後期にクリーンナップを務めていたこともあって長打を打つことも多かったが、メジャー移籍後はより単打の多いバッティングスタイルになっている。

現役メジャーリーガーとしては小柄で、本塁打数も歴代シルバースラッガー賞受賞者の中では最も少ない部類に入る。本塁打に関しては、打てないというわけではなく、前マリナーズ監督のボブ・メルビンがケーブルテレビ局『ESPN』に「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(ホームランを)打っているよ」と語っているように、ウェイド・ボッグスと同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われる[28]。コラムニスト・木本大志は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打った時では軸の位置に違いがあることを言及している[29]。イチロー自身も『ニューヨーク・タイムズ』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになった事は一度もない」と語っており[30]、別のインタビューでは「正確に言うと、狙って打つものというよりも、僕の場合は狙わないと打てないって方が当たってるんですよね。なかなかヒットの延長でスタンドまでオーバーフェンスするっていうのは、僕の力ではむずかしいですよ」「ホームランバッターっていうのは、ヒットの延長がそのままスタンドに入ることもありうると思うんですけど、僕の場合はほとんどないんですよね。そういう意味です」とも語っており[31]、本塁打は意図的に打っていることを示唆している。日本時代に当時130試合制の1シーズンで25本塁打、メジャー時代に1シーズンで15本塁打を放ったこともあり、日本人選手の中では松井秀喜に次ぐメジャー通算長打率を残してもいる。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりに語った[32]

バッティングスタイルは、変化球を狙い、直球を“詰まりながら”内野と外野の間に落とす。または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいくという[33]。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるような内野ゴロが安打になることが多い。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でかつスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、本塁から一塁への到達時間が3.9~3.7秒と非常に短く[34][35]、バント安打の際には3.46秒を記録したこともあり[22]、2001年と2010年を比較して0.1秒ほど平均速度は遅くなっているものの[22]、2010年時点でも平均3.92秒[22]、バント安打で3.56秒を記録するスピードを誇る[22]。また、視力は0.4前後と良くはないもののコンタクトレンズは使用しておらず、ボールを点や線でなく立体的にとらえているという[36]

2001年のメジャーデビュー当初、当時マリナーズのチームメイトであったジョン・オルルドは、イチローの打撃について5通りの打ち方をすると評している。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりながら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)であるという[37]

四球を望まず積極的に打ちにいくタイプで[38]三振・四球ともに少ない。2000年5月13日の対ロッテ戦では、1回裏の打席で後藤利幸の投じたワンバウンドの悪球を打ちにいき、ライトに運んでヒットにしている[39]。2005年はシーズン最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろジョー・ディマジオの持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示した[40]。対して本人はインタビューでの『打率4割とメジャー最長記録である56試合連続安打、どちらのほうが達成は難しいか』という問いで、56試合連続安打のほうを選んでいる[41]

1軍に定着した日本時代の1994年シーズンからメジャー移籍後の2010年シーズンまで、17年連続で打率3割以上を記録し続け、その間に首位打者を9度獲得。さらにメジャーでの通算打率も現役選手中2位の高打率を記録しているが、本人は「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視している[42]。2002年に行われたインタビューでも、「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている[43]。また、日米合わせて12回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である(メジャーでの最多安打を逃した2002年・2003年・2005年シーズンはすべてリーグ2位。不振に苦しんだ2011年に初めて9位に終わった)。

リードオフマンを務めていることから、「塁に出るのが仕事」と述べており[44]、メジャーに移籍して以降は故障などで戦線離脱することがほとんどない。故障者リストに入ったのは2009年開幕時の1度のみであり、毎年平均で約159試合に出場して出塁数を積み重ねている。メジャー通算2748出塁は、自身がデビューした2001年以降では両リーグ2位・アメリカンリーグ1位の数字であり、リードオフマンの打者としては2位以下を大きく引き離して断トツの1位である(2010年シーズン終了時点)。

イチローの動作
2005年、タンパベイ・デビルレイズとの試合にて。

打席に入ると、背筋を伸ばして後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、必ず行う。この動作は1996年シーズンの後半から行うようになり、それまでは左手を右上腕部に添える動作がなく、代わりにバットをぐるぐると回していた。バットを回す動作は、イチローが子供の時に憧れてモノマネを得意としていたていたという田尾安志と酷似している。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があるとも言われている[45]。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称される[46]。バッティングフォームはメジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、振り子打法と呼ばれるハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、止めどなく変化を続けているが、フォームの変更については「言っておきたいのはフォームを変えたのではなく、変わったのだということです。変えるのと変わるのでは全然違うと思います」と語っている[47]。2004年6月24日の夜に行ったフォーム改造では「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っている[48](この時、なにかが降りてきたかのようにフォーム改造を思いついたことから、一部で「シスラーが憑依した」とも言われた)。このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っている。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えている。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えた。下半身は、やや内股気味に小さく両足を開いて構える。

得点圏に強く、日本時代の通算得点圏打率が.365[5]、メジャー時代の通算得点圏打率が.333という数字を残している。シーズンでは、日本時代に1996年から1998年までリーグ1位、1994年・1995年・2000年でリーグ2位を記録している。メジャー移籍後は2001年と2004年にリーグ1位、2007年にリーグ2位を記録している。こうした得点圏での強さから敬遠四球の数が多く、日米通算で266個を記録しており、日本では6年連続6度・メジャーでは3度の最多敬遠を記録している。満塁にも強く、日本では通算満塁打率.363を記録しており[5]、メジャーでは通算満塁打率.409(115打数47安打)を誇っている。満塁本塁打率も高く、日本時代の14.7本に1本の割合(118本中8本)は通算満塁本塁打が7本以上の選手の中では日本プロ野球歴代1位であり、駒田徳広と並ぶ6年連続満塁本塁打の日本プロ野球記録も持っている。メジャー移籍後は満塁本塁打を4本放っており、満塁では長打率が上がる傾向にある。

高い得点圏打率を記録しているものの、打順の関係や敬遠四球の多さから得点圏での打数自体が少なく、本塁打の数が長距離打者ほど多くないことも相まって、シーズン100打点以上を記録したことは1度もない。日本時代の1995年には打点王を獲得しているが、得点圏打数はわずかに92であった。1999年も100打数にすら到達しておらず、メジャーで159試合出場した2003年も105打数に終わっている。他の年はほとんど120打数前後である。1997年のみ他の年と比べて得点圏打数が突出しており(166打数)、この年は91打点を記録した。メジャー移籍後の2001年には、ほとんどの試合で1番打者として出場し本塁打が1桁ながら、69打点をマークしている。2005年と2007年には1番打者で68打点(1番打者としてのシーズン打点数ではマリナーズの球団記録)を稼いだ。打点に関しては本人は重視しておらず、2009年に日米通算1000打点を達成した際、「打点のことは全く頭になかったですね」と口にしている[49]。また、このような勝負強さから、メジャー移籍後の2002年に3番打者を数試合任されたこともあった。この間の打率は.571と打ち込んだが、本人は「僕が3番を打つということは、チーム状態が良くないという証。良いことではない」と述べている[50]

左打者ながら左投手を得意にしており、日本時代の対左投手通算打率が.371[5]、メジャー時代の対左投手通算打率が.335で、それぞれ自身の通算打率を上回っている。特に2004年シーズンは対左打率.404を記録した。

[編集] 守備

守備に就くイチロー
2001年7月8日のロサンゼルス・ドジャースとの試合にて。

強肩で知られ、2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった[51]。1998年に行われたオールスターゲームの遠投競争では、ナゴヤドームのセンターフェンス手前からバックネット近くの城島健司まで推定130mの遠投を披露している。加えて送球のコントロールも良いため、ブラディミール・ゲレーロの送球が「バズーカ」などと呼ばれていたのに対してイチローの送球は「レーザービーム」と称されている。

前述の「レーザービーム」は、2001年4月11日の対オークランド・アスレチックス戦で、ライト前ヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことに所以する。この補殺がイチローのメジャー最初の補殺でもあり、正確無比な強肩を相手に強く印象付けるプレーとなった。なお、日本では「レーザービーム」という表現が定着しているが、アメリカにおいては特段そのように呼ばれる事はない。インパクトのある送球を全般的に"the Throw" と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている[52]

捕球にも優れており、日本ではゴールデングラブ賞を1994年から2000年まで7年連続、メジャーではゴールドグラブ賞を2001年から2010年まで10年連続、日米通算で17年連続で受賞している。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりする。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と守備範囲の広さから、機密性が高く警備が非常に厳重であるネバダ州の米軍軍事施設(一時期、宇宙人やUFOの研究をしているとも噂されていた)に掛けて、「エリア51」と呼ばれている。

2005年5月2日の対ロサンゼルス・エンゼルス戦の7回表で、ギャレット・アンダーソンが打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチした。スパイダーマンのように壁を駆け上がって捕ったとアメリカメディアが報道したため[53]、「スパイダーマンキャッチ」と称された。

高校時代は投手をしていたが登板のない時などは外野手も務めており、夏の甲子園に出場した際には左翼を守っている。プロ入り後、210安打を放った1994年からは本西厚博(のちに谷佳知)、田口壮とともに当時日本一と言われたオリックス外野陣の一翼を担った。日本時代は主に右翼手を務めたものの、中堅手を任されることも多々あり、一つのポジションに定着することはなかった(1998年は左翼手で20試合以上スタメン出場している。オールスターゲーム日米野球戦でも左翼を守ることがあった)が、1999年シーズン以降は右翼手に固定された。メジャー移籍後はほとんどの試合で右翼を守っており、2006年シーズン途中から2008年シーズン途中まではコンバートによって中堅手を務めた。また、休養時などにDHとして出場することがある。

