タイガー・ウッズ

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タイガー・ウッズ
Tiger Woods Golf pictogram.svg
Tiger Woods June 2014 (cropped).jpg
基本情報
出生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1975年12月30日(38歳)
出身地 カリフォルニア州サイプレス
身長 185cm
体重 84kg
利き手
経歴 スタンフォード大学中退
プロ転向 1996年
成績
優勝回数 メジャー:14勝
米79勝
欧40勝
日2勝
亜1勝
豪1勝
他16勝
初優勝 1996年ラスベガス招待選手権
賞金王 1997年・1999年-2002年・
2005年-2007年・2009年・
2013年
世界ランク最高位 1位
賞金ランク最高位 米国男子:1位(10度)
2013年9月23日現在
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エルドリック・タイガー・ウッズEldrick Tiger Woods, 1975年12月30日 - )は、アメリカカリフォルニア州サイプレス出身のプロゴルファーである。身長185cm、体重84kg。スタンフォード大学中退。

経歴[編集]

アマチュア[編集]

アメリカ陸軍特殊作戦コマンドの元将校で、スクラッチ・プレーヤー[1]でもあった父親アール・ウッズの手ほどきを受け、生後9か月からゴルフを始めた。

2歳の頃には南カリフォルニアで著名な幼児ゴルファーとなり、4歳になるとSCJGA(南カリフォルニア・ジュニアゴルフ協会)に加盟、すぐに「10歳以下」クラスの9ホールの試合で10歳児を破る。8歳で70台のスコアが出せるようになり、13歳で全国規模のトーナメントに初出場。当時はまだ無名のジョン・デーリーと同組でラウンド、結局1打差で敗れはしたものの、残り4ホール時点では2打リードする実力を持っていた。この間、技術面で4歳の時からゴルフ・インストラクターのルーディ・デュラン(Rudy Duran)の指導を受け、10歳から17歳まではジョン・アンセルモ(John Anselmo)に師事した。

名門スタンフォード大学に進む。アマチュア時代に全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成。

プロ[編集]

1996年8月27日にプロ転向後、わずか10か月余りでマスターズを含む7大会で優勝、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。メジャー競技で優勝したアフリカ系アメリカ人選手はウッズが最初である。

来日は、エキビジションのタイガーウッズインビテーショナルで、その際にはテレビ番組『笑っていいとも!』にも生出演した。大会には著名人、プロゴルファーなどが参加した。所ジョージからは、エア・ジョーダンをリメイクしたゴルフシューズがウッズにプレゼントされた。

またソニーオープンインハワイに出場を打診された際には、多額の出場料約100万ドルを要求したため、ソニー側は今後出場してもらわなくても構わないとウッズ側に告げた 尚それが影響しているのか定かではないが、プロ転向後以降1度もソニーオープンインハワイには出場はしていない。 ただ、日本の試合に出場した際には優勝賞金とは別に招待料として約100万ドルが支払われたという報道もあった。

その後、アメリカPGAツアー46勝[2]、国際試合で9勝[3]、を上げ、総計55勝を20歳代で記録し、他の世界的活躍をみせるプロゴルファーと比較しても抜きん出た才能を見せた。その存在は、一流スポーツ選手としてゴルフに関心はなくともその名を知らない人はいないと言い切れる水準にあるといえ、2000年には日本の高校3年生用英語教科書自伝が掲載されるほどの社会的な有名人であることを実証している。

2009年11月、不倫が発覚し、妻から車で逃げる途中交通事故を起こして負傷した。以後、無期限のツアー欠場を表明した。不倫スキャンダルによりツアーを欠場していたが、2010年マスターズより復帰することを2010年3月16日(アメリカ時間)、自身のホームページで表明。

2012年、スキャンダル以降長らく勝利から遠ざかってきたが、PGAツアーのアーノルド・パーマー招待で復活優勝を果たした。

ルーツ[編集]

人種[編集]

タイガーの家系は、父親はアフリカ系アメリカ人1/2、中国人ネイティブ・アメリカンが1/4ずつであり、母親はタイ人が1/2、中国人オランダ人が1/4ずつの血を引いている。つまりタイガー自身は、中国系・タイ系・アフリカ系が1/4ずつ、ネイティヴアメリカンとオランダ系が1/8ずつである。世間での認識とは異なり、アフリカ系の血は1/4しかない。それに対しアジア系を合計すれば1/2(モンゴロイドを合計すれば5/8)であり、彼自身はアジア系と自称することもある。

自身では人種的ルーツについてほとんど語らなかった彼だが、プロ転向後契約したナイキ社のCM“Hello World”[4]に出演し、その「この国(アメリカ)には肌の色のため僕がラウンドできないコースがある。プロになった僕に対する“準備”は出来ているかい?」という内容が全米に衝撃を与えた(なお、このCMに対して青木功は、ゴルフに人種を絡ませるのは好ましくはないと苦言を呈した)。NHKクローズアップ現代』の単独インタビューにおいては、「あなたは“何”人か」との質問に対し、両親の血筋から白人でもあり、黒人でもあり、アジア人でもあるという意味で“コーカネイジアン”[5]と答え、人種による区分に対しての問題性と否定的見解を示した。

宗教[編集]

幼少期より、仏教徒として育てられている。

「タイガー」[編集]