守備力の高さは数字にも表れており、DRSUZRなど守備指標の各数値は毎年リーグ上位に位置し続け、セイバーメトリクス識者によるフィールディング・バイブル・アワードにも2006年の創始以来、外野手ではカール・クロフォードと並び最多の3回選出されている。打撃と同じく守備でも積極的な傾向が見られ、メジャー10年のキャリアで右翼手リーグトップの刺殺数を7回、中堅手リーグトップの刺殺数を1回記録している。俊足で守備範囲も広いため、本来なら他のポジションの捕球するような打球を、自ら捕りに行く姿がしばしば見られる。2007年の試合では、左翼定位置への犠牲フライを中堅から走ってきて捕球し、そのまま本塁へ送球したことがある。また2009年の試合では、1点リード9回2アウト満塁の場面からの、一塁側フェンス際へのファウルフライを、右翼から走ってきてスライディングキャッチし、試合を終了させたこともある。

守備機会の多さの割りに守備率も高く、2001年から2003年まで3年連続で右翼手リーグトップの守備率をマーク。中堅手としてプレーした2007年は刺殺数が400を超えながら失策数を1に留め、それまでマリナーズの球団記録だった1992年ケン・グリフィー・ジュニアの.997を抜く、シーズン守備率.998(のちにフランクリン・グティエレスが更新)を記録している。しかし近年は守備率が低下しており、2008年から2011年まで連続して9割9分を下回っている。ただ、失策に関しては捕手が関わっているものもいくつかあり、2008年の試合では、イチローの送球をジェイミー・バーク捕手が後逸し、イチローに失策がついた。これに対して本人は「あれって僕のエラーなんですかね?」と疑問を口にしている[54][55]

[編集] 走塁

三塁を駆け抜けるイチロー
2007年9月22日のロサンゼルス・エンゼルスとの試合にて。

1995年と2001年に盗塁王のタイトルを獲得し、メジャーではほぼ毎年30盗塁以上を記録している。盗塁は成功率を重視し、盗塁数を増やすことはそれほど重視していないとコメントしており、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁するスタイルをとっている。盗塁数に関しては、年間30から40の間が理想だともコメントしており[56]、2008年シーズンは70試合の時点で30盗塁を稼ぐなど[57]一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台に終わっている。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられている[58]

メジャー移籍後は30盗塁をノルマのひとつとし[59]、2001年から2008年まで毎年盗塁数でリーグ5位以内に入っていた[60]。2009年シーズン中盤に左ふくらはぎを痛め8試合欠場して以降は盗塁企図が減り、メジャー移籍後では初めて30以下に終わったものの、翌2010年と2011年には再び40盗塁以上・5位以内を記録し、自身初の2年連続40盗塁を達成した。盗塁の成功率は高く、日本時代に通算199盗塁で.858、メジャーで通算423盗塁で.817の記録を残している。シーズン記録では、日本時代に30盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(1996年、1997年)、メジャー時代に40盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(2006年、2008年)達成している。特に2006年シーズンは45盗塁を記録しながら盗塁死を2に留め、.9574という数字をマークしている[61]。また、「シーズン連続盗塁成功」と「シーズンをまたいでの連続盗塁成功」両方のアメリカンリーグ記録保持者でもある。

「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており[62]、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」ことなどを挙げている[63]

怪我のリスクを最小限に抑える目的から、ヘッドスライディングはほとんどしない。一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、これを行った福岡ソフトバンクホークス川崎宗則に対して苦言を呈し、話題になった[64][65]。盗塁や進塁の際、アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングから急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度なフェイントを見せることがある。2005年5月15日のボストン・レッドソックスとの試合では、本塁突入の際ホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた捕手ダグ・ミラベリの背中を飛び越そうとするプレーを見せた。

[編集] 評価

試合に臨むイチロー
2008年、アトランタ・ブレーブスとの試合前にて。
リードをとるイチロー

アメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップに輝いた[66]。2006年の投票では、「最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、「最も俊足のベースランナー」で3位に選出された[67]。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、「最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価を受けている[68]。2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価を受けている[69]

監督によるアメリカンリーグBest tools評価[70]

年度 best hitter best bunter best hit-and-run artist fastest baserunner best baserunner best outfield arm best defensive outfielder most exciting player
2001 第2位 第3位 - 第1位 第1位 第1位 第3位 第1位
2002 第1位 第1位 - 第1位 第1位 第1位 第2位 第1位
2003 第1位 第1位 - 第1位 第1位 第1位 第1位 第1位
2004 - 第2位 - 第2位 第1位 第2位 第1位 第2位
2005 第3位 第2位 - - 第1位 第1位 第1位 第3位
2006 第2位 第2位 - 第3位 第2位 第1位 第1位 第1位
2007 第1位 第1位 - 第2位 第1位 第1位 第1位 第1位
2008 - 第1位 - 第2位 第1位 第1位 第1位 第3位
2009 第2位 第1位 - 第2位 第3位 第1位 第2位 第2位
2010 - 第1位 第3位 第2位 第1位 第1位 第1位 第3位
2011 - - - - - 第3位 - -

スポーツ・イラストレイテッド』誌では、「イチローを首位打者候補に予想しないのは、タイガー・ウッズを優勝候補から外すのと同じ」と評した。また、同誌は2005年のMLB特集記事において、イチローを「理想の1番打者」と評している[71]。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表し、姚明NBAヒューストン・ロケッツ)や野茂英雄らを抑えてイチローを1位に選出した[72]第1回WBC終了時には、米スポーツ専門ケーブル局『ESPN』のコラムニストがイチローを絶賛し、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と評し、将来の殿堂入りについても言及した[73]MLB公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載し、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付けた[74][75]

米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」と評価する声もある[76]。地元シアトルでは非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている[77]2007年には、ESPNが行った「マリナーズの顔は誰?」というアンケートで、投票総数3万4166票中96%の票を集めて1位に選ばれた[78]。同年のシアトルの地元紙が企画したファン投票では、地元選手の人気第1位に輝いた。2005年にスーパーボウル進出を果たしたNFLチーム、シアトル・シーホークスでリーグMVPに輝いたRBショーン・アレキサンダーをも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという[79]。また、同年にESPNがウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、デレク・ジーターニューヨーク・ヤンキース)を抑えてトップに立った[80]。さらに、米国のスポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、米大リーグ488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された[81]。翌2008年には、米4大ネットワークのひとつ、FOXが各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出し、三塁手のアレックス・ロドリゲス(ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手のブラディミール・ゲレーロロサンゼルス・エンゼルス)らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利なセーフコフィールドを本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した[82]。同年1月にマリナーズの公式サイトが発表した「チームの歴代ベストナイン」では、右翼手で選出された[83]。2007年のオールスターゲームでMVPを獲得した際には、ニューヨーク・タイムズなどの米主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」、「歴史をつくった」と賛辞を送った[84]。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子テニスのウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた[85]。 通算3,141安打のトニー・グウィンは、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった。」と高く評価し、7年連続200安打の記録を持つウェイド・ボッグスも、イチローの殿堂入りを期待してエールを送った[86]

ニューヨーク・ヤンキース捕手ホルヘ・ポサダはイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同チームの王建民は試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。同じくヤンキースのアレックス・ロドリゲスは、2006年のオールスターゲームの際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ[87]。同僚のジャロッド・ウォッシュバーンは「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評している[30]。元チームメイトのエドガー・マルティネスは、イチローの人物像を「少年そのもの」と評している。

小泉純一郎元首相は、2004年のシーズン最多安打記録樹立の際、「もうすごいの一語に尽きるね。これだけの偉大な選手はもう当分出ないんじゃないかな。天賦の才能に加えて、人一倍の努力。偉大だね。どんな称賛の言葉を言っても、言い過ぎることはない」と褒め称えた[88]。また、今上天皇は、2001年の記者会見で、「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」と述べ[89]2004年の記者会見では、「イチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした。」と述べている[90]2009 ワールド・ベースボール・クラシック後は野球界のみならず政界などの各方面からもイチローを賞賛するコメントが発せられた。キューバフィデル・カストロ元議長は、決勝戦後に「イチローは世界最高の打者。」と絶賛した[91]

各種メディアでの調査等でも、イチローの高い人気が証明されている。マークスJPによる「最も好きなスポーツ選手」ランキングではあらゆる世代で2位以下を圧倒し1位となった[92]。東京商工会議所が実施した新入社員の意識調査によると、「理想の社長」の項目で北野武と並んで1位[93]、中央調査社による2007年の「最も好きなスポーツ選手」でも1位であった[94]。また、2007年にオリコンが実施した「好きなスポーツ選手」の調査でも男性選手部門で1位[95]、「世界に誇れる日本人」のランキングでも、男性部門で1位となった[96]2008年に同じくオリコンが実施した「世界で活躍する日本人アスリート」のランキングでは2位以下に圧倒的な差をつけて1位になった[97]gooによる「憧れの理想体型を持つ男性有名人」ランキングでも1位であった[98]博報堂が行った「アスリートイメージ評価調査」では、「好感が持てるアスリート」で1位となり、総合ランキングでも1位となった[99]2009年には、学校法人産業能率大学が新入社員を対象に実施した『理想の上司』のアンケートでは、「男性上司」の部門で1位の座に輝いた[100]

[編集] 逸話

[編集] 学生時代

イチローが高校生だったころ、母校・愛工大名電近くの神社では夜ごと幽霊が出るとの噂が立っていたらしいが、その正体は、素振りをするイチローだったという話が残されている。また、交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投手から野手に転向した。この事からか投手というポジションへの強い憧れを公言しており、『週刊ベースボール』誌で組まれた松井秀喜との対談の席で松井から「今でもピッチャーに未練はあるんですか」と尋ねられた際には「それはもう、むちゃくちゃある」と答えている。また、両者はイチローが1学年上の関係だが、高校時代に対戦している。愛工大名電高校と星稜高校両校の野球部には長年交流があり、年に数回合宿も兼ねた練習試合を行っていたためであった。イチローは当時1年生で4番を任されていた松井に「すごく飛ばすらしいじゃない。もう(ホームランを)何本打ってるの?」と尋ねたところ、松井に「10本くらいですかね」とさらりと返答され、「すごい奴もいるもんだな」と内心驚いたという。一方、松井は上記のエピソードを憶えていなかったようであるが、星稜高校の部長(一般のクラブでいう顧問の先生)が「あいつ(イチロー)すごいな。絶対プロになるよ」と驚嘆していた事は鮮明に憶えていると語っている。

[編集] オリックス時代

憧れの選手

広島東洋カープ前田智徳シアトル・マリナーズケン・グリフィー・ジュニアが憧れである。前田については「真っ先に会いたい」と話しており、1994年オールスターゲームで対面できた時には、前田に「握手してもらえませんか?」と聞きながら握手を交わし満面の笑みを浮かべていた。背番号「51」は、奇しくも前田がカープ入団時に付けていた番号である。一方、グリフィーについては「あこがれの存在」と公言し、寮の自室にそのユニフォームを飾り、打撃フォームもまねていた[101][102][103]1995年のオフにテレビ番組の企画で初対面し「腕(の太さ)が倍になったらメジャーを考えます」とグリフィーに約束し、1999年のマリナーズのキャンプ参加時に再会し、休日は一緒にNBAを観戦する姿などが見られた[101][102]

投手と三塁手

1996年のオールスターの9回2アウト、打者松井秀喜(当時巨人)のところで、パ・リーグの仰木彬監督は、スピードガンコンテストで146kmをマークしたことのあるイチローを投手に起用。イチロー対松井の夢の対決を期待したファンが大歓声を送った。しかしセ・リーグの野村克也監督は、代打高津臣吾(当時ヤクルト)を送った(結果はショートゴロ)。イチローは長年沈黙を守っていたが、比較的近年[いつ?]になって「松井とマウンド上で対戦できるしびれる場面に水を差されて、一気に白けた」と当時の胸の内を明かしている。この出来事を反映してか、1997年11月にナムコ(現・バンダイナムコゲームス)から発売された『ファミスタ64』において、オールスターモードでイチローを投手として登板させるという裏技が搭載された(同時期に投手・打者の二刀流として話題になった嘉勢敏弘も同様の裏技が搭載された)。1996年12月に発売された『超空間ナイター プロ野球キング』では野手で唯一、変化球(カーブ)が使える。また、1999年6月13日のダイエー戦では、試合終盤に内野手が足りなくなり、三塁の守備位置についたことがある。守備機会はゴロを1つ捌き補殺1を記録している。

スペアリブ

1999年のシーズン前に星野伸之戎信行と一緒にシアトル・マリナーズの春季キャンプに参加した[104]。そのときに食べたスペアリブあたってしまい、体調を崩して結果が思うように出せなかった。以来、口に入れるものは疑うようにしている[105]。この時の腹痛は熱いほうじ茶を飲んで治したという。このシーズンに通算1000本安打を達成した際、当時マリナーズに所属していたケン・グリフィー・ジュニアは「メジャーでも通用する。唯一君の前に立ちはだかるものはほかならぬスペアリブだよ」とコメントを寄せている[106]。また、この一件は、2001年にイチローがメジャーリーグでプレーするにあたって報道陣からアドバイスを求められた木田優夫佐々木主浩に「スペアリブに気をつけて」(木田)「スペアリブを食べないことです」(佐々木)とコメントされるなど、後々までイチローをからかう際のネタにされた。[107][108]

背番号51と応援歌

イチローの退団後、オリックスでは背番号51は誰もつけていない。2005年にオリックス・バファローズ監督に復帰した仰木彬にイチロー自身が着用を勧めたが、仰木が「そんな番号は恐れ多くて絶対つけられん」と固辞した。また、応援団によるオリックス在籍時代のイチローの応援歌は、球団の先輩でもある福本豊の現役時代の応援歌と同じである。

寄付活動

まだ二軍だった頃からイチローは寄付活動も熱心に行っている。但し積極的に慈善行為を報道関係者に明かしたりすることは稀[109]

[編集] マリナーズ時代

英語力

インタビューなどで全く英語を話さず通訳を通しているため、日本のみならずアメリカのファンから「英語を習得できていないのか」とよく批判されている。しかし、英語でファンやチームメイトとコミュニケーションをとる姿が多く映されており、アメリカ代表として来日した2002年の日米野球の記者会見でも、ニューヨーク・ヤンキースジェイソン・ジアンビに「アメリカ代表なんだから英語で答えろよ」とからかわれ、「shut up!(うるさいよ!)」と笑って即答している。通訳を通すのは、ファンや記者によりわかりやすく正確な英語で伝えるためであるとのことである。

道徳教材

2004年、小学5年生の道徳副読本の題材に登場、連続試合出場の「継続」の大切さを伝えた。

30年発言

2006年のWBC1次リーグを前にした公式会見の場で発言した「対戦した相手が、向こう30年は日本には手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う」が、韓国ではなぜか「(韓国は)30年間日本に勝てないようにしてやる」といったような発言をしたように歪曲され報道された結果「挑発的な発言」と捉えられ、イチロー本人や日本チームに対する激しいバッシングが起きた。第2回大会の日韓戦では打席に入るたびに激しいブーイングを浴びせられた。

オールスターゲームでのMVP

2007年のオールスターゲームにおいてランニングホームランを決めた後、イタリアンレストランの予約を入れていたために球場から出て帰ろうとしたところ、スタッフから「MVPに選ばれるかも知れないから帰るな」と引き留められて球場に留まり、MVPを受賞した[110]

無断広告

2007年11月27日、写真入りの広告を無断で使用されたとして、台湾の広告代理店に損害賠償を求めていた訴訟控訴審判決が、台湾高等法院で下された。同院は「台湾ではニューヨーク・ヤンキース(当時・現ナショナルズ)の王建民投手(台湾出身)の知名度に及ばない」などとして、500万台湾ドル(約1700万円)の支払いを命じた1審判決を大幅に減額し、100万台湾ドル(約340万円)の支払いを言い渡した[111]

内野守備

2008年8月17日、同点の9回裏1死2,3塁という場面でメジャー移籍後初めて内野(二遊間)の守備位置についたが(5人内野シフト)、四球で満塁になったところで外野に戻り、守備機会はなかった。

ケン・グリフィー・ジュニア

1999年にマリナーズのキャンプに参加して以来3年ぶりにケン・グリフィー・ジュニアと再会した2002年には、「やっぱり彼は僕にとってメジャーリーガーの象徴。メジャーに興味を持ったのも、彼の美しさ、スピードを見て感銘を受けたからなんです」と語った[10]。2009年にグリフィーがマリナーズに復帰。9年連続200安打達成の際のインタビューで、「ジュニアの存在は計り知れない」とグリフィーに感謝を示すと共に「シアトルの天然記念物に指定すべきだね。みんなで守っていかないといけないと思いますね」と語る[112]ほど普段から仲が良く、じゃれ合っている映像がTV放送でよく見られた。また、グリフィーの日課はイチローをくすぐることだといい、グリフィー曰く、そうするとヒットをよく打つからであり、2009年のイチローの27試合連続安打のときには毎日くすぐらなければならなかったので大変だったという[113]。グリフィーの引退が発表された2010年6月2日の試合では、気持ちの整理もできないまま混乱した状態で試合に出場したと語るも、延長10回に二塁ベース後方に砂上に描かれたグリフィーの背番号「24」の右端へのサヨナラ打を放ち、引退に華を添えた[114]

ブライアン・セッツァー

イチローのファンであるブライアン・セッツァーは2002年、ペプシコーラのTVCM「Pep Pep Pepsi」を提供し話題となった。

[編集] 特筆

[編集] 人物

一般的にクールなイメージが強いイチローだが、第1回WBCでチームメイトになった上原浩治に「あの人は普通の“隣のあんちゃん”」と言われる程、普段はひょうきんな性格である。

オリックス時代から慣れ親しんでいる神戸の街に強い愛着を持っており、出身は愛知県だが、メジャー移籍後もシーズンオフのほとんどを毎年神戸で過ごしている。「ESPN The Magazine」創刊10周年記念特別号内のインタビューで、「どこからそのスパーク(情熱)を得るのか?」という質問に対し、イチローは神戸を挙げ、「僕という選手を、神戸という場所を抜きに説明が出来ない。それぐらい密接な繋がりのある場所なんです。」と語っている。また、他のインタビューでは「今ある僕の人格だとか性格だとか考え方というのは、ほとんど神戸で作られたものなんです。一番何かを感じて成長する時期に、神戸にいた。出身は愛知県ですが、僕にはふるさとが二つある。 」「神戸とは一生付き合っていくと思います。」と語っている[115]

慈善活動を積極的に行っている。1998年には出身地の愛知県に対して社会福祉のために1000万円を、兵庫県に対して震災復興のために1000万円を寄付した。 2000年には豪雨によって被害を受けた愛知県にトレーナー、パーカ計1000枚、Tシャツ500枚(計1300万円相当)を贈っている[116]。また、1996年から2004年まで、神戸総合運動公園野球場にイチロー・シートを毎年20席(約140万円分)設置し、神戸の野球少年を招待した。2005年には病気などで苦しむ子供たちを支援するため、日米のスターバックスと協力し、店頭で自身をイメージしたプリペイドカードを販売、その売り上げを募金に寄付した。2011年2月には口蹄疫鳥インフルエンザ復興ならびに霧島連峰新燃岳噴火被災対応のために宮崎県に対して1000万円を贈った[117]。さらに3月には東北地方太平洋沖地震に際して、日本赤十字社に1億円の義援金を寄付した[117]。スターバックスのハワード・シュルツ会長によると、「イチローはマスコミに公表しないだけで、毎年、尋常じゃない額の寄付を地元シアトルにしてくれている」という。