“タイガー”というニックネームは、「タイガー」の異名を持っていたグエン・T・フォング大佐(Nguyen T Phong)に由来する。彼は南ベトナム軍の将校で、タイガー・ストライプ迷彩服を好んで着ていたことからタイガーと呼ばれていた。ベトナム戦争MIA(戦闘中行方不明)となった彼に対する生還の期待と再会の実現という願いを息子の名前に託したい、との想いをアールが込めたという。1996年12月30日の21歳の誕生日を機に改名申請を行い、“タイガー”を正式なミドルネームとした。

プレー[編集]

常にトップクラスの飛距離や、高いG.I.R[6]、数々の神がかり的なロングパットを沈めてきたパッティング等、無敵とも思える強さは30代を迎えてすぐの不調時でさえ、他の選手に対し精神的な重圧を与え続けるほどの名選手である。

現在パターは、長年使用していた「スコッティーキャメロン」ニューポート2から、現在はナイキ・メッソド001プロトタイプを使用しているが、グリップはアマチュア時代から使用している「PINGパターグリップ・ピストル」である。契約上の問題からロゴをマジックで塗りつぶしてプレーをしている。なおこのグリップをウッズがツアーで使用していたのが話題になり、それがきっかけでPING社からロゴが黒く塗りつぶされた「ブラックアウト」が発売された。

トーナメントの最終日に赤系のシャツを着る姿が有名だが、これは赤が彼の「ラッキー・カラー」であるためであり、母親クルティダの勧めで始めた習慣である。

メジャー大会優勝[編集]

現時点では通算14勝、単独2位につけている。マスターズ4勝は大会歴代2位タイ。全米プロ4勝は大会歴代3位タイ。2005年全英オープンにて、すべてのメジャー大会に2勝を挙げる「ダブル・グランドスラム」を達成。これはジャック・ニクラス以来2人目の偉業となり、先人ニクラスの31歳7か月よりも若い「29歳6か月」での達成となった。2008年全米オープンで、すべてのメジャー大会に3勝を挙げる「トリプル・グランドスラム」を「32歳6ヶ月」で達成。これも先人ニクラスの38歳を大幅に更新した。

年表[編集]

不倫スキャンダル[編集]

2009年11月27日午前2時ごろ、自動車事故を起こし負傷、自身が主催する大会への出場が取り止めとなった[7]。事故自体は不注意運転として164ドルの反則切符を切ったのみで終結したが、夫人が説明した「夫を助けるためにゴルフクラブで窓を叩き割った」との事故の経緯に不自然な点があったためさまざまな憶測が飛び交い、複数の女性との愛人疑惑が報道される事態となり、自身のホームページで家族への謝罪声明を掲載するまでに至った[8]。この一連の騒動が原因で無期限の休止を宣言、アクセンチュアやP&G、AT&Tをはじめとする多くのスポンサー契約も解消となった。

2010年2月19日には、フロリダ州TPCソーグラスのクラブハウスで取材陣をシャットアウトした上で謝罪会見が行われ、複数の女性との不倫を認めたことや性依存症と診断されセラピーを受けている事などを告白している[9][10]。 2010年8月23日には、自身のホームページで妻と離婚したことを明らかにした。子供2人の親権は双方が持つという。

スポンサー企業[編集]

不倫騒動で、タイガー・ウッズの主要スポンサー企業の株主価値が最大120億ドル(約2.3%)損なわれた可能性があるとの調査結果が発表された[11]

現スポンサー[編集]

著書・関連文献[編集]

  • 『私のゴルフ論』 原題:“How I Play Golf”(2001年テレビ朝日/上巻:ISBN 4-88131-252-9、下巻:ISBN 4-88131-253-7) 初めての自著で、レッスン中心の内容。
  • 『タイガー』 ジョン・ストリージ著(1997年) 原題:“TIGER- A Biography of Tiger Woods” 21歳でマスターズ最年少優勝者になるまでをまとめた、若き日のウッズがわかる一冊。日本語訳の存在は不明。
  • 『タイガー・ウッズ父子のゴルフ&教育革命』 原題:“TRAINING A TIGER” アール・ウッズ大前研一監訳 (1997年6月小学館/ ISBN 4-09-356081-1

脚註[編集]

  1. ^ ハンディキャップが0のゴルファーをいう。
  2. ^ うちメジャー大会10勝、世界ゴルフ選手権10勝を含む。
  3. ^ 日本の「ダンロップ・フェニックス選手権」2連覇、ドイツの「ドイツ銀行SAPオープン」3勝などを含む。
  4. ^ 自らナレーションも担当した。
  5. ^ Cauca・ne・asian、caucasian又はcaucasoid、negroid及びasianから成る、本人の造語である。
  6. ^ Green In Regulation の略。「パー」の打数から2打引いた打数でグリーン上に球を乗せること。Par On(パー・オン)は和製英語である。
  7. ^ Tiger Woods hurt in Fla. car crash スポーツ・イラストレイテッド 2009年11月27日発信
  8. ^ ゴルフ=ウッズがホームページに掲載した声明 ロイター 2009年12月1日発信
  9. ^ ウッズ謝罪会見 13分間に語った全内容 スポニチ 2010年2月21日発信
  10. ^ ウッズ謝罪会見も…米メディア「ただのコマーシャル」 スポニチ 2010年2月21日発信
  11. ^ http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-13151720091230?rpc=122 ウッズ不倫騒動、スポンサー株主価値に最大120億ドルの損失=調査 - Reuters

関連項目[編集]

外部リンク[編集]