打席に入る前にバットを正面に立てる動作について、2003年のインタビューで「集中するための儀式。ゴルファーが行う一連の動作と同じ。自分の形を作って、まず自分を落ち着かせる。自分のペースに持っていくということです」と答えたことがある。インタビュアーの「バットを立てたとき何を見ているのか」という質問に対しては、「最初にバットを見て、それからピッチャーの後ろのほうをぼんやり見ている。それからピッチャーを見る。今の形になったのは、1998、1999年ごろ。いろいろ試してみて、これがしっくりきたんです」と答えている。 同インタビューで「もし、野球というスポーツがなかったら、どんな人生を歩んでいたか」という問いに対し、「組織の中で自分を殺して生きていく事はできないタイプなので、自分で何かをやっていたと思う。何かは分かりませんが。サラリーマンは勤まらないでしょう」と語っている。

自身のペースに合わせた練習や試合後のケアに十分な時間を割いている。オリックス在籍時、昼近くになってからイチローが練習場に到着。早朝練習に熱を入れていたパンチ佐藤は、イチローの遅い練習参加を鼻で笑う。しかし早朝練習からくる疲労でナイトゲームが始まる頃には佐藤は睡魔に襲われ、午後から体を慣らしていたイチローはベストコンディションで試合に臨んだ。試合後も浴室内において、佐藤が「目のやり場に困る」と冗談にするほど、イチローは十分なストレッチを行い身体をケアしていた。江川卓は、「イチローは元々は非常に身体のかたい選手であり、しなやかな動きができているのは、日々のストレッチの賜物でしょう」という旨のことを語っている。メジャー移籍後も徹底した自己管理は続いており、30歳代になっても20歳代の頃と変わらぬ体脂肪率6%台を維持している。

ジャンクSPORTS』でパンチ佐藤が語ったところによれば、夜中にどこからか物音がするため目を覚ましたところ、寮内にあるトレーニングルームでイチローが黙々とウェイトトレーニングをしていたという。

1992年当時、オリックスの2軍打撃コーチであった河村健一郎は、イチローら新人選手たちにレポートを提出させた。イチローは「12年間で2000本安打を達成する」と目標を書いていたという。そのレポートから12年後の2004年、イチローは日米通算2000本安打を達成している。

国民栄誉賞を2度打診された初の人物であり、同じく2度断った初の人物でもある。

[編集] メディア

普段はメディアの取材に積極的に応えることはないが、糸井重里との対談で、「僕はゲームの後にその日の試合のことについて語ることを、あまりしていません。それは真剣に見てくれている人々のことを考えると、いい加減なことを言えないからです。適当にあしらうことはできないんです」と語っている。「オフになってからは『イチローは何を考えているのだろう』という質問に答えることにしています」との言葉どおり、オフの特別番組やロングインタビュー等には積極的に応じている。同対談では「一時的な注目ではなく、何年も僕に興味を持ってくれる人達とは、もう一生の付き合いだと思っているんです」とも語っている。

メディアへの接し方については、「メディアと選手というのは戦っています。お互いが緊張しなくてはいけないし、お互いが育て合う関係だと思います。ですから妥協はしたくないのです」とインタビューで発言している。そのため、メディアと選手とが馴れ合っているような関係を快く思っていない[118]

若手時代は今と違ってむしろマスコミに対して好意的で、バラエティ番組にもよく出演し、明るく喋っていた。急変したのは評論家・永谷脩が事実無根の文章を書いて発表して以降である[119]

[編集] 家族

妻は元・TBSアナウンサー福島弓子。子供はいない。柴犬を飼っており、非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「(いつ)」+「(きゅう)」としたものである。

名前は「一朗」だが次男である。4歳年上の兄・鈴木一泰は、グラフィックデザイナー。イチローが現在使用する野球用品には、彼がデザインした専用ロゴが刻まれている。主な作品に日本BS放送のマスコット「BEAMO」、ボビー・オロゴンの「もす!」Tシャツのロゴなどがある。

[編集] 用具

バットはミズノ篠塚和典モデルがベースであるという。ヘッドを軽量化させており、直径60.5ミリという極細。芯の部分も細く、使うには相当な技術が要求される[120]。バット製作にあたってミズノの工場内にある歴代選手シグネーチャーモデル展示室に並ぶバットの中で、本人いわく「遠くから見ても、それだけがもうチカチカ輝いていた」と言い、手に取ると何から何まで自分にピッタリであったとのことである。自分の調子に合わせてバットを変えるのではなく、バットに合わせて自分を調整していくため、オリックス入団時から一貫して同じ形のバットを使い続けている。イチローを含め様々なプロ野球選手たちのバットを作ってきた、バット職人である久保田五十一は、「私の記憶の中では、これほど(バットを)変えない方はいらっしゃらないですね」とイチローについて語っている[121]

スパイクシューズは山陰アシックス工業が製作している。年々改良が続けられている専用シューズは軽量化に重点が置かれており、2009年モデルは片足約250gという超軽量化を実現している。反面、スパイク部分に使用されている特殊素材は軽量化の代わりに耐久性を犠牲にしており、3試合程度の使用で新品と交換している。同社がイチローのために製造しているシューズは試合用と練習用を合わせて年間150足を超える。

バットグラブを「道具ではない。自分の一部。自分の体の一部」だと語るほど、使う野球用品を非常に大切に扱っている[52]。そのため、打った直後も必ずバットを静かに置く。オリックス時代に1度だけバットを放り投げたことがあり、そのときのことについて、「後ですごく後悔して、それから特に道具に対する気持ちが強くなってますね」とインタビューで答えている[122]。2007年の試合で、球審がバッターボックス付近に転がっていたイチローのバットを蹴飛ばした際には、ベンチから大声を張り上げて激怒した。このときは当時監督のジョン・マクラーレンが代わりに抗議し、沈静化している[123]

他の選手の野球用具は絶対に触らない。チームメイトだった城島健司は、「人のグローブ、人のバットは絶対に触らないですからね。手に重さだったり形だったりが残るのが嫌なんですって」とイチローについて語っている[33]

グラブの手入れについては、「気持ちが芽生えてきますから。グラブに対する気持ちが。」「作ってくれた人に対する感謝、小さい子なら買ってくれた人への感謝の気持ち、自分のプレイに対する愛情。こういうところが、グラブを磨くことでとても変わってくるんですよ」とインタビューで答えている。また、自身が子供にグラブの手入れをするよう呼びかけることについては、「決して『きれいにしろ』というだけの意味ではありません。そのグラブで練習をしたことっていうのは、体に、必ず残るわけですよ。記憶が体に残っていく。でも、何も手入れしてない汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残らないですよね。そういう意味もあるんですよ」と答えている[124]

2008年3月、それまでイチローのグラブを作っていた坪田信義が引退し、坪田の弟子である岸本耕作がイチローのグラブ製作を引き継いだ[125][126]。イチローは2008年シーズンいっぱいを岸本のグラブで過ごし、ゴールドグラブ賞を受賞。このことについてインタビューで「岸本さんのグラブになってゴールドグラブ賞がとれなかったら、おそらく岸本さんは自分を責めたでしょう。僕はそれを何としても阻まないといけないという思いで守っていました」と答えている。

[編集] 趣味・好物

少年期からドラゴンクエストのファンでる、プロ野球選手になってからもよくプレーしている[127]。また、イチローの所縁の品が展示されているアイ・ファインには、イチローが少年期にプレーしたドラゴンクエストシリーズソフトが展示されている[128]

自動車好きであり、1995年から日産自動車のCMに出演している。日本では日産自動車シーマインフィニティQ45ホシノインパルで1000万円以上かけて改造したマーチなどに乗っていた[129]。アメリカでは同じく日産自動車のインフィニティ・G35クーペポルシェ・カレラGT、オールスターMVPの副賞として贈呈されたシボレー・タホハイブリッドなどを所有している。

偏食家である。独身時代から牛タンが好きで、神戸市三宮の牛タン専門店「牛や たん平」の常連となっている。渡米してから2007年までは、シアトルの自宅にいる際の朝食には弓子夫人手作りのカレー[33]食べていた。その後、毎朝カレーを食べる習慣を改め、朝食には「食パンうどんあるいはそうめん」を食べるなどしている。

自らがCMに出演している佐藤製薬ユンケル黄帝液を愛飲している。遠征時には、特注で作った専用ケースにユンケルを詰めて持って行く[33]

[編集] 交友関係

清原和博とは晩年の仰木彬に師事したという共通点から知り合い、イチローいわく「一時期好ましくない印象もあったけど、会って食事をしたらとても好感の持てる人だった」とのことである。合同練習で和やかに練習したり、清原が軟骨移植手術のリハビリ中に清原の名前が入った背番号3のマリナーズのユニフォームを送るなど、親交は深い。2008年10月には全日程が終わった直後にも関らず清原の引退試合に駆けつけ、清原もセレモニーで謝意を述べた。

マナカナ(三倉茉奈、三倉佳奈)とは、マナカナが11歳当時のハウス食品のCMで共演して以来の付き合いであり、毎年数回食事を共にしたり国際電話をする仲である。マナカナは「ハワイでの撮影で仲良くしてもらい『日本へ帰ったらご飯食べに行こうよ』と言われていたが、社交辞令ではなく本当に連絡があって驚き喜んだ」との旨を語っている。また、WBCでの気さくなイチローが人気を博したことについて、NHKのメジャーリーグPR番組で「あれが本当のイチローさんなんです。だから嬉しかった」と話し、「何気ない一言が多くの人に影響を与えるので軽率に話さない」「天才と呼ばれていてもその影には多くの努力がある」ということを学んだと語っている。

シンガーソングライター椎名林檎は、イチローのファンであることを公言しており、自らが作詞した『スーパースター』という楽曲について、イチローをイメージして制作したと発言している[130]。2007年にイチローとの対談も行っている。

坪井智哉とは同じバッティングフォームである振り子打法がきっかけで会話したのが最初で、それから交流が深まり、2001年オフから毎年1月に古巣のオリックスの球場であるスカイマークスタジアムで合同自主トレをするほどの仲になった。2006年と2010年に坪井が日本ハムから戦力外通告されたときには、現役にこだわってトレーニングを続けていた坪井を励ました。2011年1月17日に坪井がオリックスに入団が決まり[131]、翌日に球場で練習しているときに坪井に声をかけ、「選手としてできる立場をつかんだのが一番良かった」と話している[132]。 またこの時に「51番をつけてほしいね」と準永久欠番扱いされている背番号を坪井に勧めたが、坪井は「お願いしたけど球団がダメって(笑)」と話し合うほど仲が良い。坪井とはチームメイトになったことはないものの、頻繁にメールでやりとりする仲で、「あいつとは野球の話しかしない」という。「(坪井は)野球が大好き。そういう人はあんまりいないし、会うといいなって思う」と述べている[133]

[編集] 記録など

日本時代のオールスターでは、初出場の1994年第1戦から2000年第3戦まで連続フルイニング出場しており、1996年の第2戦以外、すべての試合で安打を記録している。1995年は前半戦を十冠王(安打、本塁打、打点、盗塁、塁打、得点、死球、得点圏打率、出塁率、長打率)で折り返した。同年シーズンは満塁打率.700(10打数7安打2本塁打)も記録している。

1994年6月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、10回裏二死満塁の場面からサヨナラ振り逃げを達成した。日本プロ野球史上唯一の記録である(2009年シーズン終了時点)(2軍の試合では、2009年8月15日湘南シーレックス-東京ヤクルトスワローズ戦で記録) 。

シーズン打率の日本プロ野球記録は1986年ランディ・バースの.3885であり、日本時代のイチローはこの記録に何度か迫っている。210安打を放った1994年、主に1番打者として全試合打席に立ち続けながら、50試合目以降からシーズンを終えるまで常に打率.380以上を維持した。特に63試合目には打率を4割台に乗せ、69試合目まで7試合4割を継続した。70試合目以降は.380台後半から.390台後半のあいだをうろつき、規定打席に到達した後も.390台を推移し、126試合目を終えた時点でもバースの打率を超えていた。しかし、127試合目、128試合目で共に5打数無安打に倒れ、打率を.380台前半まで下げた。これが響き、最後の2試合でそれぞれマルチヒットを放ったものの、結局バースの打率には届かなかった。また、2000年は、.3893の状態で迎えた試合で、2打数0安打の時点で故障し、打率を.3873に下げたまま戦線離脱した。以降このシーズンは打席に立たなかったが、あと1打席に立って1本安打を放った後で故障していた場合、打率.3888でシーズンを終了していたことになり、バースの打率を超えていた。

日本での通算打率は.353であるが、4000打数以上が条件である通算打率へのランクインには381打数足りない。日本に復帰した場合、381打数で3安打すれば通算打率は.3203(4000打数1281安打)となり、通算打率1位のレロン・リー(.3200)を上回る。

スロースターターであり、メジャーでの4月通算打率は.301で、4月から10月までの月間別通算打率の中では自己最低を記録している。メジャーのシーズン歴代最多安打記録を樹立した2004年も、4月の打率は.255であった。しかし、翌月の5月になると途端に打撃の調子が上がる傾向にあり、メジャーでの5月通算打率は.350で、4月から9月までの月間別通算打率の中では自己最高を記録している(2011年シーズン終了時点)。

日米通算のため参考記録ながら、2004年5月21日に30歳6か月で2000本安打を達成している。榎本喜八の31歳7か月を抜いて日本人最年少記録であり、1465試合での到達は川上哲治の1646試合を抜いて日本人最速記録である。2008年7月29日に日米通算3000本安打を達成したが、2175試合、34歳9か月での達成はいずれも張本勲の2618試合、39歳11か月を大幅に上回る早さである。

[編集] 映画・ドラマ出演

2001年、『走れ!イチロー』(2001年・監督大森一樹)で本人役として出演した。しかし台詞は無かった。

2006年には『古畑任三郎 ファイナル』第2話に、主人公・古畑と対決する犯人役「シアトル・マリナーズのイチロー」として出演した[134]。イチローは古畑シリーズのDVDを全巻持ち、古畑任三郎のテーマ曲を部屋でかけるほどの大ファンと公言していたことから出演に至った。2004年シーズン終了後の10月より1年以上の期間をかけて撮影された。

古畑シリーズの脚本家である三谷幸喜はエッセイや2008年の再放送時のコメント映像中で、出演が決定し、イチロー本人と対面した際に、殺人犯役でそのまま「イチロー」の名前を使うのはためらわれるので「ハチロー」のような役名や別の職業にしてはどうかと提案したが、イチローが「これは本人役じゃないと面白くない。自分を演じたい。」と熱望したため、そのまま「シアトル・マリナーズのイチロー」にした、と語っている。あくまでフィクションである事を明示的にするため、レギュラーキャラクターの向島音吉の義弟であるとの設定がなされた。キャラクターについても「嘘はつかない」、「フェアプレーを好む」、「残虐な殺し方はしない」などイチロー本人の要望やイメージが反映されており、私利私欲でなく恐喝に苦しむ義兄を救うために殺人を犯す一方で、アリバイ工作や偽証を拒んで古畑に頭脳戦を挑むという役どころとなっている。このキャラクター設定に関しては、三谷も苦心したらしく、「死体を食べちゃうとかいう役にはできませんし」などと冗談めかして語っている。撮影に当たっては台詞を完璧に憶えてNGはほとんど無く、主演の田村正和は「役者の鑑」と評した。視聴率は27%で、12年続いたシリーズの中で7番目に高いものとなった。

この回の撮影時、共演者の石井正則は、イチローの印象を「ずっと立っていた」と表現した(ナンボDEなんぼ にて発言)。イチローは座る事が苦手で、休憩中も椅子があるのにも拘らず立っていた。そのため、石井は「偉大なイチローさんが座っていないのに自分が座るわけにはいけない」と思い、イチローと一緒にいる時は決して座らなかった。

イチローがマリナーズのオフィシャル雑誌『Mariners』に語ったところによると、2004年に最多安打の記録を達成したオフシーズンに、初めて野球以外で何かしてもいい気になったという。イチローは当初面白い話が来た程度で終わらせようと考えたそうであるが、撮影時にはかなり緊張したと語っている。今までやったことのない世界で、その世界の一流の出演者と共演し、本当に自分が番組のレベルにあった演技ができるのかどうか考えてとにかく怖かったと語っている。後日インタビューで[いつ?]、守備に就いている時に台詞の練習をしていたことや(グラブで口を隠して練習していた)、2005年シーズンの成績が他の年に比べて下がったことを引き合いに出して、「台詞の練習をしていたせい」だと冗談混じりに語っている。

[編集] イチ・メーター

セーフコ・フィールドの右翼席最前列には、イチローの年間安打数をカウントする「ICHI-METER(イチ・メーター)」という手作りの紙ボードを掲げるファンがいる。掲げているのはエイミー・フランジという女性ファンの一家で、1996年から毎年シーズンチケットを購入している熱心なマリナーズファンだという。イチ・メーターという名前の由来は「イチロー」と「メーター(測定機)」を掛け合わせたものであり、シアトルの野球ファンの間では有名になっている[135]

安打数のカウントは、イチローが最多安打記録を達成した2004年シーズンから開始された。262安打をカウントした初代イチ・メーターはアメリカ野球殿堂に寄贈されており、現在のイチ・メーターは二代目である[136]

[編集] 日米通算記録について

日米通算記録はNPBMLBでの成績を合算した記録であり、両方の球界でプレー経験のある日本選手によく使用される。当然ながら、NPBとMLBは別リーグであるために公式記録上では各リーグで残した成績を合わせて適用されることはない。しかし、一選手のキャリア成績としては、「張本勲の安打数を破った」というように、参考記録ながらも日米通算記録をもって日本選手歴代記録として評されることもある[137]。イチローのキャリア成績として日米通算記録を見た場合には、日本選手歴代上位に相当する項目は多く、以下に例を挙げると

  • 歴代1位相当:安打(3706)、単打(2905)、打席(12158)、打数(11075)、打率(.335)、外野手刺殺(5662)、首位打者回数(9)、最多安打回数(12)、打率3割回数(17)、月間MVP獲得回数(11)、初回先頭打者本塁打(44)
  • 歴代2位相当:得点(1785)、二塁打(491)、盗塁(622)、敬遠(266)、出塁(4692)、外野手補殺(163)
  • 歴代3位相当:
  • 歴代4位相当:試合(2700)、塁打(5030)、年間MVP獲得回数(4)
  • 歴代5位相当:三塁打(97)

などがある(2011年シーズン終了時)。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1992 オリックス 40 99 95 9 24 5 0 0 29 5 3 2 1 0 3 0 0 11 0 .253 .276 .305 .581
1993 43 67 64 4 12 2 0 1 17 3 0 2 1 0 2 0 0 7 2 .188 .212 .266 .478
1994 130 616 546 111 210 41 5 13 300 54 29 7 7 2 51 8 10 53 3 .385 .445 .549 .994
1995 130 613 524 104 179 23 4 25 285 80 49 9 0 3 68 17 18 52 7 .342 .432 .544 .976
1996 130 611 542 104 193 24 4 16 273 84 35 3 0 4 56 13 9 57 8 .356 .422 .504 .926
1997 135 607 536 94 185 31 4 17 275 91 39 4 0 5 62 14 4 36 10 .345 .414 .519 .933
1998 135 558 506 79 181 36 3 13 262 71 11 4 0 2 43 15 7 35 21 .358 .414 .518 .932
1999 103 468 411 80 141 27 2 21 235 68 12 1 0 5 45 15 7 46 5 .343 .412 .572 .984
2000 105 459 395 73 153 22 1 12 213 73 21 1 0 6 54 16 4 36 3 .387 .460 .539 .999
2001 SEA 157 738 692 127 242 34 8 8 316 69 56 14 4 4 30 10 8 53 3 .350 .381 .457 .838
2002 157 728 647 111 208 27 8 8 275 51 31 15 3 5 68 27 5 62 8 .321 .388 .425 .813
2003 159 725 679 111 212 29 8 13 296 62 34 8 3 1 36 7 6 69 3 .312 .352 .436 .788
2004 161 762 704 101 262 24 5 8 320 60 36 11 2 3 49 19 4 63 6 .372 .414 .455 .869
2005 162 739 679 111 206 21 12 15 296 68 33 8 2 6 48 23 4 66 5 .303 .350 .436 .786
2006 161 752 695 110 224 20 9 9 289 49 45 2 1 2 49 16 5 71 2 .322 .370 .416 .786
2007 161 736 678 111 238 22 7 6 292 68 37 8 4 2 49 13 3 77 7 .351 .396 .431 .827
2008 162 749 686 103 213 20 7 6 265 42 43 4 3 4 51 12 5 65 8 .310 .361 .386 .747
2009 146 678 639 88 225 31 4 11 297 46 26 9 2 1 32 15 4 71 1 .352 .386 .465 .851
2010 162 732 680 74 214 30 3 6 268 43 42 9 3 1 45 13 3 86 3 .315 .359 .394 .754
2011 161 721 677 80 184 22 3 5 227 47 40 7 1 4 39 13 0 69 11 .272 .310 .335 .645
NPB通算:9年 951 4098 3619 658 1278 211 23 118 1889 529 199 33 9 27 384 98 59 333 59 .353 .421 .522 .943
MLB通算:11年 1749 8060 7456 1127 2428 280 74 95 3141 605 423 95 28 33 496 168 47 752 57 .326 .370 .421 .791
通算:20年 2700 12158 11075 1785 3706 491 97 213 5030 1134 622 128 37 60 880 266 106 1085 116 .335 .387 .454 .841
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLBにおける歴代最高。

[編集] 年度別守備成績

年度 CF RF OF
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 - - 34 50 0 0 0 1.000
1993 - - 32 34 1 0 0 1.000
1994 - - 130 261 10 5 3 .982
1995 - - 130 262 14 2 5 .993
1996 - - 130 277 8 2 3 .993
1997 - - 135 269 7 2 2 .993
1998 - - 135 245 12 3 4 .988
1999 - - 103 196 9 0 1 1.000
2000 - - 105 218 5 4 1 .982
2001 - 152 335 8 1 2 .997 152 335 8 1 2 .997
2002 3 8 0 0 0 1.000 150 325 8 3 0 .991 152 333 8 3 0 .991
2003 - 159 337 12 2 4 .994 159 337 12 2 4 .994
2004 - 158 372 12 3 2 .992 158 372 12 3 2 .992
2005 - 158 381 10 2 2 .995 158 381 10 2 2 .995
2006 39 114 1 1 0 .991 121 250 8 2 3 .992 159 364 9 3 3 .992
2007 155 424 8 1 3 .998 - 155 424 8 1 3 .998
2008 69 195 4 1 1 .995 91 175 7 4 1 .978 160 370 11 5 2 .987
2009 - 145 317 5 4 2 .988 145 317 5 4 2 .988
2010 - 160 354 7 4 1 .989 160 354 7 4 1 .989
2011 - 151 263 7 4 5 .985 151 263 7 4 5 .985
NPB:09年 - - 934 1812 66 18 19 .991
MLB:11年 266 741 13 3 4 .996 1445 3109 84 29 22 .991 1709 3850 97 32 26 .992
通算:20年 - - 2643 5662 163 50 45 .991
  • 各年度の太字はその年のリーグ最高。
  • 2002年・2006年は試合途中に守備位置変更が行われていることから、試合数の合計は一致していない。
  • 1999年6月13日のダイエー(現在のソフトバンク)戦では途中出場ながら3Bを守った。守備機会はゴロを1つ捌き補殺1を記録している。

[編集] タイトル・表彰

NPB
MLB
  • 月間・週間/その他
  • ディケイド(2000年 - 2009年)選出・評価
    • ディケイドオールスターチーム
      • The Sporting News All-Decade team(外野手)[139]
      • Yahoo! Sports All-Decade team(中堅手)[140]
      • ESPN All-Decade team(右翼手)[141]
      • ESPN Gold Glovers of the decade(右翼手)[142][143]
    • ディケイドベスト選手
      • ESPN Top 100 players of the decade(第5位)[144]
      • MLB-network Top 9 players of the decade(第6位)
      • MLB-network Top 9 outfielders of the decade(第3位)
      • HeraldNet Top 10 Mariners of the Decade(第1位)[145]

その他

[編集] 記録

NPB
  • NPB記録
    • シーズン打率.380以上:2回(1994年、2000年)
    • シーズン打率.370以上:2回(1994年、2000年)※.360以上ではタイ記録
    • シーズン打率.350以上:4回(1994年、1996年、1998年、2000年)
    • シーズン打率.340以上:7回(1994年 - 2000年)
    • シーズン複数安打試合:69(1994年)
    • シーズン連続試合出塁:69(1994年5月21日 - 8月26日)
    • シーズン連続打席無三振:216(1997年4月16日 - 6月24日)
    • 20試合以上連続安打:4回(1994年2回、1999年、2000年)
    • 1試合二塁打:4(1994年9月11日)※タイ記録
    • 通算1000安打史上最速達成:757試合目(1999年4月20日)
    • 通算盗塁成功率:.858(199盗塁33盗塁死)※100盗塁以上対象
    • 首位打者:7回(1994年 - 2000年)※張本勲とタイ記録
    • 両リーグ最多安打:5回(1994年 - 1998年)
    • IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:4回(1994年 - 1997年)※野手として松井秀喜とタイ記録
    • 全イニング出場首位打者(1995年)※1969年の王貞治に次ぐ史上2人目
    • 7年連続打率.340以上首位打者(1994年 - 2000年)
    • 7年連続首位打者(1994年 - 2000年)
    • 5年連続全試合出場首位打者(1994年 - 1998年)
    • 5年連続両リーグ最多安打(1994年 - 1998年)
    • 3年連続シーズンMVP(1994年 - 1996年)※山田久志とタイ記録。野手では史上唯一
    • 4年連続IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞(1994年 - 1997年)
    • 2年連続正力松太郎賞(1994年 - 1995年)
    • 6年連続満塁本塁打(1995年 - 2000年)※駒田徳広とタイ記録
    • 月間安打:48(1996年8月)
    • 月間MVP:10回
  • NPBパ・リーグ記録
    • シーズン安打:210(1994年)※NPB歴代2位。達成当時はNPB記録
    • シーズン打率:.387(2000年)※NPB歴代2位
    • シーズン初回表先頭打者本塁打:5(1995年)※タイ記録。達成当時はNPBタイ記録
    • シーズン1試合4安打:8回(1996年)※達成当時はNPB記録
    • 最多安打:5回(1994年 - 1998年)※長嶋茂雄川上哲治に次いでNPB歴代3位。タイトル制定以後としてはNPB記録
    • 最多単打:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録
    • パ・リーグ特別表彰:6回(1994年 - 1995年、1997年 - 2000年)
    • 7年連続出塁率4割以上(1994年 - 2000年)
    • 6年連続最多敬遠(1995年 - 2000年)
    • 5年連続最多安打(1994年 - 1998年)※長嶋茂雄に次いでNPB歴代2位。タイトル制定以後としてはNPB記録
    • 3年連続最多単打(1994年 - 1996年)※近藤和彦に次いでNPB歴代2位タイ
    • 3年連続100得点(1994年 - 1996年)※福本豊とタイ記録
    • 4年連続パ・リーグ特別表彰(1997年 - 2000年)※野茂英雄とタイ記録
  • 球団記録
    • 通算敬遠:98(1992 - 2000年)
    • シーズン猛打賞:26回(1996年)※NPB歴代2位。達成当時はNPB記録
    • シーズン単打:151(1994年)※達成当時はNPB記録
    • シーズン出塁率:.4596(2000年)
    • シーズンMVP:3回(1994年 - 1996年)※山田久志とタイ記録。野村克也に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
    • 最多塁打:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録。野村克也に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
    • 最高出塁率:5回(1994年 - 1996年、1999年 - 2000年)※タイトル制定以後(以前は不明)球団記録。張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位
    • 出塁率4割以上:7回(1994年 - 2000年)※張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位
    • 7年連続ベストナイン(1994年 - 2000年)※福本豊とタイ記録
    • 3年連続最高出塁率(1994年 - 1996年)※タイトル制定以後(以前は不明)球団記録。張本勲に次いでパ・リーグ歴代2位タイ
    • 3年連続最多塁打(1994年 - 1996年)※野村克也に次いでパ・リーグ歴代2位
    • 連続試合出場:763(1994年4月9日 - 1999年8月24日)※パ・リーグ歴代5位。1994年6月24日から1996年4月11日までは212試合連続全イニング出場
  • その他
    • オールスター
      • オールスター出場回数:7回(1994年 - 2000年)
      • オールスター年間得票数:1,346,504票(1999年)※パ・リーグ記録。達成当時はオールスター記録
      • 6年連続オールスター最多得票(1995年 - 2000年)※オールスタータイ記録。6年連続で両リーグ通じての最多得票はオールスター記録
      • オールスター通算打率:.394(71打数28安打)※オールスター記録(50打数以上対象)
      • オールスター連続試合安打:11(1996年第3戦 - 2000年第3戦)※オールスター記録
      • オールスター連続打席安打:5 ※オールスター記録
      • オールスター連続試合フルイニング出場:17(1994年第1戦 - 2000年第3戦)※オールスター記録
    • シーズン死球:18(1995年)※達成当時はパ・リーグ記録
    • 最多得点:4回(1994年 - 1997年)※福本豊に次いでパ・リーグ歴代2位
    • 4年連続最多得点(1994年 - 1997年)※福本豊に次いでパ・リーグ歴代2位
    • 3年連続得点圏打率リーグ1位(1996年 - 1998年)
    • 連続試合安打:23(1994年5月21日 - 6月21日、7月13日 - 8月14日)
    • 連続試合二塁打:5(1996年9月18日 - 24日)
    • 連続試合複数安打:8(1998年、1999年)
    • 連続試合得点:11(1995年5月30日 - 6月11日)
    • 連続打席出塁:11(1994年6月22日 - 25日)
    • 2試合連続無安打なし:130試合
    • 外野手最多補殺:2回(1995年、1998年)
MLB
  • MLB記録
    • シーズン安打:262(2004年)※ジョージ・シスラーを84年ぶり更新。また、安打数リーグ2位を記録した打者との46安打差は史上最大差
    • シーズン単打:225(2004年)※ウィリー・キーラーを106年ぶり更新
    • シーズン200安打・100得点・30盗塁:8回(2001年 - 2008年)※7回の時点でウィリー・キーラーを107年ぶり更新
    • シーズン200安打・100得点:8回(2001年 - 2008年)※ウィリー・キーラー、ルー・ゲーリッグとタイ記録
    • シーズン200安打・30盗塁:9回(2001年 - 2008年、2010年)※8回の時点でタイ・カッブを92年ぶり更新
    • シーズン240安打以上:2回(2001年、2004年)※ジョージ・シスラーとタイ記録
    • シーズン230安打以上:3回(2001年、2004年、2007年)※ロジャース・ホーンスビー、ジョージ・シスラーを85年ぶり更新
    • シーズン220安打以上:5回(2001年、2004年、2006 - 2007年、2009年)※ジェシー・バーケットを108年ぶり更新
    • シーズン210安打以上:8回(2001年、2003年 - 2004年、2006年 - 2010年)※タイ・カッブを86年ぶり更新
    • シーズン200安打以上:10回(2001年 - 2010年)※ピート・ローズとタイ記録
    • シーズン200単打以上:2回(2004年、2007年)※ウィリー・キーラーを109年ぶり更新
    • シーズン5安打試合:4回(2004年)※20世紀以降タイ記録
    • シーズン月間50安打:3回(2004年5月・7月・8月)
    • シーズン安打試合数:135(2001年)※タイ記録
    • ロードゲームシーズン安打:145(2004年)
    • 最多単打:10回(2001年 - 2010年)※9回の時点でネリー・フォックスを49年ぶり更新
    • 両リーグ最多単打:9回(2001年 - 2002年、2004年 - 2010年)※7回の時点でタイ・カッブを91年ぶり更新
    • 両リーグ最多安打:7回(2001年、2004年、2006年 - 2010年)※タイ・カッブ、ピートローズとタイ記録
    • 最多打数:8回(2001年、2004年 - 2008年、2010年 - 2011年)※Doc cramerを69年ぶり更新
    • 2か月連続月間50安打(2004年7月 - 8月)※タイ記録
    • デビュー以来10年連続200安打(2001年 - 2010年)
    • 10年連続200安打(2001年 - 2010年)※9年の時点でウィリー・キーラーを108年ぶり更新
    • 8年連続200安打・100得点・30盗塁(2001年 - 2008年)※5年の時点でウィリー・キーラーを108年ぶり更新
    • 8年連続200安打・100得点(2001年 - 2008年)※ウィリー・キーラーとタイ記録
    • 8年連続200安打・30盗塁(2001年 - 2008年)※5年の時点でウィリー・キーラーを108年ぶり更新
    • 5年連続最多安打(2006年 - 2010年)※4年の時点でジンジャー・ビューモンを105年ぶり更新
    • 5年連続両リーグ最多安打(2006年 - 2010年)※3年の時点でダン・ブローザースを125年ぶり更新[149]
    • 10年連続最多単打(2001年 - 2010年)※8年の時点でネリー・フォックスを48年ぶり更新
    • 7年連続両リーグ最多単打(2004年 - 2010年)※5年の時点でネリー・フォックスを51年ぶり更新
    • 5年連続最多打数(2004年 - 2008年)※4年の時点でジョージ・ライトを129年ぶり更新
    • 連続5シーズン安打1100本以上:6回(2001年 - 2005年、2002年 - 2006年、2003年 - 2007年、2004年 - 2008年、2005年 - 2009年、2006年 - 2010年)
    • 連続11シーズン最多安打:2428(2001年 - 2011年)
    • 連続10シーズン最多安打:2244(2001年 - 2010年)
    • 連続9シーズン最多安打:2030(2001年 - 2009年)
    • 連続8シーズン最多安打:1805(2001年 - 2008年)
    • 連続7シーズン最多安打:1592(2001年 - 2007年)
    • 連続6シーズン最多安打:1368(2004年 - 2009年)
    • 連続5シーズン最多安打:1143(2004年 - 2008年)
    • 連続4シーズン最多安打:930(2004年 - 2007年)
    • 外野手1イニング2補殺(2003年5月25日)※タイ記録
  • MLBアメリカンリーグ記録
    • シーズン打席:762(2004年)
    • シーズン連続盗塁成功:39(2006年)
    • 2年連続220安打(2006年 - 2007年)※タイ・カッブ、ジョー・ジャクソンとタイ記録
    • 5年連続210安打(2006年 - 2010年)※ウィリー・キーラーに次いでMLB歴代2位
    • 8年連続100得点・30盗塁(2001年 - 2008年)※20世紀以降ではMLB記録
    • 連続盗塁成功:45(2006年4月29日 - 2007年5月16日)
    • ゴールドグラブ賞:10年連続、通算10回(2001年 - 2010年)※共に外野手部門ア・リーグタイ記録
  • MLB新人記録
    • 新人最多安打および1年目選手最多安打:242(2001年)※ジョー・ジャクソンを90年ぶり更新
    • ア・リーグ新人最多単打およびア・リーグ1年目選手最多単打:192(2001年)
    • ア・リーグ新人最多打数および1年目選手最多打数:692(2001年)
    • ア・リーグ1年目選手最高打率:.350(2001年)
  • 球団記録(シアトル・マリナーズ
    • 通算打数:7456(2001年 - 2011年)
    • 通算打率:.326(2001年 - 2011年)
    • 通算安打:2428(2001年 - 2011年)
    • 通算単打:1979(2001年 - 2011年)
    • 通算三塁打:74(2001年 - 2011年)
    • 通算盗塁:423(2001年 - 2011年)※AL歴代12位
    • 通算初回先頭打者本塁打:36(2001年 - 2011年)※MLB歴代6位、AL歴代3位
    • 通算外野手刺殺:3850(2001年 - 2011年)
    • シーズン出場試合:162(2005年、2008年、2010年)※タイ記録。3度の162試合出場は単独球団記録
    • シーズン打率:.372(2004年)
    • シーズン打数:704(2004年)※MLB歴代3位、AL歴代2位
    • シーズン三塁打:12(2005年)
    • シーズン初回先頭打者本塁打:5(2002年、2005年)
    • シーズン出塁数:315(2004年)
    • シーズン敬遠四球:27(2002年)
    • シーズン複数安打試合数:80(2004年)
    • シーズン1番打者打点:68(2005年、2007年)
    • 20試合以上連続安打:7回(2001年2回、2004年 - 2007年、2009年)
    • 月間6月打率:.427(2007年6月)
    • 月間最多安打:56(2004年8月)
    • 連続試合安打:27(2009年5月6日 - 6月3日)
    • 連続2試合安打数:9(2004年9月21日 - 22日)※タイ記録
    • 連続試合出場数:396(2004年7月11日 - 2006年9月25日)
    • 新人最多得点:127(2001年)
    • 新人最多二塁打:34(2001年)※タイ記録
    • 新人最多三塁打:8(2001年)※タイ記録
    • 新人最多塁打:316(2001年)
    • 新人最多盗塁:56(2001年)
    • 新人連続試合安打:23(2001年4月22日 - 5月18日)
    • 1試合二塁打数:3(2003年9月20日、2010年7月29日)※タイ記録。また、イチローとエドガー・マルティネスのみ複数回記録
    • 1試合三塁打数:2(2002年4月21日)※タイ記録
    • 1試合盗塁数:4(2004年7月20日、2010年8月4日)※タイ記録。イチローのみ複数回記録
    • 1試合敬遠数:3(2005年9月27日)※タイ記録(9イニングとしてはア・リーグタイ記録)
    • 1試合死球数:2(2001年5月13日)※タイ記録
    • 1試合外野手刺殺数:11(2007年6月27日)※タイ記録
  • その他
    • オールスター
      • 出場回数:10回(2001年 - 2010年)※球団タイ記録。2005年以外は先発出場。
      • 打順1番での先発出場:5年連続、通算9回(2001年 - 2004年、2006年 - 2010年)※共にオールスター記録
      • 右翼手での先発出場:6回(2002年 - 2003年、2006年、2008年 - 2010年)※オールスターAL歴代2位、MLB歴代4位
      • 新人から3年連続オールスター両リーグ最多得票(2001年 - 2003年)※史上初。「新人から」という注釈を外してもケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目
      • オールスターゲームでのランニング本塁打(2007年)※史上初
    • インターリーグ
      • 首位打者:1回(2007年)
      • 最多安打:3回(2003年、2007年、2009年)
      • 最多盗塁:3回(2003年、2006年 - 2007年)
    • リーグ最多安打:7回(2001年、2004年、2006年 - 2010年)※タイ・カッブに次いでMLB歴代2位タイ
    • 通算打率現役2位:.326(2011年シーズン終了時)※ア・リーグの現役選手中では1位[150]
    • 通算1000安打達成試合数:696試合目(2005年)※1900年以降3番目の速さでの達成
    • 通算1500安打達成試合数:1060試合目(2007年)※1900年以降3番目の速さでの達成
    • 通算2000安打達成試合数:1402試合目(2009年)※1900年以降2番目の速さでの達成
    • シーズン外野手守備率:.998(2007年)
    • 2試合連続無安打なし:180試合(2008年8月15日 - 2009年9月26日)
    • 連続試合出塁:43(2009年4月28日 - 6月14日)
    • 連続試合複数安打:7(2001年5月11日 - 18日、2003年7月1日 - 8日、2007年5月13日 - 20日、2009年6月20日 - 27日、2010年5月8日 - 15日)
    • 連続試合得点:8(2002年5月2日 - 10日、2004年7月18日 - 25日、2007年5月22日 - 29日)
    • 連続無併殺打:169試合784打席736打数(2009年4月16日 - 2010年5月1日)※736打数は1920年以降で3番目の長さ
    • 連続守備機会無失策:443(2006年9月8日 - 2007年9月12日)
    • ア・リーグ地区シリーズ5試合最多安打:12(2001年)※シリーズタイ記録

[編集] 背番号

  • 51 (1992年 - )

[編集] 関連情報

[編集] CM

『とんがりコーン』
バーモントカレー
『ククレカレー』
企業CM
「イチロー&若大将」篇(1996年) - 映画「日本一の若大将」の加山雄三のマラソンシーンと「ハワイの若大将」のサーフィンシーンにイチローをCG合成して、夢の共演が実現した。
「新年ジョギング」篇(1998年1月)
「イチロ初売りフェア」篇(1998年1月)
「ダンス・ウィズ ペンシル」篇(1998年4月1日 - )
「日産の新しい挑戦」篇(1999年1月1日 - 9日)
「総額10億円マイレージ」篇(1999年1月1日 - 31日)
「二系列大整列」篇(1999年4月1日 - 18日)
スカイライン
「幕開け」篇(イチロー篇)(2006年11月21日 - )
「雨」篇(イチロー篇)(2007年1月1日 - )
「一本の道」篇(2008年12月3日 - )
「001 Skyline talk」篇 - 「003 Skyline talk」篇(2007年4月12日 - )
「004 Skyline talk」篇「SKYLINE「50周年」篇(2007年4月24日 - )
「005 Skyline talk」篇 - 「010 Skyline talk」篇(2007年5月5日 - )
「一本の道」篇(2008年12月3日 - )
スカイラインクーペ
「PURE RED イチロー」篇(2007年10月3日 - )
スカイラインクロスオーバー
「日食」篇(2009年7月14日 - )
「FEVER篇/BOOM篇」(2002年2月15日 - )
「イチローシズル篇」(2002年3月21日 - )
「イチローDIET篇」(2002年4月1日 - )

[編集] テレビ番組

[編集] ファッション雑誌

  • ロフィシェル・ジャポン(2006年4月28日号)
  • GQ(アメリカ版、2007年) [153]

[編集] イチローに関する出版物

  • 『イチローとわが家 ほんとうの話』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
  • 『溺愛 ― 我が子イチロー』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
  • 『父と息子 ― イチローと私の二十一年』鈴木宣之著、イチローの父親による著作
  • 『イチローに教えたこと、教えられたこと』中村豪著、愛工大名電在籍時の監督による著作 - イチローが愛工大名電に進学することになった経緯、イチローの高校時代、プロで芽が出なかった時のエピソードに詳しい。
  • 『イチローの育て方』河村健一郎
  • 『イチロー・オン・イチロー ― Interview Special Edition』小松成美
  • 『イチロー、聖地へ』石田雄太
  • 『イチローは「天才」ではない』小川勝
  • 『ICHIRO メジャーを震撼させた男』Bob Sherwin著
  • 『キャッチボール ICHIRO meets you』糸井重里著監修
  • 『イチロー思考―孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫』児玉光雄
  • 『イチローイズム―僕が考えたこと、感じたこと、信じること』石田雄太著
  • 『イチロー 「勝利の方程式」 〜常に進化し続ける男の考え方〜』永谷脩
  • 『イチローの流儀』小西慶三
  • 『イチロー262のメッセージ』 - プロゴルファー宮里藍の愛読書として話題になり[154]、20万部突破のベストセラーになった。
  • 『イチロー革命』ロバート・ホワイティング著、ISBN 978-4152085993
  • 『マイ・フィールド・オブ・ドリームス ― イチローとアメリカの物語―』W.P. キンセラ著、井口優子翻訳
  • 『イチロー果てしなき夢 少年の想いはるかに』義田貴士

他多数

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ http://www.47news.jp/47topics/e/133814.php
  2. ^ http://seattle.mariners.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20060522&content_id=1466707&vkey=news_sea&fext=.jsp&c_id=sea
  3. ^ http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=4451180
  4. ^ http://www.yonhapnews.co.kr/sports/2010/04/05/1001000000AKR20100405040200007.HTML
  5. ^ a b c d e イチロー記録メモ”. スポーツ報知. 2008年7月31日閲覧。
  6. ^ http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/090416/mlb0904161835028-n1.htm
  7. ^ about HWB”. ハワイ・ウィンターリーグ. 2008年2月17日閲覧。
  8. ^ 【6月12日】1993年(平5) 見出しにもならなかった「1番・センター、鈴木」の初本塁打”. スポニチ. 2009年2月27日閲覧。
  9. ^ a b 『ICHIRO メジャーを震撼させた男』を参照。
  10. ^ a b 月刊スラッガー』2009年10月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-10、14頁。
  11. ^ “Ichiro breaks Sisler's all-time hits record”. MSNBC. (2004年10月1日). http://www.msnbc.msn.com/id/6154557/ 
  12. ^ “Captain America Stirs Up Ryder Cup”. ウォールストリート・ジャーナル. (2004年9月16日). http://online.wsj.com/public/article/SB109534399601019662-8wAj07E5cBxnEqip_4PcmG18AkE_20071217.html?mod=blogs 
  13. ^ 日本のニュースより[要出典]
  14. ^ a b 『月刊スラッガー』2009年10月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-10、22頁。
  15. ^ http://mlb.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20090403&content_id=4117568&vkey=pr_sea&fext=.jsp&c_id=sea
  16. ^ イチロー2248安打!球団最多安打更新
  17. ^ イチロー、守備にも異変が起きているのかイチロー フィールド、丹羽政善、日本経済新聞、2011年9月12日。
  18. ^ Does Ichiro need to re-invent himself as a hitter?The Seattle Times、2011年6月10日。
  19. ^ MLB's most disappointing players of 2011USA TODAY、2011年9月21日。
  20. ^ Ichiro Suzuki playing like impersonatorESPN、2011年9月12日。
  21. ^ イチ184本で今季終了 0.3秒差響く日刊スポーツ、2011年9月30日。
  22. ^ a b c d e 今改めてイチローを測る『野球小僧』2011年4月号、白夜書房、雑誌18801-4。
  23. ^ ローズ氏 イチロー分析「左方向への打球が少なかった」スポニチ、 2011年9月29日。
  24. ^ 不振の原因は? データが導く“イチロー不運説”は本当か木本大志コラム、sportsnavi.com、2011年9月5日。
  25. ^ イチロー検証<その1>:ボール球に手を出す確率とストライクゾーンの広がり木本大志コラム、sportsnavi.com、2011年9月26日。
  26. ^ 北京五輪野球:イチロー「五輪はアマのための大会」”. 朝鮮日報. (2007年1月2日). http://www.chosunonline.com/article/20070123000002 
  27. ^ “連勝しかない!イチローが決起集会”. スポーツニッポン. (2006年3月15日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2006wbc/kiji/KFullNormal20060315040.html 。TBS系のスポーツ番組で西岡剛が語った内容によれば、その際、イチローは出席者全員分の食事代を一人で全額負担したという。
  28. ^ “Patience has its reward for Ichiro”. ESPN. (2003年5月28日). http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=kurkjian_tim&id=1559908 
  29. ^ 木本大志 (2005年6月27日). “1/500秒に隠されたイチローの秘密 (1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE』 VOL.8”. スポーツナビ. 2011年1月20日閲覧。
  30. ^ a b “Walking or Swinging, Suzuki Is a Force on Offense”. ニューヨーク・タイムズ. (2007年9月5日). http://www.nytimes.com/2007/09/05/sports/baseball/05ichiro.html 
  31. ^ テレビ番組「イチロー MVPの真実」より。
  32. ^ “オールスターゲーム、イチロー貫禄のMVP”. OhmyNews. (2007年7月12日). http://www.ohmynews.co.jp/news/20070712/13068 
  33. ^ a b c d NHK放送「プロフェッショナル仕事の流儀」より。
  34. ^ 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2009年10月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-10、42-45頁。
  35. ^ 2009年9月23日放送NHK BS1『スポーツ大陸 「イチロー大記録への闘い」』より
  36. ^ イチロー200安打視力0・4でも限界なし 日刊スポーツ 2009年9月15日。
  37. ^ “New wind in their sails”. USA today. (2001年5月30日). http://www.usatoday.com/sports/bbw/2001-05-30/2001-05-30-specialseattle.htm 
  38. ^ “イチロー打率のための四球選ばず”. 夕刊フジ. (2007年9月7日). http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_09/s2007090705.html 
  39. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10may/KFullNormal20100501247.html
  40. ^ “Why Suzuki's Magic Number Is Really 56, Not .406”. ニューヨーク・タイムズ. (2005年5月1日). http://www.nytimes.com/2005/05/01/sports/baseball/01score.html 
  41. ^ 木本大志 (2007年6月3日). “イチローが狙うのは「4割」か、「56試合連続安打」か(1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE 2007』 VOL.5”. スポーツナビ. 2011年1月20日閲覧。
  42. ^ 木本大志 (2005年10月3日). “苦しみ抜いたシーズン200安打(1/2)木本大志の『ICHIRO STYLE』 VOL.14”. スポーツナビ. 2011年1月20日閲覧。
  43. ^ 書籍『イチローイズム 僕が考えたこと、感じたこと、信じること』
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